フォーク・ギタリストとしての眼差し〜デイヴィ・グレアム
デイヴィ・グレアムというギタリストを知ったのは、僕の場合やはりレッド・ツェペッリンのジミー・ペイジのルーツとしてだった。なかでもグレアム1962年の「シー・ムーヴズ・スルー・ザ・フェア」が、ヤードバーズ時代からのペイジのギター・ソロ作品「ホワイト・サマー」の原型になっている。
演奏時間がちょっと長めのこういうヴァージョンもある。
デイヴィ・グレアムのこのギター・ソロ作品「シー・ムーヴズ・スルー・ザ・フェア」の原曲はアイルランド民謡なんだけどね。でもアイリッシュとかケルト音楽というより中近東風だよなあ。そしてそもそもケルト音楽とアラブ音楽の親和性が高いのは、双方をお聴きのみなさんであればよくご存知のはず。
レッド・ツェッペリン時代でも初期はコンサートでやっていたペイジの「ホワイト・サマー」をお聴きになったことがある方であれば(公式盤『コーダ』に収録)、デイヴィ・グレアムの上掲音源をお聴きになって、アッ!そのまんまじゃないかと思っちゃうだろうなあ。そもそもペイジが DADGAD チューニングで弾きはじめたのは完全にグレアムの影響だ。
ペイジのギター・ソロ作品であるヤードバーズ時代の「ホワイト・サマー」は例えばこれ。
これについて、デイヴィ・グレアムの「シー・ムーヴズ・スルー・ザ・フェア」との”類似性”が指摘されてきたが…という書き方になっているものが多い。こりゃ甘いというか緩すぎるだろう。類似性なんていうようなもんじゃないぞ。ほぼそのままパクリじゃないか。ペイジいつものパターン。
またデイヴィ・グレアムの1964年「ムスタファ」。
これを踏まえた上で、レッド・ツェッペリン時代に「ホワイト・サマー〜ブラック・マウンテン・サイド」のメドレーでやったものをお聴きいただきたい。これは1970年のライヴ録音。
ねっ、お分りでしょ。ざっとこんな具合なので、デイヴィ・グレアムもなにも全く知らなかった頃は、僕もジミー・ペイジって面白いギター弾くんだなあと感心していたんだけど(まあ今でもそれはちょっとあるが)、デイヴィ・グレアムを聴いてみたら、そのルーツというかパクリ元がバレてしまった。
もちろんペイジばかりではなく、デイヴィ・グレアムがはじめたものらしい DADGAD チューニングはいろんなギタリストに広範囲に影響を及ぼしていて、グレアム自身このチューニングを思い付いたのはモロッコを旅して現地の音楽に触れ、それをギターで再現しようとしてのことだったらしい。
ってことは、あれだ、ペイジとロバート・プラントがツェペリン結成後一緒にモロッコや北アフリカ地域やインドなどを旅することがあったのも、あるいはデイヴィ・グレアムの影響だったのかなあ。音楽的な意味だけでなく、なにかこう姿勢みたいな部分でも。そんでもってペイジがまず「ホワイト・サマー」、続編みたいなツェッペリン時代の「ブラック・マウンテン・サイド」などをやらなかったら、中期以後のツェッペリンのああいった路線もなかったはず。
以前から書くように数あるツェッペリン・ナンバーのなかでの僕のモスト・フェイヴァリットが『フィジカル・グラフィティ』にある「カシミール」なんだけど、このアラブ風な曲も DADGAD チューニングのギターでまずリフを思い付いたものらしい。「ホワイト・サマー」だったか「ブラック・マウンテン・サイド」をライヴで弾いている時にアド・リブでとっさに出てきたものなんだそうだ。
YouTube で探したらこんなのが上がっていた。これは1989年の演奏だからちょっとあれだし、「ホワイト・サマー」と「カシミール」を無理くりひっつけたような感じも少しあるけれど、間違いなくレッド・ツェッペリン初期からライヴでは同じようなギター・ソロ演奏をやっていただろう。
そんな「ホワイト・サマー」「ブラック・マウンテン・サイド」「カシミール」はデイヴィ・グレアムなくして生まれなかったものなので、つまりグレアムがいなかったら、ペイジが彼を知らなかったら、ツェッペリンで僕が最も好きな中近東音楽風のロックは誕生しなかったことになるよなあ。グレアム様さまだ。
ペイジ自身は「CIA コネクション」と呼んでいた、レッド・ツェッペリンのそんなケルト(Celt)〜インド(India)〜アラブ(Arab) テイストについては、また機会を見てじっくり掘り下げることにして、今日はここまで。ペイジのそんな音楽的嗜好性のルーツだったデイヴィ・グレアムのことをこのあと少しだけ書いておこう。
デイヴィ・グレアムは最初に貼った音源の元がアイルランド民謡だったのでお分りの通り、1960年代のブリッティシュ・フォーク・リヴァイヴァルの動きのなかで登場し注目されたギタリスト。しかし出発点はロニー・ドネガンらのスキッフルだったらしいので、やはりその点では UK ロック界の人物と共通性がある。
レコード・デビューが1962年で、EP『3/4 AD』に含まれていた「アンジー」(Angi)が同業ギタリストたちの評判になって、バート・ヤンシュ、サイモン&ガーファンクル、チキン・シャックにカヴァーされたあたりから注目されるようになった。でもデイヴィ・グレアムの場合、注目されたといってもセールスは全くかんばしくなく、主に同業者に激賞される、いわゆるミュージシャンズ・ミュージシャン、ギタリスツ・ギタリストだ。
実際デイヴィ・グレアムはその後も世間一般的にはほぼ売れず、商業的成功とは無縁の人だった。だが上で貼った二つの音源をお聴きいただければ分るようにものすごく上手いテクニシャンなんだよね。エレキ・ギターは全く弾かず、もっぱらスティール弦のアクースティックのみで、それも多くがギター独奏、たまにドラマー(とベース)が入る程度だから、まあ売れるわけがない。
しかしデイヴィ・グレアムは伝承フォーク・ソングばかり演奏していたのかというと、全くそんなことはない。というか1963年の初フル・アルバム以後は、むしろジャズやブルーズなどアメリカの大衆音楽のフィールドから出てきた曲の方を多く演奏していたんじゃないかと思うほどなんだよね。
だいたいその1963年の『ザ・ギター・プレイヤー』には、ソニー・ロリンズ、キャノンボール・アダリー、ポール・デズモンドなどの楽曲をアコースティック・ギター演奏でカヴァーしているし、その後もセロニアス・モンクの「ブルー・モンク」、ボビー・ティモンズが書いてアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズがやった「モーニン」、ハービー・ハンコックの「ウォーターメロン・マン」など、かなりジャズ・ナンバーをやっている。
ブルーズ・ナンバーだって、もういちいち例はあげないが、アメリカ黒人ブルーズを実にたくさんやっている。僕が一番好きなのはリロイ・カーの「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」と、珍しくヴォーカルもとっている古いブルーズ・ソング「エイント・ノーバディーズ・ビジネス・イフ・アイ・ドゥー」をやっているもの。前者は YouTube にないのが残念だが、後者は上がっているので。
このフル・アルバムで上がっている1964年の『フォーク、ブルーズ&ビヨンド』はデイヴィ・グレアムの作品中、僕が最も好きなものの一つ。お時間のある方は是非フル・アルバムで耳を傾けていただきたい。ジャズ・ナンバーは「モーニン」だけであるとはいえ、ブルーズ弾きの上手さが非常によく分る。
最も重要なことは、ジャズであれブルーズであれ、またなかにはレイ・チャールズの「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」なんかもやっていたりする、そんなアメリカ黒人大衆音楽に題材をとったものでも、デイヴィ・グレアムが弾くと、伝承フォークをやる時と同じフィーリングで聴けるということだろうなあ。
これはデイヴィ・グレアム自身の姿勢だったんじゃないかなあ。イングランド出身でケルト地域の伝承曲をたくさんやるフォーク界の人間でありながら、同時にアメリカ大衆音楽曲をたくさんやったわけだけど、それらをとりあげる時でもグレアムの接し方は同じだったはず。
同じ接し方だったというのは仕上がったギター演奏を聴いて僕がそう判断しているだけなんだけど、アメリカの黒人大衆音楽のなかから誕生した楽曲も、いわば「伝承曲」として、なんというか現代の民謡ソングみたいなものとして考えてとりあげて演奏したんじゃないかと僕は思うのだ。
つまり楽曲ジャンルとしてのフォークではなく、音楽的アティテュードとしてのフォーク。デイヴィ・グレアムはそういう音楽家だったんだろう。アラブ中近東やインドの音楽に接近する時でも、やはりその眼差しは同じで、民衆のなかで受け継がれてきているもの、言葉本来の意味での「フォーク」・ミュージックとしてやったに違いない。
ケルト地域の民謡も、ジャズもブルーズも、アラブやインドの音楽も、なにもかも全て “folk” の、すなわち民衆のあいだでの伝承ものとして接して、それを自分一人のアクースティック・ギターでどうやったら上手く表現できるかを常に考えて、DADGAD チューニングも、その他いろんな演奏法も試した人なんだろうね、デイヴィ・グレアムは。
その結果出来上がった音楽が常に地味極まりないもので、世間的にアピールしてセールスが見込めるようなものでは全くなかったがために人気者とはなりえなかったデイヴィ・グレアムだけど、そのギター演奏の絶妙極まりないテクニシャンぶりは、同業者であれば一聴して舌を巻くようなものだから、甚大な影響を与えることとなった。
その一人がジミー・ペイジなわけだけど、彼のレッド・ツェッペリンもペイジ自身が “CIA” と呼ぶ路線は、普通一般のロック・ファンにはやっぱりイマイチな評価と人気だよなあ。一般受けしてきたのはあくまでブルーズ・ロック路線であって、「ホワイト・サマー」「ブラック・マウンテン・サイド」「カシミール」、あるいは「フレンズ」「フォー・スティックス」みたいなものは、いまだにちょっと風変わりなキワモノ扱い。残念だ。
でも最も有名なツェッペリン・ナンバーである「天国への階段」にだって、インド〜アラブはないけれど、はっきりとしたケルト由来のフォーク・ミュージック要素はあるんだけどなあ。でもこの曲に(も)あるそんな要素は四枚目のアルバム収録のスタジオ・オリジナルでしか聴けず、数多いライヴ・ヴァージョンでは完全に消えているんだけどね。
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