ある時期ピュアリファイされたアメリカ黒人ブルーズの姿
「サムデイ・ベイビー(・ブルーズ)」「ウォリード・ライフ・ブルーズ」「トラブル・ノー・モア」。三つ全部同じものだ。古いブルーズって面白いというか面倒くさいというか、なんなんだろうねこれは。「サムデイ・ベイビー」はスリーピー・ジョン・エスティスの録音で、「ウォリード・ライフ・ブルーズ」はビッグ・メイシオの録音でよく知られているはず。
スリーピーの「サムデイ・ベイビー」初録音はデッカへの1935年。ビッグ・メイシオの「ウォリード・ライフ・ブルーズ」は1941年のブルバード録音が初。しかしこの事実だけをもって、このブルーズがスリーピーのオリジナルだと言うこともできないし、ビッグ・メイシオの方がモダンなのだとも言いにくいだろう。
なぜならばこれら二つとも、元々アメリカ南部に古くから伝わっている伝承ものをベースにして、それをスリーピー、ビッグ・メイシオ各人がアダプトして自己流に料理しただけだからだ。したがって僕は聴いてはいないのだが、1935年のスリーピー・ヴァージョンよりもずっと古くから歌われていると思う。
その根拠となるのがミシシッピ・フレッド・マクダウェルのヴァージョンだ。マクダウェルはこの古いブルーズを何度も録音しているが、そのたびに曲名を変え、ある時は「サムデイ・ベイビー」、またある時は「ウォーリド・マインド」などとしてやっている。全て同じ曲なんだよね。
そしてマクダウェルらミシシッピ州北部ヒル・カントリーのブルーズ・メンは、録音開始が戦後になっただけで、ブルーズのありようとしてはかなりプリミティヴで伝承的な姿を残していたというのも周知の事実。実際、マクダウェルのやる「サムデイ・ベイビー」(「ウォリード・マインド」他)は、スリーピーのヴァージョンと比較してもずっと素朴だ。
それはそうとこの「サムデイ・ベイビー」あるいは「ウォーリード・ライフ・ブルーズ」(あるいは「トラブル・ノー・モア」)は、ブルーズという言葉本来の意味、すなわち憂鬱、悲しみ、心配、悩みといったステレオタイプが実にピッタリ似合う。この曲以上に似合うものはないんじゃないかと思うほどだ。
曲名だけ見たってそれは分るじゃないか。「いつの日にか(心配事がなくなりますように)」とか「悩み多き人生のブルーズ」とか「心配事はもう勘弁」だとかいう意味だし、聴いたら歌詞もまさにそんなフレーズがずらりと並んでいるし、メロディも長調だとはいえやはり悲痛感が漂っている。
そしてこのブルーズ・ナンバーを広めたのがスリーピーに他ならず、また彼以上に苦しみと悲しみに満ちたブルーズ・マンもいないだろうというほどの人生で、そんなイメージがつきまとう人間がやや高めのピッチの悲痛な感じの声を張り上げて「サムデイ・ベイビー」を歌うもんだから、ますますこのステレオタイプ・イメージが増強される。
さらにスリーピーは戦後「再発見」されたのちは人気が出て、シカゴのデルマークにもアルバムを録音したし、日本公演まで実現している。特に日本のある世代までのブルーズ・ファンにはかなり人気のあるブルーズ・マンだったから、スリーピーの人生と歌う「サムデイ・ベイビー」その他が合体して、この音楽はこういうもんだと考えられてきたんじゃないかなあ。
言うまでもないことだが、世の中にはそんな(悲痛な)ブルーズばっかりではない。ブルーズという名称が付いているくらいだから元々はそういうもんだろうと思われるかもしれないが、案外そうじゃない面があるんだよね。それがフォーク(民謡)・ブルーズで、誕生期の初期型ブルーズにはバラッド的要素が強い。つまり「お話」であって、悲痛な感情を叫んでいるとは限らないし、黒くもない。
この事実は一般には悲痛感満載のブルーズとして認識されているであろう「サムデイ・ベイビー」(「ウォリード・ライフ」)にすら当てはまるのだ。それは上でも書いたミシシッピ・フレッド・マクダウェルのヴァージョンを聴けば誰でも実感できる。歌詞も旋律も曲調も散漫でブルージーではない。リズムがヒプノティックで面白い、楽しい、ダンサブルだというのが最大の特徴なんだよね。
だからやはりマクダウェル・ヴァージョンの「サムデイ・ベイビー」(「ウォリード・ライフ」)こそが、この曲の録音では最も古い姿を残しているんじゃないかと僕は思う。真っ黒けで悲痛感漂うスリーピーのヴァージョンは、ある時期以後のアメリカ黒人音楽の変化によるものなんじゃないかなあ。ある意味ピュアリファイされたってわけだ。
録音順では1930年代後半にデッカに二つあるスリーピーに次ぐ、ビッグ・メイシオの1941年ブルーバード録音「ウォリード・ライフ・ブルーズ」も黒いフィーリングはさほど強くないかも。だいたいギター・ブルーズに比べてピアノ・ブルーズは都会的で洗練されているからね。
長年の盟友ハーモニカのハミー・ニクスンと自らのギター&ヴォーカルでやるスリーピー・ヴァージョンに対し、ビッグ・メイシオの1941年録音は自らのピアノ&ヴォーカルに、ギターでタンパ・レッドが参加しているシカゴ録音。間違いなくリロイ・カー&スクラッパー・ブラックウェルのコンビをお手本にしたような演奏スタイルだ。
録音順で次に来るのは、僕の持っているなかではなんとジャズ・ヴァージョンだ。アンディ・カーク楽団の1942年録音で、曲題は「ウォリード・ライフ・ブルーズ(サムデイ、ベイビー)」と併記されている。歌っているのはジューン・リッチモンドという僕は知らない歌手で、サックス・ソロも知らない人だなあ。
アンディ・カーク楽団は古い黒人ブルーズ・ソングをとりあげてビッグ・バンド・ジャズに料理することがあったが、1942年の「ウォリード・ライフ・ブルーズ(サムデイ、ベイビー)」も全く黒い感じがない。少なくとも同じ頃のジャンプ系楽団のようなフィーリングは僕は感じないなあ。
録音順でその次が戦後になって、レイ・チャールズの1953年録音。それのタイトルは「サムデイ・ベイビー」であるにもかかわらず、内容的にはビッグ・メイシオ・ヴァージョンに近い。当時スリーピーが忘れ去られていたということもあるだろうけれど、同じピアニストのヴァージョンを参考にしたからというのが一番大きな理由なんだろう。
これの次がマディ・ウォーターズの1955年チェス録音。曲名が「トラブル・ ノー・モア」に変わるが同じもの。マディのそれは当然電化バンド・ブルーズで、黒いフィーリング満載のグルーヴィーなブルーズだ。フランシス・クレイがブラシで叩くドラミングもいいが、アンプリファイされたハーモニカがいいよなあ。
しかしそのマディ・ヴァージョンでのハーモニカが誰なのかが判然としない。ウォルター・ホートンかリトル・ウォルターかのどっちなんだ?僕が持っている英チャーリーのコンプリート・ボックス附属のディスコグラフィーではウォルターとなっているが、一方小出斉さん編纂の日本盤『ザ・ベスト・オヴ・マディ・ウォーターズ』の記載ではどっちか分らないとなっているんだなあ。
僕の耳にはどっちかというとリトル・ウォルターのスタイルなんじゃないかと聴こえるんだけど、小出さんの耳の方が確かだからやっぱり分らない。 がいずれにしてもそのブルーズ・ハープのサウンドが黒くてブルージーなフィーリングを強烈に表現していて、いいなあこれ。
マディの「トラブル・ノー・モア」をそのまま下敷きにしたのがオールマン・ブラザーズ・バンドの1971年フィルモア・ライヴ・ヴァージョンで、曲名も同じでマディの名前を作者としてクレジットしている。オールマンズのものはマディ・ヴァージョンにおけるしゃくりあげるようなハーモニカをデュエインのギター・スライドに移し替えている。
スリーピー・ジョン・エスティスのヴァージョンにもハーモニカのハミー・ニクスンが参加してブルージーな感じを出していた。マディはスリーピーのものかビッグ・メイシオのものか、どっちを参考にしたんだろうなあ?録音だけ聴くとスリーピー・ヴァージョンに近いが、1955年だとスリーピーはまだ忘却の彼方というか死んだと思われていた時期だ。
いずれにせよ、録音時期は戦後だが内容的には誕生期の原初伝承型を残していたに違いないミシシッピ・フレッド・マクダウェルのヴァージョンを除き、1950年代半ばか60年代以後にこの曲をやるブルーズ・メンやロッカーはほぼ全員、スリーピーのとビッグ・メイシオのと、両方を聴いて参考にした可能性はある。
なお、スリーピー・ジョン・エスティスは1929〜41年にヴィクターとデッカに録音したものこそが本領発揮のもので、ビッグ・ビル・ブルーンジーのテキトー発言のせいで生存はほぼありえないと思われていた62年に「再発見」されデルマークに吹込んだものは、今聴くとイマイチなんだなあ。
デルマーク盤『スリーピー・ジョン・エスティスの伝説』でも「サムデイ・ベイビー」をやっているし、同様に代表曲の「ドロップ・ダウン・ママ」もあるが、どっちも戦前録音に及ばないと僕には聴こえる。がしかしあのデルマーク盤でスリーピーは人気が出て、1974年に来日公演が実現したのもそのおかげであるのは確かだ。
ちなみにその第一次ブルーズ・ブームだった頃のスリーピーの来日公演をプロデュースしたのは中村とうようさんだ。とうようさん編纂の MCA ジェムズ盤『スリーピー・ジョン・エスティス 1935-1940』が日本盤で買える一番適切なスリーピー入門盤に違いない。
以前も書いたがこの MCA ジェムズ・シリーズの慣例で、スリーピー最大の代表曲「サムデイ・ ベイビー」のオリジナル録音は『ブラック・ミュージックの伝統〜ブルース、ブギ&ビート篇』に入っているので、重複を避けるためスリーピーの単独盤には収録されていないのには注意しないといけない。
ビッグ・メイシオの1941年ブルーバード録音「ウォリード・ライフ・ブルーズ」は、1997年に米 RCA がリイシューした単独盤『ザ・ブルーバード・レコーディングズ 1941-1942』で簡単に聴ける。エリック・クラプトンの『24・ナイツ』ヴァージョンは、これをそのまま再現している。ジョニー・ジョンスンのピアノがいい。
またスリーピーの録音にジャグ・バンドっぽいものがあったり、タンパ・レッドの「イッツ・タイト・ライク・ザット」のパターンが聴けたり、そのタンパ・レッドがビッグ・メイシオの1940年代ブルーバード録音に参加していたりなど、いろいろと面白いことがあるんだけど、そんな話までする余裕はないのでまた別の機会に。
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