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2016/10/13

ファンクとなって花開いたジミヘンのDNA

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ジミ・ヘンドリクス・トリビュート・アルバムはいくつもある。僕は出ればだいたい全部買ってしまうんだけど、そのなかでこれが一番いいんじゃないかと思うのが2004年の『パワー・オヴ・ソウル:ア・トリビュート・トゥ・ジミ・ヘンドリクス』だ。

 

 

 

これが一番いいという意見のファンは多いみたい。これ以外で一番有名なのは1993年の『ストーン・フリー:ア・トリビュート・トゥ・ジミ・ヘンドリクス』だろうけれど、前にも一度書いたように、これは四曲目でバディ・ガイが「レッド・ハウス」をやっている以外は、全体的に全く面白くなかった。

 

 

しかしこの『ストーン・フリー』と『パワー・オヴ・ソウル』は関係があるようだ。後者のブックレットにある文章を読むと、前者で得られた収入をもとにユナイティッド・ニグロ・カレッジ・ファンドというものが設立され、その基金で学生たちが黒人音楽や文化を学んでいるらしい。

 

 

そしてこの基金で学ぶ学生のサポートを(部分的に)しているのが『パワー・オヴ・ソウル』の参加ミュージシャンたちだということだ。ブックレットの文章によれば、『ストーン・フリー』の売上げ、というか入ってきたカヴァーされているジミヘン・ナンバーのロイヤルティで活動を継続しているとのこと。

 

 

『パワー・オヴ・ソウル』みたいなアルバムを2004年に制作できたのも、『ストーン・フリー』で入っていたロイヤルティのおかげだと書いてあるんだなあ。そんな関係があったなんて、最近ブックレットの文章をちゃんと読むまで知らなかった。まあそれでも『ストーン・フリー』がつまらないのには変りがないけどね。

 

 

1993年の『ストーン・フリー』と2004年の『パワー・オヴ・ソウル』最大の違いは、前者が白人ロック音楽家を中心に起用したロック・アルバムになっているのに対し、後者は黒人ソウル〜ファンク音楽家をメインに据えたブラック・ミュージック・アルバムに仕上っているというところ。これは重要だろう。

 

 

ジミヘンは確かにブラック・ロッカーという趣も強くて、世間一般的にはそんな人として認識されているかもしれない。これだけ人気があるのもロック・マーケットに大きくアピールできているからに違いない。しかしながらジミヘンの音楽をじっくり聴き込むうちに、徐々にそのイメージは変っていくんじゃないかなあ。

 

 

ジミヘン自身の音楽でそれを感じ取るのは、熱心なブラック・ミュージック・ファンじゃないと難しいかもしれないが、1970年のこの天才の死後、彼の蒔いた種子を受継いで花開かせたものがもちろんたくさんあって、その多くがファンク・ミュージックなんだよね。彼の音楽的DNAを引継いだのはやっぱり黒人だよなあ。

 

 

最も顕著なのがファンカデリックやパーラメント・ファンカデリック(Pファンク)の連中で、全体的な音楽性もそうだし、それらで弾くギタリストもエディ・ヘイゼルはじめ全員ジミヘン・スタイルの継承者たちだ。マイルス・デイヴィスがギタリストを重用するようになったのもジミヘンの影響だし。

 

 

マイルス1975年の『アガルタ』『パンゲア』の祖先の一つとしてジミヘンをあげる専門家は多い。特に一作目1967年の『アー・ユー・エクスピアリエンスト?』を『アガルタ』の祖型だと書いている人がいたなあ。誰だっけ?それにマイルスのあの二つで弾くシカゴのピート・コージーはジミヘンと縁深い人物だ。

 

 

また1970年代末にデビューしたプリンスもジミヘンDNAの継承者の一人。ギター・スタイルにそれが鮮明に聴取れるだけでなく、全体的な音楽性がそうだよね。白黒混交でブルーズ〜ロック〜ソウル〜ファンクをゴッタ混ぜにしたようなものをやっていたのは、ジミヘンとスライから引継いだものだ。

 

 

これら Pファンクとプリンスは、アルバム『パワー・オヴ・ソウル』に一曲ずつ参加している。収録順では先に四曲目にプリンスが来る。これがなんと「レッド・ハウス」のストレートなカヴァー。以前プリンスのブルーズ関連について書いたけれど、この一曲のことを完全に忘れていた。

 

 

プリンス名義のアルバムには収録されていないので、探しても出てこなかったんだと言い訳しておく。しかも『パワー・オヴ・ソウル』四曲目のプリンスがやるブルーズは、曲名が「パープル・ハウス」になっているぞ(笑)。もちろん「レッド・ハウス」のもじりであるのは聴けば誰だって分る。

 

 

パープルはプリンスのトレード・カラーだからね。そういえば誰だったかアメリカの有名人がジミヘンの「パープル・ヘイズ」とプリンスの「パープル・レイン」を混同して突っ込まれて笑われていた。その人は単によく知らずに間違えただけだけど、完全に笑い飛ばすこともできないんじゃないのかなあ。

 

 

プリンスの「パープル・レイン」とシグネチャー・カラーになった紫色。これとジミヘンの「パープル・ヘイズ」との関係について語るのは今日はやめておこう。「レッド・ハウス」のカヴァーである『パワー・オヴ・ソウル』収録のプリンス「パープル・ハウス」はこれ。

 

 

 

プリンスが紫色をトレード・マークにしたルーツだったかもしれないジミヘンの「パープル・ヘイズ」も『パワー・オヴ・ソウル』にある。それはなんとあのロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンドによる演奏だ。ペダル・スティール・ギターでジミヘンを表現できるのはこの黒人だけだろうね。

 

 

 

こんなペダル・スティールの弾き方、この人以外では絶対聴けないよなあ。元はセイクリッド・スティールというアメリカ宗教音楽界出身のロバート・ランドルフだけど、世俗音楽転向後は他にもジミヘン・ナンバーをいくつか採り上げているし、そもそもこの人のペダル・スティールのスタイルはジミヘンがルーツだ。

 

 

さて上で名前を出したPファンクが『パワー・オヴ・ソウル』でやっているのは七曲目の「パワー・オヴ・ソウル」。正確にはブーツィー・コリンズ・フィーチャリング・ジョージ・クリントン&ザ・P・ファンク・オールスターズという名前になっているが、実質的には Pファンクそのものに他ならない。

 

 

それにしても「パワー・オヴ・ソウル」とはかなり渋めの選曲だ。なぜならこの曲のジミヘン本人によるヴァージョンは1999年リリースの『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト』収録のライヴ・ヴァージョンしかないからだ。それは1970年1月1日収録で、しかもファンク・チューンというに近いもの。

 

 

ジミヘンは1970年9月に亡くなる直前はファンクに接近しつつあったんじゃないかと以前書いたけれど、同年一月のライヴ演奏「パワー・オヴ・ソウル」なんかはそれがよく分る一曲なのだ。それを何年録音かは分らないが2004年リリースのトリビュート・アルバムで Pファンクがやっているという面白さ。

 

 

 

この Pファンクがやる「パワー・オヴ・ソウル」は、お聴きになれば分るようにどこからどう切取っても完全なるファンク・チューンだよね。誰でも分る。こういうのこそがジミヘンの音楽的遺伝子の正統な継承物じゃないかと僕なんかは思うわけなんだよね。

 

 

Pファンクがやる「パワー・オヴ・ソウル」は収録されたこのトリビュート・アルバムのタイトルにまでなっているんだから、プロデュースしたジェイニー・ヘンドリクスはじめエクスピアリエンス・ヘンドリクス LLC 側にとっても、やはり代表的で象徴的な一曲だと判断したんじゃないかなあ。

 

 

普通の(ブルーズ・)ロックみたいなものも『パワー・オヴ・ソウル』には収録されている。三曲目のカルロス・サンタナによる「スパニッシュ・キャッスル・マジック」、五曲目のスティングによる「ザ・ウィンド・クライズ・メアリー」、八曲目のエリック・クラプトンによる「バーニング・オヴ・ザ・ミッドナイト・ランプ」。

 

 

そのうちカルロス・サンタナがやる「スパニッシュ・キャッスル・マジック」でドラムスを叩いているのはなんとトニー・ウィリアムズだ。これが迫力満点の完全なるロック・ドラミングで、ジャズ界で活動をはじめたドラマーの演奏には聴こえない。またサンタナとクラプトンはジミヘンの同時代人だよね。

 

 

デビューはジミヘンよりクラプトンの方が早かったけれど、一番よかった時期が1960年代後半〜70年だという点ではこの二人は完全なる同時代の音楽家。ジミヘンとクリーム〜ブラインド・フェイスあたりのクラプトンがやっていた音楽はシンクロするもんなあ。ギター・サウンドの創り方だって同じだ。

 

 

『パワー・オヴ・ソウル』収録のクラプトンによる「バーニング・オヴ・ザ・ミッドナイト・ランプ」は、1993年のジミヘン・トリビュート・アルバム『ストーン・フリー』収録のクラプトンによる「ストーン・フリー」と同じセッションで既に録音されていたものを蔵出ししたものなんだとブックレットに書いてある。

 

 

クラプトンによるジミヘン・ナンバーそれら二曲の演奏内容についてはなにも言わないでおこう。同時代人で同時期に大活躍しただけに、本人がジミヘンに一番思い入れのある一人だろうからね。さてアルバム『パワー・オヴ・ソウル』で一番演奏時間が長いのはラストのスティーヴィー・レイ・ヴォーンだ。

 

 

アルバム・ラストのスティーヴィー・レイ・ヴォーンは「リトル・ウィング」と「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」をメドレーで演奏し12分以上あるもの。ヴォーカルは一切入らずレイ・ヴォーンがジミヘンばりに弾きまくるギター・インストルメンタルだ。この人もジミヘンのDNA継承者の一人だね。

 

 

スティーヴィー・レイ・ヴォーンも普段からジミヘン・ナンバーをよく採り上げた。ライヴでの「ヴードゥー・チャイル」は有名で評価も高い。『パワー・オヴ・ソウル』収録の「リトル・ウィング/サード・ストーン・フロム・ザ・サン」は、2004年のこのアルバムで発表されるまで未発表だったライヴ・テイク。

 

 

スティーヴィー・レイ・ヴォーンがライヴで「リトル・ウィング/サード・ストーン・フロム・ザ・サン」をメドレー形式でギター・インストルメンタルで弾いているものでは、1984年収録のものが2000年リリースのCD四枚組ボックス『SRV』にも収録されている。よく似た内容だけど、『パワー・オヴ・ソウル』収録ヴァージョンとは微妙に違っている。

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