ココモの肉声的ギター・スライドとシティ・ブルーズの痕跡
少し前にロバート・ジョンスンの話をし、つい先週もその系統のブルーズ・メンについて書いたばかりなのに、今日もまたロバート・ジョンスンへの最大の影響源の一人でもあった人の話をしたい。うん、まあ好きなんだよね、ロバート・ジョンスンがね。今日の話題はココモ・アーノルド。
といってもココモの録音集を聴いていると、ロバート・ジョンスンの大きな栄養源なんていう枕詞は完全に消し飛ぶ。そんなこととはなんの関係もない魅力を持ったブルーズ・マンなんだよね。僕にとっては特にギター・スライドが素晴らしく響く人で、戦前のブルーズ界におけるスライド・プレイ最大の名手の一人だ。
ココモがギターを抱えて演奏でもしているような写真は残っていないらしいし僕も見たことがないんだが、彼はギターを膝の上に寝かせて、その上からスライド・バーかボトル・ネックかナイフかなにか分らないが、それで押さえるという弾き方をしていたらしい。いわゆるハワイアン奏法だね。
いや、ハワイアンとだけも言えないのかな。カントリー・ミュージック界なんかにも結構そういう人は多いよなあ。しかしながらカントリーでそんな弾き方をする(それしかできない)楽器ペダル・スティール・ギターはハワイがルーツだ。
そんでもってセイクリッド・スティールみたいなアメリカ黒人宗教音楽もあるわけで、だから人種や音楽ジャンルの区別をやりすぎるのはあまり意味がない。全部ズルズルと繋がっているんだよね。特に欧州イベリア半島から南北アメリカ大陸にやってきたギター(の起源はアフリカのはず)に関してはそうだ。
さてココモのギター・スライドを聴いていると、この奏法がいかに表現力豊かなもので、これを活用することによりギターがヴォーカルと同じだけの表現の幅を獲得したんだということが非常によく分る。戦前ブルーズ界におけるスライド奏法最大の名手はやはりロバート・ジョンスンになるんだろうが、数年前のココモが既にそれを確立している。
僕が普段よく聴くココモの録音集は、日本の Pヴァインが1998年(と見えるんだけど、なにしろ文字が小さくて老眼鏡をかけても判然としない)にリリースした『オールド・オリジナル・ココモ・ブルース』という一枚物CD。全24曲で、1934〜38年のデッカ録音集(最後の二曲だけ30年録音)。
デッカは元々英国の会社なんだけど、アメリカ支社が1934年に設立され、メイヨ・ウィリアムズというプロデューサーがデッカの黒人音楽部門で働いて、彼がアメリカン・デッカ設立早々に見つけだして録音させたのがココモだった。1934年からの四年間で90曲以上も吹込んだらしい。
僕はそんなココモの全貌は聴いていない。前記 Pヴァイン盤と、あとは各種戦前ブルーズのアンソロジーに一曲程度選ばれることも多いので、そんなものは結構前から聴いていた。そのうちの二つが日本の中村とうようさん編纂の『ブラック・ミュージックの伝統〜ブルース、ブギ&ビート篇』と、やはり日本の Pヴァインがリリースした『戦前ブルースのすべて 大全』。
それらのうち、とうようさんの『ブラック・ミュージックの伝統〜ブルース、ブギ&ビート篇』にある「オールド・ブラック・キャット・ブルーズ」は単独盤『オールド・オリジナル・ココモ・ブルース』にもあるが、『戦前ブルースのすべて 大全』にある「ミーン・オールド・トゥウィスター」は単独盤には入っていない。
その「ミーン・オールド・トゥウィスター」も1937年シカゴ録音でデッカ原盤だ。これもなかなかいいブルーズだから単独盤にも収録したらよかったのになあ。同じ Pヴァインだから重複を避けたってことでもないと思うんだけど、どうなんだろう?
ココモの単独盤『オールド・オリジナル・ココモ・ブルース』一曲目は1934年録音の「ミルク・カウ・ブルーズ」。曲名だけですぐにロバート・ジョンスンのルーツ曲だなと誰でも気がつくと思うので、その話は割愛する。そんなことより、既に魅力的なギター・スライドのスタイルが確立されているのが重要。
聴き進むと、魅力的なココモのギター・スライドはまあだいたいどの曲でも同じようなパターンで、はっきり言ってそんなに多彩なパターンは持っていなかったブルーズ・マンだったんだなと分ってしまう。ヴォーカルもそんな感じで、どの曲でもよく似ている。
ココモの録音では、曲中彼が実に頻繁に掛け声を入れる。「プレイ・イット!」「ヤー、メン!」とかそんな戦前ジャズでもよくあるやつ。そのうちでちょっと面白いのが、ボーナス・トラック的に入っている末尾の1930年録音(だからデッカ原盤ではない)の24曲目「パドリン・マデリン・ブルーズ」。
なにが面白いのかというと、「パドリン・マデリン・ブルーズ」で聴けるココモの掛け声は「フィドル・イット・ナウ!」だからだ。もちろんヴァイオリンのことではない。ココモ一人でのギター弾き語りだ。彼の叫ぶ「フィドル・イット」とは「スライドで弾け」の意味なのだ。
せわしなくバー(かなにか分っていないそうだが)をスライドさせるココモのギター・スタイルがお分りいただけると思う。そんなスライド奏法のことを「フィドル」と呼ぶのはちょっと面白いんじゃないだろうか。スライド・ギター・スタイルを「ギット・フィドル」と呼ぶことがあるんだけど、バーなどで音をスラーさせることからフィドルっていうのかなあ。
そういえば音程を連続的かつ滑らかに変化させるのをクラシック音楽ではポルタメント(はとうようさんも使っている言葉)と言うけれど、ギター・スライドはまさにポルタメントだ。そんでもってポルタメントはクラシック声楽とヴァイオリンなど擦弦楽器での演唱法なんだよね。
ヴァイオリン、すなわちフィドルだよね。ココモの「フィドル・イット」の掛け声でギター・スライドが入るっていうのは、そういうことなのかなあ。いやまあ僕にはよく分らんけれども、勝手な連想と憶測を並べてみただけだ。でもあながち的外れでもないじゃないと思う。
「フィドル・イット・ナウ!」の掛け声でスライド奏法をやる「パドリン・マデリン・ブルーズ」(ともう一曲)は1930年録音だから、まだデッカのメイヨ・ウィリアムズに見出される前で、これら二曲をA面B面にしたレコードは全く売れず、やはり34年にデッカに録音するようになって以後の四年間がココモの全盛期。
1934年以後録音のブルーズでは、俗にココモ節と呼ばれるお馴染のスタイルで、上でも書いたようにどの曲のギターもヴォーカルもほぼ似たようなパターン。ココモはカントリー・ブルーズ・マンには違いないけれど、34年以後という録音時期を考えたらシティ・ブルーズの影響があってもおかしくない。
そして実際聴けるのだ。一番ハッキリしている二曲が単独盤12曲目の「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」と13曲目の「ボ・ウィーヴィル・ブルーズ」。曲名だけでみなさん瞬時にお分りのはずの超有名曲だから説明不要だろうね。
のはずなのに、Pヴァイン盤のライナーノーツにおける小出斉さんの記述はオカシイ。こうあるんだ。引用する。
逆に(13)「ボー・ウィーヴィル・ブルース」は、いわずとしれた
リロイ・カー・ナンバーで、こういうのを聴くと、
ああ、ココモもシティ・ブルースマンと思ってしまうが(以下略)
リロイ・カー・ナンバーで、こういうのを聴くと、
ああ、ココモもシティ・ブルースマンと思ってしまうが(以下略)
あの〜、小出さんがお分りでないなんて絶対に考えられないので、12曲目・13曲目と連続しているがために、ちょっと誤記してしまっただけなんだろうと僕は判断している(にしては曲名まで明記してあるのは不可解だが)。「いわずとしれたリロイ・カー・ナンバー」とは言うまでもなく12曲目「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」の方だ。あるいは僕の知らないリロイ・カーの「ボ・ウィーヴィル・ブルーズ」があるのかなあ?
13曲目の「ボ・ウィーヴィル・ブルーズ」の方は1920年代のいわゆ通称クラシック・ブルーズの女性歌手たちが得意にしたレパートリーである古い伝承もので、マ・レイニーもベシー・スミスも録音しているのを僕は持っているし、カントリー・ブルーズ・マンではチャーリー・パットンのヴァージョンもある。
録音時期は当然マ・レイニーとベシー・スミスの方が先だが、録音を聴くと1929年であるチャーリー・パットン・ヴァージョンの方が、ブルーズのありようとしては古い姿を残している。そもそも彼女たちは最も早く録音したブルーズ歌手なので「クラシック」・ブルーズと呼ばれているだけであって、別にブルーズの「古典的」スタイルなんかじゃない。だから本当はこの呼称はやめるべきだよね。
ともかくココモの「ボ・ウィーヴィル・ブルーズ」を聴くと、直接的にはチャーリー・パットンらカントリー・ブルーズ・メンのを下敷きにしているが、じゃあ通称クラシック・ブルーズの女性歌手ヴァージョンの影響はゼロかというと、そんなこともないように僕には聴こえるなあ。
だいたいココモのデッカ録音は全てシカゴかニュー・ヨークで行われている。どっちも大都会だ。そんなこともあるし、1930年代半ば〜後半という録音時期のことを考えても、ギター弾き語りスタイルであるとはいえ、ココモのブルーズに都会のブルーズの痕跡は間違いなくある。
一番ハッキリしているのがリロイ・カー・ナンバーである12曲目の「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」。弾きはじめのギター・スタイルはリロイ・カーのピアノをそのまま移しかえているような弾き方だし、どう聴いてもこれはシティ・ブルーズのスタイルだ。
ところでココモがやるリロイ・カーの「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」。これをカヴァーする人はみんな「ハウ・ロ〜ング、ベイビー、ハウ・ロ〜ング」と歌いはじめるんだけど、ココモはリロイ・カー・ヴァージョンの ”Went and asked at the station: 'why's my baby leavin' town?’” ではじまる二連目から歌い出しているよね。
もっともココモは ”Sat and asked 〜〜”と歌っているけれどね。そんでもってまた文句を垂れるけれど、Pヴァイン盤についている歌詞カードの「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」のところでは、この歌い出しが ”Standin’ at the station〜〜” と記載されているんだなあ。
これはオカシイ。僕の耳にはそうは聴こえない。末尾に聴き取り担当者として Chris Smith という名前が記載されているが、これ、本当に英語ネイティヴの方なんだろうか?英語ネイティヴではない僕だって明らかに違うと分るのにヘンだなあ。
というのもこんなのが昔からあって、特にロック・レコードの日本盤を買うと必ず付いていた歌詞カード(今は知らん)に聴き取り担当者名が記載されてある場合があって、まるで英語ネイティヴであるような名前が記載されていたが、ありゃ今考えたら絶対ウソだね。英語聴き取り能力がイマイチな日本のレコード会社関係者だったとしか思えない。
まあいいや。重要なことは「ハウ・ロング・ハウ・ロング・ブルーズ」でなくても、ココモの弾くギター・スタイルにはリロイ・カー的なシティ・ブルーズ・ピアノの影響が明らかに聴き取れるってことだ。ダダダ、ダダダっていうピアノ鍵盤を叩く例のやつを、そのままギターでやっているんだよね。
例えば単独盤七曲目の「フロント・ドア・ブルーズ」弾きはじめの数秒間は、ギターを弾くリロイ・カーだ。これはほんの一例で、他でも随所で聴けるから、やはりココモには明らかにシティ・ブルーズの影響があるね。それにカントリー・スタイルの肉声的スライド・プレイを合体させているんだなあ。
こんな田舎のブルーズと都会のブルーズをギター弾き語りで合体表現したのが、ロバート・ジョンスンにかな〜り大きな影響を与えたんだが、それを説明する余裕が今日はもうなくなってしまった。歌詞でも「スウィート・ホーム・なんちゃら」とか「2たす2は4」とか「ベイビー・ドンチュー・ワナ・ゴー」とか「アイ・ビリーヴ(・アイル・ダスト・マイ・ブルーム)」とか、その他いろいろとココモの録音に頻出するぞ。
一人でやるのは寂しいからやっぱり女、女がダメならオカマでもいいぞと歌うから笑ってしまう「シシー・マン・ブルーズ」(sissy の意味をちょっとネット検索してちょ)とかの話はもう完全にできなかったので、ちょっと聴くだけ聴いてみて。
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