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2017/04/27

HK のソロ新作はブルーズ・アルバム

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ここ一ヶ月ほどのあいだに買った海外盤新作で最もよく聴くヘヴィ・ローテイション三つが、パウロ・フローレス(アンゴラ)とレー・クエン(ヴェトナム)と HK(アルジェリア/フランス)。三つとも素晴らしい。特にパウロ・フローレスの『オ・パイス・クェ・ナスシウ・ミウ・パイ』は本当に凄い。あまりにも豊穣で濃密な音世界だ。がしかしパウロ・フローレスとレー・クエン新作については既に書いている方が少しいらっしゃるので後廻しにして、今日はまだ誰も書いていない(はずの)HK 新作の話をしよう。個人的にはお気に入りなのだ。

HK の新作『ランピール・ドゥ・パピエ』。一回聴いただけで好きになってしまったが、それはどうしてかというと、これはブルーズ・アルバムだからだ。正確にはレゲエ・ブルーズ。正直に言うとブルーズっぽいようなものはさほど多くはなく、その一方でレゲエは、ほぼ全曲あの(ン)ジャ!(ン)ジャ!っていうリズムだし、歌詞内容だっていかにもレゲエ・ミュージシャンが歌いそうな抵抗と反逆とそれに類するものばかりで、だから『ランピール・ドゥ・パピエ』はレゲエ・(ブルーズ・)アルバムなのだと言わないといけない。

がしかし前々から書くように、レゲエのあのスカしたクールなビート感覚は、僕にはイマイチ馴染みにくいものなんだよなあ。それでもアマジーグ(グナワ・ディフジオン)や HK やその他マグレブ音楽家がみんなたくさん使うので、それで僕もかなり好きになってきているのだが、染み付いた生理的なものがどうもやはり完全には拭い難い。

ところが一方、こっちも説明不要の繰返しだが、ブルーズやブルージーな感覚は大好物なんてもんじゃない僕で、どんな音学のどんなアルバム・曲でも、ちょっとでもそれっぽいような微かな香りがあれば、「あっ、これはブルーズだよね!」と快哉を叫び喜んでしまうという、そんな人間だ、僕は。

HK の新作『ランピール・ドゥ・パピエ』には、しかしちょっとどころじゃないブルーズ色が確かにあるんだよね。一聴でそれが誰にでも分るのが二曲ある。アルバム二曲目のアルバム・タイトル・ナンバーと、五曲目の「ギヴ・ミー(アン・オートル・シャン・ドゥ・バタイユ)」 。音源を貼ってご紹介できれば、どなたにもブルーズ・ナンバーであるのを実感していただけるはずだけど…、と思い YouTube その他ネット動画を検索したけれど、やはりアップロードはされていない。本国フランスで今年三月にリリースされたばかりのアルバムだから、僕が上げてもダメだろうなあ。

しかし「ギヴ・ミー」の方だけは、『ランピール・ドゥ・パピエ』収録のオリジナル・ヴァージョンではなく、今年3月22日、パリでのライヴ・ヴァージョンが見つかって、聴いてみたらスタジオ・オリジナルとさほど大きな違いはなく、ブルーズ要素はしっかり聴けるので、ご紹介しておこう。
どうです、この出だしは?スタジオ・オリジナルでも同じなのだが、このライヴ・ヴァージョンの「ギヴ・ミー」冒頭部で聴こえるのは、疑いなくリゾネイター・ギターをスライドで弾くサウンドだよね。それに英語詞が乗り「Nodody’s blues is deeper than mine」(その他)と歌っている女声ヴォーカルが聴こえるじゃないか。リゾネイター・ギターは誰で、英語詞を歌っているのは誰なのか?

CD『ランピール・ドゥ・パピエ』附属ブックレットにはそのあたりの記載がないというのがかなり怪しい。だって伴奏者は全員がサルタンバンクの面々で、(サルタンバンクと明記されているラスト13曲目を除き)名義こそ HK のソロ作となっているが、中身は HK ・エ・レ・サルタンバンクの作品に違いなく、パーソネル・担当楽器など逐一全部明記されているにもかかわらず、五曲目「ギブ・ミー」の、あのリゾネイター・ギターと女声ヴォーカルだけは担当者の記載がない。怪しいぞ。

いちおうマヌエル・パリがギター担当で、しかも「ギヴ・ミー」ではヴォーカルも書いてあって、曲も HK とマヌエルの共作となっているので、リゾネイター・ギターはマヌエルかもしれない。というか現実的にはその可能性が高い。がしかしマヌエルって男性名じゃないか。女性だったらマヌエラになってないといけない。じゃああの冒頭部(やその他中間部)で聴こえる女声(にしか聴こえない)ヴォーカルは誰なんだ?女性がマヌエルを名乗っているのか?

マヌエルが(リゾネイター・ギターを弾きながら)歌って、ヴォーカルの方だけ女声に聴こえる程度にまでピッチを上げる処理を録音後にやったという可能性はかなりあるだろう。「ギヴ・ミー」でも主に歌うのは HK だが、あの冒頭部や中間部のあれだけは HK の声である可能性がゼロだ。HK が歌っている真っ最中にでもその女声ヴォーカルの英語詞がどんどん挿入される。

ここで僕の極めてわがまま勝手な、完全に無根拠な憶測を書く。あのアクースティックなリゾネイター・ギターと女声ヴォーカルは、ボニー・レイットじゃないだろうか?ギターの方はブルーズを弾き慣れている人間なら誰にだって弾けそうな演奏だけど、あの声はねえ、隠せないと思うんだけどなあ。ボニーじゃないのぉ〜?ボニーが別個に録音してそれをサンプリングして、冒頭部や中間部になんども挿入してあるんじゃないのぉ〜?

上で音源を貼ったライヴ・ヴァージョンの「ギヴ・ミー」でも冒頭部で全く同じものが聴こえるが、生演唱であるようには聴こえない。間違いなく録音物を流して、その後 HK (とサルタンバンク)の生演奏になっているんだと思うけどなあ。そのライヴで流れている(録音された)リゾネイター・ギターと女声ヴォーカルは、CD『ランピール・ドゥ・パピエ』で聴けるものと全く同じに聴こえるんだから。

あれがボニー・レイットだなんてのは、本当に僕が勝手に放言・妄言しているだけで、いちおうネットで僕なりに情報がないか探してはみたが、やはりボニーのボの字も出てこない。声質から判断して、僕の聴き慣れているボニーに近いと思うだけで、100%根拠レスな発言なので真に受けないでほしい。

ボニー・レイットを起用したのかどうかは、正直言うと重要なことではない。大切なことは『ランピール・ドゥ・パピエ』五曲目の「ギヴ・ミー」がブルーズ・ナンバーだということだ。こっちの事実の方は曲を聴けば、どなたも納得できるはずだ。僕の文章にではなく、曲の音にその説得力、これはブルーズだと納得させる肌触りがあるもんね。

「ギヴ・ミー」でも曲本編の演唱がはじまると、やはりリズムはレゲエになる。そして全体的に曲調もフランス語の歌詞内容も暗く落ち込むようなもので、憂鬱感、すなわちブルージーなフィーリングが漂っている。曲の副題「un autre chant de bataille」とは、戦いの歌をもう一つ(くれ)という意味だが、強く拳を突き上げるような戦闘の高揚感に酔うようなものではなく、ガックリ落ち込んで考え込んでいるようなフィーリングの曲なんだよね。だからブルーズ。

あまり五曲目の「ギヴ・ミー」にだけこだわっていると先へ行けないので、最初に書いたアルバム『ランピール・ドゥ・パピエ』中もう一つのブルーズ楽曲、二曲目のアルバム・タイトル・ナンバーのことも書いておこう。曲「ランピール・ドゥ・パピエ」もリズムのかたちはレゲエだ。アルバムの全13曲中最も鮮明なレゲエ色があると言ってもいいくらい。

ところが曲「ランピール・ドゥ・パピエ」では10穴ハーモニカ、すなわちブルーズ・ハープが入っていて、というか全面的にフィーチャーされているような使い方で、しかもですね、フレイジングがモロそのまんまブルーズ・ハーピストの吹き方なんですよ。音列を聴いて耳で判断するとセカンド・ポジションのものを使っているのは間違いない。アメリカ黒人ブルーズ愛好家には説明不要だが、セカンド・ポジションのキーの10穴ハーモニカを使うのはブルーズ・ミュージックでの常套なのだ。

曲「ランピール・ドゥ・パピエ」におけるかな〜りブルージーなブルーズ・ハープは、ブックレット記載ではマヌエル・パリの担当となっているぞ。えっ?そうなのか?この曲でのハーモニカ以外は、上述五曲目「ギヴ・ミー」でのヴォーカル以外全部ギターしか弾いていないことになっているこの人物、こんなアメリカ黒人ブルーズ・ハーピストか、あるいは白人ならポール・バタフィールドみたいな10穴ハーモニカが吹けたのか?知らんかった…。

ってことはですね、上で書いた完全なるブルーズ・ナンバーみたいな五曲目「ギヴ・ミー」の、ボニー・レイットじゃないのか?などと勝手なことを書いたリゾネイター・ギターと女声ヴォーカルは、やはりクレジット通りマヌエル・パリのものなのか?そんな、ギターでもヴォーカルでもハーモニカでも米黒人ブルーズ要素を表現できる人物だったのか?う〜ん…、どうなってんの?

なおこのギタリスト(が中心の)マヌエル・パリ、いままで書いてきた二曲「ギヴ・ミー」「ランピール・ドゥ・パピエ」でブルージーなギターのオブリガートやソロを弾き、時にはエレキ・スライドを聴かせたりもするが、実は他の曲でもそんなギターの弾き方をしているものがあったりする。そして主役の HK はいつも通りの塩辛い声と歌い口だから、やっぱりある意味、アルバム『ランピール・ドゥ・パピエ」』は全体的にブルージーなんだよね。

前々から HK の音楽はソロでもサルタンバンクでも、フランス内部にいるマイノリティであるアルジェリア系の人物が、白人支配の帝国の内側からそれに抵抗しよう、内臓のなかから食いちぎってやろうというような音楽であって、その点、地理的には同じアフリカの、トゥアレグ族の、いわゆる砂漠のブルーズとかなり共通性が高い。というかほぼ同質の音楽じゃないかなあ。

石田昌隆さんみたいに、砂漠のブルーズを「トゥアレグの抵抗を音楽で表現した」(『ラティーナ』最新号でのタミクレスト新作レヴュー)ものだというような表現の仕方をするのが嫌いな人間だけどね、僕はね。石田さんはそもそもこういった考え方・書き方こそが持味・芸風の方だし、またこの『ラティーナ』誌からのこの引用部も決して間違っているなんてことはなく、文字どおり真実だ。

(サハラ砂漠に限らずアメリカでもどこでも)ブルーズ・ミュージックって、そういう石田さんのおっしゃるようなものではあるんだよね。僕はいつもいつもリズムとサウンドと音の質感と、歌詞ならその「音の響き」が織りなすもの 〜 これらだけに耳を傾けてなんでも判断している人間で、そんな聴き方だけしていても、フランス本国では今年三月上旬に発売されたばかりの HK の新作『ランピール・ドゥ・パピエ』は、ブルーズ・アルバムだと聴こえてくる。

フランスに住んでいるアルジェリア系の音楽家 HK の新作アルバムを聴いて、そこにブルーズを感じ取る人間も少ないだろうとは思うけれど、書いたようにブルーズ・ミュージック本来のありよう、(世界のどこでも)社会のなかで置かれたポジションから自ずと発生する音楽性を振り返ってみれば、フランスの HK にブルーズがあるのは不思議なことじゃない。

強調しておくが、そんなブルーズ本来の社会的ありようなんてことまで考えなくたって、HK の最新作『ランピール・ドゥ・パピエ』には、いままでの HK ソロ作やサルタンバンク作にはなかった、純音楽的なブルーズ要素がはっきりある。 これは間違いないと太鼓判を押しておく。…って、僕が押した太鼓判やなんかを誰が信用するんだろう?

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