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2016/12/08

マックスウェル・ストリートの喧騒

Andthisis









シカゴにマックルウェル・ストリートというのがあった。治安の悪化を理由に1994年に取り壊されたので今はもうない。それまでの百年間以上にわたり、シカゴ大衆音楽の中心地だった。特に日曜日になると屋外マーケットが開かれるので、大勢の人間がやってきて賑やかになり、いろんな音楽が演奏されていたらしい。

 

 

マックスウェル・ストリートというとブルーズだろうと思われるだろうが、そうとは限らない。ジャズもカントリー&ウェスタンもあったし、そして日曜日なら教会へ行く日なのでゴスペルもやっていたはずだ。だがまあやっぱりこの地区はブルーズのイメージだなあ。

 

 

そんなマックスウェル・ストリートでのブルーズ(を中心とする音楽)の姿を鮮明に捉えたアルバムがある。『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』という Studio IT 音源の二枚組CDで、僕が持っているのは日本の P ヴァインがリリースしたもの。

 

 

この P ヴァイン盤のリリース年は1998&1999という文字が見える。これはこの二枚組 CD が世界で発売された最初だった。この P ヴァイン盤 CD の帯を、僕にしては珍しく取ってあって、それには4200円という値段が書いてある。CD二枚組で4000円超えるって、今じゃあブートレグでもない限り滅多にないことだなあ。

 

 

しかしこの『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』は元々音楽だけを録音・発売しようとしたものではない。マイク・シェイという人物がマックスウェル・ストリートでの人々の様子をおさめた一本の映画にしようとしたもので、完成したドキュメンタリー映画のタイトルは『アンド・ディス・イズ・フリー』。

 

 

マイク・シェイがマックスウェル・ストリートを撮影したのは1964年8月から12月まで。翌65年に編集を済ませ映画は完成し、アメリカやヨーロッパでは上映されたのだが、さっぱりな評判で全く人気も出ず、マイク・シェイもシカゴを離れロス・アンジェルスに移って映像関係の仕事をしたとのことだ。

 

 

映画『アンド・ディス・イズ・フリー』は僕は全く一度も観たことがない。日本では上映もされず、ヴィデオは発売されたらしいが、僕がその存在に気が付いた頃には既に廃盤だったはずだ。と思って調べたら2008年に P ヴァインが DVD をリリースしているみたいだなあ。しかしそれも今や入手困難だ。

 

 

ドキュメンタリー映画の方はさっぱりな評判だったとはいえ、それは1964年のマックスウェル・ストリートにおける音楽と集う人々の喧騒を生で捉えた極めて貴重なもので、大勢のブルーズ・メンが演唱する姿も記録されていたので、発売までの紆余曲折は省略するが、Studio IT が権利を持つ約二時間分の音楽がCD二枚組となって発売された。

 

 

やっぱり僕にとっては音楽なんだなあ。「伝説化」していた1960年代前半のマックスウェル・ストリートにおける(主に)黒人ブルーズの生の姿がそのまま聴けるなんて、まるで夢のような話じゃないだろうか。少なくとも1990年代末頃の僕にとっては狂喜乱舞以外のなにものでもなかった。

 

 

『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』の主人公はロバート・ナイトホーク。彼が最もたくさん収録されているブルーズ・マンだ。ナイトホークとマックスウェル・ストリートといえば、ブルーズ・ファンはみんな例のラウンダー盤『ライヴ・オン・マックスウェル・ストリート』を言うだろう。

 

 

そのラウンダー盤のオリジナルが『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』というか、マイク・シェイの撮った映画の音源だ。ラウンダー盤のプロデューサーとしてノーマン・デイロンの名前が記されているが、デイロンはマイク・シェイがその映画を撮る際の一スタッフだった。

 

 

でも正直に言うと僕はナイトホークの単独盤であるラウンダーの『ライヴ・オン・マックスウェル・ストリート』をそんなに熱心に聴いていなかった。1998/99年にPヴァインが『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』をリリースしたのを聴いて、初めてその生々しさに感動したのだ。

 

 

『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』にはナイトホークのブルーズが12曲も収録されている。なんといってもこの人はギター・スライドの巧さだなあ。まるでしずくが滴り落ちるかのような活き活きとしたスライド・プレイ。肉声を聴いているかのような気分になる。


 

 

戦前からロバート・リー・マッコイの名で活躍しレコーディングもあり CD リイシューもされているナイトホークだけど、その絶頂期の姿を捉えたのが『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』にある12曲だろうなあ。どれもこれも魅力的だけど、白眉は二枚目にある「アニー・リー〜スウィート・ブラック・エンジェル」だと思う。

 

 

それら二曲ともタンパ・レッドの書いたスロー・ブルーズだけど、元々「同じ曲」らしい。この曲の最も有名なヴァージョンは、間違いなく B・B・キングのやったものだ。BB の「スウィート・ブラック・エンジェル」初録音は1956年で、その後もライヴでは定番曲で録音もある。曲名は少し違うが。

 

 

『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』で聴けるナイトホーク・ヴァージョンの「スウィート・ブラック・エンジェル」は、録音が1964年なだけで、ナイトホーク自身戦前からレパートリーにしていたものだから、完全に自家薬籠中のものといった演唱ぶり。

 

 

 

そんでもってB・B・キングへ与えた影響の大きさもよく分る。この曲でもナイトホークのギター・スライドが絶品であるのは言うまでもないが、ヴォーカルの魅力もかなり大きいよなあ。ラウンダー盤では「マックスウェル・ストリート・メドレー」のタイトルで収録されていたもの。

 

 

しかしそのラウンダー盤のものは『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』収録の(タイトルは違うが)同曲より二分以上短い編集版だ。ラウンダー盤では間奏のギター演奏をカットしてあるんだが、そのカットされた間奏のギター・スライドがなかなか魅力的だからね。

 

 

それをカットしたノーマン・デイロンの見識を疑ってしまうのだが、それはいいや。『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』でのナイトホークは、収録の12曲全てでエレキ・ギターをスライドで弾いているし、リズム・パターンはブギ・ウギ・シャッフルなものも多い。

 

 

一枚目にある「チーティング・アンド・ライイング・ブルーズ」(ドクター・クレイトン作)では、ギター・スライドもさることながら、ナイトホークのヴォーカルもかなりの旨味で光っている。前半のギター・スライドはやや控えめなのだが、後半からグングン魅力を増してきて、まるで胸を締め付けられるような演奏でたまらない。

 

 

ナイトホークに限らず、2016年現在までに録音されたあらゆるエレキ・ギター・スライド・プレイの最高傑作だと僕は確信しているものだ。ヴォーカルの迫力・魅力とあわせ、このマックスウェル・ストリートでの「チーティング・アンド・ライイング・ブルーズ」こそナイトホークのベスト・ナンバーだ。

 

 

 

この YouTube 音源では「ゴーイン・ダウン・トゥ・イーライズ」の曲名になっているが、それは同じものを収録したラウンダー盤におけるタイトルをそのまま使っているんだろう。言うまでもなく『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』収録のと全く同じもの。

 

 

さて、こういうものをお聴きになれば分るように非常に強い南部的ダウン・ホーム感覚があるよね。録音されたのが1964年だから、シカゴ・ブルーズ・シーンから出てくるレコードの人気・セールス、つまりヒットチャート上では、そういうブルーズはもはや死の淵に瀕していた時期と言うべきだ。

 

 

しかしブルーズとは、レコードやそれを買って聴くファンや、それによるチャート・アクションだけでは分らない音楽なんだよね。というか本質的にはそういう部分とはあまり関係のないところ、すなわち黒人コミュニティ内部や路上でこそホンモノの姿が分るという音楽じゃないかなあ。

 

 

『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』(やそのもとになった映画『アンド・ディス・イズ・フリー』)は、そんな現場の黒人コミュニティにおいて活き活きと脈動するブルーズの姿を鮮明に捉えたものなのだ。1964年というとシカゴでも既にブルーズ新時代だけど、「現場」では必ずしもそうではなかったのだ。

 

 

シカゴのマックスウェル・ストリート含め、あらゆる黒人ブルーズ・コミュニティの現場内部に分け入ったことなどない僕だけど、『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』二枚組CDを聴くと、あぁ、こんな雰囲気だったのかなと、混じって聴こえる聴衆の喧騒もあわせてぼんやりと想像することができる。

 

 

個別の音楽家はロバート・ナイトホークの話しかできなかったが、『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』に収録されているブルーズ・メンでは、ジョニー・ヤングとキャリー・ベルの二人が最もたくさんレコードを残している有名人だ。

 

 

また一枚目に「コリーナ、コリーナ」がある。アーヴェラ・グレイがリゾネイター・ギターで弾き語っているが、これにはいわゆるブルーズ・フィーリング、黒いものは聴き取りにくい。なぜならこれはトラディショナル・バラッドを下敷きにした古い伝承もので、やっているのはブルーズ・メンばかりではない。

 

 

その一枚目八曲目の「コリーナ、コリーナ」に続く九曲目「パワー・トゥ・リヴ・ライフ」はゴスペル・ソング。『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』には他にも三曲のゴスペル・ナンバー「聖者の行進」「アイル・フライ・アウェイ」ともう一つが収録されている。

 

 

そのもう一つとは『アンド・ディス・イズ・マックスウェル・ストリート』二枚目ラストにある「アイ・シャル・オーヴァーカム」。ファニー・ブルワーがアクースティック・ギターを弾きながら歌っているが、僕の知る限り、彼女単独ではこれがたった一つのレコーディングだ。

 

 

「アイ・シャル・オーヴァーカム」をやったりしたのは、やはり1964年だったからなのかもしれない。公民権運動の時期だけど、そんな時代のシンボリックな曲という意味でやったのではなく、単に時代の流行歌だからエンターテイメントとして、みんなよく知っていて口ずさんでいるものだからというだけの理由なんだろう。

 

 

つまり最初に書いたようにシカゴのマックスウェル・ストリートは、みんなが集まってわいわい賑やかに音楽をやったり聴いたりして騒いで踊る、そんな娯楽の場所だったわけで、別にブルーズに限らず、楽しくてダンサブルなものならなんでもやっていたんだろうなあ。

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