マイルスがハーマン・ミュートでバラードを吹いたのはこれが初
初リーダー作『クールの誕生』がキャピトル盤だったのを除いて、マイルス・デイヴィスが自己名義のアルバムを録音したレーベルは四つだけ。プレスティッジ、ブルー・ノート、コロンビア、ワーナーで全部だ。ということになっているが、実は一枚だけ別の会社へ録音したものがある。昔も今も誰も話題にしないけどさ。
それは1955年録音の『ブルー・ムーズ』で、デビューというレーベルのアルバム。デビューはチャールズ・ミンガスが1952年に設立した会社だ。正確には彼の妻セリアとマックス・ローチ三名の共同による会社だけど、実質的にはミンガス一人でやっていたようなところ。
『ブルー・ムーズ』は1955年7月9日にルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで録音されている。この日付の二日前にプレスティッジに六曲録音したのが、アルバム『ザ・ミュージング・オヴ・マイルス』になっている。スタジオ録音ではこのあと八月に、やはりプレスティッジ盤『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』を録音。
がしかしもっとはるかに重要な演奏が七月にあった。それが例の17日のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでのステージで、あの時にセロニアス・モンクの「ラウンド・ミッドナイト」を吹いたのが評判になって、それを聴いたコロンビアのジョージ・アヴァキャンが専属契約を申し出た(ということになっている)。
マイルスが今みたいな超有名人になったのも、全てはコロンビア移籍後のことだから、デビュー盤『ブルー・ムーズ』の録音は、その「伝説の」ニューポート・ライヴの直前というような時期。その頃のマイルスはもっぱらプレスティッジに録音していたのに、どうしてデビューに一枚だけ録音したのかにはいわくがある。
マイルスはチャールズ・ミンガスに借金があって、それをなかなか返済しようとしないもんだから、それに業を煮やしたミンガスが借金のカタ代りに自分の会社へ録音させたというもの。しかしこれ、本当なんだろうか?僕も大学生の頃から読んでいるものなんだけど、確たるソースがないんだなあ。
でもまことしやかに伝えられてきているものではある。そういえば大学生の頃の僕が『ブルー・ムーズ』を買ったのはいつもは行かないレコード店でのことで、なんとなく棚を漁っていたら見たことのないジャケットを発見したのだった。まあしかしホントどうしようもないジャケット・デザインではあるよなあ。
既にマイルスに狂っていたのでそのままレジへ持っていったが、その店は個人経営の小さなところで、店舗の半分がレコード売り場、もう半分がオーディオ売り場だった。『ブルー・ムーズ』とその他何枚か(僕は一枚だけ買うというのはしたことがない)をレジへ持っていくと、店主らしきおじさんに「珍しいもの見つけましたね」と言われた。
珍しいんだかなんだか当時の僕はあまりよく分らず、ただプレスティッジやコロンビア、ブルー・ノートの有名盤(ワーナーと契約するのはもっとずっと後)を聴いて狂いはじめていたので買っただけ。今考えたら確かにかなり珍しいアルバムなんだよなあ。
チャールズ・ミンガスからの借金のカタ代りなのかどうなのか、まあでもあの時期のマイルスならありうる話ではある。書いたように売れるようになって生活に不自由しなくなるのはコロンビアと専属契約して以後で、それ以前はインディーズのマイナー・ミュージシャンだったわけだからさ。
そのデビュー盤『ブルー・ムーズ』は全四曲でたったの26分ほどしかない。普通の聴き方をしている限りはっきり言って全く面白い作品じゃないんだが、でも僕を含めマイルス狂は、それでもそれなりに聴きどころを見つけてしまうのだ。僕の場合それは大きく分けて二点。
一つは前々から僕が繰返しているようにマイルスと先行するヴォーカル・ヴァージョンとの関係。もう一つはマイルスの持つ「白い」音楽性、すなわち現代西洋白人クラシック音楽的な志向がはっきりと聴き取れること。今の僕には前者の方が興味深いところ。
まず『ブルー・ムーズ』の一曲目はあの「ネイチャー・ボーイ」。もちろんご存知の通りナット・キング・コールが歌ったので超有名な一曲だ。ナット・キング・コールによる初演は1947年録音48年リリースのキャピトル盤。彼によるものでは、「モナ・リーサ」などと並び最も有名な歌唱だよね。
これを『ブルー・ムーズ』ヴァージョンのマイルスは、ハーマン・ミュートを付けてほぼそのまま踏襲している。そしてこれは非常に重要なことだから注意してほしいのだが、マイルスがトランペットにハーマン・ミュートを付けてヴォーカル・バラードを再現した史上初録音がこの「ネイチャー・ボーイ」なのだ。
その後は電気トランペットを導入する前まで、いちいち具体例なんかあげていく必要ないほどあんなにたくさんのハーマン・ミュートでのバラード吹奏があるマイルスの、その最初の一例なんだよね。しかもそれはナット・キング・コールの大ヒット・ソングだったという。
こんなところからもマイルスという人の音楽的志向をはっきりと読み取ることができるだろう。つまり多くの場合、誰か歌手が歌った美しいバラードを、その解釈そのままにハーマン・ミュートを付けて吹いた。それがマイルスだ。それはある時期消えてしまうが、1981年の復帰後は再び同じことをやるようになる。
『ブルー・ムーズ』では「ネイチャー・ボーイ」以外の三曲も全てヴォーカル・バラード。「アローン・トゥゲザー」「ゼアズ・ノー・ユー」「イージー・リヴィング」。後者二つはそれぞれフランク・シナトラ、ビリー・ホリデイで有名だからみなさんご存知のはず。
僕のブログを普段からお読みの方なら「またシナトラとビリー・ホリデイか…、そればっかりじゃないか、マイルス!」って思われるだろうね。そう、その通り、そればっかりなのだ。本当に多い。やっぱり好きだったんだなあマイルスはこの二人の歌が。彼らの歌を聴いてはとりあげていた。
ビリー・ホリデイの「イージー・リヴィング」は有名だろう。1947年デッカ録音。シナトラの「ゼアズ・ノー・ユー」の方はちょっと説明が必要かも。おそらく最も知られているのは1957年のキャピトル盤『ウェア・アー・ユー?』収録のものだろう。
あれっ?マイルスのより遅いじゃないか!と言わないで。シナトラはこの曲をコロンビア時代の1944年に録音・発売しているんだよね。マイルスは間違いなくそれを聴いて参考にしたであろうようなフィーリングだ。まあしかし1944年のコロンビア時代のシナトラなんか、あまり相手にする人いないよねえ。
マイルスの『ブルー・ムーズ』収録の四曲では、かなり有名な「ネイチャー・ボーイ」「アローン・トゥゲザー」「イージー・リヴィング」の三曲と違って、「ゼアズ・ノー・ユー」はあまり知られていないかもしれないが、アトランティック時代のレイ・チャールズもインストルメンタル演奏で録音しているんだよね。
「アローン・トゥゲザー」の説明をしていないなあ。必要ないとは思うんだけど、ジャズ・ヴァージョンはアーティ・ショー楽団の1939年録音が初演であるブロードウェイ・ミュージカル・ナンバー。アーサー・シュウォーツの書いた曲では間違いなく一番有名なもの。
でもマイルスの『ブルー・ムーズ』ヴァージョンは、あるいは自身の録音前年になる1954年のダイナ・ワシントン&クリフォード・ブラウン共演の『ダイナ・ジャムズ』ヴァージョンを参考にしたのかもしれない。もっともそれはハロルド・ランドのテナー・サックス・フィーチャーで、ダイナも歌わずブラウニーも吹いていないけれど。
マイルス・ヴァージョンの「アローン・トゥゲザー」はちょっぴりラテンなフィーリングにアレンジされていて、アルルバム中この曲だけアレンジをやっているのがチャールズ・ミンガスなんだよね。これはいかにもミンガスらしさを感じるものだ。
『ブルー・ムーズ』では、これ以外の三曲は全てヴァイブラフォンで参加のテディ・チャールズのアレンジで、おそらく全体的な音楽的リーダーシップもテディ・チャールズが執っている。そのせいでアルバム全体がやや抽象的で西洋白人音楽風なものになっているのだが、あれれっ、このことを詳述する余裕がなくなっちゃったなあ。
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