ひたすらコンサヴァ・ロマンティック路線でせめてほしいヴィ・タオ
ジャケット写真(左)だけで僕はもうメロメロ。だって美人さんだし、そうでなくたって女性が髪をアップにしてうなじを出しているのを斜め後ろから見るというのに極度に弱い僕。そんな姿を見ただけであそこがいけないことになってしまうのだ。だからこのヴィ・タオの2012年作も、ジャケットを見た瞬間に買うと即断だった僕。
最初にこのジャケ写を見たのは、記憶に間違いがなければ、エル・スールのサイトだったか、あるいは Astral さんのブログだったか、どっちが先だったか分らないが、とにかくどっちかだ。エル・スールの場合は CD 販売ということだけど、Astral さんが最初に話題になさったのは Apple Music か Spotify かの定額制配信サーヴィスでお聴きになったという話だったはず。確かめようと思って Astral さんのブログで探してみたけれど、僕の探し方が悪いんだろう、見つけられなかった。
それはそうと Apple Music でも Spotify でもいいが、とにかくあの手の定額制音楽配信サーヴィスについては、批判的な意見も少し読む。そのなかでこれは最もオカシイぞと思ったのは、Twitter でフォローしているかなり熱心な音楽ファンの方。普段は音楽ソフト(含むコンサート)の買いすぎのせいでお金がないお金がない、私は貧乏人だ、庶民の味方だと散々繰り返している。
そこまでは僕を含むほとんどの熱狂的音楽マニアとなんら変わるところがないのだが、その方はある時(まだ Spotify は日本上陸していない時期だった)、定額制音楽配信サーヴィスを激しく批判したのだった。それもサーヴィス自体やその仕組に対するアンチな意見というよりも、それを利用する音楽ファンに対しての批判だった。
あんな定額制音楽配信で聴くような人間は音楽ファンとは言えないとまで断言したのだった。音楽を愛していないんだとなるそうだ。普段は庶民の味方のようなことを言いながらだから、こりゃオカシイよね。庶民感覚ってのはさ、音楽に限らず衣類でも食べ物でもなんでも、「同じものを同じだけ」享受できるのであれば、価格はなるべく安いのがいい、できればタダがいいというものじゃないかなあ。
おそらく音楽などの文化産物に対し受け手は真っ当な対価を支払うべき、それが音楽家の収入になって、今後の新たな音楽創造の元手にもなるのだから、ということなんだと思う。まあマトモな考えだ。これで行けば、YouTube にアップロードされている音源は、音楽家やレーベルなど創り手自身が(宣伝を兼ねて)上げているもの以外は、ほぼ全て第三者が無断でやっているものだから、何万回再生されようと音楽家には一円の収入にもならない。
そのあたりの音楽享受のシステムが、インターネット普及後、特に21世紀に入ったあたりから変わりはじめていて、というかとっくに完全に変わっていて、その結果 Apple Music や Spotify みたいなサーヴィスが登場・普及したんだと思うんだけどね。僕も実を言うとそれらはあまり積極的には活用しておらず、やはり CD で聴きたいなと思うリスナーではあるけれど。
いつものように話が逸れた。ヴェトナム人女性歌手のヴィ・タオ。とにかくエル・スールのホーム・ページか Astral さんのブログでジャケ写を見て買うと即断した僕だったが、あまりの人気にエル・スールでの初回入荷時には瞬時に売り切れてしまい(そういうの多いね)、二回目の入荷で2012年作『Tàu Đêm Năm Cũ』と2015年作『Chuyến Tàu Hoàng Hôn』を同時に買った。
それが自宅に届いたのと同じ日に荻原和也さんがブログでそれら二枚をとりあげていらっしゃって、やっぱりそりゃそうだよなと、まだ荷物を開梱する前から納得してしまった。まだ聴いていなかったのに、どうしてそんな気持になったのだろう?でも音楽ファン歴も長くなると、ある程度は勘が働くっていうことがあるよね。聴く前からこれはいいぞ、あるいはダメだぞと。
そう勘がきいたような気がしても、実際聴いてみたら全く違っていたなんていうことも多いので、やっぱり音楽は「とにかく聴かなくちゃはじまらない、お話にならない」ものではある。がしかしヴィ・タオの場合は、ジャケ写でピンと来たファースト・インプレッションそのまま、中身の音楽も素晴らしかった。
僕の場合、それは二枚のうち上掲写真左の2012年作の方が中身がいいように思える、ジャケ写の印象だとそう思える、右の2015年作よりもいいんじゃないかという、これといった根拠のないこの勘も当たったのだった。聴いてみたら、こりゃもう断然2012年作『Tàu Đêm Năm Cũ』の方がいいね。いいというのは僕の個人的嗜好だから、より僕好みだったと言い換えておこう。
荻原和也さんは野心的な2015年作『Chuyến Tàu Hoàng Hôn』の方を、どちらかと言うと高く評価し支持したいということをお書きになっている。僕がこのヴィ・タオという、それまで全く聴いたことのなかった歌手の声質や歌い方に接した時、この人は野心的・冒険的な音楽よりも保守的なロマンティック路線の方が似合っていると感じたというのが、素直な気持。
ヴィ・タオの2012年作『Tàu Đêm Năm Cũ』には、副題として「Bolero」と「album vol.2」という言葉が見える。後者の方は、この歌手の二作目にあたるものらしい(デビューは2004年だそう)ので分りやすいが、前者のボレロというのはどういう意味なんだろう?2015年作『Chuyến Tàu Hoàng Hôn』にも「Bolero 2」という副題が載っている。
聴いてみて判断するに、要はバラードばかり歌っている、それもスウィートで懐メロ的な抒情歌謡ばかりとりあげて、それをソフトな甘い歌い口で聴かせているという意味でボレロという言葉を使ったんじゃないかなあ。だからそれにしてはちょっぴり激しいロック風、ブルーズ風があったりする2015年作の方は、僕にはヴィ・タオ的ではないように聴こえてしまうんだよね。
やっぱりさ、このヴィ・タオというバラディアーには、ただひたすらコンサヴァティヴに、ひたすらロマンティックな世界に没入してほしい、そんなサウンドのなかで甘くて美しいメロディを、ただそのままに歌ってほしい、それで僕たち聴き手をウットリさせてほしいっていう、僕はそんな気持でいっぱいなんだよね。
こんな甘くて官能的な抒情的バラディアーは、ヴェトナムだとレー・クエンが最高峰とも言うべき位置に何年か前から立っている。レー・クエンのそんな路線の最高傑作が、僕の嗜好だと2014年作の『Vùng Tóc Nhớ』になるわけだけど、ヴィ・タオの『Tàu Đêm Năm Cũ』はその二年前の作品だったなんてなあ。
もちろんレー・クエンの2014年作や2016年作などと比較すれば、歌の深み、表現力、湿って重たい歌い廻しが好みでないリスナーをもねじ伏せてしまうような強い説得力のあるヴォーカルの力量は断然レー・クエンの方が上で、ヴィ・タオの2012年作では薄い。そもそも温故知新の戦前ヴェトナム歌謡曲集路線は、2012年よりも前にレー・クエンが先鞭をつけたものだろう。
だからヴィ・タオの2012年作『Tàu Đêm Năm Cũ』は、そんなレー・クエンが耕してくれた畑で新たに芽生えた若い才能っていうことなんだろうなあ。既婚者らしいが、ヴィ・タオの年齢のことは僕は全く知らないが僕。CD パッケージ附属のブックレットが写真集になっていて、それを眺める限りではまだ若そうだ。
2015年作のように野心的でコンテンポラリーな方向を試みみるのも、プロの音楽家としては当然ではあるけれど、僕の好みだけでワガママを言わせてもらえば、ヴィ・タオには2012年作のごとく、ただひたすらにロマンティック街道をコンサヴァティヴにひた走ってほしい。そのボレロ的抒情に磨きをかけて、深みを増してほしい。
そしてできれば、そんな全世界的に普遍的なリリカル・バラードの世界に、ほんのちょっぴりヴェトナム民俗色もあれば文句なし。同じ国の先輩レー・クエンの2014年作『Vùng Tóc Nhớ』がローカル色のほぼ全くない黄金のアメリカン・ポップスみたいだったので、ヴェトナム歌謡に馴染のないリスナーでも聴きやすかったけれど、ヴィ・タオの2012年作『Tàu Đêm Năm Cũ』もそれに近い。
しかしよく聴くと、ヴィ・タオの2012年作『Tàu Đêm Năm Cũ』では若干ヴェトナム民俗色も聴こえるようだ。ナイロン弦ギターや瀟洒なストリングスの響きなどサウンド・メイキングはやはり全世界共通の普遍色だけど、ヴィ・タオの節廻しには独特の粘り着くようなネットリした味があって、これはレー・クエンでも聴けるものだから、元々の曲の旋律がヴェトナム的と言えるのか、あるいはヴェトナム語の発音によるものなのか僕には分らないが、とにかくローカルなものではあるには違いない。
また伴奏も、上で全世界共通の普遍色とは書いたけれど、これはヴェトナム歌謡でしか聴けないかもというものもある。なんだか僕は知らない笛の音(二曲目)とか、あるいはどんな楽器だか全く見当がつかない七曲目の(胡弓のような)音とか(だから弦を擦る楽器かなあ?)、まあその二つだけとはいえヴェトナム民俗色もありはする。
それら以外はレー・クエンの2014年作的な普遍的ポップス・サウンド。だからやはり同様にヴェトナム歌謡に縁のない方でも入って行きやすいと思うヴィ・タオの『Tàu Đêm Năm Cũ』。何を隠そう僕がそうだ。ヴェトナムに限らず東南アジアの音楽はほとんど知らない僕。それでもこのヴィ・タオの2012年作には惚れたね。ジャケ写を見て「ええなこれ!」となった方は、その直感を信じて間違いない。
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