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2017/01/23

ボブ・ディランのライヴ36枚組で聴く音楽の古典的表現

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昨年11月(だったっけ?)にリリースされたボブ・ディランの『ザ・1966・ライヴ・レコーディングズ』36枚組。サイズのわりには二万円台とリーズナブルな価格だったけれど、それでもすぐには買えず、待っていたら予想よりも早く二ヶ月程度で新古品価格が下がって半値程度になったので、今年になってなんとか買えた。

 

 

それで36枚もあるもんだからすぐに全部は聴けないよなと思っていたのだが、確かに全部はまだ聴いておらず三分の二程度だけど、もう充分という気分だ。これ以上聴き進む必要もないんじゃないかと思うほど。その理由はどのディスクも内容がほぼ同じ、というか完全に同じと言い切ってしまいたい。

 

 

一昨年リリースの『ザ・カッティング・エッジ』六枚組なんか、なかなかマーケットで価格が下がらなかったのに、『ザ・1966・ライヴ・レコーディングズ』の価格があっという間に下落したのはこういうことだったのかと、一人で勝手に納得している。定価も36枚組にしては廉価だったのも理解できた。

 

 

ご存知のように1966年のボブ・ディランのワールド・ツアーは、どのステージも二部構成。一部がアクースティック・ギター弾き語りの従来路線で、二部がホークス(のちのザ・バンド)を従えての電化ロック路線となっていたが、どこのステージでの一部も二部も、曲目も同じなら演奏内容も同じ。

 

 

これはごくごく当たり前のことではある。だいたいどんな音楽家だって、同じ年の同じメンツでのライヴ・ツアーなんか、どこでも同じようなものになる。僕は気狂い的マイルス・デイヴィス・マニアだけど、マイルスもやはり同様なんだよね。そうじゃない音楽家ってこの世にいるの?

 

 

ジャズ・メンは一回性のアド・リブ勝負なんだから毎回内容が違ってくるんじゃないの?と思われるかもしれないが、マイルスだけでなく、ほぼどんなジャズ演奏家・歌手も、そんな毎日毎日演奏内容が違ったりはしないというのが事実。演奏曲目もほぼ同じなら、テーマの演奏、アド・リブ内容だってさほどは違わない。

 

 

そんなのがインプロヴィゼイションなのか?と言われるかもしれないが、音楽ってそんなもんだぜ。同じツアーで毎回セットごとにレパートリをガラリと変え、同じ曲でも演奏内容が全く違うなんていう音楽家は、はっきり言ってマトモじゃない(チャーリー・パーカーがそうだ)か、なにか特別な意図があって故意にそうしている。

 

 

ジャズのような音楽だってそうなんだから、ジャズよりも緻密な完成度というか、まあクラシック音楽的な様式美を持つ音楽であれば、ますます毎回の演唱内容が同じになる。場合によってはレコードや CD などとちっとも変わらなかったりするもんね。そして誰もそれを咎めない。「古典的」(古いっていう意味じゃないよ)音楽表現とは、そういうものだからだ。

 

 

そういえばまた思い出したけれど、昨2016年12月に大阪で体験したアラトゥルカ・レコーズの面々によるオスマン古典歌謡のライヴ・コンサートでは、このことを非常に強く実感した。こういうのが「完成された」音楽美なんだろうってね。アルバム『ギリズガ』からの曲は、CD で聴けるのと寸分違わなかったが、じゃあ感動がそのぶん薄いのかというと正反対で、大いに感動して泣いちゃった。

 

 

ボブ・ディランの1966年ライヴも、ある意味そんな古典的完成度にあったんじゃないかと、『ザ・1966・ライヴ・レコーディングズ』を聴き進むうちに思うようになった。上で、三分の二を聴いてもう充分な気分と書いたけれど、それは聴いて退屈しているという意味ではない。古典落語の名人芸でも聴いているような満足感がある。

 

 

あるいは毎回同じネタをやる漫才師とかお笑い芸人とか、そういうのを見てやはり何度見ても楽しくて笑えるとか、そういうものと同じなのかもしれないなあ、ボブ・ディランの36枚組も。ナヌ?ディランをお笑い芸人と一緒くたにするとはナニゴトだ!と頭から湯気を立てて怒り狂う人が間違いなくいるんだけど、ポップ・エンターテイメントだという意味では同種のものだぞ。

 

 

そんな具合のボブ・ディランの『ザ・1966・ライヴ・レコーディングズ』36枚組。一度に続けて三枚も四枚も聴くと、やっぱりちょっとあれだなと思わないでもないが(苦笑)、隔日程度で一枚ずつ聴き進むぶんには、これはこれでなかなか面白いものだ。レパートリーも、客席の批判的でアグレッシヴな反応も、同様にアグレッシヴなステージ上のディランとホークスも、なにもかも丸ごとぜ〜んぶ含めて「同じ」。二部の締めは毎回全部「ライク・ア・ローリング ・ストーン」。

 

 

だけど、これがホント聴いていていい気分になれるものだよ。ボブ・ディランにあまり熱心じゃない音楽リスナーは、サイズのわりにはリーズナブル価格だとはいえ、やはり一万円はする『ザ・1966・ライヴ・レコーディングズ』なんか、見向きもしないだろうけれど,ディランとあの激動の時代の証言だという歴史的価値を差し引いて、ただ単に音だけ聴いても、毎回いつも同じ「ネタ」をやる古典的芸能表現だと思えば、大変に楽しいエンターテイメントなんだよね。

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