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2016/09/19

プリンスのブルーズ

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「一生に一曲でもこんな曲書いてみたいもんだと思うような名曲をぼこぼこと生み」(©小出斉さん)、それがほぼ全てのアルバムにしかも複数入っているという信じられない超天才だった、今年四月に亡くなったプリンス。次から次へと新しい曲が湧いてきて止らず、曲創りで行き詰ったことは生涯で一度もなかったらしい。

 

 

その意味でも、また別の意味でも、やはりプリンスはデューク・エリントンだったなあ。エリントンも新曲のアイデアはいついかなる瞬間にもどんどん湧いてくるので、常にペンと楽譜用紙を持歩いていて、例えばどこかへ向うタクシーのなかでとかでも思い浮んだら即その場で譜面に書留めていたのは有名だろう。

 

 

そんでもってエリントンの場合はビッグ・バンド・リーダーで「私の楽器はオーケストラです」というような人で、思い付いて譜面にしたら即座に実際の音にしてみないと気が済まないという性格だったので、スタジオやライヴ会場でのリハーサルなどでそのまま演奏させていたようだ。

 

 

そんなエリントンもプリンスに似て、デビュー当時から亡くなるまでのほぼ全てのアルバムで名曲が複数聴けるというような音楽家。やはりこの二人がアメリカにおける黒人ソングライターとしては傑出しているよなあ。両者と親交があったマイルス・デイヴィスも「プリンスはエリントンなんだ」と言ったことがある。

 

 

マイルスのこの「プリンスはエリントンだ」というのはいろんな意味が読取れるはずだけれども、もうちょっとじっくり考えてみないとなにかはっきりしたことは僕には書けない。でもプリンス=エリントンと考えるのは、直感的にはまあまあ容易で分りやすいことじゃないかなあ。

 

 

エリントンの場合は時代が時代だっただけに、思い付いて譜面にした楽曲のアイデアをその場で録音するなんてことは長年不可能に近かった。だから自分のバンドに生演奏させていたわけだけど、プリンスの場合はデビューが1970年代末で既に宅録なども容易になっていたから、実際そうしていたようだ。自分のスタジオを持つようになって以後はこれが一層加速する。

 

 

そういうメディアの違いはあるものの、プリンスもエリントンもアメリカ黒人音楽家であるというネグリチュードを無視して聴くことは、少なくとも僕の場合難しい。エリントンの場合多くはブルーズやブルーズ的なものだったわけだけど、プリンスの場合はその本質はファンカーだったと僕は考えている。

 

 

これはまあ「時代」だよなあ。エリントンだってあと五年も生きていれば間違いなくファンクをやったはず。そして僕も繰返しているようにファンクの土台にはブルーズがある。ブルーズの現代的解釈がファンクに他ならない。そうではあるんだけど、しかしながらプリンスの全音楽生涯におけるストレートなブルーズ形式の楽曲は極端に少ない。少なすぎるだろうと思うくらいだ。

 

 

僕が気が付いている範囲では(と断っておかないと自信がない)プリンスの全楽曲でストレートなブルーズ形式の楽曲はたったの二つ。たったの二つしかないんだよ。なんて少ないんだ。それは「ザ・ライド」と「5・ウィミン+」。もう一つあるんだけど、それについては後述する。

 

 

「ザ・ライド」は1998年リリースの三枚組『クリスタル・ボール』(附属の『ザ・トゥルース』を含めれば四枚組)の三枚目六曲目。どう聴いてもライヴ音源だなと思って見てみたらやっぱり1995年のライヴ収録だ。そもそもこの三枚組は1983〜96年の種々雑多な音源集で、これが正式リリースされるまでのややこしい経緯を説明するのはちょっと面倒だ。

 

 

『クリスタル・ボール』正式リリースに至るまでの経緯については紙メディアでもネット情報でも詳しく読めるので、ご存知ない方は調べてみてほしい。とにかくこれの三枚目六曲目の1995年ライヴ「ザ・ライド」。これは12小節3コードというモロなストレート・ブルーズで、プリンスにしてはかなり珍しい。

 

 

プリンスの場合、例によって音源を貼って紹介しながら説明することが亡くなって五ヶ月が経つ現在でも99%不可能なのが残念極まりない。だから言葉で説明する以外ないんだけど、音楽内容を言語化する僕の能力は極めて疑わしいからなあ。まあどうにかこうにかちょっとやってみよう。

 

 

『クリスタル・ボール』の「ザ・ライド」は、聴いた感じではダウン・ホーム感覚のあるシカゴ・バンド・ブルーズの雰囲気だ。と言ってもマディ・ウォーターズとかハウリン・ウルフとかの世代ではなく、もうちょっと後、1950年代末からのシカゴ・ブルーズ新世代のやるものに非常によく似ている。

 

 

似ているというかほぼそのまんまなのだ。オーティス・ラッシュとかマジック・サムとかバディ・ガイとかのあたりのエレキ・ギターを弾きながらエモーショナルなヴォーカルを披露するという人たちに瓜二つ。プリンスの「ザ・ライド」は、だから間違いなく意識している。

 

 

意識しているは違うのか、黒人音楽伝統の自然な継承とでも言うべきか。プリンスの「ザ・ライド」でも、まず彼自身の弾くブルージー極まりないエレキ・ギターのソロで幕開け。ちょろっと弾いて「みんな、ブルーズを今夜聴きたいだろ?」と喋った後一層力を入れて弾いているあたりも先人たちにソックリだ。

 

 

バンドのリズム伴奏も出る(オルガン+ベース+ドラムス)。ビートはシャッフルの8ビートだからこれまた伝統的なブルーズのリズム・パターン。プリンスは一度歌い終るとファズを効かせた歪んだ音のエレキ・ギターでこれまたエモーショナルなソロを弾きまくる。その部分はジミ・ヘンドリクスによく似ている。

 

 

プリンスとジミヘンの関係は言っている人がものすごく多くて、だいたいプリンスのギター・スタイルの本質はジミヘンのそれにあるというのは明々白々なんだから、僕がいまさら繰返すまでもない。両者をちょっとでも聴いたことのあるファンであれば、全員ああそうだよねって分っちゃうくらいだ。

 

 

そのジミヘンにはもちろんストレートなブルーズ形式の楽曲がある。一番有名で僕も一番好きなのが「レッド・ハウス」。初出が1967年のデビュー・アルバム『アー・ユー・エクスピアリエンスト?』で、その後のライヴで繰返しやっていたので何種類も公式録音がある。僕が持っているのは全部で四つ。

 

 

ジミヘンの「レッド・ハウス」は彼にしたらかなりトラディショナルな楽曲で、完全に1950年代末〜60年代初頭のシカゴ・ブルーズなのだ。しかもこの曲でジミヘンが弾くギターはバディ・ガイのそれに非常によく似ている。そのまんまだ。一説によればバディ・ガイにインスパイアされたとかなんとか。

 

 

バディ・ガイからジミヘンへ至る影響関係は繰返すまでもないだろう。面白いのは1970年のジミヘンの死後、バディ・ガイはこの早世した天才の後輩から逆影響を受けている。いろんな意味で明らかに聴けるのでこれは間違いない。特に90年代以後はそんな感じがかなり強くなってきているように思う。

 

 

それが最も露骨に出ているのが1993年リリースの『ストーン・フリー:ア・トリビュート・トゥ・ジミ・ヘンドリクス』という一枚。主にロック系の音楽家、あるいはなかにはパット・メセニーなんかもやっていたりする一枚なんだけど、バディ・ガイが一曲やっている。それが他ならぬ「レッド・ハウス」なんだよね。

 

 

その1993年のジミヘン・トリビュート・アルバム。全体的には全く面白くなかったけれども、四曲目で「レッド・ハウス」をバディ・ガイがやっているのだけが面白くて良かった。なにが面白いかって、ここでのバディ・ガイはギターもヴォーカルも完全にジミヘンになりきっているからだ。

 

 

 

先輩が後輩からのこれだけはっきりした逆影響をここまで正直に音で表現しているのは僕は聴いたことがない。そんでもってですね、プリンスの「ザ・ライド」は、最も直接的にはこのバディ・ガイ・ヴァージョンの「レッド・ハウス」が下敷になっているような感じに僕には聞える。

 

 

さてさて最初の方で書いたプリンスの全音楽生涯でたったの二曲しかないストレートなブルーズ形式の楽曲のもう一つ「5・ウィミン+」。これは1999年リリースのワーナー盤『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』収録の五曲目。これは何年録音とかパーソネルなどのデータがいまだにほぼ分らないもの。

 

 

なぜかというと『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』はワーナー盤だと書いたように、この時点ではプリンスは既にこの会社を離れていたのに、1999年になって突然ワーナーがアルバム・タイトル通り過去のお蔵入り音源から一枚にまとめてリリースしたもので、データなどはほぼなにも記載がないのだ。

 

 

『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』のジャケットは、プラスティック・ケースから取出すとペラペラの紙一枚だけ。それを開くと演奏者名などがズラズラと一覧で列記されているだけで、誰がどの曲で演奏しているかも分らないし、録音時期は「1/23/85から6/18/94の間」としか書かれていない。

 

 

既にワーナーと決別していたので手を抜かれたんだなあこりゃ。しかしこの『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』、音楽的中身はお蔵入り音源集とは思えないクォリティの高さで僕は大のお気に入り。いろいろ面白くて楽しめる曲ばかり。ラストの「エクストローディナリー」なんか絶品で、プリンスの全生涯でのバラード最高傑作だと断言したいほど素晴しい。

 

 

そんな『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』五曲目の「5・ウィミン+」。これも音源を貼って紹介できないのがもどかしいが、間違いなくB・B・キングの「スリル・イズ・ゴーン」なんだなあ。いろんな意味で瓜二つというか、はっきり言ってそのまんままコピーだと言っても過言ではない。

 

 

プリンスの方を紹介できないので、B・B・キングの「ザ・スリル・イズ・ゴーン」の方を貼っておく。かなりの有名曲だよね。プリンスの「5・ウィミン+」は BB のこのまんまだから、ご存知ない方もこんな感じの曲なんだと思っていただいて間違いない。

 

 

 

曲調も曲のキーもコード・チェンジも全体的なアレンジもクリソツなんてもんじゃないくらいの丸コピーなのだ。プリンスもよくやるよなあ。僕は最初に『ザ・ヴォールト:オールド・フレンズ・4・セール』を聴いていた時、五曲目の「5・ウィミン+」が鳴りはじめた瞬間に思わず笑っちゃったもんね。

 

 

これはある種のプリンス側から BB 側へのリスペクトとかトリビュート的なものだろう。さてさて最初の方で書いた「実はもう一曲あるんだ」というプリンスのブルーズは「ザ・クエスチョン・オヴ・U」で、1990年の『グラフィティ・ブリッジ』四曲目。形式は完全なるブルーズ楽曲ではないが、フィーリング的には<どブルーズ>。

 

 

いやまあフィーリングがなんてことを言いだしたらプリンスにもブルーズを感じる曲は相当に多い。大ヒット・シングルになった「KISS」(『パレード』から)。あれなんかコード進行がブルーズの3コードに則っているし、感覚的にもそうだし、間奏部のウェンディが弾くギター・ソロだってそうだ。

 

 

ところで「KISS」という曲。口にするいわゆる普通のキスではなく、間違いなくアレのことなんだと思うんだけど、そういえばこの曲がヒットしていた当時マドンナが「あんなこと歌うヤツなんて他にいないわよ!」って言ってたことがあるなあ。そういうマドンナだって『エロティカ』みたいなアルバムがあるし、そうでなくたって他人のこと言えないよね。わっはっは。

 

 

まあスケベなことを歌うってのはブルーズの伝統だけどね。あのポップなビートルズにすら「道でやろうじゃないか」(『ホワイト・アルバム』)なんていうそのまんまな曲があるし、初期のヒット曲「プリーズ・プリーズ・ミー」だって「悦ばせてくれ」ってのはそういうことだろうなあ。

 

 

さらにもう一曲、フィーリングとしてはこの一曲こそが最もブルーズだと思うのがアルバム『サイン・オ・ザ・タイムズ』一枚目一曲目のアルバム・タイトル・ナンバー。あれの途中から出てくるエレキ・ギターを聴直してほしい。どう聴いたってブルーズじゃないか。百歩譲ってもスーパー・ブルージーだよ、あのギターは。

 

 

「サイン・オ・ザ・タイムズ」という曲はAIDSのことなど当時の社会問題を歌ったものなんだけど、そんな深刻な歌詞内容をあんな曲調に乗せたような楽曲にしちゃうプリンスってのは、1970年代の例のニュー・ソウルの連中に非常によく似ているよね。重い内容を楽しくカッコいいソウルやファンクにするってやつ。そういうのが一流音楽家の証拠だと僕は思うね。

 

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