シャンソンはこうやれ〜HK と脱走兵たち
最近10年ほどの間にリリースされたマグレブ音楽のアルバムでは一番良かったように思う『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』。あれはシャンソン集なんだからマグレブ音楽ではないと言う方もいらしゃるとは思うんだけど、僕にとってはアルジェリア音楽にしか聴こえないよ。全曲シャアビになっているもん。
『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』。本国フランスでは2013年にリリースされているが、僕がこれをエル・スールのサイトで発見し買ったのは翌2014年の五月頃。HK の名前はサルタンバンクというバンドのリーダーとして知っていたし、それはマグレブ系ミクスチャー・バンドだとも知っていた。
でもサルタンバンクは僕にとってはイマイチに聴こえていて、マグレブ音楽系のものであればもうちょっとトラディショナルな方向に傾いたものの方が好みなんだなあ。だからこのバンドに関してはさほどファンというわけではなかった。それでも『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』はジャケットがいいよね。
そのジャケットをエル・スールのサイトで見た時にこれはいい内容なんじゃないかなと直感したのだ。それは間違いなくモンマルトルの丘で、そこでラクダに乗ったイスラム教徒の格好をした人がパリ市内を見下ろしているという。このジャケット・デザインは中身の音楽を的確に表現しているよなあ。
エル・スールのサイトに掲載されている文章でも『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』がシャンソン曲集であることははっきりと具体的に書いてあった。シャンソンはパリを中心とするフランス歌謡。そんなシャンソンが展開されるパリ市内をラクダに乗ったイスラム教徒が見下ろしているっていうのは面白い。
すなわち『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』は、シャンソン名曲の数々をアラブ音楽風に料理したアルバムであることをジャケット・デザインで端的に表現しているんだよね。このジャケットを見てエル・スールのサイトに掲載されている文章を読んで、絶対こりゃいいよねと迷わず即買いだった僕。
1990年代後半からマグレブ音楽ファンである僕だけど、かつて大学生の頃はちょっとシャンソンも好きだった。最大のきっかけはマイルス・デイヴィスがハーマン・ミュートを付けて吹く1958年録音の「枯葉」(キャノンボール・アダリー名義『サムシン・エルス』収録)の素晴しさにノックアウトされちゃったからだ。
マイルスはその後も1967年までライヴでは継続的に「枯葉」を演奏しているので公式ライヴ録音も複数ある。ちなみに『サムシン・エルス』の名義的リーダーであるキャノンボールも自分のバンドでライヴ演奏していて、1958年ブルー・ノート盤のアレンジは後者の方が再現している。名義上とはいえ一応リーダーだからだ。
他にも「枯葉」をやっているジャズ・メンはたくさんいてスタンダード化している。そうなったのは『サムシン・エルス』のおかげなのか違うのかは知らない。しかしあのアルバムの「枯葉」はジャズ・ピアニスト、アーマッド・ジャマルがやった1955年録音のエピック盤のアレンジをそのまま真似しているんだけどね。
とにかくそんなこんなでジャズ・メンがやる「枯葉」が大好きになり、そうするといろんな解説文にこの曲のオリジナルはシャンソンだと書いてあったのだ。それこそが僕がシャンソンに興味を持った最大のきっかけ。聴いてみたかったんだよね、「Les Feuilles mortes」を。
それでレコード店でシャンソンの棚を漁り「枯葉」が入っているアルバムを見つけては買っていた。いざ聴いてみたらジャズ・メンが採り上げて有名になったのはコーラス部分だけで(そこはコード進行もジャズ・メンが好きそうだ)、シャンソン原曲ではその前に長いヴァースがあるのだということを知った。この話は省略する。
そんなわけで20代前半頃まではちょっと熱心にシャンソンのレコードを買って聴いていた僕だったけれど、最近は一部の歌手を除き面白くないように感じている。サウンドやリズムを放ったらかしにして歌詞の意味内容「だけ」でなにかを言おうとするような音楽は、個人的にはもう遠慮したい気分なのだ。
それでもマグレブ音楽のファンな僕だから、アルジェリア系移民の子供(二世だか三世だかは分らない)である HK ことカドゥール・アダディがやっているのであればサウンドやリズムが面白いことになっているだろう、フランスのハラワタのなかから突破るようなものになっているんじゃないかと思ったのだ。
それで『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』を聴いてみたら果して期待通りの内容だった。採り上げられているシャンソンはほぼ全て有名曲(なんだろう?僕が知っているくらいだから)。なかには相当に知名度のある曲もある。一番有名なのはエディット・ピアフの三曲目「パリの空の下で」だなあ。
他にもこれまた有名なこれまたピアフの11曲目「パダム・パダム」もあったり、さらに一曲目ジャック・ブレルの「おまえの言いなり」(ヴェズル)とか、ブレルはあと二つ、五曲目と十二曲目にあり、その他七曲目のセルジュ・ゲインズブールとか十曲目のジャン・フェラとかも有名。
その他四曲目のジョルジュ・ブラッサンスとか十三曲目のクロード・ヌガロなどなど。変り種は八曲目のザッカリー・リチャードだ。この人はフランスの人でもないしシャンソンの音楽家でもなく、アメリカはルイジアナのケイジャン・ミュージック、ザディコのシンガー・ソングライターなんだよね。
いろいろあるけれど、なかでも HK がおそらく一番力を込めているだろうものが六曲目のボリス・ヴィアン・ナンバー「ル・デゼルトゥール」だろうなあ。このバンド(プロジェクト?)名にしてアルバム・タイトルにまでしているわけだからね。「Le déserteur」とは「脱走兵」という意味。
他の収録曲も曲名や歌詞内容から HK が伝えたいメッセージみたいなものが読取れるけれど、六曲目のヴィアン・ナンバー「脱走兵」こそ最もそれが如実に表れているものだろう。なぜかってこれは曲名だけでも推察できるように反戦(厭戦)歌だから。つまりプロテスト・ソングなんだよね。ヴィアンが書いたのは1955年頃のことらしい。
その時のヴィアンは第一次インドシナ戦争(1946~1954)のことを念頭に置いて書いたらしい。このヴィアンの有名曲は日本でジュリー(沢田研二)も日本語詞で歌っている。フランス語元詞に忠実な訳詞なので、ちょっと聴いてみてほしい。
これをやっていた1989年頃のジュリーは随分とヴィアンに入れ込んでいて、演劇的な舞台活動 ACT シリーズでヴィアンだけでなくエディット・ピアフや、あるいはシャンソンでなくても歌詞の意味の深いいろんな欧米の曲を採り上げて歌っていた。この頃のジュリーの話はやめておく。
ただジュリーがフランス語元詞に忠実な日本語詞で歌う上で音源を貼ったヴィアンの「脱走兵」をお聴きいただければ、どんな意味合いを持った曲なのかはだいたいお分りいただけると思う。ジュリーだけでなく他の日本人歌手も元詞の出だしから採って「拝啓大統領殿」の曲名でよく歌っている厭戦歌。
ヴィアンはインドシナ戦争を念頭に置いて「脱走兵」を書き歌ったらしいのだが、カヴァーしている HK はおそらくはアルジェリア戦争のことを考えて歌っているんじゃないかなあ。第一次インドシナ戦争が終った1954年には、フランスからの独立を求めてアルジェリア戦争が勃発しているしなあ。
HK がアルジェリア系だということは書いた。彼はフランス生れでフランスに住んで活動し、しかもフランス内において移民としての立場を鮮明にしながら音楽をやっているわけだから、ヴィアンの「脱走兵」をアルジェリア戦争のことを念頭に置いて採り上げたのは間違いないように思う。
そんな「脱走兵」をバンド名とアルバム・タイトルにまでしているわけだから、アルバム全体を通して聴いていると六曲目のそれはあまり目立たずサラッと出てくるように思えるけれど、やっぱりこのヴィアン・ナンバーこそがフランスで活動するアルジェリア系音楽家にとってはシンボリックな曲のはず。
「脱走兵」だけでなくどの収録曲も HK のメッセージみたいなものが曲名や歌詞内容に読取れるけれど、しかしながらもっとはるかに重要なのは、やっぱりそれら全部シャンソンである曲の数々をアルジェリア大衆歌謡の一形式であるシャアビに仕立て上げているというサウンドやリズムだよなあ。
フランス人がフランス語で歌うシャンソン(やそれを忠実に移して日本語詞で歌う、僕は全く好きではない日本人シャンソン歌手のヴァージョン)しか知らない人が『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』を聴いたら、そのアレンジは驚天動地ものだよなあ。僕は痛快だ。
またシャンソン原曲を知らない HK ファンやマグレブ音楽ファンも『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』のアレンジの痛快な面白さはやはり理解しにくいんじゃないかなあ。一曲目「おまえの言いなり」のジャック・ブレル・ヴァージョンはこれ。
それを HK はこんな感じにしている。歌そのものはジャック・ブレルのオリジナルに忠実というに近いけれど、冒頭で鳴りはじめる弦楽器はご覧になってお分りの通りバンジョー(はアフリカ由来)だ。その後ダルブッカなど北アフリカ由来のアラブ系の打楽器も鳴っている。
アルバム中最も有名なピアフの「パリの空の下で」の彼女自身によるヴァージョンはたくさんあるが、例えばこういうのだ→ https://www.youtube.com/watch?v=kouTi-0csLg これを HK はこう料理している→ https://www.youtube.com/watch?v=VwHcp9WktoY どう聴いてもアラブ音楽じゃないか。
HK の歌い方、フレイジングの節々にも、アルジェリア音楽であるシャアビにしか聞えないコクのあるコブシ廻しが聴ける。バンドの奏でるサウンドやリズム・アレンジも全てそうなっている。しかもそれら全てアクの強い粘り気のあるものというより、軽妙洒脱なものだ。
シャンソンをアラブ音楽であるシャアビに仕立てているわけで、すなわちピアフも歌った「パリの空の下で歌が流れる」(が出だしの歌詞)なんて歌いながら、その HK の歌うフランスのパリは、その内部から音楽的に破られているんだよね。パリにも多いアルジェリア系住人の手によって。
シャンソンの名曲を歌詞はそのままフランス語で歌いながら(HK はサルタンバンクでもフランス語で歌う)、サウンドやリズムのアレンジがアルジェリア音楽風になっているわけだから、ヴィアンの「脱走兵」をアルジェリア戦争を念頭に置いて歌うように、このアルバム全体がフランス国内におけるフランス語による抵抗音楽なのだ。
フランス国内にはアルジェリアやその他北アフリカのマグレブ諸国からの移民やその子孫も多い。もちろん旧宗主国だったからだけど、彼らはフランス国内においてはあくまでマイノリティだ。そんな社会的少数派の一人である音楽家 HK が自分たちのアイデンティティを鮮明にして共感を表明しているってわけだね。
「パリの空の下で」のHK ヴァージョンではシャンソンらしくアコーディオンも聞えるが(他にも入っている曲がある)、一番目立つのは北アフリカアラブ系打楽器、特にダルブッカとベンディールの音だ。叩いているのはラバ・カルファで、このパーカッショニストはスアド・マシ・バンドの人だ。
スアド・マシはアルジェリア出身でフランスで活動するアラブ音楽のシンガー・ソングライター。『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』にはその他、ドラムスでグナワ・ディフュジオンのアマール・シャウイ、同じくグナワ・ディフュジオンからマンドーラでムハンマド・アブドゥヌール(プチ・モー)など。
そんな編成のバンドと HK がやる音楽のなかで僕の最大のお気に入りは十曲目のジャン・フェラ・ナンバー「アン・グループ、アン・リーグ、アン・プロセシオン」。スタジオ録音ヴァージョンがネットに上がっておらず、ライヴ・ヴァージョンはいくつかあるけれど、どうしても聴いてほしいと思って自分で上げた。
めちゃめちゃグルーヴィーだよなあ。既にいくつか上がっていたいくつかのライヴ・ヴァージョンでもそのグイグイとしたノリは分るとは思う。オリジナルであるジャン・フェラのヴァージョンはこれ。
やっぱり HK ヴァージョンの方がカッコイイよね。そんなグイグイとドライヴするグルーヴィーなものがもう一つ『HK・プレザント・レ・デゼルトゥール』にある。がしかしそれはどこにもクレジットされていない。クレジットされているラストは15曲目「ラフィッシュ・ルージュ」になる。
ライヴ収録であるこのルイ・アラゴン・ナンバーは 5:36 で終るのだが、その後二分間以上も無音の空白が続いたあと 7:44 からもう一つ16曲目がはじまるのだ。つまりこの16曲目は隠しトラックなのだ。それがまたすんごいカッコいいグルーヴ感なんだよね。特にバンド合奏によるキメが最高だ。
どうしてこんなカッコイイ曲を全くどこにもクレジットせず、二分以上も空白を開けた上での隠しトラックにしてあるんだろうなあ。この隠しトラックもフランス語で歌うシャンソン曲のシャアビ・ヴァージョンで、しかも15曲目同様ライヴ収録。北アフリカアラブ系打楽器のサウンドが凄く心地良い。
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