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2016/12/17

ビルヒニアの歌うボレーロってチャーミングだね

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僕が小学校低学年の頃、父親が熱心なマンボ・ファンで、ペレス・プラード楽団その他の8トラ(死語?)・カセットばかりクルマのなかでかけていたという話はもう何度もしているが、なんでもその時代の日本のラテン音楽ファンは、ペレス・プラード派とトリオ・ロス・パンチョス派に分れていたんだそうだ。

 

 

なんてことを僕が知ったのはもちろん随分あとになってのこと。父は熱心なマンボ・ファンで、僕が助手席に座っている時にもそんな8トラばっかり流していたので、僕も小学校低学年の頃には「マンボ No. 5」などのメロディも曲名も憶えてはいたが、そんな素地が花咲くのはかなりあとになってだ。

 

 

ペレス・プラードに代表されるマンボ派はいわばダンス好きで、パンチョスに代表されるトリオ派はいわば歌謡好きってことかなあ?しかし若い頃は熱心なマンボ好きだった僕の父は、亡くなる前20年間ほどは熱心な演歌好きになったので、歌謡好き資質もあったんじゃないかと思うんだよね。

 

 

僕が生まれたのは1962年なので、父のマンボ好きはおそらく50年代中頃から60年代末頃までのことだったんだろう。世界中で大流行したマンボの日本におけるブームっていつ頃のことだったんだろう?そんな事情にあまり詳しくない僕だけど、しかし地方都市だし時代を考えてもブームが来るのは遅れたかもね。

 

 

いずれにしてもマンボ好きだった父が踊っているのを僕は見たことがない。聴いて楽しそうにしているだけだった。さてペレス・プラードに代表されるダンサブルなマンボ派と、トリオ・ロス・パンチョスに代表される歌謡派。日本でのことは知らないが、アメリカ大陸では1950年代が最盛期かなあ。

 

 

北米合衆国〜メキシコを中心としてマンボ派とトリオ派がしのぎを削ったのは、おそらく1940年代末〜50年代のことなのかもしれない。CBS と RCA ヴィクターというアメリカの二大メジャー・レコード会社がメキシコに進出したのが1946年のことらしいからね。その後の50年代が最盛期だろうなあ。

 

 

それまでのラテン音楽の中心地は北米合衆国のニュー・ヨークだったのだ。それが1940年代末からメキシコに移行する。メキシコに進出した CBS はロス・パンチョスを、RCA はペレス・プラードを専属音楽家として迎え、49〜50年頃から両者ともメキシコを舞台に大活躍することとなった。

 

 

ペレス・プラードとマンボの話は今日はおいておく。そんな1940年代末〜50年代にトリオを伴奏に(することが多かった)ボレーロを歌った女性歌手がいる。ビルヒニア・ロペスだ。ビルヒニアはプエルト・リコ移民の両親のもとニュー・ヨークで生まれ育ったのだが、活躍した舞台は主にメキシコ。

 

 

それで今日はビルヒニア・ロペスのことをちょっと書いてみたいのだ。といっても僕がこの女性歌手の名前を知ったのはかなり最近の話で、中村とうようさん編纂の『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』という2002年リリースのライス盤に一曲ビルヒニアの歌が入っていたからだ。

 

 

ビルヒニアは前述の通りプエルト・リコ系なので同国の作曲家の歌をやっているというわけだ。とうようさん編纂の『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』13曲目にあるビルヒニアが歌うのはフローレスの「恋の執念」(オブセシオン)。これは実に見事な一曲で、選ばれるのはよく分る。

 

 

その「恋の執念」一曲しか僕はビルヒニアを知らなかったのだが、その後田中勝則さん編纂で2014年に『プエルト・リコのボレーロ姫』というディスコロヒア盤がリリースされ、これは全26曲収録とたっぷりビルヒニアの歌を楽しむことができるようになって感謝感激。田中勝則さん、お世話になってます。

 

 

というわけでその田中勝則さん編纂のディスコロヒア盤『プエルト・リコのボレーロ姫』に沿って話を進めたい。ボレーロは、19世紀末頃かなあ、キューバで誕生した歌曲形式の一つだけど、キューバ以外のスペイン語のラテン圏全域にも広く普及しているもので、ゆったりとした甘いバラード。

 

 

ボレーロの甘くてソフトなフィーリングは、要するに1940年代末〜50年代〜60年代初頭あたりのフィーリンの祖先。というかほぼ同じものだ。僕みたいな人間はボレーロとフィーリンは区別できない。実際ビルヒニア・ロペスもボレーロと並びフィーリンもたくさん歌った。

 

 

だから『プエルト・リコのボレーロ姫』にはフィーリンも収録されている。10曲目の「あなたが去ってゆくとき」と11曲目の「こんなに幸せ」。後者「Soy Tan Feliz」はホセ・アントニオ・メンデスの曲で『フィーリンの真実』に2ヴァージョン収録されている。どっちもギター弾き語りだ。

 

 

ビルヒニアの「こんなにも幸せ」は、その前10曲目の「あなたが去ってゆくとき」と同じくオーケストラ伴奏で歌っている。それにしてもこういうビルヒニアのフィーリン録音を聴くと、軽くてソフトでちょっぴりモダンな感じかもなあとは思うものの、それ以前とそれ以後収録のボレーロとの本質的な違いは聴き取れない。

 

 

『プエルト・リコのボレーロ姫』で僕が本当に溜息が出るほど素晴らしいと思うのは、11曲目のフィーリンの次12曲目「幸せになろうよ」から23曲目の「ベサメ・ムーチョ」までだ。それらの曲でのビルヒニアの歌は、もう的確に表現できる言葉がないねと思うほど素晴らしく聴き惚れるしかない。

 

 

特にとうようさんが『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』に収録した、『プエルト・リコのボレーロ姫』13曲目の「恋の執念」。ペドロ・フローレスの作曲も見事なら、ビルヒニアの歌唱にも絶賛の言葉しか浮かばない。伴奏のレキント(ギターの一種)もタメの効いたいい演奏だ。

 

 

 

14曲目「ふたりの誓い」もマイナー調の哀愁ラテン歌謡で、13曲目「恋の執念」と同じくらい素晴らしい。伴奏のレキントもビルヒニアの歌もタメが効いていて、日本の演歌に通じるものがある。僕の父親が晩年は熱心な演歌好きで、僕も少し演歌好きなのは、こんな部分と関係あるのかなあ、どうだろう?

 

 

「恋の執念」を書いたペドロ・フローレスの名前を出したけれど、とうようさんが『歌の国プエルト・リコ〜エルナンデスとフローレスの世界』というアンソロジーを編んだくらいで、ラファエル・エルナンデスもプエルト・リコの作曲家では最重要存在の一人。ビルヒニアも当然のように何曲も歌っている。

 

 

『プエルト・リコのボレーロ姫』では12曲目「幸せになろうよ」、24曲目「プレシオーサ」、25曲目「ボリンケン哀歌」がエルナンデスの書いた曲。後者二つはエルナンデスのニュー・ヨーク時代の作品だが、「幸せになろうよ」はメキシコ時代に書いたボレーロ。レキントの伴奏もビルヒニアの歌も楽しそう。

 

 

 

「ボリンケン哀歌」はカエターノ・ヴェローゾが『粋な男』や『粋な男ライヴ』でやっているので、そちらでもかなり有名になっているだろう。ビルヒニアの『プエルト・リコのボレーロ姫』では12曲目のエルナンデス「幸せになろうよ」から17曲目「そしてそのとき」までがプエルト・リコのボレーロだ。

 

 

 

その後18曲目「ヌンカ」から23曲目「ベサメ・ムーチョ」まではメキシコのボレーロを歌っている。その前のプエルト・リコのボレーロを歌った六曲と同じトリオの伴奏によるもの。中心がレキント奏者のフニオール・ゴンサレス。このフニオールが伴奏者だった時代がビルヒニアの最も良かった時代だね。

 

 

 

 

フニオールの伴奏でプエルト・リコ作曲家の曲を歌った12曲目から17曲目までの六曲が、オリジナルはアルバム『ビルヒニア・エン・プエルト・リコ』収録。同じ伴奏でメキシコの作曲家の曲を歌った18曲目から23曲目までの六曲のオリジナル収録盤が『ラ・ボス・デ・ラ・テムラ・カンタ・ス・カンシオン・ファボリータ』。

 

 

フニオールがビルヒニアの伴奏をやったにのはこれら二枚のアルバムしかなく、それら二枚から中心に選ばれて収録された12曲目「幸せになろうよ」から23曲目の「ベサメ・ムーチョ」までが、『プエルト・リコのボレーロ姫』ではビルヒニアの歌も最も素晴らしく輝いている。

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コメント

ぼくの父親も、当時のラテン音楽ブームになった口で、新橋のフロリダ(当時のダンスホール)でぼくの母親となった女性を口説いて結婚したという人です(笑)。ぼくが生まれた頃は、とうようさんの初の単著『ラテン音楽入門』を愛読書にして、レコードを買い集めていたようです。

「日本のラテン音楽ファンは、ペレス・プラード派とトリオ・ロス・パンチョス派に分れていた」という話はぼくの父から聴いたことはありませんが、「マンボNo5」は父のレコードに合わせて踊るぼくの十八番だったし(当時2歳)、はじめてコンサートに父親に連れて行ってもらったのはトリオ・ロス・パンチョスで、新宿の厚生年金会館ホールで父親の膝で聴きました。

「マンボ好きだった父が踊っているのを僕は見たことがない。」というのは、わかるような気がします。ぼくの父も、あれほどラテン音楽好きだったくせに、見事なまでにリズム音痴でした。あの世代は、3拍子も4つで叩いちゃうというほど、リズムがわからない人がざらで、クラーベなんて全然わかりませんでしたね。大学生の頃、父にクラーベを教えましたけれど、結局体得できませんでしたから。それでもリスナーとしての耳は確かだったと思います。ラテン・ブームは60年代末までは続かず、60年代中頃くらいまでだったようですよ。

bunboniさん、ちなみに僕の祖父は熱心な浪曲好き、というか今考えたら単に三波春夫の歌謡浪曲だけだったんですけど、熱心にレコードを買っては初孫だったので可愛かったのか、むりやり僕に聴かせていました。僕は案外それが嫌いではなく、だんだんと自分から進んで三波春夫のレコードを聴くようになり、小学校低学年で「俵星玄蕃」などはレコードに合わせて歌っていました。これ、以前一度書いたかもしれません。

ただ、bunboniさんの二歳で「マンボ No.5」には誰も勝てません!僕は二歳の時の記憶はないです。

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