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2017/03/25

歌手は歌の容れ物(その3)〜 エルフィの「シリン・ファルハット」

カマトト女は大嫌いだって以前言ったよね。だからその正反対の魅力を振りまいているような歌手エルフィ・スカエシは大好きだ。つまり濃厚に妖艶でお色気をムンムン漂わせているようなセクシー・シンガーだよね。エルフィは、中村とうようさんの読者である方々には全く説明不要の有名人で、知らない人なんているわけがないけれど、僕のブログの読者層の中心はたぶんジャズ・リスナーだろうと思うので、いちおう以下で少し説明しておこう。最近<エルフィ・スカエシ>の文字を見る機会もガクンと減っているしね。

エルフィ・スカエシ(Elvy Sukaesih)は、1951年生まれのインドネシアの女性歌手。音楽一家に生まれ育ったせいか子供時分から歌っていて、10歳の頃にはラジオで歌を披露していたそうだ。彼女はダンドゥットという音楽を代表する女性歌手なんだけど、10歳ということは1961年(僕の生まれる前年)になる。その頃、まだダンドゥットは確立されていなかったはず。

インドネシアの大衆歌謡音楽ダンドゥットの成立の時期をどのあたりに置くと見るかは難しいと思うけれど、大統領がスカルノからスハルトに代わって、西側諸国寄りの経済重視政策に転向した1960年代後半あたりじゃないかなあ。そのあたりからロックやその他アメリカ産大衆音楽や、それで用いられる電気楽器などもどんどん導入され、それ以前からあったオルケス・ムラーユに音楽的なディープさをくわえるようになって、さらにスリン(竹笛)やグンダン(タブラ風太鼓)も使われるようになって、ダンドゥットとしての演奏スタイルが確立した。

「ほとんどゼロからのスタートだった」とか「もともと根なし草音楽」とかおっしゃる方もいるけれど、それはどうなんだろう?インドネシアの音楽史や現地の文化事情などをよく知らない僕が言うのも気が引けるけれど、音楽でもなんでも文化って、まず最初の姿がゼロだとか空白だったものってあるのかなあ?ダンドゥットだって1960年代中頃までのインドネシア音楽文化の流れに根ざしている部分があるように僕には聴こえるんだが、やはりあまり言わないでおこう。

アメリカ産ロックなどの影響でということを書いたけれど、使用楽器や音楽要素などはそういう部分が確かにあるにしても、マーケット的な事情は正反対だ。アメリカやヨーロッパ各国の音楽資本が入り込んで支配している国や地域(つまり日本もこれに含まれる)ではない場所では、1970年代に主流メディアが LP からカセットテープに移行したようだ。カセットの制作・販売の方がはるかに手軽だし大資金を要しないので、どんどんメーカーができて販売され、実際、消費が大きく拡大した。

欧米各国や日本などではない世界の音楽マーケットでは、いまだにそういう部分があるんじゃないかなあ。日本ではカセットが音楽流通メディアの主流になったことはおそらく一度もない(一部演歌の世界を除く)はずなので、僕は実感がなく、また最初からカセットで販売されている音楽を買った経験も極めて少ない。移転前のエル・スール実店舗でユッスー・ンドゥールのカセットを少し買ったことがあるだけじゃないかなあ。

がしかしインドネシアでのエルフィ・スカエシもカセットでたくさん販売され流通していた(いる?)ようだ。外国の現地でカセットでしか流通していない音楽を、日本国内でそのまま入手することは容易ではない。だから僕もエルフィを CD でしか聴いたことがない。むかし LP レコードがあって買ったような気がするけれども、記憶がかなり薄れているし、間違っているかもしれない。買っていないかもしれない。

エルフィのことを知ったのは、やはり中村とうようさんの『大衆音楽の真実』のなかで絶賛されていたからだ。この本を僕が渋谷の東急プラザ内にあった紀伊国屋書店で買ったのが1988年か89年かそのあたりのこと。それで是非聴きたいぞと思ったのは間違いなく僕だけではなく、大勢いらっしゃるはず。

とにかくインドネシア現地ではカセットで売られれいるわけだから、そのままでは日本国内の音楽マーケットでは流通させにくい。それで日本で編集されたベスト盤 CD が何種類か以前からあって、僕もそんなものでエルフィを聴いていたし、いまでも同じ。いまの僕が普段最もよく聴くエルフィのアルバムは、田中勝則さん編纂のライス盤『ザ・ダンドゥット・クイーン』で、2005年リリースの名唱集。

その他何種類かあるし、久保田麻琴プロデュースの一枚とか、あるいは最近、確か四・五年前に、プルナマ時代のカセット音源六つを 2in1で計三つの CDにしたものが、やはりライスからリリースされた。これも飛びついて買った僕。付記しておくが、ここまで書いたエルフィの CD は全ていまでもアマゾンなどで普通に、それも中古ではなく新品の流通品として買えるぞ。もしまだの方は速攻でポチってほしい。

プルナマ時代のと書いたが、ライスのベスト盤『ザ・ダンドゥット・クイーン』は、まさにそこ、1970年代中期から84年までの音源集で、田中勝則さんが選りすぐった名唱集なので、やはり普段の僕はこれを一番よく聴く。上記の(CD では)計三枚のプルナマ音源集と、やはり一部重なる。正確には「Krishna」(クリシュナ)「Karena Pengalaman」(経験ゆえに)の二曲だけがダブっているみたいだ。

CD で計三枚のプルナマ音源集(は全体のごくごく一部でしかない)もいいものがたくさんあって、上記二曲以外『ザ・ダンドゥット・クイーン』には収録されていないので、是非聴いていただきたいのだが、『ザ・ダンドゥット・クイーン』では田中勝則さんが実に懇切丁寧な解説文を書いてくださっているので、その点全く愛想のないその三枚よりは、入門者のみなさんにも気軽に推薦できる。

また『ザ・ダンドゥット・クイーン』の方をオススメしたいもう一つの理由として、冒頭の一曲目「セクシー・シンガー」(Penyanyi Sexy)がプルナマ時代の録音じゃないからだ。田中さんは、おそらくレコマ録音と書いている。エルフィのレコマ録音というと、オルター・ポップからやはり田中さんの選曲でベスト盤が出ていたが、いまは廃盤で入手困難のようだ。

だがその「セクシー・シンガー」がかなりチャーミングなんだよね。これが『ザ・ダンドゥット・クイーン』に収録されているのは、このライス盤はマレイシアのライフ・レコーズからリリースされているものに基づいているので、ひょっとしてライフは「セクシー・シンガー」も、プルナマ時代ではないけれど、リリースしていたということかなあ?

とにかくその「セクシー・シンガー」が魅力的で、曲名通り、そして今日最初に書いた通り、妖艶な官能歌手としてのエルフィ・スカエシのどのへんがそうであるか、大変に分りやすい。だからこれが一曲目にあって、二曲目以後は全盛期のプルナマ録音が続き、末尾を最高の名唱「シリン・ファルハット」で締める構成のライス盤『ザ・ダンドゥット・クイーン』を強く強くオススメしておきたい。

「シリン・ファルハット」は、中村とうようさんもエルフィの歌で一番好きだと言っていたのだが、僕はといえば、長年この歌をさほどいいとは思っていなかった。どうしてかと言うと、この曲はサッパリ爽やか路線みたいな感じで、エルフィもサラリと歌い、いつものような濃厚なお色気満点のため息やコブシが聴けないのだ。言ってみれば清純派歌手みたいになっているもんね。

繰返すが、僕は濃厚で妖艶なセクシー路線でエルフィが大好きになったわけで、『ザ・ダンドゥット・クイーン』なら一曲目の「セクシー・シンガー」とか、六曲目の「経験ゆえに」(このへんから歌本編の前にカデンツアのイントロが入るようになる)とか、八曲目の「許して」(Izinkanlah)とか、九曲目の「乾き」(Gersang)とか、13曲目の「恋人」(Pacaran)とか、14曲目の「蜜のシャワー」(Mandi Madu)とかが好きでたまらず、聴きながら…(以下略)。

だから爽やか清純派路線であるかのように長年聴こえていた「シリン・ファルハット」はイマイチ、どこか二つも三つも物足りない感じだったんだよね。恋愛歌ではない童謡みたいな素朴なメロディだしなあ。でも今年2017年になって『ザ・ダンドゥット・クイーン』をなんどか聴き返していたら、二つも三つも足りていないのは明らかに僕の認識の方だったという事実に気が付いたのだった。

「シリン・ファルハット」におけるエルフィ・スカエシは、今年僕が書いた記事でなら岩佐美咲について書いた際に強調した(上掲リンクのその2を参照あれ)、 ナチュラルでストレートな自然体の歌唱法なのだ。決して無理に喉に力を入れすぎておらず、しかしながら声に素直で適度な艶と伸びと張りがあって、繊細な歌い方をしながらも、聴き手である僕に緊張感を与えずリラックスさせてくれる。心地良いんだよね。

ってことはつまり、同じインドネシアの歌手ならヘティ・クース・エンダンとか、中国語圏の歌手なら鄧麗君(テレサ・テン)とか、そしていまの日本でなら岩佐美咲みたいな、そんな持味の歌手たちと同質のフィーリングを、僕はエルフィの「シリン・ファルファット」に感じるし、実際、同じ歌い方なんじゃないかなあ、あの歌では。エルフィって、普通そういうのとは正反対の歌手だと思われているに違いないし、僕のこの言い方もオカシイかもしれないが。

この事実を1980年代なかばに指摘していた、というかはっきりと上記のようには言っていないが間違いなく同じ意味のことを感じて書いたであろう『大衆音楽の真実』の中村とうようさんは、やっぱりすごかったよねえ。あの耳の洞察力は慧眼だったとしか言いようがない。というわけで、そのエルフィの、いまなら僕も最高の名唱だと信じる「シリン・ファルハット」だけは音源を貼ってご紹介しておこう。

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