キューバップ!〜ラテンなバード
せっかくだから(意味不明)、チャーリー・パーカーのラテン・ジャズ録音について今日は書く。こう言うとだいたいみなさん例のヴァーヴ盤『フィエスタ』のことなんだろうと思うかもしれないが、その前から何曲かあるのだ。それらと『フィエスタ』になった録音をあわせ、全てヴァーヴ・レーベルへの録音で、計14曲23トラックある。
それらをバードのヴァーヴ録音全集 CD 10枚組からピックアップし、一つのプレイリストに録音順に並べて聴いて楽しんでいる僕。長さも78分程度なんだから、ヴァーヴは『フィエスタ:コンプリート・エディション』とでも銘打って、一枚物 CD でリリースしたらどうだろう?面白がる音楽リスナーはたくさんいると思うけどなあ。
だってさぁ、『フィエスタ』なら単独アルバムで CD リイシューもされているけれど、その1951/52年録音より前の”ラテン・バード”とも言うべき録音全4曲5トラックをバードの音源集で入手しようと思ったら、10枚組のヴァーヴ録音全集を買わなくちゃいけないんだよ。マチート(のことはあとでちょっとだけ書く)名義でも入手できるものだけど、それだってなあ。『フィエスタ』に入っていない理由はマチート楽団名義の録音だからなんだろうけれど。だから『フィエスタ:コンプリート・エディション』(でもなんでもいいがタイトルは)一枚物 CD をリリースしてほしい、ヴァーヴさん!
『ザ・ラテン・バード』という一枚物 CD があったようだけど(中身は分らない)、中古でも7000円を越える値段がアマゾンでは付いてい て、7000円もあればバードのヴァーヴ録音完全集10枚組が買えてお釣りが来ちゃうんだから意味ないじゃん。だからさ、どこかのコレクターズ・レーベルじゃなくって、ヴァーヴさん、お願いしますよ!
バードの初ラテン・ジャズ作品は、ヴァーヴ・レーベルへの1948年12月20日録音の三トラック。それはマチート・アンド・ヒズ・オーケストラ名義のもので、続く翌49年1月にもマチート楽団にバードが客演するかたちで一曲録音している。それらがバード初のアフロ・キューバン・ジャズだが、あくまでマチート楽団への客演作品だ。
そしてやはりマチート楽団名義録音で、1950年12月21日にヴァーヴに録音した「アフロ・キューバン・ジャズ組曲」がかなり本格的。なんたって17分超えの演奏だもんなあ。演奏時間の長さといい、何度も劇的に変化する曲想といい、壮大というかやや大上段に構えすぎのような気がしないでもないが、かなり面白いものだ。
そもそも「アフロ・キューバン(・ジャズ)」という、ある時期以後は全員知っているこの用語を発明したのがマチートに他ならないんだよね。キューバはハヴァナ出身のパーカッショニストであるマチート。彼が1940年にニュー・ヨークで結成した自らの楽団を The Afro-Cubans と命名したところから、この言葉が誕生したのだった。
マチートのことを詳しく書きはじめると、ジャズやビ・バップ関連だけでも相当なことになってしまうのでやめておく。今日はあくまでバードのアフロ・キューバン・ジャズ録音の話だ。いや、アフロ・キューバンというよりもラテン・ジャズと言った方が正確だ。なぜならば一曲だけブラジルのショーロ・ナンバーがあるからだ。キューバ的とはいえスペイン人(系)作曲家の楽曲もあるしね。
マチート楽団に客演するかたちでヴァーヴに録音したものは、先に音源を貼った1950年の「アフロ・キューバン・ジャズ組曲」が最後。ここまでヴァーヴに全4曲5トラック録音している。その流れだろう、今度はバード自身のリーダー名義でラテン・ジャズ作品を、1951年と52年にヴァーヴに録音している。
マチート楽団との共演からの流れであることはいろんな意味ではっきりしている。例えば1951年にも52年にも参加しているボンゴのホセ・マングエルとコンガのルイス・ミランダ。この二名は1948/49年のマチート楽団との共演でも一緒にやっているし、そもそもそうでなくたってマチート楽団のビ・バッパーへの影響はかなり大きい(がその話は壮大になってしまうので今日は省略)。
1951年3月12日のニュー・ヨーク録音では、上記二名のパーカッショニストをくわえ、ピアノ+ベース+ドラムスという編成で「マイ・リトル・スウェード・シューズ」「ウン・ポキート・デ・トゥ・アモール」「ティコ・ティコ」(「チコ・チコ」)「フィエスタ」を1テイクずつ、「ワイ・ドゥ・アイ・ラヴ・ユー?」を3テイク録音していて、全てバード名義の単独アルバム『フィエスタ』に収録された。
「マイ・リトル・スウェード・シューズ」はバード自作曲だが、それ以外は他人の曲。そのうち「ワイ・ドゥ・アイ・ラヴ・ユー?」は普通のジャズ・ファンもみんな知っているスタンダード・ナンバーで、マイルス・デイヴィスも1948年の例の九重奏団による(結果的には『クールの誕生』に繋がった)ロイヤル・ルーストでのライヴ出演時にやっている。
「マイ・リトル・スウェード・シューズ」とか、3テイクある「ワイ・ドゥ・アイ・ラヴ・ユー?」とかは、一応ボンゴとコンガが活躍してはいるものの、まあ普通のジャズだ。まあまあラテン・テイストがあるかなという程度で、後年のルー・ドナルドスンがコンガ奏者レイ・バレットを参加させてハード・バップ・ナンバーをブルー・ノートに録音したりした複数のアルバムの先駆けにはなったものだろう。
ルー・ドナルドスンのそんなアフロ・キューバンなテイストがあるハード・バップは、結果的には1960年代後半のソウル・ジャズ〜ニューヨリカン・ジャズ作品にも繋がったんだから、そのルーツはバードの1951年録音にあったという見方もできる。なんたってルーのアイドルはバードだったのであって、ルーはバードそっくりに真似てアルト・サックスを吹いた人だ。
となると、もちろんルー・ドナルドスンの1967年作『アリゲイター・ブーガルー』だけでなく、あの頃からの一連のソウル・ジャズにあるラテン・テイストは、要はバードが先鞭をつけたものだっていうことになっちゃうなあ。例のレア・グルーヴ・ムーヴメントでたくさん発掘・リイシューされたああいうジャズ・アルバムについて、バードのヴァーヴ録音からの流れを云々している文章ってないよねぇ。
1951年3月12日録音では、しかし「ウン・ポキート・デ・トゥ・アモール」「ティコ・ティコ」の方がもっと面白い。前者は説明不要のザヴィエル・クガート(シャヴィエ・クガ)の曲で、彼はスペインはカタルーニャ出身ながらアメリカ合衆国で活躍した有名人。1931年にはニュー・ヨークに進出しているので、同地を拠点とする40年代のビ・バッパーだってもちろん知っている。この「ウン・ポキート・デ・トゥ・アモール」についてはまあいい。
もっと面白いのは「ティコ・ティコ」だ。上でブラジルのショーロ・ナンバーが一つあると書いたのがこれなんだよね。普通のジャズ・ファンのなかのどれくらいの方がこの事実を知っているんだろう?天下のチャーリー・パーカーがやった曲だぜ。これが元はショーロ・ナンバーだということくらいは知っているはずだと信じたい。
「ティコ・ティコ」は(ブラジル語だと「チコ・チコ」表記になるが)、サン・パウロで19世紀後半〜20世紀前半に活躍したコンポーザー、ゼキーニャ・ジ・アブリウが「チコ・チコ・ノ・フバー」という曲名で1917年に書いた古典ショーロ・ナンバーなんだよね。しかしこの曲はそのまま長いあいだ忘れ去られていた。
それを復活させたのがショーロ・ヴォーカリストのアデミルジ・フォンセーカで、歌詞をつけて1941年に歌ってヒットさせ蘇った曲なのだ。元はインストルメンタル・ショーロだけど、アデミルジ以後はショーロ歌手やサンバ歌手が歌うことも多い。
そんななかでおそらくこれが最も有名に違いないというのがカルメン・ミランダ・ヴァージョンの「チコ・チコ」。それは1945年録音で、だから当然ブラジル時代ではなく渡米後ハリウッドで活躍していた時期の録音なんだよね。北米合衆国時代のカルメンの録音で最も出来がいいのが、その「チコ・チコ」だ。伴奏のギターは例によってガロート。
カルメンはこの「チコ・チコ」を米ハリウッドで何度も歌っている。なかには映画のなかのワン・シーンで例のごとく派手ないでたちで登場し歌う。YouTube で探すといくつもあがっていたので、興味のある方はご覧いただきたいが、歌の出来は上で貼った1945年ヴァージョンが一番いい。
そんなハリウッドで大活躍していた時期のカルメンの得意レパートリーだったので、バードらジャズ・メンもそれでこの「チコ・チコ」を聴き憶えていたに違いないと思う。1930年代のブラジル時代よりヴォーカルの力量は落ちたとはいえ、あの時代のカルメンはかなり人気があったからね。アルバム『フィエスタ』にも収録されているバードの1951年ヴァーヴ録音ヴァージョンもご紹介しておく。
ブラジルのショーロ演奏家によるヴァージョンも一つご紹介しておこう。僕の大好きなピシンギーニャ(テナー・サックス)とベネジート・ラセルダ(フルート)によるヴァージョン。あぁ、最高だこれは。ピシンギーニャのコントラポントの入れ方も絶妙な名演。1946年録音。
ありゃ〜、大のショーロ好きである僕だから「チコ・チコ」に力が入りすぎて、もうこんな長くなってしまった。まだバードの1952年録音の話は全くしていないのに、どうしよう?そっちも言いたいことがたくさんあるのに困ったなあ。52年録音には、やはりピアノ・トリオ+ボンゴ+コンガという編成にくわえ、トランペッターも参加。それで5曲11テイク録音したなかから、『フィエスタ』B 面にワン・テイクずつ収録されている。
ホント言いたいことがいっぱいあるんだけどやめておこう。長くなりすぎてしまう。ただ唯一これだけは看過できないという一点のみ書いておく。ヴァーヴへの1952年1月23日録音では、あの超有名曲「ラ・パローマ」もやっている。え〜っとですね、超有名曲ですよ、これは。それがしかし!どうしてだか『フィエスタ』でもヴァーヴ録音全集でも、作曲者名クレジットが「トラディショナル」となっているんだよね。これだけは許せない。
まあ僕は大の「ラ・パローマ」愛好家で、この曲だけいろんな人のヴァージョンを何百とコレクトしている「ラ・パローマ」蒐集家だという側面もあるがゆえに言っているわけだけど、それを抜きにしても「トラディショナル」とのクレジットはオカシイ。ラテン音楽ファンならどこの国の人間でも全員、「ラ・パローマ」はスペインの作曲家セバスティアン・イラディエールが19世紀後半(正確に何年かは判明していないが、版権登録したのは1859年)に書いた曲で、彼がキューバ滞在時代に触れたであろうハバネーラのパターンを用いたものだと知っているんだけどなあ。あぁ、全員知っているよ。
ジャズ・ファンやジャズ専門家、もうちょっとしっかりしてほしい。
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コメント
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読んだよ!
マチート楽団の「アフロ・キューバン・ジャズ組曲」は最高だっ!とだけ、とりあえず書いておこう。
投稿: hideo_na | 2017/02/07 22:10
> 伴奏のギターは例によってガロート。
ちがうってば、としまさん。
45年デッカ録音の“Tico-Tico no Fubá” のギターは、ガロートじゃありません。
前にも何かの記事で書きましたけど、
ガロートがカルメンの米国巡業に合流したのは、39年から40年の半年間だけです。
投稿: bunboni | 2017/02/07 22:19
ひでぷ〜、マチート楽団名義のものでは、「アフロ・キューバン・ジャズ組曲」もいいけど、僕はその前の「マンゴ・マングエ」の方がもっと好きだなあ。
投稿: としま | 2017/02/07 23:12
bunboniさんには以前も同じ指摘をされた気がします。僕が普段聴くアメリカ時代のカルメンの録音集は、中村とうようさん編纂のMCAジェムズの一枚『ブラジル最高の歌姫〜カルメン・ミランダ 1939-1950』で、このなかに1945年の「チコ・チコ・ノ・フバー」もあります。このCD附属ブックレットの記載では、伴奏のギターがガロートになっていて、曲解説部分でもとうようさんは「ガロートのソロも楽しめるし」とあります。
僕はずっとこれを信じてきているわけなんですが、とうようさんの間違いですね?
投稿: としま | 2017/02/07 23:17
とうようさん編纂のMCAジェムズ盤は買わなかったので、
とうようさんのライナーは未読ですが、ガロートとしているなら間違いですね。
45年当時のバンド・ダ・ルアのギターはNestor Amaral です。
投稿: bunboni | 2017/02/08 20:53
bunboniさん、「しているなら」っていうか、間違いないですよ。今僕の手許にあります。MCAジェムズ・シリーズのブックレットは、どのCDも全部ライナーとは別個にその前に収録曲のディスコグラフィカル・データ記載ページがあります。どのCDでもだいたい見開き2ページ。カルメン・ミランダのそれでは、一曲目の1939年録音「ママ・エウ・ケロ」から19曲目の「ティコ・ティコ」まで、伴奏のギターはガロートとの表記。続く20曲目の1947年録音「楽しいかい?」(Cuanto Le Gusta?」から違う人になっています。
投稿: としま | 2017/02/08 21:01
バードがプレイするマチート楽団の曲ばっかりプレイリストにするってのはいい考えだなぁ。さっそくやることにするよ!
投稿: hideo_na | 2017/02/09 00:13