サンバ崇拝
『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』というCD三枚組のアンソロジーがあって僕の愛聴盤。EMI ブラジルが1997年にリリースしたブラジル盤で、調べてみたらその後バラ売り三枚でも売ったらしい。日本盤はおそらく存在しない。東京時代にどこかの外資系輸入盤ショップで買った。
店頭で見て、そのタイトル(日本語にしたら「サンバ崇拝」とでもいったところか)と、三枚組という規模と、ジャケット・デザインを見たらなんだか古そうな方々がいっぱい並んで映っていて、これで初期サンバ入門ができるんじゃないかと思ったんだろう。買って帰って聴いてみたら果してその通りの内容だった。
なんたって一曲目があの「電話で」(あるいは「電話にて」とか様々、原題は “Peló Telefone”)だもんね。これは史上初のサンバ曲だ。登録されたのが1916/12/16。一つの音楽ジャンルの<誕生日>がこれだけはっきりしているというのもなかなか珍しいことだろう。
「電話で」は翌1917年にバイアーノによるものとバンダ・ジ・オデオンによるものの二つが録音されてヒットして、ブラジルにおけるサンバという<音楽>の人気を決定づけるものとなった。僕の持っている『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』一曲目の「電話で」はバイアーノ・ヴァージョン。
サンバという<音楽>のとわざわざ断ったのはどうしてかというと、サンバというものは音楽ジャンルとしてはっきり成立する前の17世紀から、主に(奴隷としてアフリカから強制移住させられた)ブラジル黒人のダンスの一種として既に存在していた。それは主にバイーア地方でのことだったらしい。
ダンス名が音楽ジャンルの名称になるのは古今東西よくあることで、21世紀に入ってからの新ジャンルならアラブ歌謡の一種、ペルシャ湾岸地域を中心とするハリージもまたそう。そしてダンスに音楽は欠かせないというのも今更言うまでもない至極当然の話だから、サンバだって同じだったはず。
もっとも僕はサンバの発祥を詳しくは知らないし調べてもいない。とにかく音楽の名称として世界中に知られている(おそらくブラジル音楽では世界で最も知名度のあるジャンルである)サンバというものが、明確な<曲>として誕生した史上第一号が「電話で」だということだけははっきりしているのだ。
なお史上第一号サンバ曲「電話で」はドンガとマウロ・ジ・アルメイダの共作ということになっているけれど、実はその作者というか誕生の正確な経緯ははっきりしないらしい。この二名が作者として登録されているというだけで、元は毎日のように行われていたジャム・セッションから自然発生したようだ。
そのあたりは世界中のどんな音楽の発祥だってそんなもんだよね。作者不詳でみんなががやがやと楽しく演奏して踊り楽しんでいたなかから徐々に形ができあがっていって曲という形になって誰かが登録するという具合。ほぼなんだってそうだ(フェラ・クティのアフロビートだけが例外か?)。念のために言っておくがサンバはブラジル最古の音楽ではない。
サンバが成立する前から、例えば僕の最愛ブラジル音楽であるショーロが成立していたし、その他にもルンドゥー、マルシャ、マシーシ、バトゥーキなどがあった。なかではマルシャがそこそこ有名じゃないかなあ。ポルトガルのファド歌手アマリア・ロドリゲスにもそんなタイトルのアルバムがあるもんね。
余談だけどファドの女王とされるアマリアの初録音はポルトガルでではなくブラジルで行われているし、ブラジル音楽史上最高のサンバ歌手であるカルメン・ミランダはポルトガル生れ。面白いよねえ。そのカルメン・ミランダだって『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』にたくさん収録されている。
『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』にあるカルメン・ミランダは、もちろん全て渡米前のブラジル録音で全四曲。このアンソロジーは全部で48曲で、四曲も入っているのはカルメンだけ。その他カルメンとの共演録音もあるマリオ・レイスが二曲、ノエール・ローザが二曲で、この三人が目立つ。
カルメン・ミランダはかなり知名度があるはず。それはひょっとして渡米してハリウッドで活躍したせいなのかなあ。僕の場合はちょっと違ったんだけど。ノエール・ローザもだいぶ前に日本盤で二枚CDが出ているのでファンがいるはずだ。マリオ・レイスはどうなんだろう?
サンバを歌う戦前の男性歌手では僕はマリオ・レイスが一番好きだけどなあ。主にラジオを通して活躍した人。でも日本盤 CD などはないし、輸入盤 CD も今では入手困難になりかけているようだから、もう今では聴く人はかなり少ないのかもしれない。でも iTunes Store でならいくつも安く買えるよ。
だから CD はもはや中古盤しかなくそれもアマゾンでは高値になっているけれど、配信なんて・・・、とかフィジカルじゃないと嫌だ・・・、なんておっしゃらずに、安くたくさん(でもないがマリオ・レイスは)買えるんだから、是非 iTunes Store でマリオ・レイスを買って聴いてほしい。
かくいう僕も1997年に『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』に二曲収録されているマリオ・レイスを聴くまでは全く名前すら知らなかったわけだからえらそうなことはなにも言えないんだけどね。ホント素晴しい男性サンバ歌手だよ。カルメン・ミランダとの共演全六曲(のはず)なんか絶品なんだよね。
『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』に四曲入っているカルメン・ミランダ。この三枚組を通して聴いていると、カルメンのところに来たら一瞬で彼女だと分ってしまう。それは書いてある歌手名など見なくたって分っちゃうんだなあ。僕は熱心なカルメン・ファンで普段から聞いているせいもあるんだろう。
渡米前ブラジル時代のカルメン・ミランダの曲はよく知っているから、それで一瞬で分っちゃうというものあるけれど、仮にそうでなくたって『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』でカルメンのところに来ると、前後との違いがあまりにもクッキリしているから、ご存知ない方だってみなさんこれは誰だ?となるはずだ。
カルメン・ミランダが歌いはじめると、なんだか途端に音がキラキラしてクッキリと浮き出て、その前後に収録されている人の歌とは、ヴォーカルのノリも発音の明瞭さも伴奏のバンドのリズムもなにもかも全然違う。だから『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』を通して聴くと改めて溜息が出るのだ。
『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』にカルメン・ミランダは続けて四曲収録されているわけではない。他の複数音源が収録されている人も、二曲続けて並んでいるマリオ・レイス以外は全てバラバラなのだ。まあこの三枚組コンピレイションの編纂方針ははっきり言ってよく分らない部分がある。
一曲目が史上最古のサンバ曲「電話で」なのに、そこから時代を追って順に並んでいるわけではなく、新旧交互というかメチャクチャな並び方なのだ。「電話で」の次に来る二曲目はジョアン・ダ・バイアーナの1968年録音「バツーキ・ナ・コシジーニャ」なんだよね。戦前から活躍した人ではあるけれど。
『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』附属の紙を開くと、ポルトガル語で一曲ずつ歌手名、伴奏者名、録音年はもちろん、いろんなことがかなり丁寧に解説されているので、僕の場合ポルトガル語は辞書を引き引きかなりゆっくりとでないと読めないんだけど、しかし凄く助かっている。
それとは別個に厚手のブックレットも入っていて、これまた当然ポルトガル語だけど、それにはサンバの歴史みたいなことがかなり詳細に記述されているので、本当にゆっくりとなんだけどなんとか読んで凄く勉強になったし楽しかった。書いているのはどっちも全部ジャイロ・セヴェリアーノという人。誰だろう?
編纂が録音年順、あるいはリリース順ではないのがメチャクチャだと書いたけれど、まあでもお勉強というよりも聴いて飽きずに楽しめる(僕には年代順編纂の方が「楽しめる」んだけどね)ように、いろいろと ヴァラエティに富むように考えて並べているんだろうなあ。聴くとそれは伝わってくるような気がする。
面白いのは三枚目ラスト、つまりアンソロジーのオーラスがあの「想いあふれて」(シェガ・ジ・サウダージ)なんだよね。言うまでもなくアントニオ・カルロス・ジョビンの書いたボサ・ノーヴァ創生期の代表曲。『アポテポジ・アオ・サンバ Vol.1』では女性歌手ジョイスによる1987年録音。
一般に「想いあふれて」とかジョビンとかはボサ・ノーヴァの曲であり音楽家だと思われているはずだ。それがサンバの歴史を辿るというのが眼目のアンソロジーのラストに収録されているという意味を考えてみなくちゃいけない。サンバ〜サンバ・カンソーン〜ボサ・ノーヴァは全部繋がっているってことだよ。
繋がっているどころか音楽感覚としてはその前のショーロから含め全て「同じ」なんだよね。それがサンバの、ボサ・ノーヴァの、そしてブラジル音楽の真実というものだろう。僕ら日本の偏狭なファンが思うように分れてなんかいないのであって、ぜ〜んぶ同じ種類の音楽として聴けちゃうんだよね。
この「(ショーロから)サンバ〜ボサ・ノーヴァまで全部同じ」というのを日本のブラジル音楽ファンもちゃんと受止めてほしい。日本のジャズ・ファンにもボサ・ノーヴァを聴く人は多いんだけど、(普段から僕が嘆いているように)ショーロとかはまだまだ聴かれていないし、サンバだってどうかなあ。
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