ビ・バップ全盛期の二大巨頭共演ライヴ
ディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーがライヴで共演した1945年6月22日のニュー・ヨークはタウン・ホールでのコンサート。これを実況録音したものが2005年に CD で発売されている。これはもんのすごく貴重な録音なんだよね。なぜならばジャズの新スタイルであるビ・バップというものが確たるものとして公の聴衆の前で披露された、それもディジーとバードという二台巨頭の共演で実現した最初の機会だからだ。
その共演録音盤 CD のタイトルは『ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー:タウン・ホール、ニュー・ヨーク・シティ、ジューン 22、1945』。Uptown という僕はよく知らないレーベルから出ている。元々これは12インチのアセテート盤七枚に録音されていたものらしい。
そのアセテート盤七枚をアップタウンのオーナーであるロバート・サネンブリックが入手したことが2005年の CD 化に繋がったらしい(と附属ブックレットの英文解説でサネンブリック自身が書いている)。それにしてもスタジオ録音でならしばしば共演したディジーとバードだけど、ライヴ共演が聴けるものってあまり多くないよなあ。『ジャズ・アット・マッシー・ホール』が昔から有名だけど、あれは1953年だからなあ。
1945年6月というとまだ第二次大戦も終っていないのだが、ビ・バップ自体は既にそのかたちを整えていた。その中心人物だったディジーとバードが初めて出会ったのは1940年のことだったらしい。40年というとディジーはキャブ・キャロウェイ楽団、バードはジェイ・マクシャン楽団在籍時だ。
初「共演」が実現したのが1942年。この年にバード在籍のジェイ・マクシャン楽団がニュー・ヨーク公演を行って、サヴォイ・ボールルームその他で演奏。それにディジーが参加したわけではないのだが、アフター・アワーで共演セッションなどすることがあったらしい。
正式な初共演は翌1943年。この年にアール・ハインズ楽団がディジーとバードの二人を同時に雇ったのだ。つまりその43年にはバードもカンザス・シティを離れニュー・ヨークに住み定期活動するようになっていたんだなあ。しかしその当時のアール・ハインズ楽団で二人同時の音が聴ける共演音源は残されていないのが残念。
録音上でのディジーとバードの初共演は、アール・ハインズ楽団在籍時の1943年2月15日に、シカゴのサヴォイ・ホテルでやったライヴ録音の「スウィート・ジョージア・ブラウン」。これは78回転SP二枚にわたりパート1とパート2に分割されて発売され、現在でもパーカー名義の『バース・オヴ・ザ・ビ・バップ』というアルバムに収録されている。
しかしそれを「ビ・バップ二大巨頭の初ライヴ共演」と呼んでもいいものかどうか、僕はちょっと迷ってしまう。二人とも、特にバードの方はまだ少しスタイルを確立しきれていないような部分が聴き取れるからだ。ちなみにバードがしっかりしたビ・バッパーとなったと言えるのは、僕の見解では1944年9月のサヴォイ・レーベルへの録音開始からだ。
もっともバードのサヴォイ初録音は彼の自己名義ではなく、タイニー・グライムズ・クインテットでのものだけど、アルト・サックスのスタイルはもうはっきりと確立している。バード自己名義の初スタジオ録音は案外遅くて、1945年11月26日のサヴォイ録音だ。既にマイルス・デイヴィスがレギュラー・メンバーになっていて、「ビリーズ・バウンス」「ナウズ・ザ・タイム」などを録音している。
そんなわけなので、1945年6月22日(はまだバード自己名義録音も存在しない)にニュー・ヨークのタウン・ホールでやったディジー&バードの共演ライヴは、このビ・バップの象徴二人が揃ってステージに立ち、公の聴衆の前で「これが新しいジャズ、ビ・バップというものです」と演奏してみせた最初の機会だったと言えるはず。
その時のタウン・ホール・コンサートはディジー・ガレスピー・クインテット名義で、ディジー、バード二人の他は、ピアノのアル・ヘイグ、ベースのカーリー・ラッセル、ドラムスのマックス・ローチという編成。ビ・バップ好きならよく知っている名前ばかりだね。
でもこれは正確じゃない。一曲だけテナー・サックスのドン・バイアスが参加して六人編成になり、さらに他の一曲では五人のままドラマーがマックス・ローチからシドニー・キャトレットに交代している。ドン・バイアス参加の理由ははっきりしている。
この時のタウン・ホール・コンサートの MC があのシンフォニー・シッドだが、一曲目の「ビバップ」演奏前の紹介で、「ディジー・ガレスピー・クインテットで、チャーリー・パーカーをフィーチャー…、と言いましてもチャーリーはまだ到着していませんので、代わってドン・バイアスが準備万端であります」と喋っているのだ。
この1945年6月22日のタウン・ホール・コンサートは二部構成で、一部がディジー・ガレスピー・クインテット、二部がエロール・ガーナー・トリオにドン・バイアスがゲスト参加するというものだった。バードがなかなか来ないので、それでおそらくは楽屋で待機していたか既に舞台袖でスタンバッていたドン・バイアスをピンチ・ヒッターに起用したんだろうなあ。
その一曲目「ビバップ」では一番手のソロがドン・バイアス。ドン・バイアスは一応スウィング・スタイル、あるいは中間派テナーとされているが、なかなかどうしてモダンなサックス・ソロを吹いているじゃないか。二番手でディジーがソロを吹くが、それは説明不要の完全ビ・バップ・スタイル。
ディジーのソロが終るとアルト・サックスの音でソロが聴こえはじめるので、ここでバードが到着したっていうことなんだろう。バードのソロを聴いていると、まあまあモダンで悪くないと思っていたドン・バイアスのテナー・ソロが、突然遠くにかすんでしまう。
「寄らば斬るぞ」というようなスリリングな緊張感を持ったバードのソロ。僕の本音を正直に告白すると、こういう聴き手にも緊張を強いるような音楽はややしんどくて、もうちょっとリラックスして寛げる音楽の方がいいなあとも思うのだが、まあしかしホント空前絶後の超天才サックス奏者ではあったよなあ。
そんなバードの天才ぶりがよく分るのが二曲目の「チュニジアの夜」。お馴染のテーマ吹奏が終った直後のブレイク部分で、バードはかの「フェイマス・アルト・ブレイク」に匹敵する吹きっぷりを披露しているのだ。「フェイマス・アルト・ブレイク」とは、1946年3月ダイアル録音の「チュニジアの夜」の失敗テイクのこと。
1946年3月28日のダイアル録音では「チュニジアの夜」を五回演奏し、完奏テイクは現在4テイク目と5テイク目が発売されている。五回のうちファースト・テイクのブレイク部分で吹いたバードのソロがあまりに素晴らしいもので、しかしバンド全体の演奏は全く使いものにならない失敗だった。
しかしそのブレイク部分のバードのソロのずば抜けた閃きと輝き、緊張感は、このまま廃棄してしまうに忍びないものだと判断したダイアルのロス・ラッセルも、LP 時代になってその「チュニジアの夜」の失敗テイクのブレイク部分だけを「フェイマス・アルト・ブレイク」という名で発売したのだった。もちろん今でも CD で聴ける。
そんなスリリングなアルト・ブレイクを、バードはダイアル公式録音の約一年前にタウン・ホールでの生演奏で披露していたんだなあ。だから既に自身のビ・バップ・トランペット・スタイルを確立していたディジー同様、1945年のタウン・ホール・コンサートでは、完璧に姿かたちを整えたビ・バップの生演奏をやっていたということだ。
三曲目「グルーヴィン・ハイ」、四曲目「ソルト・ピーナッツ」はどちらもディジーの書いたビ・バップ有名曲。といっても多くのビ・バップ・スタンダードの例に漏れず、前者は古い有名曲「ウィスパリング」(ポール・ワイトマン)のコード進行を使っている。
さて、CD アルバム『ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー:タウン・ホール、ニュー・ヨーク・シティ、ジューン 22、1945』のジャケ裏やブックレットに書いてあるクレジットでは、四曲目「ソルト・ピーナッツ」と五曲目「ホット・ハウス」でのドラマーがシドニー・キャトレットだとなっているのだが、これは間違いだね。
ドラムス・ソロまである「ソルト・ピーナッツ」でのドラミングは、どう聴いてもビッグ・シドのスタイルではない。三曲目まで叩いているとなっているマックス・ローチのスタイルに間違いないと僕の耳には聴こえるね。特にスネアとバスドラの使い方を聴くと、これには自信がある。
シドニー・キャトレットが叩くのは五曲目のタッド・ダメロン・ナンバー「ホット・ハウス」だけだ。この曲でのドラミングと、四曲目までのドラミングの違いは鮮明だし、MC のシンフォニー・シッドも「ホット・ハウス」の演奏前に、「ここで少し趣向を変えましてシドニー・キャトレットを迎えます」と喋っているじゃないか。
ところでそのシドニー・キャトレット。以前ソニー・ロリンズ関係で書いたように、スウィング期のドラマーにしてモダン・ドラミングへの橋渡し役ともなった重要人物なんだけど、そのロリンズの『サクソフォン・コロッサス』で叩いているのが、今日の話題1945年タウン・ホール・コンサートでも叩いているマックス・ローチなわけだ。
タウン・ホール・コンサートの四曲目「ソルト・ピーナッツ」までのドラミングと五曲目「ホット・ハウス」でのそれには、誰が聴いても分る鮮明な違いが表面的なスタイル上はあるので、やはりスウィング期ドラマーとモダン期ドラマーは違うよなとなってしまうだろう。
だがその違いは本質的なことじゃないんだよね。「ホット・ハウス」でのシドニー・キャトレットのドラミングは、ディジーやバードやアル・ヘイグら生粋のビ・バッパーに混じってもほぼ違和感がない。ビ・バップのリズム感覚は、それまでのジャズにはない全く斬新なものだったとなっているんだが、案外伝統的な部分もあるんだよね。
そんな「ホット・ハウス」に続き、アルバム『ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー:タウン・ホール、ニュー・ヨーク・シティ、ジューン 22、1945』では、ラストでこれまたお馴染のビ・バップ・スタンダード「52丁目のテーマ」(セロニアス・モンク作)を短く演奏して終了する。
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