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2017/01/14

ハービー・ハンコックとチャチャチャと加藤茶

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ハービー・ハンコックの1963年録音、翌64年リリースのブルー・ノート盤『インヴェンションズ&ディメンションズ』で、ごく普通のジャズ・ファンが面白いと思うのは、CD だと四曲目の「ミモザ」以外のものだろうなあ。どうしてかというと、その当時の新しいジャズの潮流、すなわちモーダル、あるいはややフリーな演奏法が全面展開しているし、アヴァンギャルドで分りにくいからだ。

 

 

しかし今の僕にとっての『インヴェンションズ&ディメンションズ』は四曲目「ミモザ」こそが一番面白い。どこが面白いのかというと、この曲はチャチャチャなんだよね。もちろんインストルメンタル・チャチャチャだけど、キューバ音楽を聴くリスナーのみなさんであれば、だいたい納得していただけるはず。

 

 

 

『インヴェンションズ&ディメンションズ』現行 CD ではアルバム・ラストに、この「ミモザ」の別テイクも収録されているので、二つ聴ける。まあでも他の多くのジャズ・メン同様、ハービーのこれも本テイクと大差ないので、二つも聴く意味は薄い。

 

 

 

だからどっちのヴァージョンでもいいが、これは明らかにキューバン・チャチャチャじゃないだろうか?『インヴェンションズ&ディメンションズ』は、基本モダン・ジャズのピアノ・トリオ編成なんだけど、一名ラテン・パーカッショニストが参加している。オズヴァルド・チワワ・マルティネスで、コンガやボンゴやギロなどを担当。

 

 

「ミモザ」でのオズヴァルドはボンゴだね。そのボンゴと、ウィリー・ボボのドラムスの二つが出すリズムのかたちは完全にキューバン・ミュージック。チャチャチャといっても甘美なバラード風で、後半部のダンサブルなパートはなし。だからボレーロ風チャチャチャ。あるいはチャチャチャでもボレーロでもないかもしれないが、どう表現したらいいのかよく分らないので、とりあえずボレーロ風チャチャチャと言っておく。

 

 

一定世代以上の日本人なら、この「ミモザ」を聴いて、かなり多くの方があれを思い出すだろう。ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』で加藤茶がやっていたコントの BGM として流れるあれだ。「ちょっとだけよ」「あんたも好きねえ」などというあれ。YouTube にいくつもあるので一つ貼っておこう。

 

 

 

僕の場合、確か小学生の頃だなあ、これをテレビで見ていたのは。スケベな感じのコントの背後で流れるエキゾティックなリズムといやらしくグロウルする金管。その頃この BGM がなんなのか分るはずもなかったのだが、のちにキューバ〜ラテン音楽をどんどん聴くようになって、これは「タブー」というキューバン・ソングであることを知った。

 

 

「タブー」はマルガリータ・レクオーナの書いた曲で、何年頃のことかはっきりしないんだけど、1930年代のことらしい。叔父である有名な音楽家エルネスト・レクオーナのレクオーナ・キューバン・ボーイズによる録音がおそらく最初のレコードだろうから。

 

 

 

しかしこのレクオーナ・キューバン・ボーイズのヴァージョンはソンであって、ザ・ドリフターズの加藤茶のコント BGM で聴けるよなフィーリングは薄い。この曲をあんな感じでやったのはペレス・プラードだ。 あのリズムになっていて、金管もワーワー・ミュートを付けて激しくグロウルする。マンボとチャチャチャは関係あるもんね。

 

 

 

ある時期ペレス・プラード楽団は日本でも大人気だったし、こんな感じの「タブー」がストリップ劇場でのショウの BGM として使われたらしい。たぶん1950年代か60年代でも前半までか、いやまあ分らないけれども、使われていたのは間違いない。それでこの「タブー」にセクシャルなイメージがつきまとうようになったので、加藤茶もおそらくストリップ劇場でそれを経験して、自分が出演するスケベ・コントで使うことを思いついたんだろうなあ。

 

 

もちろん『8時だョ!全員集合』でペレス・プラード楽団の音源そのものを使うことは、権利上その他いろんな意味で難しそうなので、日本のどこかの楽団にペレス・プラード楽団ヴァージョンそっくりな感じでやらせて、それを使ったんだろうと思う。念のために付記しておくと、元々の楽曲「タブー」に性的なニュアンスはない。

 

 

それに『8時だョ!全員集合』で加藤茶があれをやっていたのは40年も前のことなので、と言っても僕の世代までだとあのイメージは拭いがたいものだけど、もはや今では「タブー」というキューバン・ソングに性的なニュアンスを嗅ぎとる日本人も少なくなっているかもしれない。

 

 

だからハービーの『インヴェンションズ&ディメンションズ』四曲目の「ミモザ」を聴いて、リズム・パターンが、あの加藤茶の「ちょっとだけよ」と同じだなんて言うのはどうかとも思うし、そもそも1963年録音だから、もちろんハービーとその他三名は、単にちょっとしたキューバン・ソングをやってみようと思っただけに違いない。ジャズ界には、誕生初期からアフロ・キューバンな味付けがしてあるものがかなり多いのも確かだしね。

 

 

そんでもって柔和で甘美なフィーリングもあって、ゆったりなバラードであることもあいまって、やはり僕にはハービーの「ミモザ」はインストルメンタルなボレーロ風チャチャチャに聴こえるんだなあ。オカシイだろうか、この認識は?繰返すが単にアフロ・キューバン・ジャズというだけならメチャメチャ多いが、ボレーロ風チャチャチャ・ジャズなんて、他には見当たらない。僕は知らない。

 

 

ハービーの『インヴェンションズ&ディメンションズ』。 CD では三曲目の「ジャック・ラビット」もアフロ・キューバンではある。けれどもこれは要するに「チュニジアの夜」みたいなもんで、ジャズ界にはごくごく当たり前にあるものでしかないので、格別珍しいとか新しくもない。

 

 

 

中盤でウィリー・ボボとオズヴァルド・チワワ・マルティネス二名による打楽器アンサンブル・オンリーの演奏になるパートがあるものの、それもアート・ブレイキーらが「チュニジアの夜」をやる時などによくやるパターンにソックリだもんね。そのパートではウィリー・ボボが「ソッピーナッ!ソッピーナッ!」(Salt Peanuts) とスネアを叩いているのも普通のジャズ的。

 

 

またその打楽器アンサンブル・パートが終わってからのハービーのピアノも、バド・パウエルの「ウン・ポコ・ロコ」にかなりよく似ているじゃないか。ブロック・コードでそんな感じのフレーズを叩きつけている。むろん曲名がスペイン語であるバドのあれもラテン・ジャズだ。

 

 

だいたいハービーの『インヴェンションズ&ディメンションズ』は、ドラマー以外に全面的にラテン・パーカッショニストが参加しているにもかかわらず、アルバム全体は、一部を除きどこもラテン・ジャズではないという、なんだかよく分らない一枚なんだよね。ハービーはオズヴァルド・チワワ・マルティネスを起用して、いったいなにがやりたかったんだろう?

 

 

アルバム中、上で書いた「ミモザ」「ジャック・ラビット」以外でも、リズムはかなり複雑で普通のモダン・ジャズではなかなか聴けないような感じではある。ウィリー・ボボのブラシが印象的な一曲目「スコタッシュ」は6/8拍子、すなわちハチロクのリズム。

 

 

 

二曲目「トライアングル」はなんでもない4/4拍子ではじまるものの、中盤 4:31で突如12/8拍子に移行する。といっても極めてスムースにすっと変化しているので、ぼんやりしていると気付かない。そして 8:44 で4/4に戻るという三部構成だからこの曲名になっているんだね、きっと。

 

 

 

アナログ盤ではラストだった五曲目「ア・ジャンプ・アヘッド」だけが、ごくごく普通のモダン・ジャズのピアノ・トリオ(+パーカッション)演奏で、これにはリズムの面白さみたいな部分が全くないのだが、こう見てくるとハービーの『インヴェンションズ&ディメンションズ』は、ドラマーの他にパーカッショニストも起用して、複合リズムの実験をやろうとしたアルバムだったのか?

 

 

さらに言えば、アルバム中「ミモザ」以外の全四曲ではコード・チェンジが全くない。さらに用意されたテーマらしきものすらない。これはハービー以下全四名がどうやって演奏を組立てているのか、僕にはちょっと分りにくいようなものだ。たぶん一個のコードだけを提示して、あるいはひょっとして事前に一個のコードすらも用意されず、 フリーにやったかもしれない。

 

 

つまりリズム面でも和声面でも、そんなアヴァンギャルド、あるいはポスト・バップ的なモーダル・ジャズ作品であるという意味でこそ、ハービーの『インヴェションズ・アンド・ディメンションズ』は聴かれているはずだ。だからテーマ・メロディやコード・チェンジがあって、それなのにジャズではないような四曲目「ミモザ」はイマイチかも。ごく普通のジャズ・リスナーにはね。

 

 

しかしながら最初から書いているように、僕にはキューバン・ボレーロ風チャチャチャに聴こえる「ミモザ」こそが、この1963年のアルバムでは一番面白く、また一番美しいもののように思えるんだよね。しかしこれ、僕は長年全く感づいていなかった。チャチャチャとかボレーロとかもなんだか知らなかったし、チャチャチャといえば「おもちゃのチャチャチャ」、ボレーロといえばモーリス・ラヴェルの有名な「ボレロ」、あれしか思い浮かばなかったもんなあ。

 

 

それはそうとラヴェルのその「ボレロ」。一曲の終盤でパッと転調するのが大変ドラマティックに聴こえて絶大なる効果を発揮することを実証した史上初の作品かもしれないなあ。今日の本題とは全くどこも関係ないかもしれないが、このテーマはこれはこれで一度考えてみてもいいようなものかもしれない。その後、曲終盤での劇的転調が増えるようになったからさ。それに関連して、全く転調なんかしないワン・コード、ワン・グルーヴのブルーズ、ファンクとの関係とかさ、面白そうじゃない?

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コメント

どこで「ミモザ」が「あんたも好きね〜〜ん」になるのかと思ったら、チャチャチャからの流れなんだね。
実は僕が子どもの頃に住んでいた高崎市には「フランス座」というストリップ劇場があり、その前に据えられたスピーカーからは毎日ペレスプラードが流れていた。「タブー」ではないんだけど、キューバンが引っ切り無しに流されていて、通り過ぎるだけでも耳に焼きついた。
ストリップ劇場がなんなのかわからなかったが、子ども達の間でも淫靡な印象が共有されていたから、きっと劇場に入った子どももいたに違いない。
それにしても、ペレスプラードの一連の演奏がストリップに用いられていたのは間違いないよ。

やっぱりあのハービーの「ミモザ」はチャチャチャで、ペレス・プラードになって、そんでもって加藤茶になっちゃうでしょ、ひでぷ〜も(笑)。

あとねえ、僕はストリップ・ショウのホンモノを現場で生で見たことはないんだなあ。そういう世代なんだよね。

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