« スライ〜ウッドストックの興奮 | トップページ | 音楽とセックスのエロい関係〜アフリカ音楽とカリンダ、ジャズ、プリンスその他 »

2017/02/17

マイルス・イン・ジャパンの思い出

Milesdavisliveundertheskytokyo1985d

Hqdefault









1981年のマイルス・デイヴィス復帰後初来日公演を福岡に観に行った時は、以前書いたように僕が大失態を演じてしまったので(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-bd16.html)、二年後83年の来日公演を大阪に観に行った時は、81年の時と同じ友人のうちの一人とまた一緒に行ったのだが、今度はさすがに松山を出発する前に、あらかじめチケットを渡しておいた。

1983年というと、僕は大学四年生になっていて、大学院に進学することを決意していた。大阪や京都の大学の大学院の過去問題をもらいにいくのを兼ねて、大阪公演を観に行くことにしたのだった。結局、東京都立大の大学院に進学した僕だけど、実を言うと本命は京都大学だった。でも落ちちゃったんだよなあ。

1983年のマイルス大阪公演は、『アガルタ』『パンゲア』をやったのと同じ中之島のフェスティバル・ホールだというのも、大阪にした大きな理由(81年は大阪城ホール)。二日連続で行われ、一部がマイルス・バンド、二部がギル・エヴァンスのバンドという構成だったのは、これまた以前書いた。二日とも観たので、二日目は夜の開演まで暇だったから、昼間は京都に遊びに行った。

京都には高校生の時に修学旅行で行ったことがあったけれど、あまり憶えていなかった。修学旅行なんてそんなに楽しくなかったし、だいたい協調性がない僕は団体行動が超苦手、というか大嫌い。でも83年の大学四年の時に行った時は、主に京都のジャズ喫茶とレコード店巡りが目的だったので楽しかった。一番印象に残っているのは蝶類図鑑というジャズ喫茶。

京都巡りもその友人と一緒だったのだが、ジャズ喫茶、蝶類図鑑に入ると、その日(マイルス公演の二日目)に、京都で面白いジャズ・ライヴがあるというポスターが店内に貼ってあって、友人がマイルスはキャンセルしてそっちへ行きたいと言いだした。それはそれで好きにしたらいいと思って、僕はそれに構わず大阪に戻りマイルスの方へ行った。

お金は既にもらっていた(まとめて二人分チケットを手配した僕が、松山での出発前にチケットと交換でもらっていた)から、その友人も結局やっぱりフェスティバル・ホールのマイルス&ギルの方へ来たのだった。二日目はマイルスの誕生日で、僕はそれを忘れていたんだけど、おかげで最高に楽しかったことも以前書いた。
1981年の来日公演がボロボロだったマイルスだけど(でもバック・バンドは健闘していた)、わずか二年ですっかり回復して、83年のライヴはかなり素晴しいものだったことも上のリンク先に書いてある。その翌年に大学院進学で上京したので、その後85年からの来日公演は全部東京で観ている。

1985年も87年も(86年は来日なし)読売ランド・イーストでのライヴだった。85年の時はギターのジョン・スコフィールドとベースのダリル・ジョーンズ(のちにローリング・ストーンズに加入)が素晴しかったのを憶えている。ドラムス担当が、長年重用したアル・フォスターから甥のヴィンス・ウィルバーンに替っていたが、ヴィンスのドラミングはどうもちょっとね。叔父も苦労して指導はしたようだが。

ギターも1983年の時はマイク・スターンとジョン・スコフィールドとのツイン・ギター体制で、マイルスはどっちかというとマイク・スターンの方を重用していたように見受けられたけんだけど、85年にはスコフィールドが一人で獅子奮迅の活躍。彼はその時演奏された「タイム・アフター・タイム」などは乗り気じゃなかったらしい。

「タイム・アフター・タイム」だけじゃなくマイケル・ジャクスンの「ヒューマン・ネイチャー」も演奏され、そういうのはスコフィールドはボスの指示だから仕方なくやっていたと、後年インタヴューで語っている。しかし、ライヴ二曲目のブルーズ・ナンバーや、「メイズ」「カティーア」「コードMD」などでは素晴しかった。

この1985年、読売ランド・イーストでのマイルス・ライヴは、FM 東京で生中継されたんだけど、僕は現場で観たくて会場にいたので、それは当然聴いておらず録音も自分ではしなかった。だがその FM 放送音源をソースにブート CD 化されたので、それを後年買って持っている。いま聴くと、まあこんなもんかという印象しか持たないけど、当時の現場ではかなり感銘を受けたのだ。

1985年の来日公演時のステージは、マイルスの頭髪が既にほぼ失われていることを日本でカミング・アウトした最初でもあった。81年も83年もステージでは常に帽子を取らなかったし、ジャズ雑誌などに載る写真でも全てそうだったので、なんだかオカシイなあとは思っていたんだよね。振り返っていろんな写真をよく見ると、70年代半ばから既にどうもちょっと妙だよね。ウィグだろう。

同じ読売ランド・イーストでのマイルス公演では、1987年のは強く印象に残っている。突然の雷雨で開始が大幅に遅れ、あとで知ったけれど、ステージ構成も大幅に短縮されたらしい。87年バンドは、既に晩年最良のフォーリー〜リッキー・ウェルマン体制になっていて、演奏内容も素晴しかった。短縮された(のはあとから知ったが)ので、かなり短いセットだった。

1987年では、特に真っ暗な夜空に響く「タイム・アフター・タイム」が涙が出るほど美しくて最高に感動したのだった。YouTubeで探すと映像付きで上がっている。シンセサイザーなどキーボードのアレンジも、マイルスのミュートとオープンを使い分けるドラマティックなトランペット・ソロ展開も見事の一言。
1984年のライヴでの初演(正確に何月何日かは不明)以後、91年に死ぬまでの間に無数にある、マイルスによる「タイム・アフター・タイム」のなかで、この87年ライヴ・アンダー・ザ・スカイでのヴァージョンが最高のものだと僕は信じている。この87年も上述の通り現場で観たが、この年の FM 中継は録音放送だったので自分でエアチェックしたのを、数年前にデジタル化した。

その翌年1988年に三軒茶屋の人見記念講堂で聴いた単独公演は、81年復帰後の全てのマイルスの来日公演のなかでも、いろんな意味で一番楽しいもので、内容も一番充実していたような記憶。この頃になると、ライヴでやる曲の多くはスタジオ録音がないか、あっても当時未発表だったので、なんの曲をやっているのか当時分らないものもあった。

1988年で一番面白かったのが、ギター(リード・ベースのクレジットだが)のフォーリーをフィーチャーした「ヘヴィ・メタル」という曲(曲名は随分後になってから公式に発表されたわけだが)。下の YouTube 音源も、観るとマリリン・マズールがいるからこれも88年だ。まあこの「ヘヴィ・メタル」は88年にしかやっていないから。メルボルンかぁ。
1988年頃になると、マイルスはプリンスのステージを相当意識していたようで、ライヴはかなりショウ・アップされるようになっていた。ステージ衣装も、佐藤孝信のアーストンボラージュを一回のステージで三回くらい着替えていた。佐藤孝信自らがステージ袖に控えていて、次はこれを着てとかいろいろアドヴァイスしていたみたい。

1988年は、CD アルバム『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』でも聴けるように、オープニングにジョー・ザヴィヌルの「イン・ア・サイレント・ウェイ」を使っていて(そういうのはこの年だけ)、といってもマイルスはメロディを吹かず、主にシンセサイザー二台がそのメロディーを弾く上を、マイルスが自由に走るという感じだった。

マイルスの来日公演は、その1988年をピークにどんどんと下降線を辿っていくようになり、ほぼ毎年のようにやっていた来日公演も、最後の方はちょっと聴くのがしんどい気がするほどだった。移転前のブルーノート東京で行われた時も行ったけれど、料金がバカ高かったわりにはそれに見合わない内容だったのを憶えている。

僕が一度だけ行かなかったマイルスの来日公演があって、それは1990年に東京ドームで行われたジョン・レノン・トリビュート・ライヴ。この時はサックスのケニー・ギャレットだけを連れて来日し、あらかじめ録音してあるカラオケ伴奏で「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」をやったらしい。行けばよかったのかもなあ。

とはいえ、それ一曲しかやらないというのが分っていたし、バンドの生演奏でもないし、僕としてはちょっと行く気がしなかったんだよね。行った中山康樹さんが雑誌かなにかでレポートを書いていたけど、ちょっと寒々しい感じがしたと書いていたはず。中山さんは熱心なジョン・レノン・ファンでもあるんだけど。

東京ドームのだだっ広いステージに、マイルスとケニー・ギャレットの二人だけ、そのバックにカラオケ・テープの伴奏が流れるという様子を想像しただけで、僕はちょっと萎えてしまう。でもそれが結局マイルス最後の来日公演になってしまったから、マイルス好きならば、やはり行っておくべきだったんだろうなあ。今は少し後悔している。

« スライ〜ウッドストックの興奮 | トップページ | 音楽とセックスのエロい関係〜アフリカ音楽とカリンダ、ジャズ、プリンスその他 »

音楽」カテゴリの記事

コメント

マイルスが好きだよね、とんちん。
文章に愛が感じられるよ。そして「タイム・アフター・タイム」もいい。
ハゲていてもいい。マイルスのラッパはやっぱり最高だなぁ。仕事帰りの満員電車で聴いても、最高だ。

ひでぷ〜、マイルズはハゲをカミング・アウトして以後も、カツラを着用した時期もあったんだよね。自らバラしたのに、意味ないじゃんねえ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マイルス・イン・ジャパンの思い出:

« スライ〜ウッドストックの興奮 | トップページ | 音楽とセックスのエロい関係〜アフリカ音楽とカリンダ、ジャズ、プリンスその他 »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ