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2017/02/14

僕の楽しいヴァレンタイン

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フランク・シナトラその他も歌っているように「毎日がヴァレンタイン・デイだよ」というわけで、プレゼントされなくたって自分で買って年がら年中チョコレートを食べているチョコ好きの僕だけど、今日はまた日本では特別チョコが飛び交う(らしいが、実体験はゼロ)日なので、曲「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の話をしたい。

 

 

そもそもヴォーカル・ヴァージョンをお聴きになればお分りのように、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」という曲はヴァレンタインという名の相手へ賞賛・愛を歌う内容で、容貌が劣っていようと、頭脳明晰でなくとも、そのままでいいんだ、君は大の僕好みだ、そばにいてくれ、だから毎日がヴァレンタイン・デイだよという、まあ普通のラヴ・ソングだ。この場合の funny はもちろん褒め言葉。ビリー・ホリデイも歌った「ヒーズ・ファニー・ザット・ウェイ」とかも同じ。

 

 

ヴァレンタイン・デイの発祥とされるキリスト教西方教会の聖ウァレンティヌスは男性だけど、その後、英語圏(のことしか分らないので)では Valentine というファースト・ネームは女性にも男性にも付けることができるもの。だから歌詞内容を書き換えずに男性歌手でも女性歌手でもそのまま歌いうるし、実際歌っている。

 

 

ジャズ・ファンに「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」と言えば、普通チェット・ベイカーのヴァージョンを思い浮かべる人が多いんじゃないかなあ。まず1953年にジェリー・マリガン・カルテットの一員としてインストルメンタル演奏で、次いで54年の『チェット・ベイカー・シングズ』で、今度はヴォーカル・オンリーでやっている。

 

 

日本でもチェット・ベイカーは大人気だよね。しかしながら僕はどうもあの人はイマイチ好きになれない。どうしてなんだか自分でも全く分らないが、トランペットもヴォーカルもちょっと気持悪い。楽器も歌もノン・ヴィブラートでストレートなサウンドは僕好みのはずなのに、おっかしいなあ。なにかこう、芯がなく健康的でない、退廃的なイメージが嫌いなのかなあ?いやあ、全く分らない。

 

 

というわけで僕にとっての「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、歌手がやったものならフランク・シナトラかエラ・フィッツジェラルド、楽器奏者ならマイルス・デイヴィスがやったものと決まっている。特にマイルスは1956年にプレスティジに初録音(『クッキン』収録)して以後、完全なる十八番(オハコ)だったので、録音数もかなりある。

 

 

マイルスの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」初演は、完全に1954年の『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』収録のフランク・シナトラ・ヴァージョンを下敷きにしている。全体的な解釈がそうだけど、一番モロ分りなのが途中でリズム・パターンが変化するアレンジだ。

 

 

まずフランク・シナトラ・ヴァージョンの方をご紹介しよう。聴いてすぐ分るように、ワン・コーラス歌い終わったツー・コーラス目はいきなりサビからはじめるのだが、そこの出だしが三拍子になっている。それ以外は全部二拍子だ。これはひょっとしてアレンジャー、ジョージ・シヴァーロ(指揮だけネルスン・リドル)のアイデアだったのかなあ?

 

 

 

『クッキン』収録のマイルス・ヴァージョンでは、このリズムが変化するパターンをそのまま踏襲。といってもマイルスの場合は、2コーラス目をサビからはじめてその頭だけ三拍子というのではなく、全体的には緩いテンポのバラード演奏の途中で、何度か繰返しリズムがちょっとだけ快活な感じになるという具合。特にベースのポール・チェンバースがそれをやる。

 

 

 

これはマイルスが普段から言っているように「誰かがやっているのをそのまま使うな、一つ足したり二つ引いたりして使うんだ」というそのやり方で、シナトラ・ヴァージョンにおけるリズム・チェンジのアレンジを自己流に再解釈したということなんだろうなあ。このやり方がもっとより効果的に発揮されているのが、1964年のニュー・ヨークはリンカーン・センターでのライヴ・ヴァージョン。

 

 

 

コロンビア盤『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』の A 面一曲目に収録されているこのヴァージョン。アルバム・タイトルに持ってきているんだから、この日のバラード演奏ではやはりこれが出色の出来だったと、プロデューサーのテオ・マセロも判断したんだろう。

 

 

お聴きになればお分りの通り、ハービー・ハンコックの弾くピアノ・イントロに続き、まず最初はぼぼ無伴奏かつテンポなし状態でマイルスが吹きはじめる。素晴らしい音色だよね。マイルスとしてはオープン・ホーンでここまで美しい音色を出したことはほとんどないんじゃないかと思うほどだ。

 

 

ハービーのピアノだけでなく、すぐにロン・カーターのベースも入ってきて、2:45 からテンポ・インするので、そこからはトニー・ウィリアムズのシンプルなドラミングも聴こえはじめる。このリズム・セクション三人は、非常に緊密に連絡しあって演奏しているのがよく分る。

 

 

問題の箇所は 4:07〜4:38 まで。そこは曲全体のサビにあたる部分なのだが、リズム・パターンが全く違うものにパッと一瞬でチェンジして、トニー・ウィリアムズがシンバルで細かいパターン、それもほんのちょっぴりラテン風かなと思わないでもないようなものを叩いているよね。

 

 

トニーは同じシンバル・パターンを、マイルスのソロ終盤における高音ヒットから下ってくるというカタルシス直後の最終盤 5:15〜5:20 でも使っている。その部分はその直前でスネアの小さい音で連打をしてからシンバルのパターンへ行く。

 

 

これはかなり面白いよねえ。1956年のプレスティジ録音ヴァージョンで聴けるリズム・チェンジを大幅に拡大解釈したような演奏だ。マイルスによる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」演奏の最高傑作であると同時に、ジャズ・マンがこの曲をインストルメンタル演奏するもののなかでは一番面白く、一番深い解釈を示したものじゃないかなあ。

 

 

この1964年リンカーン・センターでの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」でこんなリズム変化が聴けるのは、マイルスのソロのあいだだけで、その後のジョージ・コールマンのテナー・サックス・ソロ、ハービー・ハンコックのピアノ・ソロのあいだには存在しない。

 

 

ってことは、あれはボスの指示だったのか?あるいはリズム・セクションによるその場の即興的思い付きだったのか?僕は後者の可能性の方が高いかもと思う。なぜならばこのハービー+ロン+トニー三人のリズム隊が伴奏をやったマイルス・ライヴでの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、これ以外に公式盤収録だけなら四つあるのだが、こんなリズム変化は一つも聴けないからだ。

 

 

もしボスのマイルスが「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はこうやりたいんだ、だからこの部分だけこんなリズムでやってくれと指示していたならば、録音年月日が近い他のライヴ・ヴァージョンでも聴けてよさそうなものじゃない?僕はそう思うんだけどね。それに『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』と『”フォー”&モア』になった1964年2月12日のニュー・ヨークのリンカーン・センターはフィルハーモニック・ホールでのコンサートは、非常にスペシャルなものだった。

 

 

1964年ならボスのマイルスはそんなのとっくに場慣れしていただろうが、リズム・セクションの三人はまだ若く、さらにフィルハーモニック・ホール(は当時の名称で、今はネイミング・ライツ売買で変わっている)は1962年オープンという、まだできて間もない「新しいカーネギー・ホール」みたいなものだったのだ。

 

 

ニュー・ヨーク管弦楽団のホーム・グラウンドとして建設されたフィルハーモニック・ホールで、しかもオープン後まだ二年しか経っていない大舞台に立つハービー、ロン、トニーの三人は相当に緊張していたようだ。それは彼ら自身が後年のインタヴューで明言している。よ〜し、やってやるぞ!と気合が入ったものの、いざ開演となるとガチガチで、ステージを降りる時は大失態をやらかしたとしょげていたんだそうだ。

 

 

サックスのジョージ・コールマンの発言は読んだことがないのだが(あんまり好きな人でもないから追いかけていない)、彼もまた同じだったんじゃないかなあ。つまりトランペッターのボス以外の四人は相当緊張していたはずなのだ。ところがハービーは大失態だったとしょげた(がレコードで聴いたらかなりいいと驚いたらしい)と言うが、 その緊張感が結果的にはいい方向へ出たんじゃないかなあ。

 

 

だからあの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」でのトランペット・ソロで聴ける風変わりなリズム・チェンジも、そんな極度の緊張がもたらすその場限りの瞬時の即興だった可能性もあると僕は考えている。もちろんボスによる1956年プレスティジ・ヴァージョン初演で少し似たようなリズム変化が聴けるのを、新クインテットのメンバーも繰返し聴き込んで参考にしたのは明白だけど、1964年ヴァージョンはそこから考えられないほどの大きな拡大解釈になっているからね。

 

 

ジャズ・メンがやる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はたくさんあるのでキリがなくって、ビル・エヴァンス&ジム・ホールの『アンダーカレント』一曲目にあるのはバラード調ではないリズムになっていて、ちょっと面白いね。でもジャズ・ヴァージョンではなく、ラテン音楽家によるものをほんのちょっとだけ書いておく。

 

 

それはプエリト・リコ系ニュー・ヨーク人であるティト・プエンテの1955年ヴァージョン。『ザ・コンプリート・78s』の第四集に収録されているんだから、当時は当然 SP 盤でリリースされたものなんだろう。このシリーズは二枚組が四つあって、1949〜55年の Tico 盤音源集。全部で136曲あって、このなかにはジャズ・ナンバーもたくさんあるんだよね。

 

 

その「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」では、クレジットはないがティトはヴァイブラフォンを担当している。インストルメンタル演奏でヴォーカルはなし。フル・バンドでの演奏で、リズム・パターンはやっぱりラテン音楽家だけあるなという感じ。パーカッションの使い方もいかにもキューバン〜プエルト・リカンといったものだ。

 

 

 

しかしこの YouTube 音源、映像部分に「1959」の文字が踊っているし、同じ音源をアップしている他のものでも「1959」とあるんだが、いま僕の手許にあるティトの録音集『ザ・コンプリート・78s』を見ると、1955年と判断できるんだ(が明記なし)けどなあ。どうなってんの?どなたか教えてください。

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コメント

いやー、いつもながら…マイルスのフィルハーモニック・ホールの解説は、とんちん素晴らしいね。ぼくが感じていることがそのまま文になってる!うれしいね。いま聴いてるわけじゃないけど、よーくわかる。
そして、「誰かがやっているのをそのまま使うな、一つ足したり二つ引いたりして使うんだ」っていうマイルスの言葉も好きだなぁ♫

そんな褒められても、ひでぷ〜にチョコあげないよ(笑)。

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