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2016年9月

2016/09/30

真犯人はトニー・ウィリアムズ

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1965〜68年のマイルス・デイヴィスが率いた、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズによる例のクインテット。今ではあまり面白くないように聞える場合が多いんだけど、それでもこれはイイネと思っているのがリズムの面白さだ。『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』までの四枚のアルバムについてそういうことはあまり言われないが。

 

 

あの四枚でリズムが面白いと言った場合、多くの人が思い浮べるのは1965年の『E.S.P.』にある「エイティ・ワン」だろうなあ。マイルス初の8ビート・ジャズ作品で、書いたのはロン・カーター。これの話は既に何度かしているので今日は詳しく書かない。ただあれも4ビートになる部分がある。

 

 

『E.S.P.』ではその一曲だけ。次の1966年『マイルス・スマイルズ』からリズムが面白くなるんだなあ。オープニングの「オービッツ」。いきなりなんなんだこのトニーのドラミングは?一応ビートは4/4拍子なんだけど、全然そんな雰囲気じゃない。

 

 

 

トニーは1964年頃からのライヴ演奏で既にこんな感じのドラミングをやっているものがある。顕著なのが1964/2/12録音『フォー・アンド・モア』一曲目の「ソー・ワット」。もちろん4/4拍子なんだけど、トニーの叩き方が尋常じゃない。

 

 

 

それまでの4/4拍子のモダン・ジャズ定型ドラミングから大きく逸脱し、通常のシンバル・レガート、2拍と4拍で踏むハイハット、それにオカズでスネアやバスドラを入れるなんていう叩き方ではもうない。なんというか、これはもうロック・ドラミングに近い。油井正一さんはそれをパルス感覚と呼んだ。

 

 

油井さんはパルス感覚と呼んで褒めて、その一方でだからそんな次元にまで到達したマイルスはロックの「単純な」8ビートには手を出すわけなかったと書いているけれど、僕に言わせたら1960年代中期からのトニーのこういうリズム感覚はロック由来に間違いない。1945年生まれだもんなあ。

 

 

1945年生まれということはトニーの多感な思春期はロック勃興の真っ只中だったわけで、自分で演奏するのはモダン・ジャズだったけれど、普段自宅ではロックのレコードをたくさん聴いていたそうだ。そりゃ世代を考えたら当然だ。そんな経験がマイルス・クインテットにも活かされてくる。

 

 

その最も顕著な早い例がさきほど紹介した『マイルス・スマイルズ』一曲目の「オービッツ」。表面上の形式は4/4拍子の衣を借りながら、そしてロン・カーターもウォーキング・ベースを弾くものの、内在するビート感覚は8/8拍子だ。トニーのドラミングにはそれをはっきりと聴くことができる。

 

 

もっとはっきり出ているのが同アルバムA面ラストのウェイン・ショーター・ナンバー「フットプリンツ」。これはもはやハード・バップとかポスト・バップとかモーダル・ジャズだとか、そういうものではないね。アフロ・ジャズ・ロック作品だと言うに近い。

 

 

 

お聴きになれば分る通りこれはワルツ・タイムなのかと聞えるかもしれないが、このリズムは12/8拍子、あるいは6/8拍子が基本になっていて、それが4/4拍子と混じって交互に行き来する。トニーのドラミングもロンのベースもそういう演奏スタイルで、しかもこれは12小節ブルーズなのだ。

 

 

だからこの「フットプリンツ」は凄く面白いよね、今聴いても。この曲は『マイルス・スマイルズ』収録の1966年10月録音が初演ではない。ショーターのブルー・ノートへのリーダー・アルバム『アダムズ・アップル』収録の同年二月録音がオリジナル。

 

 

 

お聴きになれば分るように、このショーター・コンボでの初演はどうってことのない3/4拍子のジャズ・ワルツなのだ。だからこれが八ヶ月後のマイルス・クインテットでの録音でどうしてあんな感じのリズム・アレンジになっているのかちょっと不思議だ。誰の着想だったんだろう?マイルス?トニー?

 

 

自分のリーダー名義録音なんだから多分マイルスのリーダーシップだったんだろうとは思うけれど、トニーのドラミングが大きく貢献しているのは間違いないよね。マイルス自身この「フットプリンツ」はお気に入りで、その後のライヴで頻繁に演奏している。公式ライヴ盤収録ヴァージョンだけでも五つある。

 

 

作曲者のショーターも得意レパートリーにしていて、ウェザー・リポート解散後にジャズ回帰してからのライヴではよく演奏している。公式収録は2001年録音翌年リリースの『フットプリンツ・ライヴ!』のだけなんだけど、それもなかなか面白い。ブライアン・ブレイドのドラミングがやはりイイ。

 

 

マイルス・ヴァージョンでは1967年の欧州ツアーでのライヴ盤四枚組に三つも収録されている「フットプリンツ」だけど、それよりも1969年の例のロスト・クインテットでのライヴ・ヴァージョンの方が面白い。当然ながらチック・コリアがフェンダー・ローズを弾いている。公式盤では『1969 マイルス』のだけ。

 

 

マイルス関連ではない音楽家がやった「フットプリンツ」で一番面白いのは、僕の知る限り間違いなくストリング・チーズ・インシデントのライヴ・ヴァージョンだね。単独の一曲としては YouTube にないので紹介できないのが残念なんだけど、完全なるファンク・チューンなのだ。どこがブルーグラス系バンドなの?

 

 

ストリング・チーズ・インシデントがライヴでやる「フットプリンツ」は、クラヴィネットが粘っこいリフ・フレーズを弾き、エレキ・ギターがテーマ・メロディを演奏する背後で、ハモンド B-3 オルガンがビヒャ〜と鳴っているというもので、どこからどう聴いてもブルーグラス系バンドに聞えないファンキーさ。

 

 

マイルスのセカンド・クインテットで最もリズムが面白いのは『マイルス・スマイルズ』の次の1967年作『ソーサラー』だ。A面一曲目「プリンス・オヴ・ダークネス」、三曲目「マスクァレロ」、四曲目「ザ・ソーサラー」と三曲も8ビートっぽい曲があるもんね。一番面白いのは「マスクァレロ」だ。

 

 

 

これもショーターのオリジナル曲で、やはりリズムはラテン〜アフロっぽい8ビート。トニーがシンバルで細かいリズムを叩出し、その他スネアやタムタムでアクセントを付けている。ハービーもピアノでそれっぽいリズミカルなリフを弾いているねえ。

 

 

「マスクァレロ」も全体のサウンドはそんなに賑やかな感じではなく、この『ソーサラー』『ネフェルティティ』二枚全体を支配している落着いたダークな雰囲気で同じなんだけど、ビートの感じが普通のモダン・ジャズじゃないからなあ。「プリンス・オヴ・ダークネス」だって「ザ・ソーサラー」だって同じ。

 

 

「マスクァレロ」もその後のマイルス・バンドの定番ライヴ・レパートリーになって、やはり1967年欧州公演でたくさんやっているほか、69年のロスト・クインテットでも、そしてこの曲だけは1970年まで続けてやっていて、公式ライヴ盤にも二つのヴァージョンがある。それは既に完全にジャズ・ロック。

 

 

1970年ってことは既にマイルスは旧来のジャズ的な衣裳は、文字通りの意味でも音楽的にも脱ぎ捨てていた時期。その時期までやっていたということは「マスクァレロ」という曲のロックっぽいリズムの面白さを分っていて実践していたってことだよなあ。セカンド・クインテットの曲では唯一これだけなのだ。

 

 

そのうち1970年4月のフィルモア・ウェストでのライヴ収録盤『ブラック・ビューティー』における「マスクァレロ」では、マイルスとスティーヴ・グロスマンのソロが終ったあと、チック・コリアがスパニッシュな感じのソロを弾くのも面白いんだよなあ。ところで ”Masqualero” ってのは何語?意味は?

 

 

『ソーサラー』の僕の持っているSMEリリースの日本盤ライナーノーツは村井康司さんが書いているんだけど、「プリンス・オヴ・ダークネス」「マスクァレロ」については、一言「トニーが変形されたラテン風のビートを刻む」としか触れていない。僕も信頼している村井さんにしてはちょっと意外な感じだ。

 

 

実を言うと今日のこの文章を書くにあたり、リズムの面白さについて書いてないかな?とひょっとしてなにか参考になることがあるんじゃないかと思って『ソーサラー』CD現物を引っ張り出してライナーを読直してみたんだけどなあ。そうしたら村井さんだったわけで、しかもサラリと一言だけだ。

 

 

僕なんかにとっては『ソーサラー』というアルバムの面白さは、一聴クラシカルな作風に聞えなくもない抽象的で調性感の薄い音楽性(というこをを村井さんが書いているわけではない)とかなんとかではなくて、ラテン〜アフロな8ビート風のヒプノティックな反復がもたらすグルーヴ感なんだけどなあ。

 

 

だからこれの次の『ネフェルティティ』ではそういう要素がほぼ全面的に消えてしまい、唯一B面二曲目のハービーのオリジナル曲「ライオット」だけがそんなラテン風8ビートなだけだから、全体的にはあまり面白くない。先立つ『マイルス・スマイルズ』『ソーサラー』の二枚にはいくつもあったのにどうしてだろう?

 

 

従って『マイルス・スマイルズ』あたりから徐々に出てきたマイルスのジャズ・ロック的な作風追求は、『ネフェルティティ』の次の『マイルス・イン・ザ・スカイ』でようやく全面的に開花することになって、その後はほぼ全面的にその路線をひた走ることになる。その意味でこそこのクインテットは面白い面があると思うのだ。

 

 

かつて油井正一さんは、マイルスがロックに色気を出したかのように見えるのは、実は信頼していたはずのトニーのせいだったと分ったと書いたことがある。油井さんはそれはイカンという意味だったのだが、僕は全く逆の意味でこれは真実だっただろうと思っている。トニーこそがマイルスのロック化の張本人。

 

 

僕はもちろんそれが良かったのだという意味で言っている。油井さんと同じ事実を指摘しているんだけど、その価値判断は逆なのだ。トニーがマイルス・バンド加入後しばらくしてロック的なビートを持込んで、バンド全体をジャズ・ロック方向へ導いてくれたおかげで、その後のマイルス・ミュージックがあるんじゃないかなあ。

 

 

そんな観点で1965〜68年のマイルス黄金のクインテットの四枚『E.S.P.』〜『ネフェルティティ』を聴直してみたら、これはこれで結構面白いように思う。けれども今でも多くのファンはそんな聴き方はしていないよねえ。もっぱらクラシカルな作風の純芸術品だと信じて聴いているもんなあ。それは別に構わないんだけどさ。

 

2016/09/29

ディープなブルーズ・マンのポップなアルバム

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2001年に亡くなったブルーズ・マン、ジョン・リー・フッカーの実質的な遺作である1997年の『ドント・ルック・バック』。熱心なフッカー・ファンや黒人ブルーズ・マニアからは全く相手にされていないアルバムじゃないかなあ。僕もどうってことないような内容だとは思うけれど、案外好きなのだ。

 

 

まずアルバム・ジャケットがいいよね。CDショップ店頭でこれを見た時にいいアルバムに違いないと僕は直感して迷わず即買い。帰って聴いてみて、一曲目「ディンプルズ」の出だしだけでこりゃいいね!ってなったなあ。アルバム中この曲にだけロス・ロボスの面々が参加して演奏している。

 

 

一曲目「ディンプルズ」はプロデュースもロス・ロボスだ。ギターがニ本聞えるけれど、デイヴィッド・イダルゴ、セサール・ロサスとなっている。ジョン・リー・フッカーは弾かずヴォーカルのみ。だからこの曲のサウンドはブルーズ・ロック調のものをやる時のロス・ロボスに似ている。

 

 

ロス・ロボスがイースト・ロス・アンジェルスを拠点とするメキシコ系アメリカ人で構成されたラテン・ロックというかチカーノ・ロック・バンドであるのはみなさんご存知の通り。そんでもって初期からかなりブルーズ・ロック要素も強く、例えば『ハウ・ウィル・ザ・ウルフ・サーヴァイヴ?』にも両方ある。

 

 

ワーナーからリリースされた『ハウ・ウィル・ザ・ウルフ・サーヴァイヴ?』は1984年のアルバムにしてロス・ロボスの実質的なメジャー・デビュー作と言えるんじゃないかなあ。この前に二枚あるんだけど、チャリティー・アルバムだったり自主制作だったりして、流通商品なのかどうかちょっと分りにくい。

 

 

だから三作目の『ハウ・ウィル・ザ・ウルフ・サーヴァイヴ?』こそがロス・ロボスのメジャー・デビューなんだよね。このアルバムでは、メジャー・リリースだというのを意識してかどうか、彼ら独自のラテン色とあわせブルーズ・ロック色も濃厚。

 

 

ロス・ロボスも人気が出るにつれ、メジャー・リリース・アルバムでもテックス・メックス〜ラテン色も濃厚に打出すようになり、それがブルーズ・ロック要素と溶け合って、本当に彼らにしかできない独自の音楽をやるようになった。その最高傑作がおそらく1996年の『コロッサル・ヘッド』だろう。

 

 

ロス・ロボスの話とか『コロッサル・ヘッド』の面白さかとか、同時期にやっていた別働隊ラテン・プレイボーイズの話とかは別の機会にしたい。そんな傑作『コロッサル・ヘッド』でもアルバム・ラストの一曲はデイヴッド・イダルゴが弾く完全なるブルーズ・ギター・インストルメンタルだよなあ。

 

 

だから『コロッサル・ヘッド』の翌年にジョン・リー・フッカーの『ドント・ルック・バック』に一曲だけとはいえロス・ロボスの面々が参加してブルーズをやっているのには全くなんの驚きもない。「ディンプルズ」での二本のギターはデイヴィッド・イダルゴがリードしているんだろう。

 

 

ギターもいいんだけど、「ディンプルズ」で一番目立つのはアンプリファイされたブルーズ・ハープ(10穴ハーモニカ)の音だ。それはジョン・ジューク・ロウガンが吹いている。エレクトリック・ブルーズ・ハープ専門家だけど、主たる活動がテレビ音楽と映画音楽の世界でだったので、僕はあまり知らない。

 

 

ただこれがきっかけだったんじゃないかと僕が思うのが1987年のアメリカ映画『ラ・バンバ』。ご存知の通りチカーノ・ロック・スターだったリッチー・ヴァレンスの伝記映画で、これのサウンドトラックを同じチカーノのロス・ロボスがやり、そしてジョン・ジューク・ロウガンも参加している。

 

 

だから間違いなくロス・ロボスとジョン・ジューク・ロウガンは1987年の『ラ・バンバ』(でロス・ロボスはブレイクした)以後は付合いがあったはずだ。それが直接的な理由じゃないかもしれないが、それから10年後のジョン・リー・フッカーのアルバムでも一曲共演しているってことだね。

 

 

ロス・ロボスが参加して演奏・プロデュースしているのは一曲目「ディンプルズ」だけ。それ以外の10曲のプロデュースはジョン・リー・フッカーと付合いの長いヴァン・モリスン。プロデュースだけでなくギターとヴォーカルでも参加しているから、実質的なコラボ・アルバムと言えるかも。

 

 

1997年に『ドント・ルック・バック』を買って帰って最初に聴いた時には、一曲目「ディンプルズ」がえらくカッコイイなあって個人的には思ったので、二曲目以後はジョン・リー・フッカーにしてはさほどディープではない曲があるし、ブルージーな感じも薄いポップなフィーリングもあったりして、だからイマイチだなあと感じていた。

 

 

もちろん『ドント・ルック・バック』にはストレートなブルーズ・ナンバーも数曲ある。一番有名なのはおそらく五曲目の「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」と10曲目の「レッド・ハウス」だろう。後者の方は相当に知名度があるはず。その理由は説明不要のジミ・ヘンドリクス・ナンバーだからだ。

 

 

12小節3コードというジミヘンのやった音楽のなかでは最もトラディショナルな種類の一つに入るであろう「レッド・ハウス」。いろんな人がカヴァーしているけれど、『ドント・ルック・バック』におけるジョン・リー・フッカー・ヴァージョンは、シンプルな伴奏に乗ってフッカーお馴染みの唸り声。

 

 

唸っているというか喋っているようなトーキング・ブルーズ・スタイルでの「レッド・ハウス」。ジョン・リー・フッカーはギターも弾いているとなっているけれど、他に二名、ヴァン・モリスンとダニー・ケイロンもギターでクレジットされている。フッカーはあんまり弾いてないみたいに聞える。

 

 

「レッド・ハウス」でジョン・リー・フッカーがワン・コーラス歌い終って、「プレイ・ザ・ブルーズ!」の掛声ではじまるギター・ソロは間違いなくフッカーではない。おそらくヴァン・モリソンだろうなあ。ダニー・ケイロンなのかもしれないが、僕はこの人を知らないから分らない。

 

 

その(おそらくは)ヴァンであろう間奏部のギター・ソロはジョン・リー・フッカー・スタイルそのまんまだ。超ブルージーでかなりの聴き物。いやあ、いまさらなことを言うけれど上手いね、ヴァンのブルーズ・ギターは。いやまあクレジットされているダニー・ケイロンかもしれないが、この人は誰だ?

 

 

『ドント・ルック・バック』にあるもう一つのこれまた超有名ブルーズ・スタンダードである「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」。この曲名だけでみなさんお分りのはずだけど、戦前ブルーズ・シーン最大の人物リロイ・カーの書いた曲で、本当に多くのブルーズ・メンやロッカーがカヴァーしている。

 

 

最近ではエリック・クラプトンの1994年作『フロム・ザ・クレイドル』一曲目が「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」だったので、ロック・ファンは間違いなくそれで馴染があるはずだ。でもねえ、あれ、エルモア・ジェイムズの1955年フレア・ヴァージョンの丸写しなんだよね。

 

 

あるいはひょっとしてご存知ない方がいらっしゃるかもしれないので、一応音源を貼っておこう→ https://www.youtube.com/watch?v=gyqTOFpuTcA  クラプトン・ヴァージョンはこっち→ https://www.youtube.com/watch?v=CY85PSxn0PI  どうだろう?まあ敬愛の念だけは伝わってくる感じだね。

 

 

これも貼っておかなくちゃ。リロイ・カーのオリジナル・ヴァージョン「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」(1934)→ https://www.youtube.com/watch?v=FOuFZ9NXPHo  こんな感じのピアノ・ブルーズをエレトリック・ギターでの三連スライド・スタイルに移し替えたのがエルモアの素晴しい独創だったんだよね。

 

 

そんでもってジョン・リー・フッカー1997年『ドント・ルック・バック』ヴァージョンがこれ→ https://www.youtube.com/watch?v=wq-S-pe0yU4  しかしフッカーがこのブルーズ・スタンダードをやったのはこれが初めてではない。1950年代にヴィー・ジェイ録音でやっている。

 

 

ジョン・リー・フッカーのヴィー・ジェイ録音といえば、上で書いた『ドント・ルック・バック』一曲目の「ディンプルズ」。これも1956年ヴィー・ジェイ録音がオリジナルなんだよね。それはいいんだけど、問題は『ドント・ルック・バック』における「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」だ。

 

 

なにが問題かというと『ドント・ルック・バック』における「ブルーズ・ビフォー・サンライズ」は、どうしてだか “Written By John Lee Hooker” と書かれてあるんだよなあ。これは理解できないぞ。聴いたら間違いなくリロイ・カーのあれだってことは誰だって分るのに。

 

 

こりゃオカシイね。まるでレッド・ツェッペリンみたいじゃないか。リロイ・カーの書いたブルーズ・スタンダードだってことは誰だって一聴瞭然はず。だからどうしてこうなっているのか事情をご存知の方、教えてください。この一点だけが僕にはどうしても分らないんだけど、演唱自体はなかなかいいよね。

 

 

その他三曲目「エイント・ノー・ビッグ・シング」、七曲目「トラヴェリン・ブルーズ」、九曲目「フリスコ・ブルーズ」、11曲目「レイニー・デイ」は、全てジョン・リー・フッカーらしいドロドロしたスロー・ブルーズで、しかもいい感じのギター・ソロはおそらくヴァン・モリスンが弾いているんだろう。

 

 

でもアルバム『ドント・ルック・バック』の目玉というか特徴というかウリは、おそらくそういうブルーズそのものみたいなものではなく、二曲目「ザ・ヒーリング・ゲーム」と四曲目「ドント・ルック・バック」だろうなあ。後者はジョン・リー・フッカーの曲だけど、前者はヴァン・モリスンの書いた曲。

 

 

「ザ・ヒーリング・ゲーム」ではヴァンのヴォーカルもかなり大きく目立ちジョン・リー・フッカーの歌と絡むし、単独でもヴァンが歌うパートがある。ギター・ソロはこれはもう疑いなくヴァンが弾いている。「ドント・ルック・バック」はジョン・リー・フッカーがずっと前に書いたオリジナル曲。

 

 

「ザ・ヒーリング・ゲーム」も「ドント・ルック・バック」もブルーズ・マンが歌っているとは思えないフィーリングで、かなりポップなんだなあ。もちろんブルーズ・メンもポップ・ソングをよくやるけれども、ジョン・リー・フッカーはそういう部分とはやや縁が薄いような人だと僕は思っていたからなあ。

 

 

それら二曲ともヴァン・モリスンのプロデュースで、ギターとヴォーカルでもヴァンがやりジョン・リー・フッカーと絡んで、さほど強くブルージーでもなくディープなフィーリングもなく、一般のロック〜ポップ・リスナーにも聴きやすい軽快なポップ・チューンに仕上っているってのはちょっと面白いんじゃないだろうか。

 

2016/09/28

男歌・女歌

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英語で歌う米英のポピュラー音楽歌手は、女性が歌うか男性が歌うかによって歌詞の中身を書きかえるよね。対象の性別変更だ。一番はっきり分るのが人称代名詞で He を She にしたりその逆をやったりその他いろいろと。これはほぼ例外なく全員やるけれど、僕はあまり好きなやり方じゃないんだなあ。

 

 

具体例なんてあげられないほど多いから困ってしまう。瞬時に思い付くものとしてはサザン・ソウル・スタンダードの一つ「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」がある。この曲の初演はご存知の通り女性歌手エタ・ジェイムズなので、「彼」が去ってしまうのを云々と歌っているよね。

 

 

彼(he)を奪われるのを目の当りにするくらいならいっそ目が見えなくなればいいという失恋歌。彼女(her)とかあの娘(girl)が彼と喋っているのを見てどうのこうのとね。マット・デニスが書いた「エンジェル・アイズ」にちょっと似た主題だ。ところが僕はこの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」をスペンサー・ウィギンズの歌で知ったのだ。

 

 

スペンサー・ウィギンズはもちろん男性歌手なので、この曲も男の立場に歌詞を書きかえて歌っている。言うまでもなく恋人を奪うあの娘(her)がアイツ(him、that boy など)になっている。男性歌手が歌う「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」なら他にもフェイシズのがあったなあ。

 

 

フェイシズのライヴで「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」を歌うのはもちろんロッド・スチュアート。そして彼らは英国のロック・バンドだ。米国の女性歌手ならデヴィナ&ザ・ヴァガボンズのデヴィナ・ソワーズが今年2016年の新作ライヴ・アルバムで歌っていると今年8/25に書いたばかりだ。

 

 

こんなのは本当にほんの一例で、同じ歌を歌手の性別によってそれぞれの立場に置換えて歌詞を書きかえて歌うのが米英ではごくごく当り前でほぼ全部そうなのだ。米英だけだなく欧州の大衆音楽では一般的にそうらしいのだが、英語以外の外国語はどうにも自信がないので言わないでおく。

 

 

最初に書いたように僕はこのやり方があまり好きじゃない。これは高校〜大学生の頃に洋楽をたくさん聴くようになった頃から感じ続けている違和感なのだ。ちょっとこう、歌手とその人が歌う中身との距離が接近しすぎているんじゃないかと思うんだよね。だから僕にはやや居心地が悪い。

 

 

これが日本の大衆歌謡(と言っておく、なぜならばこの問題の場合、歌謡曲だ演歌だと区別するのは意味がないし、そうでなくてもこの二つの区別は不可能な同じモダン・ポップスだ)の世界だとこうはなっていない場合が結構ある。それが「男歌」「女歌」というもので、この世界をご存知の方ならみんな知っている。

 

 

男歌とは女性歌手が男の立場に立って男言葉で男の気持を歌うもの。女歌とはその反対に男性歌手が女の立場に立って女言葉で女の気持を歌うもの。具体例を挙げると美空ひばりの1964年の大ヒット曲「柔」(関沢新一&古賀政男)が男歌だ。ご存知柔道をテーマにした歌。

 

 

 

それはそうとあのひばりの「柔」、どこが面白いんだろう?男歌の代表的一例としてあげただけであって、音楽的な魅力はかなり薄いように僕は思うんだなあ。1964年というと東京オリンピックが開催された年で、この大会から柔道が正式競技に採用されたので、それもあって国民的大ヒット曲になった。

 

 

僕の考えではあの1964年の「柔」はひばりがダメになった典型例。男歌だからとかではない。ひばりはデビュー当時から女っぽくなくて、ちょっと中性的というか男歌っぽいものが多い(だから女性歌手としての魅力が感じられず好きじゃないという人も多い)。しかしひばりがデビューからしばらくの間持っていた軽快なポップでスウィンギーなフィーリングが「柔」では完全になくなってベッタリと重く、歌い廻しもどうにも聞苦しい。

 

 

その後ひばりはどんどんとダメになっていって、晩年の「愛燦燦」(1986年小椋佳)とか「川の流れのように」(1989年秋元康&見岳章)なんかもヒットはしたものの、どこがいいんだか僕にはさっぱり分らない駄曲にしか聞えない。振返るとその最初が1964年の「柔」だったように思うんだよね。

 

 

ひばりがダメになった云々という話はやめておこう。男歌・女歌の話題だ。女性歌手の歌う男歌の例では、他にもこれまた大ヒットした八代亜紀の「舟歌」(1979年阿久悠&浜圭介)がある。ひばりの「柔」とは違って八代亜紀の「舟歌」は素晴しい曲で彼女の歌い方も見事。僕は大好きな一曲なのだ。

 

 

どうでもいい横道にまた逸れると、僕がカラオケに誘われてついていき演歌をとリクエストされると、必ず八代亜紀の「舟歌」を歌っていた。演歌でなければジュリー(沢田研二)のレパートリー、特に「危険なふたり」か「勝手にしやがれ」ばかり歌っていた僕(前者は年上の女性との破綻しそうな恋を歌う内容だから激しく共感できる)だけど、演歌では「舟歌」ばかりだった。

 

 

自画自賛になって気が引けるけれど、僕のジュリーはなかなか上手かったのだ。カラオケに同席した友人からはお世辞抜きでそう褒められていた。一応八代亜紀の「舟歌」も同じことを言われてはいた。これは多分高校生の頃にレッド・ツッェペリンのコピー・バンドで歌っていた経験ゆえかもしれない。

 

 

レッド・ツェッペリンであればジュリーや八代亜紀よりももっと上手く歌えたはずなんだけど、ロバート・プラントのあの中性的でメタリックな高音シャウトはせいぜい20歳くらいまでしか僕には出せなかったはずだから、カラオケ店が一般に普及した時期にはもう絶対無理だったなあ。

 

 

そんな話はどうでもいい。男歌・女歌の話題。八代亜紀の「舟歌」の歌詞は神奈川県民謡「ダンチョネ節」の本歌取りだ。「ダンチョネ節」はもちろん男の気持を男性が歌うもので、阿久悠はここから取って「舟歌」のなかに挿入しているのは聴けば分る。

 

 

 

これをお聴きになれば分るように「ダンチョネ節」は「舟歌」の中間部、「♪歌い出すのさ、舟歌を〜♫」に続くテンポがなくなる部分で使われている。1コーラス目は歌詞付き、2コーラス目は同じメロディでスキャットで歌っている。なおこの YouTube 音源では歌のキーがオリジナル・スタジオ録音ヴァージョンよりも半音だけ低い。

 

 

男の気持を男性がという「ダンチョネ節」を挿入した阿久悠は、ひょっとしたらそこから広げて「舟歌」全体の歌詞を思い付いたという可能性があるかもしれない。そもそもの端緒が「ダンチョネ節」だったのかも。それほど効果的に使われているもんね。それ以外の本編部分の歌詞も男言葉による男の気持を歌っている。

 

 

逆に女歌、すなわち男性歌手が女の立場に立って女言葉で女の気持を歌っている代表曲は、僕の知っている範囲では森進一の「女のためいき」(1966年吉川静夫&猪俣公章)と宮史郎が歌うぴんからトリオの「女のみち」(1972年宮史郎&並木ひろし)だ。森進一には他にもいっぱいあるみたいだ。

 

 

森進一には「女のなんちゃら」という曲名の一連の女歌シリーズがあるらしく、調べてみたら「〜恋」「〜波止場」「〜四季」「〜岬」「〜酒場」「〜ワルツ」など枚挙に暇がない。だから森進一はいわば女歌を本領とする男性歌手であると言えるのかもしれない。全部 YouTube にあるだろう。興味のある方は是非。

 

 

しかし森進一以上に僕が女歌というものを強烈に意識したのがぴんからトリオの「女のみち」だった。1972年だから僕が10歳の時で、かなりヒットしてテレビの歌番組でも実に頻繁に流れていたので強く印象に残っている。宮史郎のあの口髭を生やしたオッサン顔で女心を歌うとはねと。

 

 

 

お聴きになれば分る通りこれはもうそのまんまだ。森進一の「女のなんちゃら」シリーズもそばに寄れないほどの完全なる女歌。これはぴんから兄弟と名乗るようになった時代の映像だけど、こんなのがテレビでバンバン流れていたのだった。

 

 

こんなのをそのままアメリカなどへ持っていったりなんかしたら、間違いなくゲイのレッテルを貼られる。アメリカ大衆音楽では書いたように歌手の性別に合せ歌詞内容の性別も書きかえ、場合によっては曲名の一部すらも変えてしまうわけだから。歌における男女の役割分担が鮮明すぎる世界だからね。

 

 

まあ日本でもあの「女のみち」を歌う宮史郎はまるでオカマみたいで気持悪いじゃないかと言われたかもしれないよね。しかしですね、僕に言わせれば歌の中身と歌手の立場がベッタリとくっついている方が気持悪い。距離感が近すぎるだろうと。ある程度いい距離感があった方がマトモじゃないかなあ。

 

 

演歌の話ばかりじゃないかと思われるかもしれないが、例えば太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(1975年松本隆&筒美京平)。僕はこの歌もこの歌手もいまだに大好きなんだけど(当時と今で歌声ばかりか容姿も変っていないという魔女だ)、これは一曲のなかで男言葉と女言葉が交互に切り替る。男歌になったり女歌になったりするわけだ。

 

 

 

もっともこの松本隆の書いた歌詞は、ボブ・ディランの1964年作「ブーツ・オヴ・スパニッシュ・レザー」(『時代は変る』)を下敷にしているはず。しかしこれに深入りすると別の話になって、そんでもってこれまた長ったらしくなってしまうので、機会を改めたい。

 

 

しかしあるいはひょっとしてこういう僕の感覚は日本人特有のものなのかもしれない。男が女役もやる歌舞伎とか、女が男役もやる宝塚とかあるもんなあ。そういうものだと子供の頃から日本人は思っているだろう。そして<男歌/女歌>と今日僕がこの文章で繰返してきたこの用語は大衆歌謡のものではなく、実は和歌の世界の言葉なのだ。

 

 

七世紀から八世紀にかけて編纂されたというのが定説の日本最古の詩歌集『万葉集』。あれに最もたくさん収録されている歌人である大伴家持は男性だけど、大変なイケメンで女性にモテて、女性との間で交したたくさんの贈答歌がある。しかし家持が詠んだ和歌には男性との贈答歌もいっぱいあるんだよね。

 

 

一例ご紹介しよう。大伴家持と同性の友人である大伴池主(おおとものいけぬし)が交わした贈答歌。越前国に赴任した大伴池主は、年上の友人である大伴家持と離ればなれになったことを嘆いて、次のような歌を家持に贈っている。

 

 

桜花今そ盛りと人は言へど我れはさぶしも君としあらねば(巻第十八4074)

 

〜現代語訳:桜の花は今が盛りだと人は言うけれど、私は寂しいのです。貴方と一緒じゃないから

 

 

これに対して家持は次のような返歌を返している。

 

 

我が背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね(巻第十八4077)

 

〜現代語訳:君が前に住んでいた古い屋敷の桜の花は未だ蕾のままだよ、一目見においでよ

 

 

知らない人が読んだら男性同性愛の歌にしか見えないだろう。こんな贈答歌がこの歌集にはたくさんあって、日本の最も伝統的な詩歌形式である和歌の世界では最古からこんな具合なので、それらを「女歌」(女性歌人なら「男歌」)と一般に呼習わすようになった。

 

 

それらは同性愛の歌ではないんだろう(そういう関係だったという推測も可能だ)。単にその立場になって詠んでいるというだけの、文学の世界におけるいわば<役割>なのだ。そして和歌の世界は音楽と無縁ではない。無縁ではないどころか音楽そのものなのだ。和歌が実際に声に出して詠上げられるのを聴いたことのある方ならよくご存知のはず。

 

 

歌謡曲や演歌など現代大衆歌謡がいつ頃成立したのかは、ちゃんと調べてみないといますぐにはちょっと言えないが、この世界で曲を創ったり、なかでも特に歌詞を書いたりする作詞家は、もちろん現存する最古である『万葉集』以来の日本の詩歌の伝統の末端に連なっているのは、いまさら僕が繰返すまでもないことだ。

 

2016/09/27

カリビアン・ジャズ(・ファンク)

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ソニー・ロリンズの1956年作『サクソフォン・コロッサス』。ジャズ・ファンじゃなくたって音楽好きなら知らない人はいないよねえ。収録の全五曲が揃って超名演で、こんなのを創ってしまったがゆえに、その後のロリンズはしばらく、いや長い間かな、低迷してしまったというほどのウルトラ・マスターピースだ。

 

 

本当に収録の五曲全部いいんだけど、そのなかで僕が最も好きなのがアルバム・トップの「セント・トーマス」とラストの「ブルー・7」。前者の方は日本でも世界中でも大人気で、この1950年代から60年代にかけてはともかく、70年代以後はロリンズ本人もこのカリブ路線をファンク化していた。

 

 

ロリンズ自身はニュー・ヨークで生れ育った人間だが、両親がカリブ地域のいわゆる西インド諸島にあるアメリカ領ヴァージン諸島の出身で、セント・トーマス島もその一部。そのせいなのかどうなのか、いや間違いなくそのせいだろう、息子ソニーも子供の時分からカリブ音楽に接していたという話だ。

 

 

『サクソフォン・コロッサス』一曲目の「セント・トーマス」は間違いなくそんなロリンズの音楽的出自が出ている作品。しかしこれ、同じものを1955年にランディ・ウェストンが「ファイア・ダウン・ゼア」という曲名でレコーディングしているんだよね。

 

 

 

どうです?同じでしょ?もっともこれは一年早く録音しているランディ・ウェストンをロリンズがパクったということじゃないかもしれない。というのはこのメロディはカリブ地域の伝承物だそうだから、ロリンズはそれで知っていたんじゃないかなあ。ウェストンも。そのあたりの事情を僕は全く知らない。

 

 

どなたかそのあたりの詳しい事情をご存知の方に是非教えていただきたいと思います。それでもこの伝承曲だというカリブ・メロディを一躍有名にしたのがロリンズの「セント・トーマス」であったことだけにだけは誰も異論を挟む余地がないはず。冒頭からのマックス・ローチのドラミングも印象的だ。

 

 

 

マックス・ローチは最初スネアのチューニングをかなり硬めにしたカンカンという音で叩いているよね。それとハイハットでイントロを創っている。直後にロリンズのテーマ吹奏が出ても、スネアのチューニングはそのままでしばらく叩き続けて、一度目のロリンズのソロに続きローチのドラムス・ソロになだれ込む。

 

 

ドラムス・ソロ部分でもスネアのチューニングは硬め・高めのまま。あのカンカンという音で通常の4/4拍子でもないようなビートを叩くローチのドラミングとロリンズの吹くメロディこそが、大学生の頃の僕がメインストリームのモダン・ジャズのなかにカリブ風味を感じていた一つだった。しかしドラムス・ソロになってすぐにチューニングを変える。

 

 

通常のバシャバシャという音にスネアの音を変えているのだ。そのチューニング変更はスネアを叩いている真っ最中に行われているので、想像するに右手に持ったスティックでスネアを叩きながら同時に左手でやったんだろうなあ。器用だなあ、ローチは(失礼!)。しかも最初からずっと二拍と四拍でハイハットを踏んでいる。

 

 

ハイハットを二拍と四拍でステディに踏続けるというのはモダン・ジャズ・ドラミングの基本だし(これを変えたのが1964年頃のトニー・ウィリアムズで、全拍で踏んでしまう)、「セント・トーマス」でのローチも最初から最後まで同じ。だからメインストリームな4/4拍子感覚もしっかりある。

 

 

ってことは「セント・トーマス」のリズムはメインストリームのモダン・ジャズ風なんだか、それとはちょっと感じの違うカリブ風なんだかちょっと判断が難しいというか、この二つのミクスチャーのようなフィーリングだよなあ。こんなことができるドラマーは1956年時点ではローチしかいなかっただろう。どうしてこんなことができたんだろうなあ。

 

 

これもどなたかお分りの方に教えていただきたいです。ともかくそんな大変に面白い『サクソフォン・コロッサス』一曲目の「セント・トーマス」。1956年録音なんだけど、カリブ・ジャズはもっとその前からたくさん存在したわけだから、ジャズのメインストリームから姿を消していたのが先祖帰りしただけの話。

 

 

だからやはり「ジャズはラテン音楽の一種」だ。そんなジャズのルーツ回帰路線の一つである1956年の「セント・トーマス」は、その後もロリンズの得意レパートリーになって、前述の通り1970年代にはカリブ・ファンクみたいな音楽をやっていたから、その時期のヴァージョンはもっと面白いよ。

 

 

 

 

 

ウェザー・リポートに「ブラウン・ストリート」という曲がある。1979年リリースの二枚組『8:30』収録で、このアルバムのメインはライヴ音源だけど、一番面白いのは二枚目B面だったスタジオ録音サイドだ。その二曲目にあるのが「ブラウン・ストリート」。聴けばすぐ分るカリブ・ジャズだ。

 

 

 

「ブラウン・ストリート」のオリジナル・スタジオ録音はおそらく1979年初頭あたりなんじゃないかなあ。音源を貼ったので是非お聴きいただきたい。ベース・レスだけどいいじゃんこれ。このあたりからウェザー・リポートは面白くなくなったというのが一般の意見だろうけど、全然そんなことないよねえ。

 

 

はっきり言えばこれはカリプソ風なんだよね。ジョー・ザヴィヌルは1976年あたりからラテン音楽やアフリカ音楽への関心を強めていて、まずその頃雇ったドラマー/パーカッショニストがペルー出身のアレックス・アクーニャ。彼が叩いている『ヘヴィ・ウェザー』にはペルー音楽要素もあるじゃないか。

 

 

マイルス・デイヴィスも1973年9月に「カリプソ・フレリモ」をレコーディングしている。翌74年の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』に収録されリアルタイムで発売された、かなり面白いが32分もあるという長尺曲。長すぎるので最後まで集中して聴くのが難しいという人が多いかも。

 

 

 

10:06でパッとリズムがチェンジして、カリブ風の賑やかな楽しい感じではなく落着いたスロー・テンポになり、ややダークで落着いた演奏になるんだが、21:40から再び元通りのカリブ風なリズムになって最後までそれが続いている。

 

 

しかもこの「カリプソ・フレリモ」は全体を通しどす黒い。真っ黒けなネグリチュードの権化みたいな一曲だよなあ。だからブラック・カリブ・ファンクだ。『ゲット・アップ・ウィズ・イット』には一枚目B面に、やはりラテンな「マイーシャ」がある。

 

 

 

この「マイーシャ」は1974年10月録音。だからこのフルートはデイヴ・リーブマンではなくソニー・フォーチュン。それもかなりいいよなあ。75年のライヴでは、サックスの方はどこが面白いのやらサッパリ分らないフォーチュンだけど、フルートはいいんだ。この「マイーシャ」のギター・ソロはドミニク・ゴーモン。

 

 

「マイーシャ」ではクラベスが刻む音もしっかり聞える。エムトゥーメじゃなくておそらくそれがピート・コージーの担当だったんじゃないかと僕は推測している。コンガとの多重録音でエムトゥーメが叩いているんじゃないのかと言われそうだけど、ボスのトランペット以外は多重録音したというデータはない。

 

 

『ゲット・アップ・ウィズ・イット』のクレジットでも、その他紙上でもネット上でも、ディスコグラフィカルなデータ記載ではピート・コージーはギターとなっているのだが、本人があのアルバムでは一切弾いていないんだ、ソロは全部ドミニク・ゴーモンなんだと証言している。これは深入りすると全く別の話になるのでやめておく。

 

 

しかもお聴きになって分る通りダークでヘヴィーな「カリプソ・フレリモ」と違って、「マイーシャ」のメロディは相当にポップで明快だ。ノリもこの時期のマイルスにしては軽快だし親しみやすく聴きやすい感じで、1975年来日時のインタヴューで児山紀芳さんも不思議がってマイルスに聞いていたくらい。

 

 

1973〜75年時期のマイルスのスタジオ録音には、長年未発表だったけれどこんな感じのカリブ〜ラテン・ジャズ・ファンクが他にいくつもある。現在では『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』六枚組に収録されて公式リリースされているので聴くのは容易だから、是非聴いてほしい。

 

 

そんなマイルスや、似たようなカリブ・ジャズ・ファンクをやっていた1970年代のロリンズや、あるいはそんなに黒くはないが前述のウェザー・リポートや、あの時代には他にも何人もいるけれど全員連動しあっていたんだなあ、今考えると。大学生の頃の僕は単に楽しいなあと思って聴いていただけだった。

 

 

メインストリームのモダン・ジャズにおけるそんなものの先駆けが1956年の『サクソフォン・コロッサス』一曲目「セント・トーマス」だったのかもしれないよね。元々カリブ地域発祥だったのかもしれないジャズなんだから、1970年代の書いたような展開も含め、それらはやっぱり先祖帰りでありルーツ回帰だったんだよね。

2016/09/26

愛する名前を繰返す

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北アイルランド出身の音楽家ヴァン・モリスンのスタジオ・アルバムで僕が一番好きなのは1993年の『トゥー・ロング・イン・エクサイル』だ。どうしてかというとこれはブルーズ・アルバムだから。ブルーズ好きのヴァン・モリスン・リスナーであれば、誰だって納得していただきやすいはず。

 

 

スタジオ・アルバムに限らなければ、『トゥー・ロング・イン・エクサイル』の次作1994年のCD二枚組ライヴ・アルバム『ア・ナイト・イン・サン・フランシスコ』の方が好きだけど、これの話は今日はよしておこう。『トゥー・ロング・イン・エクサイル』にはストレートなブルーズ形式の楽曲も多い。

 

 

二曲目「ビッグ・タイム・オペレイターズ」は完全なる12小節3コードのブルーズ。ヴァンのヴォーカルもいいけれど、フィーチャーされているエレキ・ギターがえらくカッコイイなあと思ってブックレットのクレジット(一曲ごとにパーソネルが記載されている)を見ると、どうやらこれはヴァン自身のようだ。

 

 

「ビッグ・タイム・オペレイターズ」のギターはヴァンとロニー・ジョンスンの二名が記載されているが、ヴァンが「リード・エレクトリック・ギター」となっているので、やっぱりあの超ブルージーなギター・ソロはヴァン自身に間違いないんだろう。完全にアメリカ黒人ブルーズ・ギタリストにしか聞えない。

 

 

「ビッグ・タイム・オペレイターズ」におけるああいうエレキ・ブルーズ・ギターのスタイルは非常によく知っている聴き馴染のある、例のパキパキっていう奴で、これはアメリカ黒人の誰だろうか?とにかくよ〜く知ってるぞと思ってじっくり考えてみたら、ジョン・リー・フッカーにソックリなんだよなあ。

 

 

ジョン・リー・フッカーのレコードを一枚でも聴いたことのあるファンであれば、ああいうパキパキッ、ポキポキッっていうサウンドのブルーズ・ギター・スタイルをよくご存知のはず。それにしても「ビッグ・タイム・オペレイターズ」におけるヴァンのあのエレキ・ギターはちょっとそれに似すぎだよなあ。

 

 

ヴァンって普段からああいったギターの弾き方はしていないと僕は思うんだけど、これは僕が知らないだけなのだろうか?でも僕が聴いている範囲ではあそこまでジョン・リー・フッカーそっくりっていうのは他にないような気がする。曲形式は12小節3コードだから、それはフッカーがやることはそう多くないんだけどね。

 

 

そう思いながら『トゥー・ロング・イン・エクサイル』をじっくり聴き返してブックレットも読直すと、このアルバム、ジョン・リー・フッカー本人が参加しているじゃないか。しかも二曲も。しかもそのうち一つはあの「グローリア」だ。もちろんゼム時代のヴァンの代表曲。いろんなロック音楽家がカヴァーしているよね。

 

 

以前書いた通り米シカゴ近郊のガレージ・ロック・バンド、シャドウズ・オヴ・ナイトの最大のヒット曲がそのゼムの「グローリア」のカヴァーだし、ジミ・ヘンドリクスだってカヴァーしているもんね。ジミヘンの「グローリア」は『ジミ・ヘンドリクス・エクスピアリエンス』というCD四枚組ボックス収録。

 

 

そのボックス・セット附属のブックレットによると、ジミヘンの「グローリア」は1968年10月29日、ハリウッド録音。メンバーはエクスピアリエンスの三人。お馴染みのギター・リフをジミヘンが弾きメロディを歌うんだけど、最大の特徴は中間部でファズの効いた音でギター・ソロを弾きまくっているところだなあ。

 

 

そのあたりはやはりいつものジミヘン・スタイルだ。ところでヴァンの書いた「グローリア」という曲、大好きな女性の名前を繰返し唱えるというもので、あの「G、L、O、R、I、A」っていう一文字ずつ、まるで祈るように歌ったりするものだよね。これはだいたいみんなそんなもんなんじゃないかなあ。

 

 

性別に関係なく大好きな相手の名前をブツブツ繰返し唱えたり、場合によっては誰もいない河原かどこかで大声で叫んだり、ノートかなにかに何度も書いたりなどなど、そういうことって誰でもあるよね。なにかを、誰かを好きになるってのは、言ってみればその対象の名称愛、言語愛となって表れる。

 

 

かつて僕の専門的研究対象の一人だった作家に、帝政ロシア生れで革命によって亡命し欧州各国を放浪、アメリカで名声を上げたものの亡くなったのはスイスでだったという根っからのコスモポリタンでエクサイルであるウラジーミル・ナボコフがいる。彼の最も有名な英語小説作品は『ロリータ』だけど、あれだって同じなんだよね。

 

 

ナボコフの『ロリータ』からロリータ・コンプレックス、いわゆるロリコンっていう言葉が生れたりもしたので、単なる変態中年男性の少女性愛作品、ポルノグラフィー(として売れたのは間違いないんだけど)としてだけ捉えられているような気がするけれど、あれは言語愛を表明した作品に他ならない。”Lolita” ってのはそういう意味だから。”Gloria” もちょっと似ているなあ。

 

 

英文学(とだけも言切れないがナボコフは)の話はやめておくとして、愛する対象の名前をまるで呪文のようにリピートする、これはごくごく日常的な普通の行為なので、別に人間に限らず、音楽なんかでも好きになった音楽家名や作品名を反復してモゴモゴつぶやいたりするじゃないか、誰だってみんな。

 

 

ヴァンが書いてゼムが初演した「グローリア」もそんな曲だ。しかもこれはかなりシンプルな形のロック・ナンバーで、コード進行も実に簡単で、ほぼ3コード・ブルーズだと言っていい。だからこそ大ヒットして、1960年代のガレージ・ロック・バンドや、その他いろんな人がカヴァーしやすかったのだ。

 

 

そんな自身の代表曲である「グローリア」を『トゥー・ロング・イン・エクサイル』でアメリカの黒人ブルーズ・マンであるジョン・リー・フッカーを加えてセルフ・カヴァーしているってのはかなり面白いよね。例のギター・リフ(ヴァンだろう)に乗ってまずジョン・リー・フッカーがあの声で歌いはじめる。

 

 

ブックレットの記載ではギターはヴァンとジョン・リー・フッカーの二人。確かに二本聞えるが、どこまでがヴァンでどこまでがフッカーなのか分りにくい。自分で書いたものなんだから、お馴染みのリフを演奏しているのがヴァンだってのは間違いないと思うんだけど、フッカーはどこで弾いてんの?

 

 

その後ヴァンのヴォーカルも出てきて、ジョン・リー・フッカーと絡む。聴き進むと中間部のギター・ソロ、これがフッカーの弾くものに違いないというスタイルだ。曲の最終盤でもフッカーらしいフレーズが聞える。いやあ、これはいいなあ。ゼムのオリジナルよりも面白いんじゃないかと思うのは僕だけ?

 

 

ライヴではヴァンもこれ以前から「グローリア」をやっているみたいだけど、スタジオ作での再演は『トゥー・ロング・イン・エクサイル』ヴァージョンがゼム以来初じゃないかなあ。いろんなロッカーによるカヴァーがかなり多い曲だけど、『トゥー・ロング・イン・エクサイル』のセルフ・カヴァーが一番いいように聞える。

 

 

『トゥー・ロング・イン・エクサイル』ではもう一つ、九曲目の「ウェイスティッド・イヤーズ」にジョン・リー・フッカーが参加している。この曲ではフッカーはギターを弾かずヴォーカルだけ。ああいうボソボソと唸っているだけみたいなスタイルの人だから、ヴァンの声と好対照でいいね。

 

 

ヴァンとジョン・リー・フッカーの関係についてはよく知らないが、一枚フッカーのアルバムをヴァンがプロデュースしたものがあるね。1997年の『ドント・ルック・バック』だ。ヴァンはヴォーカルとギターで演奏にも参加しているし、他にもロス・ロボスの面々やその他いろんな人が参加していて楽しい。

 

 

そのジョン・リー・フッカーの『ドント・ルック・バック』のことをちょっと調べてみたら、このアメリカ黒人ブルーズ・マンとヴァンとはかなり前から関係があるみたいだ。僕はゼム時代をちゃんと聴いていないんだけど、フッカーの「ドント・ルック・バック」を当時カヴァーしていたらしい。

 

 

ってことは1960年代から関係があったんだ、この二人は。そんでもって実際に顔を合せての初共演が1972年のことだそうなので、昨日・今日はじまった交流じゃなかったんだねえ。知らなかったのは僕だけなんだろう。スタジオ・アルバムでの正式共演は『トゥー・ロング・イン・エクサイル』が初かなあ?

 

 

『トゥー・ロング・イン・エクサイル』がブルーズ・アルバムに聞えるというのはそんなせいばかりではない。「グローリア」の次の八曲目「グッド・モーニング・リトル・スクール・ガール」は曲名でお分りの通りサニー・ボーイ・ウィリアムスン(一世の方)の曲だよね。1937年初演のブルーズ。

 

 

その他書いたようにスーパー・ブルージーな二曲目「ビッグ・タイム・オペレイターズ」も三曲目「ロンリー・アヴェニュー」もブルーズだし、ラスト11曲目のメドレー「インストルメンタル/テル・ミー・ワット・ユー・ワント」も完全なるブルーズ。特に前半のインストルメンタル演奏部分は真っ黒けで、ヴァンが若干唸っているだけだから完全にジョン・リー・フッカーだ。

 

 

『トゥー・ロング・イン・エクサイル』で面白いのは11曲目の「ムーディーズ・ムード・フォー・ラヴ」。タイトル通りアメリカのジャズ・サックス奏者ジェイムズ・ムーディーが作曲者としてクレジットされているが、彼が「書いた」とも言いにくい。彼のサックス・ソロを抜出して曲みたいにしただけだからだ。

 

 

ジェイムズ・ムーディーがサックスで吹いたアドリブ・ソロを「曲」としてピック・アップし歌詞を付けたのが、ヴォーカリーズの世界では最有名人のエディ・ジェファースン。ヴァンの『トゥー・ロング・イン・エクサイル』ヴァージョンしか知らない人だって、メカニカルな器楽的旋律だなと気付くはず。

 

 

その他ジャジーなヴァイブラフォンが聞える曲も複数あったりするし、『トゥー・ロング・イン・エクサイル』は全体としてはブルーズ・アルバムに間違いないだろうと思うんだ けど、ちょっぴりジャジー、それもファンキーなソウル・ジャズ風で、どこをどう切取っても僕好みの最高のアルバムなんだよね。

 

 

それはそうと『トゥー・ロング・イン・エクサイル』のアルバム・ジャケット、これはシカゴ市内の写真じゃないのかなあ。この街に馴染のある僕にはそう見えるんだけど、クレジットは見ていない。ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。

 

 

なお最初で書いた次作のライヴ盤『ア・ナイト・イン・サン・フランシスコ』では、そんなブルーズ&ジャズ風な側面をもっと拡大してあって、これにもジョン・リー・フッカーがゲスト参加して「グローリア」をやっているし、オリジナルからスウィング・ジャズである「ムーンダンス」もあるし、これもいいよ。このライヴ・アルバムの話はまた別の機会に。

 

2016/09/25

チャーリー・クリスチャン生誕100周年に寄せて

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ギタリスト、チャーリー・クリスチャン。1916年生れなので今年はちょうど生誕100周年にあたる。ということを僕はすっかり忘れていて、7月29日の誕生日にどなたかがこれをツイートしてくださっていたのでハッと思いだした。それでなにか書こうと思いつつ延し延しになっていた。

 

 

ようやくなんとか今日書いている次第。しかしチャーリー・クリスチャン生誕100周年であるにもかかわらず音楽メディアは一切無視だなあ。全く記事を見掛けない。そういえば1999年のデューク・エリントン生誕100周年の時も全くなにもなかったなあ。あの時はこういうことがあった。

 

 

1999年は僕がまだるーべん(佐野ひろし)さんと親密だった時期で、しかも彼も僕も『レコード・コレクターズ』誌に書いていた(佐野さんは今でもご活躍中)。それでエリントン生誕100周年なんだから、今年を逃したら二度と特集を組むタイミングはないですぞ、是非!と編集部に話を持ち掛けた。

 

 

当時の『レコード・コレクターズ』編集長は寺田正典さん。僕なんかよりもるーべん(佐野ひろし)さんはなんたって熱烈なエリントン・マニアでコンプリート・コレクターなわけだから、彼が懸命に説得したのだが、なにしろ録音数が多すぎる、サイド・メンの作品まで追っているとキリがないと。

 

 

それでわりとあっさりとこの話は却下されてしまったのだった。今年2016年に生誕100周年のチャーリー・クリスチャン特集を組もうという動きでもあったのかどうかは知らない。今年もまだ数ヶ月残ってはいるけれど、まあどこもやるわけないだろうな。

 

 

『レコード・コレクターズ』誌だけでなくあらゆる音楽メディア、ジャーナリズムで、今年なにかチャーリー・クリスチャンを取上げてまとまった量の文章にしているのを僕は見ていない。それで今日僕が、というわけじゃないんだが、まあなにかちょっと書いておこう。幸い彼の全録音はさほど数が多くない。

 

 

だからエリントンとは違って全部聴き返すのもそんなに大変ではないのだ。チャーリー・クリスチャンの全録音といっても、僕は例の『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』は今ではCDで買い直していない。そもそも買う気がない。あれこそが彼の残したメルクマールとされているけれども。

 

 

そんでもってその『ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン』はジャズの新スタイル、ビ・バップ勃興の姿を捉えた貴重な記録で歴史的名盤だとされているよね。でもあの一枚は他のジャズ・メンもチャーリー・クリスチャンのギター・プレイも素晴しいなとは思うものの、僕はそんなに楽しく聞えないのだ。

 

 

僕は別にビ・バップ嫌いの古典ジャズ狂いだなんてことではない。ビ・バップやそれ以後のモダン・ジャズも戦前古典ジャズほどではないにしろ大好きだ。ただチャーリー・クリスチャンをビ・バップ開祖の一人のように位置付ける言説には僕は昔から違和感があるのだ。そんな先鋭的な音楽家じゃないだろう。

 

 

チャーリー・クリスチャンのギタリストとしての持味とか特長とかは、ビ・バップへの道を切り拓いた先駆者とかそういう部分にあるんんじゃないと僕は思っている。またこの手の言い方には「モダン・ジャズこそが偉いんだ、それ以前の古典ジャズはつまらない」という意識が透けて見えるのも気に食わない。

 

 

僕に言わせりゃジャズが本当に面白かったのは誕生後50年間ほどだったということになるので、モダン・ジャズの開祖だから偉大だみたいな言い方をされると頭に来ちゃうんだよね。そしてチャーリー・クリスチャンの残した録音を聴き返すと、彼の魅力はちょっと違うと思うんだよね。

 

 

チャーリー・クリスチャンの公式録音は全てベニー・グッドマンのバンドでのもので、その九割以上がベニー・グッドマン・セクステット。それも1939〜41年というたった三年間だけで、別テイクやリハーサル・テイクなどを全部含めてもたったの98トラックしかない。CDでなら四枚に全部入っちゃうのだ。

 

 

それが2002年にコロンビア(レガシー)がリリースした『ザ・ジーニアス・オヴ・ジ・エレクトリック・ギター』というCD四枚組ボックス。私家録音だったミントンズ・プレイハウスでのものを除き、この四枚でチャーリー・クリスチャンの全録音が揃っちゃうので買いやすく聴きやすいんだよね。

 

 

この四枚組ボックス収録音源は、昔は何枚かバラバラにレコードで出ていて、なかには相当にいいぞこりゃ!と思うようなものがあった。その最大のものがレスター・ヤングとの共演五曲を含む一枚だった。タイトルもなんだったか忘れちゃったんだけど、それでチャーリー・クリスチャンのギターが好きになったのだ。

 

 

その他何枚か散発的にアナログ盤で出ていたが集大成はされていなかった。CD時代になってそこそこ悪くないコロンビア盤がリリースされたものの、僕が聴惚れたレスター・ヤングとの共演五曲は入っていなかったはずだ。それにそもそもコンプリートじゃなかった。2002年の前述CD四枚組でようやく全部揃ったのだ。

 

 

それでCD四枚組ボックス『ザ・ジーニアス・オヴ・ジ・エレクトリック・ギター』を全部じっくり聴き返すと、このギタリストは全然ビ・バッパーなんかじゃないのだ。もっとこう穏当なというかマイルドな人で、ギターのサウンドもフレイジングもスウィング時代後期の人らしい感じにしか聞えないもんね。

 

 

ただシングル・トーンでソロをあれだけ弾けるジャズ・ギタリストというのが、1939年のチャーリー・クリスチャン以前には稀有だから(皆無なんてことはない)、それでこのギタリストがある意味革命的でモダンなジャズ・ギター奏法の開祖という位置付けになっているだけなんだろうと僕は考えている。

 

 

チャーリー・クリスチャンが後のジャズ・ギタリストのみならず、ジャンルを超えて多くのギタリストに大きな影響を与えているのは確かなことだ。モダン・ジャズ・ギタリストで例をあげていたらキリがないが、他ジャンルでもウォルター・ベッカー、ヴァーノン・リード、ジョー・サトリアーニなどなど、認めている人は実に多い。

 

 

チャーリー・クリスチャンの大きな功績は大雑把に言って二つ。一つはシングル・トーン弾きソロにフレイジングの斬新さ、いや斬新というと誤解される可能性があるから瑞々しさとでも言換えるが、それを持込んで確立したこと。もう一つはピック・アップの付いた空洞ボディのギターを普及させたこと。

 

 

まず前者、シングル・トーン弾きのフレイジング。チャーリー・クリスチャン以前のジャズ界にあんな感じで弾く存在がかなり少ないのは事実なので、彼は先輩ギタリストから学んであんなフレイジングを身につけたのではないだろう。サックスやトランペット、ピアノなどをお手本にしたんだろう。

 

 

僕が聴いて判断する限りでは、チャーリー・クリスチャンのモダンなシングル・トーン・フレイジングの最も大きな影響源はレスター・ヤングだ。こう言うと、こっちは生粋のビ・バッパーに違いないチャーリー・パーカーのお手本がレスターだったのでやっぱりなと思われるかもしれないが、ちょっと違うよ。

 

 

チャーリー・クリスチャンのフレイジングにパーカーのような、なんというか寄らば斬るぞとでもいった緊張感のある鋭さ、先進性は聴取れない。要するにレスター・ヤングがテナー・サックスで吹くフレイジングを、そのマイルドな雰囲気のままギターに置換えたようなリラックスできるものなんだよね。じゃなきゃあベニー・グッドマンがあれだけ重用するわけない。

 

 

これホント1939〜41年のベニー・グッドマン・セクステットなんか好んで聴く人間はいまや絶滅危惧種になりつつあるような気がするので、この六重奏団でのチャーリー・クリスチャンがしっかりと聴かれていないだけなんじゃないかと僕は思うんだよね。ベニー・グッドマンなんて今や人気ゼロだからね。クリスチャンに興味を持つ人が聴くのはミントンズ・プレイハウスの奴だけでしょ。それではこのギタリストのことは分りっこないぞ。

 

 

何度も言うようだけど、僕はジョン・ハモンドがプロデュースした1930年代後半のテディ・ウィルスンのブランズウィック・セッションが大好きで、それらの多くでビリー・ホリデイが歌っていて、しかも後見人的立場だったハモンドの肝煎(というか事実上の命令)でベニー・グッドマンが参加しているのだ。

 

 

そういうわけなので、あのテディ・ウィルスンのブランズウィック録音や、ビリー・ホリデイ名義でならアルバムとして集大成されているそれらを大学生の頃からこれでもかというほど愛聴してきていて、それらの多くでベニー・グッドマンがいいクラリネット・ソロを吹いているのを痛感しているんだよね。

 

 

ベニー・グッドマン・オーケストラの話は今日はしない。彼がオーケストラと同時並行でスタジオ録音もライヴもやっていた四人編成のレギュラー・コンボにはテディ・ウィルスンとライオネル・ハンプトンがいる(もう一人はジーン・クルーパで、ベースはなし)。テディもハンプも黒人だよね。あの時代には稀だったんだよ。

 

 

1939年に雇ったチャーリー・クリスチャンももちろん黒人。熱心なブラック・ミュージック・ファンはベニー・グッドマンなんて鼻で笑っていると思うんだけど、彼は自分のバンドで恒常的に黒人を雇ったアメリカ音楽史上四人目の白人リーダーで、1930年代後半にはかなり危険な行為だったんだよね。

 

 

事実ナイト・クラブなどでのライヴ演奏の際、白人聴衆に「どうして黒ん坊なんかを雇っているんだ?!」と罵られたベニー・グッドマンは、「それ以上言うとこのクラリネットでお前の頭をかち割るぞ」と怒ったんだぞ。音楽に関しては人種差別意識の全くない白人だった。黒人音楽ファンにもこの事実だけは憶えておいてほしい。

 

 

ベニー・グッドマンがそんな具合にアメリカ黒人音楽で果した役割のことなんか全く意識しなくたって、1939〜41年のチャーリー・クリスチャンを含む彼のセクステットは本当に楽しい。『ザ・ジーニアス・オヴ・ジ・エレクトリック・ギター』一曲目はあの「フライング・ホーム」だしなあ。

 

 

もちろん数年後に独立したライオネル・ハンプトンが自分のビッグ・バンドでイリノイ・ジャケーのテナー・ブロウをフィーチャーして録音し、今ではジャンプの聖典、あるいは史上初のロックンロールとまでいわれるあの「フライング・ホーム」だ。1939年10月2日、ベニー・グッドマン・セクステットでの録音がこの曲の初演に他ならない。

 

 

その「フライング・ホーム」におけるチャーリー・クリスチャンのギター・ソロは一番手。処女録音でこれなんだよね。作曲者であるライオネル・ハンプトンが二番手で出るのを差置いてトップ・バッターにしたベニー・グッドマンが、いかにこの新進ギタリストに大きな期待を寄せていたか分るってもんだよね。

 

 

その他「ローズ・ルーム」「スターダスト」「メモリーズ・オヴ・ユー」などなどベニー・グッドマンの得意レパートリーが並んでいるけれど、ヴァイブラフォンやピアノ(フレッチャー・ヘンダースン)のソロがない曲でも、全てチャーリー・クリスチャンのスウィンギーなギター・ソロとボスのクラリネット・ソロはあるんだよね。

 

 

面白いのは前述の通りレスター・ヤングと共演した五曲だなあ。1940年10月録音。一曲目が作者はおらず即興でやったとのクレジットがある「アド・リブ・ブルーズ」。これなんかレスターのソロとチャーリー・クリスチャンのソロを聴き比べると、後者がいかに前者のフレイジングから学んだかが分る。

 

 

その他の四曲も全てレスターとチャーリー・クリスチャンのソロがあるので、この両者の関係がクッキリと分っちゃう。クリスチャンのシングル・トーン弾きによるモダン・フレイジングは間違いなくレスター由来で、しかもそれをパーカーみたいに先鋭化せず、レスターそのままのスムースなサウンドだ。

 

 

前述の通りチャーリー・クリスチャンの全公式録音はベニー・グッドマンのバンドでのものだから、ボスはグッドマンただ一人。ビ・バップ嫌いだったグッドマンだけど、1942年に25歳で早世したクリスチャンがビ・バップの開祖のように言われるようになったのを知り「あれがビ・バップというものなら悪くないね」と言ったそうだ。

 

 

また、空洞ボディにピック・アップの付いたギブスンES-150(は1936年発売)をチャーリー・クリスチャンは使っていて、それが有名になったので、当初は名前が付いていなかったそのギブスンES-150搭載のピック・アップが「チャーリー・クリスチャン・ピック・アップ」と呼ばれるようになった。

 

 

それが後のいろんなエレクトリック・ギターのモデルになったので、俗称 C・C・ピックアップも知られているという次第。だからジャズ・ギタリストに限らずあらゆるエレクトリック・ギター弾きはチャーリー・クリスチャンを知っているとか、そんな話をする余裕が今日はなくなった。まあこっちは誰かが書いているだろう。

 

 

2016/09/24

イベリア打楽器アンサンブルとアラブ・ヴォーカルの響き

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僕の場合これまた荻原和也さんのブログ記事で知って興味を持って(最近こんなことばっかりだ、荻原さん本当にお世話になってます!)買ってみたコエトゥスの2012年作『エントレ・ティエラス』。日本盤なんか出るわけないだろうと思っていたので、迷わずアマゾンに出品している海外の業者にオーダーした。

 

 

アマゾンに出品しているこの手の業者は、言ってみればアマゾンという軒先を借りているだけのテナントみたいなもので、だからアマゾンはそれが入るビルディング。なのでアマゾンはあまりタッチせず、業者への仲介をして、支払をアマゾンに登録してあるカードでできるというだけの話。

 

 

僕の場合、スペインの音楽集団であるコエトゥスの『エントレ・ティエラス』をオーダーしたのはスペインの業者ではなく、記憶ではイギリスの業者だった。オーダーしてから一ヶ月半ほどかかってなんとか届いたんだけど、その直後に日本盤がリリースされて、しかもそれは僕が買った海外盤より安いじゃないか(涙)。

 

 

コエトゥスの『エントレ・ティエラス』日本盤をリリースしたのはアオラ。これがリリースされたのを知ったのは数ヶ月前の『ミュージック・マガジン』で松山晋也さんがレヴューしていたからだった。海外盤紹介のコーナーではなかったので。松山さんがどんなことをお書きだったのかはもう憶えていない。

 

 

そんなわけで日本人リスナーにも買いやすくなっているはずのコエトゥス『エントレ・ティエラス』。コエトゥスは前述の通りスペインの音楽集団で、カタルーニャのアレイクス・トビアス率いるパーカッション・オーケストラ。それもカタルーニャやスペインだけでなく、汎イベリア半島的な音楽性の持主のようだ。

 

 

アレイクス・トビアスは「イベリアン・パーカッション・オーケストラ」とコエトゥスのことを自称しているらしい。彼の主な担当楽器はパンデレータ。こちらはご存知の方が多いであろうブラジルのパンデイロと音が近いので類推できるように、スペインのタンバリンだ。その他各種楽器を担当している模様。

 

 

パンデレータを中心にイベリア半島の各種打楽器をかなりの数起用していて、イベリアン・パーカッション・オーケストラを自称するだけのことはあるという、『エントレ・ティエラス』はそんな内容だ。ただしこのアルバムをただ単に大人数で太鼓を派手にドンドコ鳴らしているようなものだと思ったら大間違い。

 

 

確かに『エントレ・ティエラス』では大半の曲で複数の打楽器が鳴り響く。がしかしそんな曲ですらそのパーカッション・アンサンブルは実に巧妙に組立てられていて、聴いていてやかましいとか賑やかだとかそんな聴感上の印象は全くない。全くないどころかその逆だ。落着いて静かな感じにすら聞える。

 

 

だから荻原さんのブログ記事で『エントレ・ティエラス』のことを知って興味を持った僕はというと、派手で賑やかでやかましく豪快な打楽器アンサンブルが大好きな人間なわけだから、届いたこのアルバムを最初に聴いた時は拍子抜けしてしまったくらいだった。ぜ〜んぜん賑やかに聞えないもんね。

 

 

だから『エントレ・ティエラス』を一・二度聴いた頃の僕は、打楽器アンサンブルもいいなとは思ったものの、好きになったのはそういう部分ではなくて、全ての曲で起用されているヴォーカリストたちだった。ヴォーカル抜きのインストルメンタルな打楽器アンサンブルみたいな曲はアルバムに一つもない。

 

 

ってことはコエトゥスはイベリアン・パーカッション・オーケストラを名乗りながらも、『エントレ・ティエラス』の内容はそんな打楽器アンサンブルに乗るヴォーカル・ミュージックだと言ってもいいんじゃないかというのが僕の第一印象だった。フィーチャーされている歌手たちもだいたいみんな魅力的だもん。

 

 

『エントレ・ティエラス』で最も多く起用されているのはエリセオ・パラ。この男性歌手はトラッド・シンガーとして活躍しているヴェテランなので僕でも知っていた。あとは曲によって女性歌手が入る。ジュディット・ネッデルマン、アナ・ロッシ、シルビア・ペレス・クルースの三名。

 

 

シルビア・ペレス・クルースは最近注目だからこの人も僕は名前を聞いたことがある。シルビアは『エントレ・ティエラス』ラスト13曲目の「ガージョ・ロホ」でだけ歌っている。アルバムでは12曲目が終ると、13曲目に入った直後にしばらく無音が続くのでボーナス・トラックみたいな扱いなのか?

 

 

しかしそのアルバム・ラスト「ガージョ・ロホ」でのシルビアのヴォーカルは、僕の耳にははっきり言ってどうってことないように聞える。書いたようにちょっとしたオマケ的な扱いなのかどうか分らないけれど、聴いても聴かなくてもどっちでもいいような気がするなあ。打楽器アンサンブルも聴き応えがない。

 

 

『エントレ・ティエラス』に参加している女性ヴォーカリストでは、従ってシルビアではなくてジュディット・ネッデルマンとアナ・ロッシの方がはるかにいい味を出している。一曲だけのシルビアと違いこの二人は複数の曲で歌い、またバック・コーラスに入ったりもしていてかなり活躍している。

 

 

曲によってはメイン・ヴォーカリストのエリセオ・パラがリードで歌い、アナ・ロッシとジュディット・ネッデルマンがバック・コーラスで入ったりもする。エリセオ自身も(おそらく多重録音で)コーラスに入ったりもしている曲がある模様。マス・クワイアみたいに響く曲もあるのでかなり重ねているなあ。

 

 

例えば二曲目の「ノ・ヴォイ・ソロ・ノ」もそんな感じでエリセオがリード・ヴォーカル兼バック・コーラス、ジュディットとアナ・ロッシがバック・コーラスとのクレジットになっているが、たった三人とは思えないような響きだ。ところでこの曲では冒頭からビリビリという音が聞えるがなんだろう?

 

 

そのビリビリというかギュインギュインというか、この音は大変に耳馴染のあるものなんだけど楽器名を思い出せない。ブックレットのクレジットを見てもそれらしきものが分らない。僕のスペイン語理解力がないせいだ。いますぐパッと思い出せるものではアイヌのムックリの音に近い。

 

 

ムックリみたいなその音は五曲目「ラ・モリネラ」冒頭でも鳴っている。ホントなんだろう?よく聴き知っている音なのに〜、思い出せない〜、ああ〜もどかしい〜。だれか助けてくれ〜。それはそうと「ラ・モリネラ」という曲の出来はこりゃ相当にいいね。アルバム中一番いいかもしれない。

 

 

五曲目「ラ・モリネラ」もエリセオのリード・ヴォーカル(と多重録音コーラス)にアナ・ロッシとジュディットのバック・コーラス。しかしこの曲ではエリセオの旨味のあるヴォーカルが目立っている。その歌い廻しにはアラブ・アンダルース風味が濃厚で完全に僕好みだ。素晴しくて聴惚れちゃうね。

 

 

そもそも『エントレ・ティエラス』全体にわたって、エリセオやその他女性ヴォーカリストでも、歌う曲のメロディ・ラインや歌い方やコブシ廻しにはアラブ・アンダルース風味がかなり濃厚なのだ。汎イベリア半島音楽ということなんだから、歴史的にはみなさんご存知の通り当り前のことだろう。

 

 

『エントレ・ティエラス』附属ブックレットには、一曲ごとに解説文と歌詞と参加歌手・演奏者名と担当楽器名が明記されているが、それと同時に全曲かなりシンプルだけどイベリア半島の地図が描かれてあって、それに赤丸が付いている。どの地域の伝承曲なのかを示すためだ。これも面白いなあ。

 

 

その地図に付いた赤丸を見ると(11曲目の「トナーダ・デル・カブレステロ」だけその地図がないのはヴェネスエーラのシモン・ディアスの曲だから)イベリア半島のほぼ全域にわたっているが、半島島嶼部や、あるいはカナリア諸島域にも赤丸が付いている。でも僕はあまりよく知らない。

 

 

イベリア半島音楽にアラブ音楽の影響が濃いことは書いたように常識だから繰返す必要はないはず(万が一この文章をお読みになる方にご存知ない方がいらっしゃればネットで調べてみてください、速攻で分ります)。そんなアラブ・アンダルース風なヴォーカルに打楽器アンサンブルって最高じゃないか。

 

 

なお書いたように打楽器アンサンブルの、いってみれば「おとなしさ」に拍子抜けしたとという僕の第一印象は、『エントレ・ティエラス』を繰返し聴くうちに徐々に覆されていって、大好きなアラブ色濃いヴォーカルとともに、現在ではやはりリズムの面白さがかなり魅力的に響くようになってきている。

 

 

『エントレ・ティエラス』のなかでポリリズミック・アンサンブルの面白さがはっきりと分る曲がいくつかある。五曲目の「ラ・モリネラ」とか七曲目の「アンダ・ソル・イ・ポンテ・ルエゴ」とか九曲目の「パンデロス」とか12曲目の「エル・マンディ・デ・カロリーナ」だ。グルーヴィーで躍動的。

 

 

その七曲目の「アンダ・ソル・イ・ポンテ・ルエゴ」には西アフリカの弦楽器であるンゴニや、北アフリカの弦楽器シンティール(ゲンブリ)も入っているので、イベリア〜マグレグ〜サハラ以南アフリカの三者合体みたいになっていて面白すぎる。北アフリカといえば12曲目ではベンディールが入っている。

 

 

マグレブ音楽ではお馴染みの北アフリカの打楽器ベンディールが二台入っている12曲目「エル・マンディ・デ・カロリーナ」には、エレキ・ギターとエレベも入っていて、トラディショナルにしてかつモダンでもあるというもの。これまた面白いね。米英大衆音楽リスナー、特にロックやファンクのファンにはこの曲が一番聴きやすいはずだ。

 

 

その12曲目「エル・マンディ・デ・カロリーナ」がかなり賑やかで派手なので、しかも前述の通りこれが終ってアルバム・ラストの13曲目が聞える前に少し無音が続くので、やはりここで一区切りということなんだろう。アルバム収録曲はほぼ全て伝承曲だけど、アレンジはコエトゥスのリーダー、アレイクス・トビアスがやっている。

2016/09/23

1970年代マイルスの音楽衝動

Unknown

 

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何度も言うようだが1970年代のマイルス・デイヴィスによるスタジオ作品に「オリジナル・アルバム」という概念は存在しない。70年代初リリース作品『ビッチズ・ブルー』(70年3月全米発売)が、前年69年8月の例のウッドストック・フェスティヴァルの翌日からの三日間で録音されたのがオリジナル・アルバムの最後。

 

 

オリジナル・アルバムの定義みたいなものはちょっと難しいかもしれないけれど、僕の認識ではこの新作アルバム用にと準備してプロデューサーを決めたり、曲を書いたり他人の曲を選んだり、そしてレコーディングに入り曲を録りだめて、それを「新作用」にと選曲・編集したものだということ。

 

 

「新作用に準備して」という部分が僕にとっては最も重要で、ジャズでもロックでもあるいはワールド・ミュージックでもなんでも、普通は新作アルバムを企画して内容をある程度準備してからレコーディングに入るものじゃないのかなあ、LP時代以後は。少なくとも僕はそういう認識なんだよね。

 

 

「LP時代以後は」というのは、もちろんそれ以前のSPが主流だった時代には録音音楽は一曲単位で、というかSP盤両面の二曲単位で売買されるもので、聴く側ももちろん曲単位で音楽を認識している。レコーディングする音楽家側は、もちろん一回のセッションで二曲しか録音しないなんてことは少ないが。

 

 

だから戦前のSP時代は、一回のレコーディング・セッションで何曲か録音したものからチョイスしてSP盤両面の二曲として発売していたということになる。その時代の音楽家やレコード会社側に「新作SP盤用のレコーディング」という発想があったのかどうか、ちょっと僕には分らないのだが。

 

 

でもおそらくそのような「新作用録音」という発想がやはり商業録音開始当時の1910年代からあったはずだ。そしてそれがLPメディアの出現後は何曲も一枚のアルバムに収録できるようになったので、より一層新作用の企画・準備みたいなものが発展したんじゃないかと思うんだよね。

 

 

言うまでもないことだがLP時代以後もこの限りではない録音やアルバムだって多い。マイルスだって例えば例のプレスティッジの “in’” 四部作は全てオリジナル・アルバム用のレコーディングではない。1956/5/11と同10/26のたった二日間で計26曲を録音したものなんだよね。

 

 

言われ尽されていることだが、当時既に大手コロンビアとの極秘契約を結んでいたマイルスが早く移籍したくて、いまだ専属契約が残っていたプレスティッジへのアルバム録音契約をなるべく早く消化せんとし、それでたった二日間で26曲もレコーディングしちゃった、いわゆるマラソン・セッションだ。

 

 

他の音楽家でも似たような事情のあるアルバムはたくさんある。特に一枚のアルバムをまとまりのある「作品」だと考えるようになる前の時代のジャズ・メンや、あるいはそういう時代になって以後でも、そもそもそんな考え方の薄いソウルやファンクの音楽家などの場合は多いよなあ。

 

 

一枚、あるいは二枚組などのレコーディング・アルバムをまとまりのあるものだと考えるようになったのがいつ頃のことなのかはじっくり時間をかけて考え直してみないとちょっとはっきりしたことは言えない。ロックの世界ではビートルズの1967年『サージェント・ペパーズ』以後それが加速したとされているけれども。

 

 

でもジャズの世界には一種のコンセプト・アルバムみたいなものはもっと前からある。1950年代初頭のLPメディアの出現直後、既にそんな発想をデューク・エリントンが持っていた。マイルスだってコロンビア移籍後の初録音作品である1957年ギル・エヴァンスとのコラボ『マイルス・アヘッド』がそうだよね。

 

 

1957年の『マイルス・アヘッド』は、最初からギルのアレンジでこんな曲をこんな感じでやりたいという事前企画をマイルスが持っていて、コロンビアへの移籍はそもそもそれを実現したいというのもあった。移籍したいがためにインディペンデント・レーベルのプレスティッジにこの大企画をふっかけたのだった。

 

 

弱小インディーのプレスティッジにそんな大編成オーケストラでのレコーディングを行えるような経済力があるはずもなく、マイルスも最初からそれが分っていた上で敢てこの無理難題をふっかけて、自分との契約延長をプレスティッジに諦めさせるように持っていったというわけなんだよね。

 

 

そうやってコロンビア移籍後に実現した1957年『マイルス・アヘッド』は、従ってオリジナル・アルバムを制作するという事前の念入りな準備があって実現したもの。そしてこれ以後のマイルスのコロンビア作品は、最初に書いた69年8月録音の『ビッチズ・ブルー』まで同様の制作手法を採っている。

 

 

ところがその『ビッチズ・ブルー』を1969年8月の三日間で録り終えて以後のマイルスは、新作用のレコーディングという考え方がなくなっていった。これがどうしてだったのか、ちょっとすぐには僕も分らないのだが、とにかく新作発表予定のあるなしに関係なくどんどんスタジオ入りするようになる。

 

 

関係なくというか、『ビッチズ・ブルー』録音終了後はもはやオリジナル・アルバムとしての新作を制作するなんてことはマイルスの頭の片隅にすらなく、気の赴くまま随時スタジオ入りして頻繁にレコーディングを繰返していた。その最初が1969年11月録音の八曲。全て当時はリリースされないまま。

 

 

コロンビア側もリリースしにくいんだよね。だって新作用にという考えではレコーディングしておらず、ただ自分のなかにある音楽衝動みたいなものに駆られて大量に録音するようになっていたから、1970年代マイルスにとってのレコーディングとは要するに日常生活の一部みたいなものだったのだ。

 

 

だからそれら膨大な録音群を前にして、プロデューサーのテオ・マセロはじめコロンビア側はちょっと頭を悩ませたに違いない。それらのレコーディングに、一枚かあるいは二枚のレコードにまとめられるようなコンセプトみたいなものもないし、曲ごとに録音メンバーもなにもかも全部違っているからね。

 

 

それでもなんとか1970年代当時に『ジャック・ジョンスン』(71年2月発売)、『オン・ザ・コーナー』(72年10月発売)、『ビッグ・ファン』(74年4月発売)、『ゲット・アップ・ウィズ・イット』(74年11月発売)という四つのスタジオ作品がリリースできたのは、ひとえにテオの手腕だ。

 

 

それら四つが1975年のマイルス一時隠遁前にリアルタイムでリリースされていたスタジオ・アルバムの全部。しかも四つとも、当時はそんなことはファンも思わなかったと思うし僕も昔は思っていなかったのだが、今ではトータリティみたいなものがなく、一種の寄せ集め曲集に聞えるんだなあ。

 

 

こりゃ当然なんだ。だって書いているように「新作用に」と準備してレコーディングされたものなんて、それら四つのアルバムにただの一曲もないんだから。全てが言ってみれば未発表作品集みたいなもんで、特に『ビッグ・ファン』と『ゲット・アップ・ウィズ・イット』は散漫な印象がある。

 

 

『ビッグ・ファン』と『ゲット・アップ・ウィズ・イット』。どっちも二枚組だけど、どっちも収録曲の録音年月とパーソネルが一曲ごとに全部異なっている。だから聞えてくる音の印象もかなり違うし、こんなのを後生大事にアルバム・コンセプトみたいなものを考えて正対して聴かなくちゃなんてのは本当はオカシイ。

 

 

『ジャック・ジョンスン』『オン・ザ・コーナー』のどっちも一枚物のアルバムは、まだまとまりみたいなものが聴けると思う。それはこの二つはそれぞれ収録曲の録音時期とパーソネルが近いのと、テオがかなり巧妙に編集しまくっているせいであって、アルバム用に準備してレコーディングされたものなんかじゃない。

 

 

1969〜75年のマイルスは(58〜60年頃と並び)創造意欲が最高潮に達していた時期で、頭の中に表現したい音楽がどんどん湧出て止らず、それを一刻も早くバンド・メンバーとともに実際の音にして演奏・録音したいという気持に満ちあふれていて、それで頻繁にスタジオ入りして録音していたんだよね。

 

 

コロンビア側もある時期以後のマイルスとある時期以後のボブ・ディランに関しては特別扱いしていて、マイルスの場合はニュー・ヨークのコロンビア・スタジオをいつでも使えるように開けていたような具合だった。マイルスがその気になりさえすればいつなんどきでも録音セッションを実施できた。

 

 

それで膨大な録音群が残されたわけで、前述の『ジャック・ジョンスン』『オン・ザ・コーナー』『ゲット・アップ・ウィズ・イット』はその氷山の一角に過ぎないんだってことは、僕がマイルスを聴はじめた1979年には既にファンの間では常識だった。だからコロンビアはどうするんだろうなあと思っていた。

 

 

1991年のマイルス死後、レガシーがそれら膨大な70年代の音源を数個の「コンプリート」と称するボックスにまとめてリリースしているのはみなさんご存知の通り。70年代のものは『ビッチズ・ブルー』ボックス、『ジャック・ジョンスン』ボックス、『オン・ザ・コーナー』ボックスの三つで全部だ。

 

 

なかなか分らなかったいろんなことがそれらのボックス・セットで理解できるようになった。特に1972〜75年の録音集である『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』なんかは僕にとっては面白くてたまらないボックス・セットなんだなあ。元々全てがオリジナル・アルバム用録音じゃないんだから、肩肘張らずに一曲単位で抜出して聴けばいい。

 

 

1970年代マイルス・ファンクの最高傑作だと中山康樹さんや僕が思っている73年のシングル盤両面の二曲「ビッグ・ファン」「ホーリー・ウード」は、公式盤CDではこの『オン・ザ・コーナー』ボックスにしか収録されていないんだもんね。この二曲をCDで聴くためだけにでも、僕はこの六枚組を買ってほしいとさえ思う。その二曲も元はシングル用にと録音されたものではない(ということはこのボックスがないと分らない)。

 

 

マイルスのそんな録音手法・形態は1970年代だけのことで、1981年復帰後は、多くの場合やはり新作用に企画・準備してそのための曲を録音するという、世間一般と同じやり方に戻っている。「多くの場合」というのはそうじゃない録音もあるからで、いまだに未発表のままなものがあるんだなあ。

 

 

1970年代マイルスについては真の意味で「全部」ではないが、それでもコンプリートと称するボックス・シリーズでかなりリリースされたけれど、1981〜85年のコロンビア時代末期の未発表曲群については、いまだにレガシーはリリースする気配がない。なかにはティナ・ターナーがオリジナルの「愛の魔力」など面白いものがあるようだけど、早く出してくれないかなあ。

 

2016/09/22

尻軽ブルーズ初演の謎

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誰とでもすぐ寝る女、すなわち尻軽女のことを英語のスラングで "easy rider" という。何度も書くようだがブルーズ(やその他のアメリカ大衆音楽でも)ではセックスのことが非常によく題材になるので、いつ頃のことかは分らないが、これも当然のようにブルーズ・ソングになっている。

 

 

音楽では “easy rider” よりも通常 “see see rider” という場合が多く、これは要するに音の類似性を使った言葉遊びで “easy” が ”sse see” になっただけで、言っている中身は完全に同じ。「シー・シー・ライダー(・ブルーズ)」という定番曲になった。

 

 

一般的にはロックが最もポピュラーなアメリカ音楽なんだろうから、「シー・シー・ライダー」という定番ブルーズ・ソングもロック・ヴァージョンが非常によく知られているはず。エルヴィス・プレスリーのだとかアニマルズのだとかいろいろあるよね。アニマルズもまた古いブルーズをよく採り上げた。

 

 

デイヴ・ロウベリーの印象的なオルガン・リフに乗ってエリック・バードンがシャウトするアニマルズの「シー・シー・ライダー」もいい。ロック・ヴァージョンではチャック・ウィリスのヴァージョンもかなりヒットしている。1957年のことで、なんたってビルボードのR&Bチャート一位になった。

 

 

あ、だからチャック・ウィリスのはロック・ヴァージョンというよりもリズム&ブルーズというべきか。聴いてみると、確かにストレートなロックというよりも6/8拍子のリズムで、三連パターンが基調になっているので、やっぱりリズム&ブルーズ寄りだなあ。チャック・ウィリスは黒人歌手だしね。

 

 

チャック・ウィリス・ヴァージョンでは「C・C・ライダー」表記。これは全員分る同音を異表記しただけのこと。この定番ブルーズ・ソングは、古いブルーズ・ソングの例に漏れずやはり曲名の表記に揺らぎがある。「シー・シー・ライダー」「C・C・ライダー」「イージー・ライダー」や、その他各種あるよね。

 

 

ロック・ヴァージョンの「シー・シー・ライダー」で僕の一番のお気に入りはエルヴィス・プレスリー・ヴァージョンだ。1970年の『エルヴィス・オン・ステージ』収録。僕がこの古い定番ブルーズ・ソングのロック・ヴァージョンを聴いた最初だったせいで、その刷込み効果が強いんだろうなあ。

 

 

だいたい僕は『エルヴィス・オン・ステージ』というライヴ・アルバムが大好きなのだ。1970年代のエルヴィスのアルバムで唯一今でも頻繁に聴くのがこれ。「シー・シー・ライダー」はこのアルバムの一曲目だし、爽快に飛ばしまくるようなカッコいいロックンロールだから、やっぱりいいなあこれは。

 

 

 

もっとも最初に書いたように「シー・シー・ライダー」という曲は、要するに自分の女が尻軽で、昨晩どこに行ってたんだ?昨晩は誰と寝たんだ?お前は自分のやったことが分っているのか?と問詰めて、(どうして俺の女はこんなやつなんだ?)と悶々とする内容だから、爽快感とはおよそ程遠い内容。

 

 

音楽はだから自由自在に姿形を変えて、自由な解釈でどうにでもなっちゃうってのが面白いところで、そんな不貞の女を問詰めて嘆くような、まさしく「ブルーズ」(憂鬱)なのに、爽快感満載のロックンロールになっているエルヴィス・ヴァージョンがカッコイイってのもこれまた音楽の一面の真実だ。

 

 

そんな不貞女を持った男の歌うブルーズで、 “easy rider” というスラングも通常は女性のことを指すものなのにも関わらず、「シー・シー・ライダー」の初録音を行ったのは女性歌手だ。それがみなさんご存知の超有名人マ・レイニー。説明不要の1920年代クラシック・ブルーズの歌手。

 

 

マ・レイニーは「シー・シー・ライダー・ブルーズ」というタイトルで1924年10月16日(と推定されているが確定的ではない)に録音している。このパラマウント盤SPレコードが翌25年にかなりヒットしたらしい。それでこの、それ以前から存在する古い伝承ブルーズが世間に知られることになった。

 

 

 

マ・レイニーの「シー・シー・ライダー・ブルーズ」では、クラシック・ブルーズの例に漏れず当時のジャズ・バンドが伴奏を務めていて、この曲でもフレッチャー・ヘンダースン楽団からのピック・アップ・メンバーが五人参加。1924年の10月なので、ご推察の通りルイ・アームストロングもいる。

 

 

というわけなので、僕が持っているマ・レイニーの「シー・シー・ライダー・ブルーズ」も、マ・レイニーの単独盤CDと、サッチモを主役みたいにして編纂された『ルイ・アームストロング・アンド・ザ・シンガーズ』という1920年代クラシック・ブルーズ歌手伴奏集との二種類がある。

 

 

しかしながらここに一つの大きな謎がある。それはマ・レイニーの「シー・シー・ライダー・ブルーズ」の原盤番号は Paramout 12252で、マ・レイニーの単独盤CDではそれ一つしか入っていないのに、『ルイ・アームストロング・アンド・ザ・シンガーズ』にはなぜだか二つ収録されているのだ。

 

 

しかも『ルイ・アームストロング・アンド・ザ・シンガーズ』vol.1収録のマ・レイニーが歌う「シー・シー・ライダー・ブルーズ」二つは、両方とも原盤番号は同じ Paramount 12252だが、聴いてみると音質がかなり違う。二つ目の方はまるでSP原盤起しのような雑音まみれだ。

 

 

「のような」というか、僕の経験から判断して二つ目の「シー・シー・ライダー・ブルーズ」はSP原盤から起しているに違いない。そうだとしか僕の耳には聞えない。そして音質なんかよりもはるかに重要なことは、演唱内容がちょっぴり異なっている。と言っても非常に微妙なものでおよそ気付かない程度のものだけど。

 

 

本当にかすかな違いではあるんだけど、『ルイ・アームストロング・アンド・ザ・シンガーズ』vol.1の一曲目と二曲目に連続収録されているマ・レイニーの「シー・シー・ライダー・ブルーズ」二つは、歌手の歌い廻しとか、あるいはもっとはっきりしているのはサッチモの吹くコルネットのフレーズが違う(ように思う)。

 

 

これはどういうことなんだろう?原盤番号が同じなんだから違うものだとは考えられない。それなのにどうしてそれが二つ続けて収録されていて、そんでもってもんのすご〜くかすかに演唱内容が違っているって、これは意味が分らないぞ。演奏の長さも三秒だけ違うけれど、これは誤差だ。

 

 

『ルイ・アームストロング・アンド・ザ・シンガーズ』附属のディスコグラフィカル・ノーツでは、歌手名、伴奏者名、録音年月日の下にこう書かれてある。

 

 

1 1925 1 See See Rider Blues Paramout 12252

 

2 1925 2 See See Rider Blues Paramout 12252

 

 

この「1925 1」と「1925 2」の意味はなんだろう?

 

 

いろいろと調べてみてもマ・レイニーのパラマウント原盤「シー・シー・ライダー・ブルーズ」の録音は一つしかないことになっている。そういうデータしか見つからない。あるいは先ほどの数字は発売年月のことなのか?同じ一つの録音を二度発売したということなのだろうか?

 

 

しかし聴いてみたらかすか〜に演唱内容が違っているもんなあ。あらゆる意味で完璧に同じものであれば、二つ連続収録する理由はゼロのはず。これはミステリーだ。どなたか古いクラシック・ブルーズに詳しい方、お願いします!教えてください!内容が違って聞える僕の耳が狂っているだけなんでしょうか?だとすればどうして二つ連続で収録されているのでしょうか?

 

 

僕のいい加減な耳判断では、マ・レイニーの単独盤に収録されているのは「1925 1」の方だ。

 

 

そんな謎の解明は僕の手に余るのでおいておいて、「シー・シー・ライダー・ブルーズ」。一般に “easy rider” は不貞な尻軽女を指すと書いたけれど、その史上初録音が女性歌手によるものだという事実はなんだかちょっと面白いよねえ。マ・レイニーはもちろん不貞な男性のこととして歌っている。

 

 

こんな具合に、男性歌手が女に言及する曲を女性歌手が採り上げて、その歌詞のなかの女を男にしたり、あるいはその逆に男性歌手が同じようなことをやったりというのが、アメリカ大衆音楽では一般的。一般的というよりもほぼ全員そうしているんじゃないかなあ。実を言うと僕はこれがあまり好きじゃない。

 

 

歌手の性別に合せて歌詞内容の性別部分を変えて歌っちゃうっていうアメリカ大衆音楽。他にも例えばサザン・ソウル・スタンダードの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」のエタ・ジェイムズ・ヴァージョンとスペンサー・ウィギンズ・ヴァージョンとか、他にも無数にありすぎる。

 

 

日本の歌謡界だとそんなことはせずに、例えば男性歌手が女性の気持を女性になりきってそのまま歌ったりするものもあるよね。森進一とかぴんからトリオ(ぴんから兄弟)とかさ。オカマみたいで気持悪いという人もいるかもしれないけれど、僕に言わせたら歌詞と歌手の距離が近過ぎる方が気持悪いのだ。美空ひばりや八代亜紀みたいに女性歌手が男になりきって男言葉で男の気持を歌っているものもある。

 

 

だからアメリカ大衆音楽歌手が歌詞の中身や、場合によっては曲名まで対象の性別を変更して歌ったりするのは、ちょっとどうも距離感がマトモじゃないように思えちゃう。この<男歌/女歌>とでもいった話は、これまた言いたいことがたくさんあるので、別個に既に書上げてある文章をまた来週にでもアップしよう。

 

 

通常は不貞女のことを題材にした「シー・シー・ライダー」の男性歌手ヴァージョンで僕の一番のお気に入りは、ブルーズ歌手ジミー・ラッシングのもの。戦後1956年録音のヴァンガード盤『リスン・トゥ・ザ・ブルーズ』の一曲目に収録されている。いいアルバムなんだよね。大学生の頃からの愛聴盤。

 

 

「シー・シー・ライダー」の入っているジミー・ラッシングのヴァンガード盤『リスン・トゥ・ザ・ブルーズ』は、この歌手が1930年代後半に在籍して名をなしたカウント・ベイシー楽団当時のリズム・セクションがそっくりそのまま参加している。すなわちフレディ・グリーン、ウォルター・ペイジ、ジョー・ジョーンズ。

 

 

ピアノはベイシーとはいかないのでピート・ジョンスンだ。でもこの人も上手い。ブギ・ウギ・ピアニストとして一般には認識されているはず。その他トランペットのエメット・ベリー、トロンボーンのロウレンス・ブラウン、テナー・サックスのバディ・テイト、クラリネットのルディ・パウエルという面々。

 

 

だからブルーズ歌手としてのジミー・ラッシングの持味を存分に活かせるサイド・メンなんだよね。アルバム『リスン・トゥ・ザ・ブルーズ』とか、ヴァンガードにもう一枚あるラッシングの『ゴーイン・トゥ・シカゴ』(にはリロイ・カーの「ハウ・ロング・ブルーズ」もある)とか、僕はもう大好きでたまらない。

 

 

それら二枚のジミー・ラッシングのヴァンガード盤は、現在 2in1で完全集としてCD化されているので、是非聴いてみてほしい。「シー・シー・ライダー」の場合、ピート・ジョンスンのブルージーなピアノ・イントロに続き、トランペット吹奏、その次にラッシングの歌が出てくる。

 

 

そのラッシングのヴォーカルは基本的にピアノ伴奏だけで歌うもので、時折管楽器がオブリガートを入れる。全体的に非常にレイジーなフィーリングで、「お前、昨晩どこにいたんだ?」と女の不貞を嘆く物憂い感じを非常によく表現している。テキサス・テナー、バディ・テイトのソロもいい雰囲気だ。

 

 

2016/09/21

ファンクな「カルドニア」

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ジェイムズ・コットンというブルーズ・ハーピスト。リトル・ウォルターの後任として1957年にマディ・ウォーターズのバンドにレギュラー参加したことで名を上げた人だけど、コットンが本領を発揮するようになったのはやっぱり1970年代のブッダ・レーベル時代だよなあ。ファンキーでカッコイイもんねえ。

 

 

ジェムズ・コットンのブッダ時代のはじまりは1974年の『100% コットン』。これのギターがご存知マット・マーフィーなのだ。以前も書いたブルーズ・ギタリスト・ナンバー・ワンの腕前なんじゃないかと思うほどの名人。この『100% コットン』でコットンは自分の世界を確立した。

 

 

『100% コットン』はブギ・ウギだかモダン・ブルーズだかファンクだか分らないような、そんな区別なんか不可能で無意味だと断言できるような音楽だ。一曲目が「ブギ・シング」という曲名で、タイトル通りマット・マーフィーがブギ・ウギのパターンを弾くが、バンドのリズムはファンクなのだ。

 

 

そんでもってジェイムズ・コットンのリード・ヴォーカルを中心にバンド・メンバーが合唱で賑やかに「ブギ・ウギ〜〜!」とリピートし、コットンのブルーズ・ハープがブロウするという内容。曲の仕上りは完全なるファンク・チューンだから、ファンクとはブルーズでありブギ・ウギであるのがよく分る。

 

 

『100% コットン』ではほぼどの曲もそんな感じのファンク・ブルーズで、ピュアな(ってなに?)ブルーズ界出身の音楽家がアルバム全体にわたりここまではっきりとファンクをやっているというのは、この1974年のアルバムが初だったかもしれない。一曲単位でならそれ以前にもあったけれど。

 

 

一般に『100% コットン』で最も有名なのは「ロケット 88」に間違いない。この曲を書き初演したのはジャッキー・ブレンストン名義になっているけれども、この人はアイク・ターナーのバンドのサックス奏者で、バック・バンドも実質的にアイクのキングズ・オヴ・リズムに他ならない。

 

 

そういうわけなので「ロケット 88」という12小節ブルーズはアイク・ターナー・ナンバーだと言って差支えないはず。僕はその同じ録音をアイクの単独盤は言うまでもなく、他にもニ種類のアンソロジーに収録されているのを持っている。ある意味この曲がシンボリックである証拠だ。

 

 

よりシンボリックに見えるのが『セイ・イット・ラウド!:ア・セレブレイション・オヴ・ブラック・ミュージック・イン・アメリカ』に収録されている方だなあ。タイトルでお分りの通りアメリカ黒人音楽礼賛アンソロジー・ボックス。ライノがリリースしたCD六枚組で、いろいろと面白い。

 

 

「ロケット 88」のジャッキー・ブレンストン&アイク・ターナーによるオリジナル・ヴァージョンは、その他、中村とうようさん編纂の『ブラック・ミュージックの伝統:ブルーズ、ブギ・アンド・ビート』にも収録されているのを持っている。僕が持っているのは以上三種類だけど、もっといろいろあるはずだ。

 

 

それらオリジナルを聴くと、アイク・ターナーが典型的なブギ・ウギ・リフを弾いているのだが、ジェイムズ・コットンの『100% コットン』ヴァージョンでもマット・マーフィーがやはり同じようにブギ・ウギ・リフを弾く。バンドのリズムはシャッフルの8ビートだからファンク度はやや薄いかも。

 

 

『100% コットン』でちょっと面白いなと思うのがアルバム・ラストの「フィーヴァー」だ。最も有名なのはおそらくペギー・リーの歌ったヴァージョンだろう。ペギーのヴァージョンでこの曲は世に知られ、ペギーのシグネチャー・ソングみたいになったもんなあ。エルヴィス・プレスリーも歌ったものがあって、僕はそっちの方が好き。

 

 

その他「フィーヴァー」は実にいろんな歌手がやっていて、そのなかにはネヴィル・ブラザーズ(『ネヴィライゼイション』)とかマドンナ(『エロティカ』)もいるんだけど、『100% コットン』のヴァージョンはコンガも入ってやはりエキゾティックな仕上りにしたファンクなフィーリング。

 

 

さてさて『100% コットン』もカッコいいファンク・ブルーズで大好きなんだけど、ブッダ時代のジェイムズ・コットンで僕がもっと好きなのは1975年の『ハイ・エナジー』と76年の『ライヴ&オン・ザ・ムーヴ』の二つ。コットンのブッダ時代はそれら三つで全部ということになる。

 

 

『ハイ・エナジー』と『ライヴ&オン・ザ・ムーヴ』とで僕が最も面白いんじゃないかと思うのが、どっちにも収録されている「カルドニア」だ。もちろん言うまでもなく、あの有名すぎるご存知ルイ・ジョーダン・ナンバーのジャンプ・ブルーズ。ジョーダンのオリジナルは1945年デッカ録音。

 

 

 

大好きなんだなあ、これ。特に「きゃろど〜〜にゃ!」っていう素っ頓狂なシャウトが最高じゃないか。これもホントいろんな音楽家がカヴァーしていて、ほぼ同時代にアースキン・ホーキンス楽団がやっているのをはじめ、黒人音楽家にはカヴァーしている人が多い。

 

 

B・B・キング(この人はよくルイ・ジョーダン・ナンバーをやるよね)とかジェイムズ・ブラウンとかマディ・ウォーターズとか、あるいは上で名前を出したアイク・ターナーもやっているし、ロバート・Jr・ロックウッドも例の1974年の日本でのライヴ盤でやっているもんなあ。

 

 

それがジェイムズ・コットンの『ハイ・エナジー』と『ライヴ&オン・ザ・ムーヴ』収録の2ヴァージョンではガラリと様変りして、モダン・ファンクに変貌している。といっても『ライヴ&オン・ザ・ムーヴ』収録のライヴ・ヴァージョンは、まだ少し従来からのブギ・ウギっぽいフィーリング。

 

 

ところが1975年録音の『ハイ・エナジー』収録ヴァージョンの「カルドニア」はちょっと俄に信じがたい完全なるファンク・チューンになっている。単独では YouTube に上がっていないがフル・アルバムで上がっているので、是非聴いてみて!30:58から。

 

 

 

どうだこれ?最高じゃないか。このファンクなカッティング・ギター、マット・マーフィーじゃないかもしれない。ギタリストはリード・ギター名義のマット・マーフィー以外にも二名クレジットされていて、スティーヴ・ヒューズ、テディ・ロイヤルと書かれているが、果して誰が刻んでいるんだろう?

 

 

だってこの『ハイ・エナジー』ヴァージョンの「カルドニア」冒頭から鳴っているカッティング・ギターは、こりゃまるでジェイムズ・ブラウン・バンドのジミー・ノーランみたいじゃないか。スーパー・ファンキーでカッコよくて、だから誰が刻んでいるのか凄く知りたいんだけどなあ。ご存知の方お願いします!

 

 

同時にこれまた冒頭から鳴っているベースもいいなあ。完全なるファンク・マナーでのベースの弾き方だよね。これは一名しかベーシストがクレジットされていないので間違いなくこの人であろうチャールズ・カルミーズ。マディ・ウォーターズなどでの録音でも弾いたシカゴの腕利きベーシスト。

 

 

ジェイムズ・コットンのヴォーカルは<歌う>というより<喋っている>という感じで、これは「カルドニア」のルイ・ジョーダンのオリジナル・ヴァージョン以来の伝統であるトーキング・ブルーズ。歌い終るとファンク・ビートに乗ってアンプリファイされたブルーズ・ハープがグワ〜〜ッって鳴りはじめるあたりのスリルと快感は筆舌に尽しがたい。

 

 

いやあ、こんなファンクな感じに仕上っている「カルドニア」って他にあるのかなあ。「カルドニア」に限らず1940年代のルイ・ジョーダンのジャンプ・ブルーズが、こんなにもタイトでシャープでグルーヴィーなファンク・チューンになっているものって、僕は音楽経験が浅いから他に聴いたことがない。

 

 

こういうジェイムズ・コットン『ハイ・エナジー』ヴァージョンの「カルドニア」を聴くと、ブギ・ウギ〜ジャンプ〜ブルーズ〜ファンクまでぜ〜んぶ一繋がりだってのを身に沁みて実感する。そもそも『ハイ・エナジー』というアルバムは、ジェイムズ・コットンのなかでも最もファンク度が強いアルバムだ。

 

 

『ハイ・エナジー』には一曲目の「ホット・ン・コールド」にのみアラン・トゥーサンが参加してピアノを弾いている。五人編成のホーン・セクションの演奏も入り、それはクレジットはないがアラン・トゥーサンが書いたアレンジによるものなのは、誰が聴いてもそうだと分るので間違いない。

 

 

これまた(演奏には参加していないが)アラン・トゥーサンの書いた曲である二曲目「チキン・ヘッド」ではファンキーで粘っこいクラヴィネットの音が聞えるが、それはワーデル・クェザーグによるもの。それにこれまたジミー・ノーランっぽい粘り気のあるカッティング・ギターが絡んでいる。

 

 

二曲目「チキン・ヘッド」でもホーン・セクションの音が入るので、やはり曲を書いたアラン・トゥーサンのアレンジに違いない。三曲目「ハード・タイム・ブルーズ」もアランの書いた曲で、一曲目以外アランは演奏では参加していないことになっているのだが、聞えるピアノはニュー・オーリンズ・スタイルだよなあ。

 

 

四曲目「アイ・ガット・ア・フィーリング」では冒頭から終始誰が弾いているのか分らないがこれまたファンク・マナーなギター・カッティングが聞え、しかもその音にはファズとワウが効いているので、まるでインヴィクタス系みたいなグチョグチョ、クチュクチュといったサウンドなのだ。ホント誰だろう?

 

 

五人編成のホーン・アンサンブルは『ハイ・エナジー』の殆どの曲で聞えるので、アラン・トゥーサンは間違いなくアルバム全体に関わってアレンジやプロデュース(的なこと)もしているよね。と思ってCDパッケージ附属の紙にある非常に細かい字を読むと、やはり彼のプロデュースとなっていた。

 

 

しかも『ハイ・エナジー』の録音自体がそもそもニュー・オーリンズのシー・サン・スタジオでやったとなっているじゃないか。いやあ、老眼鏡を掛けないと絶対に読めない細かい字なので、今まで億劫がって読んでいなかった。知らないまま長年愛聴してきたが、やはりニュー・オーリンズ・ファンク恐るべしということか。

 

2016/09/20

ビリー・ホリデイの「わたしの彼氏」

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ビリー・ホリデイがテディ・ウィルスンのピアノ伴奏だけで「ザ・マン・アイ・ラヴ」を歌っているものがある。数多いこの曲のヴォーカル・ヴァージョンのなかで僕が最も愛するものがこれなんだなあ。素晴しいので是非聴いてみていただきたい。

 

 

 

1947/1/13、エスクワイア・ジャズ・アワーズでのライヴ・ヴァージョンであるこの「ザ・マン・アイ・ラヴ」は、僕が探した限りでは商用CDにはなっていないようだ。上掲 YouTube 音源はどこから取ったんだろう?ほしくてたまらないんだけど、どなたかご存知の方、教えてください!

 

 

だから僕が現在持っているこのヴァージョンの「ザ・マン・アイ・ラヴ」は iTunes Store で検索して見つかった『ジャズ・ナイト』というなんだか正体不明のオムニバス・ジャズ・アルバムに収録されているものだ。全15曲収録の演奏家・歌手が全部異なっていて編纂ポリシーも不明なもの。

 

 

テディ・ウィルスンのピアノ伴奏だけでビリー・ホリデイが歌うこのヴァージョンの「ザ・マン・アイ・ラヴ」。昨日今日好きになったものではない。大学生の頃にこれまた僕の話に頻繁に出てくる戦前ジャズしかかけない松山のジャズ喫茶ケリーのマスターにこんなのがあるよと教えてもらったものなのだ。

 

 

当時アナログ・レコードでどんなアルバムに収録されていたのかは全く分らない。1947年エスクワイア・ジャズ・アワーズでのライヴということは、その時の実況録音盤かなにかかなあ。う〜ん、違うような気がする。なにかビリー・ホリデイの歌唱をいろいろと集めたオムニバスだったような気がする。

 

 

いや、ホントちょっと分らない。忘れてしまった。自分でもほしいと思ってレコードを探したんだけど、既に入手できなかった。ただケリーでよくかかるのでそれで聴いて大好きになり、僕もよくリクエストしてかけてもらっていたものだった。お聴きになれば分るようにとてもチャーミングだもんね。

 

 

ビリー・ホリデイの歌唱もいいんだけど、それ以上にテディ・ウィルスンのピアノ伴奏が極上だ。彼女の歌う「ザ・マン・アイ・ラヴ」の歌詞の意味をよく踏まえた上で、その歌の一節一節にそっと寄添うように優しく奏でるピアノ伴奏。その絶妙な弾き出しのテンポ、その後のフレイジングとタイミングなど完璧だ。

 

 

こんな「ザ・マン・アイ・ラヴ」は2016年の現在に至るまで僕は聴いたことがない。僕にとってこの曲のこれ以上のヴァージョンは存在しない。ご存知の方もいらっしゃるだろうけど、ビリー・ホリデイとテディ・ウィルスンは1930年代後半には恋仲にあった。その事実がこの演奏の土台になっているような気がする。

 

 

僕は普段そんなある種文学的な音楽の聴き方はしない。恋仲だろうが仇敵関係だろうが、こと演唱の本番となればピタリと息を合わせられるのがプロの音楽家というものだ。そこにプライヴェイトな人間関係に基づく情緒の入り込む余地はない。全ては「音」を合わせて出すことで成立つものだ。

 

 

そうではあるんだけど、ビリー・ホリデイとテディ・ウィルスンのこのヴァージョンの「ザ・マン・アイ・ラヴ」だけは、ちょっとそのあたりの人間関係を考慮しないと、どうしてこんなピアノ伴奏ができるのか、僕みたいな素人にはサッパリ理解できないような寄添い具合なんだよなあ。

 

 

絶妙な加減で優しく支えるテディ・ウィルスンのピアノ伴奏に乗って歌うビリー・ホリデイの歌もちょっと普段とは雰囲気が違う。これは1947年だから彼女はデッカ・レーベルに録音していた時期だけど、デッカ録音にこんなチャーミングな歌は残していない。既に全盛期を過ぎていたわけだしね。

 

 

まるで1930年代後半から40年代初期のブランズウィックなどコロンビア系レーベルに録音していた頃のような歌だよなあ。戦前のコロンビア系録音といえば、ビリー・ホリデイは1939年にもヴォカリオンに「ザ・マン・アイ・ラヴ」を録音していて、当然コロンビア系録音全完全集10枚組に収録されている。

 

 

そんな大きなサイズのものでなくたって、一枚物や二枚組の戦前コロンビア系録音のビリー・ホリデイのベスト盤に収録されている。そのなかで、もう廃盤なんだけど、僕が一番推薦したいのは『ビリーとレスター』というソニーが1999年にリリースした日本盤アンソロジーだ。これの一曲目が「ザ・マン・アイ・ラヴ」。

 

 

『ビリーとレスター』という日本盤は、フル・タイトルを『ビリー・ホリデイ・アンド・レスター・ヤング〜ジャズ・ストーリー』というアンソロジーで、タイトル通り戦前コロンビア系録音のなかからこの二人の共演が聴ける曲目ばかり選び出して16曲を収録したもの。これはなかなか面白い一枚なんだよね。

 

 

ただしこの『ビリーとレスター』も相当に文学的意味合いの濃いアンソロジー。1936年にあるジャズ・クラブで出会い共演して意気投合したビリー・ホリデイとレスター・ヤングが、翌37年の春頃から恋仲になり同棲生活をはじめ、その後数ヶ月でそれは終るという事実に基づく編集盤なのだ。

 

 

ビリー・ホリデイとレスター・ヤングとの共演録音は1937/1/25のテディ・ウィルスン名義のブランズウィック録音四曲が初。その後恋人関係は終っても41年3月までコロンビア系レーベルへの録音でたくさん共演していて、「ザ・マン・アイ・ラヴ」も39/12/13に録音しているってわけだ。

 

 

そのヴォカリオン録音の「ザ・マン・アイ・ラヴ」でももちろんレスター・ヤングがテナー・サックスを吹く。このヴァージョンの歌もテナー・ソロも素晴しいものだ。同曲のビリー・ホリデイ・ヴァージョンは通常これが推薦されるはずだ。

 

 

 

しかし今貼った音源と最初に貼った1947年にテディ・ウィルスンのピアノ伴奏でだけで歌う音源と、その両方の「ザ・マン・アイ・ラヴ」を聴き比べていただきたい。歌手の声はもちろん1939年ヴォカリオン録音の方がグッと若いしレスターのソロも入るのでいいんだけど、僕の耳には47年ヴァージョンの出来が上のように聞える。

 

 

前者1939年ヴォカリオン録音でのピアニストはジョー・サリヴァンだ。殆ど目立たず管楽器奏者の音が大きいので、歌の背後でもピアノはあまりしっかりとは聞えない。全体的にホーン・アンサンブルが中心のアレンジなのでこれが仕方がないし、ピアニストとしてもテディ・ウィルスンと比較することはできない。

 

 

だから1939年ヴォカリオン録音の「ザ・マン・アイ・ラヴ」はこれはこれで見事で充分推薦に値するものだ。だけれども最初に音源を貼ったテディ・ウィルスンのピアノ伴奏だけで歌う1947年ヴァージョンを聴いちゃったら、こりゃもう比較することすらできないなあ。断然後者の方が魅力的だろう。

 

 

1947年にテディ・ウィルスンのピアノ伴奏だけで歌う「ザ・マン・アイ・ラヴ」は普通の恋歌に聞えないんだよなあ。繰返すけれども僕は普段そんなことを考えながら音楽は聴かないし、歌詞の内容もなんでないラヴ・ソングだから取立てて言うことはないんだけれど、ちょっと尋常の雰囲気じゃないよなあ。

 

 

だからこのデュオ・ヴァージョンの「ザ・マン・アイ・ラヴ」を聴くと、いつも僕は歌っている女性とピアノを弾いている男性との間に音を通して交される会話、それも歌詞内容どおりの求愛の模様を思い浮べちゃうんだなあ。求愛の言葉と言ってもそこは音楽だから、全ては「音」で表現されている。

 

 

ビリー・ホリデイは「ザ・マン・アイ・ラヴ」をもう一回1946年6月にカーネギー・ホールで歌ったのが録音されていて、そのヴァージョンはヴァーヴ・レーベルから発売されている。例のJATPって奴。それにもレスター・ヤングが参加していて、ソロは吹かないがオブリガートで歌に絡んでいる。

 

 

ビリー・ホリデイが録音した「ザ・マン・アイ・ラヴ」は以上三回で全部のはず。そのうち1939年ヴォカリオン録音も46年ヴァーヴ録音も完全集CDに収録されていて、普通に買って聴けるんだけど、テディ・ウィルスンのピアノ伴奏だけで歌った47年ヴァージョンだけがCDでは見つからないのだ。

 

 

曲検索をかけたら iTunes Store では、なんだか得体の知れないオムニバスではあるが、わりと簡単に見つかって、それをダウンロード購入して楽しんでいるからいいようなものの、やはりCDがほしいんだよなあ。僕の探し方が悪いだけなのかなあ。どこか分りやすい形でCDリリースしてくれ!

 

2016/09/19

プリンスのブルーズ

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「一生に一曲でもこんな曲書いてみたいもんだと思うような名曲をぼこぼこと生み」(©小出斉さん)、それがほぼ全てのアルバムにしかも複数入っているという信じられない超天才だった、今年四月に亡くなったプリンス。次から次へと新しい曲が湧いてきて止らず、曲創りで行き詰ったことは生涯で一度もなかったらしい。

 

 

その意味でも、また別の意味でも、やはりプリンスはデューク・エリントンだったなあ。エリントンも新曲のアイデアはいついかなる瞬間にもどんどん湧いてくるので、常にペンと楽譜用紙を持歩いていて、例えばどこかへ向うタクシーのなかでとかでも思い浮んだら即その場で譜面に書留めていたのは有名だろう。

 

 

そんでもってエリントンの場合はビッグ・バンド・リーダーで「私の楽器はオーケストラです」というような人で、思い付いて譜面にしたら即座に実際の音にしてみないと気が済まないという性格だったので、スタジオやライヴ会場でのリハーサルなどでそのまま演奏させていたようだ。

 

 

そんなエリントンもプリンスに似て、デビュー当時から亡くなるまでのほぼ全てのアルバムで名曲が複数聴けるというような音楽家。やはりこの二人がアメリカにおける黒人ソングライターとしては傑出しているよなあ。両者と親交があったマイルス・デイヴィスも「プリンスはエリントンなんだ」と言ったことがある。

 

 

マイルスのこの「プリンスはエリントンだ」というのはいろんな意味が読取れるはずだけれども、もうちょっとじっくり考えてみないとなにかはっきりしたことは僕には書けない。でもプリンス=エリントンと考えるのは、直感的にはまあまあ容易で分りやすいことじゃないかなあ。

 

 

エリントンの場合は時代が時代だっただけに、思い付いて譜面にした楽曲のアイデアをその場で録音するなんてことは長年不可能に近かった。だから自分のバンドに生演奏させていたわけだけど、プリンスの場合はデビューが1970年代末で既に宅録なども容易になっていたから、実際そうしていたようだ。自分のスタジオを持つようになって以後はこれが一層加速する。

 

 

そういうメディアの違いはあるものの、プリンスもエリントンもアメリカ黒人音楽家であるというネグリチュードを無視して聴くことは、少なくとも僕の場合難しい。エリントンの場合多くはブルーズやブルーズ的なものだったわけだけど、プリンスの場合はその本質はファンカーだったと僕は考えている。

 

 

これはまあ「時代」だよなあ。エリントンだってあと五年も生きていれば間違いなくファンクをやったはず。そして僕も繰返しているようにファンクの土台にはブルーズがある。ブルーズの現代的解釈がファンクに他ならない。そうではあるんだけど、しかしながらプリンスの全音楽生涯におけるストレートなブルーズ形式の楽曲は極端に少ない。少なすぎるだろうと思うくらいだ。

 

 

僕が気が付いている範囲では(と断っておかないと自信がない)プリンスの全楽曲でストレートなブルーズ形式の楽曲はたったの二つ。たったの二つしかないんだよ。なんて少ないんだ。それは「ザ・ライド」と「5・ウィミン+」。もう一つあるんだけど、それについては後述する。

 

 

「ザ・ライド」は1998年リリースの三枚組『クリスタル・ボール』(附属の『ザ・トゥルース』を含めれば四枚組)の三枚目六曲目。どう聴いてもライヴ音源だなと思って見てみたらやっぱり1995年のライヴ収録だ。そもそもこの三枚組は1983〜96年の種々雑多な音源集で、これが正式リリースされるまでのややこしい経緯を説明するのはちょっと面倒だ。

 

 

『クリスタル・ボール』正式リリースに至るまでの経緯については紙メディアでもネット情報でも詳しく読めるので、ご存知ない方は調べてみてほしい。とにかくこれの三枚目六曲目の1995年ライヴ「ザ・ライド」。これは12小節3コードというモロなストレート・ブルーズで、プリンスにしてはかなり珍しい。

 

 

プリンスの場合、例によって音源を貼って紹介しながら説明することが亡くなって五ヶ月が経つ現在でも99%不可能なのが残念極まりない。だから言葉で説明する以外ないんだけど、音楽内容を言語化する僕の能力は極めて疑わしいからなあ。まあどうにかこうにかちょっとやってみよう。

 

 

『クリスタル・ボール』の「ザ・ライド」は、聴いた感じではダウン・ホーム感覚のあるシカゴ・バンド・ブルーズの雰囲気だ。と言ってもマディ・ウォーターズとかハウリン・ウルフとかの世代ではなく、もうちょっと後、1950年代末からのシカゴ・ブルーズ新世代のやるものに非常によく似ている。

 

 

似ているというかほぼそのまんまなのだ。オーティス・ラッシュとかマジック・サムとかバディ・ガイとかのあたりのエレキ・ギターを弾きながらエモーショナルなヴォーカルを披露するという人たちに瓜二つ。プリンスの「ザ・ライド」は、だから間違いなく意識している。

 

 

意識しているは違うのか、黒人音楽伝統の自然な継承とでも言うべきか。プリンスの「ザ・ライド」でも、まず彼自身の弾くブルージー極まりないエレキ・ギターのソロで幕開け。ちょろっと弾いて「みんな、ブルーズを今夜聴きたいだろ?」と喋った後一層力を入れて弾いているあたりも先人たちにソックリだ。

 

 

バンドのリズム伴奏も出る(オルガン+ベース+ドラムス)。ビートはシャッフルの8ビートだからこれまた伝統的なブルーズのリズム・パターン。プリンスは一度歌い終るとファズを効かせた歪んだ音のエレキ・ギターでこれまたエモーショナルなソロを弾きまくる。その部分はジミ・ヘンドリクスによく似ている。

 

 

プリンスとジミヘンの関係は言っている人がものすごく多くて、だいたいプリンスのギター・スタイルの本質はジミヘンのそれにあるというのは明々白々なんだから、僕がいまさら繰返すまでもない。両者をちょっとでも聴いたことのあるファンであれば、全員ああそうだよねって分っちゃうくらいだ。

 

 

そのジミヘンにはもちろんストレートなブルーズ形式の楽曲がある。一番有名で僕も一番好きなのが「レッド・ハウス」。初出が1967年のデビュー・アルバム『アー・ユー・エクスピアリエンスト?』で、その後のライヴで繰返しやっていたので何種類も公式録音がある。僕が持っているのは全部で四つ。

 

 

ジミヘンの「レッド・ハウス」は彼にしたらかなりトラディショナルな楽曲で、完全に1950年代末〜60年代初頭のシカゴ・ブルーズなのだ。しかもこの曲でジミヘンが弾くギターはバディ・ガイのそれに非常によく似ている。そのまんまだ。一説によればバディ・ガイにインスパイアされたとかなんとか。

 

 

バディ・ガイからジミヘンへ至る影響関係は繰返すまでもないだろう。面白いのは1970年のジミヘンの死後、バディ・ガイはこの早世した天才の後輩から逆影響を受けている。いろんな意味で明らかに聴けるのでこれは間違いない。特に90年代以後はそんな感じがかなり強くなってきているように思う。

 

 

それが最も露骨に出ているのが1993年リリースの『ストーン・フリー:ア・トリビュート・トゥ・ジミ・ヘンドリクス』という一枚。主にロック系の音楽家、あるいはなかにはパット・メセニーなんかもやっていたりする一枚なんだけど、バディ・ガイが一曲やっている。それが他ならぬ「レッド・ハウス」なんだよね。

 

 

その1993年のジミヘン・トリビュート・アルバム。全体的には全く面白くなかったけれども、四曲目で「レッド・ハウス」をバディ・ガイがやっているのだけが面白くて良かった。なにが面白いかって、ここでのバディ・ガイはギターもヴォーカルも完全にジミヘンになりきっているからだ。

 

 

 

先輩が後輩からのこれだけはっきりした逆影響をここまで正直に音で表現しているのは僕は聴いたことがない。そんでもってですね、プリンスの「ザ・ライド」は、最も直接的にはこのバディ・ガイ・ヴァージョンの「レッド・ハウス」が下敷になっているような感じに僕には聞える。

 

 

さてさて最初の方で書いたプリンスの全音楽生涯でたったの二曲しかないストレートなブルーズ形式の楽曲のもう一つ「5・ウィミン+」。これは1999年リリースのワーナー盤『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』収録の五曲目。これは何年録音とかパーソネルなどのデータがいまだにほぼ分らないもの。

 

 

なぜかというと『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』はワーナー盤だと書いたように、この時点ではプリンスは既にこの会社を離れていたのに、1999年になって突然ワーナーがアルバム・タイトル通り過去のお蔵入り音源から一枚にまとめてリリースしたもので、データなどはほぼなにも記載がないのだ。

 

 

『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』のジャケットは、プラスティック・ケースから取出すとペラペラの紙一枚だけ。それを開くと演奏者名などがズラズラと一覧で列記されているだけで、誰がどの曲で演奏しているかも分らないし、録音時期は「1/23/85から6/18/94の間」としか書かれていない。

 

 

既にワーナーと決別していたので手を抜かれたんだなあこりゃ。しかしこの『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』、音楽的中身はお蔵入り音源集とは思えないクォリティの高さで僕は大のお気に入り。いろいろ面白くて楽しめる曲ばかり。ラストの「エクストローディナリー」なんか絶品で、プリンスの全生涯でのバラード最高傑作だと断言したいほど素晴しい。

 

 

そんな『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』五曲目の「5・ウィミン+」。これも音源を貼って紹介できないのがもどかしいが、間違いなくB・B・キングの「スリル・イズ・ゴーン」なんだなあ。いろんな意味で瓜二つというか、はっきり言ってそのまんままコピーだと言っても過言ではない。

 

 

プリンスの方を紹介できないので、B・B・キングの「ザ・スリル・イズ・ゴーン」の方を貼っておく。かなりの有名曲だよね。プリンスの「5・ウィミン+」は BB のこのまんまだから、ご存知ない方もこんな感じの曲なんだと思っていただいて間違いない。

 

 

 

曲調も曲のキーもコード・チェンジも全体的なアレンジもクリソツなんてもんじゃないくらいの丸コピーなのだ。プリンスもよくやるよなあ。僕は最初に『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』を聴いていた時、五曲目の「5・ウィミン+」が鳴りはじめた瞬間に思わず笑っちゃったもんね。

 

 

これはある種のプリンス側から BB 側へのリスペクトとかトリビュート的なものだろう。さてさて最初の方で書いた「実はもう一曲あるんだ」というプリンスのブルーズは「ザ・クエスチョン・オヴ・U」で、1990年の『グラフィティ・ブリッジ』四曲目。形式は完全なるブルーズ楽曲ではないが、フィーリング的には<どブルーズ>。

 

 

いやまあフィーリングがなんてことを言いだしたらプリンスにもブルーズを感じる曲は相当に多い。大ヒット・シングルになった「KISS」(『パレード』から)。あれなんかコード進行がブルーズの3コードに則っているし、感覚的にもそうだし、間奏部のウェンディが弾くギター・ソロだってそうだ。

 

 

ところで「KISS」という曲。口にするいわゆる普通のキスではなく、間違いなくアレのことなんだと思うんだけど、そういえばこの曲がヒットしていた当時マドンナが「あんなこと歌うヤツなんて他にいないわよ!」って言ってたことがあるなあ。そういうマドンナだって『エロティカ』みたいなアルバムがあるし、そうでなくたって他人のこと言えないよね。わっはっは。

 

 

まあスケベなことを歌うってのはブルーズの伝統だけどね。あのポップなビートルズにすら「道でやろうじゃないか」(『ホワイト・アルバム』)なんていうそのまんまな曲があるし、初期のヒット曲「プリーズ・プリーズ・ミー」だって「悦ばせてくれ」ってのはそういうことだろうなあ。

 

 

さらにもう一曲、フィーリングとしてはこの一曲こそが最もブルーズだと思うのがアルバム『サイン・オ・ザ・タイムズ』一枚目一曲目のアルバム・タイトル・ナンバー。あれの途中から出てくるエレキ・ギターを聴直してほしい。どう聴いたってブルーズじゃないか。百歩譲ってもスーパー・ブルージーだよ、あのギターは。

 

 

「サイン・オ・ザ・タイムズ」という曲はAIDSのことなど当時の社会問題を歌ったものなんだけど、そんな深刻な歌詞内容をあんな曲調に乗せたような楽曲にしちゃうプリンスってのは、1970年代の例のニュー・ソウルの連中に非常によく似ているよね。重い内容を楽しくカッコいいソウルやファンクにするってやつ。そういうのが一流音楽家の証拠だと僕は思うね。

 

2016/09/18

忘れじのB級テナー・マン〜ティナ・ブルックス

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歴史を形作るような存在なんかじゃ全然ないんだけど、個人的に忘れられないB級音楽家ってのが誰にだっているだろう。僕にとってモダン・ジャズ・サックス界におけるそういう存在がソニー・クリスやティナ・ブルックスになる。ソニー・クリスはチャーリー・パーカー直系のアルト・サックス奏者。

 

 

ソニー・クリスがB級である最大の理由は、パーカーのように抑制が効かず、単なる垂流しのような演奏をしてしまうところ。それでもそこがまたなかなか悪くないと僕には思えちゃうから、好きだってことだなあ。音色は朗々とした艶やかなもので、ちょっぴりジョニー・ホッジズとかベニー・カーターみたいでもある。

 

 

ソニー・クリスの話はおいておいて、今日は最初に名前を出したもう一人、テナー・サックス奏者のティナ・ブルックスの話をしたい。僕にとっては本当に「忘れじの」という言葉がこれ以上似合うジャズ・マンもいないという人で、やはりB級、二流の人ではあるけれど、なかなか良い味のサックス奏者なのだ。

 

 

ティナ・ブルックスの話をする人は、それでもまあまあいるよね。だからB級テナーであるとはいえ、やはりそれなりにファンの多い人だ。しかしだいたいのみなさんが、ティナの生前にリリースされた唯一のリーダー・アルバムである『トゥルー・ブルー』について語っているようだ。

 

 

正直に言うと、僕はティナ・ブルックスのリーダー・アルバムはその他死後にリリースされた三枚も含め全四枚をCDリイシューされてからしか買って聴いていない。アナログ盤では一枚も聴いたことがかった。それなのにどうしてティナが僕にとって忘れじのテナー・マンかなのかには理由がある。

 

 

ティナ・ブルックスの活動期間は1951〜61年なんだけど、実質的には58〜61年のたった三年間だけだったと言っても過言ではない。その間、自身のリーダー名義録音はほんの少しブルー・ノートにあるだけなんだけど、他の有名ジャズ・メンのレコーディング・セッションにそこそこ参加しているんだよね。

 

 

ティナ・ブルックスがサイド・マンとしてレコーディングしたなかで最も有名なのは、おそらくフレディ・ハバードの1960年作『オープン・セサミ』だろう。僕もこれはかつて好きだった一枚。しかしそんな熱心に聴いていたわけでもないし、現在ではCDで買い直していないというような有様。名盤なのになあ。

 

 

だから僕はハバードの『オープン・セサミ』でティナ・ブルックスを憶えているわけではない。もう一枚有名なアルバムがある。ジャッキー・マクリーンの1961年作『ジャッキーズ・バッグ』だ。これの半分である三曲にティナ・ブルックスが参加。がしかしこれはジャズ喫茶で聴いていたものの、自分でレコードは買っていない。

 

 

その他ジミー・スミスとかケニー・バレルとかフレディ・レッドなどのリーダー作に参加しているティナ・ブルックスだけど、前者二人はともかくフレディ・レッドとかはやはり渋好みのジャズ・ピアニストだよなあ。僕は大学生の頃からフレディ・レッドのファンだけど、一般的人気はほぼないに等しい存在だ。

 

 

今まで書いた全てがブルー・ノート・レーベルへの録音。ティナ・ブルックスはたった一枚ソニー・トンプスンの1951年キング盤に参加している以外はブルー・ノートへの録音しかない。ちょっともったいぶった感じになったけれど、僕にとってティナがどうして忘れじのテナー・マンなのかというと、一枚の編集盤を溺愛していたせい。

 

 

それが1980年にブルー・ノートの日本現地法人がリリースしたジャッキー・マクリーン&ティナ・ブルックス名義の一枚のレコード『ストリート・シンガー』だ。1980年っていうと僕は大学一年生だった。その頃の<新譜>のような感じでこれがリリースされたのをレコード・ショップで発見したのだ。

 

 

店頭でアルバム・ジャケットを見て、それに魅せられてしまったのだった。『ストリート・シンガー』というアルバム・タイトルにも惹かれた。ティナ・ブルックスという名前は知らなかったがジャッキー・マクリーンは既によく知っていた。そんなこんなで、あ、いや、九割方はジャケ買いだったのだ。

 

 

ご覧の通りのアルバム・ジャケット・デザインに18歳の大学一年生が魅力を感じるってのは、今考えたらちょっと不思議な気がするけれども、当時の僕はこういうなんというか、ちょっと暗くてムーディーなものに惹かれる人間だったなあ、ジャズだけでなく、ミステリ小説でも映画でもなんでも。

 

 

買って帰って初めてティナ・ブルックスというテナー・マンを聴いたのだった。しかし前述の通り『ストリート・シンガー』はオリジナル・アルバムではなく、ブルー・ノート日本が制作したコンピレイション盤なのだ。当時僕がそれを分っていたかどうかは全く記憶がない。ライナーノーツに書いてあったかもしれない。

 

 

コンピレイション盤であるとはいえ、しかし『ストリート・シンガー』の参加メンバーは全曲同じ。ブルー・ミッチェル(トランペット)、ジャッキー・マクリーン(アルト)、ティナ・ブルックス(テナー)、ケニー・ドリュー(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、アート・テイラー(ドラムス)。

 

 

録音も全曲1960/9/15で、つまり同じ一つのレコーディング・セッションで録音されたものなのだ。この日のこのメンツによる録音全六曲から三曲だけがジャッキー・マクリーンの『ジャッキーズ・バッグ』になり、もう一曲がティナ・ブルックスの死後リリース『バック・トゥ・ザ・トラックス』に収録。

 

 

残る二曲は未発表のままになっていたもの。だからそれら一つのレコーディング・セッションで録音された全六曲を一枚にまとめたのがブルー・ノート日本制作の『ストリート・シンガー』なので、オリジナル・アルバムではなくコンピレイションであるとはいえ、ある意味オリジナルっぽいものなんだよね。

 

 

アルバム・タイトルになっているB面二曲目の「ストリート・シンガー」はティナ・ブルックスの書いたオリジナル・ナンバーで、これもティナ単独名義の死後リリース盤『バック・トゥ・ザ・トラックス』に収録されている。がしかしそのリリースは1998年なので、アルバム『ストリート・シンガー』収録の方が先だ。

 

 

最初に聴いた時から、アルバム『ストリート・シンガー』で二人参加しているサックス奏者のうち、ジャッキー・マクリーンよりティナ・ブルックスの方がチャーミングだなと僕は感じていた。アルトとテナーの違いはあるが、サックス奏者としての実力としてはどう聴いてもマクリーンの方が上なのに、どうしてだったんだろう?

 

 

『ストリート・シンガー』では収録曲のテーマ・メロディもかなりチャーミングだ。なかでも当時の僕が一番好きだったのがA面二曲目の「アポイントメント・イン・ガーナ」。これは『ジャッキーズ・バッグ』収録がオリジナルの一曲。

 

 

 

お聴きになれば分るように最初ゆったりとしたテンポで出て、そこでドラムスのアート・テイラーがタムを叩いているのが印象的。ガーナという言葉が曲名に入っているけれど、この出だしは、う〜ん、なんだかちょっぴりアフリカっぽいような?いや、全然そんなこともないね(苦笑)。

 

 

それでも18歳当時の僕がなんだかちょっとエキゾティックな、普通の一般的なハード・バップ・ナンバーには感じられない独特の雰囲気があるぞと感じていたのは事実なのだ。しかしテーマ吹奏部分ですぐにテンポ・アップしてしまい、その後のソロ部分もずっと4/4拍子のフラットな普通のジャズだ。

 

 

またA面ラストの「メディナ」(メジナ)。これは1980年に『ストリート・シンガー』に収録されるまで完全にお蔵入りしていたティナ・ブルックスのオリジナル・ナンバー。この曲にも魅力を感じていた。一番手で出るティナのテナー・ソロがなかなかいいよ。一瞬中近東風になる。

 

 

 

この YouTube 音源がどうして『ジャッキーズ・バッグ』のアルバム・ジャケットを使っているのかというと、同アルバムの現行CDにはこれがボーナス・トラックとして収録されているからだね。その他、この同じ1960/9/1録音の全六曲が、この現行CDには入っているんだなあ。

 

 

ってことは現在では『ストリート・シンガー』を買わなくても、三曲ボーナス・トラック入りの『ジャッキーズ・バッグ』現行CDを買えば、前者収録の全六曲が残らず聴けちゃうんだよね。一般のファンのみなさんはそれで充分ななずだし、是非そちらを買ってほしい。書いたように僕はジャケット・デザイン含め『ストリート・シンガー』の方に思い入れが凄く強いからね。

 

 

『ストリート・シンガー』はB面もいい。一曲目「ジャワ島」(アイル・オヴ・ジャヴァ)もティナ・ブルックスの書いた曲で、トランペット&テナーの二管によるリフに乗ってアルトのマクリーンがテーマ・メロディを吹き、その後そのままマクリーンのソロになる。そのバックで鳴っている二管のリフがいい感じにチャーミングだ。

 

 

 

これも『ジャキーズ・バッグ』のオリジナル・アナログ時代から収録されているのでそのジャケットだね。三番手で出るテナーのティナ・ブルックスが、そのソロの出だしで「メリーさんの羊」(Mary Had A Little Lamb)のフレーズを引用しているのが分る。これはいろんなジャズ・メンがよく引用する。

 

 

B面二曲目のアルバム・タイトル曲「ストリート・シンガー」にはイマイチ惹かれなかった僕だけど、その次のアルバム・ラスト「ア・バラード・フォー・ドール」は大好き。トランペットがリードする三管によるテーマに続き、ピアニストだけがソロを取る。

 

 

 

いかにもアルバムを締め括るに相応しいバラードで、『ストリート・シンガー』というアルバム自体前述の通り全曲同一メンバーによる同日録音なので、一種の「オリジナル」・アルバムだと言うべき趣の統一感のある作品。それはいいんだが、このアルバムで惚れたティナ・ブルックスのリーダー作について書く余裕がなくなってしまったなあ。

 

2016/09/17

ティト・プエンテのフジ・アルバム

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念のため最初に断っておくが、表題のようなものはない。僕の勝手な言草に過ぎない。

 

 

両親がプエルト・リコ人でアメリカのニュー・ヨークで生れ育ったラテン音楽界の巨人ティト・プエンテ。彼の残した録音にジャズやフィーリンがあると言っても誰も全く不思議に思わないだろう。アメリカで活動したんだからジャズ・ナンバーがたくさんあるし、ラテン・ジャズに分類されることすらあるもんね。

 

 

ティトはフィーリン・ナンバーも少しやっていて、僕が持っている数少ない音源のなかにただ一つ、ホセ・アントニオ・メンデス最高の名曲(だと僕は思っている)「ラ・グローリア・エレス・トゥ」がある。『ザ・コンプリート・78s』というCD二枚組が四つというシリーズに収録されているもの。

 

 

フィーリンは言うまでもなくキューバ音楽で、主に1940年代末〜50年代〜60年代初頭にかけて流行したから、ティトがそれの最大の名曲を採り上げることになんの不思議もない。同じ中米ラテン音楽なんだからね。しかし今日の記事タイトルのようにフジがあるというのは相当不思議に思われるかもしれない。フジは言うまでもなくナイジェリア音楽だ。

 

 

ラテン音楽は日本にも昔からファンがかなり多いから説明しなくてもいいだろうけれど、ナイジェリア音楽のフジはちょっと説明しておいた方がいいかもしれない。ナイジェリアで打楽器だけの激しい伴奏をバックに歌い踊るダンス・ミュージックのこと。起源はともかく流行したのはそんなに古いことではない。

 

 

フジの帝王といわれるシキル・アインデ・バリスターの音源はこんな感じ。僕が持っているフジのCDでもだいたい似たような感じのものが多く、もっとビートが激しいものだってかなりある。打楽器アンサンブルとヴォーカルだけなんだよね。

 

 

 

しかしナイジェリアでフジが流行しはじめるのはおそらく1960年代半ばじゃないかなあ。だから世界的に知られるようになったのはもっと遅いはず。アメリカのラテン音楽家ティト・プエンテはその頃には既に大活躍中だったし、ナイジェリアのフジのレコードを聴いていたかどうかも僕は知らない。

 

 

僕がフジだと感じたティト・プエンテの音源は、まずこの「オバタラ・イェザ」(Obatala Yeza)。それにしてもこの曲名、何語なんだ?スペイン語でもないよね?とにかく1957年録音で、『トップ・パーカッション』というティトのアルバムに収録。

 

 

 

正直言って僕はその『トップ・パーカッション』というアルバムを持っていなかった。僕が最初に「オバタラ・イェザ」を聴いたのは、『ジ・エッセンシャル・ティト・プエンテ』というCD二枚組ベスト盤に収録されているからだ。このアンソロジーには各種録音データがきっちり記載されているので助かる。

 

 

その『ジ・エッセンシャル・ティト・プエンテ』は2005年リリース。それで前掲の「オバタラ・イェザ」を聴いて、なんじゃこりゃ!?フジだぞこれは!とビックリしちゃったんだなあ。1957年録音ということはナイジェリア本国でもまだフジは流行しはじめていなかった時期のはずだしなあ。

 

 

僕はフジのような打楽器だけのアンサンブルみたいなものが昔から大好きで、普通は敬遠されることの多いジャズやロックにおける長いドラムスやパーカッション・ソロ部分なども結構好きで楽しめちゃうという性分。レッド・ツェッペリンの『永遠の詩』における「モビー・ディック」もかなり好き。

 

 

要するに僕は賑やかなリズムが好きなんだなあ。だからそれを奏でる中心パートである打楽器アンサンブルなどが好きなんだよね。これはおそらく小学生低学年の頃に父親のクルマのなかでマンボなどラテン音楽の8トラばっかり助手席で聴かされて育った刷込み効果なんだろうとしか思えない。

 

 

その後高校生の終り頃から自覚的に音楽に夢中になるようになっても、やはりラテン・ジャズやジャズ・ファンクなどリズムが賑やかで激しいものの方が圧倒的に好きで、だから名前を挙げて比較するのはちょっと違うだろうけれど、例えばビル・エヴァンスみたいな人の多くは昔からイマイチなんだよね。

 

 

とにかくフジに聞えるティト・プエンテの1957年録音「オバタラ・イェザ」。先に貼った音源をお聴きになればお分りの通り、ティトのリーダーシップのもと打楽器奏者だけによるアンサンブルと、その上に乗るヴォーカルだけで構成されている。ウッド・ベースも入っていることになっているけど、ぼぼ聞えない。

 

 

ただし1957年にティトがこういう音楽を創ったことそれ自体はそんなに物珍しくもないだろう。ロックその他の新興ジャンルはまだまだだけど、ジャズにならこういう感じのアフロ・キューバンで激しく賑やかな打楽器アンサンブルみたいなのは前からいろいろある。だいたい最有名曲の一つ「チュニジアの夜」がそうだよねえ。

 

 

「チュニジアの夜」と言えば、ちょっと時代が下ってアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの1961年作『チュニジアの夜』A面一曲目のタイトル・ナンバーがまさにそうじゃないか。僕はこのスタンダード・ナンバーではこのヴァージョンが一番好きなのだ。

 

 

 

今貼った音源をお聴きになればお分りの通り、メイン・テーマが出てくる前のイントロ部分でかなり激しいリズムのやり取りがあって、アート・ブレイキーの活発なドラミングとともに、誰が叩いているのか分らないクラベスが3−2クラーベを刻んでいるもんね。ウッド・ベースの音も聞える。

 

 

ただしこの「チュニジアの夜」は、その後テーマ・メロディが出てくると普通のアフロ・キューバン・ジャズになって、しかもラストのテーマ・メロディ演奏後のリー・モーガンとウェイン・ショーターの長い無伴奏カデンツァが聴き物だということになるんだろうね、普通のジャズ・ファンには。

 

 

僕なんかにはそのカデンツァ部分もさることながら、やはり前述のイントロ部分と、そしてやはり中盤でドラムスとパーカッションだけの演奏(ただしウッド・ベースだけは入っている)部分なんかの方が面白いと感じるんだけどねえ。ジャズ・ファンとしてはやや珍しい部類に入るのかなあ。

 

 

こんな具合で1950〜60年代は打楽器が活躍しリズムが賑やかなジャズみたいなのがたくさんあって、デューク・エリントンだって1956年に『ア・ドラム・イズ・ア・ウーマン』なんていうアルバムを創っているくらい。ただしあれはリズムそのものはさほど派手ではないんだけどね。ティトはラテン音楽界の人間なんだから打楽器が賑やかなものをやっても不思議ではない。

 

 

だけれども前掲ティトの「オバタラ・イェザ」は本当に打楽器とヴォーカルだけだもんなあ。いくらリズムが活発なラテン・ジャズの流行といっても、打楽器以外の楽器演奏が全くないようなものってのが、これ以外に当時のアメリカ音楽界にあったのかどうか、僕は無知にして分らない。

 

 

慌ててティトのアルバム『トップ・パーカッション』を買って聴いてみたらもっと驚いた。アルバム丸ごと全曲がかなり激しい打楽器アンサンブルとチャントだけで構成されているじゃないか。「オバタラ・イェザ」だけじゃなくて、管楽器が入るアルバム・ラスト12曲目の「ナイト・リチュアル」以外は全部そうなんだ。

 

 

僕が打楽器アンサンブルとヴォーカルだけでできている音楽を初めて聴いたのがナイジェリアのフジであって、それはCD時代になってからで、おそらくは1990年代半ばか末頃のことだった。ナイジェリアにはジュジュがあって、キング・サニー・アデは前から言っている通り僕にとっての目覚めの恩人。

 

 

しかしキング・サニー・アデの『シンクロ・システム』その他は、確かにトーキング・ドラムを含む打楽器中心の構成で、アフリカのポリリズムの面白さ、その神髄みたいなものを教えてくれたものだったとはいえ、それは打楽器しか楽器が使われていないなんてものではない。だいたいサニー・アデはギタリストだ。

 

 

そういやトーキング・ドラムもサニー・アデの『シンクロ・システム』で初めて聴いた。何度も書いている通り24歳の時に深夜のFMラジオから「シンクロ・フィーリングズ〜イラコ」が流れてきた時は、この音程が変化するヒュンヒュンという音はいったいなんなのか不思議だった。

 

 

その話はいい。1957年にティト・プエンテが打楽器アンサンブルにヴォーカルを乗せただけというアルバムを創ったのがいったいどういう動機だったのか、それには参考にしたものがあるのか、そのあたりがサッパリ分らないよなあ。無から産まれるものなんてないんだからなにかあるはずだ。

 

 

あるいは最初からティト・プエンテ自らもティンバレスを叩いて(この楽器が後のサルサなどで花形楽器になったりしたのは間違いなくティトのおかげ)リズムが賑やかな音楽をやるような人だから、突然変異のように見えても実は必然的変化だったということなのか。でもねえ、僕の聴いた範囲ではティトの作品でも他に見当らないもんなあ、こんなのは。

 

 

ティトの『トップ・パーカッション』は1957年だからナイジェリアにおけるフジの流行よりも早いはず。1960〜70年代以後のフジの世界的流行(と言ってもいいのかどうかはよく分らないが)の後は、こんな音楽がいろいろと誕生しているけれど、57年はかなり早いよなあ。ひょっとして世界初のフジじゃないのか?

 

 

もちろんティトの『トップ・パーカッション』は今日の記事タイトルにあるようなフジ・アルバムではない。アフロ・キューバンな打楽器アンサンブル+チャントという音楽で、ルーツはアフリカにあるのかもしれないが、ティトも直接的にはキューバ音楽を参考にして創ったんだろう。

 

 

まあいいや。双方とも好きなのにティトのこともフジのことも分っていない僕にはこの話は無理だった。だいたいティトの『トップ・パーカッション』は事情通にはフジに聞えないだろうしね。どちらもよくご存知の方に是非とも膨らませていただくか訂正していただきたい。ティトのやるジャズやフィーリンの話はまた改めて後日。

 

2016/09/16

マイルス・ファースト・クインテットの実力

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マイルス・デイヴィスが1956/5/11と同10/26にプレスティッジに録音した全26曲。このいわゆるマラソン・セッションからご存知四枚のレコードが誕生した。リリース順に『クッキン』『リラクシン』「ワーキン」『スティーミン』。これらがアクースティック・マイルスではある意味最も良い。

 

 

アクースティック・ジャズ時代のマイルスで一番良いものは、いやいや『カインド・オヴ・ブルー』周辺だとか、1960年代中期のライヴ録音だとか、それと同一リズム・セクションによる65〜68年までのスタジオ作品、なかでも『ソーサラー』『ネフェルティティ』だとかいろんな声があるよね。

 

 

そんないろんな声のうち、『ソーサラー』『ネフェルティティ』がアクースティック・マイルスでは一番優れている、ジャズの極地だとする意見は結構あるけれど、個人的にはこれに全くうなずけない。この話は悪口に、それもマイルスにではなく、そういうファンの方々への悪口になってしまうのでやめておく。

 

 

ある時油井正一さんは、長年1955年結成のマイルス・ファースト・クインテットこそが一番凄いと思っていたけれど、最近は1960年代中期のセカンド・クインテットの方がもっと凄いと実感するようになったと書いていた。僕の場合はこの油井さんの完全に逆パターンを行っているんだなあ。

 

 

すなわち僕は長年1960年代中期のハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズ時代こそがアクースティック・マイルスでは最も凄いもので、それはスタジオ作ではなくライヴ・アルバムで強く実感していた。サックス奏者はジョージ・コールマン、サム・リヴァース、ウェイン・ショーターと交代するけれども。

 

 

それに比べたら1956年にプレスティッジに録音された前述四枚になったマラソン・セッションはまだまだなんだか緩いじゃん、大したことないじゃんねえと思っていたのだが、ここ五・六年はこの印象が完全に逆転していて、それら四枚のプレスティッジ盤こそ一番優れていると感じはじめているのだ。

 

 

これはファースト・クインテットの実力にようやく初めて気付き、かつての油井さんのような気持になってきたのか、あるいは単なる趣味嗜好の変化なのか、自分でもちょっと分らない。でも前述マラソン・セッションから誕生した四枚のプレスティッジ盤を聴くと、なんだかこれはかなり凄い音楽だぞと実感するのだ。

 

 

それらマラソン・セッションの全26曲が全てファースト・テイクで収録されたものだ(ということになっている)というのもそんな印象に拍車をかけている一因。簡単な打ち合せと音出しだけのたった一回のテイクでそれら全曲が録音されたというのが本当なら、このバンドの実力レヴェルはとんでもなく高い。

 

 

例えば10/26のセッションで最初に録音された「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」(『リラクシン』)。お聴きになれば分るように「曲名は後で教えるよ」とイジワルなことマイルスが言って指を鳴らしてカウントを取って演奏がスタートする。

 

 

 

僕が感心するのは最初のマイルスによるテーマ吹奏の際のリズム・セクションの動き、特にレッド・ガーランドの入れるピアノ伴奏の絶妙さだ。マイルスの吹くメロディのほんの一瞬の隙間に、これ以外のタイミングもなくこれ以外の音もありえないというシングル・トーンをコンと入れている。

 

 

さらにマイルスのソロが終ってジョン・コルトレーンのソロに移行する瞬間にもレッド・ガーランドが一音コンと叩いて入れていて、その絶妙さたるや舌を巻く。続く三番手で出る自らのピアノ・ソロもいい内容。最初シングル・トーン弾き、次いでブロック・コード弾きになるといういつものお馴染みパターンだ。

 

 

そしてこの「イフ・アイ・ワー・ベル」で僕が最も見事だと思うのは、そのピアノ・ソロが終了して再びマイルスによるテーマ吹奏になるその直前のほんの一瞬だけバンドの演奏が止った瞬間に、またしても一音コンと叩いて入れているね。たった一つのシングル・トーンでああまで絶大な効果をバンド全体にもたらす人を、僕は他に知らない。

 

 

その他「イフ・アイ・ワー・ベル」ではレッド・ガーランドもポール・チェンバースもフィリー・ジョー・ジョーンズも全員巧妙なバッキングで、これ、譜面化されたアレンジなしはもちろんのこと、本当にリハーサルなしの一回テイクで完成したものだったのだろうか?どうやら本当らしいので、俄に信じがたいことなんだなあ。

 

 

これは分りやすい一例をあげただけで、マラソン・セッションで収録された全26曲全て同じように本当に一回テイクでの収録なのか?と疑いたくなるような巧妙な演奏ぶりだよね。特にリズム・セクションの三人の動きが絶妙で、ここで出す音はこれ以外ありえないという完成度の高い演奏をしている。

 

 

マラソン・セッションでは全部の曲が譜面化されたアレンジなしの一発勝負だったということになっていて、確かにそうだったんだろう。ほぼ全てがね。「ほぼ」というのは、譜面化されていたかどうかはともかく、事前にアレンジされていたであろうと僕には思えてならないものが実は三曲だけあるのだ。

 

 

それは『リラクシン』の「ウッドゥン・ユー」(https://www.youtube.com/watch?v=tyfmCF0k5KY)、『スティーミン』の「ウェル、ユー・ニードゥント」(https://www.youtube.com/watch?v=JQAz2I2c_ws)、『ワーキン』の「ハーフ・ネルスン」(https://www.youtube.com/watch?v=IZ5U4sMYTWA)。

 

 

これら三つはお聴きになれば分るように、各人のソロが終って最終テーマ吹奏になる直前にマイルスとコルトレーンが一つのリフをユニゾン合奏していて、しかもリズム・セクションもそれに合せた演奏になっている。お聴きになってどうだろうか?僕にはヘッド・アレンジだけでは不可能なものに聞える。

 

 

しかもそのホーン二管がユニゾンで奏でるリフは事前の口頭での打ち合せだけでも難しいような感じで、これはあるいはひょっとして譜面化されていたんじゃないか、その可能性が少しはあるんじゃないかと僕は最近考えるようになっている。しかしこの意見はマラソン・セッションに関する定説を完全に覆すものだ。

 

 

おそらく世界中で誰一人として、そんな事前の譜面化されたアレンジが(たった三曲だけとはいえ)あったなんてことは言っていない。少なくとも僕は一行たりともそんな意見は読んだことがない。まあおそらくはいつもの調子で僕だけが勝手気ままに抱いている妄想のようなものかもしれないけれどもね。

 

 

実はもう一曲だけ事前の周到なアレンジがあった、そしてそれは僕だけじゃなくおそらくみなさんそれに納得していただけるだろうものがある。それは10/26録音の「ラウンド・ミッドナイト」だ。えっ?と思われるだろうね。これはあの “in’” 四部作には収録されていないものだからだ。

 

 

その「ラウンド・ミッドナイト」は1959年リリースのプレスティッジ盤『アンド・ザ・モダン・ジャイアンツ』に収録されている。このアルバムはマイルスとセロニアス・モンクが共演した1954/12/24のクリスマス・セッションでの録音が中心。それにどうして一曲だけ違うのが混じっているんだろう?

 

 

録音年月日や演奏メンバーが違っているのは「ラウンド・ミッドナイト」一曲だけだもんなあ。二日間のマラソン・セッションで録音されたもののうち、いわゆる “in’” 四部作に収録されていないのはこれだけだ。そしてその「ラウンド・ミッドナイト」は1955年コロンビア録音と完璧に同じアレンジ。

 

 

もちろんコロンビア録音の方が約一年も早い。しかもそれはご存知の通り事前の周到なアレンジがあったカッチリとした演奏。そして約一年後のプレスティッジへのマラソン・セッションでの同一メンバーによる同曲演奏でもほぼ完全に同じアレンジで演奏しているのだ。ほぼ同じだからコロンビア録音だけで充分なんだけどね。

 

 

そういう「ラウンド・ミッドナイト」はだからいわば例外なのだが、それ以外でも前述の三曲は事前のアレンジ譜面があっただろうとしか僕の耳には聞えないし、それら以外はまあおそらくやはり定説通り簡単なヘッド・アレンジだけでの一発テイクでの録音だったんだろうね。そしてそれら全て完成度が高い。

 

 

その完成度の高さは、具体的に「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」について説明したように、他の曲の演奏でも同様な、あたかも事前に練り込まれていたかのようなもので、だからそれらほぼ全てが一発テイクイクで完成したとなると、やっぱり書いたようにこのファースト・クインテットの恐るべき実力を実感するんだなあ。

 

2016/09/15

オーティス・ラッシュ、君から離れられないよ

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弾いたり歌ったりはもうできないみたいなんだけど、存命のオーティス・ラッシュというブルーズ・マン。その腕前のわりには録音数が極端に少なくて、特に全盛期のものはたった16個のシングル曲しかない。ってことは要するにシングル盤八枚だけってことだ。う〜ん、なんなんだこの少なさは?

 

 

同じようなブルーズ・マンであろうマジック・サムもかなり少ないけれど、彼の場合は早死にしちゃったからだ(32歳没)。それでもマジック・サムは一応LPアルバムを生前にも二枚だけとはいえ残している。これまた同じような人であろうバディ・ガイとなると、たくさんレコードやCDがあるもんなあ。

 

 

これらオーティス・ラッシュ、マジック・サム、バディ・ガイの三人は僕のなかではイメージが重なっていて、ほぼ同じような位置づけのブルーズ・メン。これは僕だけでなく、一般的にそう見做されているはずだ。同じ1950年代後半にシカゴのブルーズ・シーンに登場し、新世代として活躍した人達だからだ。

 

 

それまでのシカゴ・ブルーズ・シーンの中心人物といえばマディ・ウォーターズとハウリン・ウルフが代表格かなあ。マディの場合はご存知ミシシッピ・デルタ出身で、その南部的ダウン・ホーム感覚を活かしたようなエレクトリック・バンド・ブルーズで人気を博した。ウルフもミシシッピ出身でやはりかなり泥臭い。

 

 

だから戦後のシカゴ・ブルーズ・シーンが活気づいたのは、いわば南部的に泥臭いダウン・ホームな感覚のエレクトリック・バンド・ブルーズによってのことだった。僕なんかは今でもそっちの方が好きだったりするんだけど、それが1950年代後半あたりから新世代が出現しちょっと様子が違ってくる。

 

 

そんなシカゴ・ブルーズに新鮮な風を吹込んだ新しい世代の代表格が前述のオーティス・ラッシュ、マジック・サム、バディ・ガイの三人ということになるんだろう。今日はシカゴ・ブルーズ・シーンの刷新みたいなことにはあまり触れず、その三人のうち最初のオーティス・ラッシュについてだけ話をするつもり。

 

 

最初に書いたように特に良い時期の録音がたったのシングル盤八枚だけしかないというオーティス・ラッシュ。その16曲がみなさんご存知コブラ・レーベルへの録音。書かないと言いながらやっぱり書くと、マジック・サムもコブラでデビュー、バディ・ガイもコブラの傍系レーベルからデビューした。

 

 

そういうわけなので一層この三人はイメージが重なってしまうんだなあ。同じような時期にはフレディ・キング、ちょっと時期は遅いがルーサー・アリスンなども同じようなシカゴ・ブルーズ新世代なんだけど、この二人よりも前述の三人のブルーズ・メンのイメージがピッタリと重なるのはそういうわけなのだ。

 

 

それにしてもオーティス・ラッシュのコブラ録音がたったの16曲しかないってのは、その内容を聴けば大変にレヴェルの高い優れた宝石なだけに、なんだか悔しいというか、いや逆にそれだけ貴重さが増すというか、でも僕はやっぱりこの人の優れた録音をもうちょっとたくさん聴きたかったなあ。

 

 

どうしてオーティス・ラッシュの一番良い時期がコブラ時代で、それもたったの16曲しかないのかというと、コブラはイーライ・トスカーノという人がシカゴはウェスト・サイドで立ち上げた新興レーベルで、ラッシュも1956年にここに録音をはじめるが、このトスカーノという人は賭博師なのだ。

 

 

それで録音したミュージシャンに殆どギャラを払わず、もっぱらギャンブルに注ぎ込んで借金を抱えてしまい、ってことは要するにヤクザの世界と関わって1959年にトスカーノは殺される。コブラ・レーベルもそのまま自然消滅してしまった。そんな会社だったのでラッシュも(その他も)録音が少ないのだ。

 

 

でもオーティス・ラッシュ以外にもコブラにはそこそこの数の録音があって、何年だったかコブラのシングル曲を集めた完全集ボックス・セットも出たなあ。僕も持っているがおそらく殆ど聴いていない(苦笑)のはなぜだろう?だからそのコブラ・シングル曲集ボックスにラッシュがあったのかどうかも憶えていない。

 

 

また時間のある時に部屋のどこに置いてあるのかも分らなくなっているコブラ・シングル曲集ボックスを、カオス状態の平積みCD山脈のなかから掘出してちゃんと聴いてみて、なにか気が付いたことがあれば書くかもしれない。確か『ザ・コンプリート・コブラ・シングルズ』とかそんなタイトルだったよなあ。

 

 

コブラのシングル曲完全集なら当然オーティス・ラッシュだって入っているはずではある。まあ暇な時に確認してみるとしよう。ともかくオーティス・ラッシュのコブラ・シングル録音は非常に評価が高いので、もちろん彼名義の単独アルバムになっている。LPレコードで既にあったし当然CDにもなっている。

 

 

オーティス・ラッシュの名前は大学生の頃から知っていた。なぜならばこれまたレッド・ツェッペリンやエリック・クラプトンがカヴァーしているからだ。ホントこのあたりのUKブルーズ・ロック勢には、その音楽的ルーツになったシカゴの電化バンド・ブルーズをたくさん教えてもらったなあ。みなさん同じだろう。

 

 

エリック・クラプトンはブルーズブレイカーズで「オール・ユア・ラヴ」をやっているし、レッド・ツェッペリンはファースト・アルバムで「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」をやっている。だからこの二曲はアメリカ黒人ブルーズに強い興味のないロック・リスナー(そんな人いるの?)だって全員知っている。

 

 

しかもレッド・ツェッペリンは彼らにしては珍しくファースト・アルバムB面収録の「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」(邦題「君から離れられない」)を、ちゃんとウィリー・ディクスンの名前を出してクレジットしている。A面の「ユー・シュック・ミー」もそうしているよね。

 

 

どういう風の吹回しだ、ジミー・ペイジ(笑)。これは二曲ともウィリー・ディクスンだからなんてことではない。シカゴ・ブルーズ・シーンの<裏ボス>的存在とも言うべきディクスンが書いていろんなブルーズ・メンがやった他の曲をパクったものは全然クレジットしていないもんね。例えば「胸一杯の愛を」も自作扱いになっている。

 

 

だからどうして「ユー・シュック・ミー」と「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」でだけウィリー・ディクスンの名前を最初からクレジットしていたのか、ジミー・ペイジの心境がちょっと分らないのだが、ともかくそういうわけでこれを初めて聴いた高校生の頃からカヴァー曲なんだなとは分っていた。

 

 

でも高校生の時は書いてある「ウィリー・ディクスン」が全然分らず、誰が歌ったのかも知らず調べもしなかった。調べてみたのが大学生になってからで、それでようやく「ユー・シュック・ミー」はマディ・ウォーターズ、「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」はオーティス・ラッシュと知った。

 

 

だいたい高校生の頃はウィリー・ディクスンと書いてあるこの名前の人物が歌っているのかなあと思っていたくらいだったもんなあ。ともかくそれでマディとかオーティス・ラッシュもレコードを探してみたのだった。マディの話はおいておいて、ラッシュはPヴァインが一枚のレコードを出していた。

 

 

それが「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」を含むコブラ録音集で、これこそがオーティス・ラッシュという人の最高傑作集なんだぞという意味のことがライナーノーツに書いてあったような気がする。しかし既に大好きだったB・B・キングのような魅力は当時の僕には感じられず。

 

 

そりゃそうだろうなあ、当時はジャズのレコードばっかり買っていて、ジャズ・メンのやるブルーズが大好きだったんだから、B・B・キングみたいなかなり洗練されたサウンドの持主なら分りやすかったけれど、オーティス・ラッシュはなんだかとぐろを巻いているようで、しかも暗い。

 

 

暗いというイメージは今でも全く同じ。だってオーティス・ラッシュはマイナー・キー(短調)のブルーズばっかりなのだ。ブルーズ・スケールって長調でも短調感があって、そもそもメジャーなのかマイナーなのかどっちなんだか分らないような部分にこそ魅力があると思うのに、それをマイナー・キーとはなあ。

 

 

僕の場合メジャー・キーのブルーズこそが「ホンモノ」だなんて長い間信じ込んでいて(でもこれ、戦前ブルーズをたくさん聴いている方なら共感していただけるかも)、メジャー・ブルーズのなかに短調的な物悲しくて憂鬱な感じ、すなわちブルージーなフィーリングが感じ取れるのが大好きでたまらないという人間(僕のショーロ好きも、そして告白するがモーツァルト愛好者なのもこの理由)。やっぱり絶対量としてはメジャー・ブルーズの方が多いからなあ。

 

 

だからオーティス・ラッシュ(やその他)みたいなマイナー・ブルーズばっかり、でもないんだがとにかく多い人は長い間苦手だった。メジャー・キーですら物悲しく感じるのがブルーズなのに、それをなにもマイナー・キーでやらなくたっていいだろう、暗い、暗すぎるぞと聴く度に感じていたのだった。

 

 

「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」でもレッド・ツェッペリン・ヴァージョンの方は大好きだったのがなぜなのか長年分らなかったのだが、随分と後になって彼らは1956年コブラ録音オリジナルではなく、66年ヴァンガード録音ヴァージョンの方を下敷にしていることを知ったのだった。同じようなものではあるけれども。

 

 

そんな僕がオーティス・ラッシュのコブラ録音集を本当にいいなあと感じるようになったのはCDリイシューされてから。最初どこが出したのか憶えていないコブラ録音集CD(ひょっとしてそれもPヴァイン?)を買って聴いていたんだけど、2000年になってPヴァインがしっかりとしたものをリリースしてくれた。

 

 

それが『アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー:ザ・コブラ・セッションズ 1956-1958』。これにオリジナル・シングル曲全16曲に加え、それらの別テイク11トラックも収録されていて、これこそオーティス・ラッシュのコブラ録音集の決定盤。これでハマってみると離れられなくなっちゃった。

 

 

まさしく曲名通り、君から離れられないよオーティス・ラッシュ!となってしまった。それが僕の場合20世紀から21世紀の変り目あたりのこと。遅いよなあ。暗すぎるのがいい感じに聞えるようになってきた。オーティス・ラッシュはマイナー・キーでのスロー・ブルーズが流行する先駆者みたいな人だったんだよなあ。

 

 

マイナー・キーでもエリック・クラプトンその他大勢がやっている「オール・ユア・ラヴ」はスローではなくラテン調のリズム・アレンジで、しかもそれが後半8ビート・シャッフルに移行し、その部分はメジャー・キーでやり、最後に再びマイナーのラテン調に戻って終るというかなり面白い一曲だ。

 

 

 

「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」でオーティス・ラッシュから離れられなくなった僕も、今では「オール・ユア・ラヴ」の方により強い魅力を感じる。ファンはみんな彼のギターのこと、しかもチョーキングを多用するスクイーズ・スタイルをステキだと言うけれど、僕はヴォーカルの方が好きだ。

 

 

なぜかと言うとオーティス・ラッシュの喉には明らかにゴスペルの影響が感じられるからなのだ。彼がソウル歌手みたいにゴスペル界出身なのかどうかは僕は知らないんだけど、歌い方を聴いたら絶対にそのヴォーカル・スタイルはゴスペル由来だろうと分るものなのだ。メリスマの効いたコブシ廻しがね。

 

 

一番有名な「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」。現行Pヴァイン盤一曲目のマスター・テイクが最高だが、CD終盤にその前に録音された別テイクが二つ収録されている。どっちもギターを中心にその他楽器伴奏によるイントロ付き。それに対しマスター・テイクはいきなりヴォーカルからはじまっているよね。それがいいんだ。

 

 

これはマスター・テイクも楽器イントロがあったのをカットしたのか、あるいはそもそも演奏時からそうなっていたのかは分らないが、ともかくプロデューサーでもあったウィリー・ディクスンの慧眼だね。あの出だしいきなりのシャウトで心を奪われてしまうもん。ディクスンもあのヴォーカルに目を付けたに違いないし、僕も多くのファンもそうに違いない。

 

 

2016/09/14

スライのふにゃふにゃファンク

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スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンに関する文章の八割は『スタンド!』と『暴動』とシングル曲「サンキュー」について書いてある。八割は大袈裟なんだけど、そう言いたくなるほど多いのは確かだ。この三つについては本当に多くの言葉があるので、僕が書く必要なんてないだろう。

 

 

だから殆ど書くつもりもない。う〜んとまあ1971年の『暴動』(ゼアズ・ア・ライオット・ゴーイン・オン)についてだけは、翌72年録音のマイルス・デイヴィス『オン・ザ・コーナー』と関係付けるとちょっと面白いことがあるし、それに関してはあまり文章を見ないので書くかもしれない。

 

 

そんな『暴動』と『オン・ザ・コーナー』の関係などについて書くとしても、ずっと先の話だ。っていうのは僕はあの『暴動』があまり好きじゃない。大傑作との評価が定着しているアルバムだけど、どうもああいったヘヴィーでダウナーでダークなファンク・ミュージックは聴いていてちょっとしんどい。

 

 

『暴動』よりは次作1973年の『フレッシュ』の方が僕はまだ好き。でもやっぱりアレもイマイチなんだなあ。だから僕にとってのスライとは1969年12月リリースのシングル曲「サンキュー(ファレッティンミ・ビー・マイス・エルフ・アギン)」までの人。アッパーな音楽の人っていう印象が強いんだなあ。

 

 

アッパー・ファンクの音楽家スライの最も優れた時間を捉えた作品は、僕の考えではスタジオ作ではなく、1969/8/17のあのウッドストック・フェスティヴァルでのパフォーマンスになる。今ではスライだけのライヴ音源が『ザ・ウッドストック・エクスピアリエンス』というCDになってリリースされている。

 

 

『ザ・ウッドストック・エクスピアリエンス』は一枚物ではなく、なぜだかスタジオ作『スタンド!』と抱合わせでの二枚組。商売としてだけでなく音楽的な意味でもちょぴり理解できないわけではない組合せだけど、『スタンド!』はみんな持っているわけだから必要ない。一枚物CDにしてもっと安くしてほしかった。

 

 

『ザ・ウッドストック・エクスピアリエンス』二枚組の一枚、ウッドストック・フェスティヴァルでのスライのパフォーマンスは本当に鳥肌ものの興奮で、もしまだお聴きでない方には是非オススメしておきたい。この約50分間のパフォーマンスこそ、スライの全音楽人生で最高の時間だったと断言したい気分。

 

 

そんな『ザ・ウッドストック・エクスピアリエンス』の話も今日はしないつもり。スライのアルバムで僕が生まれて初めて買ったのは『グレイテスト・ヒッツ』。ベスト盤なんだけど、そのつもりで買ったのではない。ファンクの聖典「サンキュー」がこれにしか入っていなかったからだ。

 

 

1969年12月リリースのシングル曲「サンキュー」は、当時進行中だった新作アルバムに収録するつもりもあったらしいのだが、その予定の新作は結局完成しなかったので、翌70年11月リリースの『グレイテスト・ヒッツ』に収録されたのだった。だから長年このアルバムでしか聴けなかったんだよね。

 

 

『グレイテスト・ヒッツ』には「サンキュー」と同様な事情のシングル曲「エヴリバディ・イズ・ア・スター」「ホット・ファン・イン・ザ・サマータイム」も”新曲”として収録されているし、それら三曲に加えアルバム『スタンド!』までの傑作の多くが入っているので、スライ入門にはオススメの一枚。

 

 

CD時代になってからはスライのベスト盤も各種あって、それらのことごとく全てに「サンキュー」は収録されている(はずだ、そうじゃないスライのベスト盤なんて考えられないから)なので、別に『グレイテスト・ヒッツ』でなくてもいいだろうけれど、ある意味オリジナル・アルバムとして扱うべき一枚だからなあ。

 

 

そんな「サンキュー」や『グレイテスト・ヒッツ』やその前作の『スタンド!』についても今日はこれ以上は書かない。だってみなさんいろいろと褒めているからね。僕も書くネタがなくなればやっぱり書くかもしれないが、現時点ではその必要はない。今日はそれ以前の作品の話をしたいのだ。

 

 

というのは僕にとって長年『スタンド!』と「サンキュー」の人だったスライについて、最近はその前の時代の方が面白いかもしれないと感じはじめている。『スタンド!』以前のスライのアルバムは全部で三枚。『新しい世界』(ア・ホウル・ニュー・シング)『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』『ライフ』。

 

 

スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン結成後第一作のエピック盤(スライは全部エピック)である1967年の『新しい世界』。”A Whole New Thing” とはこりゃまた大きく出たもんだなあというタイトルだ。「(今まで誰も聴いたことのない)全く新しいもの」という意味だからなあ。

 

 

でも『新しい世界』は売行きが全くかんばしくなかったらしい。それは納得できる内容だ。キャッチーなポップさみたいなものがかなり薄いもんねえ。しかし今、虚心坦懐に聴直すと音楽的にはかなり面白い面もあるんじゃないかなあ。この頃のスライはソウル〜ファンクよりもロック色の強い音楽家だったのも分る。

 

 

スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンを結成する前のスライは、主にDJ兼プロデューサーで、しかもサン・フランシスコのいわゆるベイ・エリアで活動していた(生れはテキサス)。1960年代半ばのベイ・エリアと言っただけで、どんな文化で育ったのか想像できちゃうよね。

 

 

つまり黒白混合、自由でなんでもありのミックス・カルチャーの真っ只中にいて活動していたのがスライという人。実際DJとしてもプロデューサーとしても、リズム&ブルーズやソウルと同じくらいロックやポップスも手がけていたらしい。そんな人なわけだから、自分のバンドでのデビュー作がそうなっているのも納得なのだ。

 

 

だから熱心でピュアな(ってなに?)黒人音楽賛美主義者のみなさんはスライの第一作『新しい世界』もあまり面白いとは思わないだろう。僕も長年そうだった。ところが最近聴き返してみると、例えば一曲目「アンダードッグ」、二曲目「イフ・ディス・ルーム・クッド・トーク」だって興味深いものだ。

 

 

それら二曲の最大の特徴はフォークロア的なというか民謡的というかわらべ唄のようなメロディが使われているところ。「アンダードッグ」も「イフ・ディス・ルーム・クッド・トーク」も、冒頭でいきなり鳴りはじめるホーン・アンサンブルはそんな雰囲気の素朴な旋律だ。これが後年トレード・マークになるよね。

 

 

また『新しい世界』でこれまた後年のトレード・マークになるマイク・リレーが聴ける。最も顕著なのが四曲目「ターン・ミー・ルース」で、しかもこの曲はサザン・ソウル的ジャンプ・ナンバーだ。サザン・ソウルといえば続く五曲目「レット・ミー・ヒア・フロム・ユー」はサザン・ソウル・バラードだ。

 

 

ロック的という意味では七曲目「アイ・キャント・メイク・イット」が一番面白い。この1967年頃のビートルズとフランク・ザッパを足して二で割ったような感じなんだよね。八曲目「トリップ・トゥ・ユア・ハート」は、曲名が示す通りこの時代らしくサイケデリックなロックというかソウルというか。

 

 

『新しい世界』の2007年のリイシューCDに(同年に全作品がリイシューされた)は、ラスト17曲目に「ユー・ベター・ヘルプ・ユアセルフ」というインストルメンタル・ナンバーがある。これまた面白いんだよね。ソウル・ジャズ〜ジャズ・ファンクをポップにしたみたいなもので、疾走感もあっていいなあ。

 

 

さて面白さを今では感じるが当時は売れなかったらしい『新しい世界』に続く二作目1968年の『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』になると、一曲目のアルバム・タイトル曲でいきなりスーパー・キャッチーなポップさとグルーヴィーさが全開だから、こりゃ絶対になにかあったに違いない。

 

 

 

なにかというのはスライとバンドのなかでの必然の音楽的変化というよりも、いやまあそれもあっただろうが、もっと別の、例えばエピックの親会社コロンビアからの「もっと売れるものを創れ」みたいなものがあったかもしれない。そう考えないと理解しにくい変貌ぶりだ、あの一曲目「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」は。

 

 

一曲目でシングル盤にもなってヒットしたらしい「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」は、そもそもこの曲名からして分りやすくアピーリングだし、冒頭で鳴りはじめるホーン・セクションのファンキーなかっこよさと言ったらないね。そう思った次の瞬間に伴奏がやんでハミングになったりするのも面白い。

 

 

そのハミング部分が終るとテーマ・メロディを歌いはじめ、お馴染みのマイク・リレーになり、しかし伴奏リズムが賑やかになったり止りかけるように静かになったりするという、スライの音楽ではお馴染みのスカした感じがもう全面展開していて、聴いていて腰が動いて最高に楽しくてたまらない。

 

 

しかもなんだか低音シンセサイザーみたいな音でブンブンというかブツ切りにしたみたいなサウンドが聞えるんだけど、これはラリー・グレアムがエレベにファズをかけて弾いているんだろうね。まるでちょっと打楽器のようなベースの弾き方だから、後に「サンキュー」で一世を風靡するスラップ(チョッパー)奏法の先駆けだ。

 

 

「音楽に合わせて踊れ!」という曲名といい、曲のグルーヴィーさといい、ポップでキャッチーで親しみやすいフィーリングといい、「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」という曲はスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンと1960年代後半の聴衆にとってのアンセムみたいなもんだよなあ。

 

 

今の僕にとってはシングル「サンキュー」でもなければアルバム『スタンド!』収録曲のどれでもなく、「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」こそがいろんな意味でスライのシンボリックで最高の一曲であるように聞える。中間部でのシンシアのシャウトもいいこと言ってるなあ。

 

 

こんな「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」に非常によく似た曲が次作1968年の『ライフ』にある。10曲目の「マ・レディ」だ。聴けば誰でも分ることだけど、「マ・レディ」は「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」のヴァリエイションであって、いわばヴァージョン・アップ版なんだよね。

 

 

 

「マ・レディ」の方が「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」よりもある意味カッコよくてグルーヴィーだ。だからアップデイト版なんだけど、曲名や歌詞や冒頭のシャウトやメロディが持つシンボリックなニュアンスは薄くなっている。その分かえって聴きやすく、グルーヴ感も「音楽」としては上と言えるかもしれない。

 

 

ところで「マ・レディ」では歌がはじまると同時にエレキ・ギターのカッティングが聞え、それが相当にカッコイイ。しかもなんだか肉厚というかファットな感じだ。誰が弾いているんだろう?「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」でも聞えたけれど、「マ・レディ」ほどにはカッコよくないからなあ。

 

 

「マ・レディ」でのそのグルーヴィーでファットなギター・カッティングはスライなのか?フレディ・ストーンなのか?おそらくフレディなんだろうと僕は推測しているんだけど、どこにもクレジットがないし、紙データでもネット・データでも確たる情報がないし自信がない。凄く知りたいんだけどなあ。誰か教えて!

 

 

その他『ダンス・トゥ・ザ・ミュージック』も『ライフ』もいろいろと面白い。一作目の『新しい世界』はやっぱりイマイチかもなと思うものの、二作目には「ハイアー」(『スタンド!』収録のあの曲の元ヴァージョン)とか約12分間のメドレーとかがあって、それらもカッコよくて楽しいもんなあ。

 

 

三作目『ライフ』にある二曲目「チキン」はダンスの名称。ルーファス・トーマスの「ドゥー・ザ・ファンキー・チキン」やミーターズの「チキン・ストラット」との関係やいかに?三曲目「プラスティック・ジム」の出だしはビートルズの「エリナ・リグビー」のもじりだと誰が聴いても分る。

 

 

同じファンカーでもジェイムズ・ブラウンのタイトでハード(すぎるかも?)でシリアスなものと比べて、スライの方はなんだかフニャっとしているというか、スカしたようなところがあってユーモラスで、そんでもってピュアな(ってだからなんだよ?)ブラック・ミュージックに聞えないし、僕は長年JBの方は大好きだけど、スライの方は一部を除きイマイチに聞えていた。2007年リイシューのCDでじっくり今聴き返すとスライの方が面白いような部分もあるね。

 

 

今年亡くなったプリンスも、黒人にして音楽的にはレイシャル・ミクスチャーというか、ファンカーでありかつポップなロッカーでもあったわけだから、ジェイムズ・ブラウン的な部分もありつつ、スライから継承している部分も大きいんだなあ。

 

2016/09/13

ドクター・ジョン、ニュー・オーリンズへ還る

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『ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ』というアルバム・タイトルと、マルディ・グラ・インディアンの扮装をした本人が映っているアルバム・ジャケット。この二つだけでだいたいどんな内容の音楽をやっているのかほぼ想像が付いてしまうドクター・ジョンの1992年のアルバム。

 

 

ドクター・ジョンのアルバムについては、個人的な好みだけならば以前から繰返しているように1999年の『デューク・エレガント』がナンバー・ワンなんだけど、これはまあデューク・エリントン曲集だという理由もかなり大きいので、カッコいいファンクだよなと思うものの、最高傑作などとは言いにくい。

 

 

やはりドクター・ジョンは1972年の『ガンボ』、これこそがやはり今までのところ彼のベスト・アルバムだということになるはずだ。言うまでもなくニュー・オーリンズ古典集で、これでロック・ファンなどが当地ではスタンダード化している古いニュー・オーリンズ・ソングに目を向けるようになった。

 

 

だから『ガンボ』の功績は本当に大きいけれど、このアルバムで採り上げられているニュー・オーリンズ・クラシックスは、シュガー・ボーイ・クロウフォード(がやった伝承曲)やプロフェッサー・ロングヘアやアール・キングやヒューイ・ピアノ・スミスなどだから、古典的とはいえかなり新しい部類に入るものばかり。

 

 

僕の感覚では、それらはいわゆる「古典」とも呼びにくいようなものなんだよね。これは戦前の古い音楽ばっかり聴きすぎているせいで僕の感覚が狂っているのかもしれないけれども、音楽の伝統、特にアメリカ大衆音楽史におけるニュー・オーリンズという土地の持つ意味を考えたら、さほどおかしくもないはず。

 

 

そんな『ガンボ』からぴったり20年後の1992年にドクター・ジョンが創った『ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ』は、僕みたいな趣味嗜好の人間にとっては「これぞ待ってました!」と快哉を叫ぶようなものだった。ニュー・オーリンズの、それも戦前の古い曲集だからね。

 

 

『ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ』は全18曲だけど、ドクター・ジョンのオリジナルは一曲目「リタニ・デ・サン」と11曲目「フェス・アップ」だけ。しかも前者は完全にオリジナルとも言いにくいもので、19世紀のニュー・オーリンズの作曲家ゴットシャルクの曲が下敷になっている。

 

 

だから完全にドクター・ジョンが書いたオリジナルと言えるものは11曲目の「フェス・アップ」だけで、しかもこれだって曲名ですぐに分るようにプロフェッサー・ロングヘアに捧げたピアノ独奏のインストルメンタルで、その曲調とドクター・ジョンのピアノの弾き方は完全にフェス・スタイルだからねえ。

 

 

「フェス・アップ」は当然プロフェッサー・ロングヘア・トリビュートというわけだから、『ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ』のなかでは新しい音楽の部類に入る。これと一曲目以外は全てカヴァー曲で、19世紀末〜20世紀前半のニュー・オーリンズ曲集なんだよね。

 

 

ってことは一曲目のクラシック界の作曲家と言うべきゴットシャルクの素材に基づいたもの以外は、それらは要するに全てジャズだ。う〜んと、いやまあジャズだと断言してしまうのもちょっとどうだろうかとは思う。その時期のニュー・オーリンズ音楽は種々の要素がゴッタ混ぜになっていたからだ。

 

 

一曲目のゴットシャルクにインスパイアされたという「リタニ・デ・サン」の話はおいておいて、二曲目から話をしよう。いきなり「ケアレス・ラヴ」だ。古いジャズに興味があるなら知らぬ人は絶対に一人もいないスタンダードで、W・C・ハンディの名前が作曲家として登録されているものの、本当は伝承ブルーズ。

 

 

W・C・ハンディが自分の名前を「作曲者」として版権登録したものは、全てそれ以前からアメリカ南部に伝わっていた古い伝承ブルーズ・ソングばかりなわけだから。「ブルーズの父」などという呼称もあったハンディがオリジネイターなんかじゃないという事実は、既に戦前から非常によく知られていた。

 

 

「ケアレス・ラヴ」で僕の聴いている一番古い録音はベシー・スミス(彼女のレパートリーにはW・C・ハンディが版権登録した曲が多い)の1925年録音。ハンディが登録したのはその翌26年なんだよね。そんでもってベシーよりもずっと前からニュー・オーリンズのジャズ・メンがやっていたらしい。

 

 

今に伝わっているのはジャズ誕生期の伝説的トランペッター、バディ・ボールデンが「ケアレス・ラヴ」を得意レパートリーにしていたという話。しかし商業録音開始前の人だから実態を確かめることはできない。それでも1940年代以後の例のニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルで録音している人が少しいる。

 

 

そんななかでひょっとしたらこれがバディ・ボールデン・ヴァージョンに近いのかなあとなんとなく推測するのが、同じくトランペッターのバンク・ジョンスンの吹く「ケアレス・ラヴ」。これは1940年代に録音が残っていてCDにもなっているし iTunes Store でも簡単に買えるので誰でも聴ける。相当に素朴な雰囲気での吹奏ぶり。

 

 

バンク・ジョンスンの「ケアレス・ラヴ」は曲のメロディをストレートに淡々と吹いていて、ちょっとフェイクする程度のアドリブしか入れていない。それが録音のない人物であるバディ・ボールデンのヴァージョンに近いかもしれいなんてのは、たいした根拠のない僕の勝手な憶測なんだけどね。

 

 

しかしながら1940年代のあのニュー・オーリンズ・リヴァイヴァルで録音した当地の古老ジャズ・メンは初期ジャズの姿をかなりな程度まで残していたといういろんな人の証言が残ってはいるし、それになんといったって全く録音がないだけでなく、譜面なんかに残せるわけもない種類の音楽なんだからさぁ。

 

 

そんなわけでW・C・ハンディが登録し、ベシー・スミスやその他クラシック・ブルーズとその影響下にあるその後のジャズ歌手たちによるもので有名なはずの「ケアレス・ラヴ」もジャズ創生期のニュー・オーリンズに縁の深い一曲なのだ。ドクター・ジョンのヴァージョンでは、しかしトランペット・フィーチャーではない。

 

 

『ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ』にある「ケアレス・ラヴ」はドクター・ジョンがピアノを弾きながら歌うもので、あとはリズム・セクションと管弦楽の伴奏が入っているというもの。管楽器であれなんであれ楽器のソロは全くない。ちょこっと入る管楽器もジャジーではない。

 

 

聴いた感じドクター・ジョンの「ケアレス・ラヴ」はビッグ・ジョー・ターナーの歌うヴァージョンを下敷にしているんだろう。間違いないように思う。ってことはバディ・ボールデンなど古いニュー・オーリンズ・ジャズにゆかりの深い曲であるとはいえ、それには特に言及はしていないような仕上りなのだ。

 

 

 

そのジャズ創生期の伝説バディ・ボールデンについては『ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ』の五曲目でハッキリと言及している。すなわち「アイ・ソート・アイ・ハード・バディ・ボールデン・セイ」(別名「バディ・ボールデン・ブルーズ」)。これはやはりニュー・オーリンズの古いジャズ・マン、ジェリー・ロール・モートンの曲だ。

 

 

僕はこの「アイ・ソート・アイ・ハード・バディ・ボールデン・セイ」という曲がすんごく大好きなのだ。もちろんジェリー・ロール・モートン自身のヴァージョンがね。何度か録音しているが、例えばこういうのもいいね。歌っているのはモートン自身だ。

 

 

 

バンド形式ではこのヴァージョンが一番いいと思うけれど、好みだけならモートンの晩年、1939年ジェネラル録音ヴァージョンがもっと好きだ。ピアノ一台だけの弾き語りで、だからやはりモートンが歌っている。懐古趣味だろうけど良い雰囲気じゃないか。

 

 

 

ジェリー・ロール・モートンはジャズ誕生期からニュー・オーリンズで活動していた人なので、おそらくバディ・ボールデンとも付合いがあったんだろう。それでこの曲を書いて歌ったに違いない。トランペッターを題材にした曲だからドクター・ジョンのヴァージョンではトランペット・ソロが入る。なぜか YouTube にない。

 

 

その冒頭のトランペットに続き歌いはじめるのは、しかしドクター・ジョンの声ではない。だれか別の男性ヴォーカルなんだけど、いったい誰なんだろう?知りたいと思って初めてCD附属の、ドクター・ジョン自身が解説しているブックレットのこの曲のところを読んだんだけど、全く言及がないんだなあ。

 

 

まあでもその後すぐにドクター・ジョンの声が出てくるから、その別の男性ヴォーカルの部分は非常に短い。従ってどうでもいいような気もするけれど、なかなか悪くない声だから誰なんだか知りたいなあ。う〜ん、まあいいや。その他古いジャズ・ソングが実にたくさんあって、全部書いている余裕はない。

 

 

ニュー・オーリンズの音楽家ルイ・アームストロングにちなんだ曲も複数ある。六曲目「ベイズン・ストリート・ブルーズ」はサッチモの1928年録音が初演、13曲目の「アイル・ビー・グラッド・ウェン・ユア・デッド、ユー・ラスカル・ユー」もサッチモがやって有名にしたセカンド・ライン・ソング。

 

 

またこれは戦後の音楽家だから新しい部類に入るけれど、やはりニュー・オーリンズのファッツ・ドミノの曲も三つある(「ゴーイン・ホーム・トゥモロウ」「ブルー・マンデイ」「アイ・キャント・ゴー・オン」)。どれも全てやはりファッツ・ドミノ風三連をドクター・ジョンがピアノで弾きながら歌う。

 

 

アルバム・ラストのタイトル曲「ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ」はジョー・リギンズが書き、ハニードリッパーズでスペシャルティに録音した戦後のシングルB面曲。リギンズは生れ育ちも活動地も特にニュー・オーリンズと関係ないはずだけど、こういう内容の曲だから採り上げたんだろう。

 

 

ドクター・ジョンの「ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ」ではネヴィル・ブラザーズが大々的にフィーチャされている。アルバム中他の曲にもいろいろと参加している模様だけど、この曲以外ではちょっと分りにくいんだなあ。アルバム・ラストのこの曲ではドクター・ジョンがネヴィル・ブラザーズの名前を呼んでいるし、彼らの声も鮮明に聞える。

 

 

「ゴーイング・バック・トゥ・ニュー・オーリンズ」は典型的ないかにもニュー・オーリンズ的というようなラテン調のリズム&ブルーズで、ネヴィル・ブラザーズをはじめ大勢のミュージシャンがゲスト参加。大変賑やかで楽しくて、こういう主旨のアルバムの締め括りに相応しい大団円となっている。

 

 

2016/09/12

裏トーキング・ヘッズな1980年代ロックの傑作

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ロックやロック畑出身の音楽家の創るアルバムで1980年代にリリースされたものにはいいものが少なかったように思う。80年代だけでなく、その後現在までずっとそうなのかもしれないなあ。これが巷で言ういわゆる「ロックは死んだ」ということなのかどうかは分らない。

 

 

そんな簡単に死んだり終ったりしないだろうとは思うんだけど、1980年代以後のロック(系音楽)には面白いものが少ないという実感が僕にはある。90年代以後21世紀に入ってから、いわゆるクラシック・ロックのスタイルでやる若い音楽家、例えばデレク・トラックスなども人気はあるけれど。

 

 

まあしかしデレク・トラックスその他ああいった若いロッカーが1960〜70年代のスタイルでやるのを好んで買い応援しているのは、やはりその時代をリアルタイムで体験して思い入れがあるか、そうでなくともそういう音楽をこそ愛するファンたちだけなんじゃないかという風に僕には見えている。

 

 

ともかくそんな「ロックがダメになった」のかどうかは全然分らないが、ロック系の音楽で1980年代にリリースされた最高傑作はひょっとしたらブライアン・イーノ&デイヴッド・バーンの共作『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オヴ・ゴースツ』じゃないだろうか?

 

 

1980年代ロックの一位は普通トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』になるんだろう。実際ある時の『レコード・コレクターズ』誌が、正確なタイトルは忘れちゃったけれど<80年代ベスト100アルバム>みたいな特集をやった時も『リメイン・イン・ライト』が一位だったような記憶がある。

 

 

僕にとっての1980年代ベスト・アルバムは、キング・サニー・アデの『シンクロ・システム』(1983)かサリフ・ケイタの『ソロ』(1987)になる。この時代にワールド・ミュージックにハマった思い入れを抜きにしてもそうなるんだなあ。でもこれはジャンルを限定しないで選んだ場合の話だ。

 

 

アメリカ人音楽家に話を限れば1980年代最高の存在だったのはプリンスに間違いないんだけど、僕のなかではロックの人じゃなくて 、ファンクの人だからなあ。デビュー当時から死ぬまで一貫してポップ〜ロック風な部分も強い人ではあったけれどね。

 

 

だからロックかそれに類する音楽から選ぶとした場合の1980年代ベスト・アルバムは、僕の場合(他の方も?)トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』か、あるいはブライアン・イーノ&デイヴッド・バーンの『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オヴ・ゴースツ』ということになる。

 

 

それら二枚のアルバムはみなさんご存知の通り姉妹作。いわば一枚のコインの表と裏のようなもので、実質的には同じ音楽家が同じような音楽を創ったというようなものだ。トーキング・ヘッズはギター&ヴォーカルのデイヴッド・バーンをフロントマンとする四人組バンドで1974年活動開始。

 

 

しかしトーキング・ヘッズがいろんな意味で大成功したのは、ブライアン・イーノがプロデュースをやった1978〜80年のことだよなあ。その間二枚のスタジオ・アルバムを残している。もう一つライヴ盤があるけれど、それはイーノのプロデュースではなく、しかもちょっとややこしい事情のあるものだ。

 

 

だからその二枚組ライヴ盤『ザ・ネーム・オヴ・ザ・バンド・イズ・トーキング・ヘッズ』は除外して、イーノ・プロデュースのスタジオ作二枚『フィア・オブ・ミュージック』『リメイン・イン・ライト』こそがこのバンドのピークだったと見てまず間違いないだろう。どっちもアフロ・ロックみたいな感じだ。

 

 

アフロ・「ファンク」だとする記述もあるんだけど、僕の耳にはちょっとそうは聞えにくい。当時流行していたらしい言葉で言えばエスノ・ロックだとかまあそんなもんかな。この時期ピーター・ゲイブリエルもアフリカ音楽に興味を示していて、同傾向の作品を創っているよね。だから一種のブームだったのかも。

 

 

ゲイブリエルの話はともかくトーキング・ヘッズがアフリカ音楽に接近するようになったのは、もっぱらリーダーのデイヴッド・バーンの嗜好だったらしい。それが理由でブライアン・イーノにプロデュースを依頼したのかどうかは知らないんだけど、1970年代末にこの二人は密接な関係にあったようだ。

 

 

それでデイヴィッド・バーンとブライアン・イーノの共同作業で、実はトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』よりも先に『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』の方の制作がはじまっていたらしい。完成もしていたんだそうだ。しかし『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』は理由があってリリースが遅れたのだ。

 

 

というのは『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』は今で言うサンプリングを多用したアルバムで、世界中のいろんな音や声を挿入して使ってあるために、そのうちの一つについて使用許諾が降りず、それで創り直さなければならなくなった。それで後から制作がはじまったトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』の方が先に出たのだ。

 

 

主要メンバーも制作手法もできあがった音楽もほぼ同じようなものであろう『リメイン・イン・ライト』と『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』は完成もほぼ同じような時期で、リリースは前者の方が一年だけ早くなったけれど、後者も翌年にリリースされたわけだから、事実上の音楽的双子なのだ。

 

 

トーキング・ヘッズの方は一応四人編成のバンドという形式を採っていて演奏もして歌ってもいるわけだから、『リメイン・ン・ライト』だって、なんというか「生の」バンド感みたいなものがある作品だと言えるだろう。それに対し『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』はイーノとバーン二人だけの共同作業によるユニット。

 

 

というとちょっと誤解を招くよね。『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』の方でも何人か楽器奏者が参加して演奏している。一番名が知れているのはロバート・フリップとビル・ラズウェルだろう。しかし「アメリカ・イズ・ウェイティング」でベースを弾くラズウェルに対し、フリップの方はちょっと楽器なのかなんなのか。

 

 

ロバート・フリップが『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』に参加しているのは「レジメント」だけで、それもギターなどではなくフリッパートロニクス(Frippertronics)とクレジットされている。これは通常のいわゆる楽器ではなく、テープ・ルーピング技術の一種なのだ。僕は詳しいことは知らない。

 

 

『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』現行CDでは三曲目のロバート・フリップが参加している「レジメント」。しかしこれを聴いても、フリップがどこでそのフリッパートロニクスというテープ・ルーピングを使ってどんな音を加えているのか、僕にはちょっと分らないんだなあ。僕の耳がヘボだってことだろう。

 

 

それより「レジメント」はアルバム『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』のなかで今では一番好きな曲なんだけど、それはどうしてかというと、冒頭から鳴っているエレベ音(弾くのはバーン?)のヒプノティックな反復グルーヴに乗って、アラブ歌謡風の女性ヴォーカルがサンプリングされてあるからなのだ。

 

 

そのアラブ歌謡風の女性ヴォーカルはダンヤ・ユニスというレバノン人シンガーのものらしい。それを『ザ・ヒューマン・ヴォイス・イン・ザ・ワールド・オヴ・イスラム』というレコードから流用してあるんだそうだ。イーノかバーンかどっちかがそれを見つけてきたってことなんだろう。

 

 

そのレバノン人女性歌手のものだとされているヴォーカルには歌詞はなく、もっぱらスキャット(とも言いにくいが)音だけを詠唱しているもの。それが反復されるグルーヴィーなエレベ・サウンドとドラムスに乗り、あとエレキ・ギターかシンセサイザーか分らないがエフェクト的に入っている。

 

 

そんな「レジメント」こそが、アラブ歌謡好きでグルーヴ重視型の耳の僕だからなのか、すんごくチャーミングな感じに聞えるんだなあ。ホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラヴ」が1979年にリリースされているけれど、それも大好きな僕。そして音楽制作手法としても似たようなものだよね。

 

 

世界各地の様々な声や音をサンプリングして挿入しそれをループさせることで独特のグルーヴ感を生み出すというお馴染みの手法は、いまやヒップホップの普及によって一般的なものになった。音楽制作手法としてはその最も早いものがイーノ&バーンの『ブッシュ・オヴ・ゴースツ』だったのかもしれない。

 

 

なおバーンはともかくイーノはこういう音楽の創り方を、ひょっとしたらテオ・マセロがテープ編集をやりまくっているマイルス・デイヴィスの二作『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』からヒントを得て思い付いた可能性がある。イーノ自身の言及があるのかどうかは全く知らないが。

 

 

マイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』『ビッチズ・ブルー』にサンプリング音源などもちろんない。全てが参加ミュージシャンの生演奏によるもの。しかしテオがその生演奏音源テープから部分的に短い一定箇所を抜出して反復(ループ)し、それで独特のグルーヴ感を出すのに成功しているよね。

 

 

随所で聴けるけれど、一番はっきりと分るのが『ビッチズ・ブルー』一枚目B面のアルバム・タイトル曲。そこでは2:51からしばらくの間、ハーヴィー・ブルックスのエレベとベニー・モウピンのバス・クラリネットの二人が演奏する短いパターンを抜出してテープ編集によって何度もループしている。

 

 

それに徐々にエレキ・ギターや二台のドラムス、そして三人参加しているフェンダー・ローズ奏者の音が入りはじめ、3:54にマイルスのソロが入ってくるまでずっと同じそのテープ・ループが使われているのだ。そしてその反復によって生み出されたグルーヴが「ビッチズ・ブルー」という曲の肝になっているんだよね。

 

 

『ブッシュ・オブ・ゴースツ』で聴けるイーノ&バーンの手法と本質的にはほぼ同じと言って過言ではないかも。イーノのいわゆるあのアンビエント・ミュージックだって、そのルーツを辿るとマイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』のあの独特のスタティックなサウンドにあるんじゃないのかなあ?

 

2016/09/11

ジャズ界における最も普遍的な音配置法発明者

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かつて油井正一さんは「フレッチャー・ヘンダースン楽団在籍」という肩書は、いわば日本のインテリ社会における「東大卒」と同じような意味を持つ名刺代りだったのだと書いたことがある。つまりそれくらい(戦前の)ジャズ界ではエリートとして待遇される名門オーケストラだったってことだよね。

 

 

モダン・ジャズ界ならば、有能なサイド・メンを続々発見・起用して、彼らが独立後大活躍したアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズとかマイルス・デイヴィスのバンドだとかのようなものだと言えば、モダン・ジャズしか聴かないジャズ・ファンの方々にも納得していただけるだろうか。

 

 

ビ・バップ以後のジャズはコンボ編成でやるのが主流になったため、それ以前のジャズの世界においてビッグ・バンドの持つ意味が今ではやや理解されにくくなっているような気がするのだが、戦前の古典ジャズ界ではビッグ・バンドこそ花形で、楽団在籍経験のないジャズ・メンはまずいないと言っていい。

 

 

つまりビッグ・バンドを聴かないと戦前の古典ジャズはほぼ理解できない。というわけでジャズ界におけるホットなビッグ・バンド第一号と呼んで差支えないフレッチャー・ヘンダースン楽団の話を今日はしたい。ジャズ・ビッグ・バンド第一号ということは最重要存在であるということだ。

 

 

フレッチャー・ヘンダースンが自らの楽団をスタートさせたのは1922年。しかしこれがジャズ界におけるビッグ・バンド史のはじまりとは言えないだろう。もっと前からいろいろとあって、録音が残っているバンドもある。しかしどれを聴いてもジャズ的なフィーリングやスウィング感には乏しい。

 

 

今で言うジャズ的なスウィング感をビッグ・バンドで表現できた最初の存在がフレッチャー・ヘンダースン楽団だということになるので、だからこそ最重要存在なのだが、しかしこの楽団も1922年の結成当初からそうだったわけではないようだ。「ようだ」というのはその最初期録音を僕は聴いていない。

 

 

聴いていないというかフレッチャー・ヘンダースン楽団結成当初の音楽はリイシューされているのか?そもそも録音されているのか?そのあたりのことを実際の音では僕は知らない。種々の文献によれば、結成当初のヘンダースン楽団はボールルームなどで演奏するスウィートなダンス・バンドだったらしい。

 

 

そのあたりが実際の音で聴ければ僕の理解ももうちょっと進むんだけど、とにかく僕が持っているフレッチャー・ヘンダースン楽団の最も早い録音は1923/8/9録音の「ザ・ディクティ・ブルーズ」。これはコロンビアがリイシューしたCD三枚組『ア・スタディ・イン・フラストレイション』の一曲目。

 

 

CD三枚組『ア・スタディ・イン・フラストレイション:ザ・フレッチャー・ヘンダースン・ストーリー』のリリースは箱の裏に1994年と書いてある。附属の厚手ブックレットに完璧なディスコグラフィーと詳しい英文解説があり、しかもその解説文の前にジョン・ハモンドの書いた紹介文が載っている。

 

 

ジョン・ハモンドは全く説明不要のアメリカ大衆音楽史における最大にして最重要プロデューサー。僕も何度も名前を出している。ハモンドは現役当時のフレッチャー・ヘンダースンとその楽団の後見人的な役割も果していたから、アナログ・レコードで同楽団の音源をリイシューした際のプロデューサーもやったということだろう。

 

 

そのハモンドによる紹介文の末尾に「1961」という数字が見えるので、この年に彼がプロデュースしてフレッチャー・ヘンダースン楽団のコロンビア系音源がリイシューされたんだろう。しかもその文章の出だしに「フレッチャー・ヘンダースン楽団の偉大な遺産64曲を出すにあたり」とある。

 

 

64曲というのは現在僕が持っているCD三枚組『ア・スタディ・イン・フラストレイション』の曲数と同じ。ってことは1961年にアナログ盤でリイシューした当時からこれら全て発売されていたんだなあ。アナログ盤でのフレッチャー・ヘンダースン楽団の音源集は僕は一枚物しか持っていなかった。

 

 

それはCBSソニーがリイシューした『フレッチャー・ヘンダーソンの肖像(1925-1937)』というやつで、やはり例によっての<肖像>シリーズの一つ。同社のプロデューサー伊藤潔さんが企画したこの<肖像>と銘打ったコロンビア系戦前古典音源のリイシューLPには、大学生の頃本当にお世話になった。

 

 

『(だれそれの)肖像』という一貫したタイトルで出ていたものはほぼ全てジャズ録音。ルイ・アームストロングとかビリー・ホリデイとかミルドレッド・ベイリーとかレスター・ヤングとかいっぱいあったよなあ。そして今ではブルーズに分類されているベシー・スミスも同じシリーズの一枚として出ていたんだよ。

 

 

だからご存命の伊藤潔さんには僕も足を向けて寝られない。しかしLPでは『フレッチャー・ヘンダーソンの肖像(1925-1937)』という一枚物しか聴けなかった僕だけど、本国アメリカではジョン・ハモンドのプロデュースで、CD三枚組リイシュー・ボックスと全く同じ64曲が出ていたというのは羨ましい。

 

 

言うまでもなくそれら64曲は全部コロンビア系録音(傍系のヴォキャリオン原盤なども含む)。しかしフレッチャー・ヘンダースン楽団はブルーバードといったヴィクター系やその他にも録音を残している。といってもそんなに曲数は多くないみたいだ。僕はコロンビア系録音以外の同楽団は全く聴いたことがない。

 

 

興味がないわけじゃないんだけど、『ア・スタディ・イン・フラストレイション』CD三枚組が完璧な内容だから、しかも64曲あるので、もうこれで充分という気分なのだ。全集ではないが、戦前の自社系音源のCDリイシューに極めて冷淡な会社であるコロンビアもやるときはやるじゃないか。

 

 

『ア・スタディ・イン・フラストレイション』は全曲が録音年月日順に並んでいるので、フレッチャー・ヘンダースン楽団の時代を経ての変遷が分りやすい。上で書いた一枚目一曲目の1923年録音「ザ・ディクティ・ブルーズ」では、未熟ではあるものの既にジャズ的でスウィンギーな演奏になっている。

 

 

それもそのはず、「ザ・ディクティ・ブルーズ」は楽団のストック・アレンジメント譜面をドン・レッドマンがアレンジし直したものなのだ。ドン・レッドマンは1923年にフレッチャー・ヘンダースン楽団に加入している。アルト・サックスとクラリネット奏者としてだけど、すぐに作編曲をやるようになる。

 

 

今までも折に触れて書いてきたが、1923年から27年までの間フレッチャー・ヘンダースン楽団でドン・レッドマンが書いたアレンジこそがホットなジャズ・スウィングのはじまり、基本中の基本に他ならず、その後、形は変えても21世紀の現在までその根底は変化していない普遍的なものなのだ。

 

 

それにしてはドン・レッドマンという人物の偉大さ、彼の発明したアレンジメント手法を褒め称える声が今では殆ど聞けないように思う。僕が気付いていないだけなのか?あるいはみんな忘れちゃったのか?これではイカンだろう。誰でも真似しやすい普遍的なアレンジ手法を発明したドン・レッドマンこそ最高の存在なのに。

 

 

ジャズ界最高の作編曲家はデューク・エリントンには違いない。これには僕も異論はないどころかもっともっと声を大にして強調したい気分。だけれどもエリントンのアレンジは楽団メンバーがどんな音色や個性の持主なのかという部分までフルに勘案してのものだったので、全く取替えが利かず応用不可能。

 

 

それが証拠にエリントン楽団の譜面では、他の楽団では通常は楽器名が記されているパート譜に、楽器名ではなくそれを吹く個人名が記載されていた。僕はかつてそれをコピーした写真を見たことがあるが、パート譜の上には「ジョニー・ホッジズ」とか「ハリー・カーニー」などと記されていたからね。

 

 

従ってエリントン・アレンジは他の楽団では全く再現不能な唯一無二のもの。同楽団でしか実現できず、しかもエリントン楽団内においてすら一人の楽団員が辞め別のメンバーに交代すると、エリントンは同じアレンジを使わず書直していたくらいだ。二つとない至高の音楽作品ではあるけれど、ある意味普遍的とも言いにくい。

 

 

そこいくと1923〜27年のフレッチャー・ヘンダースン楽団でドン・レッドマンが考案したアレンジは、演奏メンツが交代しても全く同じように再現可能な普遍的なものだったのだ。エリントンとどっちが偉大かなんて話をするのには何の意味もないが、その後のジャズ界を支配したのはドン・レッドマン・アレンジだ。

 

 

ドン・レッドマンのアレンジは、ハーモナイズされたアンサンブルを奏でるブラス(金管)・セクションとリード(木管)・セクションのコール・アンド・リスポンスを基本とし、そういう譜面化された部分の合間にトランペットやサックスやクラリネットなどのホットなアドリブ・ソロ・パートを埋込むというもの。

 

 

こう書くと、な〜んだそんなの当り前じゃん、みんなやっているじゃん!と思われるだろう。しかしですね、当り前にみんなやるようになったこれを初めて考案したのが1923/24年頃のドン・レッドマンで、彼が書いてフレッチャー・ヘンダースン楽団が演奏したのが標準化したから当り前になっているように見えるというのが歴史の真実だ。

 

 

最初に発明して書いたのがドン・レッドマンで、それを実行したのがフレッチャー・ヘンダースン楽団だということであって、後に続いたジャズ・ビッグ・バンドはほぼ例外なくこれを踏襲しスタンダード化したアレンジ手法で、あまりにも普及して当り前のものになりすぎて、誰も意識しないってことなんだよね。

 

 

この事実のみをもってしても、1920年代半ば頃のフレッチャー・ヘンダースン楽団の偉大さ、その功績、同楽団でアレンジのペンをふるったドン・レッドマンの重要性をどれだけ強調してもしすぎることはない。あぁそれなのに、この時期のフレッチャー・ヘンダースン楽団におけるドン・レッドマンの話なんて今では誰もしないじゃないか。

 

 

そんなジャズ・バンド史上初のスウィンギーな演奏を実現したフレッチャー・ヘンダースン楽団の最も輝かしい音源の一番早い例は『ア・スタディ・イン・フラストレイション』一枚目九曲目の「シュガーフット・ストンプ」だろう。1925/5/29録音。

 

 

 

これを聴けば誰だって「オッ、このトランペット・ソロは素晴しいじゃないか!いったい誰が吹いているんだ?」となると思うんだけど、それがルイ・アームストロングだ。サッチモは1924年にフレッチャー・ヘンダースン楽団に加入し、翌25年には退団してしまう。その間の録音は全部で44曲だけど、言及しているCD三枚組に収録されているのは九曲だけ。

 

 

これは専門の批評家もみなさん言っていることなんだけど、ただの甘いダンス・バンドにすぎなかったフレッチャー・ヘンダースン楽団を一躍ホットでスウィンギーな躍動的ジャズ・バンドに変貌させたのが、1924年に加入したサッチモだったということになっている。油井正一さんもこのことは強調していた。

 

 

しかしながら僕はこれに言いたいことがある。なぜなら『ア・スタディ・イン・フラストレイション』に収録されているサッチモ加入前の録音、それは二曲しかないのだが、聴くと既にドン・レッドマンのアレンジによるいわゆるスウィング・スタイルが完成しているし、ソロだってコールマン・ホーキンスがホットなものを吹いているんだよね。

 

 

つまり既にサッチモ加入前からドン・レッドマン・アレンジによってフレッチャー・ヘンダースン楽団はほぼ変らない演奏をしているってことだ。確かにサッチモ加入後は彼のコルネット・ソロがあまりにブリリアントで、そのおかげでバンド全体の演奏の躍動感もまるで違って聞えるかのようだけど、バンドの根本は変っていない。みなさんなんだかサッチモが根底から覆したようなことを書いているけれどもさぁ。

 

 

だからこのあたりはジャズ・ビッグ・バンド史の記述をそろそろ書きかえてほしいと僕は思っている。そしてサッチモがフレッチャー・ヘンダースン楽団を変貌させたのが事実であったとしても、またその逆に1925年に独立して自分のバンドを持つようになったサッチモにヘンダースン楽団の影響が強くあるんだなあ。

 

 

上でサッチモが見事なコルネット・ソロを吹く「シュガーフット・ストンプ」の音源を貼ったけれども、この曲やその他サッチモ在籍時に彼がフレッチャー・ヘンダースン楽団で演奏したドン・レッドマン・アレンジは、そっくりそのまま1925〜28年のサッチモによるオーケー録音に移し替えられているんだよね。

 

 

例えばサッチモがソロを吹くフレッチャー・ヘンダースン楽団1924年録音の「エヴリバディ・ラヴズ・マイ・ベイビー」→ https://www.youtube.com/watch?v=BqRERsE_1gs  これをサッチモの27年録音「ポテト・ヘッド・ブルーズ」と聴き比べてほしい→ https://www.youtube.com/watch?v=udWB3OKV9_k

 

 

アンサンブル部分とアドリブ・ソロ部分との構成や配置、全体のなかでソロをどう際立たせるかなどの工夫、ソロの背後でストップ・タイムを使ってアクセントをつけたりなど、とてもよく似ているじゃないか。これはほんの一例をあげただけで、サッチモの1920年代後半の録音はだいたい全てこうなっている。

 

 

ってことは一般に定説になっているサッチモの加入がフレッチャー・ヘンダースン楽団を一変させたのだから、ある意味サッチモはスウィンギーなジャズ・ビッグ・バンドを生んだとも言えるという言説は正しいのかもしれないが、同時にまたその逆にサッチモも同楽団から多くを吸収しているのも事実なんだよね。

 

 

言い方を換えれば1925〜28年のサッチモ・コンボによる珠玉のオーケー録音を下支えしたのは、その直前まで在籍していたフレッチャー・ヘンダースン楽団での経験だったってことだよなあ。もっとはっきりさせるなら同楽団でアレンジを書いたドン・レッドマンの音配置法にサッチモは強く影響されたってことなんだ。

 

 

これは上でも書いたようにメンバーの取替えが利かず同一メンバーでないと実現不能というエリントン・アレンジとは違って、ドン・レッドマンが完成させたアレンジ手法は、たとえスモール・コンボ編成だろうとメンバーが全然違っていようと応用可能で融通の利く普遍的なものだったってことの一つの証左に他ならない。

 

 

ジャズ・バンドにおけるそんなにも強力で普遍的なアレンジ手法を開発したドン・レッドマンと、彼を雇い存分にアレンジのペンをふるわせたフレッチャー・ヘンダースンと彼の楽団の意義は途轍もなく大きい。なにしろ約10年後に同楽団のアレンジ譜面を買取ってそのまま演奏したベニー・グッドマン楽団が大成功し一世を風靡してスウィング黄金時代を築いたほどだ。

 

 

しかしそんなスウィング黄金期を尻目に、その実質的立役者だった肝心のフレッチャー・ヘンダースン自身は元々音楽家志望ではなくバンド経営能力もなく、いろんな意味で失敗続きの人生で、それで彼のそんな没落人生を現実に目の当りにしてきたジョン・ハモンドが付けたリイシュー・アルバムのタイトルが『挫折の研究』になっているというわけなんだよね。

 

 

さてフレッチャー・ヘンダースン楽団では、他のバンドが弦ベースを使うようになってそれが一般化して以後も管ベース、すなわちチューバを使い続け、それがなんと1931年まで続き、弦ベースに置き換わるのは同年のジョン・カービーだったりする。同楽団でのカービーもそれまではチューバを吹いている。

 

 

これもなかなか興味深いよねえ。ニュー・オーリンズで誕生した初期ジャズは元々町を練歩きながら演奏するブラス・バンドだったわけだから、低音担当も当然管楽器だった。フレッチャー・ヘンダースン楽団はその姿を1930年代まで残していたんだねえ。

 

 

ずっとずっと後になってやはり低音担当にストリング・ベースではなくチューバやスーザフォンを使うアレンジやバンド編成が復活して再び注目され、しかもそれらの殆どはいわゆるジャズではない。それらとの関係については今日は書く余裕がない。

 

2016/09/10

100年経っても瑞々しいイリニウの古典ショーロ

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現在在庫切れ状態ではあるけれど、今では日本のアマゾンでも普通に売っているんだなあ、エヴェルソン・モラエスらのやったイリニウ・ジ・アルメイダ曲集『イリニウ・ジ・アルメイダ・エ・オ・オフィクレイド・100・アノス・ジポイス』。アマゾンで在庫切れってことはそれだけ売れているってこと?

 

 

しかもそれは日本のアマゾンなんだから、もし日本でそれだけこのイリニウ曲集が売れているのであれば凄く嬉しい。何度も何度も繰返すけれども、僕の最愛ブラジル音楽であるショーロは日本ではイマイチ人気がない。いや、イマイチどころじゃなく全然人気ないのかな、話題にする人がかなり少ないからなあ。

 

 

管楽器を中心にした編成で自由闊達な即興演奏を繰広げるインストルメンタルなポピュラー・ミュージックという点では、世界でも日本でも最も人気があるのがジャズで、ショーロなんてひょっとしたらこの分野の存在にすら気が付いていない人の方が多いかもしれないなあ。最高にチャーミングなのにね。

 

 

北米合衆国におけるジャズの成立は19世紀末から20世紀頭という世紀の変り目あたりのこと。それに対してブラジルでショーロが成立したのは1860〜70年頃とされているから、ジャズよりもショーロの方がずっと歴史が古い。しかもショーロはブラジル音楽史においてその後も土台になってきた。

 

 

そんなに古いショーロの歴史において、第一世代といわれるジョアキン・アントニオ・ダ・シルヴァ・カラードやアナクレット・ジ・メデイロスらによる録音は残されていない。いや、アナクレットの方は少しあるみたいで、僕も一曲だけ聴いている。それが例の『ショーロ歴史物語』の三曲目「豚の頭」。

 

 

あの田中勝則さんとエンリッキ・カゼスのコラボ・プロデュースによる『ショーロ歴史物語』はショーロの歴史を知りたい日本人には必聴のアンソロジー。その三曲目「豚の頭」は1904年録音で、演奏するのはアナクレット率いるバンダ・ド・コルボ・ジ・ボンベイロス。見事な演奏で僕は大好きなのだ。

 

 

その「豚の頭」におけるホーン・アンサンブルの完成度と特にピッコロが奏でるメロディの活き活きとした躍動感は、既に充分現代ショーロだ。しかしいくら現代ショーロなどと言っても、1904年録音なわけだから音質的にはいささか厳しいものがある。古い音を気にしない人じゃないと難しいだろう。

 

 

そんなショーロ第一世代の作曲・演奏法を引継いで次世代に新しいショーロの形を創り上げたのがイリニウ・ジ・アルメイダ。ショーロ史で言えば第二世代にあたり、1863年生まれ1916年没。イリニウは上で書いたアナクレット率いるバンダ・ド・コルボ・ジ・ボンベイロスのメンバーだった。

 

 

アナクレット率いるバンダ・ド・コルボ・ジ・ボンベイロスは上記『ショーロ歴史物語』収録の「豚の頭」を聴けば分るように大編成オーケストラ。イリニウはその楽団員として活躍し、独立後はそれを少人数のコンボ編成にしたショーロ・カリオカというバンドを率い、自在な即興演奏を展開したらしい。

 

 

「らしい」というのは、僕はイリニウのショーロ・カリオカによる演奏は一曲しか聴いていないので、実際の音ではイマイチ実感がないのだ。その一曲というのがピシンギーニャのライス盤アンソロジー『ブラジル音楽の父』一曲目の1915年録音「焼肉」。これはかなり見事なモダン・ショーロだ。

 

 

その「焼肉」を聴けば分るのだが、フルートで主旋律を吹くピシンギーニャに絡み、イリニウが(オフィクレイドではなく)ボンバルジーノで対旋律を入れている。この低音管楽器で対旋律で主旋律に絡むカウンター・メロディの使い方こそがイリニウがショーロ史で果した最も重要な功績に他ならない。

 

 

こういう対旋律、カウンター・メロディをブラジル音楽では「コントラポント」(contraponto)と呼ぶ。日本語にすれば対位法。クラシック音楽を聴くリスナーの方ならみなさんよくご存知のもので、しかしこれをブラジルのポピュラー・ミュージックであるショーロに初めて導入したのがイリニウだ。

 

 

そしてピシンギーニャ参加のショーロ・カリオカによる「焼肉」でも典型的に分るイリニウ導入のコントラポントの手法は、その後ピシンギーニャのアレンジ様式に絶大なる影響を与え、彼が継承・発展させて様々なショーロ名曲を生み出す根本となり、21世紀の現代まで続いている基本中の基本。

 

 

ってことはそんなに重要なコントラポントの手法をショーロに初めて持込んだイリニウの果した役目の大きさをいくら強調しても強調しすぎることはないわけだけど、イリニウ自身はなにしろ1916年に亡くなった人(1914年と書いてある文章もあるが、上記「焼肉」が1915年録音のはず)だからなあ。

 

 

だからイリニウ自身のショーロ・バンドによる録音は全て1910年代なわけで、音が古すぎて一般的には聴きにくいというファンが圧倒的であるはず。僕みたいにSP時代の音の方が現代録音よりもむしろ好きで、「音が古い」という理由だけでこそその方がいいというような奇特な(?)人間は例外かも。

 

 

だからどうにもイリニウの功績を現代の新しいリスナーにも理解していただけるチャンスがなかったわけだ。ところがそれが今年2016年にエヴェルソン・モラエスらによるイリニウ・ジ・アルメイダ曲集がリリースされて、これは今年の新作なわけだから当然最新録音で聴きやすく格好のオススメ盤。

 

 

エヴェルソン・モラエスらのイリニウ曲集については、今年6月23日付けで荻原和也さんがきっちり紹介なさっているので、僕なんかがいまさらなにも付け加えることもない。このアルバムについてちゃんとした文章を読みたいという方は是非そちらをどうぞ。

 

 

 

このエヴェルソン・モラエスらのイリニウ曲集では、エヴェルソンがアルバム・タイトル通りもっぱらオフィクレイドを吹く。現代には吹く人がいなくなったこの低音金管楽器については、アルバム附属のブックレットの最後の方に見開き2ページにわたり解説されている。もちろんポルトガル語でだけど。 

 

 

イリニウはコントラポントのためにオフィクレイドかボンバルジーノを吹いた。吹く人がいなくなったオフィクレイドを楽器店で見つけたエヴェルソンのその偶然の出会いが、今回の新作イリニウ曲集に結びついたんだそうだ。しかしそれでイリニウをカヴァーしとうと思い付いたのは彼じゃなかったのかもしれない。

 

 

このイリニウ曲集附属ブックレット裏の記載を見るとプロデュースがマウリシオ・カリーリョになっている。ショーロ・ギタリストだ。エンリッキ・カゼス同様古典ショーロに造詣の深い人物なので、あるいはオフィクレイドを吹くエヴェルソンではなく、マウリシオの着案でイリニウ曲集となった可能性はある。

 

 

極めて音の良いこのイリニウ曲集を聴けば、ショーロについて全くなにも知らない入門者だってこの音楽のチャーミングな魅力の虜になるはず。現代録音だからイリニウが書いてアレンジした曲の細部まで非常にクッキリと分る。そしてエヴェルソンがオフィクレイドで吹くコントラポントの様子やその重要性もよく分る。

 

 

オフィクレイドという楽器は僕はこのイリニウ曲集で初めてその音を聴いた。ちょっと聴いた感じではトロンボーンとホルンとチューバのちょうど真ん中あたりの感触の音だなあ。アルバム一曲目の「サン・ジョアン・デバイソ・ダグア」がいきなりオフィクレイドの音ではじまって、その柔らかい音にすぐに耳を奪われる。

 

 

その後はコルネットとフルートが中心になって主旋律を奏で、オフィクレイドが低音で対旋律を入れるという具合で演奏が進む。アルバムのだいたい全曲で管楽器はそのコルネット、フルート、オフィクレイドの三管編成。そのバックでカヴァキーニョ、ギター、パンデイロの三つがリズムを刻む。

 

 

こうした六人編成は1910年代のイリニウのバンドをそっくりそのまま再現したもの。収録曲のアレンジも荻原和也さんの文章によれば当時のオリジナルを忠実に再現しているんだそうだ。ってことはイリニウが書いて1910年代に演奏したオリジナルの完成度がいかに高くモダンであったかが分るというもの。

 

 

だってさぁ、今年の新作エヴェルソン・モラエスらのこのイリニウ曲集を聴いたら、こんなにも瑞々しくて現代的でチャーミングなホーン・アンサンブル・ミュージックって滅多に聴けるもんじゃないぞって思っちゃうよね。これは僕だけの感想じゃないはず。ネットで検索すると同様のことが書いてある文章が複数出る。

 

 

そうやってこのエヴェルソン・モラエスらのイリニウ曲集について書いてあるものがないかネットで検索していて、ブラジルのショーロを聴いてみたいがピシンギーニャのものは音が古くてとっつきにくそうだからこっちにしてみたという意味のことが書いてある日本語の文章が一つ出てきた。

 

 

その方の文章には「偶然検索したブログ『after you』さんにて、本作が紹介。まさに理想的と飛びつきました。(お礼のコメントを入れたいところだけど、著作を買わないと相手にしてもらえないよね?」とも書いてありましたよ、荻原さん。それはともかくとして、ピシンギーニャも聴いて欲しいのだ。

 

 

イリニウはピシンギーニャの先生だった。イリニウがショーロに導入したコントラポントの手法がピシンギーニャに非常に大きな影響を与えたということは僕も上で書いた。しかしそれは実際の音を聴かないと実感できないじゃないか。今ではオリジナル録音の入手が不可能に近いイリニウと違って、ピシンギーニャは買いやすいんだから。

 

 

それで今年の新作であるエヴェルソン・モラエスらのイリニウ曲集を聴いて、なんて美しく魅力的なんだ!ショーロってこんなにもチャーミングな音楽なのか!もっともっと多くの人に聴かれるべきものじゃないか!と思った方は、イリニウの弟子ピシンギーニャの残した珠玉の録音集も是非聴いてほしい。

 

2016/09/09

4ビートのファンク・ミュージック

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1975/2/1、大阪は中之島フェスティヴァル・ホールでの昼夜二回公演を(ほぼ)ノーカット・無編集で収録したマイルス・デイヴィスの『アガルタ』『パンゲア』。好みだけなら断然『アガルタ』の一枚目(二枚目はまあまあ)になるんだけど、音楽的にどっちが凄いかとなると『パンゲア』だよなあ。

 

 

そういう意見の人が多いし僕も異論は全くない。間違いないように思う。もちろん『アガルタ』だって充分凄いし、そもそも1975年のリアルタイム・リリースでは『アガルタの凱歌』(というタイトルだったのだ、最初は)だけが出て、しばらく経ってから『パンゲアの刻印』(だった)は姉妹作みたいにして出た。

 

 

だからリアルタイムでは『アガルタ』の方が評価が高く、当時買っていたファンも『アガルタ』こそが本命で、『パンゲア』はいわばオマケのような捉え方だったらしい。しかしCDリイシューされた頃からこの評価は逆転し、今では『パンゲア』の方を上に人が多く、僕もその一人。

 

 

夜の部の公演を収録した『パンゲア』は、しかしながら一枚目の前半はあんまり面白くないように僕は思う。ブラック・ミュージックとしてはどうにもノリが軽すぎる。オープニングがお馴染み「ターナラウンドフレイズ」だが、冒頭のアル・フォスターの叩き方からしてなんだこりゃ、走りすぎだろう。

 

 

これじゃあロックだよなあ。実際『パンゲア』の一枚目はブラック・ロックとして聴くファンが多いんだそうだ。しかしこの「ターナラウンドフレイズ」、1973年からライヴのオープニングで使われるようになったものだけど、74年まではこんな感じではなくファンクなのになあ。

 

 

ファンクな「ターナラウンドフレイズ」では、1974/3/30、ニュー・ヨークのカーネギー・ホールでのライヴ『ダーク・メイガス』のが一番凄い。重心が低くダークでヘヴィーで重たいファンク・ミュージック。しかもエムトゥーメのコンガの音が妙に目立つミックスで、それもいい感じに聞える。

 

 

1973年ヴァージョンの「ターナラウンドフレイズ」となると、もっとこう爽快で軽やかでまるで風が吹抜けるかのようなファンク。しかし長年73年ヴァージョンは公式盤収録がなかった。昨2015年に公式盤四枚組『アット・ニューポート 1955-1975』が出て、73年ベルリンでのヴァージョンが公式化した。

 

 

しかしそのベルリンの「ターナラウンドフレイズ」も1973年ヴァージョンにしてはやや重い。軽快さ、 爽快さが一番分りやすいのは同年6/19の東京公演だ。こんなに軽やかで爽やかなファンク・ミュージックというのもなかなかない。そしてグルーヴィーだ。

 

 

 

公式盤で「ターナラウンドフレイズ」が聴けるのは、以上73年『アット・ニューポート 1955-1975』、74年『ダーク・メイガス』、75年『パンゲア』の三つで全部だが、73年から75年までほぼ全てのライヴ・ステージでのオープニング・ナバーなので、ブートだとかなりの数が存在する。

 

 

そんなのをいろいろと聴くと、『パンゲア』の「ターナラウンドフレイズ」はどうしてこんなに軽すぎるノリになっているのか、僕みたいな素人には理由が分らない。ピート・コージーのソロが終ると、そのまま引続き「チューン・イン・5」になる。1973年以後この二つは必ず連続演奏で例外がない。

 

 

『パンゲア』の一枚目が面白くなるのはその「チューン・イン・5」も終る21:50から。この時期のマイルスのライヴにしては珍しくほんの一瞬だけ演奏全体が止って、21:51からマイルスが三つの音で構成される簡単なモチーフを何度が繰返し吹くところからまた別の「曲」になっていく。

 

 

そこからの約20分間がかなり面白い。これだけはいまだにタイトルが分らないもので、そもそも先行するスタジオ録音などもおそらく存在しない(少なくとも2016年現在までリリースされていない)もので、その場で瞬時にマイルスが思い付いて即興で吹いたものなんじゃないかなあ。

 

 

マイルスが吹くその三音のモチーフをすぐにベースのマイケル・ヘンダースンがなぞってリフとして弾きはじめ、続いてレジー・ルーカスがギター・カッティングで空間を刻み彩って、それでマイルスのソロに入っていく。そのマイルスのソロが絶品だ。その時期の写真などで見るかなり低い姿勢で吹いているんだろう。

 

 

1975年来日時のインタヴューでマイルスは、床スレスレくらいまで姿勢を低くして吹くとバンドの音がまた違って聞えるし、自分の吹くトランペットの音も床に反響して(ホントか?)面白い響きになるんだ、だから時々やっていると語っている。現場を観たことのない僕だけど、あのソロはそんな音に聞える。

 

 

特にマイルスが音量を下げて、従ってバンドの音もそれに合わせて小さくなって、全体的に低くくぐもったような感じのサウンドになる部分でのマイルスのソロは相当な聴き物。実際素晴しいのでその部分でバンド・メンバーの誰か(おそらくエムトゥーメ)が思わず叫び声をあげているもんね。

 

 

マイルスのソロが終るとソニー・フォーチュンのソプラノ・サックス・ソロになるが、なんなんだこのダサさは?あまりにツマランのでなにも書かず割愛する。続いて珍しいレジー・ルーカスの単音弾きソロ。この時期のマイルス・バンドのツイン・ギター体制では、ソロを弾くのはいつもピート・コージーだから。

 

 

この二人はほぼ100%完全分業体制なもんだから、レジー・ルーカスのソロが聴けるのはなかなかレアなのだ。これまた1975年来日時のインタヴューでマイルスは、レジーだってソロを弾きたい時がある、そういう時はなにか言いたいことがあるってことだから、自由にやらせていると語っている。

 

 

レジー・ルーカスがギター・ソロを弾くというのは『アガルタ』『パンゲア』全四枚を通じ、他は『アガルタ』二枚目で一回出てくるだけ。しかしそれといい今言及している『パンゲア』一枚目後半でのソロといい、ソロを弾く時のレジーはブルージーかつファンキーなピート・コージーとは違って、普通のロック・ギターだ。

 

 

レジーのソロが終り、またしばらくマイルスが小さく吹き、その終盤で最初に吹いた三音のモチーフをもう一回吹いてしばらくすると、バンド全体の演奏本編は終了するが、その後プツッという(シールドをアンプから抜くような)音に続く、ピート・コージー、レジー・ルーカス、エムトゥーメの三人が居残っての約三分も面白い。

 

 

レジーはギター、ピート・コージーはおそらく親指ピアノとその他小物、エムトゥーメがコンガなどパーカッションで、約三分間即興演奏を繰広げる。その途中エムトゥーメがコンガの表面を指でこするヒュ〜っという音に触発されて、誰かが(ホント誰?)ハミングで歌いはじめる。そこがチャーミングなのだ。

 

 

『パンゲア』一枚目はそのまるでアフリカのサヴァナを吹抜ける風のような歌声で終りを告げるのだ。ホント誰が歌っているんだろうなあ?その歌声に合わせ打楽器系の小物が鳴っているが、エムトゥーメなのかピート・コージーなのか分らない。完全に演奏が終ると観客の拍手が遠くに聞えるよね。

 

 

観客の存在感がほぼ完全にゼロで、そうじゃなくたってバンドのサウンドにもライヴの空気感みたいなものが希薄な『アガルタ』『パンゲア』の二つ全体を通じ、これが観客のいるライヴ録音なのだと実感するのが唯一のその瞬間だけなのだ。あれがなかったら聴いた感じライヴ演奏なのかも分らないかもしれない。

 

 

さて一枚目はいいとして問題は『パンゲア』の二枚目。これの艶っぽさを聴いたら一枚目や先立つ昼公演の『アガルタ』は助奏に過ぎないと思えてくるほど。『パンゲア』二枚目は「イフェ」と「フォー・デイヴ」の二つだけで構成されている。変り目は18:39から入るマイルスの弾くオルガンによるインタールード。

 

 

そのマイルスの弾くオルガン・インタールードの間にピート・コージーがその直前までクリーン・トーンに近い音で弾いていたギターにまたしても例によって深いファズをかけ、一音ギュンと小さく鳴らしてファズがかかったのを確認した後ソロを弾き始めるのだが、その部分のセクシーさがタマランよなあ。

 

 

その部分はいい時のカルロス・サンタナに似ている。どうにも最高すぎて昔からそこばっかりリピートして聴いちゃうもんね。しかしそのピート・コージーのセクシーなギター・ソロもまだまだ助奏なのだ。長めのオルガン演奏に続く28:11からのマイルスのソロこそが最大の山場。

 

 

そのマイルスのトランペット・ソロは35:52まで五分間近く続くのだが、この時期のマイルスが五分間も続けてソロを吹くなんてことはまず有り得なかった。第一にかんばしくない体調の問題と、もう一つは自分がソロを吹くよりもバンド・メンバーの演奏によるファンク・グルーヴを重視していたというのが理由。

 

 

だからやはり体調イマイチな1975/2/1の、しかも昼夜二回公演の夜の部の後半という疲れてきているに違いないところで、五分間も続けてトランペットを吹くというのはちょっと考えられない。しかもそのトランペットの音色といいフレイジングといい色っぽいことこの上ないもんねえ。

 

 

特筆すべきはそのトランペット・ソロの途中から4ビートになっているという事実。33:00あたりからだ。その前からちょっとそんな雰囲気があったのだが、33:00からははっきりとした4/4拍子で吹きはじめ、それを聴いたアル・フォスターやマイケル・ヘンダースンも合わせて4ビートの演奏になる。

 

 

アル・フォスターのその部分のドラミングはシャッフル気味だから8ビートの感触があるんだけど、ジャズにおいては戦前のデューク・エリントン楽団以来8ビート的シャッフルは多いから伝統的なリズムだ。マイケル・ヘンダースンに至っては一小節に四つの音を均等に置くというウォーキング・ベースだもんなあ。

 

 

そういう感じになってマイルスがいいソロ内容を吹いている瞬間にエムトゥーメがたまらず「カモン、マイルス!カモン・マイルス!」と叫んでいる。その叫び声の直後しばらくはマイルスが吹かないので、エムトゥーメは「オォ・・・」と言っちゃうのだが、そうなった次の瞬間にマイルスがさらに本格的にソロを吹きはじめるんだなあ。

 

 

この数分間は何度聴いても本当に素晴しい。4ビートでジャジーだからではない。これはあくまでファンクだ。4/4拍子のファンク・ミュージック。この五分間のトランペット・ソロが終ってオルガン演奏になり、それも終ると再びピート・コージーがファズの効いた音で大団円を弾きエクスタシーの終焉。その後の数分間はいわば後戯。

 

2016/09/08

ブルーズを歌う女たち

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収録曲の三分の二は既に持っているにもかかわらず買ってしまった『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』。バカだよなあ、僕って。でもそうせずにおれないというくらい古い女性ブルーズ歌手たちが大好きなんだよね。それにしてもこの『ザ・ラフ・ガイド』シリーズ、いったい何枚あるんだろう?

 

 

英国の World Music Network がリリースしている『ザ・ラフ・ガイド』シリーズ。ジャンルで括ったり一人の音楽家に絞ったりしてたくさん出ているが、他に僕が持っているのは『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』だけ。しかしアマゾンでちょっと見てみたら相当な数がある。

 

 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ゴスペル・ブルーズ』はタイトルでお分りの通り、僕も繰返しているようにゴスペルとブルーズの境界線は引けないんだというのを実際のいろんな音楽家の録音全25曲を並べて実証するというもの。こういうアンソロジーはなかなかないと思うので買ってみた。楽しいよ。

 

 

『ザ・ラフ・ガイド』シリーズでも、一つのジャンルや一人の音楽家に絞ってあるものは特に持っておく必要がないので僕は買う気がしないが、米英大衆音楽だけでなく世界のいろんな音楽、例えばアラブ音楽やトルコ音楽などのアンソロジーもあるようだから、初心者向けにはいいのかもしれない。

 

 

今年2016年にリリースされた『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』も、これを買ったのは1920〜30年代の古い女性ブルーズ歌手が大好き(全25曲の収録音源の録音年は1922年から、新しくても35年まで)だからというのも理由だけど、実はもっと大きな理由があるのだ。

 

 

それは多くの場合両方を熱心に聴く人がやや少ないんじゃないかと思う、ピアノやジャズ・バンドの伴奏でやる都会のブルーズ、通称クラシック・ブルーズの女性歌手と、そのちょっと後に録音を開始するギター伴奏がメインの田舎のブルーズ、通称カントリー・ブルーズの両方が収録されているからだ。

 

 

1920年代が最盛期のクラシック・ブルーズが女性中心の世界だったことはみなさんよくご存知のはず。そして成立していたのはもっと早かったはずだけど録音開始は少し遅れたカントリー・ブルーズは、やはり男性がギターを鳴らしながら歌う世界だという認識のファンが多いんじゃないかなあ。

 

 

言うまでもなくカントリー・ブルーズの世界にも女性歌手が結構いる。そして『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』では、それら女性が歌うカントリー・ブルーズ(というかルーラル・ブルーズと書いておいた方が誤解がないかも)とクラシック・ブルーズの録音両方を、そこそこ上手い具合に並べている。

 

 

そのおかげで『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』では、録音開始時期がより早かったせいでレコードも流通していたせいだろう、1920年代のクラシック・ブルーズの女性歌手が、その後に録音を開始するカントリー(ルーラル)・ブルーズの女性歌手に与えた影響も分るんだよね。

 

 

そんな具合のブルーズ・アンソロジーって今までなかったんじゃない?少なくとも僕は知らないので、それで『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』を買ってみたという次第。ただしこれ一枚を普通に通して聴いているだけだと、そんなブルーズ史的影響関係のお勉強をしている気分には全くならない。

 

 

やはり僕はこういう古いブルーズが大好きなせいなんだろう、『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』は単なる娯楽、聴いて楽しいエンターテイメントなんだよなあ。夜中12時過ぎにこれを大きすぎない音量で鳴らしていると、就寝前のいい感じのベッドタイム・ミュージックになる。

 

 

ちょっと話が逸れちゃうようなそうでもないようなことを書いておく。僕の大好きでたまらないルイ・アームストロングの1927年録音「ポテト・ヘッド・ブルーズ」を、誰だったか名前は完全に忘れちゃったけれど戦前の女優が大変気に入っていて、毎晩寝る前には必ずこれを聴いてからベッドに入っていたという。誰だっけなあ?

 

 

そんなに大きくは話が逸れていないように思う。『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』にはそのサッチモが伴奏をやった録音が複数含まれているからだ。サッチモの1920年代録音は<ブルーズ>の枠で扱ってもいいくらいで、小出斉さんもブルーズのガイドブックに載せてくれたらいいのになあ。

 

 

小出さんの『ブルースCDガイド・ブック』にはベシー・スミスなどいわゆるクラシック・ブルーズはもちろん掲載されている。それらの録音の多くでサッチモが伴奏を務めているし、そうでなくなって1920年代のサッチモはブルーズ・ナンバーばっかりで区別不可能なんだから、やっぱり載せてよね、小出さん。

 

 

それははともかく『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』。だいたいが知っている歌手で既に持っている録音が多い。そうであるとはいえ、マ・レイニー、ベシー・スミス、シッピー・ウォレス、メンフィス・ミニーなど超ビッグ・ネームに並んで、知らない名前も少し混じっていた。

 

 

例えば八曲目のロッティ・キンブロウ(Lottie Kimbrough)という歌手は知らん。ファット・ポッサムに録音した(ってことは当然かなり最近の)ジュニア・キンブロウという男性ブルーズマンがいたけれど、関係あるのかなあ?ギター伴奏だけだから彼女一人での弾き語り録音なのか?

 

 

ロッティ・キンブロウは「ローリン・ログ・ブルーズ」という1928年録音が収録されているけれど、これのギターが彼女自身だとするとなかなか上手い。ラグタイム・ギターの名残も感じるスタイルで、ちょっぴり(男性だけど)ブラインド・ウィリー・マクテル風な弾き方だなあ。

 

 

ブラインド・ウィリー・マクテルといえば、その奧さんケイト・マクテルが『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』に一曲収録されている。10曲目の1935年録音「ガッド・ドント・ライク・イット」で、これは当時の夫ブラインド・ウィリーとのデュオ録音で、かなり聴かせるいいブルーズだ。

 

 

ケイト・マクテルはヴォーカルだけで、ギター伴奏をブラインド・ウィリーがやっているんだけど、彼もスーパー・スターだから、そのギター・スタイルについて解説しておく必要は全くない。なおその1935年録音というのは、21曲目ルシール・ボーガンの「シェイヴ・エム・ドライ」と並び、このアンソロジーでは最も新しい録音。


 

そのルシール・ボーガンの「シェイヴ・エム・ドライ」は1935年録音とは思えない古いスタイルで、完全にその10年くらい前のクラシック・ブルーズだなあ。伴奏もさほどブルージーではないピアノ一台だけ。ひょっとしたらそれはクラレンス・ウィリアムズかもしれないが、記載がないし自信もない。


 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』CD には、パーソネルなど詳細な録音データや解説文を記載したブックレットみたいなものは付いておらず、パッケージに曲名と作者名と歌手名と録音年の四つが愛想なく並んでいるだけだから、僕が知らない録音は伴奏者が分らないのだ。

 

それでも1935年録音のピアノ伴奏しか入っていないルシール・ボーガン「シェイヴ・エム・ドライ」を聴くと、そのピアノ・スタイルは、クラレンス・ウィリアムズなんじゃないかという気が僕はするんだなあ。というのはこのピアニストはベシー・スミスの伴奏をやった人なので僕も非常によく知っている。


 

ただしルシール・ボーガン「シェイヴ・エム・ドライ」は1935年録音で、その伴奏ピアノのスタイルにはブギ・ウギ・ピアノの影響がはっきりと聴取れる。だからこれはベシー・スミスの伴奏では全くブギ・ウギがないクラレンス・ウィリアムズが後にそれを習得したか、あるいはやはり別のピアニストなのかも。


 

そんなクラレンス・ウィリアムズ(かどうか)が伴奏をやった時代もあるベシー・スミスの録音も『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』には当然のように収録されている。そもそもご覧のようにこのアルバムのジャケット・デザインがベシーの写真を使っているんだから、代表格ってことだよね。


 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』に収録されているベシー・スミスは四曲目の「ケアレス・ラヴ・ブルーズ」。ベシーの最も有名なレパートリーの一つだ。伴奏のコルネットが前述の通りルイ・アームストロング。フレッチャー・ヘンダースン楽団在籍時代だ。やっぱりいいよなあこれは。


 

サッチモが伴奏をやったベシーの録音の筆舌に尽しがたい素晴しさについては昔から大勢の方々が書いているので、僕が加えることはなに一つない。いやあ、僕はホントにベシーのこういう歌が大好きで大好きでたまらない。なんて魅力的なんだ。彼女一人で最高に感動的なのにサッチモまで聴けるだからなんの文句もない。


 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』にはサッチモが伴奏をやったものがもう一曲収録されている(が前述の通り記載はない)。七曲目のバーサ・チッピー・ヒルの26年録音「トラブル・イン・マインド」。僕はこれのコルネット伴奏がサッチモだと知っているけれど、知らなくたって聴けばみんな分るはず。


 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』には、以前書いた通り(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-f983.html)僕の大好きな古いブルーズ・スタンダードである「エイント・ノーバディーズ・ビジネス」もあるのが嬉しい。13曲目のサラ・マーティンによる1922年録音だ。


 

サラ・マーティンのヴァージョンでは曲名が「テイント・ノーバディーズ・ビジネス・イフ・アイ・ドゥー」表記になっている。正直に告白するとサラ・マーティンという歌手もそれまで名前を知らなかったので調べてみたら、なんと「最も人気のあったクラシック・ブルース歌手の一人」だそうだ。う〜〜ん・・・。


 

そんでもってサラ・マーティンの歌う1922年録音の「テイント・ノーバディーズ・ビジネス・イフ・アイ・ドゥー」は相当に有名なんだそうで、というのは『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』には記載がないが、これの伴奏ピアニストがファッツ・ウォーラーだということになっていて、しかもこれがこの曲の史上初録音だというデータもある。う〜〜ん・・・。


 

どうして「う〜〜ん」と唸っているかというと僕はファッツ・ウォーラーの全録音を持っている。それで慌ててその四枚組が六つというファッツの全録音集ボックスを見たら、一箱目一枚目の三曲目にサラ・マーティンの歌う「テイント・ノーバディーズ・ビジネス・イフ・アイ・ドゥー」があるじゃないのさ。


 

そのファッツ・ウォーラー全集附属のデータ記載を見たら、サラ・マーティンとファッツ・ウォーラーの「テイント・ノーバディーズ・ビジネス・イフ・アイ・ドゥー」は1922年12月1日、ニュー・ヨークでの録音なんだなあ。しかしどうしてこれを忘れていたんだろう?サイズが大きいから iTunes に入れていないせいか?検索しても出てこないわけだから。

 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』。二曲目にマ・レイニーの歌う「スタック・オ・リー・ブルーズ」があり、九曲目にピアノ弾き語りのデルタ・ブルーズ・ウーマン、ルイーズ・ジョンスンがあり、12曲目にはお馴染み女性ギター弾き語りのパイオニア、メンフィス・ミニーがあったりなどなど。


 

『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』で一番ビックリしたのは17曲目の「ジ・アーケイド・ビルディング・モーン」を歌うリオーラ・マニング(Leola Manning)だなあ。この人も知らなかったが、すんごい張りのある堂々としたビッグ・ヴォイスで、こりゃ最高だ。この曲名はひょっとしてビル火災かなにかのことだろうか?


 

単に大好きだからというのと、クラシック・ブルーズとカントリー・ブルーズが一緒に並んでいるという今まで見たことのない選曲・配列だったので僕は買った『ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・ウィミン』。このあたりの古い女性ブルーズ歌手にどれだけの人が興味を持つか分らないけど、本当に楽しいよ。


 

シリーズ・タイトル通り雑で荒っぽいものかもしれないけれど、1920〜30年代の古い女性ブルーズ歌手入門の取り敢ずのとっかかりの一枚としては、なかなかよくできたアンソロジーだと思うので、今までこういうのは苦手だなあと敬遠していたリスナーの方々にも是非オススメしておきたい。

 

2016/09/07

脂の乗りきったソウル歌手の来日公演

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今年2016年初頭に残念ながら亡くなってしまったソウル歌手オーティス・クレイ。同じオーティスならレディングよりこっちの方に僕は思い入れがあるんだけど、彼の残した録音のなかで僕が一番好きなのが、数年前に二枚組CDで完全盤としてリイシューされた1978年の初来日公演盤『ライヴ!』だ。

 

 

僕はアナログ時代にはこの『ライヴ!』は聴いたことがなく、というか何度も書いているようにそもそもソウル・ミュージック全般についてそんなもんで、まあまあ聴くようになったのもCDリイシューがはじまってからの話。オーティス・クレイの『ライヴ!』は以前一度CDリイシューされていたらしい。

 

 

その不完全だったという一度目のリイシューCDの時はなんとなく買い逃していて、数年前、確か2014年にリイシューされた二枚組がアナログ盤(も二枚組だったようだ)の完全リイシューだというのでかなり話題になっていたので僕の耳にも届いてきて、それで気になって買ってみたら最高だったね。

 

 

正直に告白するとこれがオーティス・クレイ初体験だった僕。のはずだと思ってよく調べてみたら2012年の Kent 盤『ホール・オヴ・フェイム:レア・アンド・アンリイシュード・ジェムズ・フロム・ザ・フェイム・ヴォールト』に「アイム・クォリファイド」が入っているなあ。これはリリース当時から持っていた。

 

 

フェイムというスタジオの名前にはやや敏感な僕で、それは1990年代末にスペンサー・ウィギンズのフェイム録音を聴いてぶっ飛んでしまった(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-da12.html)のが原因なんだけど、それ以前からいろんな音楽でかなり知られたスタジオ名だったしね。

 

 

だから英 Ace / Kent がどんどんリイシューするフェイム録音集は出たら即全部買っている僕なので、『ホール・オヴ・フェイム』もそれで買ったに違いないんだけど、一度か二度聴いてそのままになっていた。今見直したらオーティス・クレイはもう一つ「ユア・ヘルピング・ハンド」も入っている。

 

 

しかしホント全然憶えてなかったなあ。そもそも第二集まで出ている『ホール・オヴ・フェイム』には知っている名前があまりない。ほぼ全員初耳の歌手ばかり。オーティス・クレイだってそれまで名前すら見たことなかったはずだし、聴いたはずなのに2014年の『ライヴ!』発売まで完全に忘れていた。

 

 

2014年の『ライヴ!』が素晴しかったもんだから、それで慌てて iTunes 内を検索して(再)発見しただけなのだ。『ホール・オヴ・フェイム』収録の「アイム・クォリファイド」は『ライヴ!』でもやっている。聴直したら『ホール・オヴ・フェイム』収録ヴァージョンもいいけれど、その話は今日はしない。

 

 

『ライヴ!』の「アイム・クォリファイド」はライヴ本編の二曲目で、一曲目の「アイヴ・ガット・トゥ・ファインド・ア・ウェイ」と切れ目なしに繋がっている。その変り目の瞬間が最高にスリリングだ。そもそもその一曲目冒頭のMCがカッコよくて、と言っても種々のライヴ盤で聴ける普通のスタイル。

 

 

普通のソウル・レヴューのオープニングだよね。MC が曲名を言うと瞬時にバック・バンドがその触りを演奏し、またすぐに次の曲名を言うとそれを演奏・・・、がいくつか続いて本編へのイントロダクションになっているという具合の例の奴。僕は大学生の時にジェイムズ・ブラウンの1967年アポロ・ライヴ盤で初めて聴いた。

 

 

オーティス・クレイの『ライヴ!』本編冒頭でも全く同じマナーでやっているだけという伝統的なやり方だけど、本当にそれがカッコいいんだ。MC が曲名を言った次の瞬間にドラマーがスネアをバンバン!と二発叩いて、続いて即座にバンドが演奏するという、そのスネアの音やエレベやホーンの音やら全部がカッコイイ。

 

 

オーティス・クレイが歌いはじめる前のそのイントロダクションでも分るし、本編の歌のバックでも分るんだけど、このバック・バンドの肝は間違いなくベースのラッセル・バーナード・ジャクスンだ。彼がリーダーシップをとって引っ張っている。彼の弾くベース・ラインもファンキーでカッコイイもんなあ。

 

 

あとはドラムスのアンソニー・ドゥワイト・コールマンのハイハット・ワークもいいなあ。最高にグルーヴィーだ。ギターは僕の耳にはどうってことのない普通の人に聞える。ピアノやオルガンといった鍵盤楽器奏者がおらず、サウンドに彩りを添えるのはもっぱら三本のホーン・セクションだ。

 

 

なおバック・バンド・メンバーの名前は『ライヴ!』の紙ジャケット裏に書いてあるんだけど、それがまあ本当に小さい文字で、カラーリングとしても見にくい色合で、老眼鏡をかけてかすかに見えるという程度。しかしそれは見えるからまだいい。ひどいのは封入されている日本語ライナーノーツだ。読めないんだよ。

 

 

老眼鏡をかけてすら文字が小さすぎてほぼ読めない日本語ライナーノーツ。結局かなりの倍率の虫眼鏡を使わないと読めなかった。こんなのじゃあ若い人だってちょっと読めないはずだ。ジャケット本体のデザインも含めオリジナル・アナログ盤完全再現を謳っているせいだけど、読めないものを付けても意味がないだろう。

 

 

そして虫眼鏡で読んだその日本語ライナーノーツは桜井ユタカさんの文章なんだけど、なんだかこの1978年オーティス・クレイ来日時の周辺情報ばっかり書いてあって、肝心の音楽の中身についてはなに一つ触れていないので、苦労して読む価値はほぼなかった。もっと書くべきことがあるんじゃないの?

 

 

『ライヴ!』のバック・バンドの面々の紹介文とか、収録曲のオリジナル・ヴァージョンは何年にどのレーベルに録音したももので、それはどんな感じでどのレコードで聴けるだとか、1978年当時には日本ではまだ聴く人が少なかったらしいオーティス・クレイの略歴とかヴォーカル技術とか、その他いろいろと。

 

 

今はネットで調べればなんでもだいたい分ってしまうからいいようなもんだけど、この桜井ユタカさんのライナーノーツは1978年リリース当時のものらしいからなあ。だから当時はまだ情報が少なかったはずだ。それに2016年にネットで調べてすら『ライヴ!』について詳しい文章はあまり出てこないもんね。

 

 

熱心なオーティス・クレイ・ファン、ソウル・リスナーならみなさんご存知のことだからということなのかもしれないが、『ライヴ!』を買うのはそんな人ばっかりじゃない。現にこの僕がそうだ。そしていざ音を聴いてみたら最高にカッコよくて痺れちゃって惚れたから、データや知識なんて音楽の感動には関係ないものではあるけれども。

 

 

それでも『ライヴ!』を聴いて、オッ、この曲がいいぞ!と思ってオリジナルを聴きたいと思っても、ライナーノーツに書いてないばかりかネットで調べてもすぐには分らないので、自力でなんとか調べまくって探してようやく辿り着いているという次第。それだってソウル素人の僕がやることだから怪しいんだよ。

 

 

グチはやめとこう。とにかくオーティス・クレイの『ライヴ!』がソウルフルでファンキーでカッコイイという話だ。この1978年の彼にとっての初来日は O. V. ライトのピンチ・ヒッターだったらしい。予定していた O.V. が病気で来日できなくなったので、急遽の代打だったんだそうだ。

 

 

当時オーティス・クレイは O.V. と同じくハイと契約していたので、それで白羽の矢が立ったんだろうね。しかし急遽の代打だったにしては、アルバムを聴くとバンドの演奏の一体感といいそれに乗って歌うクレイのヴォーカルの熟れ具合といい文句なしじゃないか。翌年の O.V. 来日公演盤より音楽的中身は上だ。

 

 

とにかくオープニングの「アイヴ・ガット・トゥ・ファインド・ア・ウェイ」〜「アイム・クォリファイド」のメドレーが凄くカッコイイから、そこばっかりリピートして聴いてしまう僕。オーティスの喉は明らかにゴスペル由来のメリスマだなあと思って調べてみたら、やっぱりゴスペル出身だった。

 

 

オーティス・クレイの『ライヴ!』を聴いても、そのゴスペルで鍛えたコブシ廻しが活きているのを実感する。さっきから書いている冒頭二曲のメドレーで充分分るけれども、もっとよく分るのが三曲目「レット・ミー・イン」とか続く「プレシャス・プレシャス」とか「アイ・キャント・テイク・イット」などだ。

 

 

それらのソウル・バラードでのオーティス・クレイの歌い方は強く張りのある声でグリグリとコブシを廻し、聴き手を説き伏せるような圧倒的な存在感で素晴しいの一言に尽きる。アップ〜ミドル・テンポのビートの効いた曲も見事だしバラードも文句なしで、言うことないね、このライヴ・アルバムは。

 

 

翌1979年の O. V. ライトの来日公演盤はある種別の意味で感動を呼ぶわけだけど、前年のオーティス・クレイの来日公演盤『ライヴ!』は歌手の脂の乗りという意味では断然こっちが上だ。ソウル歌手の日本でのライヴ・アルバムでは間違いなくこれが一番優れた作品じゃないかと思う。ひょっとしてまだご存知ない方は是非!

 

2016/09/06

裏リターン・トゥ・フォーエヴァー

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スタン・ゲッツというサックス奏者は、一般的はクール・ジャズのなかに括られて認識されているはずなんだけど、僕は昔からゲッツとズート・シムズの二人については、これに強い違和感がある。どこがクールなんだ、この二人は?かなりホットじゃないか。まあ音色がスムースだとかその程度のことだろう。

 

 

そういえばマイルス・デイヴィスも「俺にはスタン・ゲッツとズート・シムズ以外の白人サックスはみんな同じに聞えるよ」と言っていたなあ(なにかにつけていつもマイルスを引合いに出すのはやめろって)。しかしこの言葉がかなりの部分うなずけるものだってのは、だいたいみなさん同じだろう。

 

 

ズート・シムズについてはまた別の機会に書くとして今日はスタン・ゲッツ。彼は1940年代後半にウディ・ハーマン楽団でデビューしたあたりから名を上げて、50年代前半のアルバム、特に最初は10インチLP二枚だったのをあわせた『スタン・ゲッツ・プレイズ』あたりが代表作とされているよね。

 

 

もちろんそのノーグラン盤もいいんだけど、僕にとってのゲッツはちょっと違う。といっても一連のボサ・ノーヴァ風のものでもないよ、もちろん。ああいう1960年代前半の諸作は僕には良さが分らない。僕にとってのスタン・ゲッツは、すばり『キャプテン・マーヴェル』の人だ。

 

 

『キャプテン・マーヴェル』は1974年のコロンビア盤で、これにはチック・コリアが参加。そして断言するが『キャプテン・マーヴェル』こそが僕にとってのスタン・ゲッツなのだ。リリースは74年だけど、録音は72年3月に行われている。

 

 

『キャプテン・マーヴェル』こそがスタン・ゲッツの最高傑作だったと僕が信じているのにはいくつか理由がある。一つにはこれが相当にホットなテナー・プレイが聴ける一枚だからだ。もしこれをお聴きでない方で「クール・テナー」の形容を信じている人ならば、聴いたらビックリするだろう。

 

 

もう一つ、『キャプテン・マーヴェル』は言ってみれば<裏リターン・トゥ・フォーエヴァー>的とも言える一枚で、参加メンバーもチック・コリア、スタンリー・クラーク、トニー・ウィリアムズ、アイアート・モレイラとほぼ同じ。収録曲も一つのスタンダードを除き全てチックの自作曲なんだよね。

 

 

1972年結成当時のリターン・トゥ・フォーエヴァーは、ご存知チック・コリア、ジョー・ファレル(サックス&フルート)、スタンリー・クラーク(ベース)、アイアート・モレイラ(ドラムス)、フローラ・プリム(ヴォーカル&パーカッション)。このメンツで残されたアルバムはECMとポリドールに一枚ずつ。

 

 

そしてファースト・アルバムであるECM盤『リターン・トゥ・フォーエヴァー』の録音が1972年2月、セカンド・アルバムであるポリドール盤『ライト・アズ・ア・フェザー』の録音が同年10月。だからゲッツの『キャプテン・マーヴェル』はその狭間である三月に録音されている。

 

 

しかもゲッツは1972年にわずか半年ほどではあるが、チック・コリア、スタンリー・クラーク、トニー・ウィリアムズとのカルテット編成のバンドをレギュラー的に率いているんだよね。つまり『キャプテン・マーヴェル』はこのレギュラー・カルテットにパーカッションでアイアートが加わっただけ。

 

 

そんでもって『キャプテン・マーヴェル』の収録曲も、B面にビリー・ストレイホーンが書いて多くのジャズメンがやったのでスタンダード化した「ラッシュ・ライフ」がある以外は、書いたように全てチックの自作曲で、しかもだいたいリターン・トゥ・フォーエヴァーの最初の二枚に収録されている。

 

 

さらに『キャプテン・マーヴェル』でのチックは全面的にフェンダー・ローズに徹している。以上書いてきたようなわけだから、このアルバムは実質的にはリターン・トゥ・フォーエヴァーであって、そして重要なことはリターン・トゥ・フォーエヴァーのヴァージョンよりも内容が上なんだよね。

 

 

例えば『キャプテン・マーヴェル』一曲目の「ラ・フィエスタ」。これももちろんリターン・トゥ・フォーエヴァーの曲としてかなり有名なはずのスパニッシュ・ナンバー。彼らのファースト・アルバムのB面いっぱいをしめる同曲は「サムタイム・アゴー」とのメドレー形式で、23分以上もあるものだ。

 

 

 

「ラ・フィエスタ」は16:27から。これもかなりいいし、僕も大好き。今聴き返すとちょっと長すぎるんじゃないかという気もするけれど、この1960年代後半〜70年代前半には、音楽ジャンルを問わずこういう長尺トラックがたくさんあったよね。

 

 

しかし僕の場合は昔も今もこのアルバムはフローラ・プリムがヴォーカルを取る二曲、すなわち A面ラストの「ワット・ゲーム・シャル・ウィー・プレイ・トゥデイ」と、B面の「サムタイム・アゴー」の二つこそが一番いいような気がしている。なんというか曲もまあまあポップだもんねえ。ヴォーカルが入っているというのもいい。

 

 

それはそれとして音源を貼ったリターン・トゥ・フォーエヴァーの「ラ・フィエスタ」をゲッツの『キャプテン・マーヴェル』収録ヴァージョンと聴き比べていただきたい。こりゃどう聴いてもゲッツ・ヴァージョンの方が聴応えがあるんじゃないだろうか?

 

 

 

最も大きく違うのはサックス奏者の力量だ。ソプラノのジョー・ファレルとテナーのスタン・ゲッツでは比較にすらならんような気がするもんなあ。どう聴いたって断然ゲッツの方が上だろう。しかもお聴きになれば分る通り、ここでのゲッツは相当に熱い。ホットだ。どのへんがクール・テナーなんだこれ?

 

 

ゲッツがこうなっている最大の原因はトニーの猛プッシュだろう。アイアートもいいんだけど、トニーのこの派手で躍動感に富むドラミングには及ばないだろう。アイアートのドラマーとしての旨味はそういう部分ではないように僕が思うのは、パーカッショニストとしての彼を聴きすぎているせいなのだろうか?

 

 

ゲッツはこういう「ラ・フィエスタ」みたいなフュージョンで、しかもスパニッシュ・スケールを使ってあって、さらにスパニッシュで8ビートな部分と、メジャー・スケールで4ビートな部分を行き来するような難曲に慣れていなかったせいなのかどうか分らないが、若干戸惑っているように聞える部分がないわけではない。

 

 

これのスタジオ録音が1972年3月3日だけど、前述の通り同年にゲッツは同一メンバーによるレギュラー・カルテットを率い活動していて、一枚だけライヴ収録されたアルバムがある。『スタン・ゲッツ・カルテット・アット・モントルー』というポルドール盤。これもなかなか素晴しいんだよね。

 

 

『スタン・ゲッツ・カルテット・アット・モントルー』はタイトル通りモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで1972/7/23にライヴ収録されたもの。これに『キャプテン・マーヴェル』収録の代表曲のライヴ・ヴァージョンがある。「ラ・フィエスタ」も「キャプテン・マーヴェル」もある。

 

 

『スタン・ゲッツ・カルテット・アット・モントルー』を聴くと、やはりライヴならではの熱さみたいなものが聴取れる。スタジオ・オリジナルでは若干戸惑いながら吹いているのかも?と上で書いた「ラ・フィエスタ」も、四ヶ月後のモントルー・ライヴでは全くなんの問題もなく吹きこなしているもんね。

 

 

しかも『スタン・ゲッツ・カルテット・アット・モントルー』には『キャプテン・マーヴェル』ではやっていない超有名曲が一つある。「アイ・リメンバー・クリフォード」だ。ご存知早世した天才クリフォード・ブラウンに捧げたベニー・ゴルスン・ナンバー。だから大抵の場合トランペッターがやる曲。

 

 

そんなトランペッターのための曲を、チックのフェンダー・ローズ伴奏に乗ってゲッツがテナーで吹いているのもなかなかいい。『スタン・ゲッツ・カルテット・アット・モントルー』には『キャプテン・マーヴェル』でやった「ラッシュ・ライフ」もあるしね。スタンダードはそれら二曲だけで、他は全てフュージョン。

 

 

『キャプテン・マーヴェル』にしろ『スタン・ゲッツ・カルテット・アット・モントルー』にしろ、あんなものはフュージョンじゃないか、ゲッツはメインストリーム・ジャズの人なんだぞと軽視してあまり聴かないファンってのが確かに一定数存在するんだろう。中身は最高なんだけどなあ。

 

 

『キャプテン・マーヴェル』収録の他の曲、例えば「クリスタル・サイレンス」もリターン・トゥ・フォーエヴァーの一枚目で、「ファイヴ・ハンドレッド・マイルズ・ハイ」「キャプテン・マーヴェル」も彼らの二枚目『ライト・アズ・ア・フェザー』でやっているものだから、そっちで有名なはずだけどさ。

 

 

それ以外の「タイムズ・ライ」「デイ・ウェイヴズ」というチックの自作曲も、録音は残っていない(はず)けれど、やはり当時のリターン・トゥ・フォーエヴァーのレパートリーだったもの。ってことは『キャプテン・マーヴェル』は「ラッシュ・ライフ」以外ぜ〜んぶ裏リターン・トゥ・フォーエヴァーだということになる。

 

 

1972年初頭のチックはリターン・トゥ・フォーエヴァーの一作目の収録は既に終えてはいたものの、おそらくこのグループの方向性を模索していた時期で、それでこのバンドのレギュラー活動ではなく、スタン・ゲッツに誘われるがまま彼のレギュラー・バンドに、曲もメンバーもほぼ全部流用したということなんだろう。

 

 

だから(なんでも聞いた話ではチックのボストンにある自宅の近郊に住んでいたという理由で)トニーをドラマーにしたのを除けば、ボスのゲッツ以外のバンド・メンバーが『キャプテン・マーヴェル』とリターン・トゥ・フォーエヴァーで全く同じで、収録曲もほぼ全て同じということになっているわけだ。

 

 

ってことはゲッツの『キャプテン・マーヴェル』や、その後そのままカルテットで約半年間レギュラー活動し『スタン・ゲッツ・カルテット・アット・モントルー』になって一枚だけライヴが残っている、そんな音楽の実質的なリーダーはゲッツではなくてチックなんだよね。彼がバンドを支配しているのは聴けばみんな分る。

 

 

そういうわけだから今日何度も繰返しているようにゲッツの『キャプテン・マーヴェル』や『スタン・ゲッツ・カルテット・アット・モントルー』は<裏リターン・トゥ・フォーエヴァー>だってことになるわけだけど、それでも実質的にチックの作品だとはいえ、これら二枚で聴けるゲッツのテナーの激アツぶりも特筆すべきものだろう。

 

 

それらゲッツ名義で実質的にはチックのアルバムである二枚は、音楽的な充実ぶり、サックス奏者の吹奏ぶり、ドラマーの激しい猛プッシュぶりなどなどで、名実ともにチックのバンドであるリターン・トゥ・フォーエヴァーの1972年頃の音楽よりも上を行っているとしか聞えない。こっちの方がいいよ。

 

2016/09/05

邯鄲にて

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ボブ・ディラン・ナンバー「アイ・シャル・ビー・リリースト」のレゲエ・ヴァージョンがある。いや、そんなものは存在しない。少なくとも僕は知らない。現世ではというか現実世界にはね。この曲のレゲエ・ヴァージョンというのは今朝の僕の夢のなかに出てきたものなのだ。僕は見た夢をハッキリと憶えていることが結構ある。すごくリアルな夢だった。

 

 

それでもやはりしばらく経つと忘れそうなので記憶が鮮明なうちにと思って、この文章は今日がお休み(今は八月前半)なのをいいことに、起床直後にトイレにも行かず顔も洗わず歯も磨かず、速攻で Mac に向いキーボードを叩いて書いている。その夢のなかでは、僕はなにか大規模野外ロック・フェスティヴァルみたいなところで演奏していた。

 

 

もし僕が音楽家なら起床直後に向うのは Mac ではなく楽器だよなあ。寝る時もシステム終了しないから速攻で触れる Mac と違い、現在の自室にある二本のギターは押入れの中。今この瞬間にもレゲエ・ヴァージョンの「アイ・シャル・ビー・リリースト」が鮮明に鳴っているんだけど、それが自分の頭のなかでだけなんて、まるでフランク・ザッパの『ジョーのガレージ』最終盤における主人公みたいな気分だよ。

 

 

しかしながら現実生活で僕が経験してその雰囲気を知っている大規模野外音楽コンサートは1991年のマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルだけ。そのかすかな記憶と、テレビや DVD で観る種々のロック系大規模野外コンサートの様子から類推しているだけなんだけどね。

 

 

その野外コンサートでの僕の出番はトリで、しかもアンコールのラスト、つまりその大規模野外ロック・フェスティヴァルの大トリでボブ・ディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」をストラトキャスターを弾きながら、バンドの伴奏付で、派手なロック・ヴァージョンにして歌ったのだった。

 

 

ロック・フェスティヴァルのオーラスでやる「アイ・シャル・ビー・リリースト」なら、誰もがザ・バンドの解散コンサート『ザ・ラスト・ワルツ』におけるそれを思い浮べるだろう。あれもいいよね。いろんな歌手や演奏家が賑やかに参加しているし楽しい。

 

 

僕の夢のなかでの「アイ・シャル・ビー・リリースト」は、基本的にはボブ・ディラン30周年記念コンサートでクリッシー・ハインドがやっているヴァージョンそのまんまをコピーしていた。だって以前も一度書いたように、彼女のあのヴァージョンが僕は大好きなのだ。

 

 

 

お聴きになればお分りの通りのこの雰囲気そのままに、夢のなかでの僕も、クリッシー・ハインドみたいにエレキ・ギター(は僕の場合間違いなくストラトキャスターだった)を弾きながらロックな「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌った。問題は間奏のギター・ソロが終り3コーラス目も歌い終ってからだ。

 

 

そこまではクリッシー・ハインド・ヴァージョンそのままにやっていたのに、間奏のギター・ソロのあと3コーラス目を歌い終ると、僕は瞬時にギターで、あの(ン)ジャ!(ン)ジャ!というレゲエのビートを突然刻みはじめた。自分でも全く想定していなかった即興的思い付き。ほんの一瞬のことだったのだが、バンドが即それに合わせてレゲエをやりはじめる。

 

 

それで僕を含めバンド全体の演奏がレゲエになってしまい、そのレゲエ・ビートに乗ったまま僕は続けて「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌い続ける。と言ってもレゲエに移行してからの歌詞はディランの書いたものではなく、僕がその場で思い付くままアドリブで独自の英語詞を歌っていた。

 

 

コンサートが終って楽屋へ帰ると音楽評論家の高橋健太郎さんが来て(会ったことはないが写真で顔は知っている)「どうしてあそこがレゲエになったんでしょう?」と問うのだが、僕は「自分でもサッパリ分らない、ただ瞬時になぜだかそうなってしまった」と答える。プロ・ギタリストでもある健太郎さんはその場でアクースティック・ギターを弾いてそれを再現しようとするが、僕は加わらない。

 

 

僕の歌った「アイ・シャル・ビー・リリースト」レゲエ部分での即興英語詞は、ディランの書いたオリジナル詞の持つ意味を大幅に拡大解釈したようなもので、現在の状況から「解放されたい」というような強いメッセージだった。日本では安倍自民が勝手気ままにやり、不寛容な国フランスではイスラム教徒の肩身がどんどん狭くなり、同様に不寛容な主張を持つドナルド・トランプがアメリカでは大統領になるかもしれないというような状況からの「解放」。

 

 

そんな強い社会的メッセージ性を帯びた歌詞をレゲエのビートに乗せて歌うもんだから、あたかもまるで、やはり種々のメッセージを投げかけたボブ・マーリーが「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌っているかのようなフィーリングになっていた。ギターを刻み歌いながら僕は自分がボブ・マーリーになったんだと思っていた。

 

 

いや、でもディランの書いた「アイ・シャル・ビー・リリースト」の歌詞がいったいなにを言おうとしているのか、僕は2016年の現在でもいまだにハッキリとは分っていない。昔はなにがなんやらチンプンカンプンだった。そもそもこの曲が初めて世に出たのはザ・バンドのヴァージョンだったよね。

 

 

 

すなわち1968年の『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』のアルバム・ラスト。歌うのはリチャード・マニュエルなんだけど、リチャード・マニュエル自身この時はディランの書いた歌詞の意味がよく分らなくて、しかし分らないまま歌ったんだという。こうだからやっぱり歌詞の意味の理解と歌の表現力には強い関係はないよね。

 

 

だってあの『ビッグ・ピンク』ラストの「アイ・シャル・ビー・リリースト」におけるリチャード・マニュエルの歌を聴けば、誰だってただならぬ雰囲気に圧倒されるはずだ。それは歌がそうだということもあるけれど、歌手自身の弾く印象的なピアノ・イントロと、ガース・ハドスンのロウリー・オルガンのせいもある。

 

 

それにしてもあの「アイ・シャル・ビー・リリースト」におけるオルガンの音はなんなのだ?最初に聴いた時はオルガンなんだかなんなんだか、とにかく正体不明のワケの分らない音がフワ〜ッと漂うように鳴っているとしか思えなかった。まるでまとわりつく靄とか霧みたいなサウンドだよなあ。

 

 

それを弾いているのがガース・ハドスンという人で、しかも彼はロウリー・オルガンを使っているんだというのを知ったのは、僕の場合随分と後になってからのこと。オルガンというとジャズ・オルガニストなども使うハモンド B-3の音はよく知っていたけれど、ロウリー・オルガンとは名前すら知らなかった。

 

 

そんでもって「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌うリチャード・マニュエルの声質と歌い方も昔の僕はイマイチ好きではなく、レイ・チャールズの影響があるなとは分るものの、ザ・バンドのヴォーカリスト三人のなかでは最も線が細いように感じてしまっていた。リヴォン・ヘルムやリック・ダンコは前々から大好きだけど。

 

 

今ではリチャード・マニュエルのヴォーカルも好きなんだけど、前述のような印象が長年続いていたもんだから『ビッグ・ピンク』における「アイ・シャル・ビー・リリースト」は、あの靄のようなサウンドの漠然とした印象と、歌詞の難解さと、歌手の声が好みじゃないのとで、僕はどうも避けていたような部分がある。

 

 

『ビッグ・ピンク』でも「ザ・ウェイト」や「ロング・ブラック・ヴェイル」や「火の車」などの方が断然好きで、アルバム冒頭のこれまたディランの書いた「怒りの涙」は、これまたリチャード・マニュエルが歌っているのでこれまたイマイチで、歌詞内容もこれまたよく理解できず、なんじゃこれ?と。

 

 

『ビッグ・ピンク』とザ・バンドの話は今日はあまり深追いしないでおこう。全然違う話になってしまう。今日の話題はリチャード・マニュエルが最初は歌詞の意味がよく分らないまま歌ったという「アイ・シャル・ビー・リリースト」のことだ。「私は解放されるだろう」ってどういうことだろう?

 

 

“released” は「解放」でもいいが「釈放」かもしれない。ってことはこれは(冤罪かなにかで?)投獄されている囚人の歌なのか?なんだかそんな解釈もあるらしい。しかし「アイ・シャル・ビー・リリースト」全体をじっくり聴直してみても、その解釈だってイマイチ僕にはピンと来ない。

 

 

「聴直して」っていうのは、僕は音楽に関しては音を聴かずに歌詞だけ「読む」ということは絶対にしない。文学作品じゃなくて音楽作品なんだから、次々と流れては同時に次々と消えていく時間の流れのなかで、瞬時に歌詞の意味が捉えられなかったら、それは歌詞を理解したことにはならないだろう。

 

 

歌詞が記載されている紙やネット・データなどを見ることもあるけれど、それは全て聴きながらのこと。うんまあそれはみんなそうか。聴かずに歌詞だけ読む人なんていないよね。当り前のことだった。しかし日本語と英語の場合は僕は聴きながら見ることもほぼしない。よほど難解か、あるいはサザンオールスターズの「愛の言霊」みたいに聴いても分らないものだけ。

 

 

「アイ・シャル・ビー・リリースト」を何十年もじっくり聴いているんだけど、やっぱり歌詞全体の意味がクッキリとイメージを結ぶように完璧には理解できていない。ドアーズの歌詞なんかもそうだけど、ディランとの違いは、ドアーズの場合は難解とかではなく、ただ単にピンぼけしているだけ。

 

 

ドアーズの歌詞は全体としては焦点が定らず、それが結果的になにか含蓄のあるものだと聴く側に勘違いさせているだけ。あれは難解だとかではなく、要するに理解不能。書いている本人も分っていないはずだ。ドアーズの魅力はそういう部分じゃない。ディランの書く歌詞はそういったものとは本質的に全く違うものだ。

 

 

「アイ・シャル・ビー・リリースト」が釈放を願う囚人の歌だという解釈は紹介した。これが今では最も一般的なものなのかもしれない。あるいは宗教的な意味での魂の解放のことだという解釈も読むことがある。こっちは曲を聴いたら納得しやすい。だってちょっぴりゴスペル・タッチな曲調を感じるもんね。

 

 

宗教的といえば「アイ・シャル・ビー・リリースト」という曲を創り初演したザ・バンドとの例の地下室セッション。あの1967年の一連のセッションのなかにはカーティス・メイフィールドの「ピープル・ゲット・レディ」がある。2014年リリースの『ベースメント・テープス・コンプリート』二枚目に収録。

 

 

「ピープル・ゲット・レディ」が宗教的な曲だというのは説明不要なはず。そもそもこの曲のオリジネイターであるインプレッションズはゴスペルにドゥー・ワップやリズム・アンド・ブルーズをミックスさせたようなグループだったもんね。作者のカーティス・メイフィールドも宗教的要素の強い音楽家だ。

 

 

そんな「ピープル・ゲット・レディ」を、一見無関係そうなボブ・ディランとザ・バンドがあの地下室セッションで録音していたのを最初に知った(のは2014年の公式リリースよりも前)時は、僕はまあまあ驚いたんだよね。単にスタンダード化している有名曲だからとかの理由だけじゃないよなあ。

 

 

ってことはの地下室セッションで完成し録音もされた「アイ・シャル・ビー・リリースト」だって宗教的な意味合いを持つ曲だという解釈も可能だろう。「いつの日か、いつの日か、私は解き放たれるだろう」というのは、神によって解き放たれる魂と精神的自由を願う内容かもしれないぞ。可能性は大だ。

 

 

可能性が大だっていうのは、実際黒人歌手がゴスペル風な解釈で「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌っているヴァージョンがいくつもある。一番有名なのはニーナ・シモンが歌ったものかなあ。黒人歌手である彼女は一般にはジャズ歌手として認識されているかもしれないけれど、ちょっと違う資質の人じゃないかなあ。

 

 

ニーナ・シモンは一時期宗教的な雰囲気をかなり強く出していて、そんな時期に「アイ・シャル・ビー・リリースト」もゴスペル・ソングとして歌っている。彼女自身がいつものようにピアノを弾きながら、リズム伴奏や女性バック・コーラスも入り、リズムは6/8拍子の典型的なゴスペル・スタイル。

 

 

その他教会の大編成ヴォーカル・コーラス、すなわちゴスペル・クワイアによる「アイ・シャル・ビー・リリースト」だって僕は二種類持っている。そういうのを聴くと、神の恩寵で私の魂が解放されんことを願う、神よ、神よ、いつの日か、いつの日か!と祈るような歌にしか聞えないもんね、もう完全に。

 

 

音楽作品でも映画作品でも文学作品でも解釈は一様ではなく、優れたものであればあるほど一層多義性を帯びてくるわけで、その多義性ゆえに面白いわけだ。音楽だって意味が一つに定らないからこそ、多くの人に歌い演奏され継がれ、聴き継がれる。「アイ・シャル・ビー・リリースト」だってそうだろう。

 

 

だから上で書いたように「アイ・シャル・ビー・リリースト」の後半を社会的メッセージを伝えやすい音楽スタイルであるレゲエにして、その部分を独自の即興的な歌詞にして、他者・異物を許したがらない現在の非常に閉塞的な社会状況から僕は解放されたいんだという歌として歌う僕の夢は、そんなにムチャクチャなものでもないだろう。ある意味現実以上にリアルだ。

 

 

日本でも「アイ・シャル・ビー・リリースト」はいろんな人がそれぞれ独自の日本語詞にして歌っているよね。僕が一番好きなのはRCサクセションのライヴ・ヴァージョン。忌野清志郎は権力の圧政からの解放、音楽表現の自由を訴えるという歌詞にして歌っている。実に清志郎らしい。それもまた一つの有効な解釈だ。

2016/09/04

西海岸ジャズ・サックスの隠れ名盤

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おそらくこれ一枚だけで名前を憶えられているであろうジャズ・サックス奏者テッド・ブラウンの『フリー・ウィーリン』。しかしこれ、それにしてもひどいジャケットだよなあ(苦笑)。おそらくはクルクル自由に廻るという意味のアルバム・タイトルを独楽で表現しているんだろうけど、ちょっとあんまりだ。

 

 

しかしジャケットがワケ分らないとはいえ、中身の音楽は最高なんだよね。1950年代のいわゆるウェスト・コースト・ジャズの隠れ名盤なんだなあ。いや、隠れてはいないのか?よく分らないけれど、一部で絶大なる人気を誇るらしいアルバムで、しかし世間一般の認知度は必ずしも高くないんじゃないかなあ。

 

 

テッド・ブラウンの『フリー・ウィーリング』は1956年録音で翌57年に発売されたヴァンガード盤。ヴァンガードというレーベルはいいジャズ・アルバムをたくさん出しているけれど、ここの白人ジャズ・アルバムのなかでは僕はこれが一番好きだ。でも最初テッド・ブラウンという名前すらも知らなかった。

 

 

じゃああれか、『フリー・ウィーリン』にはアート・ペッパーが参加していて、一種彼をフィーチャーしたみたいな内容で、アルバム・ジャケットにも名前が載っているのでそれで買ったんだろうと言われるかもしれないがそれも違う。ひどいと思うアルバム・ジャケットになんとなく惹かれたのだった。

 

 

う〜ん、なんだかもう憶えていないけれど、ちょっと興味をそそられるような、これはひょっとしたら中身は凄くいいジャズ・アルバムなんじゃないかという、レコード・ショップ店頭で見た時のその直感みたいなもので手にとってレジに持っていったんだと記憶している。帰って聴いてみたら大正解だったね。

 

 

『フリー・ウィーリン』には三人もサックス奏者が参加している。リーダーのテッド・ブラウンに、同じテナー・サックスのウォーン・マーシュ、そしてアルトのアート・ペッパー。この三人のうちではアルトのペッパーだけがかなり毛色が違う。彼も一応は西海岸で活動したジャズマンだけど、資質は東海岸の黒人ジャズメンに近い。

 

 

もっとはっきり言えばアート・ペッパーはチャーリー・パーカー直系のアルト・サックス奏者。だから西海岸の白人アルト・サックス奏者ではあるけれど、その音色はジットリと湿って重く艶のあるもの。だから『フリー・ウィーリン』に参加しているテナー・サックス奏者二人とは似ても似つかない。

 

 

実際『フリー・ウィーリン』を聴いても、テッド・ブラウンとウォーン・マーシュの二人がレスター・ヤング直系の軽くてソフトなスカスカ・サウンドなのに対し、ペッパーだけは全然違うもんだから、出てくると一瞬で彼だと判別できてしまう。テナー奏者二人の区別は大学生の頃の僕には不可能だった。

 

 

言葉だけではご存知ない方になかなか理解していただきにくいような気がするので、『フリー・ウィーリン』の二曲目「ロング・ゴーン」を貼っておく。テーマ演奏はサックス三人のアンサンブル。ソロはテッド・ブラウン、ウォーン・マーシュ、アート・ペッパーの順で出る。

 

 

 

一番手のテッド・ブラウンと二番手のウォーン・マーシュは音色もフレイジングもとてもよく似ているし、楽器も同じテナー・サックスなので、どこでチェンジしたのかボーッとしていると気付かない。二人がテッド、ウォーンの順でソロを取ったあと、ピアノ・ソロになり、その後にペッパーのソロが出る。

 

 

そのピアノ・ソロの後のペッパーのソロを聴くと、同じ西海岸白人ジャズ・サックス奏者とはいえ資質が全然違うということは誰でも分るはず。アルトとテナーの音色の違いだけでなく、音色の湿り気とか艶やかさとかが全く違うよね。テッド・ブラウンとウォーン・マーシュの区別はやっぱり難しいと思う。

 

 

僕だって全然分ってなくて、でもアナログ・レコード時代から現在のリイシューCDに至るまで全曲のサックス三人のソロ・オーダーがインナーに書いてあるのだ。ってことはリリースするヴァンガード側も、ペッパーはともかく他の二人の判別は難しいだろうと判断していたってことなんだろうなあ。

 

 

上掲一曲だけで充分お分りいただけると思うけれど、黒人ビバップ・サックスに近い音色のペッパーとは違って、テッド・ブラウンやウォーン・マーシュの、あるいは他の白人サックス奏者でも、こういうスカスカなサックス・サウンドは熱心な黒人音楽リスナーには昔から評判が悪い。

 

 

確かに歯ごたえのない音だよなあ。しかしながら僕もブラック・ミュージック賛美主義者ではあるものの、この手の白人ジャズ・サックス奏者のスカスカな音色は意外に嫌いじゃないんだよね。こういうのもまた一つの持味で、ジャズにおける旨味の一部分なんだよね。あまり緊張せずリラックスして聴けるしね。

 

 

最も肝心な点はこういうスカスカな音色の白人ジャズ・サックス奏者のそのスカスカ・ルーツは、他ならぬ黒人サックスのレスター・ヤングに他ならないってことだ。レスターは一番良いものが1930年代の録音なもんだから、そのあたりの彼の音色の軽さがイマイチ理解されていないんじゃないかなあ。

 

 

レスターの音色の軽さ・スカスカさは、だから戦前録音よりもグッと録音技術が向上した戦後録音の方が分りやすい。例えば1956年録音のヴァーヴ盤『プレス・アンド・テディ』。タイトル通り戦前からの名コンビであるピアノのテディ・ウィルスンと再共演したもので、内容も戦後物にしては悪くない。

 

 

例えば『プレス・アンド・テディ』一曲目の「オール・オヴ・ミー」。レスターの戦後録音はダメだからと言って無視して聴かないようなファンも多いと思うんだけど、レスターのサックスの音色とはこういうもんだよ、戦前のデビュー当時からずっと一貫してね。

 

 

 

そういうわけだから、レスター好きの黒人ジャズ愛好家は、本当なら例えば『フリー・ウィーリング』で聴けるテッド・ブラウンやウォーン・マーシュみたいなサックスの音色も好きじゃないと一貫性がないというかオカシイね(笑)。人の嗜好ってものはそんな単純に割切れるものじゃないんだろうけどさ。

 

 

これまた重要なのは、テッド・ブラウンの『フリー・ウィーリング』収録曲にはレスター由来のものがいくつかある。全九曲中最も有名なのはA面四曲目の「フーリン・マイセルフ」とB面三曲目の「ブロードウェイ」だろう。前者は1937年テディ・ウィルスン名義のブランズウィック録音でレスターが吹く。

 

 

 

ヴォーカルはご存知ビリー・ホリデイだから、テディ・ウィルスンのアルバムにもビリー・ホリデイのアルバムにも収録されている。一方テッド・ブラウンの『フリー・ウィーリング』ヴァージョンはこれ。

 

 

 

『フリー・ウィーリング』にあるもう一つの有名なレスター由来の曲「ブロードウェイ」は1940年カウント・ベイシー楽団でのオーケー(コロンビア)録音でレスターが一番手でソロを吹くもの。僕はCD四枚組のコロンビア系音源集で持っている。

 

 

 

一方『フリー・ウィーリング』ヴァージョンはこれ。聴き比べていただければ分るように、サックス三人のソロに続きピアノで転調したあと出てくるサックス・アンサンブルは、上掲ベイシー楽団録音でのレスターのソロをそのまんま再現しているものだ。

 

 

 

要するにテッド・ブラウンの『フリー・ウィーリング』ヴァージョンの「ブロードウェイ」はストレートなレスター・トリビュート的内容なのだ。彼らの音楽の拠って来たるルーツをはっきりと示し、それに対するリスペクトを音で表現したもの。ずっと後のワールド・サクソフォン・カルテットみたいなもんだ。

 

 

テッド・ブラウン、ウォーン・マーシュがレスター直系なのに対し、アート・ペッパーはパーカー派アルトだと書いたけれど、そのパーカーにしてからが、音色はジョニー・ホッジズ系だから違うけれども、モダンなフレイジングはレスター・ヤングそのまんまで、実際レスターのレコードを教材にしてパーカーは練習した。

 

 

昔こんな与太話があった。レスター・ヤングが吹く33回転のレコードを45回転でかけるとテナー・サックスの音域がアルトのそれになり、そうやって聴くとレスターはパーカーそっくりに聞えるぞというもの。半信半疑で僕もやったみたら本当にそうなったので、いかにパーカーがレスター由来かが分っちゃう。CDプレイヤーではかなりやりにくいだろう。

 

 

またジャズ・ファン、特にそのなかでも村上春樹ファンにはお馴染みの曲が『フリー・ウィーリング』にはあって、B面一曲目の「オン・ア・スロー・ボート・トゥ・チャイナ」(中国行きのスロウ・ボート)。ソロを吹いているのはテッド・ブラウン一人だ。

 

 

 

村上春樹のその同名短編小説は僕は読んだことがないのだが、おそらくはソニー・ロリンズ・ヴァージョンからこの題名を採ったのに間違いないように思う。1951年録音で『ソニー・ロリンズ・ウィズ・ザ・モダン・ジャズ・カルテット』収録の有名曲。

 

 

 

世間一般と僕が違うのは、『フリー・ウィーリング』の一番いいところが、僕もここまで書いた三人のサックス奏者ではなく、ピアノのロニー・ボールだと思っているという点。このアルバムは昔から今までずっといつも彼のピアノ・ソロが一番良いように思うんだよね。特に上で音源を貼った「フーリン・マイセルフ」で一番手で弾くのなんか極上品じゃないのさ。

 

 

最後に。この『フリー・ウィーリン』のアルバム・ジャケット、リイシュー CD のはひどすぎるんじゃないだろうか?上掲写真をアナログ盤(左)とリイシュー CD(右)で見比べていただきたい。色味の違いとかではない。左で分るようにこのアルバムはテッド・ブラウンのリーダー作なのに、右を見ればリイシュー CDではアート・ペッパー名義みたいになっている。

 

 

おそらくテッド・ブラウンみたいな超無名ジャズマンの名前では売れないって判断でこうなっているんだろうけどさぁ。それに現行の『ザ・コンプリート・フリー・ウィーリング・セッションズ』は、同日録音でほぼ似たようなパーソネルであるとはいえ、関係ないアルバムをひっつけて2in1にしているもんなあ。リイシューしてくれるだけいいのか・・・。

 

2016/09/03

サンバ崇拝

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『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』というCD三枚組のアンソロジーがあって僕の愛聴盤。EMI ブラジルが1997年にリリースしたブラジル盤で、調べてみたらその後バラ売り三枚でも売ったらしい。日本盤はおそらく存在しない。東京時代にどこかの外資系輸入盤ショップで買った。

 

 

店頭で見て、そのタイトル(日本語にしたら「サンバ崇拝」とでもいったところか)と、三枚組という規模と、ジャケット・デザインを見たらなんだか古そうな方々がいっぱい並んで映っていて、これで初期サンバ入門ができるんじゃないかと思ったんだろう。買って帰って聴いてみたら果してその通りの内容だった。

 

 

なんたって一曲目があの「電話で」(あるいは「電話にて」とか様々、原題は “Peló Telefone”)だもんね。これは史上初のサンバ曲だ。登録されたのが1916/12/16。一つの音楽ジャンルの<誕生日>がこれだけはっきりしているというのもなかなか珍しいことだろう。

 

 

「電話で」は翌1917年にバイアーノによるものとバンダ・ジ・オデオンによるものの二つが録音されてヒットして、ブラジルにおけるサンバという<音楽>の人気を決定づけるものとなった。僕の持っている『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』一曲目の「電話で」はバイアーノ・ヴァージョン。

 

 

サンバという<音楽>のとわざわざ断ったのはどうしてかというと、サンバというものは音楽ジャンルとしてはっきり成立する前の17世紀から、主に(奴隷としてアフリカから強制移住させられた)ブラジル黒人のダンスの一種として既に存在していた。それは主にバイーア地方でのことだったらしい。

 

 

ダンス名が音楽ジャンルの名称になるのは古今東西よくあることで、21世紀に入ってからの新ジャンルならアラブ歌謡の一種、ペルシャ湾岸地域を中心とするハリージもまたそう。そしてダンスに音楽は欠かせないというのも今更言うまでもない至極当然の話だから、サンバだって同じだったはず。

 

 

もっとも僕はサンバの発祥を詳しくは知らないし調べてもいない。とにかく音楽の名称として世界中に知られている(おそらくブラジル音楽では世界で最も知名度のあるジャンルである)サンバというものが、明確な<曲>として誕生した史上第一号が「電話で」だということだけははっきりしているのだ。

 

 

なお史上第一号サンバ曲「電話で」はドンガとマウロ・ジ・アルメイダの共作ということになっているけれど、実はその作者というか誕生の正確な経緯ははっきりしないらしい。この二名が作者として登録されているというだけで、元は毎日のように行われていたジャム・セッションから自然発生したようだ。

 

 

そのあたりは世界中のどんな音楽の発祥だってそんなもんだよね。作者不詳でみんなががやがやと楽しく演奏して踊り楽しんでいたなかから徐々に形ができあがっていって曲という形になって誰かが登録するという具合。ほぼなんだってそうだ(フェラ・クティのアフロビートだけが例外か?)。念のために言っておくがサンバはブラジル最古の音楽ではない。

 

 

サンバが成立する前から、例えば僕の最愛ブラジル音楽であるショーロが成立していたし、その他にもルンドゥー、マルシャ、マシーシ、バトゥーキなどがあった。なかではマルシャがそこそこ有名じゃないかなあ。ポルトガルのファド歌手アマリア・ロドリゲスにもそんなタイトルのアルバムがあるもんね。

 

 

余談だけどファドの女王とされるアマリアの初録音はポルトガルでではなくブラジルで行われているし、ブラジル音楽史上最高のサンバ歌手であるカルメン・ミランダはポルトガル生れ。面白いよねえ。そのカルメン・ミランダだって『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』にたくさん収録されている。

 

 

『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』にあるカルメン・ミランダは、もちろん全て渡米前のブラジル録音で全四曲。このアンソロジーは全部で48曲で、四曲も入っているのはカルメンだけ。その他カルメンとの共演録音もあるマリオ・レイスが二曲、ノエール・ローザが二曲で、この三人が目立つ。

 

 

カルメン・ミランダはかなり知名度があるはず。それはひょっとして渡米してハリウッドで活躍したせいなのかなあ。僕の場合はちょっと違ったんだけど。ノエール・ローザもだいぶ前に日本盤で二枚CDが出ているのでファンがいるはずだ。マリオ・レイスはどうなんだろう?

 

 

サンバを歌う戦前の男性歌手では僕はマリオ・レイスが一番好きだけどなあ。主にラジオを通して活躍した人。でも日本盤 CD などはないし、輸入盤 CD も今では入手困難になりかけているようだから、もう今では聴く人はかなり少ないのかもしれない。でも iTunes Store でならいくつも安く買えるよ。

 

 

だから CD はもはや中古盤しかなくそれもアマゾンでは高値になっているけれど、配信なんて・・・、とかフィジカルじゃないと嫌だ・・・、なんておっしゃらずに、安くたくさん(でもないがマリオ・レイスは)買えるんだから、是非 iTunes Store でマリオ・レイスを買って聴いてほしい。

 

 

かくいう僕も1997年に『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』に二曲収録されているマリオ・レイスを聴くまでは全く名前すら知らなかったわけだからえらそうなことはなにも言えないんだけどね。ホント素晴しい男性サンバ歌手だよ。カルメン・ミランダとの共演全六曲(のはず)なんか絶品なんだよね。

 

 

『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』に四曲入っているカルメン・ミランダ。この三枚組を通して聴いていると、カルメンのところに来たら一瞬で彼女だと分ってしまう。それは書いてある歌手名など見なくたって分っちゃうんだなあ。僕は熱心なカルメン・ファンで普段から聞いているせいもあるんだろう。

 

 

渡米前ブラジル時代のカルメン・ミランダの曲はよく知っているから、それで一瞬で分っちゃうというものあるけれど、仮にそうでなくたって『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』でカルメンのところに来ると、前後との違いがあまりにもクッキリしているから、ご存知ない方だってみなさんこれは誰だ?となるはずだ。

 

 

カルメン・ミランダが歌いはじめると、なんだか途端に音がキラキラしてクッキリと浮き出て、その前後に収録されている人の歌とは、ヴォーカルのノリも発音の明瞭さも伴奏のバンドのリズムもなにもかも全然違う。だから『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』を通して聴くと改めて溜息が出るのだ。

 

 

『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』にカルメン・ミランダは続けて四曲収録されているわけではない。他の複数音源が収録されている人も、二曲続けて並んでいるマリオ・レイス以外は全てバラバラなのだ。まあこの三枚組コンピレイションの編纂方針ははっきり言ってよく分らない部分がある。

 

 

一曲目が史上最古のサンバ曲「電話で」なのに、そこから時代を追って順に並んでいるわけではなく、新旧交互というかメチャクチャな並び方なのだ。「電話で」の次に来る二曲目はジョアン・ダ・バイアーナの1968年録音「バツーキ・ナ・コシジーニャ」なんだよね。戦前から活躍した人ではあるけれど。

 

 

『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』附属の紙を開くと、ポルトガル語で一曲ずつ歌手名、伴奏者名、録音年はもちろん、いろんなことがかなり丁寧に解説されているので、僕の場合ポルトガル語は辞書を引き引きかなりゆっくりとでないと読めないんだけど、しかし凄く助かっている。

 

 

それとは別個に厚手のブックレットも入っていて、これまた当然ポルトガル語だけど、それにはサンバの歴史みたいなことがかなり詳細に記述されているので、本当にゆっくりとなんだけどなんとか読んで凄く勉強になったし楽しかった。書いているのはどっちも全部ジャイロ・セヴェリアーノという人。誰だろう?

 

 

編纂が録音年順、あるいはリリース順ではないのがメチャクチャだと書いたけれど、まあでもお勉強というよりも聴いて飽きずに楽しめる(僕には年代順編纂の方が「楽しめる」んだけどね)ように、いろいろと ヴァラエティに富むように考えて並べているんだろうなあ。聴くとそれは伝わってくるような気がする。

 

 

面白いのは三枚目ラスト、つまりアンソロジーのオーラスがあの「想いあふれて」(シェガ・ジ・サウダージ)なんだよね。言うまでもなくアントニオ・カルロス・ジョビンの書いたボサ・ノーヴァ創生期の代表曲。『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』では女性歌手ジョイスによる1987年録音。

 

 

一般に「想いあふれて」とかジョビンとかはボサ・ノーヴァの曲であり音楽家だと思われているはずだ。それがサンバの歴史を辿るというのが眼目のアンソロジーのラストに収録されているという意味を考えてみなくちゃいけない。サンバ〜サンバ・カンソーン〜ボサ・ノーヴァは全部繋がっているってことだよ。

 

 

繋がっているどころか音楽感覚としてはその前のショーロから含め全て「同じ」なんだよね。それがサンバの、ボサ・ノーヴァの、そしてブラジル音楽の真実というものだろう。僕ら日本の偏狭なファンが思うように分れてなんかいないのであって、ぜ〜んぶ同じ種類の音楽として聴けちゃうんだよね。

 

 

この「(ショーロから)サンバ〜ボサ・ノーヴァまで全部同じ」というのを日本のブラジル音楽ファンもちゃんと受止めてほしい。日本のジャズ・ファンにもボサ・ノーヴァを聴く人は多いんだけど、(普段から僕が嘆いているように)ショーロとかはまだまだ聴かれていないし、サンバだってどうかなあ。

 

2016/09/02

マイルスの吹く完璧なブルーズ・ソロ

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マイルス・デイヴィスのスタジオ録音における12小節ブルーズで一番好きなのは1955年の「ドクター・ジャックル」(『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』)だ。いやあ、ホント何回聴いてもいいなあ、ミルト・ジャクスンとレイ・ブライアントが。

 

 

 

つまりこの演奏では僕はいつもヴァイブラフォンとピアノの二人を聴いていて、本当にブルーズが上手いなと感心しているのであって、ことボスのソロに関しては悪くもないが、かといってそんな大したこともないだろうという印象なのだ。

 

 

以前も書いたけれど、マイルスが本当に自分のトランペット・スタイルを確立するのは1956年頃の話。その頃から12小節ブルーズでもいい内容のソロを吹くようになっている。一例が同年10月録音の「ブルーズ・バイ・ファイヴ」(『クッキン』)。

 

 

 

レッド・ガーランドも上手いね。ポール・チェンバースのソロもいい。ジョン・コルトレーンだけがイマイチかなあと思うだけで、あとは全員素晴しい。マイルスのこういう12小節ブルーズ吹奏で僕が最も完璧だと思っているのが1959年録音の「フレディ・フリーローダー」(『カインド・オヴ・ブルー』)だ。

 

 

 

なにもかも完璧だとしか言いようがない。三管によるテーマ吹奏もファンキーだし、その後一番手で出るウィントン・ケリーのピアノ・ソロがブルージーで旨味。3コーラス目からジミー・コブがスネアのリム・ショットを入れはじめるのもグッド・アイデアで僕は大好き。

 

 

お聴きになれば分るように二番手で出るマイルスのソロは6コーラス。その構成が文句なしの完璧さなのだ。ワン・コーラスごとに非常によく組立てられた内容で、ブルージーでファンキーかつ美しい。特に僕が溜息をつくのが5コーラス目と6コーラス目。5コーラス目では中音域で同じ音程を繰返して吹いている。

 

 

そしてその同じ音程の中音域ソロが次の6コーラス目の伏線になっていて、その最終コーラスではやや高音域をヒットして(といってもマイルスのことだからさほど高い音ではない)、それが全6コーラスにわたるマイルスのこのブルーズ・ソロのエクスタシーになっているんだよね。

 

 

「フレディ・フリーローダー」だけでなく『カインド・オヴ・ブルー』というアルバムは、どの曲でもマイルスのソロの構成が絶妙で、そのなかでも最も整合性の強い一曲目「ソー・ワット」におけるソロは、その整合性の強さはギルがあらかじめ譜面にしてあったからじゃないかと僕は推測している。

 

 

このことは以前詳述した(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-ba00.html)。「ソー・ワット」も完璧なら「フレディ・フリーローダー」もその他全ての曲でもマイルスのソロは均整が取れている。取れすぎていると思うほどだ。しかもそれがファンキー・ブルーズであるならなおさら言うことなし。

 

 

『カインド・オヴ・ブルー』にはもう一曲12小節ブルーズがある。B面一曲目の「オール・ブルーズ」。しかしこちらはブルージーでもファンキーでもないし、しかも3/4拍子というちょっと変ったブルーズだ。黒いフィーリングがないものだからピアノはビル・エヴァンス。

 

 

僕にとってはA面の「フレディ・フリーローダー」こそ最高で、ファンキーかつ完璧に構成され均整が取れ、ワン・コーラスごとに徐々に盛上げて最終的にエクスタシーに到達する展開のトランペット・ソロ内容に降参しちゃっているので、B面のファンキーじゃない「オール・ブルーズ」はイマイチなのだ。

 

 

まあしかし何度聴いても「フレディ・フリーローダー」におけるマイルスのソロ、特に5コーラス目から6コーラス目にかけての展開には感心する。ファンキーでありかつ完璧な構築美という、こんなブルーズ・ソロはマイルスの音楽生涯で僕は他にあと一つしかしらない。1969年の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」だ。

 

 

言うまでもなくアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』B面のファンキー・ナンバー。ファンキーになっている最大の理由はオルガンで演奏にも参加しているジョー・ザヴィヌルの書いたリフ・パターンだが、それに乗って吹くマイルスも最高だ。

 

 

 

マイルスのソロは11:50あたりから。この曲の場合は何コーラスと数えられるようなテーマ・メロディみたいなものはない。13:02〜13:08までの間、マイルスは中低音で同じ音程を繰返し独特のグルーヴ感を出しているかと思った次の瞬間に高音をヒットし、しばらくそんなフレーズを続けて盛上げている。

 

 

その13:09でマイルスが高音をヒットした瞬間に、それまでハイハットとスネアのリム・ショットだけという極端に限定された役割に徹していたトニー・ウィリアムズがとうとう辛抱できなくなり、フル・セットで爆発している。トニーはその前の同じ音程での中音域反復あたりからかなり昂まっていたに違いない。

 

 

というかマイルスのソロ全体でトニーは徐々に高揚していっていて、その間ずっとハイハットとリム・ショットだけで我慢していた。それがマイルスのファンキーなソロが続き気持が盛上がっていたところに、13:02〜13:08までの間の同音反復グルーヴで限界に近づいて、次の高音ヒットで思わずイッてしまう。

 

 

そうやってトニーをイカせてしまうマイルスのソロのファンキーさと絶妙な構成と盛上げ具合を聴くと、こういうソロ展開の最も早い例が上で書いた1959年の「フレディ・フリーローダー」だろうと思うのだ。「イッツ・アバウト・ザット・タイム」の形式はブルーズでないが、フィーリングはブルーズそのもの。

 

 

『カインド・オヴ・ブルー』は1959年の作品にして、マイルスのコロンビアでのコンボ作品三作目(『ジャズ・トラック』を除く)。これの前58年『マイルストーンズ』には「ドクター・ジキル」「シッズ・アヘッド」「ストレート、ノー・チェイサー」とブルーズ形式の曲が三つもある。

 

 

しかし僕にとっては『マイルストーンズ』におけるそれらブルーズ三曲はそんなに大好きでもないんだなあ。ジャッキー・マクリーンの書いたアルバム一曲目の「ドクター・ジキル」は、曲名がちょっぴり違っているけれど最初に紹介した1955年プレスティッジ録音の再演。でも急速調すぎてブルージーなフィーリングが失われてしまっているもんねえ。

 

 

他の二曲「シッズ・アヘッド」「ストレート、ノー・チェイサー」はブルーズ・フィーリングがあると思うんだけど、僕にはイマイチな感じに聞えてしまうのはどうしてなんだろう?そもそも僕は『マイルストーンズ』というアルバム自体昔からあんまり好きじゃないのだ。自分でもその理由が分らない。

 

 

「ストレート、ノー・チェイサー」は同1958年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでやったライヴ演奏が録音されて、かつては『マイルス&モンク・アット・ニューポート』のA面(B面はモンク・コンボ)に、現在ではマイルスの単独盤『アット・ニューポート 1958』に収録されている。

 

 

その1958年ニューポート・ライヴでの「ストレート、ノー・チェイサー」はスタジオ・ヴァージョンよりはいいのかもしれない。ピアノがブルーズをブルージーに弾けないビル・エヴァンスなもんだからそこだけがイマイチなんだけど、スタジオ録音ヴァージョンのレッド・ガーランドのゴマスリ・ソロよりはマシかもしれない。

 

 

マイルスのコロンビア盤においてはっきりとブルーズ形式の曲だと分るものは、リアルタイム・リリースでは『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』A面ラストの1961年3月7日録音「プフランシング」(別名「ノー・ブルーズ」)が最後ということになる。これはちょっと意外だよなあ。

 

 

リアルタイム・リリースでなければ1979年発売の未発表曲集『サークル・イン・ザ・ラウンド』に「ブルーズ No. 2」がある。1961年4月21日録音で、なぜだかドラムスがフィリー・ジョー・ジョーンズ。しかしこれが12小節ブルーズのスタジオ録音では正真正銘最後になってしまう。

 

 

例外的に1966年録音のウェイン・ショーターが書いた「フットプリンツ」(『マイルス・スマイルズ』)が12小節のブルーズ形式ではあるものの、あれはブルーズとも呼びにくいかなり抽象的なもので、フィーリングとしては全くどこにもブルーズが感じられないから外してもいいだろう。

 

 

となると、あんなにブルーズ好きだったマイルスのスタジオ録音では、1961年春を最後にブルーズが姿を消してしまうというのがなぜだったのか、ちょっと考えてみても分らない。復活するのは電化路線転向後の1972年録音「レッド・チャイナ・ブルーズ」(『ゲット・アップ・ウィズ・イット』)からだ。

 

 

しかし1970年代にはやはりこれは例外で他には一曲もない。81年の復帰後は83年あたりから91年に亡くなるまで、ほぼ全てのライヴ・ステージでストレートな12小節ブルーズを欠かしたことがなく、公式録音も相当数あるので、やはりマイルスは生来のブルーズ好きジャズマンではあったよなあ。

 

 

スタジオ録音では1961年春を最後に姿を消してしまうブルーズだけど、ライヴ・ステージではその後69年のロスト・クインテットの時期までやはり頻繁にブルーズを演奏してはいる。99%以上「ウォーキン」か「ノー・ブルーズ」で、数えたくもないが両曲あわせおそらく最低でも20個以上は公式録音があるはずだ。

 

2016/09/01

素晴しき神の恩寵

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アメリカのキリスト教宗教音楽家はもちろんのこと、いろんなジャンルの世俗音楽家もやるゴスペル曲というと「アメイジング・グレイス」が最右翼なんじゃないだろうか。これが最も多くの人がやっていそう。「聖者の行進」もあるけれど、あれは宗教曲というより宗教的世俗歌といった方が近いかもしれない。

 

 

だから敬虔な宗教曲でありながら、そのまま世俗音楽家も最もたくさんやっているのが「アメイジング・グレイス」だろう。もっともこの曲、一般的にはアメリカ黒人の間で歌われて有名になったからブラック・ゴスペル・ソングのように思われているけれど、元々はアメリカ産の曲じゃないよね。

 

 

「アメイジング・グレイス」の誕生の由来とか発祥の経緯とかについては、ネットでちょっと調べれば分るので詳しく書く必要などないけれど、英国産の賛美歌で、しかもメロディはイングランドではなくスコットランドやアイルランドなどいわゆるケルト文化圏の由来だというのが定説。

 

 

そういえばスコットランドのバグパイプ合奏団が「アメイジング・グレイス」を演奏するのを、僕も随分前にテレビで見聴きしたことがある。その頃、既にアメリカ産の黒人宗教歌のように思っていたのでちょっとビックリし、そして歌詞のないインストルメンタル演奏なわけだからやや新鮮な響きだった。

 

 

現在僕が持っている「アメイジング・グレイス」はたったの10個だけ。もちろん数えたのは僕ではなく Mac の iTunes の検索機能。だからCDで持ってはいるがインポートしていないもの(が全体の七割方)を含めればもっとあるはずだけど、それを探し出すのはやや面倒くさい。

 

 

ところで「アメイジング・グレイス」という曲は、ある時期以後の日本では、ひょっとして本田美奈子が歌っていたので有名になっているんだろうか?若くして亡くなってしまった彼女の晩年というか闘病中のシンボリック・ソングのようになっていたから。僕にとっては「1986年のマリリン」の人なんだが。

 

 

本田美奈子ヴァージョンも悪くはないと思うし、その他白鳥英美子(トワ・エ・モワ)ヴァージョンなども僕は聴いていないが有名なんだそうだ。しかしながら僕にとっての「アメイジング・グレイス」は、最初に書いたようにアメリカ黒人のやる曲という認識だから、それら日本人歌手のはイマイチなのだ。

 

 

「透明感のある歌声」というのは褒め言葉だけど、以前から繰返しているように歌声でも楽器の音でも濁って歪んだものこそがより「美しい」と感じてしまう性分の僕なもんだから、やっぱり線の細い歌声はあまり好きじゃない。澄んだ歌声でも芯の太さがないとね。アメリカ黒人がグリグリと歌ってくれた方が好きだ。

 

 

たった10個しか( iTunes 内には)見つからない「アメイジング・グレイス」の僕が持っている最も早い録音は、マヘリア・ジャクスン・ヴァージョンで1947年録音。『ハウ・アイ・ガット・オーヴァー』というCD三枚の1946〜54年アポロ・セッション集に収録されている。

 

 

そのマヘリアの1947年アポロ録音「アメイジング・グレイス」はオルガン一台だけの伴奏で歌っている。相当に力強い歌声とコブシ廻しで、やっぱりこういったアメリカ黒人ゴスペル歌手にこそ歌ってほしいよねと強く実感する素晴しい出来だ。マヘリアのこういう歌は本当に何度聴いても感動する。

 

 

年代順に言うと僕の持っている「アメイジング・グレイス」ではその次がやはり黒人ゴスペル歌手シスター・ロゼッタ・サープの1951年録音。彼女とザ・ロゼッタ・ゴスペル・シンガーズとの共演名義になっているが、聞える声はロゼッタ以外には一人の女性だけ。伴奏はこれまたオルガン一台のみで敬虔な雰囲気。

 

 

そのシスター・ロゼッタ・サープの歌い方を聴くと、明らかに1947年マヘリア・ヴァージョンの影響が聴取れる。ロゼッタがレコーディングする四年も前にレコードが出ているし、そうでなくたって1950年代からその少し後くらいまではマヘリアの影響がゴスペル界にはかなり強く及んでいた。

 

 

ロゼッタの1951年録音ヴァージョン(しかないはずだ、彼女のやるものは)の「アメイジング・グレイス」もオルガン一台の伴奏だというのは完全にキリスト教会音楽のスタイルだよね。貧乏でオルガンなどが買えない教会が代用品としてスティール・ギターを使ったりする以外はほぼ全て同じ。

 

 

そのスティール・ギターを伴奏に用いたゴスペル音楽、すなわちセイクリッド・スティールの世界でも「アメイジング・グレイス」は演奏されていて、僕は三種類持っている。たった十個のうち三個がセイクリッド・スティールでの録音だなんて、なんだかちょっとヘンだよなあ(苦笑)。

 

 

「スティール・ギターを伴奏に用いて」と書いたけれど、これはちょっと不正確なのだ。セイクリッド・スティールの世界では、確かにそれを伴奏に使って歌手が歌うものもあるけれど、それよりもペダル・スティール・ギターがぐいぐい弾きまくるインストルメンタル演奏の方がずっと多いんだよね。

 

 

僕が持っているセイクリッド・スティール・ヴァージョンの「アメイジング・グレイス」も、三つのうち二つがインストルメンタル演奏。一つはソニー・トレッドウェイがペダル・スティールを弾く1994年録音で、アーフリー・レーベルがリリースしたアンソロジー『セイクリッド・スティール』収録。

 

 

もう一つがやはり同じくアーフリーが出した『セカンド・アニュアル・セイクリッド・スティール・コンヴェンション』収録の2001年録音で、ダン・チャックと、セイクリッド・スティール界では最有名人の一人チャック・キャンベルの二人ともがペダル・スティールを弾いて絡み合うインスト演奏だ。

 

 

それらセイクリッド・スティールのインストルメンタル演奏での「アメイジング・グレイス」二つを聴くと、ダン・チャック&チャック・キャンベルのペダル・スティール・デュオの方が僕には面白い。宗教的な敬虔さを(キリスト教者ではない僕でも)より強く感じるのはソニー・トレッドウェイ・ヴァージョンの方だけど。

 

 

もう一つ、アンソロジー『セイクリッド・スティール』にはこの世界ではやはりかなりの有名人ヘンリー・ネルスンがペダル・スティールを弾き、ベースとドラムスの伴奏も入って、さらに歌手ベシー・ブリンストンがお馴染みの歌詞とメロディを歌っているヴァージョンも収録されている。1993年録音でこれもかなりいい。

 

 

ここまではほぼ専業的宗教音楽家のやる「アメイジング・グレイス」の話だったけれど、最初に書いているように世俗音楽家もたくさんやっている曲なので、そういうものも少し持っている僕。そのなかで個人的に一番のお気に入りはロック歌手エルヴィス・プレスリーのヴァージョン。本当に素晴しいんだ。

 

 

エルヴィスは結構たくさんゴスペル・ソングも歌っているのはみなさんご存知の通り。エルヴィスは白人でありかつ黒人音楽要素も強いという人だから、ホワイト・ゴスペル、ブラック・ゴスペル双方の要素がはっきりと聴取れる。エルヴィスにはゴスペル・アルバムが何枚かあるよね。

 

 

しかし僕が持っているのは個々のアルバムではなく、2000年に米RCAがCD三枚組でリリースした『ピース・イン・ザ・ヴァリー:ザ・コンプリート・ゴスペル・レコーディングズ』というもので、エルヴィスの歌ったゴスペル・ソング集大成。これは本当にいろいろと興味深いアルバム・セットなのだ。

 

 

エルヴィスの「アメイジング・グレイス」は1971年録音。ピアノ+ベース+ドラムスの伴奏に加え、聖歌隊がバック・コーラスで入っている。ブックレットのクレジットではちょっと分らないのだが、どう聴いてもこれは大編成のマス・クワイアに間違いない。ド迫力のそれに乗るエルヴィスの歌もいい。

 

 

エルヴィスのゴスペル・ソングについては、そのCD三枚組完全集をじっくりと聴直しなにか書いてみようと思っている。さてエルヴィス以外の世俗歌手が歌う「アメイジング・グレイス」は僕は二つしか持っていない。ネヴィル・ブラザーズのとアリーサ・フランクリンのヴァージョンでどっちもライヴ。

 

 

アリーサの方は相当に有名なはず。なぜならば彼女がゴスペル・ソングを歌ったライヴ・アルバムが『アメイジング・グレイス』というタイトルだからだ。1972年にロサンジェルスの教会で行ったレコーディング・セッションを収録したアトランティック盤で、昔から名盤として名高いものだ。完全集CDもある。

 

 

僕が現在愛聴しているのもライノが1999年にリリースした『アメイジング・グレイス:ザ・コンプリート・レコーディングズ』。マーヴィン・ゲイの「ホーリー・ホーリー」やキャロル・キングの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」やジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」などもやっているんだよね。

 

 

つまり世俗曲をも宗教的な解釈で採り上げているわけで、生粋の宗教歌とあわせそれらの伴奏をやっているなかに、世俗音楽家のコーネル・デュプリー、チャック・レイニー、バーナード・パーディなどもいて、これだから教会音楽/世俗音楽の間に厳密な境界線なんか引けないんだよね。まあそれはいいや。

 

 

アリーサのこのゴスペル・ライヴ・アルバムについても言いたいことが山ほどあるので、詳しくはまた別の機会にしよう。アリーサの「アメイジング・グレイス」は、アレクサンダー・ハミルトン師の「次の曲を紹介する必要はないでしょう」とはじまる語りに続き、アリーサの歌とマス・クワイアが入る。

 

 

その冒頭のゴスペル・クワイアの迫力に驚いていると、アリーサがソロで歌いはじめ、ジェイムズ・クリーヴランド師の弾くピアノに乗ってメロディを自由にフェイクしぐりぐりとコブシを廻しながら、「アメイジング・グレイス」という歌の持つ意味を強調しているような歌い方だ。後半の声の強い張りと伸びは絶品。

 

 

こういうアリーサの「アメイジング・グレイス」を聴くと、やはりこの歌手はゴスペル・ルーツの人で、世俗音楽のソウル・ミュージックを歌う時のその歌い方の根底にそれがあることを強烈に実感する。「ア・ナチュラル・ウーマン」だってなんだって全部そうなのだというのが非常にクッキリと分っちゃうのだ。

 

 

さてさて、ネヴィル・ブラザーズのライヴ盤でエアロン・ネヴィル(「アーロン」ではない)が歌う二種類の「アメイジング・グレイス」や、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの非常に短いがしかし荘厳な雰囲気のホーン・アンサンブル・ヴァージョンなどについて書いている余裕がなくなってしまったね。

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