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2017/01/09

ジャグ・バンドはロックの源流の一つ

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第二次大戦前のアメリカにはたくさんあったジャグ・バンド。その当時の同国大衆音楽の雑多な要素がゴッタ煮になっていて実に楽しい。ジャグ・バンド・ミュージックは基本的には黒人音楽、なかでもブルーズ寄りだけど、そればっかりでもないんだよね。いわゆるヒルビリー・ミュージックも溶け込んでいるし、黒人/白人を問わず当時のポップ・ミュージックがいろいろと混ざり込んでいた。

 

 

ジャグ・バンドというくらいで、瓶(jug)を使う。ガラスか陶器でできた瓶の口をブッブッと吹いて低音を出すわけだ。その他、ハーモニカ、カズー、フィドル、ギター、ウォッシュボードなどが入る場合が多い。ウォッシュボードが今で言うドラムス、ジャグがジャズにおけるチューバとかトロンボーンみたいなもので、それにくわえウォッシュタブ、すなわち洗濯桶に棒を立ててロープを張って鳴らし、それがストリング・ベースの役目。この三つがいわばリズム・セクションで、その上に書いたような楽器で実に素朴なアンサンブルとも呼べないようなサウンドを出し、ヴォーカルを乗せる。

 

 

戦前におけるジャグ・バンドのメッカは、なんといってもまず発祥地とされるケンタッキー州ルイヴィル、次いでテネシー州メンフィス。どっちかというとメンフィスの方が重要かもしれない。どうしてかというと、この都市がアメリカ南部における黒人音楽芸能のある意味中心地、集約地だったからだ。たくさんのジャグ・バンドがあったようだが、なかでもメンフィス・ネイティヴであるハーモニカ(その他)奏者ウィル・シェイドが結成したメンフィス・ジャグ・バンドが最も有名で代表的な存在だ。

 

 

ブルーズ・ファンであればメンフィス・ジャグ・バンドを知らない人はいないだろうというほど有名なのは、あのメンフィス・ミニーが参加したことがあるからだ。録音も残っている。僕が持っているこのバンドの録音集はたったの一枚だけだから偉そうなことは言えないが、それは米ヤズー・レーベルの出した『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』という全23曲。

 

 

ヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』は1927〜1934年の録音集だけど、このバンドは1950年代末まで存在し、かなりの量を録音しているみたいだ。だがまあしかしやっぱりアメリカ大衆音楽史で見たら、1920年代末〜30年代半ばまでの録音が重要だろうなあ。

 

 

といっても僕の持つ『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』で最も新しい時期の録音である1934年ものは二曲だけで、他は全て1930年までの録音が21曲。これは間違いなく例の大恐慌のせいだね。あれでいろんな音楽家(だけじゃないが)の活動も滞ってしまった。

 

 

ヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』。バンド創設者で中心人物のウィル・シェイドは当然全曲で演奏したり歌ったりしているが、それ以外のメンバーはかなり頻繁に入れ替わっている。CD 附属の紙に全曲の録音年とパーソネルが書いてあるのだが、しかしそれは収録曲順でもなく録音順でもないから(いったいなに順?)やや分りにくいが。

 

 

ウィル・シェイドはヴォーカル、ハーモニカはもちろん、ギターもたくさん弾いている。それ以外のバンド編成は、ジャグはもちろん欠かせないが、もう一名のギター、カズーが基本。多くの曲がそれだけのメンツなんだけど、あとはバンジョーとマンドリンが入ったり、一曲だけフィドルが入るものがある。

 

 

つまり弦ベース代わりのウォッシュタブは全くなしで、だからジャグのブッブッという音がまあ低音担当だなあ。ウォッシュボードやなにかの打楽器など、ドラムス代わりの楽器もなしだ。だからこの1927〜34年頃のメンフィス・ジャグ・バンドは、あくまでジャグとギターとカズーとハーモニカ、そしてヴォーカルなんだよね。

 

 

そんな素人楽器みたいなものばかりで、音楽的な中身もまあルースなものをありがたがることはないだろうと思うような人は、ヴォードヴィル・ショウからブルーズなどアメリカ黒人音楽芸能史に疎いか、ロックンロール誕生の経緯を知らない人だってことになるなあ。どうしてかというと、ジャグ・バンドは、要するに以前も一度書いた原初音楽衝動、つまり「バンドやろうぜ!」というものだからだ。ってことはつまり、仲間が集まって音楽をやる楽しさも知らないんだってことになるんだよね。

 

 

メンフィス・ジャグ・バンドに代表されるメンフィス・エリアは、上で書いたようにアメリカ南部黒人音楽の集約地みたいなところだったので、当地のジャグ・バンドはカントリー・ブルーズ、ホウカム、あるいはもっと前からのアメリカ黒人音楽芸能と一体化して結びついていた。

 

 

なんたってタンパ・レッドが史上初録音を行なったのは、メンフィスで活動していたマ・レイニー&ハー・タブ・ジャグ・ウォッシュボード・バンドでだもんね。 マ・レイニーって、一般的にはあくまでジャズ・バンドの伴奏でやる洗練された1920年代の都会派ブルーズ(例のクラシック・ブルーズという用語は、もう今後は使わないことにした)の歌手だという認識だろうが、意外にそういう録音もあるんだよね。

 

 

1928年録音のマ・レイニー&ハー・タブ・ジャグ・ウォッシュボード・バンドは、実はジョージア・トムのバンドだ。ジョージア・トムはもちろんタンパ・レッドと非常に強く結びついた人物として憶えられているはず。ジョージア・トムの最初の結婚相手ネティがマ・レイニーの衣装係だったので、おそらくはそれでこの女性ブルーズ歌手との縁ができたんだろう。28年にマ・レイニー&ハー・タブ・ジャグ・ウォッシュボード・バンド名義で八曲録音している。

 

 

たぶんその頃にタンパ・レッドも参加したか、少なくとも顔を出していたんだろう。ジョージア・トム・ドーシー&タンパ・レッド二人の名義でマ・レイニーの伴奏をやった録音が、1928年に六曲ある。それはマ・レイニー&ハー・タブ・ジャグ・ウォッシュボード・バンド名義録音の直後なんだよね。

 

 

ジョージア・トムとタンパ・レッドといえば、あの1928年の強烈な「イッツ・タイト・ライク・ザット」だとなるよね。あの曲のパンクな苛烈さは、ロックンロール第一号と呼びたいくらいのものだ。そんなジョージア・トムとタンパ・レッドがメンフィス・エリアでジャグ・バンドに関係していたのは、決して偶然なんかじゃない。

 

 

メンフィスのジャグ・バンドが黒人ブルーズ、特にやはりメンフィス・ブルーズと密接に結び付いていたことは、ヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』を聴いても非常によく分る。だいたい全部の曲がいわゆるブルーズ形式で、それもほとんど12小節3コードのシンプルな定型。

 

 

それにくわえブルーズ・ファンには超有名人のメンフィス・ミニーがヴォーカルとギターで参加する録音もあったりするので、一層このジャグ・バンドはブルーズ・バンドだという認識になるだろう。だが僕が聴いた限りではメンフィス・ジャグ・バンドにおけるメンフィス・ミニーはさほど重要な意義を持っていない。

 

 

女性歌手参加のものに限っても、数でもハッティー・ハートの方が多いし、音楽の質からしてもハッティーの方が重要だ。ヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』にあるハッティーが歌うものは三曲(メンフィス・ミニーは一曲)。全部面白いが、最高作は1930年の「コケイン・ハビット・ブルーズ」だね。

 

 

 

伴奏はジャグとギターとカズーとハーモニカ。ハッティーと一緒に歌うのはベン・ラムジー。ジャグの低音が、ジャズ・バンドにおける管ベース、すなわちチューバと同じ役割を果たしていて、さらにウィル・シェイドのハーモニカの吹き方はかなりブルージーだ。そしてなんといってもハッティーのヴォーカルが相当にいいじゃないか。

 

 

同じくハッティーがメンフィス・ジャグ・バンドで歌う「アンビュランス・マン」(1930)と「パパズ・ガット・ユア・ウォーター・オン」(1930)では、まるでベシー・スミスみたいに咆哮するし、「メンフィス・ヨー・ヨー」(1929)では実に寂しく哀しげ。

 

 

 

 

 

これらを聴けば、やはりこのメンフィス・ジャグ・バンドとはすなわちブルーズ・バンドじゃないかとなるんだが、しかしこんな感じじゃないものの方がヤズー盤『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』には多くて、黒くてブルージーに聴こえるものの方が例外かもしれないと思うほど。

 

 

『ザ・ベスト・オヴ・メンフィス・ジャグ・バンド』を聴くと、白人バラッドの伝統だって混じり込んでいるし、そもそもこのバンドの中心要素であるブルーズは、この1920年代後半は、まだまだバラッドと不可分一体だったし、マウンテン・ミュージック由来の白人音楽、ヒルビリーの痕跡だって感じるものだし、最も重要なのはやはりかなりダンサブルであるという点だろうなあ。

 

 

ヴォーカルの味にも、あるいはカズーやジャグ(あるいはメンフィス・ジャグ・バンドにはないがウォッシュボードやウォッシュタブなど)などの楽器が出す味にも、かなりノヴェルティなフィーリングがあって、しかもこれは僕がジャズ・ファンだからなのか、当時のジャズ・バンドに相通じるものすらあるように聴こえる。

 

 

ホーム・メイドの素人楽器でやるブルーズとバラッドとヒルビリーなどを根底に据えたノベルティでスウィンギーなダンス・ミュージック。それがジャグ・バンド・ミュージックだ。そんなジャグ・バンドとは、ここまでお読みになって既にお分りの通り、あのスキッフルと同質のもの。つまりロックンロールの原初形態だ。

 

 

実際、1960年代にジャグ・バンドは再び注目され復活した。それはいわゆるフォーク・リヴァイヴァル・ムーヴメントにおいてのことで、例の高名なハリー・スミス編纂の『アンソロジー・オヴ・アメリカン・フォーク・ミュージック』に収録されているジャグ・バンドを参考に、白人(アングロ・アメリカン)たちがジャグ・バンドをやりはじめた。

 

 

そんな1960年代のアメリカのコーヒー・ハウス・ジャム・セッションのなかで白人たちがやりはじめたジャグ・バンドのうち最も有名なのは、おそらくジム・クエスキン・ジャグ・バンドとイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドだろう。どっちにものちに有名ロック歌手になるマリア・マルダーがいるんだよね。

 

 

またアメリカにおけるジャグ・バンド・リヴァイヴァルは1960年代だが、イギリスではその少し前、50年代中盤にブームになっていた。それが今日も上で名前を出したスキッフルだ。ロニー・ドネガンらのあのスキッフルの本質は、要はイングリッシュ・ジャグ・バンドだってこと。スキッフルが初期 UK ロックにとってどれだけ重要かは、繰返す必要がないはず。

 

 

つまり「バンドやろうぜ!」という原初音楽衝動で、ホーム・メイドの素人楽器やギターなどのシンプルなもので集まったってことなんだよね。こんなのはアメリカにおける田舎町のブルーズ(的なもの)が発端だが、ロックンロールが戦後あれだけ大流行したのも、クラシックやジャズにはない、ちょっとやってみようよっていうそんな気持にさせてくれる親しみやさ、分りやすさがあったからだろう。

 

 

ってことで、ロック・ファンのみなさんも、戦後のフォーク・リヴァイヴァルのなかで復活した白人ジャグ・バンド連中だけでなく、そのルーツたる戦前の黒人ジャグ・バンドもどんどん聴いてほしい、そんな気持で今日は書きました。

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