とうよう礼賛 2
中村とうようさん編纂の『ブラック・ミュージックの伝統』CDを二晩続けて一枚ずつ聴き直す二日目の今夜。昨夜の「ブルース、ブギ&ビート篇」と本来ならセットで語るべき「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」が今夜の話題。しかし一つの記事内でこの二枚を同時に語ろうとすると、超長文になってしまう。
普段から長い長いと言われる僕のブログ文章のそのさらに三倍くらいの長さになってしまうので、それで二回に分けたという次第。昨日は特に強い理由なく元は下巻だった「ブルース、ブギ&ビート篇」の方を先にしたと書いたが、「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」を後にしたのに全く理由がないわけではない。
ジャズとブルーズという1940年代までのアメリカ黒人音楽の二大要素が表面的にも明快に分るように合体し、強いダンス・ミュージックとなって直後のリズム&ブルーズを生み、それがロックの勃興へ繋がったということを知る上では、ジャズ系の音源を後で聴いて考えた方が分りやすいという面があるのだ。
先走って言うと、メインストリームのジャズからほんの少しばかり横に逸れた、いわば「周辺領域」に位置するジャイヴやジャンプ。あれらは僕みたいなリスナーが聴くとジャズそのものでしかないわけだけど、まあ一般的には横道だろう。しかしそれらジャイヴやジャンプこそが最重要なものだ。
昨晩も書いた繰返しになってくどいけれどやっぱり書く。メインストリームのいわばシリアスな芸術ジャズと本質的にはあまり変わるところのないジャイヴやジャンプが1940年代に合体し、さらにその合体化(ジャズ系)音楽がスモール・コンボ化して、直後のリズム&ブルーズ〜ロック勃興へ繋がったのだ。
そんなに重要なジャイヴやジャンプ系のジャズ。1917年の商業録音開始当時には既に一体化していたジャズとブルーズだけど、それはジャズのいわば下部構造にブルーズがあったというような具合だったのが、1930年代末〜40年代にはその合体構造が表面化した。だからブルーズ篇を先に、ジャズ篇を後にしたんだよね。
誰が聴いてもこれはブルーズ・ベースの猥雑なジャズだと分るジャイヴやジャンプこそが、そしてそれらが一体化したからこそ、その後のアメリカン・ポピュラー・ミュージックがある。そういうわけだからアメリカ大衆音楽史全体を俯瞰しようとする際には、ジャズ系音源を後で語った方が分りやすい。
さてとうようさん編纂の「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」で最も特徴的なのは、「純」ジャズではない周辺領域、言ってみればノヴェルティなものがたくさん収録されていることだ。そういうものは戦後の日本のジャズ・ファンは無視してきたというか、敢えて避けてきたような部分があるんじゃないかなあ。
「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にたくさんあるノヴェルティなジャズは大きく分けて二つ。一つはヴォーカルもの。もう一つはコミカルで下世話な芸能ジャズ。そしてこれら二つは別々のものではなく、不可分一体のものであることが、このCDを聴くと非常によく分っちゃう。
ノヴェルティなジャズ。後のリズム&ブルーズ〜ロック(の源流の一つはジャズそのもの)への流れを考慮に入れてアメリカ大衆音楽、特にブラック・ミュージックを考えると、メインストリームではないそんな周辺領域からの動きが重要な役目を果たし、新しい歴史を創る場合が多い。
だから純ジャズ系だけを聴くというような閉鎖系の考え方では、アメリカ大衆音楽史でジャズが果たした歴史的役割を十全に俯瞰することは不可能だ。このことはとうようさんも『ブラック・ミュージックの伝統』附属ブックレットで強調している。ジャズはある時期以後シリアス・ミュージックとなったけれども。
ブルーズは珍奇な(ノヴェルな)部分こそが本質であるような音楽で、だからブルーズについてノヴェルティ要素を云々したいような人はいないわけだけど、ジャズの場合そういう部分からいったん離れたシリアスなものとして発展して、そんなジャズが戦後のメインストリームを形成してきたわけだ。
だがしかし同時にブルーズにあるノヴェルティさ、猥雑で下品なパワーを折々に取込むことで、メインストリームのシリアス・ジャズも生命力を維持してきたというのが反面の真実なのだ。ほんの一例をあげれば、1940年代に勃興した新スタイルであるビ・バップ。あれは明快なブルーズ・ベースの音楽に他ならない。
ビ・バップの土台にいかにブルーズがあるかを語ると今日の本題からどんどん逸れていってしまうのでやめておく。ヒントだけ一つ出しておくと、チャーリー・パーカーもディジー・ガレスピーも、あるいはその他の1940年代ビ・バッパーの多くがジャンプ(・ブルーズ)・バンド出身だ。
さてジャズのノヴェルティな周辺領域。例えば「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にも収録されているルイ・ジョーダン。この人はやっぱりノヴェルティなジャズ・マンだろう。ジャンプ・ミュージックの人だとされる場合が多いが、かなりジャイヴ・フィーリングも兼ね備えていたようなジャズ・マンだった。
以前も一度指摘したようにビッグ・バンドでキャブ・キャロウェイ(も「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」に一曲収録)がやっていたようなジャイヴな持味を受継いで、それをスモール・コンボでやったジャイヴィーなヴォーカリストで、それをブギ・ウギ・ベースのジャンプと合体させたのがルイ・ジョーダン。
ブギ・ウギ・ベースのジャンプをスモール・コンボ化して、その上で若者の日常生活を面白可笑しく歌ったヴォーカルの味は、1950年代にチャック・ベリーが継承して、黒人ロックンローラー最初の大スターになった。チャック・ベリーの歌に多い若者の日常生活を描いた歌詞は、ルイ・ジョーダン由来なんだよね。
チャック・ベリーはいまでも多くの米英白人ロッカーたちからも尊敬を集めているロック界の巨人だ。そんなチャック・ベリーのルーツだったルイ・ジョーダンは1940年代における黒人最大のスターだったわけだから、そのこと自体、昨晩も強調したように、40年代という時代の重要性を物語っている。
「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にノヴェルティなものが多いというのは、そういう芸能ジャズ分野の音楽家だと見做されている人のことばかりじゃない。一般的には純粋なジャズ・マンだと考えられている人の場合でも、そんなものが収録されている。例えばナット・キング・コールとかアート・テイタムだ。
「そういうものは戦後の日本のジャズ・ファンは無視してきたというか、敢えて避けてきたような部分があるんじゃないかなあ」と上で書いたが、「戦後」のと但書を付けたのには理由がある。ジャイヴやジャンプなどノヴェルティなジャズ・ミュージックのSP盤は、戦前の日本では結構売れて聴かれていたんだよね。
この事実はその世代の一人である油井正一さんの書くものを読んでもよく分る。だからこそ油井さんは自著のなかで「ビ・バップとR&Bには共通項がある」と指摘することができた。こういう視点は、直接お名前を出すのはちょっとどうかとは思うけれど、例えば粟村正昭さんなどには致命的に欠けていたものだ。
断っておくが、僕は粟村さんを高く評価し尊敬している一人で、例えばジャンプ系ジャズ・ビッグ・バンドなどには全く理解を示さなかったが、ことシリアスなメインストリーム・ジャズに関しては、粟村さんほどの分析・批評能力を持つジャズ・ライターは稀だった。しかしその反面の真実があるんだよね。
つまりメインストリームから逸れた芸能ジャズを切り捨ててしまったことだ。そして良くも悪しくもそんな粟村さんに代表されるシリアスなジャズの聴き方が戦後の日本を支配してきたことは疑いえない事実だろう。これがアメリカ大衆音楽史を俯瞰する上では逆効果だということは上で指摘した。
だからとうようさん編纂の「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」では、そんな横道に逸れたようなノヴルティな芸能ジャズが多く収録されている。収録順だと三曲目のバーサ・チッピー・ヒル「トラブル・イン・マインド」がそんなものの最初。ご存知1920年代のいわゆるクラシック・ブルーズの女性歌手。
「クラシック・ブルーズ」という呼称がいかに無意味であるかについても、とうようさんはこのチッピー・ヒルの曲目解説部分で語っている。僕もこれには完全同意でこのブログでも既に何度も書いている。この件は今日の本題とは無関係なので省略。クラシック・ブルーズはジャズとの区別が不可能だなあ。
つまりジャズとブルーズの境界線あたりに位置するのが1920年代のいわゆる俗称クラシック・ブルーズ歌手たちで、実際それらの女性歌手の伴奏はほぼ100%同時代のジャズ・メンがやった。最も有名なのがルイ・アームストロングで、ベシー・スミスその多くの女性歌手の伴奏をコルネットでやった。
そんなルイ・アームストロングも「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にある。二曲目の「スタティック・ストラット」。曲名に反して躍動的な演奏で1926年録音。この時期サッチモはオーケー(コロンビア)に録音していたので、アースキン・テイト楽団に客演したヴォキャリオン盤の一曲。見事なコルネット・ソロだ。
「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」におけるノヴェルティな芸能ジャズは、五曲目のキャブ・キャロウェイ楽団1930年「セント・ルイス・ブルーズ」、六曲目のビル・ロビンスン31年「ジャスト・ア・クレイジー・ソング」と続く。いわゆるジャイヴ・ヴォーカルはむしろ後者の方が存分に発揮して歌っている。
ジャズにおけるヴォーカルものとノヴェルティものは切り離せないと上で書いた。それを痛感するのが「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」の七曲目ミルズ・ブラザーズ1931年「タイガー・ラグ」、十曲目スピリッツ・オヴ・リズム34年「ジャンク・メン」などなど。立派なジャズでありかつ猥雑な芸能なんだなあ。
11曲目インク・スポッツ1936年「テイント・ノーバディーズ・ビジネス・イフ・アイ・ドゥー」も、そんなヴォーカルものでありながらノヴェルティなジャイヴもの。そして同時に立派なジャズでもある。そんなジャイヴィーでありかつシリアス・ジャズでもある最有名人がナット・キング・コールだ。
ナット・キング・コール・トリオは1940年代初頭にデッカに録音したので、「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」に一曲収録されている。19曲目の「アー・ユー・ファー・イット」。その後のキャピトル録音でもほぼ同じだけど、40年代のこのトリオは、楽器演奏はシリアスだけどヴォーカルはジャイヴィーなものだよね。
「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」では続く20曲目アート・テイタム・トリオ1944年「アイ・ガット・リズム」も似たような感じだ。テイタムのピアノ技巧は目も眩むようなシリアス芸術だが、伴奏のギターがタイニー・グライムズ、ベースがスラム・スチュアートというノヴェルティ・ジャズの人たちだ。
さて1930年代末〜40年代のジャズは、商業録音開始当初から取込んでいたブルーズを明快な形で表面化し、強くダンサブルな音楽と変貌していたような部分があるが、それがいわゆるジャンプ・ミュージック。ジャズ界におけるブギ・ウギ・ベースのブルーズ系ジャズだ。当然「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」にも数曲ある。
「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」におけるジャンプ系ジャズは、収録順だと12曲目のカウント・ベイシー楽団1938年「テキサス・シャッフル」が最初。説明不要のカンザス・シティ出身のバンドだが、僕は純ジャズというよりもブルーズ系ジャズ・バンド、いわば準ジャンプ・バンドだと捉えている。
「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」におけるジャンプ系ジャズは、その後15曲目ダイナ・ワシントン&ライオネル・ハンプトン・セクステット1945年「ブロウ・トップ・ブルーズ」(絶品!)を経て、続く16曲目アースキン・ホーキンズ楽団50年「アフター・アワーズ」と続く。
フィル・ガーランドが黒人のナショナル・アンセムとまで書いた「アフター・アワーズ」は、アースキン・ホーキンズ楽団でピアニストのエイヴリー・パリッシュが1940年に書いて初演したスロー・ブルーズ。「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」での同楽団50年録音のエイス・ハリスも粘っこい三連の反復で盛上げる。
「ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇」17曲目でチャーリー・パーカーとブルーズ歌手ウォルター・ブラウンが共演するジェイ・マクシャン楽団1942年「ザ・ジャンピン・ブルーズ」を経て、21曲目ルイ・ジョーダン45年の「カルドニア」まで来ると、もう(スウィング・)ジャズだかジャイヴだかジャンプだかリズム&ブルーズだか分らない。それら全ての言い方が当てはまる。
1940年代にルイ・ジョーダンがスモール・コンボでやっていたジャンプとジャイヴの合体音楽としてのジャズ(だと僕には聴こえる)。これこそが昨日・今日と繰返し書いてきたように直後のリズム&ブルーズを生み、ロックンロール大爆発の母胎だったわけだ。だからこそ40年代という時代は最重要期なんだよね。
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