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2016/12/07

「汚く」濁った声でのハード・スクリームで実感するアメリカ黒人音楽の「美しい」昂揚感

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アーチー・ブラウンリーがいた頃のファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピの録音集を僕は CD で 三枚持っている。リリース順に1987年の P ヴァイン盤『ジ・オリジナル・ファイヴ・ブラインド・オヴ・ミシシッピ』、89年の CEDAR(と書いてあるがなんだこりゃ?)盤『ユー・ダン・ワット・ザ・ドクター・クドゥント・ドゥー』、99年の中村とうようさん編纂のMCAジェムズ・シリーズの一枚『ゴスペルの真髄:ブラインド・オヴ・ミシシッピ 1950-1974』。

 

 

これら三枚のうち、P ヴァイン盤はヴィー・ジェイ録音集なので他の二枚とはダブらない。問題は CEDAR と書いてあるものととうようさん編纂のだなあ。CEDAR と書いてあるものを見るとチェコスロバキア製となっている。Gospel Jubilee とも書いてあるが、どっちがレーベル名だろう?

 

 

とにかくそのチェコスロバキア製 CD ととうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズの一枚は内容がかなりダブっている。とうようさん編纂のは MCA 系だから当然ピーコック原盤の録音集だが、チェコスロバキア製の CEDAR(だか Gospel Jubilee だか)とかいうのもピーコック録音集なのだ。

 

 

僕がアーチー・ブラウンリーというもんのすごいハード・シャウター(というか実際聴いてみたらスクリーマーだね)がいるというのを知り、彼が在籍したブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピというゴスペル・カルテットを是非聴きたいと思って最初に買えたのが、その CEDAR だとか書いてあるチェコスロバキア製の1989年盤 CD なのだ。

 

 

ヴィー・ジェイ録音を収録したPヴァイン盤 CD の方が二年早く出ているが、その1987年頃は僕の場合まだこのゴスペル・カルテットとアーチー・ブラウンリーのことは知らなかった。チェコスロバキア製の CD を聴いたらとんでもなくものすごくて、聴きながら椅子から転げ落ちそうになるほどビックリして激しく感動し、それで慌てて CD ショップに行き探して P ヴァイン盤も見つけて買ったのだ。

 

 

アーチー・ブラウンリーみたいなドロドロに濁った声でシャウト、というかスクリームする歌手こそ最高に「美しい」と心底感動するわけだから、そりゃオペラ歌手などクラシック音楽の声楽家やなんかどこがいいんだかサッパリ分らんわけだよ。上記 MCA ジェムズ盤の解説文で中村とうようさんも全く同じことを書いているなあ。

 

 

逆にクラシックのオペラ歌手がキレイな声だ、素晴らしいと感じる大勢のリスナーの方々にとっては、アーチー・ブラウンリーみたいな歌手は「汚さ」の極致に違いない。しかしファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピの録音集を聴いていると、アメリカ黒人音楽の昂揚感とはまさにこういうものだ!と信じるものだね。

 

 

P ヴァインが CD リリースしているヴィー・ジェイ録音も素晴らしい。ピーコック録音になんら劣るところはない。特に七曲目「レッツ・ハヴ・チャーチ」とか八曲目「アイム・ウィリング・トゥ・ラン」なんか壮絶の一言で、黒人教会におけるサーモンとはこういうものなのかと思うド迫力。

 

 

またヴィー・ジェイ録音では伴奏のギターがあのウェイン・ベネットだったりするものがあったりもして、ブルーズ・ファンだって聴き逃せないものなのだ。しかしそんな P ヴァイン盤の話までしている余裕はないので、今日はピーコック録音集 CD 二枚だけに限ることにする。

 

 

さてアーチー・ブラウンリーの声が凄い、ドロドロに濁っている、そんな「汚い」声でハード・シャウトというかスクリームしていて、昂揚できることこの上ないと書いたけれど、ひょっとしてまだご存知ない方がいらっしゃるかもしれないので、ちょっとご紹介しよう。チェコスロバキア製 CD でもとうようさん編纂のでも一曲目の「ジーザス・ゲイヴ・ミー・ウォーター」。

 

 

 

この曲は1950年録音で、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピはまだア・カペラ・グループだった頃のものだ。ゴスペル・カルテットというよりちょっぴりジュビリー・スタイルが残っているが、特に後半とんでもない声で叫ぶアーチー・ブラウンリーのスクリームを聴いてほしい。

 

 

同じ1950年録音でドラムス一台が伴奏の「アワ・ファーザー」。これはチェコスロバキア製 CD には収録されていない一曲だが、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピ最大のヒット曲だ。ピーコックでのセカンド・セッションでの収録曲で、このあたりから楽器伴奏が入りはじめて感じが変わる。

 

 

 

またこれもファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのピーコック録音中最も素晴らしいものの一つ「イン・ザ・ウィルダネス」。チェコスロバキア製 CD では四曲目、とうとうさんのでは五曲目。これが両方に収録されているのは納得というか当然だ。

 

 

 

この曲でのアーチー・ブラウンリーも、特に中盤から後半すんごい濁った声でスクリームするが、こういうのこそ僕たちアメリカ黒人音楽ファンは「美しい」と心の底から実感するんだよね。クラシックのオペラ歌手など声楽家や、そういうのを基準にしてやっている大衆音楽歌手の澄んで「キレイな」声の歌手などではなくてね。

 

 

チェコスロバキア製 CD のアルバム・タイトルになっている「ユー・ダン・ワット・ザ・ドクター・クドゥント・ドゥー」。だから当然それに収録されているが、とうようさん編纂のにも収録されている1959年録音。「ジーザス・ゲイヴ・ミー・ウォーター」や「イン・ザ・ウィルダネス」などと並び、これが収録されないなんて考えられないから当たり前だ。

 

 

 

お聴きになれば分るように、これまたアーチー・ブラウンリーのド迫力の「汚い」声でのスクリームがすごく「美しい」。さらに楽器伴奏が既にかなり賑やかだ。少なくともギター、ピアノ、ベース、ドラムスは聴き取れる。ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピは1952〜54年あたりから徐々にこんな感じになって、サウンドの彩りが豊かになる。

 

 

この「ユー・ダン・ワット・ザ・ドクター・クドゥント・ドゥー」を録音した1959年1月は、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのピーコック復帰セッションで、その前56〜58年はヴィー・ジェイに吹込んでいた。それらから収録したのが上記 P ヴァイン盤だ。

 

 

音源を紹介してきたアーチー・ブラウンリーのこういったドロドロの濁声スクリーム、ハード・シャウトこそ、そして彼のそんな声と歌い方を支えるこのゴスペル・カルテットのリズムこそが、中村とうようさんはじめ、僕たちアメリカ黒人音楽ファンにとっては音楽の理想形としての声、歌い方、スタイルなんだよね。

 

 

MCA ジェムズ盤のとうようさんの解説文によれば、とうようさんはエルヴィス・プレスリーが RCA から第一弾シングル「ハートブレイク・ホテル」をリリースして大ブレイクする前年に、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのヴォーグ盤 LP を聴いて、離れられなくなったんだそうだ。

 

 

僕はそんなファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピを LP 時代に全く知らなかったので、それだけは痛恨の極みだが、しかしアナログ盤 LP ではちゃんとしたものがなかったらしいので、CD 時代になってしっかりリイシューされたもので聴けて幸福なのかもしれない。

 

 

そんなファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのピーコック録音集で僕が初めて知ったのが、書いているように1989年のチェコスロバキア製 CD で、これでぶっ飛んでタマゲてしまい、僕もまたとうようさん同様離れられなくなってしまった。くどいようだがクラシックのオペラ歌手やなんか聴いている方々には、そんなとうようさんや僕の気持は到底理解できないだろう。

 

 

チェコスロバキア製 CD は、音楽家名がアーチー・ブラウンリー・アンド・ザ・ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピになっていて、だから当然アーチーをリード歌手とした時代のピーコックへの1948〜59年の録音だけを全部で18曲収録したもの。

 

 

それに対しとうようさん編纂の MCA ジェムズの一枚は、1960年にアーチー・ブラウンリーが亡くなって以後の録音もかなり含まれているのが最大の違い。とうようさんのではアーチー時代の録音は16曲目までで、それ以後の10曲は当然リード・シンガーが違う。最後の一曲は1974年録音だ。

 

 

僕としてはチェコスロバキア製 CD でアーチー・ブラウンリーのあの声に激しく感動したわけだから、彼が死んでしまったあとのファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピなんか聴いたって仕方がないだろうとか、正直言ってそんな気分で、とうようさん編纂のものが1999年にリリースされた当時も、17曲目以後はそんなに熱心には聴いていなかった。

 

 

今回ちょっと気を取り直して17曲目以後を真剣に聴いてみたら、これはこれでなかなかいいなあ。というか大健闘でアーチー・ブラウンリー亡きあともそんなにレベルを落とさず水準を保ちながら活動していたことがよく分る。特に22曲目以後のヘンリー・ジョンスンはいいリード歌手だ。

 

 

そりゃアーチーと比較するなんてことは誰にとっても不可能だけど、それでも(おそらく)1964年加入のヘンリー・ジョンスンはなかなかの歌唱力の持主で、アーチーのあの恐怖すら感じるド迫力の濁声スクリームをまあまあ受け継いでいる。

 

 

特にいいのが24曲目の「ジーザス・ロウズ」。やはり当然ピーコックへの1964年録音。こりゃ素晴らしいリードじゃないだろうか。アーチーに肉薄すらしていないけれども、なかなかのスクリームぶりで迫力満点だ。まあでも MCA ジェムズ盤のとうようさんの解説も、アーチー時代の曲に比べたらアッサリとしてはいる(笑)。

 

 

 

それにしてもアーチー・ブラウンリー在籍時代のファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピのピーコック録音って何曲あるだろう?全部聴きたいんだが、コンプリート集みたいなものって見たことないよなあ。ゴスペルはアメリカ黒人音楽でもジャズやブルーズよりリイシューが遅れているから仕方がないのか。

 

 

そんなジャズやブルーズですら、古いものは本家レーベルがなかなか完全集にして復刻リイシューしたがらないというのが事実だから、ましてやゴスペルなんか放ったらかしなのかもしれない。ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピにしたって、ピーコック録音を本家筋からリイシューしたのはとうようさんのだけだもんなあ。

 

 

そんなわけなので、収録内容が少し異っているチェコスロバキア製 CD ととうようさん編纂の一枚のと、それらを曲目をダブらないようなプレイリストを自分で作って CD-R に焼いて楽しんでいる僕。なかには前者収録曲で後者には入っていない素晴らしい曲もあったりするからね。

 

 

そんなのでファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オヴ・ミシシッピを聴いていると、本当にこういう声と歌い方とハーモニーとリズムこそが、ディープ・ソウルの高揚感、ファンクの強烈な持続力などなど、音楽の内部から湧き出る抗いがたい肉体的かつスピリチュアルな強い快感の根底にあって、それこそがアメリカ黒人音楽の髄だと、心底痛感する。

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コメント

今から30年ほど前に知人から借りたファイブブラインドボーイズミシシッピのアナログレコード。
十字架に両手を組み合わせた黒人さんの手  正直怖いなぁと思い、借りるのを躊躇した記憶があります。
toshima様 今回の記事でアーチー・ブラウンリーという名前を知る事が出来ました!
これに限らず色々面白そうな情報が得られそうで楽しみです!じっくり拝見させて頂きます。
ありがとうございました。

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