リシャール・ボナの新作ではラテンが全面展開!
いやあ、本当に楽しいなあ。なにがって今年六月にリリースされたリシャール・ボナの新作『ヘリティッジ』がだ。以前一度だけリシャールについて書いた際(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-9df7.html)僕の場合彼の音楽はラテン要素が一番楽しいって書いたけれど、今年の新作はほぼ全面ラテンだもんね。
ところでそれはそうと、僕がブログを書いている nifty のココログは、サイド・バーに過去記事のリンクがあまりたくさんは出ず、出ないものについて自分のページで自分の書いた過去記事を検索する方法が僕は分らないし、そもそも毎日更新しているもんだから、何月何日になにを書いたのかも憶えられない。
書いたという事実だけは憶えている記事に辿り着くために、僕は Google でそれらしきキー・ワードを入れて検索して見つけて辿り着いているという次第。なんとかなりませんか?nifty さん。それはともかく今日もその Google 検索で一つはっきりしたことがある。
それは「リチャード・ボナ」ではなく「リシャール・ボナ」という文字列で検索すると、出てくるページは荻原和也さんのブログと、上でリンクを貼った僕の書いたブログ記事だけだという事実。もう一個しぎょうさんのツイートも出てくるが、本当にその三つだけなんだよね。
そういうわけなので、検索などして辿り着こうとする方の利便を考えると、リシャールだけでなく「リチャード・ボナ」表記も併記しておい方がいいのかもしれない。荻原さんのブログはリシャール関係だけでなくその他の文章でも、この手の妥協みたいなものが一切なく、清々しい態度で好感が持てる。
僕はそこまで割切れないし、妥協しないとブログ記事を読んでもらえる自信もないので、リチャード・ボナとも書いておこう。とにかくそんなリシャール・ボナの2016年作『ヘリティッジ』は、僕が書いた上のリンク記事でも書いたし、荻原さんもお書きになっている通り、全面的なラテン・アルバムだ。
上にリンクを貼った記事内での僕は「全面的にキューバン・ミュージックを展開」と書いた。その後繰返し何度も聴くと、どうもこれはキューバ音楽というようなものとはちょっぴり違うのかもしれないなとも感じはじめているんだけど、リシャールが共演しているマンデカン・クバーノは、まあ一応キューバ音楽家だろう。
北米はニュー・ヨークを中心に活動するマンデカン・クバーノの「クバーノ」はキューバのっていう意味だし、このユニットのうち、ピアニストのオスマニー・パレデス、ドラムスのルドウィッグ・アフォンソの二人はキューバ出身なんだしね。
といってもアルバム・ジャケット裏のメンバー記載を見ると、ドラマーのルドウィッグ・アフォンソは参加していないことになっている。ヴォーカル兼マルチ楽器担当のリシャール以外には全部で五人。ピアノ、トランペット、トロンボーン、パーカッション二名となっている。全員マンデカン・クバーノだろうか?
『ヘリティッジ』を聴くと確かにドラム・セットの音は聴こえないので、ドラマーがいないのは間違いない。伝統的ラテン音楽にドラマーはいないしね。だけど二名のパーカッショニストに加えリシャールもパーカッションをやっているみたいなので、リズムはやはり相当に賑やかで楽しいキューバ〜ラテン風だ。
キューバ音楽やラテン音楽にアメリカ大衆音楽などで使われるドラム・セットが入るようになったのがいつ頃のことなのか、ちょっとすぐには分らないんだけど、当てずっぽうの勘では1960年代末あたりからじゃないかなあ。キューバにソンゴというのがあるけれど、どうもそのへんからなんじゃないかと思う。
ソンゴの話とか、それでドラム・セットを用いてのリズム・パターンを確立し、北米合衆国で大流行したサルサにも影響を与えたチャンギートの話とかはよしておこう。リシャール・ボナの新作『ヘリティッジ』から離れてしまうし、その上僕もちゃんと分っていないから、どなたか詳しい方にお任せしたい。
リシャールの新作『ヘリティッジ』はちょっと聴いてみた外見だけなら、最初の頃に僕がそう思っていたように全面的なキューバン・ミュージックのように確かに聴こえるんだけど、やっぱりそうだとも断言できない部分もある。いや、一応はやっぱりキューバ音楽的なんだろうは思うんだけどね。
でもサルサともちょっと違うし、キューバのソンの現代化でもないよななあ、リシャールの『ヘリティッジ』は。音の組立てやサウンドの聴感上の第一印象はまさしくキューバン・サルサ以外の何者でもないと僕は思うんだけど、僕も上でリンクを貼った記事で書いたように、リシャールらしい音楽だ。
「リシャールらしい音楽」とは、キューバ〜サルサ風な音楽をやりながら、もっと広く北米〜中南米〜アフリカ〜ヨーロッパといった、いわば汎大西洋的な幅の広い音楽性を獲得しているように僕にも聴こえるのだ。そんでもってリシャールのヴォーカルは、今までの全てのアルバムで聴けるように優しく柔らかい。
合体しているマンデカン・クバーノは間違いなくキューバ〜ラテン音楽ユニットのはずなのに、そして彼らが『ヘリティッジ』でも奏でているサウンドはやっぱりそういうものなのに、完成した作品を聴くと書いたようにもっと普遍的な音楽になっているというのが、他ならぬリシャールの器の大きさなのだ。
『ヘリティッジ』一曲目「アカ・リンガラ・テ」はいつものようにリシャールがやっている一人多重録音ヴォーカル(にしか僕には聴こえないものだが、荻原さんにこれはサンプラーを使ったループによるヴォイス多重表現だと教えていただいた)。それ以外の音は殆ど入らないからいつもの調子。
そう思って聴いていると、その一曲目はあっと言う間(1分20秒)に終り、次の二曲目からはどこからどう聴いてもラテン音楽だ。その後11曲目「キヴ」までが全部マンデカン・クバーノと合体した全面的ラテン・ミュージックで、その次12曲目のアルバム・ラストがまた一人多重録音でラテンではない。
ところでそのラスト前の11曲目「キヴ」(Kivu)。これはリシャールの2005年作『ティキ』四曲目と同じタイトル。それを2008年のライヴ・アルバム『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』でも再演しているのだが、『ヘリティッジ』の同名曲は果して同じ曲なのだろうか?僕はちょっと自信がないんだなあ。
というのは『ティキ』や『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』の「キヴ」はかなり静謐な感じのバラードで、ピアノ一台だけの伴奏でリシャールが歌うテンポがないようなもの。ラテン要素は僕には聴取れない。ところが『ヘリティッジ』の「キヴ」はミドル・テンポのラテン・ナンバーだからだ。
『ヘリティッジ』の「キヴ」は打楽器パターンもピアノの弾き方もホーン・アンサンブルもキューバン・スタイルで、それらがまず聴こえて曲の土台を形成したのちに、リシャールのいつものヴォーカルが聴こえてくる。歌いはじめてからの伴奏だってラテン音楽なのだ。果して同じ曲なんだろうか?
う〜ん、まあ同じ曲ではあるんだろうなあ。というのは『ティキ』や『ボナ・メイクス・ユー・スウェット』の「キヴ」と『ヘリティッジ』の「キヴ」では、リシャールの歌う歌詞とそのメロディが同じだから。と言っても僕は歌詞の意味はサッパリ分らないし、何語だかも分らない。
だからリシャールの歌う歌詞の音の響きだけを聴いて、あぁ同じだよねと思っているだけ。まあメロディも同じなんだから、おそらく同じ曲ではあるんだろう(が自信は全くない、どなたか助けてください)。同じ曲だとすると、ラテンになっているこの変貌ぶりにはちょっぴり驚く。
過去の既存曲をラテンにして再演しているのは「キヴ」だけのはずで、あとは全て『ヘリティッジ』用の新曲。一曲目とラストの曲を除き全てラテン楽曲だと書いたけれど、もう一つ八曲目の「ングル・メコン」がやはりリシャール一人の多重録音(だと思う)でラテンではない。しかしこれも一分間もない。
それら三曲というかトラック以外は、間違いなくマンデカン・クバーノと共演したラテン〜キューバ音楽だ。リシャールにラテンを求めるリスナーがどれくらいいるのか分らないけれど、最初の方でリンクを貼ったブログ記事で僕も書いているように、そもそもキャリアの最初からラテン〜サルサが強い人だからなあ。
だからそんなラテン音楽指向は、リシャールの音楽においては必要不可欠な抜きがたい重要な要素になっているに違いない。キャリアの最初から現在に至るまでずっと一貫してね。2016年の新作『ヘリティッジ』ではそれを全面的に拡大展開すべく、マンデカン・クバーノを起用したに違いないだろう。
そんな『ヘリティッジ』は、少なくとも前々から繰返しているようにラテン好き人間である僕には楽しくてたまらない愛聴盤になっている。そして繰返しになるけれど強調しておかないといけないのは、これがラテン音楽という「衣」を借りた紛れもないリシャール・ボナ・ミュージックであるということだ。
リシャールの音楽におけるラテン〜サルサ要素の一貫した強さだとか、だから2016年の新作『ヘリティッジ』でそれを全面展開したってなんの驚きもない当り前の果実だとか、そしてそんな衣を借りながらもいつもの柔和な表情を崩さないリシャールがまるで微笑みかけているみたいだとか、彼を聴き続けてきているファンなら分るはず。
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