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2017/02/15

フォスターのミンストレル・ソングとパーラー・バラード

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音楽の新作品を「新譜」、旧作品を「旧譜」と呼ぶよね。21世紀の今でもこれが日常的であるのは、もちろん録音技術が普及してレコード商品が一般化する前は、楽譜出版が音楽新作品のリリースと同じ意味だった時代の名残だ。だから実を言うと僕はあまり使っていない(はず)。アメリカでは19世紀半ばあたりのことじゃないかなあ、楽譜出版が産業として一般的になったのは。

その時代のアメリカで、職業音楽家として身を立てようとした第一号がスティーヴン・フォスターだ。だからこの人が音楽産業界初のプロフェッショナルだったということになる。お前はなにを言っているんだ?ヨーロッパのクラシック音楽界には、もっとずっと前から職業作曲家がいたじゃないか!と思われるだろうが、ある時期までのクラシック音楽界を「産業」と呼んでいいのかどうかは微妙だ。

曲創り(と場合によっては演奏)一本で生計を立てていたという意味でだけなら、そりゃ J・S・バッハ以後、 モーツァルトだってベートーヴェンだってみんなプロフェッショナルだけど、あの時代までにはレコードがないなんてことは言うまでもないが、楽譜出版だってまだ産業として成立していたかどうか疑わしい。疑わしいというか、まあ成立していない。

楽譜が機械印刷されるようになったのは、もちろんグーテンベルクによる活版印刷技術の発明以後だから、はっきりしないがおそらく15世紀後半か16世紀前半あたりだろう。楽譜の印刷って、主に文字だけの書籍の印刷と違って、五線・記号・文字などいろんなものがあり厄介だから、最初は苦労したんじゃないかな。

それ以前は楽譜も、それから文字(と絵など)だけの本も、全て筆写による流通(と言えるのか?)だったことになる。楽譜の世界には疎い僕だけど、写本の世界はほんのちょっぴり知っている。一般の方で写本の姿やどうやって筆写していたかご存知ない方でも、現在でも趣味として存在するカリグラフィーとか、あるいは映画『薔薇の名前』はご覧になったことがあるんじゃないかなあ。

元はイタリアの文芸批評家ウンベルト・エーコが書いた同名小説を映画化したもので、あれの舞台は中世のキリスト教会だから、当然印刷技術などまだ存在しない。小説でも映画でもいいが、映画の方が(DVD にもなっているだろう)具体的な姿かたちが見えるのでオススメ(僕は小説の方が楽しかった)。ショーン・コネリーが主役で、最後は『007』シリーズ顔負けの展開になるしね。あの映画では筆写室が登場し、筆写担当の僧侶たちが写本作成に励むシーンが出てくるもんね。そもそも『薔薇の名前』では写本と図書館が非常に重要な役割を果たしている。エーコはたぶんホルヘ・ルイス・ボルヘスからあんなイメージを思い付いたんじゃないかと思う。

とにかく流通したとは言えないだろうが、筆写によって本も楽譜もコピーされていた。それが印刷されるようになって、それが一般庶民にまで流通するような産業として成立したのが、僕の認識だと本も楽譜も19世紀半ばだ。大衆社会の成立ってことで、それはすなわち、本でも楽譜でも出版物を買って自宅で楽しむ余裕のある階層が社会に登場していたという意味になる。

様々な文献で読むと、そんな言わば中流階級の成立が、ヨーロッパやアメリカでは19世紀半ばだったということらしい。そういう人たちのライフ・スタイル、すなわち仕事を終えた夕方や夜、あるいはお休みの週末などに自宅の居間で読書を楽しんだり、部屋にピアノがあって(ということはある程度の経済力が必要)、買った楽譜を弾いたり、合わせて歌ったりして家族や親戚や近所の友人などと娯楽のひと時を持つ、そんな階層の成立が楽譜産業=音楽産業の登場には不可欠だったはず。

そういえば誰だっっけなあ、楽譜を買って、自宅のリヴィングのみならず旅先にまで持ち運び、それを読んで頭のなかで音楽を鳴らして楽しむという趣味があったドイツ人作家の話を読んだことがある。ホント誰だっけ?ゲーテだったっけなあ?忘れた。僕みたいにそんな読譜能力のない人間には想像できない話だ。今なら携帯音楽再生装置が一般的に普及しているので容易に持ち運べるようになったけれど、19世紀あたりまでだと、楽譜を携帯する以外に「音楽」を旅先に持ち運ぶ手段はない。

というわけなので、19世紀半ばより前のクラシック音楽の作曲家は、いくら一流の腕前でも、「音楽産業」のなかで働いていたとはまだ言いがたい面があるんじゃないかと思うんだよね。生演奏会だって、一般大衆が出かけられるようになるまでは、ごく一部の階層だけのものだった。 そういうわけで、まあクラシック音楽の世界には首を突っ込まないことにして、ポピュラー・ミュージックの世界では、アメリカにおけるスティーヴン・フォスターが初の職業音楽家だったと言える可能性がある。

フォスターは、まず最初はミンストレル・ショウのために曲を書いた。ミンストレル・ショウはみなさんご存知のものだから説明不要だ。およそ1830年前後にはじまって、南北戦争後は姿が変わりヴォードヴィル・ショウの方が人気が出て、職業的エンターテイメントとしてのミンストレル・ショウは、1910年代あたりでほぼ消滅した(がその後もアマチュア間では細々と存続したらしい)。

つまりミンストレル・ショウは19世紀半ばのものであって、その時代にフォスターはそのエンターテイメントの生舞台で歌ってもらうために曲を書いた。しかしミンストレル・ショウのために曲を書いても大した収入にはならなかったらしく、だから作曲家として楽譜出版会社と契約して曲を出版し、それで身を立てることを考えたようだ。

それが1853年にニュー・ヨークのファース、パウンド&Co と契約したあたりのことらしく、その前後にたくさんの佳曲を書いている。フォスターが最初に書いた佳曲は「オー!スザナ」だと思うんだけど、これはもっとずっと前の1840年代末あたりの作曲。1850年代に入ると「オールド・フォークス・アット・ホーム」(スワニー・リヴァー、1851)「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」(1853)「ジニー・ウィズ・ライト・ブラウン・ヘア」(金髪の「ジェニー」との邦題だが、歌を聴くと「ジニー」だね、1854)などなど、日本でも昔からお馴染の曲がある。

それらのうち、もっと前に書いたらしい「カンプトン・レイシズ」(草競馬)や、あるいは前述の「オー!スザナ」「オールド・フォークス・アット・ホーム」「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」、また後年の「オールド・ブラック・ジョー」(1853)などは、実際ミンストレル・ショウで演じられたり、またそうでなくともそんな背景を持ったような曲だ。

しかしミンストレル・ソングとは、すなわち貧乏人の労働者階級のためのものであって、そもそもミンストレル・ショウ自体、白人(新移民)労働者階級のための娯楽で、その好みに合わせるように書いた曲を、そのまま社会一般に楽譜で出版しても売れたかどうかは疑わしい。プアー・ホワイト階層と、部屋にピアノがあるような中流層とでは、音楽の好みも違っていたはずだからだ。

現在 CD でフォスターの書いたそれらのミンストレル・ソングの数々を聴くと、なかなか面白いものがあるかもしれないと感じる。僕が最もよく聴くフォスターのソングブックは、歌手ネルスン・エディが歌ったものだけど、このネルスン・エディは基本的にはクラシックの声楽家であったとはいえ、ポップ・フィールドでも売れたというクロス・オーヴァー・シンガーで、僕みたいな人間でも聴きやすい。

それにジャズ歌手やジャズ系のポップ歌手などが歌うフォスター(は大学生の頃にイヤというほど聴いた)は、やはりフェイクしていたり、独自の味付けがしてあって、原曲の持つ旋律の流れがイマイチ分りにくい場合があるんだよね。アル・ジョルスンが歌う「オールド・フォークス・アット・ホーム」「オールド・ブラック・ジョー」など、なかなか良いと思うけれど、曲そのものを味わいたいという気分の時は、ネルスン・エディを僕は聴く。リズムの面白さみたいな部分はないけれど、フォスターの書いた旋律は一番分りやすいんだ。

そうやって聴くと、ミンストレル・ショウとは無関係で、最初から出版物としての楽譜を書いた晩年の専業作曲家時代の「ジニー・ウィズ・ライト・ブラウン・ヘア」や「ビューティフル・ドリーマー」(夢見る人、1862)などは、どうも魅力が薄い。ただのセンティメンタル・バラードであって、要するに英国由来のパーラー・バラードの系統なんだよね。

パーラー、すなわち居間でピアノでも弾きながら歌って感傷を味わうようなもので、最初から書くようにこういうのが19世紀半ばのポピュラー・ソングとしては中流階級に需要があったものだったんだろう。しかしもし仮にフォスターが、キャリアの最初からこういう曲ばかり書いていたら、20世紀以後の人気はなかったかもしれない。

楽譜出版会社と契約して楽譜出版をはじめる前の、ミンストレル・ショウのための曲や、あるいは少なくともそれを頭のなかに思い浮かべるようにして楽譜を書いたもの、つまりひっくるめて大きな意味でのミンストレル・ソングの数々の方が、いま聴くと面白い。これはなかなか興味深い事実だなあ。

アメリカで成立した種類のポピュラー・ミュージックですら、やはり低層労働者、もっといえば一般庶民の意識・感覚に根ざしたようなポップ・チューンこそが、フォスターの名前を現在でも高からしめているものであって、やっぱり大衆音楽は、そういう猥雑な大衆パワーのフィード・バックを失って、中流の居間、応接間で鑑賞だけするようなものになるとつまらないものに堕してしまう。ミンストレル・ショウ自体は俗悪極まりないものだけどね。

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