アイランドさん、サニー・アデの『シンクロ・システム』を再発して!
キング・サニー・アデの1983年アイランド盤『シンクロ・システム』。『ジュジュ・ミュージック』に続くこの世界デビュー第二作こそ、僕がアフリカのポピュラー・ミュージックにハマった最初で、アフロ・ポップにハマらなかったら、その後、世界のいろんな音楽を聴くようにもならず、いまだにアメリカ音楽、特にジャズとブルーズとファンクとロック(と一部ラテン)だけ聴いていることになっていたかもしれない。
そしてアメリカ音楽、なかでも僕が一番好きなジャズのことだって、ラテン音楽やその他<アメリカの>音楽だけじゃなく、世界のいろんな音楽を聴かなかったらよく分っていないという状態だったに違いなく、うんまあ、いまだにジャズのことだってあまり分っていないだろうけれど、それでもジャズだけのファンだった時期よりは理解が進んだという、これまた実感があるのだ、僕のなかにはね。
ってことは、17歳の時に植草甚一さんの手引で買って聴いた MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)の『ジャンゴ』で一度人生が大幅に、というか180度転換し大きく狂ってしまいそのまま戻せず、その後軌道修正するどころか、大学院修士課程二年の時、深夜の FM 番組で流れたキング・サニー・アデの「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」で背筋に激しい電流が走ってしまって、さらにもっと深い泥沼に入り込んでしまうことになった。音楽経験は広がって深くなったものの、経済的・人間的意味合いでは、僕の人生、ほぼ破滅状態に近い。
これはでも幸せなことなんだと自分では思っているのだが、とにかくまずお金の問題が一番困るんだなあ。そんなことはいいや。自己の音楽ルーツを振り返って昔話を(本当にするのであれば、幼少時のラテン体験や、その後のハジレコである山本リンダ「どうにもとまらない」あたりまで遡らないといけないが、そのあたりは記憶が曖昧なのだ)しようってわけじゃないんだけど、今日はちょっと書いておこう、キング・サニー・アデの『シンクロ・システム』について。こっちこそが入り口だった MJQ の『ジャンゴ』の方は、いま聴くとどこが面白いのやら分らず、どうしてこれでガビ〜ン!世のなかにこんなにも素晴らしい音楽があったのか!と衝撃を受けたのか、自分でもよく分らないので、(たぶん今後も)話はしない。
キング・サニー・アデの『シンクロ・システム』、というか正確にはアルバム丸ごとではなく、書いたように東京都立大学大学院進学で上京し(いま首都大学東京なんていう名前になってしまっているのは、梁山泊みたいだったここの英文学研究室で学んだことに誇りがある僕は悲しい)、修士二年だから24歳、すなわち1986年の深夜 FM 番組で流れた「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」こそが、僕にとってのある意味、事始だったのだ。
あの時のラジオ番組『FMトランスミッション・バリケード』(は毎週土曜日深夜二時〜三時) は、これも以前書いたことの繰返しになるけれど、アメリカ音楽のカリブ〜アフリカ・ルーツを辿るかのような構成で、なんてことに気づくのもずっとあとのことだが、憶えているのは番組オープニングの一曲目がハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」、二曲目はボブ・マーリーの「ナチュラル・ミスティック」、三曲目がブラック・ウフル(ジャマイカのダブ音楽家)のどの曲だったか忘れたもの、そして四曲目がキング・サニー・アデの「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」だったのだ。
『FMトランスミッション・バリケード』というあの FM東京の番組にはおしゃべりをするラジオ・パーソナリティみたいな存在がおらず、一時間の番組の開始直後と、30分目と、終了直前の三回、「FMトランスミッション・バリケード」ってボソッと言うだけ。あとは番組ラストにその日一時間で流したものの曲名と音楽家名だけが羅列される。本当にそれだけで、あとは一時間マジで文字通りノン・ストップで音楽だけが流れ、しかも編集されていて複数曲が繋がっていた。
そういうわけだから、書いたようなベラフォンテ 〜 マーリー 〜 ブラック・ウフル 〜 サニー・アデの四曲もノン・ストップで音楽だけが、それも一続きで流れたんだよね。いま振り返ると上手い流れだなあ。誰が考えたんだろう。書いたようにそのあたり、誰の選曲・編集かなんてことも一切しゃべらない番組だったから、ネットでいま調べてみてもやはり分らない。
ベラフォンテ、マーリー、ブラック・ウフルの三者には、あの時の土曜深夜、あまり強い印象は受けなかった。それなのに四つ目で流れたキング・サニー・アデの「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」は、聴こえはじめた数秒後、派手な打楽器サウンドが入ってきた瞬間に痺れちゃたんだよね。まずサニー・アデのほんのちょっとのア・カペラ・ヴォーカルからはじまり、次いで一瞬のエレキ・ギター、コーラス隊、パーカッション群などが、この順番でなだれ込んでくる。聴いたことのないスタイルで弾くスティール・ギターも魅惑的だった。
なかでもその時の深夜の僕が、これなんだ?このワケの分らない音は?と思ったのが、いまなら分るトーキング・ドラムのサウンド。それまでまったく聴いたことがなく、したがってどんな楽器であんなヒュンヒュン・ヒョンヒョンという、それもピッチが変化する打音(のようなもの)を出しているのか、当時皆目見当がつくわけもない。
とにかく魅力的なんていう軽いものじゃなく、当時24歳の僕にとっては激しい衝撃で、17歳の時に MJQ の曲「ジャンゴ」を聴いて、世のなかにこんなにも素晴らしい音楽があって、しかも見過ごされている(と思ったのは当時の僕の勘違いだが)なんてケシカラン!と思ったのをはるかに上廻る大感動で、やはり再びこんな凄い音楽が見過ごされているなんてケシカランと思ったのも、やはりまた僕だけの勘違い。だってキング・サニー・アデは、僕のこの衝撃体験の二年前である1984年に来日公演を行っているもんね。
その1984年の国立代々木競技場でやったキング・サニー・アデのライヴがかなりものすごかったらしいので、それに到底間に合うわけもなかった僕は、あとで知ってホント〜ッに悔しかったんだぞ。まあ取り戻せない過去の話はやめておこう。とにかく深夜 FM で聴いた「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」が大衝撃だったので、土曜深夜のその番組を聴いて寝て(これが当時の毎土曜の就寝習慣だった)起きた日曜日に速攻でレコードを買いにいったら、わりと簡単にアイランド盤 LP が見つかったので即買い。
といっても、書いたようにその FM 番組はラストに曲名と音楽家名を言うだけなので、情報はそれだけ。どのアルバムに入っているかなんかは分らないのだが、しかしキング・サニー・アデという名前と「シンクロなんちゃら」という曲名で、どのアルバムなのかは誰だって店頭で容易に分る。そうでなくたってあの1980年代半ばといえばサニー・アデの『シンクロ・システム』以外ありえない。実際レコード・ショップ店内でも目立っていたような記憶がある。無知状態の僕だって見つけるのは容易だった。
しかし買った『シンクロ・システム』を自宅、じゃなく寮の自室でかけてみても、A 面一曲目の「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」は、あぁ〜、これこれ!これだよ!と再び感動するものの、それ以外の曲には当時の僕はピンと来ず。特にアルバム・タイトルになっているんだから代表作なんだろうと思う B 面一曲目があまり面白くなかった、当時はね。
いま振り返ると、あの当時の僕ならそんなもんだよなあ。結局アルバム『シンクロ・システム』はオープニングの「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」だけ繰返し聴いて、それ以外の曲はほぼシカトに近いような聴き方だった。片面の途中で針をあげるのが生理的に無理だった(いまは CD でも iTunes ファイルでもどんどん途中でチェンジするけれど)僕は、いちおう全部かけるものの、たぶん耳には入っていなかったなあ。
だから今日ここで正直に告白するが、キング・サニー・アデのアルバム『シンクロ・システム』の、そのアルバム一枚丸ごと全部をちゃんと聴いて、一曲目の「シンクロ・フィーリングズ ー イラコ」だけじゃなく全体的に面白いと心の底から実感するようになったのは、リイシュー CD で聴いてからなんだよね。それでもその一曲だけがとっかかりで、いろんなアフロ・ポップや、最初に書いたような具合で僕の音楽世界は広がったので、大恩人には違いない。
リイシュー CD で聴いて、と書いたが、キング・サニー・アデの『シンクロ・システム』CD は、実は問題だらけだ。これが悔しくてたまらないんだけど、まずオリジナル・ジャケット(上掲写真左)では、2017年のいまに至るまでただの一度もリイシューされていない。僕が持っているのはアメリカの Mango 盤 CD で、これが『シンクロ・システム』の初 CD化だった(はず)ので、僕は速攻で飛びついて買ったが、なんだ?このジャケットは?(上掲写真中)
しかもマンゴ盤 CD は音質もショボい。その後 T ・バードが『シンクロ・システム』と『オーラ』との 2in1でリイシューしたもの(上掲写真右)は、まあジャケット左上に小さくオリジナル・ジャケットが載ってはいるのだが買う気がせず、だから音質もどんなものだか僕は知らない。
ここからが今日僕が一番言いたいことなんだけど、しかし完璧に同一内容を荻原和也さんがだいぶ前にお書きなので、手っ取り早くそれをコピー&ペーストするようなやり方で借用させていただきたい。萩原さん、毎度スミマセン!謝罪の気持と敬意を込めてというか、僕のこの文章をお読みの方で以下のリンク先(萩原さんの2014年のブログ記事)をまだお読みない方は是非ご一読いただきたい。そうすれば僕のこれ以後の文章は不要です。
ここで萩原さんがお書きであるように、アイランドはキング・サニー・アデの『シンクロ・システム』をどうして廃盤のままにしてあるんだ?これはぜ〜ったいに理解できない。いろんな意味で必聴作なのに。もはや過去の遺物?そんなことはないだろう。単にアフロ・ポップ大流行期の代表作を聴いて「時代を理解する」ということだけじゃない。『シンクロ・システム』自体、いま聴いても楽しい傑作なんだから、時代を超越している。
しかし萩原さんもお書きのように名作・傑作がそうである最大の理由は、リアルタイムで体験した人間の感慨とか思い出とか固定した評価なんかじゃない。時代が流れても新規にファンを獲得し続けて、後追いで聴いたリスナーが新たな魅力を発見して、それにより評価が更新されて見直され同時代性を獲得するところにある。
これはもちろんアフロ・ポップの世界だけの話じゃないのは言うまでもない。どんな世界のどんな分野の音楽作品だって同じだ。僕の最大の得意領域であるマイルズ・デイヴィスの話をすれば、彼はもう死んでいる。が<過去の>名作が廃盤にならずカタログに残り続け、ちょっと聴いてみたいなと思った入門者が実に手軽に CD を買えるからこそ、マイルズの評価はいまでも落ちず、新規ファンを獲得し続けている。
いつでも誰でも買える状態にある 〜 これは傑作が傑作だといまの時代に再認識されるための最低必須要件だ。アイランドはキング・サニー・アデの『シンクロ・システム』で、この最低要件を全く満たしていない。これじゃあねえ、ダメでしょ、絶対に。一日も早くアイランドは『シンクロ・システム』を CD リイシューしてほしい。そして二度と廃盤にしないでほしい。
来たる(って来るのか?)キング・サニー・アデ『シンクロ・システム』CD リイシューの際は、萩原さんは二枚組デラックス・エディションを提案されているけれど、それが無理なら一枚ものでも結構。ただし二つ条件がある。一つ、音質のリマスター作業を施してほしい。一つ、オリジナル・ジャケットを採用してほしい。この二つをクリアするならば、LP や CD やその両方でも持っているファンだって、みんな買はずだ。アイランドさん!お願い!
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