ジャズ・ブルーズにおける曖昧な和音構成と明快なドラムス・ソロ
以前も書いたけれど、ソニー・ロリンズ畢竟の超傑作である1956年のプレスティッジ盤『サクソフォン・コロッサス』で一番好きなのがアルバム・トップの「セント・トーマス」とラストの「ブルー・7」。以前書いた時はどっちの話もするつもりだったんだけど、前者の方を書いているうちに長くなった。
それで書きそびれてしまったので、今日は「ブルー・7」の話。しかしこの曲、『サクソフォン・コロッサス』のなかでは最も人気がないんじゃないかなあ。いろんな意味でかなり面白い12小節ブルーズなんだけど、一般のジャズ・ファンは「セント・トーマス」と「モリタート」の話ばっかりするね。
「セント・トーマス」のことは上記リンク先のカリビアン・ジャズ(・ファンク)関係で詳しく書いた。「モリタート」もいろんな人が書いているよね。専門家が書いたもののなかでは粟村政昭さんの『モダン・ジャズの歴史』(スイングジャーナル社)における記述・分析が一番読み応えがあるんじゃないかなあ。
あとはA面二曲目のスタンダード・バラード「ユー・ドント・ノウ・ワット・ラヴ・イズ」かなあ、一般的な人気があるのは。それらに比べたらB面ラストの「ブルー・7」なんて誰かが話題にして詳しく書いているものなんて、僕はまだほとんど読んだことがない。しかしあの曲は本当にいろんな意味で興味深いんだよね。
まず「ブルー・7」は12小節ブルーズ形式の楽曲なんだけど、トーナリティがはっきりしない。この曲のキーはなんだ?僕が聴くと B♭と E のどっちなんだか分らないんだなあ。最初ダグ・ワトキンスのウォーキング・ベースではじまり、しばらくそれが続く。その部分のキーは B♭だけど。
マックス・ローチがハイハットで入ってきて、その入りはじめのハイハットのサウンドにもゾクゾクするんだけど、直後にロリンズがテーマらしきものを吹きはじめると途端にキーが分らなくなる。少なくとも僕にはそうだ。書いたように B♭と E のバイ・トーナルな雰囲気のサックス吹奏なんだなあ。
そもそもあれは通常のいわゆる<テーマ>・メロディではない。ダグ・ワトキンスの弾くベース音に乗ってロリンズがその場で即興的に思い付くまま吹きはじめたものだろう。ということは曲を聴いての僕の個人的意見であって、ロリンズ本人や専門家がどう言っているかは知らない。まあでも間違いないはずだ。
だから「ブルー・7」の演奏前に決っていたものは、ブルーズをやろう、キーは B♭だ、テンポはこの程度で、この三点だけのはず。ブルーズっていうものはそうやってだいたいキーだけ決めればあとは全部簡単に即興でできちゃうものなんだよね。そんな風にして録音されたものはジャズでも多い。
だからダグ・ワトキンスも B♭で弾きはじめる。ところがロリンズが吹きはじめた途端に、書いたようにバイ・トーナリティを暗示するかのような演奏になるもんだから、僕みたいな素人は混乱する。混乱ってのは悪い意味じゃない。面白いっていう意味だ。調性的には崩壊寸前みたいな演奏だ。
それでも伴奏ピアニストのトミー・フラナガン。この人はブルーズも上手いジャズ・ピアニストなんだけど、そんな複雑な和音構成での演奏は得意じゃない人で、ブルーズを弾く時もかなり明快でブルージーな弾き方をする人なわけで、だから「ブルー・7」でもやはりそんな風な弾き方になっている。
ロリンズが和音的崩壊へ向うような吹奏をしているあいだでも、フラナガンは明快に B♭ブルーズでのバッキングをしている。しかもその伴奏フレイジングはかなりブルージーで、いつものフラナガン節だよね。そんな分りやすくブルージーなフラナガンが支えているロリンズのソロは、しかしかなり抽象的だ。
「Blue 7」というこの曲名は、おそらくブルーズのブルー、そんでもって7thコードの7から来ているんじゃないかと思う。セブンスのコードはブルーズ(やそれ由来のロックなど)では必須なのだ。そんな曲名で、12小節で、典型的なブルーズのコード進行なのに、あのロリンズのサックス演奏はヘンだ。
ロリンズのソロにはブルーズ・フィーリングを全く感じ取れないからなあ。ちょっとだけそんな雰囲気があるような気もするけれど、本当に一瞬であって、全体的にロリンズが吹く部分は和音的にもフレイジングの組立てもかなりアブストラクトで、数年後のフリー・ジャズに近づいている。
ブルーズをやってフリー・ジャズになる、これはある意味フリー・ジャズの一面の真実じゃないかなあ。デビュー当時のオーネット・コールマンを聴いても分るんだけど、フリー・ジャズの土台にはブルーズがあって、ブルーズ・スケールを用いて、いや用いていないが、そんなフィーリングで演奏している。
そんでもって例えば『ジャズ来たるべきもの』でもオーネットの音の組立てはフリーというよりモーダルなのだ。モードとは要はスケールのことであって、ブルーズもスケールにもとづく音楽だよね。マイルス・デイヴィスも言っているじゃじゃないか、「ああいうフリー・ジャズ連中のやっているのはブルーズだ」と。
この「フリー・ジャズはブルーズ」というマイルスの言葉は、まあ彼はなんでもかんでも土台にブルーズがあることにしたいという人間で、僕も米英大衆音楽に話を限ればほぼ同じような発想を持った人間なので(これはマイルスの聴きすぎのせいではないように自分では思う)、かなり分りやすいものなのだ。
フリー・ジャズの話はおいておいてロリンズの「ブルー・7」。書いているようにボスが吹くあいだは和音的な根拠が曖昧で、一体なにを吹いているのか分りにくいようなフレイジングで、それはどうやら最初に吹いたテーマ、というかモチーフに基づく、いわばシーマティックなアドリブ手法なんだよね。
シーマティック・インプロヴィゼイションというのは、この1956年あたりかちょっとあとくらいから、ガンサー・シュラーやジョージ・ラッセルやビル・エヴァンスなどがやりはじめ、それと強く連動してマイルス・デイヴィスが大きな果実を実らせたので一般的には有名な、いわゆるモーダルな演奏法のことだ。
ロリンズが吹いている部分はコーダルな意味では曖昧で抽象的なんだけど、そういうシーマティック、すなわちメロディ由来の水平的なアドリブだと考えれば分りやすい。1956年録音だから通常のハード・バップ全盛期で、モーダルなやり方や水平的なメロディ展開が一般化するのはこの数年後だけどね。
実はこういうことは、上で名前を出したガンサー・シュラー、彼はジャズ研究家でもあって、彼が書いた文章のなかではっきりと言っていることなのだ。僕が今日ここまで書いたこともだいたいシュラーの「ソニー・ロリンズとシーマティック・インプロヴィゼイションの挑戦」で指摘されていて、大筋それを(和訳して)なぞっただけなのだ。
ただしシュラーが書いていないことをここから書くけれど、僕が「ブルー・7」で一番好きなのが上でも指摘した明快にブルージーなトミー・フラナガンの伴奏ぶりとソロ、そしてもっと好きなのがマックス・ローチのドラムス・ソロなんだよね。前者が好きだというのはブルーズ好きの僕だから納得しやすい。
だから元からブルーズが上手いフラナガンのソロがブルージーでいいという話は今日は広げない。聴けば誰だって分ることだ。それよりもマックス・ローチのドラムス・ソロに注目してほしい。ロリンズの一度目のソロが終り、フラナガンのピアノ・ソロも終って、4:05 からローチのソロになる。
ローチのソロになる前にロリンズが少し吹くので、これは例の四小節交換がはじまるなと思うとそうならず、そのままローチのソロになだれ込む。その部分をお聴きいただければ分るはずだけど、ローチはブルーズの12小節構成を強く意識した叩き方だ。明らかにコード進行を踏まえてソロを演奏しているよね。
以前ブルーズ進行について書いた際、メロディやコードを出せる楽器奏者だけでなく、ドラマーもコード進行を意識して叩いているのだと書いたけれども、コードやコーラスが変る節目節目でフィル・インを入れてアクセント付けするだけなく、ソロでもそうなんだよね。「ブルー・7」でのローチのように。
4:05〜6:21までのローチのドラムス・ソロは三つのパターンで構成されるリズムの形を反復している。三つのリズム・フィギュアを繰返しているのは、12小節ブルーズは三部構成になっているからだ。これは僕も以前指摘したし、ブルーズでは当り前の事実なので繰返す必要はないはず。
さらにこのローチのソロ構成はブルーズ楽曲であるという形式を充分に踏まえたものであると同時に、その後に出てくるロリンズの二度目、三度目のソロへの伏線にもなっているんだよね。その部分ではロリンズも三つのパターンをリピートする構成のソロ展開を繰広げていて、曲全体に一貫性を与えている。
大学生の頃に初めて『サクソフォン・コロッサス』を聴き、アルバム・ラストの「ブルー・7」を聴いた時に一番感心したのが、ロリンズのソロでもフラナガンのソロでもなく、他ならぬそのローチのドラムス・ソロなのだ。そしてこういう叩き方のソロは、もっと前、1930年代からあることも少しあとになって知った。
それはシドニー・カトレットだ。戦前の古典ジャズに興味のあるファンであれば間違いなく全員知っている名ドラマー。個人的にはジャズ史上で最も好きなドラマーだ。それほど大好きになったのは大学生の半ばか後半頃で、戦前や中間派のジャズをたくさん聴いていると、カトレットがよく登場するからだ。
カトレットは上で書いたローチのソロのような、ステディな4ビートを保ちつつ、そのままそのなかでシンプルなリズム・フィギュアの反復で構成されるソロをよく演奏するんだよね。そしてモダン・ジャズしか聴かないリスナーのみなさんにも注目してほしいのだが、彼はモダン・ドラミングの先駆けなのだ。
ビ・バップでモダン・ジャズ・ドラミングを開発したのはケニー・クラークだということになっている。しかしそのクラークの最も大きな影響源がシドニー・カトレットに他ならない。カトレットのスタイルのルーツはズティ・シングルトンとベイビー・ドッズだが、そこから独自のものを生み出しているんだよね。
カトレットは1951年に亡くなっているが、45年にディジー・ガレスピーとも録音しているんだよね。それは完全なるビ・バップだ。カトレットが旧時代出身でありながら、モダン時代に対応したドラマーであることを証明し、ケニー・クラーク、マックス・ローチ、アート・ブレイキーなどへの橋渡し役だったこともよく分るのだ。
あんまり古いジャズ・マンの話ばっかりしているとだんだん嫌われそうだけど、なんだかビ・バップがまるで突然変異みたいに天から降って湧いたようなものであるかのような考えをしている人が多いんじゃないの?だってそれ以前のジャズを聴こうともしないってのはそういうことだとしか思えない。
ソニー・ロリンズの「ブルー・7」はブルーズ形式なのに、ボスのテナー・サックス・ソロは全然ブルージーではなく和音的にも曖昧だとか、それと比較してブルージーなトミー・フラナガンのピアノが好対照だとか、マックス・ローチのソロが曲の構造を踏まえた面白いものだとかいう話だったのに、なんだかまたいつもの調子になってしまった。
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