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2017/03/30

これぞデルタ・ブルーズ

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ミシシッピ・デルタ・ブルーズってどんなもの?って聞かれたら、差し出すべきはもちろんロバート・ジョンスンではない(いつもいつもこういう言い方をしているが、別に敵視・軽視しているわけじゃなくその正反対なので、ご承知おきを)。僕がオススメしたい一枚は、これまた米 Yazoo 盤の『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』というコンピレイション・アルバムだ。

 

 

コンピレイションといっても、この時代は(生演奏じゃない)ほぼ全ての録音音楽が SP レコード用のものなので、すなわち三分程度の一曲単位での存在。だから個人の全集などなんらかの意味でのコンプリート集以外の LP や CD は、これ全てが編集盤・選集盤だということになる。オリジナル・アルバムなんてものはないわけだから、こだわる必要など全くなく気軽に買って聴けばいい。LP で音楽にハマった人間(僕もそうだ)には、どうもこのあたりに妙なこだわりというか勘違いがあるように見える。

 

 

「チャーリー・パットンの友人たち」ということになっているけれど、実際、デルタ・ブルーズの代表格がこのコンピレイション盤には当然収録されていないチャーリー・パットン。でもパットンの初録音は1929年6月とかなり遅いんだよね。録音開始が、アメリカ北部の都会においてジャズ・バンドなどを伴奏にしてやる女性ブルーズ歌手たちより遅れたミシシッピ・デルタ・ブルーズだけど、それでも1929年以前の録音はあるからなあ。

 

 

例えばヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』にたくさん収録されているトミー・ジョンスン。この人の初録音は1928年だし、他にも何名か同時期の録音がいろいろある。それにしても、アメリカにおけるブルーズの原初形態だったかもしれないミシシッピ・デルタ・ブルーズの録音開始って何年頃のことだったんだろう?そのあたりの正確なことを僕は知らない。ある音楽の最初のかたちだったかもしれないんだから、重要なことなんだろうと思うんだけど。

 

 

もちろん音楽としては北部のジャジーな都会派女性ブルーズよりも、深南部のカントリー・ブルーズの方が早く誕生・成立し、姿かたちを整えていたのは言うまでもない。それがどれくらいの時期のことだったのかはいろんな研究があるけれど、録音がないわけだから正確なことは誰にも分らない。19世紀後半〜末あたりなのかなあ?

 

 

例えばチャーリー・パットンの生まれ年は正確には判明していないが1891年だろうと推定されている。トミー・ジョンスンは1896年(こっちは確定的)。この手のブルーズ・ミュージシャンはたぶん10代前半頃には演奏活動をはじめていただろうと思うので、となると20世紀初頭になるけれど、しかしこの人たちがデルタ・ブルーズの<創始者>などでは全くない。

 

 

彼らの前からミシシッピ・デルタ地帯には、チャーリー・パットンやトミー・ジョンスンらの残した録音で聴けるようなブルーズとほぼ同じようなものがあったはずだ。しかしあくまで諸々の文献と、残された録音(はどんなに早くても1920年代からなんだから、ちょっとあれだけど)から遡って推測して、おぼろげにこんなものだったんだろうと想像を膨らませることしかできない。チャーリー・パットンに影響を与えたとされているヘンリー・スローンは、最も早い時期のデルタ・ブルーズ・マンとして名前が残ってはいるが、やはり録音が皆無だ。

 

 

譜面が残っているのでその通りに、それも古楽器などを用いて演奏すれば、かなりな部分まで昔の姿をまあまあ正確に現代に再現できるクラシック音楽とは、このあたりも根本的に音楽のありようが異なる。ポピュラー音楽とはほとんどの場合記譜不可能なもので、だから録音がないものは口承以外に伝達方法がない。全ては<フィーリング>だからさ。特にブルーズなんてものはフィーリングしかないような音楽だからね。レコードが流通商品になって以後は、それを聴いて真似して学ぶことも多くなった。

 

 

デルタ・ブルーズの場合、トミー・ジョンスンの初録音が1928年で、チャーリー・パットンのそれが29年だけれど、影響関係という意味では逆だ。パットンの方が早く生まれているということだけでなく、ミシシッピの農場で自らのブルーズ・スタイルを完成させ演奏していたのもパットンの方がずっと早い。パットンが両親とともにドッカリー農場にやってきたのは1897年で、その頃から同地で、前述のヘンリー・スローンの影響下でブルーズをやりはじめていたらしい。

 

 

だからチャーリー・パットンの場合は、録音開始が1929年とかなり遅くなっただけで、その録音物で聴けるのとおそらく完全に同じブルーズを、たぶん19世紀から20世紀の変わり目あたりには演奏していたんだろうね。録音開始はパットンより一年早いトミー・ジョンスンがドッカリー農場近くのウェブ・ジェニングの農場にやってきたのは1916年らしく、そこでその頃パットンやウィリー・ブラウンらと知り合って影響を受けたようだ。

 

 

チャーリー・パットンは大きな存在だし録音数も多い(完全集だと CD三枚分)ので別の機会に話をするとして、ヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』に最も数多く収録されているブルーズ・メンがトミー・ジョンスンとサン・ハウスの二名。前者は五曲、後者は7トラック。サン・ハウスの方を七曲と書かないのは、同じ曲がパート1とパート2の二つあるもの三つ、すなわち計6トラックあり、もう一つとあわせ曲数なら四つになるからだ。

 

 

そしてこのヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』がなかなか貴重なのは、トミー・ジョンスン、サン・ハウス二名ともよく知られている既存音源の他に、レアな未発表録音も含まれているからだ。といってもこのヤズー盤は1991年のリリースなので、世界初登場などではないのだが、この二名の未発表録音が同時収録され、有名な代表曲もあり、さらにウィリー・ブラウンやイシュマン・ブレイシーやキッド・ベイリーやバーサ・リーやブッカ・ホワイト、そしてピアニストだけどルイーズ・ジョンスン(以上で収録されている音楽家は全部)という、デルタ・ブルーズのまさしく<典型>が揃っている一枚物の手軽なアンソロジーはなかなかない。

 

 

トミー・ジョンスンの未発表録音は二曲。「バトゥン・アップ・シューズ」( button の発音はボタンじゃありません)と「ロンサム・ホーム・ブルーズ」。どっちもトミー・ジョンスンの録音集には昔からある既発曲だけど、このヤズー盤収録のものはどっちもテイク1。どうやらテスト目的で録音・プレスされたもののようだ。だから商品としては発売されなかったんだろう。

 

 

 

 

当時レコード発売されたテイク2はそれぞれこちら。

 

 

 

 

二曲とも少し姿が違うようにも聴こえるが、しかし基本的にはやはりほぼ同じだから、そんなにレアだと言って騒いで重視することもないんじゃないかなあ。もちろんいまではトミー・ジョンスン名義の録音集に全て収録されている。トミー・ジョンスンの録音で最も有名なものは、もちろんかのバンドがバンド名を拝借した「キャンド・ヒート・ブルーズ」で、当然のようにヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』にもあるよ。

 

 

 

この「キャンド・ヒート・ブルーズ」。ギターで刻むビートの感じがこれこそデルタ・ブルーズというスタイルなんだよね。シングル・トーン弾きは全くなく、ひたすらコードでリズムをザクザク刻むのがデルタ・スタイル。ザクザクという表現が本当にピッタリ来る。早足で歩くような、そんなコード・カッティングのビート感がチャーリー・パットンやトミー・ジョンスンやサン・ハウスらのスタイルで、このヤズー盤だとブッカ・ホワイトだけが少し違ったグルグル廻るようなリズムを表現しているけれど、ブッカ以外のギタリストは全員ほぼ同じ弾き方だ。

 

 

トミー・ジョンスン、ヴォーカルの方は白人ジミー・ロジャーズと同じブルー・ヨーデルが聴けるのもお分りいただけるだろうが、他のブルーズ・マンの話もしたいのでこのあたりで。なお(ピアノ・)ウーマンのルイーズ・ジョンスンのことは以前詳しく書いた。

 

 

 

ヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』に未発表録音が収録されているもう一人、サン・ハウス。彼の場合はその未発表録音は重要。なぜならばそれは「ウォーキング・ブルーズ」だからだ。ロバート・ジョンスンで有名、というかジョンスンのヴァージョンを下敷にした米英ブルーズ・ロッカーたちの演奏でかなりの知名度がある「ウォーキング・ブルーズ」のおそらく初録音が、サン・ハウスのヴァージョンなんだよね。

 

 

 

今日話題にしているヤズー盤には録音年の記載がないのだが、この YouTube 音源でも書かれてあるように1930年。しかも5月28日。ということはブルーズ・ファンのみなさんならもうお分りだろう。Pヴァイン盤『伝説のデルタ・ブルース・セッション 1930』(にこの「ウォーキング・ブルーズ」はない)にも収録されているウィスコンシン州グラフトンで行われたパラマウントへのレコーディング・セッションで収録したもの。

 

 

あのレコーディング・セッションでは、チャーリー・パットン、サン・ハウス、ウィリー・ブラウン、ルイーズ・ジョンスンの計四名がミシシッピ・デルタから連れ立ってやってきたわけだが、サン・ハウスの場合「ウォーキング・ブルーズ」を除く3曲計6トラックは全て自分一人でのリゾネイター・ギター弾き語りだ。「ウォーキング・ブルーズ」でだけウィリー・ブラウンが伴奏のギターを弾いている。

 

 

上で貼った音源をお聴きになれば説明不要だが、ロバート・ジョンスンが録音して有名化したこの曲は、 その六年前のサン・ハウスがほぼ同じようにやっている。高音弦でのスライドと、同時にそれ以外の弦でコードをザクザク刻むギターのパターンも、ファースト・コーラスの歌詞もそのままじゃないかな。

 

 

もちろん「ウォーキング・ブルーズ」もサン・ハウスのオリジナルではないはず。アメリカ南部に古くから伝わる、それも歌詞の方は伝承もので、歌のメロディだってギターのパターンだって、1930年のサン・ハウス以前から存在したに違いない。たまたま初めて録音したのがサン・ハウスだっただけで、いろんなデルタ・ブルーズ・メンがやっているのをサン・ハウスも聴き覚えたんだろう。それをさらにロバート・ジョンスンが聴き覚えた。

 

 

それにしても、この1930年のサン・ハウス「ウォーキング・ブルーズ」をパラマウントがレコード発売しなかったのはどうしてだったんだろう?初発見は1985年のことだったらしい。それ以後はいろんなものに収録されるようになって、この曲の史上初録音として認められるようになった。僕もサン・ハウスの録音集だけでも、もう一つ収録されているのを持っている。

 

 

なお、1930年5月28日、ウィスコンシン州グラフトンで行われたパラマウントへのレコーディング・セッションで収録されたサン・ハウスのブルーズは、この「ウォーキング・ブルーズ」のほか、「マイ・ブラック・ママ」「プリーチング・ザ・ブルーズ」「ドライ・スペル・ブルーズ」がそれぞれ2パートずつ。だから全部で7トラックあって、それら七つ全部ヤズー盤『マスターズ・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ:ザ・フレンズ・オヴ・チャーリー・パットン』にも収録されている。

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