むかし歌にはヴァースがあった
ポップ・ソング、特に20世紀前半までに書かれたものには、リフレイン(コーラス)部分の前にヴァースがある場合が多い。でもこれ、専門家か熱心なファンじゃないと知らない場合が多くなっているかもしれないなあ。なぜならば歌ったり演奏されることが殆どなくなっているからだ。特にインストルメンタル演奏でヴァースからやることなんて、稀な例外を除きほぼない。
スタンダード化したポップ・ソングをジャズ・メンがインストルメンタル演奏する場合にヴァースをやらないのは当然だ。なぜならばヴァースとは歌の本編ともいうべきリフレインの前置説明であって、歌詞があるからこそ意味があるものだからだ。楽器演奏でヴァースをやる意味はない。
そう、ヴァースとは本編のリフレインに入る前の序文であって、その序文があるからこそリフレイン部分の歌詞を充分に理解することができる。これは原語(多くの場合は英語)を理解できる方がヴァース付きの歌を聴けば、必ず納得していただけるものだ。
多くの場合は英語と書いたのは、今日の話題はもっぱら20世紀前半に創られたアメリカン・ポップ・ソングを対象とするけれども、他国の大衆歌謡の場合でもヴァースが付く場合があるからだ。例えばフランスのシャンソンにもある。以前も書いたけれど「枯葉」のお馴染のメロディはリフレイン部分であって、実はその前に長すぎるとさえ思えるヴァースがある。
さてやはりアメリカン・ソングブックに話を限ると、20世紀前半までに書かれたポップ・ソングの多くに前置説明のヴァースがある理由は、レコード商品をまず第一のものだとは考えていないからだ。殆どがブロードウェイ・ミュージカルや映画その他様々な場面で歌われるものとして書かれた。
そんな(生)演唱の舞台では、お芝居のなかに歌が出てくるわけなので、いきなり本編を歌いはじめると唐突な感じになってしまって、歌に入る前までのお芝居とスムースに結びつかないのだ。だから言葉のやり取りであるお芝居と歌本編を繋ぐものとしてヴァースが置かれた。
だからポップ・ソングにおけるヴァースは歌の一部でありながら、あまり歌っぽくない語りに近いようなもので、実際ヴァースを聴くとメロディの起伏・抑揚に乏しい。メロディアスでなくリズミカルでもない。殆どの場合がかなりゆっくりとしたテンポ・ルパートで綴られる。
そしてヴァースでの前置説明を終えリフレイン部分に入ると、途端にテンポ・インしてリズミカルになり、メロディも明快になって、僕たちがよく知っているいわゆる「音楽」「歌」というものになるんだなあ。ヴァース部分は導入ナレイションだから、聴いても音楽的には面白さが小さい。
そんなこともあってか、ミュージカルなど種々の生舞台では間違いなくヴァースから歌いはじめるのにもかかわらず、レコード商品にするために録音するとなると、ヴァースは多くの場合省略される。これはティン・パン・アリーのソングブックがレコードになりはじめる最初期からそうだ。
もう一つの理由としては、ポピュラー音楽の世界ではSP時代が長かったので(録音音楽の約半分)、当然約三分間という物理的制約があるために、本編であるリフレインだけを演唱していたってこともあるのかもしれない。ヴァースからリフレインまで丸ごと全部やって三分以内におさめることは、やや難しい場合がある。
そんな録音習慣と、さらに前述の通り音楽的には面白味が薄いのでやはり省略したいということと、主にそれら二つの理由で、レコードにする際はヴァースは歌わないのが常識化したので、テープ・レコーダーとLPメディアが出現し長時間録音が可能になって以後も、そのかたちをそのまま踏襲したのかもしれないなあ。
そんなヴァース付きのポップ・ソングはもちろん元々ジャズの世界の歌なんかじゃないんだが、まあでも曲の成立はジャズがアメリカ大衆音楽の王者だった時代なので、レコードにする際はやはりジャズ歌手やジャズ系のポップ歌手が歌うことが多い。これは戦後もそうだ。
ある時期以後、元はロック畑で活躍していた歌手、例えばリンダ・ロンシュタットやロッド・スチュアートなどがそんなアメリカン・ソングブックを歌った企画アルバムも出るようになってはいるが、実を言うと僕はなんの関心もなくCDでおそらく一枚も買っていない(はずだが部屋のなかを探せばなにか持っているかも)ので、話はできない。
だからやはりジャズ(系)歌手が歌うヴァース付きポップ・ソングの話になるんだが、エラ・フィッジェラルドのあの例の『ザ・コンプリート・エラ・フィッツジェラルド・ソング・ブックス』に沿って話を進めたい。どうしてかというと、このCD16枚組でエラはヴァースがある歌は全てヴァースから歌っているからだ。
もちろんこのエラの16枚組でなくたってたくさんあるのだが、ヴァースがあったりなかったりするのを一個一個探してピック・アップするなんて作業はかなり面倒臭く、憶えてもいないので、僕にとっては不可能に近い作業だ。そんなわけでエラのソング・ブック・シリーズにほぼ限定する。
エラのこのソング・ブック完全集については、以前も一度詳しく記事にした(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-b4fa.html)。エラはジャズ歌手ではあるけれど、書いてあるようにこのソング・ブック完全集を、いわゆる「ジャズ」なんていう狭い枠のなかだけで捉えるのは甚だしい勘違いだ。
そんなジャズ歌曲集じゃなく、上掲記事で書いてあるようにアメリカン・ソングブックの宝石箱として、あらゆるジャンルをまたぐアメリカ大衆音楽を愛するファンには是非聴いてほしいんだよね。ジャズ作曲家だったデューク・エリントンのソングブックを除き、全て黄金時代のティン・パン・アリーのものだし、だからこの16枚組で大きな部分を把握できる。
エラのこの16枚組では、しかし唯一『ザ・ジェローム・カーン・ソングブック』でだけはヴァースから歌っていない。例えば収録されている、カーン最大の有名曲「オール・ザ・シングス・ユー・アー」。これもヴァースがある歌なのだが、エラはヴァースを省略している。他のソングブックでは全部歌っているのにどうしてかなあ?
ただ「オール・ザ・シングス・ユー・アー」の場合は、エラでなくてもヴァース入りで歌っているヴァージョンはかなり珍しいというか、殆どない。正直に言うと僕はただの一度も聴いたことがないし、この曲に関してだけ部屋のなかのCDを探し廻って聴いてみたが、一つもないんだなあ。
それで YouTube で探してみたら、ヴァース入りの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」をバーブラ・ストライザンドが歌っているのが見つかった。聴いてみたらこりゃなかなかいいなあ。これ以外にも少し見つかったが、このバーブラのが一番いい。
さてジェローム・カーン集でだけどうしてヴァースを歌わないのか分らないが、他は元々ヴァースなんか書いていないエリントン・ソングブックを除き全てヴァースから歌っているエラのソングブック完全集。アルファベット順だとコール・ポーター集が一番先に来る。
コール・ポーターもヴァース入りの曲が多い。「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」「ナイト・アンド・デイ」などの超有名曲も全てヴァースがあり、エラもヴァースから歌っている。
それらのうち「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」は僕も大学生の頃からヴァースを知っていた。なぜならばフランク・シナトラがキャピトル盤『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』で歌っていたからだ。そのシナトラ・ヴァージョンは、というか『スウィング・イージー』との2in1レコードはかなりの愛聴盤だった。
そんなシナトラだが、コロンビア時代に歌った「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」ではヴァースを省略している。シナトラの場合、キャピトルやその後のリプリーズ時代に歌った有名スタンダード曲の多くを、既にそれ以前のコロンビア時代に歌っているが、少しずつ姿を変えている。
シナトラと歌のヴァースといえば、ほぼ全員がリプリーズ時代の「スターダスト」を言うだろう。ナット・キング・コールの歌もかなり知られているこの超有名曲を、シナトラはコロンビア時代、キャピトル時代にも歌っているが、リプリーズ時代には、なんとリフレイン抜きでヴァースしか歌わなかった。
歌の本編であるリフレインを歌わず、歌われないことも多いヴァースだけ歌うなんてのは、つまりケレン味の極致みたいなもんだ。元々そんな部分のある歌手だったシナトラだけど、こんな「スターダスト」はちょっとやりすぎかもしれないよなあ。しかし僕はこんなシナトラのケレン芸が案外嫌いではない。
エラのコール・ポーター集にある、例えば「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」なんかはヴァースを聴かないと、リフレイン部分の歌詞の意味はもちろんのこと、曲名の意味すら理解できない。エラのそのヴァージョンをご紹介しておく。
お聴きになれば分るとは思うけれど、一応ヴァース部分を引用すると以下。
As Dorothy Parker once said
To her boyfriend, "fare thee well"
As Columbus announced
When he knew he was bounced,
"It was swell, Isabel, swell"
As Abelard said to Eloise,
"Don't forget to drop a line to me, please"
As Juliet cried, in her Romeo's ear,
"Romeo, why not face the fact, my dear"
ヴァース部分で四つの具体例をあげ、いざ本編のリフレイン部分の歌い出しで「まあそんなことだわよ」(It was just one of those things)と言っているわけだから、ヴァース抜きではいったいなにが「ゾーズ・シングズ」なんだか理解できず、だから曲名の意味すら分らないはずだ。
21世紀の僕たちの感覚からしたら相当古臭いというか、理解が難しいようなこのヴァース部分での四つの具体例。しかしこれ抜きで「ジャスト・ワン・オヴ・ゾーズ・シングズ」という歌も理解が難しいのも事実。だから普段聴かないのはいいとしても、頭の片隅に置いてあってもいいんじゃないだろうか。
ヴァース云々とは全く無関係だけど、せっかく英語(詞)の話題だから書いておく。エラのコール・ポーター集にもある「エニイシング・ゴーズ」。これはむかし和訳題がひどく間違っていることがあった。”anything goes” とは「なんでもあり」という意味だぞ。
もっとおかしかったのは、エラのソングブック完全集には当然入っていないマット・デニスの書いた「ザ・ナイト・ウィ・コール・イット・ア・デイ」。これも昔とんでもない邦題が付くことがあった。”call it a day” とは「終りにする」「もうやめる」の意だから、この曲名は「僕たちが別れたあの夜」という意味だ。ボブ・ディランも歌っている曲だよね。
なんだかエラのソングブック完全集を話題にすると宣言しながら、コール・ポーター集の話しかしていないのに、もうこんな長さになってしまったのでそろそろやめなくちゃ。ガーシュウィン・ソングブックスでもエラはヴァースを歌っている。
ガーシュウィンものだと「オー、レディ・ビー・グッド」「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・イット」「サムワン・トゥ・ワッチ・オーヴァー・ミー」(ヴァースまあまあ長い)「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」その他がヴァース付きで、エラもそれを歌っている。
ガーシュウィンものでヴァースがない最有名曲は、間違いなく「ザ・マン・アイ・ラヴ」だろうね。もちろん他のソングライターのものでもヴァースのない歌はある。例えばコール・ポーターなら「オール・オヴ・ユー」「アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン」などはヴァースがない。
ロジャース&ハート・コンビものだと「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」「ビウィッチト」、そしてこのコンビが書いた最も有名な、有名すぎる超スタンダードの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」もヴァースがあって、エラもヴァースから歌っている。ご存知ない方が多いかもしれないので紹介しておく。
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」に関しては、大学生の頃からフランク・シナトラの前述『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』収録ヴァージョンで親しんでいた。しかしあのケレン味満載歌手であるにもかかわらず、ヴァースは歌っていないのだ。
同時にマイルス・デイヴィスが演奏する同曲に大いに感動し愛聴してきているが、最初に書いたように、どんな曲であっても楽器奏者がヴァースから演奏するなんてことは意味がないんだからほぼ皆無。当然マイルスも吹くわけがなく、長年「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」とはこういう曲なんだろうと思い込んでいた。
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