翳りと快活さと〜オレスティス・コレーツォス
ここ数年にリリースされて僕が聴いている範囲のギリシア音楽新作アルバムで一番好きなものが、オレスティス・コレーツォスの『メ・プリミリジ・フォス』。寒くなりはじめた今の時季にはピッタリじゃないだろうか?大傑作なんていうようなものじゃないけれど、しっとりと心に沁みるいい雰囲気だよなあ。
このオレスティスのアルバムはギリシア本国では2013年のリリースとジャケット裏に書いてあるが、僕がこれを買ったのはこれまた例によってエル・スールのサイトで発見した翌2014年。かなり良くて繰り返し聴いたので、同年のベストテン新作部門の四位に選んだ。五位をレオニダス・バラファスにした。
確かに2014年はギリシア音楽の新作が充実していたように思う。傑作度みたいな意味ではレオニダス・バラファスの二枚組の方が上だったと思うけれど、僕にはオレスティスのアルバムの方がしっくり来るのだった。なぜかといえばレオニダスの方は力が入っているけれど、やや大上段に構えすぎかもしれない。
一方オレスティスのアルバムの方は、たったの35分程度しかない短かさだということもあってか、あるいはそんなことは関係ないのか、極めて自然体で自分のやりたい音楽をそのままスッと表現しているナチュラルさみたいなものが聴き取れて、繰り返し聴くにはこっちの方が気持良いんだなあ。
オレスティス・コレーツォスはブズーキ奏者。ブズーキはギリシア音楽ファンには説明不要の必須楽器だけど、そうじゃない方のために一応書いておくと、洋梨を半分に割ったような形のボディと長いネックの弦楽器。リュート属で、ちょっとマンドリンにも似ている。ピックで弾き、鋭い金属的な音が特徴的だね。
ブズーキの現在における弦の本数は8本で4コース。オレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』附属ブックレット末尾に掲載されているスタジオでの演奏写真でもオレスティスが弾いているのは8本4コースのブズーキに見える。がしかしそうなったのは20世紀半ばのことらしく、それまでは6本3コース。
どうしてこんなことを書くかというと、オレスティスはあのマルコス・ヴァンヴァカリスと関係があるんだそうだ。ヴァンヴァカリスはピレウス派レンベティカの巨人でブズーキ奏者。1930年頃から活動しているので、その頃は6本3コースのブズーキを使っていたんじゃないかなあ?
写真などで見る限りマルコス・ヴァンヴァカリスが抱えているのは8本4コースのブズーキばかりだ。だがしかし彼は1960年代まで活動したので、そういう写真はおそらく第二次世界大戦後のものかもしれないよね。まあいいいや。そんなヴァンヴァカリスの甥がヤニス・パライオログウだ。
そしてヤニス・パライオログウに今日の話題のオレスティスは師事しブズーキの腕を磨いたんだそうだから、レンベーティカの巨人と関係があるんだよね。そんなレンベーティカの伝統は2013年作『メ・プリミリジ・フォス』にもはっきり聴き取れるように思う。基本的にはトラッド・ライカのアルバムだろうけれど。
『メ・プリミリジ・フォス』の全10曲は一曲ごとに歌手を入れ替えている。オレスティス本人が歌うものも二曲目、六曲目と二つあるが、それ以外は全部ゲスト・ヴォーカリストを迎えている。僕が『メ・プリミリジ・フォス』を買って聴いた時に既に知っていた名前は一人もない。でもみんないい歌手だなあ。
特にいいのが一曲目で歌うマーサ・フリンツィラだ。曲自体の出来もバックの演奏もこの曲がアルバム中一番良いんじゃないかなあ。バック・バンドの編成はCD附属ブックレット末尾に一覧になっているが、それもこれも含め全てギリシア文字なので僕には読めない。だから耳で聴いて判断しているだけ。
僕の耳判断ではオレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』の伴奏編成は、ブズーキ、ギター、ヴァイオリン、アコーディオン、ピアノ、ベース、ドラムス、パーカッションだ。つまり全てアクースティック楽器で、その演奏も伝統的なトラディショナル・レンベーティカ〜ライカ風味なもので、しっとり聴ける。
アルバム中一番出来が良いように思う一曲目では、まず無伴奏ギター・アルペジオにはじまって、それがパッと転調した直後にドラムスが入り、すぐにブズーキがフィーチャーされ、他の楽器も鳴る。そのイントロ部分だけでいい内容のアルバムなんだなと直感するが、マーサが歌いはじめるともっといい雰囲気だ。
一曲目ではバンドの演奏するリズムにちょぴりボサ・ノーヴァ風な味付けがしてある。ほんのちょっぴりの軽いものだけど、ボサ・ノーヴァ風ライカって僕は初めて聴いた。マーサのヴォーカルもこなれたものでしっとりとしていて聴き応えがあるしなかなかいいなあ。一曲目でいわゆるツカミみはOKってやつ。
おそらくオレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』を聴いた人は、みなさんこの一曲目のツカミだけでこりゃ良いアルバムだねと感じたと思うのだ。少なくとも僕はそうだったなあ。その後は約35分という短さもあってラストまで一気に聴かせる。アルバム全体を貫いているのは爽やかさではなく翳りだよね。
翳り、つまり暗さ。そこにこそオレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』に僕は20世紀初頭以来のレンベーティカの伝統を感じるのだ。ただ伝統的レンベーティカみたいな、なんというか闇の音楽みたいな真っ暗さはない。いかにもギリシア的というか地中海の風が吹くような爽快感も聴ける。
そんな翳りと爽快感の合体がオレスティスの『メ・プリミリジ・フォス』全体を通じて感じる音楽の質感なのだ。全10曲の旋律から感じ取れるのは、やっぱりどっちかというと湿った暗さだけど、真っ暗闇に落ち込まないところがいいのだ。そんな曲を書いているのは、10曲全てオレースティスかなあ?
オレースティス自身が歌うものでは二曲目の方が面白い。彼自身のヴォーカルは参加しているゲスト・ヴォーカリストとは比べられないけれど、二曲目では伴奏のリズムがちょっと面白いんだよね。ラテン音楽風というかキューバのハバネーラみたいに跳ねているんだなあ。やはり「ラ・パローマ」おそるべしか。
ゲスト・ヴォーカリトで一番良いのは、やはり一曲目のマーサ・フリンツィラだと僕には思える。女性歌手では三曲、五曲目、七曲目、九曲目とアルバム中一番たくさん歌っているヴァリア・ツィリゴチもかなりいい。このヴァリアは古いレンベーティカ歌手みたいな歌い口だなあ。伴奏も合わせてかそんな感じになっている。
特に三曲目なんか、爽やかさを全く感じない暗い曲調、哀感を伴ったもので、歌手の歌い廻しや伴奏に深い翳りが感じられて、やはりギリシア音楽はこんな雰囲気が良いなあと思ってしまう。20世紀初頭以来の伝統的演唱だ。そうかと思うと上記ハバネーラ風の二曲目は爽快だしなあ。
アルバム六曲目でオレスティス自身が歌うのがアルバム・タイトルと同じ「メ・プリミリジ・フォス」だから、これが代表曲ってことかなあ。この曲でも伴奏のリズムがちょっぴり陽気で快活なラテン風。でもそれはリズムだけで曲調はマイナー(短調)で翳りがあって暗いので、爽快さはあまり聴き取れない。
なおその六曲目「メ・プリミリジ・フォス」で歌うのはオレスティス一人ではなく、女性ヴォーカリストが絡んでいる。誰だろうなあ?附属ブックレットを見てもそれは書かれていないようだ。アルバム中複数歌手が絡んで歌うのはこの一曲だけなんだけど、リズムの快活さと旋律の暗さが相俟っていい雰囲気だ。
アルバム・ラストの十曲目では冒頭で無伴奏ブズーキ演奏がしばらく続き、それもかなりのテクニシャンぶり。ブズーキ技巧のショウケースか?と思って聴いていると、一分ほどでバンドの演奏が出てきて女性ヴォーカルが入る。ラストを締めくくるに相応しい雰囲気で、あっという間にアルバムを聴き終える。
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