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2017/01/13

静/動の共存〜マイルスとザヴィヌルの関係

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マイルス・デイヴィスの音楽がもっとも激しく変化した1968〜70年頃。この時期のマイルスに、音楽的かつ直接的に最も大きな影響を及ぼしたキー・パースンがジョー・ザヴィヌルだ。この時期のザヴィヌルはまだキャノンボール・アダリー・バンドの一員だったのだが、そのかつてのサイド・マンだったサックス奏者のバンドで鍵盤楽器を弾くザヴィヌルにマイルスもかなり注目していたようだ。

 

 

マイルスがザヴィヌルを初めて知ったのは、よくよく調べ直してみると、ザヴィヌルがダイナ・ワシントンの伴奏をやっていた時らしい。僕は長年キャノンボール時代のザヴィヌルを聴いて知ったんだと思っていたので、今回この文章を書くにあたり調べて、初めてこの事実を知った。

 

 

ザヴィヌルのダイナとの活動期間は1959〜61年。そういえば、のちにこの鍵盤楽器奏者とバンドを組んで大成功することになるウェイン・ショーターも、マイルスはこの時期に知っている。そしてザヴィヌルとショーターの二名も、このほんのちょっと前に知り合っていたようだ。

 

 

しかしダイナ時代のザヴィヌルはアクースティック・ピアノを弾いていた。マイルスとの録音歴では電気鍵盤楽器のイメージしかないし、そのフェンダー・ローズ(やときたまオルガン)のもたらす独特のサウンドこそが、マイルスのニュー・ミュージックにとっても必要不可欠なものだったので、ダイナ時代に知っていたとはいえ、本当にいいなと思ったのは、やはりフェンダー・ローズを弾くようになるキャノンボール時代じゃないかなあ。

 

 

キャノンボール時代のザヴィヌルについては以前詳述したので今日は省略する。アメリカ黒人ゴスペルを土台とした真っ黒けでアーシーでグルーヴィーな曲を、ザヴィヌルはボス、キャノンボールのために書いて、自ら演奏もした。マイルスもそういうのを聴いて、こりゃいいなあ、この電気鍵盤楽器のサウンドは、そしてそれを弾くザヴィヌルは、って思ったんだろう。

 

 

 

しかしこのリンク先では、ザヴィルヌルの黒い音楽性に焦点を当てたものだから書かなかったが、同時にザヴィヌルはかなり静かでピースフルな作風の曲も、キャノンボールのバンド用に書いていた。それらは、オーストリアはウィーン生まれで同地で育ち音楽教育を受けたというザヴィヌルの、一種の音楽的里帰りだったのかもしれない。

 

 

ファンキーでグルーヴィーなものを書く時のザヴィヌルはわりとシンプルな作風で、ワン・グルーヴ的なもの(まあファンキー・ミュージックってだいたいそんなもんだ)なのだが、ウィーンへの里帰り的郷愁を帯びたスタティックなものを書く時は、難しいコードをたくさん使った入り組んだ作風なんだよね。

 

 

キャノンボール・バンド時代から、ザヴィヌルにはこの一見相反するかのような両面があって、それがまるで一枚の紙の表裏のようにピッタリ貼り付いていた。マイルスが、まずこの鍵盤奏者兼コンポーザーと共演したいと考えた際には、ひょっとしたらこれらの要素を二つとも持ってきてくれということだったかもしれない。

 

 

マイルスとザヴィヌルの初共演は1968年11月27日。2曲3トラック録音しているが、2曲ともザヴィヌルのオリジナル・コンポジションで、「アセント」1つと「ディレクションズ」2ヴァージョン。そしてこの初共演から既に、書いてきたようなザヴィヌルの持つ<静/動>両面が表現されている。

 

 

1968年11月27日の録音セッションでまず最初にやったのは「アセント」。これが静的極まりない作品で、全編にわたりテンポ・ルパート。三人の鍵盤奏者(ハービー・ハンコック、チック・コリアのフェンダー・ローズ、ザヴィヌルのオルガン)がひじょ〜にピースフルでシンフォニックな響きを奏でる上で、マイルスとショーターがソロを吹く。

 

 

 

しかしこれ、ちっとも面白いようには聴こえない。僕にとっては14分以上もあるこれを最後まで集中して聴き通すのは、はっきり言って苦痛だ。でもクラシック音楽のファンであれば少し違った見解になるかもしれないなあ。なぜならば、ちょっと新ウィーン楽派っぽいような感じもあるんじゃないかと思うからだ。

 

 

新ウィーン楽派とは、多くの場合、無調音楽、十二音技法で知られているはず。もちろん上で音源を貼ったマイルスの「アセント」はそのどっちでもない。明確なトーナリティが存在する音楽だ。しかしこの1968年頃からマイルスは「トーナル・センター・システム」という用語を使って、和声的にはほぼフリーに近いようなものを指向するようになっていた(言う必要はないと思うが、フリー=無調ではない)。

 

 

僕は楽理には全く詳しくないので間違っていたらゴメンナサイだけど、マイルスの言うトーナル・センター・システムとは、用語通り中心となる一個の音だけを決めて、例えば C なら C だけ決めて、C (に類する各種)のコード、C をキーとする各種モード(施法=スケール)、特に C を起点とするクロマティック・スケールなどなど、どんなものを使って演奏しても構わないというもの。これがマイルスについての場合に限り、僕のトーナル・センター・システム理解だ。

 

 

それらのうち、クロマティック・スケールこそが最も重要で、かつマイルスは最もやりやすかったものかもしれない。半音階の使用は、西洋クラシック音楽でなら結構古くからあって、J・S・バッハに既にそういう作曲があるけれど、十二音的(=クロマティックな)音列配置が普及・一般化するのは、やはり20世紀に入ってからじゃないかなあ。

 

 

そしてそんな和声システムの影響なのか関係ないのか、マイルスはある時期以後、特にライヴ演奏での自らのトランペット・ソロのなかで、クロマティック・スケールを上下するようなものを吹くことが増えていた。主にアップ・テンポのハードな曲調のものでのことだけけど、バラードでも1960年代中期、あのハービー・ハンコック&ロン・カーター&トニー・ウィリアムズがリズム・セクションだった時代からはそうなっているものが散見される。

 

 

たぶんその1960年代中期のライヴでは、マイルスもまだ十二音技法的なトーナル・センター・システムというものをはっきりと自覚してやっていたわけではないと僕は思う。しかし前々から書くようにこの人はキャリア初期から西洋クラシック音楽が好きで勉強もたくさんやっているので、例えばバルトークなどだって当然聴いている。

 

 

マイルスは1975年のインタヴューでバルトークの名前と作品名を出したこともあるのだが、それは今日の話題に関係ない文脈においてだったので放っておく。自覚的にか無自覚的にか分らないが、クロマティック・スケールをライヴでの自らのソロでは頻用するようになっていたマイルスが、はっきりと自覚してそんな和声システムをサイド・メンにも指示するようになったのは、1968年あたりだろうと思う。

 

 

マイルスがそれを「トーナル・センター・システム」と呼んでいたというのを知ったのは、僕の場合、1989年にバンドに在籍したケイ赤城の発言によってだった。記憶ではマイルスの死後にケイ赤城がインタヴューでマイルス・バンド時代のことを聞かれて、この用語でバンド・メンに指示していたと発言していた。

 

 

ようやく今日の本題に戻るが、そんな西洋クラシック音楽的な和声システムにも通じているザヴィヌルが、1968年暮れにマイルスのレコーディング・セッションに参加して、オリジナル楽曲を書いて持参し演奏でも参加したことは、かなり深い関係があるように僕は思うんだなあ。

 

 

ザヴィヌル初参加の1968年11月27日の録音3トラックでは、上掲「アセント」が、まあ全くつまらないものでしかないように僕は思うけれど、これがマイルスが初めて演奏したザヴィヌル・ナンバーだったというのは、なかなか意義深いことかもしれない。この(評判の悪い言葉で言えば)牧歌的路線が、約三ヶ月後に録音される「イン・ア・サイレント・ウェイ」となって結実するからだ。

 

 

これまた非常に重要なことだから注意してほしいのだが、ザヴィヌルがマイルスのために書いた牧歌的で静的な作品の演奏では、アド・リブ・ソロがない。まず100%ないと言って差し支えない。リアルタイムでの未発表作品も含めてざっと勘定すると、そんなスタティックなものが全部で七曲あるんだが、管楽器もギターも鍵盤もなにもかも、アド・リブ・ソロを演奏しない。

 

 

ザヴィヌルの書いた静的だが美しいメロディをひらすら反復するだけなのだ。唯一、1969年11月19日録音の「オレンジ・レディ」でだけ、後半部でリズムがかなり活発になる。その部分はザヴィヌルの書いたものではないはず。だがその部分にもアド・リブ・ソロと呼べるものはなく、リズム・セクションの躍動感も突発的な即興とは思えない。

 

 

これはかなり前に一度書いたのだが、ザヴィヌルがまず最初マイルス・ミュージックに共感を抱いたのは、あの「ネフェルティティ」だったらしい。アド・リブ・ソロが一切なく、同じメロディを何度も何度もリピートするだけっていうあれ。あれを聴いたザヴィヌルは、「この人は自分と同じ考えを持っている」と思ったんだそうだ。

 

 

マイルスの録音用にとザヴィヌルが書いたピースフルでスタティックなナンバーでアド・リブ・ソロが全くないというのが、マイルスの考えだったのかザヴィヌルの持ち込んだ発想だったのかを判断するのは難しいし、あまり意味もないと思う。両者とも同じ時期に同じ指向性を持っていたということだろう。その最高の果実が1969年2月18日録音の「イン・ア・サイレント・ウェイ」になる。

 

 

さて、マイルスとザヴィヌルの初顔合わせとなった1968年11月27日の録音セッションでやった、ザヴィヌルの持つもう一つの方向性、すなわち動的でファンキーな要素が、2ヴァージョン録音された「ディレクションズ」だ。これは激しい曲調で躍動するグルーヴ・ナンバー。

 

 

 

僕は前々から繰返しているが、1969〜71年の全てのマイルス・ライヴにおいて例外なく、この「ディレクションズ」がオープニング・ナンバーだった。その三年間の同曲の変遷を辿るだけで、この時期のマイルス・ミュージックの変遷が端的に理解できてしまうほどの最重要曲。これはかなり前に詳述したのでお読みいただきたい。

 

 

 

 

この路線の延長線上にあるのが1969年2月18日録音の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」(はマイルス作とのクレジットになってはいるが、実質的にはザヴィヌル作と言って差し支えない、『イン・ア・サイレント・ウェイ』収録)とか、69年8月21日録音の「ファラオズ・ダンス」(『ビッチズ・ブルー』)だ。

 

 

アルバム『ビッチズ・ブルー』になった1969年8月の録音セッションを最後に、マイルス・ミュージックにおけるザヴィヌルは、表面的には消えてしまう。だがしかし当時は未発表だったものが1970年2月6日の録音セッションまであって、ザヴィヌルはやはり曲を書き演奏もしている。

 

 

しかしながら、マイルス&ザヴィヌルの共演で未発表だったものでは、1970年頃のものよりも、2001年の『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』で初めて世に出た1969年2月20日録音の二曲「ザ・ゲットー・ウォーク」「アーリー・マイナー」が最も面白いように思う。この日付は『イン・ア・サイレント・ウェイ』録音のわずか二日後。

 

 

録音パーソネルもドラマーがトニー・ウィリアムズからジョー・チェンバーズに交代しているだけで、あとは全員同じ。この日に録音された「ザ・ゲットー・ウォーク」「アーリー・マイナー」では、後者がザヴィヌルの書いた曲で、やはり「アセント」「イン・ア・サイレント・ウェイ」路線の静的なもので、和声構造的に探求すると面白そうだが、聴いた感じでは、僕にはどうにも退屈でしかない。

 

 

 

だがマイルス作となっている「ザ・ゲットー・ウォーク」の方は相当にカッコイイ。これはファンキーなグルーヴ・ナンバーだ。ザヴィヌルはやはりオルガンを弾いていて、その弾き方もファンキーだし、またフェンダー・ローズを弾くハービーも、ギターのジョン・マクラフリンもかっちょええ〜。

 

 

 

さらにウッド・ベースのデイヴ・ホランドがファンキーなラインをリピートしていて、それがこの「ザ・ゲットー・ウォーク」の肝になっているように思うんだが、ホランドの即興ではないし、作曲者となっているマイルスに書けそうもないものだし、やっぱりこれもザヴィヌルの書いたものだったに違いないと僕は踏んでいる。このウィーン生まれの人物は、こういったファンキーなベース・ラインを書かせたら当時の白人では右に出る存在がいなかった。

 

 

この1969年2月時点でのマイルス・ミュージックとしては最高にファンキーな「ザ・ゲットー・ウォーク」。プロデューサーのテオ・マセロも、26分以上もある長さのためなのかどうなのかお蔵入りにはしたけれど、相当気に入っていて、1972年発売の『オン・ザ・コーナー』用に編集しオーヴァー・ダビングなども行って収録しようというプランもあったようだ。その際には『オン・ザ・コーナー』は二枚組になる予定だったとか。

 

 

ザヴィヌルがマイルスにもたらしたものは、1972年のあんな作品にまで続いていたんだね。なお、ザヴィヌルが曲を書いたり演奏で参加したりと、なんらかのかたちでマイルスと共演したものは、『ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』『ザ・コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』、この二つのボックスで残さず全部聴ける。

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