サラの『枯葉』でいいのは「枯葉」ではない
サラ・ヴォーンの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』の話をしよう。これが1982年にリリースされた時は驚いたというか腹を立てた日本のファンも多かったはず。なぜならばこのアルバムの邦題は『枯葉』であるにもかかわらず、曲「枯葉」が出てこないのだ。A面三曲目がそうだとなってはいるけれども。
しかしそのA面三曲目の「枯葉」と書かれてあるそれを聴くと、お馴染のあの有名なメロディが一秒たりとも出てこない。サラもサイド・メンも全くそれをやらない。全編アド・リブで構成されていて、サラも英語詞は全く歌わず、完全なる器楽的なスキャット・オンリーで通している。だからこれは分らない人は全くなにをやっているんだか分らないはず。
実際、この『枯葉』(というアルバム題はあまり好きじゃないが)を買ったジャズ・ファンが、「枯葉」が入っていないじゃないかとレコード屋に文句を言って返金を要求したという噂話まで残っているくらいだ。このエピソードはまあ取ってつけたようなウソだとは思うけれど、それくらいの内容であるのは確かだ。
聴いてコード進行を把握できるリスナーであれば、サラのあの「枯葉」は疑いなくジョセフ・コスマの書いたあの有名シャンソンで、1950年代からジャズ・メンもよくやるスタンダード曲だということは分る。ジャズでは常套である II 度→V 度の進行、いわゆるツー・ファイヴが頻出するのでお馴染だ。
ちょっと音源を貼っておいたけど、どうですこれ?これじゃあコード進行などを意識しない一般の多くのジャズ・ファンは、あの「枯葉」だということを認識できないよねえ。超有名曲なので、サラもちょっとこんな感じでやってみようと思っただけだったのかなあ。
ただし僕はサラのスキャットが爆進するこの「枯葉」は実はあまり好きじゃない。はっきりと言うとアルバム『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』のなかで最も耳を傾けないのがこれだ。この「枯葉」なら、あえて言えば僕はジョー・パスのギター・ソロが上手いなということと、リズム・セクションの動きを聴いている。
サラのアルバム『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』にはもっとずっと好きな曲がいくつもある。A面なら二曲目の「ザッツ・オール」がスウィンギーでいいなあ。サラが歌いはじめる部分は2/4拍子だが、ローランド・ハナのピアノ・ソロ部分から4/4拍子に移行して、俄然スウィングしはじめる。
そのローランド・ハナのピアノ・ソロは実に見事な弾きっぷりだ。パーソネルなど事前に知らなくたって、ピアノ・ソロになったら、お、これは誰だ?となるはず。ピアノ・ソロのあとに出るサラのヴォーカル部分も4/4拍子のままでスウィングする。
ローランド・ハナは、このサラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』の伴奏バンド四人のリーダー格だった。ハナのピアノ、ジョー・パスのギター、アンディ・シンプキンスのベース、ハロルド・ジョーンズのドラムス。だが僕はベースとドラムスの二人についてはよく知らないし、有名でもないはず。
サラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』で僕が一番好きなのはイヴァン・リンスの書いた二曲だ。A面ラストの「ラヴ・ダンス」、B面トップの「ジ・アイランド」。もちろんイヴァンはブラジル人音楽家だけど、サラは1970年代からブラジル音楽に接近した良いアルバムを創っているもんね。
『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』にあるイヴァン・リンスの二曲では、A面ラストの「ラヴ・ダンス」(英語詞はポール・ウィリアムズ)はゆったりとしたジャズ・バラード。ジョー・パスのギターはかなり小さい音で、ピアノ・トリオ中心での伴奏。
しかし僕はB面トップの「ジ・アイランド」の方がもっとずっと好きだ。これはややボサ・ノーヴァ風のリズム・アレンジになっている。冒頭テンポ・ルパートでサラが歌いはじめるが、すぐにリズム・セクションがボサ・ノーヴァを演奏しはじめるのがいいよねえ。
そのボサ・ノーヴァ・リズムにテンポ・インしてからのバンドの演奏とサラの歌い方が僕は大好きなんだなあ。英語詞(誰が書いたんだろう?)はちょっとセクシーかもしれない。はっきり言うとセックス行為のメタファーであるように僕には聴こえるんだなあ。これは単に僕がスケベオヤジなだけなのか?
サラのヴォーカルの歌詞内容と歌い方が盛上がっていくにつれ、バンドの伴奏も徐々に熱を帯び、最終的にクライマックスに到達し、「ジ・アイランド」は終了する。つまヴォーカリストも楽器奏者たちも、全員が一緒になって行っているように僕には聴こえるんだけどなあ。僕の頭がオカシイのか?
そんな B 面一曲目の「ジ・アイランド」こそが、僕にとってはサラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』におけるクライマックス、白眉の一曲に間違いないんだけど、誰もそんなことは言わないよねえ。みんな壮絶なスキャットを聴かせる「枯葉」の話ばかりで、ジャズ喫茶でも A 面しか流れなかった。
まあ「枯葉」のスキャットが凄いっていうのは間違いないし、アルバム『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』の最大の聴きものであるのは僕も疑わない。こんな解釈はそれまでただの一つもなかったわけだしね。器楽奏者ではない歌手でも、「枯葉」じゃなければ似たようなことをやる人は、ずっと前からいた。
だからみんな『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』では「枯葉」の話をするわけだけど、イヴァン・リンスの書いた二曲、特に「ジ・アイランド」のセクシーな盛上りを聴かせる歌い方と伴奏の話もちょっとしてほしいんだよね。「枯葉」とどっちがチャーミングかというと、僕には断然「ジ・アイランド」だ。
サラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』には、他にもA面一曲目のスタンダード「アイ・ドント・ノウ・ワット・タイム・タイム・イット・ワズ」もある。この曲はアート・テイタム、チャーリー・パーカー、ソニー・クラーク、歌手ならビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルドもやっている。
またアルバム・ラストの「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」。これもロジャース&ハートの有名ソングライター・コンビが書いた有名曲。アル・ジョルスンが歌ったのが初演だけど、コロンビア時代のフランク・シナトラの歌でも知られているものだ。
フランク・シナトラの「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」は1945年8月22日録音。しかし当然ながらまず最初は SP盤でリリースされたこの曲は、なかなかLPには収録されず、というかそもそもLP化されなかったんじゃないかなあ。僕は1993年リリースのコロンビア録音完全集でしか聴いたことがない。
シナトラの『ザ・コロンビア・イヤーズ 1943-1952:ザ・コンプリート・レコーディングズ』CD12枚組。これにしかシナトラの歌う「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」は収録されていないだろうと思うんだけどね。なかなかいい歌なんだ。
この YouTube 音源の記述では「1946」という文字が見えるが、これはリリース年じゃないかなあ。録音年ということなら間違っている。僕の持っているシナトラのコロンビア時代録音全集附属のディスコグラフィーでは、前述の通り1945年録音と記載されているもんね。瀟洒なストリングスもいい感じ。
サラの『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』ラストの「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」は、ローランド・ハナのピアノ伴奏一台のみでしっとりと歌う。歌詞の意味をかみしめるように歌い込むのが素晴らしく、ラストを締め括るに相応わしい。
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