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2017/01/31

和製ウェザー・リポート

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ジャズ側からフュージョン・ミュージックをやっている日本人で一番好きなのは、僕の場合もちろん渡辺貞夫さん。大学生〜院生の頃に熱心に聴いた貞夫さんの音楽。そのフュージョンのなかに、あんな風なブラジル音楽テイストやアフリカ音楽テイストがなかったら、僕はいまごろなにをしていたか分らない。

 

 

最初はチャーリー・パーカー直系のビ・バッパーだった貞夫さんが、いつ頃どうしてそうなったのかの話は長くなってしまうので今日はやめておくが、とにかく僕は大のフュージョン・ファンで、世代的にはちょぴり後追いながらも、でも僕が熱心な音楽リスナーになった1979年だと、日本でならまだまだフュージョン全盛期だった。たくさん聴いたけれど、そのなかで忘れられない一人がコルゲンこと鈴木宏昌。

 

 

鈴木宏昌はもちろんキーボード奏者で、コルゲン・バンドの名で活動していたのを改めて、ザ・プレイヤーズのバンド名になってリリースしたベスト作が1981年の『マダガスカル・レディ』。大の愛聴盤だったんだけど、アナログ盤を手放して、というかレコード・プレイヤー自体を手放して以後、全く聴き返す機会がなかった。

 

 

どうしてかというとCD リイシューがされていないからだ。なんと!咋2016年まで一度も CD になっていなかった。これはひどい。これはひとえに世間のフュージョン・ミュージックに対する「ぼんくら評価」(by 荻原和也さん)のせいだ。前々から嘆いているように、フュージョンは真っ当な音楽的評価がされてこなかった。

 

 

そのまあ、フュージョンがいかに不当な扱いをされてきたか、中身についていかに正当な音楽批評が存在しないまま現在にいたっているかを、今日ここでまた繰返す気はない。だってこれまた長くなってしまうし、また機会を改めて一度じっくり書いてみたいと思っている。

 

 

さてコルゲンこと鈴木宏昌率いるザ・プレイヤーズの1981年作『マダガスカル・レディ』。咋2016年4月にようやく CD になったわけだけど、それもタワーレコード限定販売というもので、う〜ん、そうでもしないと CD リイシューが叶わないものなのか?なかなかの良作なのに?オカシイね。

 

 

あ〜、また愚痴っぽくなってしまった。やめておこう。とにかくそんなタワーレコード限定販売なので僕はしばらくこれに気付かず、昨年六月の萩原和也さんのブログでとりあげられていたのでようやく気が付いて、慌ててタワーレコード通販で買った。あぁ〜、久しぶりだったなあ、あの爽快なサウンドの快感を味わうのは。

 

 

ザ・プレイヤーズの『マダガスカル・レディ』最大の特徴は、和製ウェザー・リポートだっていうところにある。『マダガスカル・レディ』だけでなく、その前からそうなんだけど、このウェザー・リポートに強く影響された鈴木宏昌の音楽性が完成されたのが1981年の『マダガスカル・レディ』なのだ。

 

 

アメリカの方の本家ウェザー・リポートはといえば、1981年はジャコ・パストリアス、ピーター・アースキン、ボビー・トーマスという最強布陣だった時期で、そんでもってそのなかからパーカッショニストのボビー・トーマスを、ウェザー・リポートの一員として来日したのをつかまえて、ゲスト参加で招いて、ザ・プレイヤーズの『マダガスカル・レディ』は録音されている。

 

 

鈴木宏昌、ボビー・トーマス以外は、サックスの山口真文、ギターの松木恒秀、ベースの岡沢章、ドラムスの渡嘉敷祐という布陣。本家ウェザー・リポートとの違いはエレキ・ギタリストがいることだね。松木恒秀のギター・スタイルは、スタッフのエリック・ゲイルみたいな部分があってなかなかいい。

 

 

また特に山口真文のサックスは聴きもので、彼が抜けて以後このバンドはイマイチという感じになってしまったくらいなんだよね。その他、ベースの岡沢章やドラムスの渡嘉敷祐は、まるでスタッフを聴いているかのような野太いグルーヴを出していて、そこにボビー・トーマスのパーカッションが彩りを添えるんだから文句なし。

 

 

『マダガスカル・レディ』がウェザー・リポート的であるのは、アルバムを聴けば全員納得できることだ。アルバム四曲目(アナログ盤では B 面一曲目)の「C.P.S.(Central Park South)」。これは要するにジョー・ザヴィヌルの書いた「バードランド」そのまんまなんだよね。エレキ・ギターが聴こえるという違いしかなく、曲想・メロディともに引き写しみたいなもの。

 

 

それじゃあウェザー・リポートの『ヘヴィ・ウェザー』を聴けばいいんじゃないかと思われるかもしれないが、なんというかザ・プレイヤーズの「C.P.S.(Central Park South)」には、「バードランド」とは若干フィーリングの違う爽快感がある。上手く説明できないんだけど、確かに鈴木宏昌だけはあるという味は聴き取れるのだ。

 

 

またそれに続く五曲目は「8:30」。ウェザー・リポートの1979年作『8:30』の二枚目 B面一曲目だったもの。あの二枚組ライヴ・アルバムは二枚目B面だけがスタジオ録音サイドだったんだけど、その冒頭を飾っていた名曲(だと僕は思っている)。

 

 

本家ウェザー・リポートのがわずか三分もない小品だったのに対し、ザ・プレイヤーズ『マダガスカル・レディ』ヴァージョンの「8:30」は六分を超える演奏で、かなり趣向を凝らして、これは完全にザヴィヌル引き写しではない独自解釈を展開している。特に 1:14 からリズムがパッとチェンジして、ミドル・テンポのシャッフルになったりしているし、そうかと思った次の瞬間にテンポ・ルパートのバラード風になる。

 

 

そのかなり静謐なテンポ・ルパート部分ではエレベのソロもあったりするが、それもすぐに終わって、また元通りの賑やかなリズムとサウンドになって、本家ウェザー・リポートから借りてきているボビー・トーマスのコンガも大活躍。そして鈴木宏昌のフェンダー・ローズ・ソロになる。ファンク・ミュージックをやる時のハービー・ハンコックにちょっと似ている。

 

 

この大胆な独自解釈でウェザー・リポートのオリジナル・ヴァージョンを凌駕せんとする「8:30」こそが、僕にとっては『マダガスカル・レディ』のクライマックスなんだよね。あるいはアルバム・タイトル・ナンバーの一曲目、そして三曲目の「ゲット・アウェイ」、この二つで聴ける山口真文のソプラノ・サックス・ソロも絶品だ。

 

 

やはりウェザー・リポートのウェイン・ショーターによく似ているんだけど、それら二曲ともハードなスウィング・ナンバーでの山口真文のソプラノ・サックス・ソロは、彼にとっては生涯ベスト・パフォーマンスだったと言いたいくらいの出来なんだよね。ショーターだけなく、ソプラノを吹く時のジョン・コルトレーンからの影響も感じられる。

 

 

またリリカルなバラードである二曲目「シークレット・エンブレイス」、六曲目「ウィズ・オール・ビューティフル・ラヴ」などでは、鈴木宏昌のメロディ・メイカーとしての有能ぶりもよく分る美しい曲で、しかも前者ではボビー・トーマスがかなり控え目ながら、欠かせないスパイスになっているし、後者ではサックスと鍵盤がひたすら幻想的でメロウに攻める。

 

 

こんなにも充実しているザ・プレイヤーズの1981年作『マダガスカル・レディ』。傑作なのに、2016年までただの一度も CD にならなかったなんて、荻原和也さんの言葉を借りれば、世の音楽関係者・評論家はみんなボンクラか!もうそろそろフュージョン・ミュージックに対する偏見を捨てて、ちゃんと中身を聴いて評価・分析してもらえないだろうか?

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コメント

以前の記事でも、あれ?と思ったことがあったんですけど、
「萩原」じゃなくて、「荻原」です。よろしくお願いします。

bunboniさん、ありゃりゃ、スミマセン!気をつけます。

今日のこの記事については「荻原」に訂正しておきました。重ね重ね申し訳ありません。

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