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2016/10/23

コモドアのジャズと悪魔とブルーズのイメージ

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コモドアというジャズ・レーベルがある。主宰者はミルト・ゲイブラー。コモドアという名前は元はレーベル名ではなく、ゲイブラーがニュー・ヨークでやっていたレコード・ショップの名称だ。彼がマンハッタンの42丁目でコモドア・ミュージック・ショップを開店したのが1926年のことだった。

 

 

そのレコード・ショップは主にディキシーランド・ジャズのSPレコードを売っていて、徐々に人気が出てジャズ・ファンやジャズ・ミュージシャンたちの耳目を集めるようになり、ミルト・ゲイブラーは1937年に同じマンハッタンの52丁目に新店舗を構えるようになった。

 

 

マンハッタンの52丁目はみなさんご存知の通りジャズにとってはシンボリックな地区で、だからミルト・ゲイブラーもそこに新店舗を出したのか?それともその1937年にゲイブラーが52丁目に開いた新店舗がいろんな意味で人気店になったがゆえに同地区が象徴的ジャズ・エリアとなったのか?

 

 

そのへんのちゃんとした事情を僕は知らないが、とにかく52丁目のコモドア・ミュージック・ショップの大人気をきっかけに、その店舗をはじめた翌1938年にミルト・ゲイブラーは同名のレコード・レーベルを設立した。当初はメジャー各社で録音された未発売品を出していたらしい。

 

 

つまりコモドアはインディペンデント・レーベル。このレーベルのレコードで一番有名なのは間違いなくビリー・ホリデイのものだよなあ。そもそも彼女は1939年(はコロンビアと契約していた時期)に「奇妙な果実」を録音したものの、それをコロンビアは渋ってなかなかレコードとして出さなかった。

 

 

「奇妙な果実」はそりゃああいった黒人差別を厳しく糾弾するような内容なもんだから、メジャーのコロンビアが1939年にリリースしたがらないのも当然と言えば当然だ。しびれを切らしたビリー・ホリデイは、既に出入りしていたコモドア・ミュージック・ショップのミルト・ゲイブラーに話を持込んだ。

 

 

それでビリー・ホリデイの「奇妙な果実」は既に録音済だったコロンビア音源を流用したのか、それとも新規にレコーディングし直したのかは僕は知らないが、1939年に「ファイン・アンド・メロウ」をB面にしてコモドア・レーベルからリリースされたというわけなんだよね。

 

 

ミルト・ゲイブラーはこのレーベル用の新規録音もどんどんやるようになり、それはその後の日本ではいわゆる中間派という用語で知られているようなスタイルの、ディキシーランドとスウィング・スタイルの折衷的なジャズ録音が中心。このレーベルはその後デッカに吸収される。

 

 

第二次大戦後ミルト・ゲイブラーはデッカで仕事をするようになったせいなんだろう。そして1954年にはコモドア・レーベルは完全に終焉してしまう。結局このコモドア・レーベル最大のヒット曲はやはり1939年リリースのビリー・ホリデイ「奇妙な果実」だったということになる。

 

 

だからコモドア=「奇妙な果実」みたいなイメージが今でもあると思うんだけど、僕にとってのコモドア・レーベルとは上でちょっと書いたようにインストルメンタルな中間派ジャズであり、1938年にレーベルとして開始したという時代を反映しての当時のスウィング・スタイル・ジャズなのだ。

 

 

そのなかで僕が最も好きなものがレスター・ヤング名義でCDリイシューもされているカンザス・シティ・シックスの1938年録音。アナログ・レコードで日本盤も昔からリリースされていたもので大の愛聴盤だった。1938年というとレスターはカウント・ベイシー楽団在籍時代だよね。

 

 

実際そのカンザス・シティ・シックスという名称のコンボは、全員ベイシー楽団のメンバーなのだ。レスター・ヤングの他は、バック・クレイトン(トランペット)、エディ・ダーラム(トロンボーン、ギター)、フレディ・グリーン(ギター)、ウォルター・ペイジ(ベース)、ジョー・ジョーンズ(ドラムス)。

 

 

レスター・ヤングはお馴染みのテナー・サックスだけでなくクラリネットも吹いている。この1938年コモドア・セッションだけではなく、ベイシー楽団でもクラリネットを吹くことがあり、そもそも両方やっていたのをやめてしまった理由は、1939年に愛用のクラリネットを盗まれてしまったからだ。

 

 

上記六人で1938年にコモドアにレコーディングされたのは全五曲で、それぞれ2テイクずつあるので全10トラック。それと似たようなメンツでジョン・ハモンドのプロデュースで同1938年にコロンビアに録音してあった四曲(はコロンビアからリリースすることをハモンドがやめてしまいコモドアに譲渡)を追加。

 

 

さらに1944年にやはりカンザス・シティ・シックスのバンド名で、メンツはレスター・ヤングとジョー・ジョーンズ以外異なっているコンボでコモドアに録音した四曲8トラック。以上全て併せ22トラックが、現在ではレスター・ヤング名義のCD『ザ・”カンザス・シティ”・セッションズ』に収録されている。

 

 

どうしてカンザス・シティに括弧が付いているのかというと、レコーディングは全てニュー・ヨークで行われているからだ。元々の1938年カンザス・シティ・シックスが全員当時のカウント・ベイシー楽団のメンバーで、この楽団がカンザス出身(ニュー・ヨーク進出は1936年)なので、このコンボ名になった。

 

 

その『ザ・”カンザス・シティ”・セッションズ』はコンボ編成なので、カウント・ベイシー楽団では短めの四小節とか八小節程度しか聴けないレスター・ヤングのソロが長めにたっぷり味わえるというのが最大の美点。(アルバムのメインが)1938年というレスター全盛期だから、それもいい。

 

 

レスターのテナー・サックスがどれだけ素晴しいかはもう語り尽くされているように思うので、今日僕が繰返す必要もないはず。注目すべきはこれも前述の通りクラリネットを吹いている曲が複数ある。「カウントレス・ブルーズ」「アイ・ウォント・ア・リトル・ガール」「ペイジン・ザ・デヴィル」がそれ。

 

 

そのうち古典ジャズが好きなリスナーの間で昔から最も評価が高いのがプリティなバラード「アイ・ウォント・ア・リトル・ガール」だね。これも2テイクあって、レスターのクラリネット・ソロに関しては甲乙付けがたいし、他のメンバーもほぼ同内容だ。

 

 

 

しかしながら僕が「アイ・ウォント・ア・リトル・ガール」以上に重視したいのが「ペイジン・ザ・デヴィル」だ。曲名でお分りのようにベースのウォルター・ペイジが書いた曲で、しかもこれは12小節3コードというブルーズ形式の楽曲なんだよね。

 

 

 

曲名に「デヴィル」(悪魔)とあるんだが、それがブルーズ楽曲のタイトルに用いられた早い例じゃないかなあ。僕の知る最も早いものはスキップ・ジェイムズの1931年「デヴィル・ガット・マイ・ウーマン」だけど。ブルーズが悪魔と結び付くイメージは、主にかのロバート・ジョンスンの四辻伝説で広まっているんだろうと思うけれど、「ペイジン・ザ・デヴィル」はその起源の一つかもしれない。

 

 

最重要なはこのブルーズ・ナンバー「ペイジン・ザ・デヴィル」を、翌1939年にカーネギー・ホールでライヴ演奏していて、それも同一メンバー六人のカンザス・シティ・シックスだけど、ギターだけがチャーリー・クリスチャンになっているんだよね。

 

 

 

そしてこの今音源を貼ったこの1939年カーネギー・ライヴは、あのジョン・ハモンドの企画による『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェント(第一回は1938年)の一部なのだ。こう書けばこの「ペイジン・ザ・デヴィル」の意味が多くの方にお分りいただけるはずだ。

 

 

そもそもあの『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェントは、ジョン・ハモンドがレコードを聴いて感銘を受けたブルーズ・マン、ロバート・ジョンスンをカーネギー・ホールに呼んで生演奏させるというのがそもそもの目的だったんだけど、彼は死んでいたので実現しなかったというものだよね。

 

 

それでロバート・ジョンスンを諦め、いろんな黒人音楽家(が中心)を一堂に会し、1938年までのアメリカ大衆音楽史を俯瞰するような内容のライヴ・イヴェントになり、それが実況録音されて今でも聴けるという次第。ロバート・ジョンスン出演が当初の目的だった場で「ペイジン・ザ・デヴィル」をやるなんてね。

 

 

話を戻してレスター・ヤングの『ザ・”カンザス・シティ”・セッションズ』の1938年セッションにはエディ・ダーラムが参加して、トロンボーンよりもギターをたくさん弾いている。それはピック・アップ付の空洞ボディのギターをアンプリファイしたもの。しかもほぼ全てシングル・トーンで流麗なメロディを弾いている。

 

 

以前チャーリー・クリスチャンについて書いた際、この人がエレキ・ギターを用いてシングル・トーン弾きでソロを演奏する最初の人じゃないと書いたけれど、エディ・ダーラムこそがエレキ・ギターでシングル・トーンのソロを弾くジャズ・ギタリストのパイオニアだ。アクースティック・ギターでならもっと前から何人もいる。

 

 

『ザ・”カンザス・シティ”・セッションズ』における1938年録音のエディ・ダーラムのギターを聴けば、翌39年に録音を開始するチャーリー・クリスチャンが先駆者でもなんでもないということが全員分るはず。メロディ・ラインもスムースだし、和音の使い方もかなりモダンに近いようなものなんだよね。

 

 

レスター・ヤングの『ザ・”カンザス・シティ”・セッションズ』は、そんなジャズ界におけるエレキ・ギタリストのパイオニアが聴けたり、全盛期レスター・ヤングのテナー・サックスとクラリネットの両方がたっぷり味わえたり、なかには珍しくフレディ・グリーンがヴォーカルを取っていたり(「ゼム・ゼア・アイズ」)と、本当に楽しいスウィング・セッションなのだ。

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