ロッドの歌うトム・ウェイツ
ロッド・スチュワート の『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』は2009年リリースのワーナー盤なんだけど、これが発売されるまでの経緯を説明するのはちょっと面倒臭い。なんたって『ザ・ロスト・アルバム』という副題が付いているくらいで、1992年に録音されたまま当時は発売されず、長年そのままだった。
というと実は不正確で、録音されたもののうち五曲だけが、それもアメリカとカナダ以外で発売された。それが1993年のワーナー盤『リード・ヴォーカリト』の後半だ。そしてこの言い方も不正確で、まず1992年のカヴァー・ソング録音プロジェクトから、トム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルーズ」が同年にヨーロッパでだけ発売されていた。
ロッドとウェイツというと、1989年にロッドが歌うウェイツ・ナンバーの「ダウンタウン・トレイル」が世界的にヒットしている。おそらくそのあたりから有名・無名ロック・ナンバーのカヴァー集を製作するという意図が芽生えはじめたんじゃないかなあ。
ロッドの「ダウンタウン・トレイル」のプロデューサーはトレヴァー・ホーンで、当時のワーナー UK の取締役だったロブ・ディキンズの発案によるものだった。ロブ・ディキンズは「ダウンタウン・トレイル」の大ヒットに意を強くして、同趣向の一枚のアルバムを創ることを考えたんだろう。
それでやはりトレヴァー・ホーンをプロデューサーに起用して1992年に録音されたのが『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』だ。だがこれはお蔵入りしてしまった。なぜならリリースするかしないかというタイミング、あるいはポスト・プロダクションの途中で、別の魅力的な企画が持ち込まれたからだ。
それが例の MTV アンプラグドのアクースティック・ライヴ。1992/93年頃にはポール・マッカートニーやエリック・クラプトンといったロッドよりもキャリアの長い古参ロッカーの MTV アンプラグド・アルバムが発売され人気が出ていて、一種のアンプラグド・ブームだった。
それでこの企画を MTV 側から持ち掛けられたロッドは、完全にそっちに傾注するようになって、録音済の『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』の方はそのまま放ったらかしにしてしまった。ワーナー側としてはヨーロッパで先行シングルとしてリリースした「トム・トラバーツ・ブルーズ」の評判がいいので、完全に見捨てるわけにもいかなかった。
それで1993年に『リード・ヴォーカリスト』という、1970年代半ば以後ロッドが本拠にしていたアメリカ(とカナダ)以外で発売するベスト盤の後半に、『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』に収録予定だったものから五曲だけ選んで入れたんだろう。
だから僕の持っているロッドの『リード・ヴォーカリスト』は日本盤。アメリカ盤が存在しないわけだから。このアルバムの前半七曲は過去のロッドの有名ヒット・ソングを集めただけのただのベスト盤で、買う必要は全くなかった。古いものはジェフ・ベック・グループ時代の「アイ・エイント・スーパースティシャス」から、新しいものは1978年のヒット曲「ホット・レッグズ」まで。
『リード・ヴォーカリスト』の日本盤リリースは1993年3月で、MTV アンプラグドのライヴはその一ヶ月前に収録されている。恒例で音だけでなく映像も収録され CD と DVD が直後の四月にリリースされている。アメリカではこの『アンプラグド...アンド・シーティッド』が当時のロッドの最新作だった。
『アンプラグド...アンド・シーティッド』のなかには、『リード・ヴォーカリスト』ラストに収録されているトム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルーズ」もあるし、前半のベスト盤的選曲のなかから「ハンドバッグと外出着」や「ステイ・ウィズ・ミー」や「ホット・レッグズ」もやっている。
つまりそういう内容なもんだから、『リード・ヴォーカリスト』はアメリカでは発売されず、また元々のプロジェクトで録音済だったフル・アルバム『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』も『リード・ヴォーカリスト』後半に五曲だけ収録されたのを除き、そっくりそのままお蔵入りしたんだなあ。
最初に書いたように元々の『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』が、アメリカを含む全世界でリリースされたのは2009年。特に熱心なファンでない限り普通のアメリカ人リスナーが、このアルバムの内容を聴いた最初の機会だったはず。しかし「トム・トラバーツ・ブルーズ」だけは MTV アンプラグド・ヴァージョンがあった。
まあこんなややこしい事情があって、僕たち日本人のロッド・ファンにとっては、1993年3月リリースの『リード・ヴォーカリスト』、同年4月リリースの『アンプラグド...アンド・シーティッド』、2009年リリースの『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』の三つはゴチャゴチャにこんがらがっていたのだ。
それら三枚のうち『アンプラグド...アンド・シーティッド』は、1970年代からのロッド・ファンにもなかなか評判がいいみたい。おそらくはその時代の古いロック・ナンバーをたくさんやっているからだろうなあ。最大のヒット曲「ステイ・ウィズ・ミー」だけでなく、「ハンドバッグと外出着」「エヴリ・ピクチャ・テルズ・ア・ストーリー」「マギー・メイ」、そしてジェフ・ベックとやった「ピーピル・ゲット・レディ」もあるしね。
そんな『アンプラグド...アンド・シーティッド』の話はまた別の機会にしたい。なかなか楽しくて面白いアルバムだからね。今日は『リード・ヴォーカリスト』の後半五曲がなかなか悪くないという話を少し書いておきたかったのだ。書いてきたような事情で、1992年のカヴァー集プロジェクトから当時聴けたのはそれら五曲だけ。
スティーヴィー・ニックスの「スタンド・バック」、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」、ロイ・ C の「ショットガン・ウェディング」、コントゥアーズの「ファースト・アイ・ルック・アット・ザ・パース」、トム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルーズ」の五曲だ。
それらのうち、1993年の僕にとって「ショットガン・ウェディング」と「ファースト・アイ・ルック・アット・ザ・パース」は全く未知の曲だった。ロイ・C はリズム&ブルーズ〜ソウル・マンで「ショットガン・ウェディング」は60年代半ばにヒットしたらしい。つまり R&B 〜ソウル好きだった若き日のロッドが聴いていたんだろうなあ。
コントゥアーズは、テンプテイションズ加入前のデニス・エドワーズが在籍していたらしいデトロイトの R&B ヴォーカル・グループみたいだ。「ファースト・アイ・ルック・アット・ザ・パース」も1965年のヒット・ソングらしいので、やはり若き日のロッドが聴いていたんだろう。
この二曲以外の三つは説明不要の有名曲だ。それら五曲で、プロデューサーのトレヴァー・ホーンが腕をふるって豪華な伴奏陣が活躍している。通常のロック・ナンバーで使われる、ギター、鍵盤、ベース、ドラムスといったリズム・セクションに加え、豪華なストリングスとホーン・セクションが入っている。
さらにコンピューター・プログラミングによるデジタル・サウンドも効果的に使われていて、しっとり落ち着いて淡々とした「トム・トラバーツ・ブルーズ」以外は、かなり賑やかで派手な雰囲気だ。ロッドを昔から聴き続けてきているファンにはあまり好みのサウンドじゃないかもしれないが、僕はそういうのも案外好きなんだよね。
しかしやはり一番出来がいいというか絶品なのは、やはりラストのトム・ウェイツ・ナンバー「トム・トラバーツ・ブルーズ」だね。1976年の曲だけど、そのウェイツのオリジナルからして既に(彼自身のピアノ弾き語りにくわえ)ストリングスが入っている。
個人的にはあのわざとらしい声の出し方と芝居掛かったような歌い方があまり好じゃないトム・ウェイツなんだけど、ソングライターとしては大好きなんだよね。その最高傑作がこの1976年の「トム・トラバーツ・ブルーズ」だろうと僕は考えている。サビで引用されているオーストラリアのポップ・ソング「ウォルチング・マチルダ」も効果絶大だ。
ロッドによるカヴァー・ヴァージョンも、上掲トム・ウェイツ・ヴァージョンに沿ったアレンジで、ピアノとストリングスによる伴奏がメイン。そこにかなり控え目にアクースティック・ギターが絡むだけといったもの。ヴォーカルの力量はどう聴いてもロッドの方が上だよね。
この YouTube 音源が『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』のジャケットを使っているのは当然だ。アメリカではこの2009年のアルバム・リリースまでこのスタジオ録音ヴァージョンは発売されていなかったからだ。アメリカ(とカナダ)以外の国のファンは 、1993年の『リード・ヴォーカリスト』で聴いていた人が多い。
いやあそれにしてもこのロッドの歌うヴァージョンの「トム・トラバーツ・ブルーズ」はなんて美しいんだ。まあこんな感じのサウンドの評判が良かったのが、あるいはひょっとして21世紀に入って以後のアメリカン・ソングブック集シリーズに繋がっていたのだろうか?
ただロッドはそういう路線に行く前の2000年に甲状腺癌を患って喉を手術した。そのためにそれ以前のような声は出せなくなっているんだよね。このことを踏まえると、そうなったあとの2009年に、1992年に既に12曲録音済だった『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』をリリースしたのが、なんだか意味深長に思えてくるなあ。
五曲だけ1993年に聴いていた『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』を、フル・アルバムで2009年に聴いてみたら、ボブ・ディランの有名曲などもあるものの、既知の五曲以外はどうもイマイチな感じがしてしまった。僕だけじゃないだろう。日本でも全世界的にもほとんど話題にならなかったからだ。
ってことは1993年に北米以外でリリースの『リード・ヴォーカリスト』後半に五曲だけチョイスしたのは、『ワンス・イン・ア・ブルー・ ムーン』用の録音から特に出来のいいもので、これはリリースしておきたいというものだけ五つ選んだということかも。
いずれにせよ、上掲「トム・トラバーツ・ブルーズ」の絶品の美しさを聴けば、このロック・カヴァー集はこれ一曲だけでも充分なんじゃないかという気がしてくる。それくらい素晴らしい。ロッド自身も直後に『アンプラグド...アンド・シーティッド』でライヴ再演したんだから、やはり気に入ったということなんだろう。
そんなわけで、僕にとってのロッド・スチュワートとは1993年の『リード・ヴォーカリスト』後半五曲と、同年の『アンプラグド...アンド・シーティッド』で既におしまいになっている人なのだ。
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