ライオネル・ハンプトンのビッグ・バンド・ジャンプ
ライオネル・ハンプトンの担当楽器はヴァイブラフォンで、時々ピアノも弾く。それもご覧になったことのある方には説明不要だけど、ピアノを右手の指一本と左手の指一本だけで弾くという、つまりヴァイブラフォンをマレットで叩く時と同じやり方で弾く(ハンプ以外だと、マレットを三本、四本持って駆使する人もいるが) 人だという認識の方が多いんじゃないなあ。
ライヴ・ステージではドラム・セットを叩くのをご覧になった方も多いだろうから、それも知られているはず。しかしこの人はまず最初、ジャズ・ドラマーとして出発したのだ。それをドラマーの世界はライヴァルが多くて大変だからヴァイブラフォンにしたらどうかとアドヴァイスしたのは、他ならぬサッチモことルイ・アームストロングなんだよね。
サッチモの1930年10月16日オーケー録音がロス・アンジェルスで行われているが、その時の7曲8テイクにライオネル・ハンプトンも参加している。これがハンプの生涯初録音のはずだ。少なくとも僕はこれ以前を知らない。そしてこの時のセッションで最初に録音されたのが有名曲「メモリーズ・オヴ・ユー」だが、そこでのヴァイブラフォン・ソロがハンプのと言わず、ジャズ史上初のヴァイブラフォン録音だ。
サッチモのアドヴァイス通りにハンプがやったわけだね。「メモリーズ・オヴ・ユー」は、この五年後に大ブレイクするベニー・グッドマンの得意レパートリーでもあって、1930年代後半のグッドマン・カルテットのレギュラー・メンバーになったハンプも当然演奏していることを考えると、ジャズ史上初のヴァイブラフォン録音がこの曲だったとは、なんだか感慨深い。
しかし、サッチモのこの1930年10月16日オーケー録音では、ハンプがヴァイブラフォンを担当したのはその「メモリーズ・オヴ・ユー」だけで、それ以外ではまだドラムスを叩いている。特に有名なのが「シャイン」だね。この曲でのハンプのドラムス演奏がかなりいいというのは、油井正一さんも咋2016年9月に復刊文庫化された『生きているジャズ史』のなかで書いている。
しかしながら、油井さんは全く触れていないが、この時の録音では2テイクある「ユア・ドライヴィン・ミー・クレイジー」の方がもっと面白いような気が僕はしているんだよね。ハンプのドラムスも躍動的で、さらにヴォーカルでもサッチモと絡んでいるからなあ。それは歌ではなく本演奏に入る前の喋りだけど、楽しいものだ。
さらにこの1930年10月16日のサッチモのオーケー録音では、あの大流行したキューバン・スタンダード「南京豆売り」も録音しているからなあ。当然ハンプはドラムスを叩いているんだが、このパーカッショニストもいるちょっとしたラテン・ナンバーでも、ハンプの演奏はいいんだよね。
油井さんは「シャイン」にしか言及せず、同日同レーベル録音にあるこういう「ユア・ドライヴィン・ミー・クレイジー」や「南京豆売り」のことに全く触れなかったのはどうしてだろう?たぶん理由はその文章はサッチモのコルネット・スタイルの変遷を分析するのが眼目なので、ということなんだろう。確かにコルネットだけに焦点を当てると全然面白くない。
ただサッチモの芸能性や、ハンプのドラマーとしての上手さや、あるいは後年ハンプも発揮するようになるブラック・エンターテイメントとしてのジャズの面白さに目を向けたら、それら「ユア・ドライヴィン・ミー・クレイジー」や「南京豆売り」の方が面白いんだよね。
話がサッチモ関連に逸れてしまったが、ここまで書いたものはレガシーが2012年にリリースした『The Okeh Columbia & RCA Victor Recordings 1925-1933』で全て聴ける。僕もそれで聴き返してここまで書いた。CD10枚組だからやや値が張るが、内容は保証する。是非買ってほしい。買えば一生の宝になるからさ。頼む、買ってくれ!
とにかくライオネル・ハンプトンの、僕の知る限りでの生涯初録音がそれで、その後、前述の通りベニー・グッドマンのスモール・コンボのレギュラー・メンバーに起用されたことで一躍大スターになる。そしてその活動と並行して1937〜41年にヴィクター・レーベルへ吹き込んだコンボ編成でのオール・スター・セッションは、スウィング期のものとしては最高の名演集として、昔からジャズ・ファンにも大人気で評価も高い。
その後ベニー・グッドマンのところを卒業して自らの楽団を率いるようになってからのハンプは、1995年に病に倒れるまで第一線で活躍するジャズ・マンとして人気があったので、ジャズ・ファンなら知らない人はいない有名人。そういえば日本人アルト・サックス奏者 MALTA はハンプトン楽団のコンサート・マスターだった時期があるなあ。
がしか〜し、そんなハンプでも多くのジャズ・ファンが無視してきた時期があるよね。無視というか積極的に忌み嫌われたり、あるいはそもそもそんな音楽をやっていたなんて事実そのものに気が付いていなかったりするみたいだ。それは言うまでもなく1940〜50年までのデッカ録音だ。そしてそれは普通のいわゆるジャズ=芸術ジャズではない。
それは僕たちブラック・ミュージック・ファンが「ジャンプ」という名前で呼んでいるもので、しかし数年前もこの(ジャズ系の人たちがやる)ジャンプの名前を出したら、あるジャズ・ファンの方に「すみません、ジャンプってなんですか?」と言われてしまったであるよ。
今でもその程度の認知度しかない音楽なんだよね、ジャンプ・ミュージックって。僕は前々から何度も何度も繰返しているのだが、ジャンプとはすなわちジャズに他ならない。百歩譲ってもジャズの一変種でしかないものだから、中村とうようさんが「ジャズではないジャンプ」というような言い方をしているのは、本音の部分では僕はちょっぴり気に食わないんだなあ。
がしかし日本で最も熱心にジャンプ・ミュージックの普及活動につとめていたのがとうようさんだったのも確かなことだ。ジャズではないというような言い方をしたのは、この猥雑で下世話でビート感の強いダンサブルなジャズを、いわゆる「ジャズ」として紹介したのでは、一般のジャズ・ファンに毛嫌いされるばかりか、それ以外の音楽のファンが全く食いつかないと判断しての故意の戦略だったに違いない。
ライオネル・ハンプトン楽団の1940年代ビッグ・バンド・ジャンプ録音を、CD でマトモなかたちでリイシューしているのも、中村とうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズの一枚『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』(1997年リリース)だけだもん。しかしこれ、どうして最後に一曲だけ1963年録音があるのかだけが、いまだに僕は理解できない。
ラストにどうしてだか収録されている1963年録音はどうでもいいので、『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』ではその前までの24曲こそが楽しいものだ。この一枚を、ハンプはちょっと面白い程度の純ジャズ・マンだしか考えていないジャズ・ファンにも是非聴かせたい、そんな気持でいっぱいなんだよね。
CD が『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』しか存在しないんだから、これに沿って話を進めるしかない。上でちょっと気に食わないなんて言ってゴメンナサイ、とうようさん、亡くなった今でもお世話になります。さてこの一枚において、アメリカのポピュラー音楽史的に最も重要なのは、4曲目、10曲目、12曲目の三つだろう。19〜22曲目も大変楽しい。
『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』の四曲目はあの1942年録音「フライング・ホーム」だ。これがアメリカ大衆音楽録音史上最も重要な曲の一つだというのは、僕たちはもういやというほど認識させられてきているのだが、一般のジャズ・ファンやその他の方々向けには、今でもやはり繰返さなくちゃいけないみたいだね。
「フライング・ホーム」という曲はハンプトン楽団のオリジナル・ナンバーではない。かつてハンプも在籍した時代のベニー・グッドマン・セクステットによる1939年10月録音が初演のもので、それが同年に SP 盤でリリースされ、また当時はライヴでも演奏していた。
お聴きになって分るように、なんでもない普通のスウィング・ジャズ・ナンバーだ。作者はベニー・グッドマンとライオネル・ハンプトン両名の名前で登録されているが、この当時の因習によってボスが版権登録にいっちょかみしただけなんじゃないかと僕は想像している。だから本当はハンプ一人のアイデアだったかも。
お分りのようにハンプのヴァイブラフォン・ソロもある。しかし後半部のリフの反復で盛り上げるのが主眼であるようなアレンジだよね。この「フライング・ホーム」を、グッドマン楽団退団後のハンプは、自楽団結成二年後の1942年にこんな感じでやった。
ビッグ・バンド編成なので、それだけでも響きが違っているのだが、肝心なのはそういう部分だけじゃない。重要なのは二点。大きくフィーチャーされているテナー・サックス・ソロと、後半部からエンディングにかけてフル・バンドで怒涛のようになだれ込んでくるド迫力のジャンプ・サウンドだ。
大きくフィーチャーされているテナー・サックス・ソロを吹くのはイリノイ・ジャケー。ジャケーのこのテナー・ソロで「ブロウ・テナー」という考えが確立し後世に続くこととなり、ひいてはそれがリズム&ブルーズ系のホンク・テナー・スタイルを生み出した。
ところでどうでもいいことかもしれないが、『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』の解説文でのとうようさんは「イリノイ・ジャケット」表記だ。これはちょっとどうなんだろう?Jean-Baptiste Illinois Jacquet はルイジアナ生まれのフランス系(両親がクレオール)。アメリカ人だから英語読みにしたということなんだろうか?もしそうだとすると、今度は Louis Armstrong や Sidney Bechet のとうようさんのカタカナ表記がオカシイということになってしまうけどなあ。僕の知らないなにか確たる理由があるんだろう。
それはいいや。僕はイリノイ・ジャケー表記でいく。ハンプトン楽団1942年「フライング・ホーム」におけるジャケーのテナー・ブロウは、しかしそれ自体は立派なジャズ・ソロだ。リズム&ブルーズのテナー・ソロ第一号と賞賛されることがあるらしいが、僕には普通のジャズに聴こえるね。格別の黒っぽさとか粘っこさとかも感じない。
またこの「フライング・ホーム」を<最初のロックンロール・レコード>だと位置付ける人たちもいるらしいのだが、それもある種のシンボリックな意味合いでのことであって、ここから発展してリズム&ブルーズが生まれ、それがロック勃興の母胎となったから、その源泉的象徴としての評価なんだろう。
音楽それ自体はなんでもない、ということはなく、ビート感が強く、そして1942年当時の黒人の日常生活感覚に根ざしたようなフィーリングのダンサブルなものであるとはいえ、僕にとってはまあ普通のジャズなんだよね、あの「フライング・ホーム」は。「ジャズではないジャンプ」とか書くこともあったとうようさんだって『大衆音楽の真実』のなかで、アースキン・ホーキンズ楽団の「アフター・アワーズ」と並べて、どっちも立派なジャズだと書いているもんね。
つまり立派な(まあ普通の)ジャズであり、なおかつブギ・ウギ・ベースでビート感を強烈にして、黒人の庶民感覚にある生々しいエモーションをぶつけるかのようなダンス・ミュージックであるという、この両面をしっかり把握しないと「アフター・アワーズ」にしろハンプトン楽団ヴァージョンの「フライング・ホーム」にしろ、本質は理解できない。
それがなんだかジャズ・ファンは敬遠してジャンプ(はほぼイコール、ジャズだが)を聴かず、そもそもそんな分野の存在すら知らず、一方とうようさんの手引で聴くようになったブラック・ミュージック・ファンは、ジャンプは「ジャズではないんだ」という認識だったりするので、僕なんかは歯がゆくてたまらない。この両者ともオカシイ認識なんだぞ。
さてハンプトン楽団1942年の「フライング・ホーム」後半〜エンディング部でのフル・バンドでジャンプする迫力は、1942年時点では最もハードな部類に入るものだったはず。その後はもっともっと激しくダンサブルなものがどんどん出てくるようになり、ハンプトン楽団でも40年代半ば以後はそんな録音がいくつもある。
上で『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』において最重要であると書いた10曲目は「イーヴル・ギャル・ブルーズ」。ファンの方であれば曲名だけでダイナ・ワシントンが歌っているんだなと分るはず。ダイナはそもそもハンプのためにマネイジャーのジョー・グレイサーが1942年に見つけてきて紹介した歌手だった。
だからダイナはハンプトン楽団の専属歌手的存在だったのだが、1943年にダイナがハンプトン楽団のピックアップ・メンバーをバックにキーノート・レーベルに録音した四曲を、キーノートは「ライオネル・ハンプトン・セクステット・ウィズ・ダイナ・ワシントン」名で発売してしまった。そのまず最初の一枚の A 面が「イーヴル・ギャル・ブルーズ」。
しかしこれははなはだ都合の悪いことだったのだ。当時のハンプトン楽団はデッカと専属契約を結んでいたので、他のレーベルのレコードにリーダー名みたいにしてハンプの名前が出ると、これすなわち契約違反だ。したがってたちまち訴訟沙汰になってしまった。ハンプの名前を出したのがキーノートなのか、プロデュースしたレナード・フェザーなのかは、僕は知らない。
とにかくこんな事情があったので、1943年にはハンプトン楽団のデッカ録音が全くないのはまだいい。他の年に優れたものがたくさんあるからだ。問題はだ、楽団専属歌手だったダイナ・ワシントンと、彼女が在籍した時代のハンプトン楽団が共演するスタジオ録音が、たったの一曲しか残っていないっていうことなんだよね。
それが1945年にデッカに録音された「ブロウ・トップ・ブルーズ」。内容的にはキーノートの「イーヴル・ギャル・ブルーズ」の続編的なものだけど、僕は「ブロウ・トップ・ブルーズ」の方が優れていると思う。ダイナのヴォーカルも、ハンプトン楽団のピックアップ・メンバーによる演奏も。
これも実質的にハンプトン楽団のレコードでデッカ原盤であるのに、どうしてとうようさんが『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』に収録していないかというと、同じ MCA ジェムズ・シリーズの一枚『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇』に収録されているから、重複を避けるため。やっぱり全部買わなくちゃね。
重複を避けるといえば、その『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇』には、ハンプトン楽団1942年の「フライング・ホーム」が収録されていない。1996年にこれがリリースされた際、こんなに重要な曲をどうして収録しないのか?「アフター・アワーズ」は入っているじゃないか!と不思議だった。
翌1997年に『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』がリリースされ、それに「フライング・ホーム」は収録されたのだ。こっちに収録したい、これが入らないハンプトン楽団のビッグ・バンド・ジャンプ録音集などありえないということで、とうようさんも『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇』に収録するのは見送ったんだろうなあ。
ともあれダイナ・ワシントンとライオネル・ハンプトン楽団との正式共演録音が極めて少ないというのは、はっきり言ってアメリカ大衆音楽史上における痛恨事、悲劇だ。ダイナのようなジャズ/ブルーズ/リズム&ブルーズの三つの真ん中あたりで歌う歌手にとっては、1940年代のハンプトン楽団以上に似合うバック・バンドはいなかったのに。
さて『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』で最重要と書いたもう一つである12曲目は、1945年12月録音の「ヘイ・バ・バ・リ・バップ」。ブギ・ウギを土台とするベースに、ピアノとドラムスだけという伴奏でハンプとバンド・メンバーがコール&リスポンスで歌い、やがて激しくダンサブルにジャンプするフル・バンドのアンサンブルが出てくると、それに乗ってハンプが歌うという一曲。
こんなのはこの1945年12月までのハンプトン楽団にもなかったパターンで、お聴きになって分るように既にリズム&ブルーズにかなり接近しているというかほぼ同じ。この当時、楽団リーダーのハンプ自身、黒人音楽のニュー・ムーヴメントを感じ取っていて、それを実際の音で表現したものだ。45年12月というと第二次大戦が終ってまだ数ヶ月だけど、戦後の新しい音楽の方向性を敏感に感じ取っていたハンプの先見性を示しているよね。
また「ヘイ・バ・バ・リ・バップ」という曲名でも分るし、曲中で歌われているのでも分るように、これはビ・バップのスキャット・ヴォーカルだ。1945年あたりから純ジャズ界でもこんなのがどんどん出てきているが、ハンプはリズム&ブルーズに最接近すると同時に、ジャズの新潮流をも意識していたことになる。
ってことは、1945年12月録音で翌46年にレコード発売されたこの「ヘイ・バ・バ・リ・バップ」によって、ライオネル・ハンプトンは、ジャズにおけるビ・バップ革命と、黒人庶民音楽としてのリズム&ブルーズ革命と、その両者の接点に立っていたってことだなあ。油井正一さんは『ジャズの歴史物語』のなかで「ビバップと R&B には共通項がある」と書いているじゃないか。
『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』の19曲目「ベンスン・ブギ」から22曲目「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー」あたりの1949〜50年録音となると、これはもう完全なるリズム&ブルーズと呼んだ方がいい。主にブルーズ・シャウター、サニー・パーカーが歌っていて、21曲目の「ハウ・ユー・サウンド」もスローなリズム&ブルーズの名唱じゃないかなあ。
なお、ライオネル・ハンプトン楽団の1940年代ジャンプ録音は、とうようさん編纂の MCA ジェムズ・シリーズでは『ライオネル・ハンプトン 1942-1950/1963』以外にも複数枚にわたっていろいろと収録されている。上記『ブラック・ミュージックの伝統〜ジャズ、ジャイヴ&ジャンプ篇』に一つ、『ブラック・ミュージックの火薬庫〜レット・イット・ロール』に二つ、『ロックへの道』に一つ、『伝説のブギ・ウギ・ピアノ』に一つと、これだけある。
僕はそれら全てを iTunes でピックアップして一つのプレイリストにまとめ、年代順に並べて楽しんでいる。CD-R 一枚には入らない長さになっているので焼いては聴けないけれど、マトモな CD リイシューがない以上、今のところはこれが最善策なんだよね。
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