ジャズ発明家(?)ジェリー・ロール・モートン
「ジャズは私が発明した」というのがジェリー・ロール・モートンの口癖。これはちょっと意味合いが異なるけれど「ヒップホップは私が発明した」というジョー・ザヴィヌルの発言みたいなもんで、真に受ける人なんか誰一人いるわけがない。もちろんザヴィヌルの方も完全なる笑いのネタにしかなっていない。
ジェリー・ロール・モートンだって生れが1890年だから、「ジャズを発明した」と自称する人間にしては若すぎるのだ。生れを1885年とする記述もあるんだけど、これはモートン自身の発言にしか根拠がなく、それはジャズ発明家としての位置付けを確かなものにすべく、実際より年上に詐称していただけのことだ。
それに1885年生れとしてみたところで1900年にはまだわずか15歳だ。ジャズの誕生の正確な年なんか分るわけがないというか、どんな音楽ジャンルでもそんな誕生年が正確に判明しているものなんてあるのか?どんな音楽ジャンルでも特定の個人が特定の年に一人で開発したみたいなものはないだろう。
ジェリー・ロール・モートンがそんな「ジャズ発明者」みたいなホラ話をした最も有名なものは、1938年『ビリーヴ・イット・オア・ナット』というアーサー・リプリー司会のラジオ番組に寄せた手紙だよね。これは非常に有名なものなのでご存知の方がかなり多いはず。僕はまず最初油井正一さんの本で読んだ。
紹介する必要はないと思うほど有名な話だけど、最近は古いジャズやその時代のジャズ・メンに興味を示すファンが激減中らしいので、やっぱり書いておく。1930年代のそのラジオ番組、タイトルで分る通り世界の珍談奇談を紹介するもので、38年3月26日の回でW・C・ハンディを採り上げたのだった。
司会のアーサー・リプリーはW・C・ハンディを「ジャズとブルーズとストンプの創始者」だとその番組で紹介したのだった。番組を聴いていたジェリー・ロール・モートンがこれに噛付いた。数日後の新聞に手紙を出して掲載されたのだが、その投書のタイトルが「大ウソツキのW・C・ハンディ」。
その投書のなかでモートンはアーサー・リプリーに対し「あなたはW・C・ハンディー氏を“ジャズとブルーズとストンプの創始者として”紹介されました。これは私に対する大変な侮辱であるとともに、あなたの番組の聴取者を大きな誤解に導くものと言わざるを得ません」と書きはじめている。
続いて「ニュー・オーリンズにジャズが生まれたことは疑うことのできない明白な事実であり、1902年、同地でジャズを創造したのは他ならぬこの私なのであります。メンフィスではじめてハンディー氏に会いましたが(以下略)」と書いちゃっているのだ。デューク・エリントンも酷評している。
ポール・ホワイトマンも「ジャズのなんたるかをなにひとつ知らず、長年“ジャズの王様”などと自称しております。」とボロカスに書いているのだが、まあホワイトマンの「ジャズ」に関しては僕も似たような意見で、おそらくこのモートンの投書が掲載された1938年なら大勢が知っていたことだろうから。
問題は「1902年、同地でジャズを創造したのは他ならぬこの私なのであります。」だよな。言うまでもなくこんな事実は存在しない。1902年というジャズ誕生年とやらも怪しいが、自分こそがそれを創り出した張本人だというこの主張は、しかしながらこの当時から誰も相手にしなかったようだ。
油井正一さんはこの逸話を紹介した上で、こんな言い方しかできない人物であったために嫌われ者ではあったんだけど、しかしジェリー・ロール・モートンのバンドが、ジャズ録音史上かなり早い時期にホットにスウィングするスタイルを確立していたことだけは間違いのない功績だと書いていたように思う。
ジェリー・ロール・モートンはバンドでの録音とソロ・ピアノでの録音の両方がたくさんある。今ではおそらくソロ・ピアノ録音の方が人気があるんだろう。その後のジャズ・メンに限らずいろんな音楽家にカヴァーされるのも殆どの場合ソロ・ピアノ作品で、それをいろんな楽器に置換えてやっているよね。ライ・クーダーもやっている。
確かにジェリー・ロール・モートンのソロ・ピアノ録音は今聴いてもかなり興味深いものが多い。なかでも彼自身が「Spanish tinge」(スペイン風味)と呼んだ左手がハバネーラ風に跳ねるもの。あれは油井さんはもちろん中村とうようさんも重視して、典型的な一曲をCD二枚組アンソロジー『アメリカン・ミュージックの原点』に収録しているもんね。
その典型的な一曲が「ティア・ファナ」。1924/6/9のジュネット録音。面白いんだよね。他にもこういった感じで左手がキューバのハバネーラ風に跳ねているものがたくさんあって、ジェリー・ロール・モートンがニュー・オーリンズの音楽家なのがはっきりと分るのだ。
ジェリー・ロール・モートンの1923〜26年のジュネット、パラマウント、ヴォキャリオン録音のソロ・ピアノ録音全24曲が今では一枚のCDにまとめられていて簡単に聴ける。するとハバネーラであるスパニッシュ・ティンジ以外にも実にいろんな面白い発見があるのだ。例えば左手はラグタイムなものも多い。
ジェリー・ロール・モートンのソロ・ピアノ録音を聴くと、ジャズ・ピアノがラグタイム・ピアノから派生して誕生したことが誰でも鮮明に分るのだ。さらにもっと面白いだろうと思うのがソロ・ピアノ集CDの二曲目にある「ニュー・オーリンズ・(ブルーズ)ジョイズ」だ。
これは1923年録音。お聴きになればお分りの通り、途中の左手のパターンがその後の同じニュー・オーリーンズのピアニストたち、例えばプロフェッサー・ロングヘアとかドクター・ジョンなどが弾くパターンと全く同じなのだ。もっともこのパターンはもっと早くレイ・チャールズが録音しているよね。
すなわち「メス・アラウンド」だ。そのレイの「メス・アラウンド」は要するにブギ・ウギ・ピアノなんだから、ブギ・ウギ・ピアノのルーツはジェリー・ロール・モートンの録音でも聴ける、こんな20世紀初期のニューオーリンズ・ジャズ・ピアノ、もっと遡ればラグタイムだってことなのだ。当り前の話。
ジェリー・ロール・モートンのソロ・ピアノでの最有名曲が「キング・ポーター・ストンプ」であるのは間違いない。モートン自身はこれを最初1923年、そして26年にも録音している。これはソロ・ピアノと言わずモートンの代表曲。なぜならばその後のスウィング系ジャズ・ビッグ・バンドのスタンダードになったからだ。
最もヒットしたのがベニー・グッドマン楽団の1935年録音だ。これはこの楽団が大ブレイクした時期のメガ・ヒット・チューンだったので、それでこの曲はスウィング・ジャズ・ビッグ・バンド・ファンなら全員知っているというわけなのだ。同時期にグレン・ミラー楽団も録音しているよね。
がしかしちょっと待って。そのメガ・ヒットになったベニー・グッドマン楽団のやる「キング・ポーター・ストンプ」は、実はフレッチャー・ヘンダースン楽団のアレンジメントを買取ってそのまま演奏しているだけなんだよね。ヘンダースン楽団の同曲初録音は1928年3月。それをそのまま使っている。
しかし1928年にはフレッチャー・ヘンダースン楽団のトレードマーク的存在だったアレンジャー、ドン・レッドマンは既に退団していて、僕の持っている同楽団CD三枚組録音集での同曲は「ヘッド・アレンジメント」と記載されている。本当か、これ?ヘッド・アレンジってのは?ちょっと信じがたい緻密な完成度なんだけどなあ。
どう聴いても譜面があったとしか僕の耳には聞えない演奏だ。だってこのアレンジの権利を買取ってそのまま演奏したベニー・グッドマン楽団の演奏を聴いたら、その高度に洗練された流麗さが白人聴衆にウケたのは間違いないと思うんだけどなあ。
フレッチャー・ヘンダースン楽団は「キング・ポーター・ストンプ」を1928年の初演以後も32年、33年と三回も録音しているという、まあ代表曲の一つだったのだ。まあヘンダースン楽団とかベニー・グッドマン楽団の話はちょっと横道なのでこのあたりで。ちなみにご存知の通りギル・エヴァンスも、そしてマンハッタン・トランスファーもこの曲を録音している。
そんなに有名になったスウィング系ジャズ・ビッグ・バンドのスタンダード「キング・ポーター・ストンプ」を書いたジェリー・ロール・モートン自身は、しかしながら実を言うと自分のバンドではこれを一回も録音していないってのが不思議だ。前記の二回のソロ・ピアノ録音以外にもう二回録音しているんだけど。
そのうち一回はやはりソロ・ピアノ録音で1939年ジェネラル録音。その後LPでもCDでもリイシューされているジェリー・ロール・モートン最晩年(1941年没)の録音集に収録されている。そしてもう一つはソロ・ピアノではなく、モートンのピアノとジョー・キング・オリヴァーのコルネットのデュオによる1924年録音。
そのキング・オリヴァーとジェリー・ロール・モートンのデュオ演奏1924年の「キング・ポーター・ストンプ」(オートグラフ原盤)を聴くと、オリヴァーはモートンが書いたメロディをそのままストレートに吹いていて、ソロ・ピアノ・ヴァージョンをそのままコルネット奏者を使ってやったというような仕上り具合だ。
キング・オリヴァーのコルネット演奏も、1924年なら既に弟子のルイ・アームストロングにはるか上を行かれてた時期で、あまり聴応えがないものだ。だからそのデュオ・ヴァージョンは、熱心なモートン・ファンや研究家以外は聴く必要はないように思う。僕も興味本位で持っているだけ。
だからジェリー・ロール・モートンの書いた最有名曲「キング・ポーター・ストンプ」は、彼自身の演奏ならソロ・ピアノによる録音だけで充分だろう。大ヒットしたベニー・グッドマン楽団ヴァージョンと、その元になったフレッチャー・ヘンダースン楽団の「ヘッド・アレンジメント」とクレジットされているものと、その三つ聴けば充分。
それらビッグ・バンド・アレンジもジェリー・ロール・モートンのソロ・ピアノ・ヴァージョンをそのままビッグ・バンド・サウンドに転用しているような感じなのだ。しかし、あれれっ・・・、モートンのバンド編成での1920年代後半のブルーバード録音について書いている余裕がもうないぞ。どうしよう?
え〜っと、じゃあ仕方がないから、ジェリー・ロール・モートンの1920年代ブルーバード録音で一番優れた一曲だと僕が思うものを貼るだけにしておく。1926年録音の「ブラック・ボトム・ストンプ」。これが26年だと思うと、ちょっと信じられないよなあ。
1926年にここまでホットにスウィングしていたジャズ・バンドは、ビッグ・バンドならフレッチャー・ヘンダースン楽団だけ、コンボならルイ・アームストロングのバンドだけで、デューク・エリントン楽団ですらまだそのスタイルを確立していなかった時期なのだ。そういうわけで「私がジャズを発明したのです」などと言ってしまうのには、まあ一理あるようなないような・・・・・・。
« ONBが伴奏のライの充実ライヴ盤 | トップページ | 案外長くもないクリームのライヴ »
「ジャズ」カテゴリの記事
- キューバのベートーヴェン 〜 ニュー・クール・コレクティヴ、アルマ・カルテット(2023.08.09)
- 酷暑をしのぐ涼感音楽 〜 Tales of Wonder ふたたび(2023.08.02)
- バルセロナ出身のジャズ・サックス、ジュク・カサーレスの『Ride』がちょっといい(2023.07.30)
- ジャジーに洗練されたBGM 〜 リンジー・ウェブスター(2023.07.24)
- 楽しい時間をワン・モア・タイム!〜 ケニー・ドーハム(2023.07.19)
コメント