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2016/12/02

マイルス・ミュージックの真相

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マイルス・デイヴィスは、自分が雇った歴代ギタリストのなかでジョン・マクラフリンを一番信用していたような気がする。といってもマクラフリンはレギュラー・メンバーとしては起用されたことがない。『イン・ア・サイレント・ウェイ』になった1969年2月録音のセッションで初起用して以来しばらく使っているが、全てその時だけのゲスト参加だ。

 

 

だが1981年の復帰後にもマイルスはマクラフリンを使ったアルバムが二枚ある。どっちもコロンビア盤の『ユア・アンダー・アレスト』と『オーラ』だ。両者ともアルバム収録曲の全てにマクラフリンが参加しているわけではなく、一部で弾いているだけなんだけど。

 

 

『ユア・アンダー・アレスト』も『オーラ』もほぼ同時期の録音。前者が1984年から85年1月にかけて、後者が85年1月と2月に録音されている。がしかしリアルタイムでは『ユア・アンダー・アレスト』しかリリースされなかった。そしてそれがリアルタイムではマイルスのコロンビア最終作になった。

 

 

『オーラ』が発売されたのは、マイルスがワーナーと契約していた1989年。これは鮮明に憶えている。どうしてかというと、僕が CD プレイヤーを買ったのは『オーラ』のせいだからだ。そう、このアルバムは当時 CD でしかリリースされなかった。のはずなんだけど、調べてみたらアナログ LP でも出ていたみたいだなあ。

 

 

つまり僕が見つけられなかっただけか。あの当時の僕が音楽録音物を買っていたのは渋谷と新宿と池袋だけ。本当にこの三ヶ所だけだった。マイルスの<新作>がリリースされたというのでその三ヶ所で探したのだが、僕はその新作『オーラ』は CD しか発見できなかった。

 

 

当時の僕は CD プレイヤーを持っておらず、というか正確に言うと迷っていた時期で、いろんな新作や旧作が CD で出るようになっていたから、そろそろ買わなくちゃいけないのかなあとぼんやり感じていたのだった。そこに最愛の音楽家マイルス・デイヴィスの<新作>が出て、それは CD しかないぞ!となったのだ。

 

 

それでこれも憶えているがタワーレコード渋谷店で『オーラ』の CD ソフトだけをまず先に買い、その直後にそれを聴きたいがためだけに CD プレイヤーを買った。もし『オーラ』のアナログ盤を当時買えたならば、僕が CD プレイヤーを買うのはもっと遅くなっていたはず。

 

 

1990年代に入って古いアメリカ音楽がどんどん CD リイシューされるようになったので、1989年にそれを再生できる機器を買っていたのは、結果的にはピッタリのタイミングだったなあ。それはそうとアナログ盤プレイヤーに比べて CD プレイヤーはやや寿命が短めのような気がするんだが、僕だけだろうか?

 

 

ともかく1985年に録音されていたにもかかわらず四年間リリースされなかったマイルスの『オーラ』と、ほぼ同時期に録音され、こっちは即発売された『ユア・アンダー・アレスト』の両方にジョン・マクラフリンがゲスト参加して、少しギターを弾いている。

 

 

しかしこの二つのアルバム、中身はかなり違う。録音が少しだけ先の『ユア・アンダー・アレスト』は当時のレギュラー・バンドを中心とするファンク・アルバムなのに対し、『オーラ』は全面的にデンマークで録音された現代音楽のオーケストラ作品なんだよね。

 

 

だから『ユア・アンダー・アレスト』の方は当時のいつもの調子なので、ファンであれば理解はたやすい。収録曲もアルバム・リリース前後からライヴでよくやっていた。晩年のマイルスにとっての必須レパートリーになった二曲のポップ・バラード「ヒューマン・ネイチャー」と「タイム・アフター・タイム」のアルバム初お目見でもあった。

 

 

ところが『オーラ』の方は西洋白人現代音楽なんだよね。ひょっとしてそういう内容だからコロンビアは四年間もリリースしなかったのだろうか?デンマーク録音の『オーラ』制作の端緒は1984年12月にデンマークのレオニー・ソニング音楽賞をマイルスがもらったことだ。

 

 

そのソニング賞の授賞式出席のために1984年12月にデンマークを訪れたマイルス。どこの国のどんな音楽賞だって、普通、授賞式ではもらった人が演奏したり歌ったりするよね。この時のマイルスも当時のレギュラー・バンドからギターのジョン・スコフィールドと、甥のドラマー、ヴィンス・ウィルバーン二名を伴ってデンマークへ行った。

 

 

そのソニング賞授賞式の際の(オーケストラ)作品を書き演奏したのが、デンマークの音楽家パレ・ミッケルボルグ。マイルスは当初、オーケストラ作品なら常にそうしてきたように、ギル・エヴァンスに委託しようとしたのだが、断られてしまったのでミッケルボルグになった。といっても授賞式本番ではマイルスは吹かなかったそうだ。

 

 

その授賞式の時のミッケルボルグ作編曲指揮のオーケストラ作品がマイルス本人には評判が良かったので、そのままミッケルボルグに依頼して、翌1985年初頭に再びデンマークへ、そして今度はギターはジョン・スコフィールドでなくジョン・マクラフリン(とドラマーのヴィンス・ウィルバーン)を伴い行って録音されたのが『オーラ』だ。

 

 

とまあしかしそんな経緯をいくら書いてもあまり意味がないことではあるなあ。なぜならば『オーラ』はちっとも面白くないアルバムだからだ。少なくとも僕みたいに1969年以後のマイルスにはブラック・ファンク〜ロック系のものを求めてしまう人間なら全員間違いなく放り出すだろう。

 

 

退屈極まりないマイルスの『オーラ』。『マイルスを聴け!』のなかで中山康樹さんも同じことを書いているが、中山さんの場合は1949/50年録音の『クールの誕生』に関しても同意見で、全部の曲が同じに聴こえるとか、誕生と同時に死を迎えたような音楽とまで書いているので、ちょっと割り引いて読まなくちゃいけない。

 

 

僕にとっては『クールの誕生』は面白いからね。そんでもってそれと『オーラ』は通底するものがあるのは確かだから、どっちもダメだという中山さんの見解は一貫性があって納得はできる。つまりマイルスがキャリア初期から強く持っていた「白い」音楽性、すなわち西洋クラシック音楽的な要素だ。

 

 

中山さんと僕との違いは、マイルスのなかに強くある西洋白人音楽的なものが全てダメだとは思っていないところだ。そりゃそうだろう、前々から言っているようにアクースティック時代の作品と限定すれば、コンボものもなにもかも全て含めても、1957年の『マイルス・アヘッド』が一番好きな僕だから。

 

 

ギル・エヴァンス編曲・指揮のオーケストラとやった『マイルス・アヘッド』にアメリカ黒人的、さらにいえばアフリカ的というような音楽要素を聴き取ることは、少なくとも僕の場合難しい。そしてクラシック音楽側からマイルスを聴いている方々も、『マイルス・アヘッド』が好きだという意見になる場合が多いのだ。

 

 

がしかし同時に僕は大のブルーズ好き人間でもあって、それもマイルスのなかに非常に強くあるもので、だから西洋クラシック音楽的に美しければなんでもいいとか(あるいは逆になんでもダメだとか)いうような嗜好の人間でもないんだなあ。ものごと、なんでもいい塩梅じゃないとね。

 

 

そうなると僕にとっては「いい塩梅」の『クールの誕生』や『マイルス・アヘッド』にある重要なものが、『オーラ』には決定的に欠けているようにしか聴こえないんだなあ。『オーラ』を高く評価するファンも実はたくさんいる。そのほとんどはアルバム中のマイルスとマクラフリンのソロを褒めている。

 

 

僕が聴くとマイルスのソロ部分も『オーラ』ではつまらない。マクラフリンのギター・ソロ(は全十曲中三曲だけだが)だけが唯一聴けるかなと感じるだけ。バックのオーケストラ・サウンドなんかどこにも全く面白味がないよなあ。クラシック音楽ファンであれば違う意見になるかもしれない。

 

 

ただ『オーラ』で聴けるマイルスのトランペット・ソロの音色とフレイジングだけ抜き出すと、普段とどこも変わらないのは確かだ。だからそれだけはいいという意見の中山さんと正反対に、だからこそ僕はダメだと思う。だいたいマイルスは普段からそんな面白くて旨味のあるトランペットを吹くことは少ない。

 

 

バック・バンドにいい味を出す人間を起用して、そのスウィンギーだったりファンキーだったりするバンド・サウンドの上に自分の西洋白人的なトランペットを乗せていたというのがマイルス・ミュージックの真相じゃないかなあ。だからバック・バンドが面白くなく、同時にマイルスもいつもの調子でしか吹かないと、全然ダメな音楽に仕上がってしまう。

 

 

マイルス・ミュージックとはだいたいの場合、極上のバンド・サウンドと極上のサイド・メンのソロを聴くべきものであって、ボスのトランペット・ソロだけ抜き出すと、それ自体にそんな強い旨味は感じられない場合が多いんじゃないかなあ(一部例外を除く)。そんな音楽じゃないのかなあ、マイルスのやっていたものって。

 

 

これはおそらくチャーリー・パーカー・コンボ時代に、壮絶極まりないパーカーだけでなく、同じ楽器ならディジー・ガレスピーみたいな人を間近で体験していたがために、自分にこの人たちみたいな真似は到底できないぞと観念して、自分は自分の音楽家としての生きる道を探り見定めたということじゃないかなあ。だから初リーダー作が『クールの誕生』みたいなビ・バップとは似ても似つかないものになった。

 

 

さて「スウィンギーなバンド・サウンド」と書いたけれども、そこが『クールの誕生』『マイルス・アヘッド』その他と『オーラ』との決定的な違いだ。僕は西洋クラシック音楽でも曲や演奏家がスウィングしているものが好みなのだ。クラシック音楽にスウィング感を求めるのはオカシイかもしれないが、間違いなく聴き取れる場合があるよね。

 

 

バンドのサウンドがスウィンギーだったりファンキーだったりすればいいが、いつものそんな感じでなくなるのであればマイルスはいつもと違う吹き方をしないといけないのに、『オーラ』でもいつもと変わらないトランペット・ソロだから、アルバム全体が面白くないものになっているんだと僕は思っている。

 

 

作編曲指揮のパレ・ミッケルボルグもトランペッター。そして彼の最大のインスピレイション源がマイルスとやる時のギル・エヴァンスのスコアだったらしい。僕はミッケルボルグの他の作品は全く聴いていないのでなんとも言えないが、『オーラ』を聴いて判断する限りでは、マイルスを活かせるようなサウンドは創れない人だなあ。

 

 

『オーラ』にもエレクトリックなファンク・チューンはある。1985年録音だからミッケルボルグも時代を意識したんだろう。一曲目の「イントロ」、四曲目の「オレンジ」、五曲目の「レッド」、八曲目の「エレクトリック・レッド」がそういうものだ。

 

 

それら全てでヴィンス・ウィルバーンが電子ドラムスを叩いている。いかにも1980年代風のチープなサウンドで、今聴くとやっぱり面白くない。でもあの時代のドラマーはほぼ全員叩いていた。日本の村上ポンタ秀一だって使っていたもんね。だからそれ自体は別にどうってことはない。

 

 

問題はミッケルボルグの書いたリズム・アレンジがうわべだけのファンクだってことだなあ。一応リズムのかたちはファンクではあるものの、それはリズム・セクションの内側から自然に湧き出るような(ファンクはそういうもんだから)ものじゃなく、本当に格好だけ借りましたというようなものでしかない。

 

 

うわべのかたちだけファンクの衣を借りたみたいなものよりは、まだそれがどこにもない西洋クラシック音楽的な曲の方がまだマシだ。二曲目「ホワイト」とか、ハープの音ではじまる三曲目「イエロー」とかね。またマイルスがあまり吹かない六曲目「グリーン」や、全く吹かない4ビートのジャズ・ナンバーである九曲目「インディゴ」も、極端には悪くない。

 

 

上でも書いたように『オーラ』で最も聴ける、というか唯一聴けると思うのがジョン・マクラフリンのギターだけど、彼が弾いているのは一曲目「イントロ」、四曲目「オレンジ」、そしてアルバム・ラストの「ヴァイオレット」の三つだけ。といってもギタリストは現地のデンマーク人も参加していて、どこがどっちというクレジットはないので、僕の耳判断だけ。でも自信はある。

 

 

そのなかでマクラフリンのソロも、マイルスのソロも、バック・バンドの演奏も一番マシなんじゃないかと思うのがアルバム・ラストの「ヴァイオレット」だ。これはブルーズなんだよね。エレベのラインもいいなあと思ってクレジットを見たら、あのニールス・ヘニング・ペデルセンとなっているじゃないか。

 

 

ペデルセンのエレベ・ラインと、ヴィンス・ウィルバーんの電子ドラムス、それにくわえシンセサイザーが浮遊する上でソロを取るマイルスとマクラフリンのブルーズ演奏はなかなか悪くない。パーカッション・サウンドが聴こえるが、それはマリリン・マズールによるもの。

 

 

 

マリリン・マズールの名前は僕たちマイルス狂は忘れられないものなんだなあ。彼女はニュー・ヨーク生まれの黒人だが六歳からデンマークに住んでいた。この『オーラ』の時の演奏をマイルスは気に入って、数年後にバンドのレギュラー・パーカッショニストとして雇ったのだ。

 

 

マイルス・バンド時代のマリリン・マズールは1988年の来日公演時もメンバーだったので、僕も人見記念講堂で生演奏を体験した。その時のライヴではマズールのパーカッション・ソロをフィーチャーした曲もあったなあ。かなりセクシーな容姿と扮装の女性で、その点でも僕はお気に入り(笑)。

 

 

さてさて同じ1985年1月に、同じジョン・マクラフリンを加えてレギュラー・バンドで録音され、アルバム『ユア・アンダー・アレスト』に収録された「カティーア」のことを少しだけ書いておこう。B面一曲目だったこれではほぼ全面的にマクラフリンのギターをフィーチャーしている。

 

 

 

当時のバンドのレギュラー・ギタリスト、ジョン・スコフィールドは全く弾いていない。一応A面四曲目の「ミズ・モリシン」でもギターはマクラフリンとのクレジットだが、これのギター・ソロはスコフィールドのスタイルに似ているから、イマイチ判然としない。

 

 

だから「カティーア」と(その前の「カティーア・プレリュード」)だなあ、僕には。アップ・テンポのかなりハードでタイトなファンク・チューンで、これ、どうしてレギュラー・ギタリストのスコフィールドじゃなく、マクラフリンに弾かせようとマイルスは考えたんだろうなあ。

 

 

ボスの心中は分らないし、なにかそれについて書いてある文章も当時から現在に至るまで僕は見たことがない。だが、最初に書いたように、どうもマイルスはギタリストに関してはマクラフリンに最大限の信頼を置いていたと思えるフシがあるんだよなあ。

 

 

ジミ・ヘンドリクス的なサウンドを持っていて、なおかつ1960年代ジョン・コルトレーン的な音の配置ができるギタリスト。そんな風にマイルスはマクラフリンをみなしていたんじゃないかと僕は思うのだ。1969年2月のセッションで最初に起用したのはトニー・ウィリアムズの推薦だったのだが、ボスはかなり気に入ったみたいだ。

 

 

それにしてはレギュラー・メンバーにしなかったが、それはおそらくマイルスの一種の音楽的保守性と、以前書いたように和音を出せる楽器奏者としては、どっちかというとギタリストよりも鍵盤楽器奏者を重視したせいじゃないかなあ。マクラフリンとの出会いがあと二・三年遅ければ、間違いなくレギュラー・メンバーとして雇っただろうと僕は思う。

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