今年もレー・クエンに蕩けています
「今のヴェトナムで叙情歌謡を歌わせたら、レー・クエンほど深い情感を表現できる人はほかにいません。少しハスキーな湿り気と重みのある独特の声質を巧みに活かしながら、情感細やかに歌い込む」というのは三年前の荻原和也さんの言葉。僕の場合三年前にはこの女性歌手はほぼ知らないというのに近かった。
紙メディア上で荻原さんただお一人なのは言うまでもなく、ネット上でもレー・クエンを話題にして熱心に薦める人は荻原さんと、その他エル・スール周辺の一部だけという状態が2016年の現在でも続いている。それでもそういう方々のネットでの普及啓蒙活動のおかげで、今では僕もすっかりこの女性歌手の大ファン。
昨年から書くように、僕にとってのレー・クエンは、2014年作『Vùng Tóc Nhớ』こそがまるで天啓のようなというかカミナリにうたれたような衝撃で、こんなにも深い表現力を持つ歌手だったんだとトロトロに溶けて蕩けて惚れ込んでしまった。
それでこの2014年作を昨年の年間ベストテン新作部門第一位に全く躊躇せずに選んだ。実を言うといまだにその2014年作で聴いた彼女の声がもたらすぬくもり、体温がまだ僕の肌に残っているままの状態なんだけど、今年2016年に早くも充実の新作が来るとはなあ。
レー・クエンの今年2016年の新作『Còn trong kỷ niệm』を日本で僕みたいなファンが買えるようになったのは五月のこと。ヴェトナムでリリースされたのは三月だったらしいので、ヴェトナム音楽CDのディストリビューターが日本に存在しないにしてはかなり早かったよなあ。
これもエル・スールさんのおかげだ。原田さんと(そして荻原さん)には感謝の言葉しかない。今年5月12日に届いたそのレー・クエンの新作『Còn trong kỷ niệm』を即日聴いて、僕は一度聴いただけでまたもや蕩けてしまった。ここまで快感が強いと、かえって恐ろしくなってしまう。
それで毎日味わっていたんだけどすぐに夏になってしまい、重くて湿った歌い口の歌手なもんだから真夏に聴くにはやはり敬遠したくなり離れていたところ、本格的に秋になったのでまた再び聴くようになっている。三ヶ月ぶりくらいにまた聴いてみたら、やっぱり素晴しい歌手の傑出した新作だなあ。
ベタ褒めした2014年作『Vùng Tóc Nhớ』は上記リンク先の記事でも書いてあるようにヴェトナム民俗色みたいなものを(僕は)まず全く感じない普遍的ポップスで、官能作品を書く時のバート・バカラックによく似ていると指摘した。黄金のアメリカン・ポップスが大好きな僕にはピッタリ。
その後ヴェトナム民俗色も鮮明に出した2015年作『Khúc tình xưa III - Đêm tâm sự』は、そうであることが2014年作『Vùng Tóc Nhớ』のジャケット・デザインと好対照なアルバム・ジャケットを見ただけでも分る内容で、これはこれで好きなんだけどね。
今年2016年の『Còn trong kỷ niệm』では、2014年作の普遍的なポップス色と2015年作のヴェトナム民俗色が最高にいい感じで溶け合って共存し、それらどっちかだけを打出すようなアルバムではなく、まさしくヴェトナム発でありかつワールド・ワイドな作品に仕上っている。
2016年作『Còn trong kỷ niệm』のアルバム・ジャケットでは2015年作のような民俗衣裳は着ておらず、2014年作的な雰囲気の官能色だから、中身も似たようなものなんじゃないかと想像し、CDプレイヤーにセットしてかけてみると、確かに一曲目からそんな感じだ。
僕が身も心も溶けてしまっている2014年作によく似ている一曲目の「Phải chi em biết」。冒頭で鳴り始めるのはチェロの音で、背後で聞えるドラムス・サウンドは打込みっぽい。ピアノも入り、レー・クエンがあのハスキーなアルト・ヴォイスで歌いはじめると、僕はもう完全に骨抜き。
こんなのがアルバム全体にわたって続くのならこっちが持たないよ、いやこんなに美しく気持良いなら一晩中続けてくれよと、どっちなんだか分らない両面の思いに引裂かれながら聴いていると、三曲目の「Cố quên đến bao giờ」までは同じ普遍的官能恋愛歌(にしか聞えないがヴェトナム語は分らない)だ。
しかし四曲目「Duyên phận」でヴェトナム民俗色が鮮明に出てくる。使われている楽器もまるで日本の琴の音のような、楽器名が分らないがおそらくヴェトナム民俗楽器であろうそんなサウンドも出てくるし、曲のメロディ土台になっている音階、スケールもローカルなヴェトナム・カラーだ。
2016年作『Còn trong kỷ niệm』にあるもう一つのローカルなヴェトナム色が出た曲は六曲目の「Đọan tuyệt」。上で書いた(日本の琴のような音を出す)民俗楽器のアルペジオからはじまって、曲のメロディもレー・クエンのヴォーカルの歌い廻しもそれに即したようなものだ。
何度も書くがレー・クエンでは2015年作よりも2014年作の方がはるかに好みである僕。しかし2014年作で惚れて骨抜きにされ、その後の2015年作を通過した経験からのものなのかどうか、今年2016年の新作『Còn trong kỷ niệm』にあるそれら二曲もいい感じに聞える。
完全に惚れ込んだあとに2015年作を経過した経験と、やはりこの2016年の新作では普遍的ポップス色との混合・溶け具合が絶妙なせいもあるんだろうね。しかし鮮明なヴェトナム民俗色が出ているのはそれら二曲だけで、あとは2014年作に近いような質感の曲が並んでいる。そして一曲だけタンゴがある。
2016年作『Còn trong kỷ niệm』にあるタンゴ・ナンバーは五曲目の「Người quên chốn cũ」。これは聴けば誰でも分るタンゴ・リズムで、バンドネオンではないがアコーディオンがそれに近い使われ方で入っている。タンゴはアルゼンチン発祥だけど、ヨーロッパ大陸で大流行したのをはじめ世界中に拡散している。
アラブ歌謡やトルコ歌謡にもタンゴ(風)作品があるし、日本の演歌や歌謡曲など大衆歌謡にも同じものが結構あるのはご存知の通り。タンゴのルーツはすなわちキューバのハバネーラで、以前も書いたようにビルマ人天才少女歌手メーテッタースウェのアルバムに、ハバネーラ・リズムの「ラ・パローマ」があったりするくらいだ。
そんなわけだからルーツがハバネーラであるタンゴがヴェトナム歌謡のレー・クエンのアルバムに一曲あってもごくごく自然なことでなんの不思議もない。僕が知らない音楽の方が世界中には圧倒的に多いんだから、世界で大流行したタンゴや、そのルーツたるハバネーラ的「ラ・パローマ」みたいなものがたくさんあるはず。
2016年作『Còn trong kỷ niệm』のなかで僕が一番溜息が出るのが七曲目の「Con tim anh đã đổi thay」だ。この曲でのレー・クエンの完璧にコントロールされた息づかい、ものすごく微細な隅々にまで行届き完璧にコントロールされた歌い廻しの気遣いを聴くと、やはり当代最高の歌手だと実感する。
「Con tim anh đã đổi thay」では特に歌い廻しのフレイジングの末尾ごとが全て「ふぁい、ふぉーい」(と聞こる)になっているんだけど、その「ふぁい、ふぉーい」部分の歌い方が絶妙すぎる。出てくるたびに一回ずつ微妙に歌い方を変え、表情を変化させて聴き手を引きずり込む技巧。
特に「Con tim anh đã đổi thay」最終盤の消え入りそうなラストの「ふぁい、ふぉーい」なんかもうちょっとなんと言ったらいいのか適切な表現が見つからない。その直前で一瞬ポーズを入れ間が空いて、そして「ふぁーい」と歌ったかと思うと、その直後でもほんの一瞬だけ間を置いて「ふぉーい」が入るのだ。
その最後の「ふぁーい」「ふぉーい」を、レー・クエンのあのハスキー・ヴォイスでまるで消え入りそうなウィスパーのごとく後を引くように、そしてそっと優しく耳に吹きかけられるわけだから、もうたまらんのだよ。2016年に世界中の音楽界を見渡しても、こんな表現ができる歌手は他にいないだろう。
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