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2016/10/21

ライヴでのぶっつけ本番オーディション

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マイルス・デイヴィス・バンドによる1974/3/30、ニュー・ヨークのカーネギー・ホールでのライヴを収録した『ダーク・メイガス』。1970年代マイルス・ファンクのなかでは最も重く最も暗いものなんだけど、あれはどうしてあんな音楽になっているんだろう?昔から不思議なんだなあ。この二枚組だけが異様な感じに響く。

 

 

1973〜75年までのマイルス・バンドは、メンバーの顔ぶれもライヴでの演奏レパートリーもだいたい似たようなもので、『ダーク・メイガス』だって演奏しているのはだいたい全部よく知っているお馴染みの「曲」(とも言いにくいものばかりだが)なのに、あれだけ雰囲気がかなりオカシイ。

 

 

全部よく知っているお馴染みの「曲」と書いたけれども、『ダーク・メイガス』のパッケージ表記は、アナログ・レコードの二枚組では全四面がそれぞれワン・トラックになっていて、そのタイトルも「Moja」「Wili」「Tatu」「Nne」だった。これはどうやら全部スワヒリ語らしい。

 

 

『ダーク・メイガス』現行CDではもうちょっとだけ細かくトラックが切ってあって、それら四つが全部「パート1」と「パート2」になっているので、二枚で計8トラック表示。しかしもちろんこれも元々の「曲」は一切無視されている。1970年代のマイルスの公式ライヴ盤はだいたい全部そうだよなあ。

 

 

唯一の例外が1972年録音、翌73年発売の二枚組『イン・コンサート』で、現行CDでは全曲トラックが切ってあって曲名も記載されている。がしかしこれもアナログ・レコードは計四面が全て 「Miles Davis In Concert」 になっていたのでやはり同じだった。

 

 

現在では紙でもネットでもいろんなデータを参照できるので、音源自体をたくさん聴いている1970年代マイルス・ファンは、この時代の一連のライヴ・アルバムについても、だいたい全部の収録曲の名前を知っている。そんな熱心なファンじゃない方のために『ダーク・メイガス』について念のため書いておく。

 

 

一枚目

 

「Moja (Part 1)」が 「Turnaroudphrase」

 

「Moja (Part 2)」が 「Tune In 5」

 

「Wili (Part 1)」が「Funk」(という名称しかいまだに知られていない)

 

「Wili (Part 2)」が 「For Dave」

 

二枚目

 

「Tatu (Part 1)」が 「Agharta Prelude」

 

「Tatu (Part 2)」が「Calypso Frelimo」

 

「Nne (Part 1) 」が 「Ife」

 

「Nne (Part 2)」が 0:48まで「Ife」、その後は曲名が分らない。

 

 

なお『ダーク・メイガス』もテオ・マセロが編集しているんだけど、それはLP二枚組の片面で一つになるようまとめるためで、片面の間はハサミは入っていない。そして各面終了時にすんなりエンディングみたいに聴こえるよう編集し、次の面になるとまた「新たな曲」がはじまるように聴こえるといった具合になっているんだよね。

 

 

この1974/3/30、ニュー・ヨークのカーネギー・ホールでのライヴは、そんな編集を施す前の元演奏オリジナル・テープがコロンビアの倉庫にいまだにあるはずだよなあ。2016年になってもそれはリリースされていない。おおよその姿は想像が付くような感じだけど、やはり実物を聴きたい。

 

 

『ダーク・メイガス』になった元音源、つまり編集されていないオリジナル・ライヴ・テープで手つかずのままリリースしてくれないかなあ。レガシーさん、お願いしますよ。僕ら熱心なマイルス・ファンは昔からそれを切望していて、1960〜70年代のライヴ音源も多少はオリジナル音源が出てはきているけれどさ。

 

 

重いとか暗いとかいった音楽の質以外で『ダーク・メイガス』が1970年代マイルス・ライヴで他のものと一番大きく違うのは、二名の新人が参加しているところだろう。テナー・サックスのエイゾー・ロウレンス、ギターのドミニク・ゴーモンだ。どうやら彼ら二名にとってはバンド参加のオーディションだったらしい。

 

 

サックスの方は当時のレギュラー・メンバーだったデイヴ・リーブマンがもちろんいるけれど、この1974年3月当時、リーブマンはマイルス・バンド脱退の意思をボスに伝えていたので後任を探していたということだろう。それでマッコイ・タイナー・バンドのエイゾー・ロウレンスをテストしたんだなあ。

 

 

しかしギターのドミニク・ゴーモン(フランス語母語話者の Gaumont の読みはこれでいいのか?)の方はどうしてテストされたのかちょっと分らない。当時のマイルス・バンドにはお馴染みレジー・ルーカスとピート・コージーがいて、どっちかが辞めたいなんてこともまだなかったわけだから。

 

 

いや、ピート・コージーの方は辞めたいというのではないけれども、レギュラー・メンバーなのかどうかやや微妙な立場で、恒常的にマイルス・バンドに帯同していたものの若干特別視されていて、それは彼が1973年のマイルス・バンド参加当時既に充分キャリアのある音楽家だったせいらしい。

 

 

実際1973〜75年のマイルスによるスタジオ録音ではレジー・ルーカスは常に弾いているけれども、ピート・コージーの方は弾いたり弾かなかったり、というかむしろ弾いている録音の方が圧倒的に少ないというのが事実。74年発売の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』でも参加はしているが、73年録音の一曲を除きギターではない。

 

 

1973〜75年のマイルス・スタジオ録音でピート・コージーが弾いているものを聴こうと思った場合、それは『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』(がこの三年間のほぼ完全録音集)にしか収録されておらず、それも数はさほど多くない。この時代のライヴには全部参加して弾いているのになあ。

 

 

ってことはピート・コージーは1973〜75年時期のマイルス・バンドでは、ライヴ・ステージのみで弾くメンバーだったというのに近い。どうしてだったんだろうなあ。まあちょっと理由が分らないし、ボスはもちろんコージーも2012年に亡くなっているので、今では真相を究明しにくいだろう。

 

 

ともかくそんなことで自分の後任ということだったのかどうかは分らないが、ピート・コージー本人の推薦でフランス国籍のギタリスト、ドミニク・ゴーモンがオーディションされたってことになっている。エイゾー・ロウレンスもドミニク・ゴーモンも、つまりライヴ本番でのいきなりのオーディションだった。

 

 

スタジオでのリハーサル・セッションなどでならごく当り前の日常的なことだが、ライヴ本番、しかもカーネギー・ホールという大舞台のいきなりぶっつけ本番で、バンド入りのオーディションを受けるエイゾー・ロウレンスとドミニク・ゴーモンの心中や察するにあまりある。とんでもない緊張感だったはずだ。

 

 

それで『ダーク・メイガス』をお聴きになって分るような具合になっていて、すなわちエイゾー・ロウレンスの方はメチャメチャな出来具合で悲惨そのもの。だからこのライヴ・オーディションには合格できずマイルス・バンド参加は叶わなかった。ドミニク・ゴーモンの方は見事パスしたってわけだね。

 

 

それで1974〜75年のマイルスのスタジオ録音や、75年1月までマイルス・バンドに帯同したのでその時期のライヴ・ブートでもドミニク・ゴーモンのギターが聴ける。74年リリースのスタジオ作『ゲット・アップ・ウィズ・イット』にある74年録音の三曲でソロを弾くのはコージーではなく全てゴーモンなのだ。

 

 

それはそうと『ダーク・メイガス』におけるエイゾー・ロウレンスとドミニク・ゴーモンはどこで演奏しているのか?判別できないとおっしゃるファンの方が以前一人いたので、その方のために18年ほどまえに『ダーク・メイガス』何枚目のどこからどこまでが誰だというリストを書いたことがある。

 

 

でも熱心なファンがそうでもしないと判別しにくいってのは事実かもしれないなあ、特にドミニク・ゴーモンの方は。エイゾー・ロウレンスの方は、こりゃもう同時参加のデイヴ・リーブマンとは月とスッポンのあまりに悲惨な吹奏ぶりなので、出てきた瞬間に誰だってエイゾー・ロウレンスだよねと分ってしまう。

 

 

そうであるにもかかわらず『ダーク・メイガス』日本盤CDのライナーノーツをお書きになっている村井康司さんの指摘は間違っている。僕も信用できるライターさんだと思っているからこそ敢てはっきりと書くが、このアルバムの村井さんのライナーには間違いが多い。でもそれは仕方がない面もあるのだ。

 

 

というのはその村井さんのライナーは1997年4月の日付になっているからだ。97年当時ならまだ情報も今みたいに多くなかったし、中山康樹さんの『マイルスを聴け!』だって初版が出てたっけなあ?という時期なので、その頃に書いたにしては大健闘、力の限りを尽した内容なんだよね。

 

 

だから1997年に書いた村井さんを責めたりするのは筋違いではあるんだけど、間違いは間違いとしてやはり書いておくべきだろう。最大の間違いはエイゾー・ロウレンスが『ダーク・メイガス』の全四面で吹いていると書いていることだ。事実を言うとエイゾーは二枚目でしか吹いていない。

 

 

『ダーク・メイガス』CD二枚目のワン・トラック目「Tatu (Part 1)」の 8:18でようやくエイゾー・ロウレンスのソロが出る。それまでのデイヴ・リーブマンとはスタイルが全然違うので瞬時に判別できる(はずなんだがなあ、村井さん?)。あまりにひどいのでどうにも聴きようがないものだ。

 

 

あまりにひどいというのは僕だけでなく、この当日のライヴ・ステージに上がっていたほぼ全員に共通する印象に違いない。それが証拠にあまりのダメダメぶりを聴いたデイヴ・リーブマンが、このまま放っておいたらボスがなにをしだすか分らないぞという危険でも感じたんだろう、速攻で助太刀に出ているもんね。

 

 

それは『ダーク・メイガス』の「Tatu (Part 1)」の 8:18 だ。一回目のエイゾー・ロウレンスのソロが出た数秒後にデイヴ・リーブマンがソプラノ・サックスでそれに絡み、なんとか立直そうと苦心している。しかしその甲斐もなくエイゾーのソロは修正できず、16:13 まで八分間吹いている。

 

 

その約八分間のエイゾー・ロウレンスのテナー・サックス・ソロの背後では、最初リズム・セクションもその場を救おうと懸命に演奏しているのだが、後半は救いようがないと諦めたのかあんまり演奏しておらず音が小さくなってエイゾーの無伴奏サックス・ソロとは言いすぎだが、それに近い雰囲気になっているもんねえ。

 

 

『ダーク・メイガス』におけるエイゾー・ロウレンスのソロらしいソロはその一回と、「Nne (Part 2)」の最初から2:36 まで。その後も 4:23 まで続けて吹いているが、そこはドミニク・ゴーモンのギター・ソロが絡んでいるのでエイゾーだけのソロではない。『ダーク・メイガス』全部を通しエイゾーのソロはこの二回で全部。

 

 

だから同じくバンド入りのオーディションを受けているのだがかなりたくさん弾いているドミニク・ゴーモンと、あまり吹いていないエイゾー・ロウレンスはかなり立場が違うんだよね。ゴーモンの方はギターの音色やフレイジングがピート・コージーに似ているし、オーディションに合格するだけあって内容もいいので判別はやや困難。

 

 

だからドミニク・ゴーモンの方はどこの何分何秒目から弾いていると具体的に書くのは控えたい。一つだけ書いておくと「Tatu (Part 1)」中間部のギター・ソロは、ピート・コージーとドミニク・ゴーモンが何度も交代しながら弾いているように僕には聴こえるんだが、どうだろう?

 

 

え〜っと、もっと違うことを書きたかったんだけど。『ダーク・メイガス』の音楽的内容について書きたいことがいっぱいあるんだけど、長くなってしまったので今日はもういいや。また別の機会にしよう。それにしても1973年にはあんなに爽快で軽やかだったマイルス・ファンク。74年にはどうしてあんな重くて暗いものになったんだろう?その病的な雰囲気は75年の『アガルタ』『パンゲア』にもある。

 

 

(後記)上記のようなツイートをした数日後に村井康司さんから、エイゾー・ロウレンスのソロ部分についてはその通りだと思いますという返信がありました。

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