二拍子と三拍子がカリブでクロスした「アメリカ」の混血音楽
欧州列強による植民地支配。あれは悪いことばかりだったというのが一般的な認識かもしれないが、こと世界のポピュラー・ミュージックの歴史を考える際には、そうとばかりも言切れない。と言うと誤解されそうだけど、あれがなかったらポピュラー・ミュージックは今のような姿じゃなかったはずだし、ひょっとして誕生すら遅れていたかもしれない。
例えば20世紀大衆音楽では最も売れている北米合衆国(産)音楽。もちろん全て混血音楽だ。北米大陸がスペインに植民地支配され、その後英国による支配、その結果奴隷としてアフリカから大勢の人間が来るという、いわば北米大陸+ヨーロッパ+アフリカという史上空前の文化衝突がなかったら、ジャズもブルーズもロックもなにもかもなかった。
そんなことはない、カントリー・ミュージックやブルーグラスは純白人音楽で、ブルーズなどは純黒人音楽だとおっしゃるかもしれないが、一例をあげればカントリーやブルーグラスでは実によくバンジョーを使うよね。バンジョーはアメリカにおいて黒人が造り出したアフリカ由来の楽器だ。
真っ黒けなものだと思われているブルーズにもヨーロッパ白人的な要素はある。これも一例をあげるにとどめておくが、誕生期の初期型ブルーズはバラッド色が濃い。そんな欧州〜英国〜アイルランド由来のフォーク・ミュージック的な要素は、第二次大戦後のモダン・ブルーズでも聴ける。
そんな北米合衆国音楽は中米カリブ音楽の影響が強いのはもちろんの話。そもそもカリブ地域での音楽文化揺籃がなかったらアメリカ大衆音楽は少し遅れてしか誕生しなかったかもしれないし、誕生後もその姿はかなり異なるものになっていたはず。そんなカリブ地域の音楽文化も混血的だ。
すなわち原住民と、植民地支配したスペインなど欧州各国と、そこで働かせるためにアフリカから強制移住させた黒人たち。これら三種類の持つ文化が衝突・合体・融合して、あるいはひょっとして世界初のポピュラー・ミュージックがカリブ地域で誕生した。
と簡単に言っているが「カリブ地域」の定義はちょっと難しい。キューバ、ハイチ、ドミニカ、プエルト・リコなどを含む大アンティル諸島と、小アンティル諸島と、ドミニカ、マルティニーク、トリニダード・トバゴなどを含むウィンドワード諸島から成るというのが一般的な地理的認識のはず。
けれどもポピュラー・ミュージックの世界では、「カリブ」のなかに海域ではない中米地域や、南米大陸の一部であるコロンビア、ベネスエーラ、フランス領ギアナなども含めて考えた方が面白いし、そうしないと分りにくいことがある。北米大陸の一部であるメキシコはもちろん入れないといけないし、場合によっては北米合衆国の南部地域、例えばニュー・オーリンズを含むルイジアナなどは入れた方が楽しい。
なお今日の記事タイトルの一部にし、内容もここまで全て「アメリカ」の話だが、ここで言う「アメリカ」とは United States of America のことではない。そもそも「アメリカ」という言葉は一国を指すものではない。南中北のあの大陸(と場合によっては海域も含め)全体を指す地理的名称だ。それを一国名として使ってしまうのは本当はオカシイ。
僕も普段からアメリカ、アメリカと言うが、主にそれはあの国のことを指すのが明確である場合であって、カリブ中南米の音楽、すなわちラテン(・アメリカ)音楽と並べて話をする際には必ず「北米合衆国」と書いてきているはずなのは、みなさんお気付きだろう。アメリカ= USA みたいな発想が僕は嫌いなんだよね。
かつての僕の専門は英語で書かれた北米合衆国小説であったにもかかわらず、一度もアメリカ文学会に所属したことがない。単なる学会嫌いなだけでもあるんだけど、「アメリカ文学」会を名乗っているのに、20世紀半ば以後はあれだけ隆盛のラテン・アメリカ文学を全く扱わないのが許せないからだ。
アメリカ文学会の世話役の方からは、こないだの論文が面白かったからそれ関連の話を学会でしてくれ、学会誌に書いてくれと何度も言われたが、全て断っていた(のもオカシイんだが)。そうして僕は北米合衆国のディープ・サウスの小説家であるウィリアム・フォークナーとラテン・アメリカの小説家、例えばコロンビアのガブリエル・ガルシア・マルケスやチリのホセ・ドノソとの関係、そしてそれが北米合衆国にフィード・バックしたようなスティーヴ・エリクスンなどについて書き続けていた。
そんな仕事を学者が読むものではない一般の刊行物でやるのを、僕が28歳の時に初めて紹介してくださったのは、以前も一度話をした篠田一士さんなのだ。篠田さんは定年退職したら「真の意味での」アメリカ文学会を作るからと常日頃からおっしゃっていたのだが、定年を迎えるその年に急死してしまった。アルゼンチンのホルヘ・ルイス・ボルヘスを日本で初めて紹介したのは篠田さんなんだよね。
話が音楽となんの関係もない方向へそれているが、僕は専門分野でもそんな人間だったのであって、音楽についても北米合衆国の音楽と中南米カリブの音楽を結びつける傾向が以前から強い。それら全てひっくるめて初めて真の意味での「アメリカ音楽」と言えるんだと思っている。
話を戻してカリブ音楽というものに、世間一般でいういわゆるカリブ地域だけじゃなく南北米大陸地域の音楽の一部も含めた方がいいというのは、中村とうようさん編纂の『カリビアン・ミュージック・ルーツ』(2002年、オフィス・サンビーニャ)でも明言されている。というか僕のこれは正直に言えばとうよう説の丸写しだ。
とうようさんは岩波新書『ポピュラー音楽の世紀』で「ラ・パローマ」をとりあげて、スペイン人作曲家の書いたものだとはいえキューバ音楽的であるこの曲こそが、世界のポピュラー音楽の誕生を告げる最重要曲だと指摘していた。僕が「ラ・パローマ」をコレクトするようになったのは、それを読んで強い感銘を受けたからだ。
オフィス・サンビーニャ盤『カリビアン・ミュージック・ルーツ』は、そのカリブ地域=世界のポピュラー音楽揺籃の地というとうようさんの自説を、実際の音源を並べて実証したようなCDアルバムだ。といってもカリブ地域の音楽に限定されているので、スペイン楽曲「ラ・パローマ」は含まれていない。
そして上で書いたようにいわゆるカリブ地域の音楽だけでなく、コロンビア、ベネスエーラ、ペルー、ブラジルといった南米大陸音楽もかなり収録されているし、それに加え北米大陸の一部であるメキシコと、そして一曲だけ北米合衆国の音楽家の録音もあるんだよね。
それが僕も上で書いた南部ルイジアナはニュー・オーリンズの人であるジャズ・マン、シドニー・ベシェのものだ。『カリビアン・ミュージック・ルーツ』にあるベシェは20曲目の「トロピカル・ムーン」で1939年録音。ベシェは52年に「可愛い花」(Petite Fleur)を書き、日本でもザ・ピーナッツが59年に歌ってデビューしたので有名なはず。
そんなベシェはニュー・オーリンズ生まれのクリオール(Creole はフランス語由来の言葉だから「クレオール」表記が正しいが、英語文脈ならクリオールだ、が Sidney Bechet はフランス系の名前)であって、クリオールはジャズ誕生期のニュー・オーリンズで大きな役割を果たした。ニュー・オーリンズはそもそもカリブ海に繋がる港町だ。
『カリビアン・ミュージック・ルーツ』20曲目のベシェ「トロピカル・ムーン」を聴くと、1939年録音にしてはかなりラテン風味が強いというか、アフロ・キューバンなラテン・ジャズが多くなるのは一般的には40年代以後だから、やはりカリブに繋がるニュー・オーリンズの人間だけあるなという感じだ。
もっともルイ・アームストロングやデューク・エリントン楽団その他が1930年あたりに、当時大流行していた「南京豆売り」を録音している。サッチモはたぶん単なる一流行歌としてやっただけだろうが、エリントンはその後もプエルト・リカンであるファン・ティゾルを雇い「キャラヴァン」をやっているよね。39年よりも前だ。
その他いくつかあるので、『カリビアン・ミュージック・ルーツ』のベシェ「トロピカル・ムーン」の曲目解説でとうようさんの言う「40年代にアフロ・キューバン・ジャズが出現する以前のジャズの録音では、ほかにこれほどラテンっぽいものはないと思う」という文言はちょっとどうかとも僕は思うけどね。
それはいいとして『カリビアン・ミュージック・ルーツ』を通して聴いていて、オッ、これはいいぞ違うぞと感じるのは10曲目と19曲目だ。この二曲では部屋の空気が一変する。前者はピシンギーニャとベネジート・ラセルダの、後者はセステート・ナシオナルの録音だ。前者は言うまでもなくいわゆるカリブ音楽ではない。
ブラジルのショーロだよね。その10曲目「ヤオー」は1950年と録音が新しいせいもあって、グッと新鮮に響くのだが、録音のせいだけではないはず。「ヤオー」はショーロというよりルンドゥー、すなわちアフリカ音楽の痕跡が強く残るもので、とうようさん用語で言えば「跳ねる二拍子」。
そんな跳ねる二拍子のルンドゥーをピシンギーニャとベネジート・ラセルダはグッとモダンなフィーリングで演奏している。ベネジートのフルートのせいでそんな印象が強くなっているのもあるが、ピシンギーニャのテナー・サックスの入り方がショーロの王道コントラポントだから、そのせいもあってモダンに聴こえるんじゃないかなあ。
ピシンギーニャとベネジート・ラセルダの「ヤオー」はライス盤『ショーロの聖典』には収録されていないが、僕が iTunes Store で買ったこのコンビの録音全集には当然入っている。それでは曲名が「ヤオー・イ・ガスタオ・ヴィエナ」となっている。どこかこのコンビの録音全集をCDでリリースしてくれないかなあ。
『カリビアン・ミュージック・ルーツ』19曲目のセステート・ナシオナル「ボンゴー万歳」は当然キューバのソン。1927年録音で、まだトランペッターが参加していない時期だけど、キューバのソンがいかにタイトでいかに音楽的に完成されていたかがクッキリと分ってしまう。
とうようさんも曲目解説で、キューバのソンのカッチリした強固なまとまりのせいで、この曲だけがアルバム全体のなかで浮き上がってしまわないかとの懸念を書いているくらいだ。それでもまだ雑然とした感じの初期録音をチョイスしてみたと書いているが、他のいわゆるカリブ地域音楽を収録したものと並べて聴くと、やっぱり違うサウンドだ。目立ってしまい印象が違うように聴こえる。
『カリビアン・ミュージック・ルーツ』と(広い意味での)カリブ地域音楽の話、そしてその地域ではおそらくはアフリカ由来の二拍子系リズムと、おそらくヨーロッパ由来の三拍子系リズムが交錯してクロス・リズムになり、タ〜ン・タ・タンという付点つき二拍子、つまり跳ねる二拍子になって、それがキューバはじめカリブ地域音楽のリズムの特長になったという話をしたいと思って書きはじめたのだが。
そのクロス・リズム、跳ねる二拍子が表現された典型があの「ラ・パローマ」であって、それはスペイン楽曲だから『カリビアン・ミュージック・ルーツ』には収録しない代わりに、一曲目に同じハバネーラ・リズムを使ったキューバの「トゥ」(ホセ・マヌエール・ロドリゲス)が収録されている。
『カリビアン・ミュージック・ルーツ』では、その後、北米のメキシコ、南米のコロンビア、ベネスエーラの音楽が続き、ハバネーラのリズムがどう活かされてどう変化しているのかを実証している。なかにはそんなリズムの交錯が6/8拍子的、いわゆるハチロクになっているものもある。
トリニダード・トバゴ、ハイチ、パナマ、ジャマイカ、マルティニークなどと続いているが、全てフォーカスはクロス・リズムの面白さに当てられている。時に三拍子が強く出たり、鮮明なハチロクになったりなどする。アフリカ由来の(つまり黒人奴隷が持込んだ)カリンダ、ベレが基層となり、そこからハバネーラ、ビギンなども誕生し、さらにダンサ、ダンソーンが形を整えたのが分る。
そんな汎カリブ音楽、言い換えれば真の意味での「アメリカ」音楽の現代版がレゲエで、『カリビアン・ミュージック・ルーツ』のラストにはマルティニークの音楽家カリのやるレゲエ「フリーダム・モーニング」が収録されている。レゲエはカリブ発でありながらワールド・ビートであり、しかも元々のルーツ地域であったはずのアフリカの音楽家にも強い影響を与えているよね。一種の里帰り?
こんなリズムのクロスする面白さが、いわゆるカリブ地域で世界で初めて誕生した(のかもしれない)世界のポピュラー音楽の魅力であって、世間一般でいういわゆるアメリカ音楽(=北米合衆国音楽)もそうやって俯瞰しないと真の魅力が分りにくいんじゃないかなあ。
したがって北米合衆国の音楽も、これすなわち全て混血音楽であって、南中北米カリブを全部含めた真の意味での「アメリカ音楽」こそが魅力的であって、狭い意味でのアメリカ音楽が20世紀以後の世界で最も人気のあるものになりえたのも、そんな要素を内包していたからこそに違いないと思うんだよね。
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