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2017/04/18

ロリンズのカリブ・ジャイヴ

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誰も明言しないけれど、ソニー・ロリンズのサックスにはノヴェルティな味があるんじゃないだろうか?100%全員がサックス・アーティストだと考えているに違いないが、僕にはそう聴こえる。それは言ってみればジャイヴ風味だ。僕がジャイヴという言葉を音楽関係で使う際は、単にふざけている感じ、すなわちノヴェルティなフィーリングがあるという程度の意味で使う場合がある。

 

 

一般的にジャイヴ・ミュージックとは(ジャズの一分野としての)ヴォーカル表現のフィーリングを指している、ように僕には見えているんだけど、この認識でいいんだろうか?キャブ・キャロウェイを発端に1930年代に流行したああいった面白おかしく歌う感じ、それも実に頻繁にナンセンス・シラブル、すなわちスキャットを織り交ぜて、さらに背後でワヮ〜、ワヮ〜というコーラスが入る 〜 これが普通みなさんの言うジャイヴだろう。

 

 

がしかし僕は以前一度、そんなヴォーカル・フィーリングの開祖は1920年代のルイ・アームストロングだと書いたように、シリアスなジャズ・アーティスト(でもないが、サッチモは)がやる音楽のなかにも、そんなノヴェルティなジャイヴ風味があるように思うんだなあ。

 

 

 

だいたいジャイヴ(jive)という言葉は「ふざける」「からかう」という程度の言葉であって、音楽用語でもなんでもない。キャブ・キャロウェイがこの英単語を自分の音楽その他に使って以後、一定傾向のジャズなどに用いられるようにはなったが、キャブの楽団自身は立派なジャズ・アーティスト集団じゃないか。できあがっている音楽だって普通のジャズも多い。

 

 

ジャイヴなんてなんとなくのフィーリングでしかないんだから、それをあたかも一つの固有ジャンル名であるかのように、そういう特定のものがあったのだみたいに固定してしまうと、ジャイヴ・ミュージックの本質からもどんどん外れていってしまうと僕は思うんだよね。中村とうようさんの読者でそういう固定観念化している方がいらっしゃるように見受けられるのは、とうようさんがそこを戦略的に、いわゆるジャズと切り離して語ったせいもあるんじゃないかなあ。ジャンプ・ミュージック同様に。どっちもジャズだぞ。

 

 

とうようさんの功罪云々は「功」の方がはるかに大きいんだからいいのだが、年数が経った僕たちは、ジャイヴ(やジャンプ)・ミュージック本来のありようをいま一度考え直してみる必要があるんじゃないかと思うのだ。そうしてみると「ジャイヴ = スキャットを織り交ぜてノヴェルティなヴォーカル(・コーラス)表現を披露する1930年代の人たち」という狭い枠ではおさまらないことに気がつくはず。この1930年代だけではないという点が、今日の記事本題では重要。

 

 

だってソニー・ロリンズが活躍しはじめたのは1940年代末からだもんね。ロリンズのテナー・サックスは、頻繁にブホッ、ブワッっていうような馬のイナナキみたいな音を出すよね。あれは直接的には1940年代からはじまったホンク・テナーからの影響なんだろう。がしかし同時にロリンズの少年時代のアイドルはルイ・ジョーダンで、まずあんな感じでやりたいと思ってサックスをはじめたという逸話は、いままでも数回ご紹介している。まあどっちもジャンプだが。

 

 

ルイ・ジョーダンの吹くアルト・サックスにそんなホンク・サウンドはない。どっちかというとスムースで、ルイの大活躍後約10年くらい経ってアメリカ西海岸で盛んになる白人ジャズ・サックス奏者の音色に近いんじゃないかと思うほどソフトで柔らかいサウンド。フレイジングはしばしば愉快な感じになるが、でもやはり全体的には流麗でハミ出さない。

 

 

だからロリンズの少年時代のアイドル兼お手本がルイ・ジョーダンで、そんなロリンズが頻繁にホンク・サウンドを出すといっても、サックス・プレイにおける直接の影響はうかがえないね。ロリンズのあんな吹き方は、上述の通りホンク・テナー、すなわち遡ればレスター・ヤング・スタイルの系譜にある。ロリンズの場合、フレイジングの突拍子もなさだってレスター由来だ。

 

 

ロリンズのテナー・サックス・スタイルがレスター由来だというのは、間違いない事実として粟村政昭はじめ専門家のみなさんが昔から言っているし詳細に分析されているので、僕がこれ以上なにも書く必要はない。僕が言いたいのは、ロリンズのそんなテナー・サウンドが、いわば<ジャイヴ・サックス>に聴こえるという、こっちは誰も言っていない事実(だと思う)だ。

 

 

最も有名で最高級の評価が揺るがない1956年の『サクソフォン・コロッサス』にだって、そんなジャイヴなフィーリングはある。愉快で痛快なおふざけサックス・プレイがね。そういうのが複数曲あるが、 そのなかの一つはしかもカリビアン・テイストと合体しているじゃないか。言うまでもなく一曲目の「セント・トーマス」のことだ。つまりロリンズはカリビアン・ジャイヴ・サックスを吹いている。

 

 

そういうロリンズの愉快なフィーリングは、やはりルイ・ジョーダン由来だったに違いない。上述の通りアルト・サックスの吹き方にジャイヴィーな感じは薄いルイだが、ヴォーカルの方は言うまでもなくノヴェルティ風味全開でやっているし、さらに曲そのものがラテン風になっているものがいくつもあるもんね。この二つをロリンズはルイから吸収して、歌は歌わないがテナー・サックスで受け継いで表現したんじゃないかなあ。

 

 

それが最もよく分るアルバムが1957年のコンテンポラリー盤『ウェイ・アウト・ウェスト』だ。アルバム・タイトルとジャケット・デザインとレーベル名で分るように、イースト・コースターのロリンズが西海岸に赴いて、レイ・ブラウン(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)二名のウェスト・コースターを起用し、中身も西部劇音楽風な一枚だ。

 

 

一曲目が「おいらは老カウボーイ」(I'm An Old Cowhand)だもんね。これはミュージカル仕立ての西部劇映画『リズム・オン・ザ・レインジ』 からの一曲で、オリジナルは下に貼るこれだ。歌っているのはビング・クロスビー。お聴きになればすぐ分るように、おふざけ・お遊びしかやっていない完全なるノヴェルティ・ナンバーで、書いたのは有名なジョニー・マーサー。

 

 

 

アルバム『ウェイ・アウト・ウェスト』一曲目のロリンズ・ヴァージョンはこれ。出だしでシェリー・マンがなにを叩いてこんな音を出しているのか分らない(スネアのリムだけじゃないよね?)のだが、そのリズムにはカリビアン・アクセントが聴き取れる。すぐにスネア・ロールが入って、その後はメインストリームの4/4拍子になってしまうが。

 

 

 

しかし冒頭の、若干カリプソ風かな?と聴こえないでもないリズム・アクセントに乗って吹く部分はもちろん、その後の通常のメインストリームな4ビート部分でも、ロリンズの吹くテナー・サックスには面白おかしいようなフィーリングが聴き取れるはず。少なくとも僕はそれを感じる。シェリー・マンのドラムス・ソロのあとの最終テーマ吹奏部分では、冒頭部と同じカリプソ風?リズムに乗って、やはりジャイヴィーにテナーを吹くロリンズ。

 

 

アルバム『ウェイ・アウト・ウェスト』にはもう一曲同じような出自の曲がある。CD だと四曲目の「ワゴン・ウィールズ」がそれ。これはブロードウェイのコメディ・ミュージカル『ジーグルド・フォリーズ』第2シリーズからの曲で、すぐにハリウッドで映画化もされた。しかしいろんなミュージシャンは映画化の前から「ワゴン・ウィールズ」をやっている。例えばこれはポール・ワイトマン楽団の1934年録音。

 

 

 

これをお聴きになれば分るように、これもウェスタン・ナンバーなんだよね。wagon wheels ってのは荷馬車の車輪のことだし。こんなのを少年時代のロリンズも聴いていたはずだ。アルバム『ウェイ・アウト・ウェスト』にある「ワゴン・ウィールズ」はこれ。やはり冒頭部と最終部でシェリー・マンが、やはりなにを叩いているのか分らないがコミカルな音でカリブ風なリズム・アクセントを表現している。しかもなんだかちょっとポリリズミックだ。

 

 

 

これも一曲目の「おいらは老カウボーイ」同様、アド・リブ・ソロ部分のリズムにカリビアン・テイストはなく、なんでもない4/4拍子なのが僕にはちょっと残念だ(が多くのジャズ・ファンは最初と最後のテーマ演奏部分のあんな感じこそ残念だと思っているかも)。しかしロリンズのテナー・ソロにだけは、やはりある程度のノヴェルティ風味を僕は感じるんだよね。これは僕がジャイヴに敏感すぎるだけだろうか?

 

 

こんな風にウェスタン・ナンバーをカリビアン・ジャイヴ仕立てでやっているのは、これら「おいらは老カウボーイ」「ワゴン・ウィールズ」の二曲だけだが、後者はアナログ盤では B 面一曲目だったので、つまり A面・ B面ともにそんなのからはじまるアルバムってことで、印象がかなり強かったんだよね。これら二曲以外は、ロリンズのオリジナルが二曲(はやはり少し西部カウボーイ・ソング風)、スタンダード・バラード(は普通のジャズ)が二曲。

 

 

ピアノ・レスのワン・ホーン・トリオでやるロリンズというと、同じ1957年に『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』というライヴ・アルバムがある。現行 CD では二枚組の完全盤となってリリースされていて、計二時間以上たっぷり楽しめる。このライヴ・アルバムでも、『ウェイ・アウト・ウェスト』には程遠いにせよ、やはり若干のカリビアン・ジャイヴな味があるもんね。ドラマーがエルヴィン・ジョーンズかピート・ラ・ロッカだしなあ。

 

 

こういうのはピアニストがいないことと、ひょっとしてなにか関係があるんだろうか?特にこれといって関係なさそうな気がするけれど、そういえば1930年代の<いわゆる>ジャイヴ・グループはストリング・バンドである場合が多く、ピアニストがいない場合がある。ピアノが奏でる和音の、あのバンド・サウンド全体の色を決めてしまいかねない束縛感からの解放とジャイヴ・フィーリングって、なにか関係あるの?ないの?誰か、教えて!

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