ヌスラット最後期の声
ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの聴衆の前での生涯ラスト・パフォーマンス(ということになっているが?)を収録したライヴ・アルバム『スワン・ソング』。1997年5月4日のライヴで、しかしこれ、どこでやったものなんだろう?どこにもそれが書かれていないなあ。
『スワン・ソング』がリリースされた1999年当時、なにかの音楽メディアでこのライヴの収録場所を読んだような読まなかったような、あるいはどこで披露したライヴ・パフォーマンスなのか不明だとか、いやあ、もう忘れちゃったなあ。今なら情報があるだろうと思いネット検索したけど、やはり不明。
あの『スワン・ソング』については毀誉褒貶あるというか、絶賛する人がいる一方で全然ダメだという人も多かった。後者の意見の大半は、肝心のメイン・ヴォーカリストの声の衰えを指摘したり、主役のリード・ヴォーカルよりロック風なバック・バンドの音が大きくてやかましいだとか言っていたなあ。
『スワン・ソング』を絶賛する意見の代表が故中村とうようさん。具体的にどう書いていたかはもう忘れちゃったし現物も手許にないけれど、確か伝統的カッワーリーと現代的ロック〜ポップ・サウンドの合体・融合に果敢に挑み、それに成功しているというようなことを書いていたような気がする。
僕はというと、とうようさんの意見を理解しつつ、『スワン・ソング』実物を何度聴いてもやっぱりイマイチに聴こえてしまうという実感を拭い難く、そんなに高くは評価できないなあと思っていたというのが正直な気持だった。それに現代的サウンドとの融合云々というならもっと前からたくさんあるもんなあ。
すなわちヌスラットがマイケル・ブルックやピーター・ゲイブリエルらと一緒にやった一連のリアル・ワールド・レーベルのものだ。現代的クラブ・ミュージックが好きなファンであれば、ああいったものもお好きだろとと思うし、僕もリリース当時は面白いなあと感じて繰り返し聴いていた。
しかしながらそうであると同時に、伝統的カッワーリーのパーティーでやったもの、例えばオコラ盤のパリ・ライヴ五枚とか、日本JVC盤『法悦のカッワーリー』二枚とか、あれらを聴くと、リアル・ワールドから出ているクラブ・ミュージック風なものよりもヌスラットの声ははるかに凄い。
リアル・ワールドのものは、ヌヌラットのヴォーカルの凄まじさだとか、伝統的カッワーリーのパーティーが演奏するヒプノティックなグルーヴ感だとか、そういうものをもっとこうダンサブルにというか、伝統的宗教/民俗音楽に馴染の薄いポップ・ファンにも伝わるように分りやすくしたものだったよなあ。
だからあれはあれでいいんだけど、いったんそれでヌスラットのヴォーカルの魅力に取り憑かれたら、やはり伝統的カッワーリー演唱を聴いてほしいとも僕は思っていたんだよね。ワールド・ミュージック系のものについてはトラディショナルな傾向のものを好むという僕の趣味嗜好も間違いなくあるはず。
ヌスラットの生涯ラスト・ライヴである『スワン・ソング』は、だからそんなリアル・ワールド・レーベルから出ていた一連のものの続きを、スタジオでのリミックス作業でとかではなく一回性のライヴでやったというようなものだと言えるのかもしれない。電気・電子楽器奏者もたくさん参加している。
そういえば『スワン・ソング』でたった今思い出した。このCD二枚組がリリースされた当時、親交のあった男性音楽ファンの方がスキーに行って派手に転倒したらしく、足を骨折して入院した。彼とはネット上で知り合ったのだが、病室で音楽を聴きたいからいくつか持ってきてくれとメールで言われたことがある。
その男性の事実婚の奥さんは、自宅にあるレコードやCDを全く把握してなくて、頼んでもそもそも音楽に興味がないから希望のものを探して持ってきてはくれないんだと嘆いたので、あんな熱心な音楽ファンがそれでは可哀想だと思って、僕がMD(が当時のダビング・メディア主流)に録音していった。
MDに多分15枚か20枚くらいダビングして病室へ持っていったかなあ、そのなかに当時リリースされたばかりのヌスラットの『スワン・ソング』を入れたおいたのだ。彼も熱心なヌスラット・ファンで、しかしあのライヴ・アルバムは未聴だと(メールで)言うので、ダビングして混ぜておいたんだよね。
するとそれを聴いたその男性は、これはダメだちっとも面白くないと言っていたなあ。その方は僕以上の中村とうよう信者なので、とうようさんは絶賛していたとよと言うと、とうようさんは褒めすぎだと思うとね。その病室ではそのまま別の音楽の話題に移ったのだが、実は僕も内心似たような感想だったのだ。
『スワン・ソング』をとうようさんがあそこまで絶賛した気持は、今『スワン・ソング』を虚心坦懐に聴き返してもやはりどうにも理解しにくい。ヌスラットの挑戦的姿勢は僕も買う。がしかしそれだけなら上で書いたようにリアル・ワールド・レーベルでやっていたんだから、格別目新しいことじゃないはずだ。
ってことは『スワン・ソング』は、現代的なものと伝統的なものとの融合を試みるというサウンド創りでの挑戦的姿勢においても斬新ではなく、またその一方でヌスラットのヴォーカルが凄いのかというと、一番肝心なものであるはずのその声がやや衰えているようにすら聴こえるので、いったいどこがいいんだろう?
ヌスラットの生涯ラスト・ライヴだったということは、要は歳取ったということなんじゃないか、それはどんな凄い歌手だってみんな大抵そうなるんだからと言われるかもしれないが、ヌスラットが1997年に亡くなった時はまだ48歳だったんだから、その意見はちょっと違うかもしれないと僕は思う。
もちろん48歳どころか30代でボロボロになって亡くなってしまった音楽家もいるわけだから、一概に年齢だけでは云々できない。がしかしヌスラットの場合そうじゃないというのが証拠として録音され発売されている。2001年リリースのCD二枚組『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』だ。
『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は発売が2001年になっただけで、スタジオ収録されたのは亡くなるずっと前、『スワン・ソング』になった1997/5/4よりもはるかに前だという可能性がある。このCD二枚組のジャケットや附属の紙のどこにも録音年月日の記載がないんだけれどね。
ネットで調べてみてもやはり『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』の録音年月日のデータは出てこない。がしかし「ファイナル」と銘打っているからには最晩年ではあるんだろう。そしてこの二枚組で聴けるヌスラットの声は往時のような張りのある強靭なもので、素晴らく聴き応えがある。
『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』をプロデュースしているのは、なんとあのリック・ルービンだ。デフ・ジャム・レコーズの設立者にしてロック〜ヒップ・ホップ系の音楽を手がける音楽プロデューサー。彼はアメリカン・レコーディングズ・レーベルを1988年に立ち上げている。
ヌスラットの『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』もそのアメリカン・レコーディングズからリリースされている。そんでもって同社代表のリック・ルービンがプロデュースしているってことは、要はあのリアル・ワールドのヒップ・ホップ系カッワーリーみたいものかと思うと、さにあらず。
正反対に(というのはちょっとオカシイ言い方だが)リック・ルービンがプロデュースしたヌスラットの『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は、全編伝統的カッワーリーのパーティー編成による録音なんだよね。リック・ルービンはそれに手を入れていない。
『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は、ヌスラットをリード・シンガーとするカッワーリーの伝統的パーティーでの演唱を一切いじらずそのままパッケージングしたものなのだ。伴奏楽器はハーモニウムとタブラだけ。あとは手拍子とサイド・ヴォーカリストたちのコーラスだけなんだよね。
そして『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』で聴けるヌスラットの声が、上で書いたように素晴らしいものなのだ。言っちゃあ悪いが『スワン・ソング』で聴ける声とは比較にならないとまで僕は思う。ライヴ盤の後者ではやはりヌスラットも「終り」だったんだなと感じたのだが、全然そんなことなかったんだよね。
『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』の録音年月日が分らないもんだから、『スワン・ソング』との比較はなんとも言えないけれど、前者も最晩年ではあるんだろうから、そこで聴けるヌスラットのヴォーカルの見事さを聴いて考えるに、『スワン・ソング』がダメなのは<衰え>ではないんだろう。
録音がどっちが先なのか分らないんだけど、『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』は伝統的パーティーで、『スワン・ソング』はロック風のモダンなバンド編成だから、そのせいで前者は良くて後者はダメだなんてことも僕はちっとも思わない。その点では中村とうようさんと同意見。
リアル・ワールドから出ている一連のものだってヌスラットの声はいいもんね。そんでもって『スワン・ソング』は最晩年だからとも思わない。おそらくほぼ同時期の録音であろう『ザ・ファイナル・スタジオ・レコーディングズ』ではあれだけいい声を出しているわけだからね。なにか別の理由なんだろうなあ。
『スワン・ソング』の時は、ひょっとしてヌスラットの喉のコンディションがたまたまイマイチだったとか、それくらいの理由だったんじゃないかなあ。その程度の軽い原因でああいったあたかも衰えたかのような声に聴こえるだけなんじゃないかなあ。ロック風バンドの演奏もまあ良いとは言い難いけれど。
特にソプラノ・サックスのサウンドはダサいよなあ。ラシッド・フセインという名前が書いてあるこのサックス奏者のことは全く僕は知らないが、極上のジャズ・サックス奏者の演奏をこれでもかというほど何十年も聴き続けている僕に言わせたら、『スワン・ソング』のサックスはどうにも聴きようがない。
他のエレキ・ギター、キーボード・シンセサイザー、ベース、ドラムスとかの演奏はそんなに悪いものじゃない。それに『スワン・ソング』で一番目立つ楽器の音はタブラなんだよね。録音上のことなのかミキシングの際のことなのか分らないが、タブラの音が妙に大きい。全体のバランスを崩しているじゃないかと思うほどだ。
『スワン・ソング』におけるヴォーカルでは主役のヌスラットがイマイチ調子悪いせいか、サイド・ヴォーカリストのラーハットが大健闘している。こう見てくると、この二枚組ライヴ・アルバムは、やはり主役の体調というか喉のコンディションが良くなかっただけの話だったんだろうと僕は思う。
だから『スワン・ソング』になった、場所は分らない1997年5月4日のライヴの時に主役歌手が完調であったらなあと思わざるを得ない。もしそうだったならどれほど素晴らしいライヴ・アルバムができあがっていたかと、僕はちょっぴり残念なのだ。モダン・ポップ・カッワーリーの大傑作になっただろうなあ。
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