ハッサンの生グナーワ
ゲンブリとシンティールは呼び名が違うだけで、楽器自体は同じものだよね?少なくとも音だけ聴いている分には完全に同じだ。がしかしハッサン・ハクムーンのアルバムでは全て必ずシンティールと書いてある。僕の場合、この名称はハッサンのアルバム以外で見ることは多くないんだなあ。
ともかくそんなシンティール奏者兼ヴォーカリストにして、グナーワ・マスターのハッサン。今までリリースされたアルバムで僕が一番好きなのは2007年のライヴCD『スピリット』。これが一番現場の生のグナーワに近いからだ。といっても僕はそんなグナーワが演奏される儀式現場に居合わせた体験はなく、こういうのがそうだぞと言われる録音物を聴いて、そうなんだと思っているだけ。
『スピリット』は2007年作と書いたけれど、CDパッケージにそう書いてあるだけで、これを僕が買ったのは2012年か翌13年だったはず。どこで買ったのか忘れたが、日本盤ではない。まあ2012/13年ならエル・スールで買った可能性が高い。そういえば僕が買った(のがエル・スールだったか記憶が定かではないが)あとしばらくして、同店でハッサンのサイン入りのを売り出して、ちょっと羨ましかった。
その数年後に Twitter でもハッサンと知り合って、ご存知の通り彼はある時期以後米ニュー・ヨークに住んでいるし、前から英語も達者。そんでもって奥さんが日本人だからなのか頻繁に来日し、ある時は(移転前の)エル・スールに行きたいんだが場所が分らないから教えてくれと、なぜか僕に DM で聞いてきたことがあったなあ。会おうよとも言われたが。
最近のハッサンのアルバムでは今のところの最新作である2014年の『ユニティ』も凄かった。一般の多くの音楽リスナーには間違いなくこちらの方が評判がいいはず。ドラム・セットはじめ米英ポピュラー・ミュージックでよく使われる一般的な楽器もたくさん入っていて、ロック〜ファンクっぽい部分もあるからだ。
今日は『ユニティ』の話はしない。こんな大傑作について、『スピリット』のついでみたいにして語るのは実にもったいないし、失礼だとも思うからだ。『ユニティ』は2014年に出現した21世紀型北アフリカ音楽、グナーワ・ファンク(・ロック)の最高の成果だから、機会を改めてじっくり考えてみたい。
『ユニティ』に先立つ『スピリット』に、そんなアメリカン・ファンク(・ロック)色はほぼない。楽器もドン・チェリーのポケット・トランペットが二曲目で聴こえるが、他は米英大衆音楽で一般的に用いられる楽器は少ない。というかほぼ聴こえない。
『スピリット』では一曲ごとに演奏に参加しているメンバーと担当楽器名が明記されている。一曲ごと全て演奏場所が異なるライヴ録音で全10曲。それを見ると録音場所も多岐にわたっていて、メキシコ、ブルックリン、マラケシュ、ニュー・ヨークなどなど。なかにはスタジオ・ライヴもあるようだ。
楽器編成も一曲ごとにかなり違っている。最後の10曲目がハッサン一人での演唱なのを除けば、他は全て最低でも三人、多いものは二曲あるマラケシュ・ライヴで十人近い演奏者が参加している。が『スピリット』というアルバムを通し、完全に聴感上の統一感があるのはやや不思議だ。
二曲目でドン・チェリーが吹くポケット・トランペットだけが他の曲とは印象が違うかなと思うだけで、しかもそのドン・チェリーの演奏はなかなか見事だ。さすがはジャズ・フィールドだけの人ではない。トランス・ジャンルの音楽家だけはある吹奏ぶりだ。
ドン・チェリーのそんなジャズ発の越境的音楽性を、いまさら僕が繰返す必要は全くないはず。ドン・チェリーは1995年に亡くなっているが、90年前後にハッサンとの共演歴がある。『スピリット』に収録のブルックリン・ライヴも、おそらくはその時期のものじゃないかなあ。録音年は全曲明記がないが。
ただし僕の場合、ハッサンの『スピリット』におけるドン・チェリーとの共演ナンバーは大好きというほどでもない。他の、シンティール+ヴォーカル+カルカバ(との表記の例の金属製カスタネット)+ハンド・クラップ中心みたいなものの方がもっと好きなのだ。
だってすんごいディープなフィーリングがあるからね。例えばドン・チェリーとの共演二曲目に続く三曲目マラケシュ・ライヴや、四曲目ロス・アンジェルス・ライヴ、五曲目メキシコ・ライヴなどは、聴いているこっちまで本当にトランスしそうだ。
三曲目のマラケシュ・ライヴには複数のヴァイオリン奏者、バンジョー奏者やウード奏者、キーボード奏者がクレジットされてはいるが、シンセサイザー音以外ほとんど聴こえず、もっぱらハッサンのシンティール+カルカバ+ヴォーカルと、他の打楽器と手拍子と、女性ヴォーカル・コーラスだけのように思う(のは僕の耳がヘボなせいだろう)。
八曲目のマラケシュ・ライヴも書いてある楽器編成は同じだから、おそらく三曲目と同じ時のライヴなんじゃないかなあ。ハンド・クラップもトランシーでいいなあ。八曲目の方ではヴァイオリン・セクションの音は鮮明に聴こえるが、それは必要なかったとさえ僕は思う。
ハッサンのシンティールとヴォーカル以外は打楽器だけの四曲目ロス・アンジェルス・ライヴもディープでトランシーでいいが、同様の編成の五曲目メキシコ・ライヴはもっとグルーヴィーだなと僕は思う。それはミドル・テンポのヘヴィーに沈み込むような感じで本当にドロドロ。
五曲目メキシコ・ライヴではドラマーが参加している。確かにドラム・セットの音が聴こえるんだけど、これもない方がよかった。二名クレジットされているドゥンベック奏者だけで充分だよなあ。ドゥンベックはダルブッカと同じもので、地域によって呼び名が違うだけ。僕はダルブッカの音が大好きだからね。
ヴォーカル+シンティール(ゲンブリ)+カルカバ(ケルカブ)+ドゥンベック(ダルブッカ)、それにくわえ手拍子だけで創るようなグナーワ・サウンドのグルーヴ感が僕にはたまらなく心地イイ。六曲目もほぼ同様の編成で似たようなグルーヴ感だけど、ドラム・セットとエレキ・ギターの音が目立つので、僕にはイマイチだ。
七曲目のスタジオ・ライヴ、九曲目のメキシコ・ライヴでもギターの音が聴え、決して悪くはないが、ハッサンがシンティールを弾きはじめ、打楽器も入りはじめるともっといい。曲のグルーヴィーさ、トランシーさは三曲目・四曲目・五曲目とほぼ変わらないんだけどね。
九曲目「ミムナ」(という曲名ではないが)ではハッサンが歌詞のなかに現地メキシコの名前も織り込んで歌い、そのせいか観客も盛上る歓声がはっきり録音されている。その部分での楽器伴奏はほぼシンティール+ドゥンベックのみのシンプルな感じでいいなあ。ハッサンはかなり即興的に歌っているみたいだ。
アルバム『スピリット』ラスト10曲目はニュー・ヨーク録音となっているが、ライヴの文字がないのでスタジオ収録なんだろう。たったの三分程度しかないものだけど、ハッサン一人のヴォーカル+シンティール+カルカバだけで、これが絶品だ。アルバムを締め括るに相応しいフィーリングだし、アルバム中これが一番いいように思う。
モロッコでの夜の儀式現場で演奏されるグナーワがどんなものなのか実体験ゼロの僕で、それはこういうものだという録音物もそんなにたくさんは聴いていないんだけど、ハッサンのライヴ・アルバム『スピリット』を聴くと、グナーワの素の姿に近いんじゃないかなと思うのだ。そんなものだからやっぱりこれが一番好きなんだよね。
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