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2016/09/15

オーティス・ラッシュ、君から離れられないよ

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弾いたり歌ったりはもうできないみたいなんだけど、存命のオーティス・ラッシュというブルーズ・マン。その腕前のわりには録音数が極端に少なくて、特に全盛期のものはたった16個のシングル曲しかない。ってことは要するにシングル盤八枚だけってことだ。う〜ん、なんなんだこの少なさは?

 

 

同じようなブルーズ・マンであろうマジック・サムもかなり少ないけれど、彼の場合は早死にしちゃったからだ(32歳没)。それでもマジック・サムは一応LPアルバムを生前にも二枚だけとはいえ残している。これまた同じような人であろうバディ・ガイとなると、たくさんレコードやCDがあるもんなあ。

 

 

これらオーティス・ラッシュ、マジック・サム、バディ・ガイの三人は僕のなかではイメージが重なっていて、ほぼ同じような位置づけのブルーズ・メン。これは僕だけでなく、一般的にそう見做されているはずだ。同じ1950年代後半にシカゴのブルーズ・シーンに登場し、新世代として活躍した人達だからだ。

 

 

それまでのシカゴ・ブルーズ・シーンの中心人物といえばマディ・ウォーターズとハウリン・ウルフが代表格かなあ。マディの場合はご存知ミシシッピ・デルタ出身で、その南部的ダウン・ホーム感覚を活かしたようなエレクトリック・バンド・ブルーズで人気を博した。ウルフもミシシッピ出身でやはりかなり泥臭い。

 

 

だから戦後のシカゴ・ブルーズ・シーンが活気づいたのは、いわば南部的に泥臭いダウン・ホームな感覚のエレクトリック・バンド・ブルーズによってのことだった。僕なんかは今でもそっちの方が好きだったりするんだけど、それが1950年代後半あたりから新世代が出現しちょっと様子が違ってくる。

 

 

そんなシカゴ・ブルーズに新鮮な風を吹込んだ新しい世代の代表格が前述のオーティス・ラッシュ、マジック・サム、バディ・ガイの三人ということになるんだろう。今日はシカゴ・ブルーズ・シーンの刷新みたいなことにはあまり触れず、その三人のうち最初のオーティス・ラッシュについてだけ話をするつもり。

 

 

最初に書いたように特に良い時期の録音がたったのシングル盤八枚だけしかないというオーティス・ラッシュ。その16曲がみなさんご存知コブラ・レーベルへの録音。書かないと言いながらやっぱり書くと、マジック・サムもコブラでデビュー、バディ・ガイもコブラの傍系レーベルからデビューした。

 

 

そういうわけなので一層この三人はイメージが重なってしまうんだなあ。同じような時期にはフレディ・キング、ちょっと時期は遅いがルーサー・アリスンなども同じようなシカゴ・ブルーズ新世代なんだけど、この二人よりも前述の三人のブルーズ・メンのイメージがピッタリと重なるのはそういうわけなのだ。

 

 

それにしてもオーティス・ラッシュのコブラ録音がたったの16曲しかないってのは、その内容を聴けば大変にレヴェルの高い優れた宝石なだけに、なんだか悔しいというか、いや逆にそれだけ貴重さが増すというか、でも僕はやっぱりこの人の優れた録音をもうちょっとたくさん聴きたかったなあ。

 

 

どうしてオーティス・ラッシュの一番良い時期がコブラ時代で、それもたったの16曲しかないのかというと、コブラはイーライ・トスカーノという人がシカゴはウェスト・サイドで立ち上げた新興レーベルで、ラッシュも1956年にここに録音をはじめるが、このトスカーノという人は賭博師なのだ。

 

 

それで録音したミュージシャンに殆どギャラを払わず、もっぱらギャンブルに注ぎ込んで借金を抱えてしまい、ってことは要するにヤクザの世界と関わって1959年にトスカーノは殺される。コブラ・レーベルもそのまま自然消滅してしまった。そんな会社だったのでラッシュも(その他も)録音が少ないのだ。

 

 

でもオーティス・ラッシュ以外にもコブラにはそこそこの数の録音があって、何年だったかコブラのシングル曲を集めた完全集ボックス・セットも出たなあ。僕も持っているがおそらく殆ど聴いていない(苦笑)のはなぜだろう?だからそのコブラ・シングル曲集ボックスにラッシュがあったのかどうかも憶えていない。

 

 

また時間のある時に部屋のどこに置いてあるのかも分らなくなっているコブラ・シングル曲集ボックスを、カオス状態の平積みCD山脈のなかから掘出してちゃんと聴いてみて、なにか気が付いたことがあれば書くかもしれない。確か『ザ・コンプリート・コブラ・シングルズ』とかそんなタイトルだったよなあ。

 

 

コブラのシングル曲完全集なら当然オーティス・ラッシュだって入っているはずではある。まあ暇な時に確認してみるとしよう。ともかくオーティス・ラッシュのコブラ・シングル録音は非常に評価が高いので、もちろん彼名義の単独アルバムになっている。LPレコードで既にあったし当然CDにもなっている。

 

 

オーティス・ラッシュの名前は大学生の頃から知っていた。なぜならばこれまたレッド・ツェッペリンやエリック・クラプトンがカヴァーしているからだ。ホントこのあたりのUKブルーズ・ロック勢には、その音楽的ルーツになったシカゴの電化バンド・ブルーズをたくさん教えてもらったなあ。みなさん同じだろう。

 

 

エリック・クラプトンはブルーズブレイカーズで「オール・ユア・ラヴ」をやっているし、レッド・ツェッペリンはファースト・アルバムで「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」をやっている。だからこの二曲はアメリカ黒人ブルーズに強い興味のないロック・リスナー(そんな人いるの?)だって全員知っている。

 

 

しかもレッド・ツェッペリンは彼らにしては珍しくファースト・アルバムB面収録の「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」(邦題「君から離れられない」)を、ちゃんとウィリー・ディクスンの名前を出してクレジットしている。A面の「ユー・シュック・ミー」もそうしているよね。

 

 

どういう風の吹回しだ、ジミー・ペイジ(笑)。これは二曲ともウィリー・ディクスンだからなんてことではない。シカゴ・ブルーズ・シーンの<裏ボス>的存在とも言うべきディクスンが書いていろんなブルーズ・メンがやった他の曲をパクったものは全然クレジットしていないもんね。例えば「胸一杯の愛を」も自作扱いになっている。

 

 

だからどうして「ユー・シュック・ミー」と「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」でだけウィリー・ディクスンの名前を最初からクレジットしていたのか、ジミー・ペイジの心境がちょっと分らないのだが、ともかくそういうわけでこれを初めて聴いた高校生の頃からカヴァー曲なんだなとは分っていた。

 

 

でも高校生の時は書いてある「ウィリー・ディクスン」が全然分らず、誰が歌ったのかも知らず調べもしなかった。調べてみたのが大学生になってからで、それでようやく「ユー・シュック・ミー」はマディ・ウォーターズ、「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」はオーティス・ラッシュと知った。

 

 

だいたい高校生の頃はウィリー・ディクスンと書いてあるこの名前の人物が歌っているのかなあと思っていたくらいだったもんなあ。ともかくそれでマディとかオーティス・ラッシュもレコードを探してみたのだった。マディの話はおいておいて、ラッシュはPヴァインが一枚のレコードを出していた。

 

 

それが「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」を含むコブラ録音集で、これこそがオーティス・ラッシュという人の最高傑作集なんだぞという意味のことがライナーノーツに書いてあったような気がする。しかし既に大好きだったB・B・キングのような魅力は当時の僕には感じられず。

 

 

そりゃそうだろうなあ、当時はジャズのレコードばっかり買っていて、ジャズ・メンのやるブルーズが大好きだったんだから、B・B・キングみたいなかなり洗練されたサウンドの持主なら分りやすかったけれど、オーティス・ラッシュはなんだかとぐろを巻いているようで、しかも暗い。

 

 

暗いというイメージは今でも全く同じ。だってオーティス・ラッシュはマイナー・キー(短調)のブルーズばっかりなのだ。ブルーズ・スケールって長調でも短調感があって、そもそもメジャーなのかマイナーなのかどっちなんだか分らないような部分にこそ魅力があると思うのに、それをマイナー・キーとはなあ。

 

 

僕の場合メジャー・キーのブルーズこそが「ホンモノ」だなんて長い間信じ込んでいて(でもこれ、戦前ブルーズをたくさん聴いている方なら共感していただけるかも)、メジャー・ブルーズのなかに短調的な物悲しくて憂鬱な感じ、すなわちブルージーなフィーリングが感じ取れるのが大好きでたまらないという人間(僕のショーロ好きも、そして告白するがモーツァルト愛好者なのもこの理由)。やっぱり絶対量としてはメジャー・ブルーズの方が多いからなあ。

 

 

だからオーティス・ラッシュ(やその他)みたいなマイナー・ブルーズばっかり、でもないんだがとにかく多い人は長い間苦手だった。メジャー・キーですら物悲しく感じるのがブルーズなのに、それをなにもマイナー・キーでやらなくたっていいだろう、暗い、暗すぎるぞと聴く度に感じていたのだった。

 

 

「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」でもレッド・ツェッペリン・ヴァージョンの方は大好きだったのがなぜなのか長年分らなかったのだが、随分と後になって彼らは1956年コブラ録音オリジナルではなく、66年ヴァンガード録音ヴァージョンの方を下敷にしていることを知ったのだった。同じようなものではあるけれども。

 

 

そんな僕がオーティス・ラッシュのコブラ録音集を本当にいいなあと感じるようになったのはCDリイシューされてから。最初どこが出したのか憶えていないコブラ録音集CD(ひょっとしてそれもPヴァイン?)を買って聴いていたんだけど、2000年になってPヴァインがしっかりとしたものをリリースしてくれた。

 

 

それが『アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー:ザ・コブラ・セッションズ 1956-1958』。これにオリジナル・シングル曲全16曲に加え、それらの別テイク11トラックも収録されていて、これこそオーティス・ラッシュのコブラ録音集の決定盤。これでハマってみると離れられなくなっちゃった。

 

 

まさしく曲名通り、君から離れられないよオーティス・ラッシュ!となってしまった。それが僕の場合20世紀から21世紀の変り目あたりのこと。遅いよなあ。暗すぎるのがいい感じに聞えるようになってきた。オーティス・ラッシュはマイナー・キーでのスロー・ブルーズが流行する先駆者みたいな人だったんだよなあ。

 

 

マイナー・キーでもエリック・クラプトンその他大勢がやっている「オール・ユア・ラヴ」はスローではなくラテン調のリズム・アレンジで、しかもそれが後半8ビート・シャッフルに移行し、その部分はメジャー・キーでやり、最後に再びマイナーのラテン調に戻って終るというかなり面白い一曲だ。

 

 

 

「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」でオーティス・ラッシュから離れられなくなった僕も、今では「オール・ユア・ラヴ」の方により強い魅力を感じる。ファンはみんな彼のギターのこと、しかもチョーキングを多用するスクイーズ・スタイルをステキだと言うけれど、僕はヴォーカルの方が好きだ。

 

 

なぜかと言うとオーティス・ラッシュの喉には明らかにゴスペルの影響が感じられるからなのだ。彼がソウル歌手みたいにゴスペル界出身なのかどうかは僕は知らないんだけど、歌い方を聴いたら絶対にそのヴォーカル・スタイルはゴスペル由来だろうと分るものなのだ。メリスマの効いたコブシ廻しがね。

 

 

一番有名な「アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー」。現行Pヴァイン盤一曲目のマスター・テイクが最高だが、CD終盤にその前に録音された別テイクが二つ収録されている。どっちもギターを中心にその他楽器伴奏によるイントロ付き。それに対しマスター・テイクはいきなりヴォーカルからはじまっているよね。それがいいんだ。

 

 

これはマスター・テイクも楽器イントロがあったのをカットしたのか、あるいはそもそも演奏時からそうなっていたのかは分らないが、ともかくプロデューサーでもあったウィリー・ディクスンの慧眼だね。あの出だしいきなりのシャウトで心を奪われてしまうもん。ディクスンもあのヴォーカルに目を付けたに違いないし、僕も多くのファンもそうに違いない。

 

 

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