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2017/03/07

ジャイヴ歌手第一号は、やはりサッチモ

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世間一般に流布している定説とは異なることを二つ言う。一つ、スキャット・ヴォーカルはルイ・アームストロングがはじめたものではない。一つ、しかしながらスキャットを頻用するジャイヴ・ヴォーカルの開祖は、それでもやはりサッチモだ。

 

 

この二つ、少なくとも僕はいまだに見たことがない意見なんだけど、でもだいたみんな言わないだけで、本音では薄々そうだろうなと分っていることなんじゃないかなあ。スキャットはサッチモの発明品なんかじゃないという話は、別の機会に改めてじっくり考えたいので(だって人類音楽史全体にかかわってきそうだからさ)、今日はサッチモ=ジャイヴ・ヴォーカリスト第一号だという話をしたい。

 

 

一般的に、ジャズの分野でジャイヴ・ヴォーカルというものをやりはじめた最初の人物はキャブ・キャロウェイだとされているんだろうか?たぶんそうだよね。キャブのジャイヴ・ヴォーカル初録音は、1930年7月24日録音の「セント・ルイス・ブルーズ」だろう。既に意味の分らないスキャットで、面白おかしく軽快に、ノヴェルティ風味全開で歌っている。この日付はキャブの初録音だから、最初からこんな持味のジャズ・マンだったのかもしれない。

 

 

次いで同1930年12月23日録音の「ノーバディーズ・スウィートハート」と「セント・ジェイムズ病院」を経て、翌31年3月3日録音の代表作「ミニー・ザ・ムーチャー」を録音・発売し、それがベティ・ブープの短編アニメ映画のなかで使われて、しかも声だけでなく、ある技術によりキャブ自身もアニメのなかでダンスを披露し、それが受けたことで、その後の快進撃となった。

 

 

ところで今日の話とは関係なくなるけれど、キャブのその「ミニー・ザ・ムーチャー」(Minnie The Moocher)。これが大学生の頃の僕は、デューク・エリントンの「ザ・ムーチ」(The Mooche)と一緒くたになってしまい区別が付かず、音楽性も活躍時期も似ているし、どっちがどっちだっけ?と分らなることもあって困っていたんだなあ。まあいいや、そんな話は。

 

 

しかしいくらキャブが元からそんな資質のヴォーカリストだったといっても、音楽にしろなんにしろ、完全なる無の状態から新しいものを産み出せるなんてことはありえない。新しい文化の創造は、どんな分野でもいつの時代でもどこの国でも全て、引き継がれてきている過去の伝統の焼き直し、応用からはじまる。

 

 

音楽とは無関係だと思われるかもしれないが(「セイレーン」の章もあるし、他の意味でも実は関係は密接)、アイルランド出身で20世紀初頭に活躍した小説家ジェイムズ・ジョイスが英語で書いた最大の代表作『ユリシーズ』。20世紀の十大小説を選べば、誰でも必ず入れるだろうというほどの作品で、しかもかなりの革新的実験作・前衛作とされているけれど、この作品はギリシア神話の枠組を利用している。タイトルだけでもそれは分るはず。

 

 

キャブ・キャロウェイの場合、あのコミカルというかノヴェルティなヴォーカル・スタイルをパワフルに躍動させ、しかもそのなかに頻繁にスキャットが入っていて、必要不可欠な要素となっているけれど、キャブにスキャット・ヴォーカルを教えたのは、誰あろうサッチモことルイ・アームストロングなんだよね。

 

 

この事実はキャブについて少し調べてみればすぐに(英語でも日本語でも)出てくることなんだけど、調べなくたって録音年月日と音楽内容を比較すれば、誰だってそりゃそうだろうと分るもののはず。サッチモは、独立後初のソロ録音である1925年11月12日のオーケー録音で、既にジャイヴっぽいフィーリングを出している。

 

 

その日に三曲録音されたうちの一曲「ガット・バケット・ブルーズ」でのことで、スキャットはまだやっていないものの、サイド・パースン全員に対し、ソロの順番が廻ってくるたびに毎回全てあれこれと指示の声を入れ、そのなかで例えば「ハイ、ハ〜イ!」「ヤ〜!」「オー、ボーイ!」などと囃したてたりしているもんね。

 

 

 

これをノヴェルティなジャイヴ・ヴォーカル風味と言わずしてなんと言う?そして(あくまでサッチモのレコード録音史上では)初のスキャット録音である、翌1926年2月26日の「ヒービー・ジービーズ」では、ワン・コーラス普通に歌ったあとのツー・コーラス目でスキャット・シンギングが炸裂している。

 

 

 

キャブ・キャロウェイだってこんなレコードは当然聴いていたはず。そのことは全く疑う余地がない。サッチモは「ヒービー・ジービーズ」でやったあとは、どの曲がそうだなどと指摘するのは文字通り不可能なほどありとあらゆる曲でスキャット・シンギングをやっている。ある曲では普通の歌い方とスキャットを混ぜ、またある曲ではスキャット・オンリーだったりなど。そして意味のある歌詞を歌う際でも、かなりノヴェルティをやっている。

 

 

指摘不可能で終わらせるのも愛想がないので、少し具体例を出しておこう。1926年6月23日録音の「ビッグ・ファット・マ・アンド・スキニー・パ」。もうこの曲題だけでもコミカルだけど、曲の中盤から終盤にかけて出てくるサッチモの歌い方に注目してほしい。序盤の声はクラレンス・バブコック。

 

 

 

さらに1926年11月 16日録音の「スキッド・ダット・デ・ダット」 。ドクター・ジョンもアルバム・タイトルに借用した(がこの曲はやっていない)この曲題が既にスキャット・シンギングを表現しているわけで、曲自体を聴けば、キャブ・キャロウェイへの道程はかなり明確に見えるはずだ。

 

 

 

スキャット・シンギングを含むヴォーカルもなく、また曲調や演奏スタイルにノヴェルティ風味もないけれど、サッチモとキャブが一番分りやすく結びついているのが、1927年9月2日録音の「ストラッティン・ウィズ・サム・バーベキュー」だ。演奏は立派なジャズで、昔から1925〜27年のサッチモ名演選集には必ず収録されるもの。

 

 

 

これのどこがキャブと結びついているのかというと、この曲題はそのまま料理への言及ではなく、カワイイあの子といいことをするという意味で、しかもそう指摘しているのがキャブの編んだ『ジャイヴ語辞典』(Hepsters Dictionary: Language of Jive) なのだ。その本のなかには「barbecue」とは「a girl friend, a beauty」のことだとあるもんね。だいたいサッチモの録音集では曲題や歌詞に(特に南部ニュー・オーリンズの)料理への言及が多いから、キャブのこの指摘がなかったら、僕なんかは気が付かなかっただろう。

 

 

さて、上で「またある曲ではスキャット・オンリーだったりなど」と書いたけれど、サッチモがスキャット・オンリーで歌ううち、最も有名で評価も高いのが、言うまでもなく1928年6月28日録音の「ウェスト・エンド・ブルーズ」。この一曲は、シリアスなジャズ芸術としてしか受け取られていないし、実際そんな色の方が濃いように僕も思う。

 

 

 

しかしこのなかでサッチモが聴かせるスキャットがなかったら、全く味気ないものになっていたに違いないとも僕は思うね。さらに、そのスキャット部分にはほんのちょっぴりのノヴェルティ風味すら、いまの僕は感じる。こんな歌い方なんだから、どんなにシリアスにやってみてもそれは出る。出ない方がオカシイ。サッチモはあえてそこを狙ったに違いない。 なんてことを書いていると、「ウェスト・エンド・ブルーズ」を至高の音芸術と考えている多くのジャズ・ファンや演奏家、例えばカヴァーしているウィントン・マルサリスくんなどは、間違いなく顔を真っ赤にして怒り出しそうだね。わっはっは。

 

 

サッチモの1928年録音は全部で19曲あって、それが昔から LP レコードでもコンプリートに復刻されていた。それら19曲を聴くと、多くのジャズ・ファンがシリアス・ジャズ・アートだとして奉るこの年の録音は、その前の1925〜27年録音よりも、ノヴェルティなジャイヴ風味が一層強くなっているんだなあ。

 

 

これも数が多いので、一個一個全部は書いていられないが、例えば「ドント・ジャイヴ・ミー」。これはジャズ楽曲のなかに jive という言葉が入った史上初の一例のはず。もちろんキャブが使ってその後いまでも一般化している意味ではなく、単に「ふざけないでくれ」という程度のことだろうけれど、キャブだってこの意味から発展させたわけだしね。曲題に明確に出てきた意義は大きいはず。

 

 

また1928年に火花を散らしたピアノのアール・ハインズが書いた「ア・マンデイ・デイト」では、ジャイヴ・トーク&シンギングがはっきり聴けると断言してしまいたい。本演奏に入る前のやりとりを聴いても実感できるはず。サッチモにはこういう録音がかなり多いんだよね。

 

 

 

その他「シュガー・フット・ストラット」とか「スクイーズ・ミー」とか「セイヴ・イット、プリティ・ママ」とか、全部ジャイヴ・シンギングじゃないか。特に二つ目の「スクイーズ・ミー」中盤では、リーダーのサッチモがスキャットを披露する背後で「ワワァ〜」というコーラスが入っている。これは1930年代にたくさん出てきたジャイヴ・コーラス・グループの先駆けじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

サッチモの1928年録音ラストは12月12日録音の「セント・ジェイムズ病院」と「タイト・ライク・ディス」。前者はやはりキャブ・キャロウェイがやって、そっちの方が有名になったものだけど、サッチモのヴァージョンが二年前にレコード発売されていなかったら、キャブだってとりあげるのが少し遅れたかもしれないよね。

 

 

 

「タイト・ライク・ディス」は「ウェスト・エンド・ブルーズ」と並ぶ、1928年のサッチモでは人気曲だけど、それは3コーラスにわたり見事な展開を聴かせるサッチモのコルネット・ソロのおかげだ。それだけが理由。がしかしこの「タイト・ライク・ディス」という曲題の意味を、日本人ジャズ・ファンはみんなちゃんと知っていて愛聴しているのだろうか?

 

 

 

あまりそれを詳しく解説するのもどうかとは思うけれど、同じ1928年にブルーズ・ギタリストのタンパ・レッドが2ヴァージョン録音してレコード発売した「イッツ・タイト・ライク・ザット」と同じテーマなんだよね。タンパ・レッドの方には歌詞があるが、サッチモの方にだって、サッチモ自身の男声とドン・レッドマンが出す女の声色とで卑猥なやりとりをしているのがはっきり入っているじゃないか。むしろこっちの方がタンパ・レッドのよりもいやらしいよね。

 

 

最高のアド・リブ芸術が聴けるとされる作品でもサッチモはこうだったのだ。こんな猥雑なフィーリングは、やはりキャブ・キャロウェイを先取りしたようなものだろう。というか直接ヴォーカル・アドヴァイスをしたわけだから間違いなくサッチモからキャブへ受け継がれたものがある。それが1930年代に流行したジャイヴ・ヴォーカルのルーツだったと考えて間違いないと僕は確信している。

 

 

だからサッチモは芸術としてのジャズの元祖だっただけでなく、ジャイヴみたいな芸能ジャズの元祖でもあった。1940年代にたくさん大ヒットを飛ばしスターになり、ゆくゆくはチャック・ベリー登場の舞台を整えたルイ・ジョーダンにまでサッチモの影響は続いていると言って過言ではない。

 

 

そんなサッチモ自身は、1930年以後の録音でもやはり楽しくスキャットを使いノヴェルティ風味全開で歌っていて、なにも変わっていないのだが、その頃になるとキャブ・キャロウェイが登場し派手に活躍しはじめるので、僕の話も今日はここまで。続きはキャブ篇で書くことにしよう。

 

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