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2017/03/29

不寛容と排外の時代に聴くマーヴィン・ゲイの再解釈

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ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの2006年作『ワッツ・ゴーイング・オン』。CD アルバムのパッケージや附属ブックレットのどこにもそう明記はされていないが、間違いなくリリースの前年2005年にアメリカ合衆国を襲ったハリケーン・カトリーナの被害を嘆き、苦しみを和らげる目的で制作されたアルバムだ。

明記されていないというのは、あくまで普通の言葉というか文字ではという意味であって、アルバムのジャケット・デザインや、ちょっとした写真集のようになっている附属ブックレットをめくれば、このメッセージは誰にでも一目瞭然だ。中身をご存知でない方でも、上掲の表ジャケットだけでお分りのはず。

2005年のハリケーン・カトリーナが残した爪痕を表現した音楽作品はアメリカにたくさんあるが、あのとき特に南部ルイジアナ、それもニュー・オーリンズが甚大な被害をこうむったので、やはりニュー・オーリンズや同地にゆかりの深い音楽家が大勢そんなアルバムを創っていた。ドクター・ジョンにもネヴィル・ブラザーズにもあった。ダーティ・ダズン・ブラス・バンドもやはり同地の音楽集団。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドのそれが、他のニュー・オーリンズ(関連)の音楽家がやったハリケーン・カトリーナについての音楽作品と異なっているのは、最初に書いたアルバム・タイトルでお分りのように、マーヴィン・ゲイの1971年作『ワッツ・ゴーイング・オン』のカヴァー集という体裁をとっているところ。それもあのマーヴィンのアルバムの九曲全てを、さらに曲順もそのまま同じでやっているのだ。

といってももちろんブラス・バンド・ミュージックなので、聴いた感じは全く異なる趣の音楽に仕上がっている。マーヴィンの『ワッツ・ゴーイング・オン』を、2006年において大胆に再解釈し再構築したようなアルバムに仕上がっているんだよね。ダーティ・ダズンのこの同名アルバム、ひょっとしたら成功作ではないのかもしれない。いや、おららく(社会的)意味合いを込めようという意気込みだけ強くて、音楽としてはコケてしまっているんだろう。

ただ、ニュー・オーリンズの音楽家が創ったハリケーン・カトリーナ関連のアルバムのなかでは、このダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』が最もシリアスで、かつ最も落ち込むように暗く深刻で、なおかつそれがマーヴィン・ゲイの名盤の全曲カヴァー集という体裁になっているという 〜 それらの意味で、少しは耳を傾ける価値のあるアルバムなんじゃないかと僕は思う。

シリアスで暗い、落ち込むような雰囲気だと言っても、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』で聴ける音楽が楽しくないという意味では決してない。その反対にかなりエンターテインングなものになってはいるのだ。深刻に聴こえるのは、やはりマーヴィン・ゲイが書いた原曲が元々そういうものばかりだというのも一因。

マーヴィンのあの1971年作の場合は、歌詞は確かにそんなものばかりだけど、しかし曲の旋律やサウンドが美しくリズムもファンキーで、だから英語詞の意味をあまり考えすぎなければ、ごくごく普通の楽しいだけの音楽だ。聴きながら、僕もいつも肩や膝を揺すってリズムをとったりして愉快な気分になっている。

だからこそかえって、あのアルバムの音楽にマーヴィンが託したメッセージみたいなものがより一層強く意味を持ち、リスナーにもより強く沁みてきて考えさせられて、僕もなにかしなくちゃなという気分になってくるんだよね。1970年代のニュー・ソウルって、そういうエンターテイメント性とシリアスさが表裏でピッタリ張り付いた共存、そんなもんだろ?

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの連中が、故郷ニュー・オーリンズにハリケーン・カトリーナがもたらしたもののことを題材に音楽作品を創ろうと考えた際、そこでマーヴィン・ゲイのあの名作をそのまま丸ごとカヴァーしようと思い付いたのは、彼らもやはりマーヴィンのあのアルバムが21世紀でも強い意味を持って胸に響いているから、それもカトリーナの被害に苦しむ故郷の人々にとっては、マーヴィンのあんな音楽が訴求力があるから、ってことなんだろう。

もちろんブラス・バンドというフォーマットでの再解釈なので、マーヴィン・ゲイのオリジナル・ヴァージョン全九曲は、ほぼ跡形なく解体されている。管楽器がいちおう原曲のメロディみたいなものをそのまま演奏することもあるが、ほとんどの場合、マーヴィンの書いたオリジナル・メロディはモチーフみたいなものとしてだけ用いられている。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』も当然全部で40分もない程度の長さ。発足当時と違って、ある時期以後のこのバンドにはギタリストとドラマーがレギュラー・メンバーとして在籍しているので、このアルバムでも当然演奏している。ゲスト参加でキーボード奏者も入ってサウンドに彩を添える。

さらに重要なゲスト参加は、アルバム中五曲で歌うヴォーカリストたちだろう。「ワッツ・ゴーイング・オン」のチャック・D、「ワッツ・ハプニング・ブラザー」のベティー・ラベット、「ガッド・イズ・ラヴ」のアイヴァン・ネヴィル、「マーシー・マーシー・ミー(ジ・エコロジー)」の G・ラヴ、「イナー・シティ・ブルーズ(メイク・ミー・ワナ・ハラー)」のグル。

すなわちアイヴァン・ネヴィルを除く四人全員ラップ・ヴォーカリストだ。ベティー・ラヴェットと G・ラヴは専業ラッパーとも言いにくいが、普通の歌と同様ラップもやるし、このアルバムではほぼラップ・ヴォーカルといっていいものを披露している。他の二名、チャック・D とグルは専業ラッパーなんだろう。

しかし彼ら四人も、マーヴィン・ゲイの書いた原詞にもとづいてラップしているわけではない。いちおう元の楽曲の題名と歌詞の一部をモチーフにしてはいるものの、そこから彼ら独自の言葉を歌っているんだよね。それらの四曲で聴けるラップ・ヴォーカルの内容は、やはりハリケーン・カトリーナ関連のものなのかというとそうでもなく、もっと普遍的な意味を持つ英語詞になっている。

さらに彼ら四人がラップする曲でも、その歌は断片的かつ断続的で短く、全面的にフィーチャーされているようなものは一曲もない。あくまでダーティ・ダズン・ブラス・バンドの管楽器アンサンブル・ミュージックがメインであって、そのなかのごく一部となっているにすぎない。アイヴァン・ネヴィルの歌う五曲目「ガッド・イズ・ラヴ」だけは、ほぼ全面的にアイヴァンの(ラップではない)ヴォーカルをフィーチャーし、さらにアイヴァンも独自歌詞ではなく、マーヴィンの書いたオリジナル詞にほぼ忠実だ。でもこれ一つだけ。

だからダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』は、やはりあくまでもホーン・アンサンブルで再構築したマーヴィン・ゲイなんだよね。肝になっているのはカーク・ジョゼフの吹くスーザフォン。この点ならこのバンドは発足当時から同じだよね。スーザフォンのような低音管楽器が、ファンク・ミュージックにおけるエレベのような役割を果たしている。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』でもストリング・ベース奏者はいないわけだから、やはりスーザフォンがボトムスを支え、それもファンキーにうねるラインを吹いている。それにくわえテレンス・ヒギンズのドラムスが大活躍。元々このバンドにいわゆるドラム・セットはなかったが、ある時期以後はずっと使っている。賛否両論あるとは思うけれど、1999年の『バック・ジャンプ』同様、『ワッツ・ゴーイング・オン』でも成功していると僕には聴こえる。

上でダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』は、ハリケーン・カトリーナに関連した音楽作品のなかでは最も沈鬱かもしれないという意味のことを書いたけれど、僕が主にそれを感じるのはホーン・アンサンブルの不協和な響き、そしてジェイミー・マクリーンの弾くギターの、マイナー・セヴンスを多用するブルージーなサウンドだ。

管楽器のなかでは、特にテナーとバリトンという二本のサックスがそんなダークな、というか悲鳴をあげているようなサウンドを出している。ちょうど1960年代のフリー・ジャズのサックス奏者が出していたフリーキー・トーンのようにも聴こえるが、本質は少し違うものかもしれない。今日話題にしているダーティ・ダズン・ブラス・バンドのこのアルバムでのそれら二本のサックスのフリーキー・トーンやフラジオは、ガックリ落ち込んでいる状態からの嘆きのように聴こえ、附属ブックレットにある ニュー・オーリンズの惨状を写した写真を眺めながら聴くと、たまらない気分になってくる。

がしかしそんな沈鬱なホーンの響きではあるものの、リズムはずっしりとヘヴィーでありつつ活き活きと躍動的なグルーヴを表現している。時々カリブ〜ラテンなリズム・アクセントを感じるのは、やはりニュー・オーリンズの音楽家だけある。ドラマーとゲスト参加のパーカッショニストが、特にそんなテイストを明確に出している。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドのアルバム『ワッツ・ゴーイング・オン』は、そのうち三曲しか YouTube に上がっていないのが残念だが、例えばこれも上がっていない四曲目の「セイヴ・ザ・チルドレン」では、ドラマーがかなり細かいラテン・ビートをスネア、特にリム・ショットで表現している。

また六曲目の「マーシー・マーシー・ミー」でもリズムはしゃくりあげるように激しく跳ねている。直接的にはカリブ〜ラテンというより、ファンク/ヒップ・ホップのビート感だろうけれど、そもそもそれらのなかには中南米由来のリズムが色濃く流入しているので、同じようなことだ。

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』のなかで、その管楽器アンサンブルの妙味を最も活かしたインストルメンタル・ナンバーは、八曲目の「ホーリー・ホーリー」だ。これも YouTube にないのでご紹介できないが、ゆったりとしたテンポと曲調で、敬虔で荘厳な雰囲気のホーン・アンサンブルが、歌はないがマーヴィン・ゲイの書いた歌詞の意味をそのまま管楽器で表現し、ハリケーン・カトリーナの犠牲者を弔うレクイエムのような演奏になっている。

上でも書いたが、確かにダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『ワッツ・ゴーイング・オン』は大した成功作ではないかもしれない。がしかし2005年のハリケーン・カトリーナがもたらしたものを音楽で表現した作品のなかでは、特に異彩を放つものなんじゃないかなあ。一聴くらいはする価値があると思う。

さらに僕が再認識したのは、彼らが素材にしたマーヴィン・ゲイの1971年『ワッツ・ゴーイング・オン』という作品が、21世紀の現在でも実に生々しく響き、リアルに訴えかけてくるものだということだ。「戦争はいつ終わるんだ?」「なぁみんな、いまの世の中いったいぜんたいどうなってんの?」「みんなが歌わなくなる日がきっと来るぞ」「死に瀕している世界を絶望から救え」「僕たちの生活、このままじゃやっていけないよ」〜〜 これら、1971年に歌われた言葉が、2017年の世界や日本でも強い意味を持つものなんじゃないの?いまの不寛容と排外の時代にこそね。

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