ロス・ロボスのプログレ(?)・アルバム
イースト・ロス・アンジェルス出身のチカーノ・ロック・バンド、ロス・ロボス。このバンドの結成は1973年らしいがレコード・デビューは76年。しかししばらくの間一般的な人気はほぼゼロで、彼らが一躍ブレイクしたのはご存知87年の映画『ラ・バンバ』のサウンドトラックをやってからのことだった。これはみんな知っているよね。
すなわち同じチカーノのロックンロール・スターで、飛行機事故に遭ってわずか17歳で死んでしまったリッチー・ヴァレンスを描いた伝記映画『ラ・バンバ』のことだ。これの音楽をロス・ロボスがやり、「ラ・バンバ」もカヴァーした。「ラ・バンバ」はヴァレンスの代表曲。彼はアメリカ合衆国においてスペイン語で歌うロック・スターのパイオニアだった。
あの1959年の飛行機事故ではリッチー・ヴァレンスだけでなく、同乗していた同じく人気ロックンローラーのバディ・ホリーも亡くなった。ヴァレンスが1950年代後半にスペイン語で歌ったのが大ヒットしたということは、その頃既にアメリカにおけるスペイン系の地位が向上していたということかなあ。
そのあたりの社会状況はよく調べてみないとなんとも言えないけれど、ともかくある時期以後のアメリカ合衆国ではスペイン(ヒスパニック)系住人とスペイン語が大幅に浸透・拡大し、以前も一度書いたけれど現在の同国におけるスペイン語は、もはや英語に次ぐ第二の公用語と言って差支えないほど。
「ある時期以後の」と書いたけれど、アメリカ合衆国の成立ちを考えたらある時期以後ではなく、もともと最初からヒスパニック国家だと言っていいような国なんだから(スペイン統治時代や米墨戦争のことをご存知ない方は是非ネットで調べてほしい、すぐに分ります)、ある時期以後なんてことではないんだろう。
そんな国なわけなので、政治的・社会的支配層はやはり今でもアングロ・サクソン系白人が中心であるとはいえ(しかしオバーマ大統領はアフリカ系だ)音楽を含めた文化面ではスペイン語やスペイン文化が非常に影響力を持っているのは当然の話だ。リッチー・ヴァレンスはその最初の大スターだった。
つまりリッチー・ヴァレンスは、同じチカーノのロッカーでスペイン語で(も)歌うロス・ロボスの大先輩にあたる。だから1987年の伝記映画『ラ・バンバ』で起用された時は彼らも内心嬉しかったはずだし、実際あれで代表曲「ラ・バンバ」をカヴァーしたのがロス・ロボスが大ブレイクしたきっかけだったわけだしね。
ロス・ロボスはデビュー当時からラテン色と同時にブルーズ(・ロック)色もかなり濃いバンド。実質的なメジャー・デビュー・アルバムと言っていい1984年の『ハウ・ウィル・ザ・ウルフ・サーヴァイヴ?』も両者が渾然一体となっている。このアルバムは人気はないかもしれないが、必聴のかなり面白い作品だよ。
しかし人気が出たのが1987年なわけなので、一般的にはやはり90年代以後のロス・ロボスが非常によく知られているはず。そんな90年代の彼らの最高傑作は、僕の考えでは96年の『コロッサル・ヘッド』だ。専門家や玄人筋からの評価は著しく高い一枚だが、しかし売れなかったらしいよね。
『コロッサル・ヘッド』みたいな最高に面白い音楽がどうして売れず、それまでロス・ロボスのアルバムをリリースしていたワーナー・レーベルもこれを最後に契約を打切ってしまったのか僕には不可解なのだが、しかし今になって中身を聴き返すと、それも納得できないわけではない。
どういうことかと言うと、『コロッサル・ヘッド』はいわば実験作みたいなサウンドで、かなり前衛的、という言葉が僕はあまり好きじゃないので先端的とでも言換えようか、従来のラテン+ブルーズ・ロック的な音楽ではないからだ。だからここまでロス・ロボスを応援していたファンも面食らったはず。
『コロッサル・ヘッド』ではミッチェル・フルームとチャド・ブレイクをプロデューサーに起用しているのも1990年代後半の同時代的先進性のある実験的な音楽になっている一つの要因だ。しかしこのプロデューサーたち、特にミッチェル・フルームがロス・ロボスと組むのはこれが初めてではない。
1992年の『キコ』。あれのプロデューサーがミッチェル・フルームだ。あのあたりからロス・ロボスのサウンドがちょっと変りはじめている。そしてより本格的には1994年のラテン・プレイボーイズの一作目『ラテン・プレイボーイズ』でミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクをコンビで起用。
ラテン・プレイボーイズは、ロス・ロボスのデイヴィッド・イダルゴとルイ・ペレス二人に、前述二人のプロデューサー・コンビが合体したユニット。元はイダルゴがロス・ロボス用にと宅録で創っていたカセットテープに端を発し、それを聴いたフルームが、これは面白すぎるから別に出すべきと提案したらしい。
それでルイ・ペレスとチャド・ブレイクを加えラテン・プレイボーイズのプロジェクトが起動して、1994年の『ラテン・プレイボーイズ』というアルバムに結実した。あの作品、松山晋也さんなら絶対に「プログレだ!」と言うね(笑)。僕がカッコイイものをなんでもかんでも「ブルーズだ!」と言ってしまうのと似ているかも。
その『ラテン・プレイボーイズ』が最も直接的な『コロッサル・ヘッド』の発端と見て間違いないだろう。だって音の質感が非常によく似ている。特にロー・ファイ的なグシャッと潰れたようなサウンドがね。あの時代にはハイテクを使ってわざとロー・ファイ・サウンドにしたようなものがたくさんあったよなあ。
そもそも『コロッサル・ヘッド』一曲目の「レヴォルーション」。あれの冒頭から鳴っているドラムスのサウンドはなんだありゃ?ヘンな音だよなあ。現場の生のドラムスの音ではなく、スネアもシンバルも音を加工してあってカンカン・バシャバシャといったヘンテコな音で鳴っている。わざとなんだよね。
『コロッサル・ヘッド』全編を通しドラムスの音は全部そうで、かなり妙ちくりんな音で鳴っている。叩いているのはルイ・ペレスだろうけど、これは了解済のポスト・プロダクションだった。一番ヘンなのがドラムスの音だけど、ヴォーカルも一部加工処理してあるし、他の楽器の音もやはりちょっと妙だ。
ところで『コロッサル・ヘッド』二曲目の「マス・イ・マス」は<ラロ・ゲレーロに捧ぐ>とのクレジットがある。ラロ・ゲレーロは有名なメキシコ系アメリカ人の歌手兼ギタリスト。多くのラテン系アメリカ人音楽家に影響を与え、ロス・ロボスとも1990年代半ばに共演歴があるのはご存知の通り。
しかし「マス・イ・マス」はラロ・ゲレーロに捧げられたこういうスペイン語の曲名であるにも関わらず、歌詞は英語を中心に歌っているよね。だから “Mas Y Mas” もまるで「マーシー、マーシー」と言っているように僕には聞える。これはちょっと面白い。わざとじゃないかなあ、トリビュート曲だから。
といっても追悼曲ではない。ラロ・ゲレーロが亡くなったのは2005年。だから「マス・イ・マス」は彼へのリスペクトを表現した曲なんだよね。歌詞は英語だが曲調がラテンだしね。デイヴィッド・イダルゴがファズの効いた音でエレキ・ギターのソロを弾いていて、それもなかなかの聴き物だ。
『コロッサル・ヘッド』で最もはっきりとラテン・ロックだと言えるのは三曲目の「マリセラ」だ。はっきり言うとアルバム中これだけだと言っても過言ではないくらい。この曲はラテン・「ロック」ですらなく、純然たるラテン歌謡だというのに近いフィーリング。アコーディオンもいい感じで鳴っている。なぜか YouTube にないので代わりにこのライヴ・ヴァージョンを。
オリジナル・スタジオ・ヴァージョンのアコーディオンはデイヴッド・イダルゴが弾いているみたいだ。そして『コロッサル・ヘッド』のなかで一曲全部スペイン語で歌っているのはその「マリセラ」だけ。これはロス・ロボスみたいな音楽家にしてはやや珍しいんじゃないかなあ。だいたいのアルバムでスペイン語曲が複数あるもんね。
スペイン語で歌うラテン歌謡みたいなのが三曲目の「マリセラ」だけという『コロッサル・ヘッド』は、それもあって人気がなく売れなかったのかもしれない。これ以外の多くの曲は、書いたよういろんな楽器の音、なかでも特にドラムスの音がグシャッと潰れたロー・ファイで、曲調もオルタナーティヴ・ロックみたいだ。
1990年代後半のオルターナティヴ・ロック風サウンドで、しかも曲によってはリズムの感じがヒップホップに近いようなものがあり(五曲目「キャント・ストップ・ザ・レイン」、六曲目「ライフ・イズ・グッド」)、またこれもラテン・プレイボーイズ由来なエキゾチック路線の七曲目「リトル・ジャパン」など。
こんなのばっかり並んでいるわけだから『コロッサル・ヘッド』を専門家は激賞し、僕を含む一部ファンも熱狂的に支持するものの、それまでロス・ロボスを聴いてきたファンには人気がなく売れなかったというのも、当時は僕もこんな面白いものがどうして?と憤っていたんだけど、今では当然だったようにも思う。
そんな『コロッサル・ヘッド』だけど、一曲だけある従来からの路線を継承したラテン歌謡「マリセラ」以外にも、トラディショナルなブルーズ・ロック風なものはある。八曲目「マニーズ・ボーンズ」や十曲目「ディス・バーズ・ゴナ・フライ」などがそう。そしてそれが最もはっきりしている曲が一つある。
アルバム・ラストの「バディ・エブセン・ラヴズ・ディス・ナイト・タイム」だ。これはデイヴィッド・イダルゴがファズを効かせて弾きまくるだけというブルーズ・ロック・ギター・インストルメンタル。これはいいなあ。やっぱり僕はブルーズ好きなんだよなあ。しかしこの曲はたったの三分もない。
かなりカッコいいブルーズ・ギター・ソロなもんだから、三分もない「バディ・エブセン・ラヴズ・ディス・ナイト・タイム」はあっと言う間に終ってしまい、しかもエンディングはちゃんと終らず、なんだか演奏の途中でプツッと切れてしまうような(実際そうしているんじゃないの?)終り方なんだよなあ。
ブルーズ(やファンク)ってのは起伏の小さいのを延々と続ける<継続性>が気持良いような音楽なのに、「バディ・エブセン・ラヴズ・ディス・ナイト・タイム」はたったの三分未満で、しかも演奏の途中でプツッと中断して終るという、これはなんだかイかないままの変態プレイをされているような気分なんだよなあ。
しかも「バディ・エブセン・ラヴズ・ディス・ナイト・タイム」におけるデイヴィッド・イダルゴのギターはジミ・ヘンドリクスによく似ている。これは意識しているのが間違いないだろうというようなサウンドと弾き方だ。イイネこれ。しか〜し、この曲でもスネアのサウンドはやはりグシャッと潰れているんだよね。
そんでもっていつもの僕の路線になっちゃうけれど、そんなわざとドラムスの音を潰してロー・ファイにしたようなもので、僕の知る一番早い例が1982年録音翌83年リリースのマイルス・デイヴィス『スター・ピーピル』B面トップのタイトル曲だ。
この長尺ブルーズ「スター・ピープル」で聴けるアル・フォスターが叩くシンバルもスネアも、まるでドラム缶でも叩いているかのようなグシャっと潰れたようなサウンド加工が施されている。もちろん録音後のテオ・マセロによる作業だ。マイルス本人には大変評判が悪かったのだが、その後の今日書いたようなロス・ロボスみたいなのを考えると、時代を先取りしていたのかもね。
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