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2016/09/25

チャーリー・クリスチャン生誕100周年に寄せて

Charliechristian

 

Genius_of_electric_guitar











ギタリスト、チャーリー・クリスチャン。1916年生れなので今年はちょうど生誕100周年にあたる。ということを僕はすっかり忘れていて、7月29日の誕生日にどなたかがこれをツイートしてくださっていたのでハッと思いだした。それでなにか書こうと思いつつ延し延しになっていた。

 

 

ようやくなんとか今日書いている次第。しかしチャーリー・クリスチャン生誕100周年であるにもかかわらず音楽メディアは一切無視だなあ。全く記事を見掛けない。そういえば1999年のデューク・エリントン生誕100周年の時も全くなにもなかったなあ。あの時はこういうことがあった。

 

 

1999年は僕がまだるーべん(佐野ひろし)さんと親密だった時期で、しかも彼も僕も『レコード・コレクターズ』誌に書いていた(佐野さんは今でもご活躍中)。それでエリントン生誕100周年なんだから、今年を逃したら二度と特集を組むタイミングはないですぞ、是非!と編集部に話を持ち掛けた。

 

 

当時の『レコード・コレクターズ』編集長は寺田正典さん。僕なんかよりもるーべん(佐野ひろし)さんはなんたって熱烈なエリントン・マニアでコンプリート・コレクターなわけだから、彼が懸命に説得したのだが、なにしろ録音数が多すぎる、サイド・メンの作品まで追っているとキリがないと。

 

 

それでわりとあっさりとこの話は却下されてしまったのだった。今年2016年に生誕100周年のチャーリー・クリスチャン特集を組もうという動きでもあったのかどうかは知らない。今年もまだ数ヶ月残ってはいるけれど、まあどこもやるわけないだろうな。

 

 

『レコード・コレクターズ』誌だけでなくあらゆる音楽メディア、ジャーナリズムで、今年なにかチャーリー・クリスチャンを取上げてまとまった量の文章にしているのを僕は見ていない。それで今日僕が、というわけじゃないんだが、まあなにかちょっと書いておこう。幸い彼の全録音はさほど数が多くない。

 

 

だからエリントンとは違って全部聴き返すのもそんなに大変ではないのだ。チャーリー・クリスチャンの全録音といっても、僕は例の『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』は今ではCDで買い直していない。そもそも買う気がない。あれこそが彼の残したメルクマールとされているけれども。

 

 

そんでもってその『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』はジャズの新スタイル、ビ・バップ勃興の姿を捉えた貴重な記録で歴史的名盤だとされているよね。でもあの一枚は他のジャズ・メンもチャーリー・クリスチャンのギター・プレイも素晴しいなとは思うものの、僕はそんなに楽しく聞えないのだ。

 

 

僕は別にビ・バップ嫌いの古典ジャズ狂いだなんてことではない。ビ・バップやそれ以後のモダン・ジャズも戦前古典ジャズほどではないにしろ大好きだ。ただチャーリー・クリスチャンをビ・バップ開祖の一人のように位置付ける言説には僕は昔から違和感があるのだ。そんな先鋭的な音楽家じゃないだろう。

 

 

チャーリー・クリスチャンのギタリストとしての持味とか特長とかは、ビ・バップへの道を切り拓いた先駆者とかそういう部分にあるんんじゃないと僕は思っている。またこの手の言い方には「モダン・ジャズこそが偉いんだ、それ以前の古典ジャズはつまらない」という意識が透けて見えるのも気に食わない。

 

 

僕に言わせりゃジャズが本当に面白かったのは誕生後50年間ほどだったということになるので、モダン・ジャズの開祖だから偉大だみたいな言い方をされると頭に来ちゃうんだよね。そしてチャーリー・クリスチャンの残した録音を聴き返すと、彼の魅力はちょっと違うと思うんだよね。

 

 

チャーリー・クリスチャンの公式録音は全てベニー・グッドマンのバンドでのもので、その九割以上がベニー・グッドマン・セクステット。それも1939〜41年というたった三年間だけで、別テイクやリハーサル・テイクなどを全部含めてもたったの98トラックしかない。CDでなら四枚に全部入っちゃうのだ。

 

 

それが2002年にコロンビア(レガシー)がリリースした『ザ・ジーニアス・オヴ・ジ・エレクトリック・ギター』というCD四枚組ボックス。私家録音だったミントンズ・プレイハウスでのものを除き、この四枚でチャーリー・クリスチャンの全録音が揃っちゃうので買いやすく聴きやすいんだよね。

 

 

この四枚組ボックス収録音源は、昔は何枚かバラバラにレコードで出ていて、なかには相当にいいぞこりゃ!と思うようなものがあった。その最大のものがレスター・ヤングとの共演五曲を含む一枚だった。タイトルもなんだったか忘れちゃったんだけど、それでチャーリー・クリスチャンのギターが好きになったのだ。

 

 

その他何枚か散発的にアナログ盤で出ていたが集大成はされていなかった。CD時代になってそこそこ悪くないコロンビア盤がリリースされたものの、僕が聴惚れたレスター・ヤングとの共演五曲は入っていなかったはずだ。それにそもそもコンプリートじゃなかった。2002年の前述CD四枚組でようやく全部揃ったのだ。

 

 

それでCD四枚組ボックス『ザ・ジーニアス・オヴ・ジ・エレクトリック・ギター』を全部じっくり聴き返すと、このギタリストは全然ビ・バッパーなんかじゃないのだ。もっとこう穏当なというかマイルドな人で、ギターのサウンドもフレイジングもスウィング時代後期の人らしい感じにしか聞えないもんね。

 

 

ただシングル・トーンでソロをあれだけ弾けるジャズ・ギタリストというのが、1939年のチャーリー・クリスチャン以前には稀有だから(皆無なんてことはない)、それでこのギタリストがある意味革命的でモダンなジャズ・ギター奏法の開祖という位置付けになっているだけなんだろうと僕は考えている。

 

 

チャーリー・クリスチャンが後のジャズ・ギタリストのみならず、ジャンルを超えて多くのギタリストに大きな影響を与えているのは確かなことだ。モダン・ジャズ・ギタリストで例をあげていたらキリがないが、他ジャンルでもウォルター・ベッカー、ヴァーノン・リード、ジョー・サトリアーニなどなど、認めている人は実に多い。

 

 

チャーリー・クリスチャンの大きな功績は大雑把に言って二つ。一つはシングル・トーン弾きソロにフレイジングの斬新さ、いや斬新というと誤解される可能性があるから瑞々しさとでも言換えるが、それを持込んで確立したこと。もう一つはピック・アップの付いた空洞ボディのギターを普及させたこと。

 

 

まず前者、シングル・トーン弾きのフレイジング。チャーリー・クリスチャン以前のジャズ界にあんな感じで弾く存在がかなり少ないのは事実なので、彼は先輩ギタリストから学んであんなフレイジングを身につけたのではないだろう。サックスやトランペット、ピアノなどをお手本にしたんだろう。

 

 

僕が聴いて判断する限りでは、チャーリー・クリスチャンのモダンなシングル・トーン・フレイジングの最も大きな影響源はレスター・ヤングだ。こう言うと、こっちは生粋のビ・バッパーに違いないチャーリー・パーカーのお手本がレスターだったのでやっぱりなと思われるかもしれないが、ちょっと違うよ。

 

 

チャーリー・クリスチャンのフレイジングにパーカーのような、なんというか寄らば斬るぞとでもいった緊張感のある鋭さ、先進性は聴取れない。要するにレスター・ヤングがテナー・サックスで吹くフレイジングを、そのマイルドな雰囲気のままギターに置換えたようなリラックスできるものなんだよね。じゃなきゃあベニー・グッドマンがあれだけ重用するわけない。

 

 

これホント1939〜41年のベニー・グッドマン・セクステットなんか好んで聴く人間はいまや絶滅危惧種になりつつあるような気がするので、この六重奏団でのチャーリー・クリスチャンがしっかりと聴かれていないだけなんじゃないかと僕は思うんだよね。ベニー・グッドマンなんて今や人気ゼロだからね。クリスチャンに興味を持つ人が聴くのはミントンズ・プレイハウスの奴だけでしょ。それではこのギタリストのことは分りっこないぞ。

 

 

何度も言うようだけど、僕はジョン・ハモンドがプロデュースした1930年代後半のテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションが大好きで、それらの多くでビリー・ホリデイが歌っていて、しかも後見人的立場だったハモンドの肝煎(というか事実上の命令)でベニー・グッドマンが参加しているのだ。

 

 

そういうわけなので、あのテディ・ウィルスンのブランズウィック録音や、ビリー・ホリデイ名義でならアルバムとして集大成されているそれらを大学生の頃からこれでもかというほど愛聴してきていて、それらの多くでベニー・グッドマンがいいクラリネット・ソロを吹いているのを痛感しているんだよね。

 

 

ベニー・グッドマン・オーケストラの話は今日はしない。彼がオーケストラと同時並行でスタジオ録音もライヴもやっていた四人編成のレギュラー・コンボにはテディ・ウィルスンとライオネル・ハンプトンがいる(もう一人はジーン・クルーパで、ベースはなし)。テディもハンプも黒人だよね。あの時代には稀だったんだよ。

 

 

1939年に雇ったチャーリー・クリスチャンももちろん黒人。熱心なブラック・ミュージック・ファンはベニー・グッドマンなんて鼻で笑っていると思うんだけど、彼は自分のバンドで恒常的に黒人を雇ったアメリカ音楽史上四人目の白人リーダーで、1930年代後半にはかなり危険な行為だったんだよね。

 

 

事実ナイト・クラブなどでのライヴ演奏の際、白人聴衆に「どうして黒ん坊なんかを雇っているんだ?!」と罵られたベニー・グッドマンは、「それ以上言うとこのクラリネットでお前の頭をかち割るぞ」と怒ったんだぞ。音楽に関しては人種差別意識の全くない白人だった。黒人音楽ファンにもこの事実だけは憶えておいてほしい。

 

 

ベニー・グッドマンがそんな具合にアメリカ黒人音楽で果した役割のことなんか全く意識しなくたって、1939〜41年のチャーリー・クリスチャンを含む彼のセクステットは本当に楽しい。『ザ・ジーニアス・オヴ・ジ・エレクトリック・ギター』一曲目はあの「フライング・ホーム」だしなあ。

 

 

もちろん数年後に独立したライオネル・ハンプトンが自分のビッグ・バンドでイリノイ・ジャケーのテナー・ブロウをフィーチャーして録音し、今ではジャンプの聖典、あるいは史上初のロックンロールとまでいわれるあの「フライング・ホーム」だ。1939年10月2日、ベニー・グッドマン・セクステットでの録音がこの曲の初演に他ならない。

 

 

その「フライング・ホーム」におけるチャーリー・クリスチャンのギター・ソロは一番手。処女録音でこれなんだよね。作曲者であるライオネル・ハンプトンが二番手で出るのを差置いてトップ・バッターにしたベニー・グッドマンが、いかにこの新進ギタリストに大きな期待を寄せていたか分るってもんだよね。

 

 

その他「ローズ・ルーム」「スターダスト」「メモリーズ・オヴ・ユー」などなどベニー・グッドマンの得意レパートリーが並んでいるけれど、ヴァイブラフォンやピアノ(フレッチャー・ヘンダースン)のソロがない曲でも、全てチャーリー・クリスチャンのスウィンギーなギター・ソロとボスのクラリネット・ソロはあるんだよね。

 

 

面白いのは前述の通りレスター・ヤングと共演した五曲だなあ。1940年10月録音。一曲目が作者はおらず即興でやったとのクレジットがある「アド・リブ・ブルーズ」。これなんかレスターのソロとチャーリー・クリスチャンのソロを聴き比べると、後者がいかに前者のフレイジングから学んだかが分る。

 

 

その他の四曲も全てレスターとチャーリー・クリスチャンのソロがあるので、この両者の関係がクッキリと分っちゃう。クリスチャンのシングル・トーン弾きによるモダン・フレイジングは間違いなくレスター由来で、しかもそれをパーカーみたいに先鋭化せず、レスターそのままのスムースなサウンドだ。

 

 

前述の通りチャーリー・クリスチャンの全公式録音はベニー・グッドマンのバンドでのものだから、ボスはグッドマンただ一人。ビ・バップ嫌いだったグッドマンだけど、1942年に25歳で早世したクリスチャンがビ・バップの開祖のように言われるようになったのを知り「あれがビ・バップというものなら悪くないね」と言ったそうだ。

 

 

また、空洞ボディにピック・アップの付いたギブスンES-150(は1936年発売)をチャーリー・クリスチャンは使っていて、それが有名になったので、当初は名前が付いていなかったそのギブスンES-150搭載のピック・アップが「チャーリー・クリスチャン・ピック・アップ」と呼ばれるようになった。

 

 

それが後のいろんなエレクトリック・ギターのモデルになったので、俗称 C・C・ピックアップも知られているという次第。だからジャズ・ギタリストに限らずあらゆるエレクトリック・ギター弾きはチャーリー・クリスチャンを知っているとか、そんな話をする余裕が今日はなくなった。まあこっちは誰かが書いているだろう。

 

 

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