100年経っても瑞々しいイリニウの古典ショーロ
現在在庫切れ状態ではあるけれど、今では日本のアマゾンでも普通に売っているんだなあ、エヴェルソン・モラエスらのやったイリニウ・ジ・アルメイダ曲集『イリニウ・ジ・アルメイダ・エ・オ・オフィクレイド・100・アノス・ジポイス』。アマゾンで在庫切れってことはそれだけ売れているってこと?
しかもそれは日本のアマゾンなんだから、もし日本でそれだけこのイリニウ曲集が売れているのであれば凄く嬉しい。何度も何度も繰返すけれども、僕の最愛ブラジル音楽であるショーロは日本ではイマイチ人気がない。いや、イマイチどころじゃなく全然人気ないのかな、話題にする人がかなり少ないからなあ。
管楽器を中心にした編成で自由闊達な即興演奏を繰広げるインストルメンタルなポピュラー・ミュージックという点では、世界でも日本でも最も人気があるのがジャズで、ショーロなんてひょっとしたらこの分野の存在にすら気が付いていない人の方が多いかもしれないなあ。最高にチャーミングなのにね。
北米合衆国におけるジャズの成立は19世紀末から20世紀頭という世紀の変り目あたりのこと。それに対してブラジルでショーロが成立したのは1860〜70年頃とされているから、ジャズよりもショーロの方がずっと歴史が古い。しかもショーロはブラジル音楽史においてその後も土台になってきた。
そんなに古いショーロの歴史において、第一世代といわれるジョアキン・アントニオ・ダ・シルヴァ・カラードやアナクレット・ジ・メデイロスらによる録音は残されていない。いや、アナクレットの方は少しあるみたいで、僕も一曲だけ聴いている。それが例の『ショーロ歴史物語』の三曲目「豚の頭」。
あの田中勝則さんとエンリッキ・カゼスのコラボ・プロデュースによる『ショーロ歴史物語』はショーロの歴史を知りたい日本人には必聴のアンソロジー。その三曲目「豚の頭」は1904年録音で、演奏するのはアナクレット率いるバンダ・ド・コルボ・ジ・ボンベイロス。見事な演奏で僕は大好きなのだ。
その「豚の頭」におけるホーン・アンサンブルの完成度と特にピッコロが奏でるメロディの活き活きとした躍動感は、既に充分現代ショーロだ。しかしいくら現代ショーロなどと言っても、1904年録音なわけだから音質的にはいささか厳しいものがある。古い音を気にしない人じゃないと難しいだろう。
そんなショーロ第一世代の作曲・演奏法を引継いで次世代に新しいショーロの形を創り上げたのがイリニウ・ジ・アルメイダ。ショーロ史で言えば第二世代にあたり、1863年生まれ1916年没。イリニウは上で書いたアナクレット率いるバンダ・ド・コルボ・ジ・ボンベイロスのメンバーだった。
アナクレット率いるバンダ・ド・コルボ・ジ・ボンベイロスは上記『ショーロ歴史物語』収録の「豚の頭」を聴けば分るように大編成オーケストラ。イリニウはその楽団員として活躍し、独立後はそれを少人数のコンボ編成にしたショーロ・カリオカというバンドを率い、自在な即興演奏を展開したらしい。
「らしい」というのは、僕はイリニウのショーロ・カリオカによる演奏は一曲しか聴いていないので、実際の音ではイマイチ実感がないのだ。その一曲というのがピシンギーニャのライス盤アンソロジー『ブラジル音楽の父』一曲目の1915年録音「焼肉」。これはかなり見事なモダン・ショーロだ。
その「焼肉」を聴けば分るのだが、フルートで主旋律を吹くピシンギーニャに絡み、イリニウが(オフィクレイドではなく)ボンバルジーノで対旋律を入れている。この低音管楽器で対旋律で主旋律に絡むカウンター・メロディの使い方こそがイリニウがショーロ史で果した最も重要な功績に他ならない。
こういう対旋律、カウンター・メロディをブラジル音楽では「コントラポント」(contraponto)と呼ぶ。日本語にすれば対位法。クラシック音楽を聴くリスナーの方ならみなさんよくご存知のもので、しかしこれをブラジルのポピュラー・ミュージックであるショーロに初めて導入したのがイリニウだ。
そしてピシンギーニャ参加のショーロ・カリオカによる「焼肉」でも典型的に分るイリニウ導入のコントラポントの手法は、その後ピシンギーニャのアレンジ様式に絶大なる影響を与え、彼が継承・発展させて様々なショーロ名曲を生み出す根本となり、21世紀の現代まで続いている基本中の基本。
ってことはそんなに重要なコントラポントの手法をショーロに初めて持込んだイリニウの果した役目の大きさをいくら強調しても強調しすぎることはないわけだけど、イリニウ自身はなにしろ1916年に亡くなった人(1914年と書いてある文章もあるが、上記「焼肉」が1915年録音のはず)だからなあ。
だからイリニウ自身のショーロ・バンドによる録音は全て1910年代なわけで、音が古すぎて一般的には聴きにくいというファンが圧倒的であるはず。僕みたいにSP時代の音の方が現代録音よりもむしろ好きで、「音が古い」という理由だけでこそその方がいいというような奇特な(?)人間は例外かも。
だからどうにもイリニウの功績を現代の新しいリスナーにも理解していただけるチャンスがなかったわけだ。ところがそれが今年2016年にエヴェルソン・モラエスらによるイリニウ・ジ・アルメイダ曲集がリリースされて、これは今年の新作なわけだから当然最新録音で聴きやすく格好のオススメ盤。
エヴェルソン・モラエスらのイリニウ曲集については、今年6月23日付けで荻原和也さんがきっちり紹介なさっているので、僕なんかがいまさらなにも付け加えることもない。このアルバムについてちゃんとした文章を読みたいという方は是非そちらをどうぞ。
このエヴェルソン・モラエスらのイリニウ曲集では、エヴェルソンがアルバム・タイトル通りもっぱらオフィクレイドを吹く。現代には吹く人がいなくなったこの低音金管楽器については、アルバム附属のブックレットの最後の方に見開き2ページにわたり解説されている。もちろんポルトガル語でだけど。
イリニウはコントラポントのためにオフィクレイドかボンバルジーノを吹いた。吹く人がいなくなったオフィクレイドを楽器店で見つけたエヴェルソンのその偶然の出会いが、今回の新作イリニウ曲集に結びついたんだそうだ。しかしそれでイリニウをカヴァーしとうと思い付いたのは彼じゃなかったのかもしれない。
このイリニウ曲集附属ブックレット裏の記載を見るとプロデュースがマウリシオ・カリーリョになっている。ショーロ・ギタリストだ。エンリッキ・カゼス同様古典ショーロに造詣の深い人物なので、あるいはオフィクレイドを吹くエヴェルソンではなく、マウリシオの着案でイリニウ曲集となった可能性はある。
極めて音の良いこのイリニウ曲集を聴けば、ショーロについて全くなにも知らない入門者だってこの音楽のチャーミングな魅力の虜になるはず。現代録音だからイリニウが書いてアレンジした曲の細部まで非常にクッキリと分る。そしてエヴェルソンがオフィクレイドで吹くコントラポントの様子やその重要性もよく分る。
オフィクレイドという楽器は僕はこのイリニウ曲集で初めてその音を聴いた。ちょっと聴いた感じではトロンボーンとホルンとチューバのちょうど真ん中あたりの感触の音だなあ。アルバム一曲目の「サン・ジョアン・デバイソ・ダグア」がいきなりオフィクレイドの音ではじまって、その柔らかい音にすぐに耳を奪われる。
その後はコルネットとフルートが中心になって主旋律を奏で、オフィクレイドが低音で対旋律を入れるという具合で演奏が進む。アルバムのだいたい全曲で管楽器はそのコルネット、フルート、オフィクレイドの三管編成。そのバックでカヴァキーニョ、ギター、パンデイロの三つがリズムを刻む。
こうした六人編成は1910年代のイリニウのバンドをそっくりそのまま再現したもの。収録曲のアレンジも荻原和也さんの文章によれば当時のオリジナルを忠実に再現しているんだそうだ。ってことはイリニウが書いて1910年代に演奏したオリジナルの完成度がいかに高くモダンであったかが分るというもの。
だってさぁ、今年の新作エヴェルソン・モラエスらのこのイリニウ曲集を聴いたら、こんなにも瑞々しくて現代的でチャーミングなホーン・アンサンブル・ミュージックって滅多に聴けるもんじゃないぞって思っちゃうよね。これは僕だけの感想じゃないはず。ネットで検索すると同様のことが書いてある文章が複数出る。
そうやってこのエヴェルソン・モラエスらのイリニウ曲集について書いてあるものがないかネットで検索していて、ブラジルのショーロを聴いてみたいがピシンギーニャのものは音が古くてとっつきにくそうだからこっちにしてみたという意味のことが書いてある日本語の文章が一つ出てきた。
その方の文章には「偶然検索したブログ『after you』さんにて、本作が紹介。まさに理想的と飛びつきました。(お礼のコメントを入れたいところだけど、著作を買わないと相手にしてもらえないよね?」とも書いてありましたよ、荻原さん。それはともかくとして、ピシンギーニャも聴いて欲しいのだ。
イリニウはピシンギーニャの先生だった。イリニウがショーロに導入したコントラポントの手法がピシンギーニャに非常に大きな影響を与えたということは僕も上で書いた。しかしそれは実際の音を聴かないと実感できないじゃないか。今ではオリジナル録音の入手が不可能に近いイリニウと違って、ピシンギーニャは買いやすいんだから。
それで今年の新作であるエヴェルソン・モラエスらのイリニウ曲集を聴いて、なんて美しく魅力的なんだ!ショーロってこんなにもチャーミングな音楽なのか!もっともっと多くの人に聴かれるべきものじゃないか!と思った方は、イリニウの弟子ピシンギーニャの残した珠玉の録音集も是非聴いてほしい。
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